試験は終わった。最後は力尽きて眠るというお粗末な結果だったが、試験官であるリインフォースⅡに叩き起こされて今は結果を待っているという状況だ。
内心、アスカは焦っていた。そりゃ無茶やらかしたのは自分だし、あんな強引な突破方法に頼ったので当然疲れもする。それは分かっていた。しかし――眠るのはあまりに不味すぎた。頭に残るのはゴールして一瞬目を閉じ、次に開いた時に見えた試験官の呆れたような笑み。迷惑を掛けた申し訳なさやら自分の非常識さやらでパニックになって口をぱくぱく開くだけだった彼は、ようやく一人きりになったところであまりの恥ずかしさから呻き声を上げていた。
『やらかしたな、ユーザー。あの試験官殿の顔を思い出して恥じるのはお前の勝手だが、お前のような所有者を持った私の身にもなってほしいものだ』
「うぅ……ごめん、フルクラム」
『お前が自覚しているなら私はもう何も言わんが、ギンガ殿はどうだろうな』
右腕に填めたシンプルな銀色の腕輪、待機形態となったフルクラムから告げられたその名を聞いた瞬間。先程まで目に見えて落ち込み、俯いていたアスカは不意に顔を上げ、キョロキョロと辺りを見渡し始める。何か、というより誰かを探しているようだが、その様子は明らかに不審だ。
『落ち着け。今この近くにギンガ殿はいない』
「よ、良かった……」
『が、いずれ結果は108隊に渡る。覚悟だけはしておけ』
「はい……」
頼れる相棒の一切の優しさもない言葉にアスカは再び項垂れる。拳骨一発くらいで許してくれないかなぁ、などと希望的観測を考えていると、受験者の待機室の自動ドアが開いた。
「ごめんごめん、待たせちゃったかな?」
現れたのは栗色のロングヘアーを左サイドで結んだ、白い制服姿の女性。柔和な微笑みを浮かべる彼女の登場に、アスカは驚愕の余り目を見開いて硬直してしまう。何しろ、彼女はこんなところにいるはずがない人物なのだ。
「た、高町なのは一等空尉!?」
高町なのは。時空管理局に勤めている局員の中でもかなりの有名人で、“不屈のエースオブエース”と呼ばれる一流のベテラン魔導師である。本来であれば、このような場所にいるべきではない彼女は何枚かの紙を纏めたバインダーを片手に固まっているアスカにゆっくりと向かってくる。
「あっ、し、失礼しました!」
なのはがすぐ近くまで来て、ようやく状況を把握し始めたアスカは慌てて立ち上がり、上官に対する無礼を謝罪しながら敬礼する。そんな彼女の様子になのはは苦笑し、
「いいよ、楽にしてて。リイン試験官はちょっと別のお仕事が入っちゃってね、代わりに私がアスカ君の試験結果を伝えに来たんだ」
「は、はい」
なのはの言葉に緊張が走る。試験前日、直属の上司から技術面では概ね問題はないはずだと言われたが、実際どうだったのかは分からない。さらにあのようなミスと反則ぶっち切りの危険行為。受かる可能性はだいぶ低いだろうが、それでもおそらくゼロではない。
「さて、詳しい試験内容だけど、技術面、実力面では特に問題はありませんでした。ただし、危険行為に関しては見過ごせる範囲を大きくオーバーしています。足の傷の報告もそうだし、最後の無茶もそう。多少の我慢なら分かってあげられるけど、さっきのアレは“多少”じゃなかったよね」
少し彼を責めるような声色のなのはに「はい……」と答え、目を伏せる。彼女の言うことは正しい。足の傷から響く痛みだけではなく、超加速の影響で体はあの時既に悲鳴を上げていた。どう考えても無茶をし過ぎた。部隊で同じことをしても彼の直属の上司はきっと同じことを言うだろう。
「まぁ、そんなわけで。今回は残念ながら不合格」
「……はい」
厳しげな表情の彼女から告げられた言葉は、やはり不合格。分かっていた結果とはいえ、ここまではっきり言われるとやはり来るものがある。しかし、いくらか意気消沈した返事を返したアスカを見るなのはは先程とは違い、微笑みを浮かべた。
「……なんだけど。はい、これ」
なのはがバインダーに挟めておいた一つの茶封筒をアスカに渡す。何がなんだかまるで分かっていない彼を余所に、柔和な表情を崩さずに言葉を続ける。
