赤く白くゆらゆらと ~嘘企画版~   作:笛のうたかた

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嘘企画な邂逅

 【――Side on Asassinaters――】

 

 

 

 ただ静かに更ける夜の時間を、紙の擦れる音がささやかに乱す。

 

「そんなに面白いか、アサシン」

「…………」

 

 チラ、と赤紫の瞳が綺礼を窺い、またすぐ紙面に戻される。邪魔するなと言わんばかりだ。

 少年の手にある書物は文献でもなければ新聞でもない。

 英語風に言えばカートゥーン。世界に誇る日本のサブカルチャー。

 マンガである。

 

 ……頭が痛い。

 

 外傷、体調不良以外で頭痛を感じるなど初めての経験だったが、なるほど確かに、これは頭が痛いという表現が適切だと綺礼は納得してしまう。

 子供がマンガを読んで悪いとは言わない。むしろこの少年に限れば背格好からして違和感はまるでない。

 だが、しかし、この少年はアサシンなのだ。仮にもきっと恐らくは英霊であり、世に逸話を残し伝説と語られる存在のはずなのだ。

 悪い夢でも見ているようだった。綺礼は嘆息を押し殺す。決してこのアサシンにねだられて百冊単位で新品を買わされたことを恨んでいるわけではない。そう、問題は断じてそんな瑣末事ではない。

 数日前、魔術の師である遠坂時臣と父言峰璃正に少年を引き合わせるまでに、散々膝を突き合わせお前は何なのだと問い詰めた。最終的には二人にも事情を話し説得と追及の一助を願った。

 が、努力の甲斐なく、アサシンはほとんど何も喋らなかった。

 ぼんやりと、聞いているんだかいないんだか全く判断の付かない無表情で、虚空に焦点を留めたまま眠るように立ち尽くしていたのだ。挙句の果てにこちらの問いかけを完全に無視し、近くのソファに腰掛け船を漕ぎ出す始末。遠坂時臣の米神に青筋が浮かぶ前にその腕を取って急遽退室したが、失望されたのは間違いないだろう。

 分かっているのは、真名だけ。

 どうにかして能力だけでも把握しておきたいのだが、こんな馬鹿げたことに礼呪を費やすのは惜しすぎる。

 

「……アサシン」

 

 一冊読み終わったところを見計らい呼びかける。少年が眠たげな目を上げた。とにかく話題のきっかけでも、と口を開きかけた綺礼は、しかしふと思い付く。

 マンガを面白がるほど、子供ならば。

 

「……パフェとケーキ、どちらを食べたい」

「ケーキ」

 

 即答だった。

 心なし無表情が輝いていた。

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

「ほう。するとつまり、アサシンから能力を聞き出すことに成功したのか?」

「ええ。そうなります」

 

 遠坂邸の地下、時臣の魔術工房。

 古風なランプ――部屋の主に言わせれば伝統的な灯りの揺らめく部屋で、綺礼は師と向かい合っていた。

 優雅にソファでくつろぐ師・時臣は安堵の表情で徒弟である綺礼をねぎらう。

 

「よくやった。これで君のサーヴァントを戦略に組み込むことができる。いや、正直不安だったよ。どこの英霊かも分からない上に、社交性の欠如も著しい。綺礼、あのコミュニケーション能力がランク外のアサシンと、どうやって打ち解けたんだ?」

「打ち解けた、とは未だ断言できかねますが……。餌付けです」

「……何だって?」

 

 思わずといった調子で目を丸くし、聞き返す時臣に綺礼は淡々と繰り返す。

 

「餌付けです。どうにも、見た目通りの部分があるようで……ケーキ屋に行き、幾つ買って帰るかで交渉したところ、三ホールで質問に答えることを約束しました」

「それはまた……安いサーヴァントだな」

 

 何と評すべきか、困惑を隠せず呟く時臣に綺礼も同意する。

 万札一枚以下で懐柔される英霊が、まさかこの世にいるとは。

 

「まあ、いい。予想外だが礼呪を浪費せずに済んだ結果を喜ぼう。それで、アサシンの固有スキル、宝具の数と効力、詳しく聞かせてもらおうか」

「……」

「綺礼?」

「いえ……どう説明したらよいか、まだ私の中で纏まっていないのです。後ほど、書面にてお伝えします」

「そうか? では、そちらはまた後にしよう。サーヴァントも出揃ってない現状、焦っても仕方がない。整理が付いたら言ってくれ。……とは言え、早いに越したことはないが」

 