「今のアスカ君の能力、技術を考えると秋までCランク魔導師扱いするのが逆に危険なんだ。だから、この推薦状を持って武装隊特別講習に参加すれば、最終日にもう一度Bランク試験を受けられるようになってるよ」
「じゃ、じゃあ……!」
「うん、まだチャンスはあるよ。武装隊の先輩達に揉まれて、私が指摘した部分に気をつけてくれればBランクなんて楽勝!」
輝くような笑顔の彼女に釣られてアスカの表情も自然と明るくなっていく。何故こんな例外が認められたのか分からないが、チャンスが残っているということが嬉しいのだ。
「あと、これは個人的なお願いなんだけど……聞いてもらえるかな?」
「え?えっと、僕ができることなら大丈夫だと思いますけど、何をすればいいんでしょう?」
「実はアスカ君が行くことになる武装隊の特別講習に一人、君と同い年くらいの男の子がいるの。もし良かったら、その子と仲良くしてあげてくれないかな?」
何を頼まれるのだろう、と少し身構えていたアスカだったが、なのはのお願いの内容を聞いてきょとんとしてしまった。別段他人とコミュニケーションを取ることが苦手というわけではないが、それはそれとして彼女がどうしてその男の子のことを気にかけるのかが分からない。
「ダメ、かな?」
「い、いえ。そんなことでいいなら全然構いませんけど……」
「本当? ありがとう、アスカ君! その子の特徴はね――」
見るからに嬉しそうな表情を浮かべるなのはにアスカは自然と笑顔を浮かべ、先程の疑問は頭からすっぽりと抜け落ちてしまった。不屈のエースオブエースが気にかける少年。それだけで色々な人間が興味を持ちそうな話ではあるが、彼はさして気にしていなかったようである。
「じゃあ、これで試験は終了します。気を付けて帰ってね?」
「はい。今日はお忙しい中、ありがとうございました!」
「うん、お疲れ様でした」
手を振るなのはに一礼して、アスカは試験会場を後にする。結果としてなんとか再試験に漕ぎ着けることに成功したが、今度は絶対に落ちることは許されない。数日後に迫っている武装隊特別講習で、彼女の言う通り先輩達の技術をできる限り覚えようと決意を新たにして――
『ユーザー』
「うん?」
『……ギンガ殿からメールだ』
重苦しい口調のフルクラムから告げられた一言に、彼の思考は一瞬にして凍りついた。
陸士108隊、隊舎。時空管理局の地上部隊の一つであるその部隊にアスカは所属している。そして、今彼は試験場を出てすぐに送られてきたメールを見て、すぐさま部隊にとんぼ返りすることとなっていた。
「さて、アスカ君?」
隊舎の中を進むこと数分。第一捜査班に割り当てられたオフィスで凍えるような冷たい笑みを浮かべて椅子に座る女性にアスカは硬直していた。彼の経験が明らかなアラートを示しているが、蛇に睨まれた蛙のように体は動いてくれる気配すらない。
「試験では派手にやってたみたいだねぇ。うんうん、元気なことはいいことだよ?」
「ぎ、ギンガさん……あの時はアレしかなかったと言いますか、今考えると無茶苦茶やらかしたといいますか……」
「その結果、試験終了と共にバタンキューは仕方ないかなぁ?」
「あれは有り得ない行為でした!すいません!」
「あはっ、謝らないでいいよ、アスカ君」
ギンガと呼ばれた紫色の髪を腰近くまで伸ばし、同系色のリボンでサイドをまとめて結った女性は怯えるアスカに微笑むが、その緑の瞳は一切笑っていなかった。
「心の底から反省し尽くすまで、許すつもりないから」
「ひぃっ!?」
ギンガが椅子から立ち上がり一歩ずつ近付いて来る。その度に彼も一歩後退り、ギンガと一定の距離を保とうとするが、アスカは忘れていた。背後が自動ドアではなく、ただの壁だということを。
「そんなに怯えなくて大丈夫よ?“手”は出さないから。ただ、私が反省したって決めるまで――お説教です」
その瞬間、アスカは悟る。ああ、これは助からないルートだ。
結果だけ言えば、ギンガの説教は深夜まで続いた。食事は取らせてもらい、その間だけはギンガもいつもの優しい彼女だったが、食事が終わるや否や襟首を掴まれてズルズルとオフィスに強制連行。その間ずっと背筋を伸ばしたままで正座だったため、やっと解放された今も体の節々が悲鳴を上げている。
「うぅ、まだギンガさんの声が耳に残ってる……」
『自業自得と思って諦めるのだな』
「こういうときくらい優しくしてくれたって罰は当たらないと思うんだけどなぁ!?」
今さら期待しているわけではないが、やはりフルクラムは優しくない。父親から継いだフィルダー家の家宝――らしい彼は自分で今の主を認めない限り、所有者でしかないということでユーザーとしか呼んでくれない。この冷たさも認められれば変わるのかな、などと考えながらアスカはベッドに倒れ込む。
「そういえば、高町一尉のお願い、覚えてる?」
『特別講習に参加するお前と同年代の子供を気にかける、だったか』
「そう、それ。あの時はすぐに引き受けたけど、よく考えてみると気になるなって」
一度は沈んだベッドから上半身を起こし、自分のデスクの上に置かれたフルクラムと向き合う。ルームメイトは今日、夜間警備に引っ張り出されていないのでこうして普通に話すことができるのだ。
『気になるとは?』
「高町一尉は有名人だ。そんな人間がいるなら噂になっててもおかしくないだろ?」
『確かにな』
「それに、僕の再試験だってそうだ。普通なら、ただの局員にそんなサービスはしないし」
『期待されているのだろう。何にかは知らんがな』
「それだけなのかな。もっと理由があるような、そんな気がするんだよ」
『それを気にしたところで何も始まらんだろう。今はただ試験突破のことだけを考えていればいい、違うか?』
「違わないけど……まぁ、いいや。おやすみフルクラム」
『ああ』
悩んでいても仕方がないと割り切ったのか、アスカは布団を被って黙り込む。やがて、数分も経たないうちに布団の中から小さな寝息が聞こえてきた。どうやら完全に眠ったようだ。
『……期待しているのは私も同じだがな、アスカ。お前ならばきっと――』
眠りに落ちたアスカに聞こえないように小さな声で、優しくないデバイスは願いを込める。鈍いのか鋭いのかよく分からない今の所有者が、最高の主となれるように。
夜は更けていく。幼い日の憧れを胸に、愚直に突き進む少年は一時の安らぎを得て、呪われた銀銃はやがて主となる少年に隠された期待を胸にして、月が高々と空に昇る夜はこうしてさらに更けていくのだった。
それから数日後の早朝。まだルームメイトがぐっすり寝ている最中、アスカとギンガの姿は隊の宿舎の玄関にあった。彼は今日から始まる4日間の特別講習に向かうところで、ギンガはその見送りと言ったところか。
「準備はできた?忘れ物はない?」
「いや、あの……ギンガさん、別に見送りとかいいんですけど」
大きめのボストンバッグに詰め込んだ下着の替えなどがちゃんと入ってるか確認しようとするギンガをなんとか押し留めて、アスカは彼女に聞こえないように溜め息を吐く。一つ下だからってちょっと子供扱いし過ぎだと思うんですけど。
「そうは言っても、アスカ君たまに凄く抜けてる時があるから心配なのよ」
「大丈夫ですって……たぶん」
そう言われると自信がなくなっていくような気がするのは日頃の行いのせいか。今も不安げに見つめてくるギンガをどうにかして安心させられないかと考えてみるものの、いい案が見つからない。
『ユーザー、時間だ』
二人の沈黙を破ったのはフルクラムによる報告。そろそろ近場の駅に向かわなければ、本局行きの次元船に間に合わなくなってしまう。
「じゃあ、ギンガさん、行ってきます」
「武装隊の皆さんに迷惑掛けないようにね。後、無茶はしないように」
「はい、行ってきます!」
最後の最後までアスカの心配をしてくれる有り難い上司に感謝の意を込め、元気よく返事をしてアスカは駅に向かって歩き出し、108隊を後にした。
駅までの道は早朝だからか人通りはほとんどなく、黙って歩くのはなんとなく暇だったのでフルクラムに話しかけてみたが、『今は講習のことだけを考えろ』と一蹴されてしまった。相変わらずアスカの立場はフルクラムより低いのだ。
駅に到着し、切符を買って電車に揺られること十数分。一人で乗っていた電車に新たな乗車客が二人、現れた。
一人は動きやすそうなショートヘアの青色の髪をした快活そうな少女。もう一人は橙色の髪を黒いリボンでツインテールに結んだ強気そうな少女。二人ともどこかへ旅行に出掛けるようなキャリーバッグを持っているのだが、その服装は彼と同じ陸士隊の女性制服で、彼女達もこの講習に参加することが見てとれた。
そして、アスカは彼女達をよく知っている。何せ同じ訓練校を卒業し、今も休みが合えば出掛けるような付き合いの友人なのだから。
「やぁ、スバル、ティアナ」
「あれ、アスカ? ひょっとして、アスカも特別講習受けるの?」
「あんたまで一緒なんて、珍しい偶然もあるのね」
スバルと呼ばれた青髪の少女とティアナと呼ばれた橙色の髪の少女は手招きするアスカに従って彼の両隣に座る。
「アスカはどうして特別講習受けることになったの?」
「この前のBランク試験でちょっとね。高町一尉のご厚意で特別講習に――」
「ホントに!?じゃあ、アスカも機動六課にスカウトされたの?」
「えっと……ごめん、スバル。話が見えないんだけど」
顔をぐいっと近付けてきたスバルに若干引きながら、アスカはポカンとしたような表情を浮かべた。一方のスバルも話が噛み合わないことに「あれ?」と首を傾げ、二人の噛み合わない話を聞いていたティアナは何故か一人で考えを巡らせている。 他の乗客が見ていればさぞかしシュールな光景だろうが、生憎この電車にいるのはこの三人だけだ。
「……はやてさんはなんでそうまでして私達を……?」
「ティアナ?」
「なんでもない。まぁ、アスカもいずれスカウトされるんじゃないの?」
「いや、だから何のことか分からないんだって……」
話は一応のところはここで終わり、つい先日もメールのやり取りで近況を報告し合っていた三人に次なる話題は見つからない。なんとなく、アスカは昨日から抱いていた一つの疑問について彼女達の意見を聞いてみることにした。
「そうだ。二人とも、高町一尉が気にかける人がいるって話聞いたことない?」
「えっ!?そ、それって……」
「いや、スバルが考えてるような意味じゃないでしょ。教導官なんだからそういう対象はいるんじゃないの?」
何を勘違いしたのか急に頬を赤らめるスバルに対し、ティアナの返しは極めて冷静だった。スバルのような勘違いをせずともあの高町なのはが気にかける人間というのは話題になりそうなものだが、彼女は興味なさげだ。
「そんな話、誰から聞いたのよ?」
「えっと、高町一尉ご本人から」
「……参考までに聞くけど、外見とかは?」
「いや、特には……」
『茶髪に黒眼、痩身の男だそうだ。後はユーザーやティアナ殿と年が同じとも言っていたか』
だが、昨日のなのはの言葉を覚えていたフルクラムから外見の特徴を聞いた瞬間。興味なさげだったティアナの表情が一気に変わる。眉は吊り上がり、眉間には深い皺が刻まれ、その目はどこをどう見ても怒りを孕んでいた。親友の急な豹変に困惑する二人のことを一切気にせずにアスカの肩をガッと強く掴んだ。
「興味出てきたわ、アスカ。その話……詳しく聞かせてもらえない?」
「べ、別に構わないけどなんでそんなに怒ってるのさ?」
「怒る?何言ってんの、あたしは冷静そのものよ?」
――絶対嘘だ。冷静な人は冷静アピールなんてしないし……。
そんなティアナに怯えながら、アスカは昨日なのはに聞いた話をそのまま伝える。これで原因不明の怒りが収まってくれるように願いを込めながら伝えた話はどうやら彼女のお気に召したらしく、
「そ、ありがと」
と、いつものそっけない態度で返し、強く掴まれていた肩が自由になったため、彼はようやく安堵の息を吐くことができた。
「あはは、災難だったねー、アスカ」
「ちょっとスバル、それどういう意味よ?」
「えー? だって、怒ったティアはこわ……」
「なんですってぇ?」
「ごめんなさい!」
眉間に皺を寄せて睨むティアナにひぃ、と息を飲むスバル。いつも通りの二人にアスカは苦笑を浮かべ、三人を乗せた電車は一路、ミッドチルダの次元港へと向かっていった。