 それから綺礼は各地から届けられた情報を時臣と二人で精査し、真偽を論じ、推測を交えて望ましい展開と避けるべき状況を話し合った。『優雅』を家訓に持つ時臣は周到な備えを求める。アサシンの能力は重要なファクターだが、それだけにかかずらってはいられないのだ。

 師と言葉を交わしながら、綺麗の胸には別種の思いが混沌と渦巻く。それは昼間、至福に見えなくもない眠たげな無表情で、黙々とケーキを平らげるアサシンから情報を得た時に始まり、今なお濁り、澱み、臓腑の空隙を漂う。

 時臣の元に届いた聖遺物、それがもたらすだろう英霊を綺礼は既に聞かされていた。確かにかの英雄であれば、およそ全てのサーヴァントに対して優越する『最強』足り得る存在であろう。

 

 

 だが、もし。

 

 もしも、の話だが。

 

 その相手が、『無敵』だったとしたら?

 

 

 綺礼は、想像を止められない。魔術の師であり、協力者として勝利へ導かねばならない時臣よりも、己の引いたサーヴァントが、こと殺し合いにおいて優秀だったとしたら。それを、時臣が知ったとしたら。

 

「……?」

 

 ふと、綺礼は胸を押さえた。時臣にどうしたのかと聞かれ、何でもないと答え、表面上は論議に戻る。

 全ては未だ霧の中。指摘する者もまだ彼岸。

 掠めた『愉悦』に、綺礼は気付かない。

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 綺礼が遠坂邸の地下工房から上がると、居間に見知らぬ少女がいた。

 

「むー! むー!」

 

 扉を開けた姿勢で固まっている綺礼に向かって何事か訴えかけるのだが、口と両手とご丁寧に両足までガムテープで拘束されて言葉になっていない。

 助けてと言っているのだとは思うが。

 

「……アサシン、これは何だ」

 

 ソファに転がる少女の隣から、少年が眠たげな顔を上げる。一応、周囲の警戒を命じていたはずなのだが、その手に持つマンガは何だ。

 アサシンは少し考えた様子で、ゆっくりと口を開く。

 

「…………拾った」

 

 さらったの間違いだろう。間違いだと思いたい。

 余計な仕事を増やしてくれるサーヴァントに嘆息する。時臣の妻子が避難のため既に出払っているのがせめてもの幸いだ。

 綺礼は改めて少女を見やる。美醜で言えば美に傾くだろう容姿、特徴に乏しいブラウスとブレザーの制服からでも窺える女性らしい膨らみ、赤い髪紐で可愛らしく結んだ艶のある黒髪―――と、ここまで揃えば学校内でも頭一つ抜けた異性として噂されるだろうが、その人生において酸いも甘いも知り尽くしたはずの英霊が突発的にさらうほどとは到底思えない。

 

「それで、その娘を具体的にどうしたいのだ。アサシン」

「…………どう、しよっか」

 

 それは、綺礼への返事ではない。マンガを置いたアサシンの瞳は震える少女を捉えていた。

 

「…………どう、されたい?」

 

 小さく、幽かに、その唇が吊り上がり――ぞわりと、怖気が満ちた。

 

「ッ!?」

 

 うなじが冷たく総毛立ち、綺礼はとっさに黒鍵の柄に指をかけていた。

 笑み一つ、挙措一つで、少女が蛇に睨まれた蛙のように凍り付いた。はた目にも少女の怯えが伝わった。アサシンの声と微笑は魔のそれを伴っていた。

 初めて綺礼は確と理解する。少年のような見かけに騙されてはならない。

 これは紛れもなく【英霊(サーヴァント)】だ。

 

「アサシン」

「?」

 

 呼びかけた途端、魔性の気配が霧散する。視線を外された少女は気が抜けたようにふらりと倒れ、アサシンは常の眠たげな無表情で綺礼を振り返る。

 

「今夜、時臣師が召喚の儀式を執り行う。お前にもそろそろ動いてもらう時が来た」

「…………そう」

「聖杯戦争が始まる。いや、もう始まっている。戦略の詳細は師の召喚が成功してから伝える。万に一つもないとは思うが、お前のようなイレギュラーが現れるとも限らんからな」

「起きない…………よ」

 

 声には、奇妙な確信があった。

 

「イレギュラー、は…………僕、だけ」

「……それならそれで結構だ。召喚が終われば嫌でも知れよう」

 

 触媒たる聖遺物は届いた。蛇の抜け殻。最強のサーヴァント。

 英霊という存在にもはや期待はないが、この少年よりはまともな人格を願いたい。

 

「ところで、その娘だが」

「あげない」

 

 身動きできない少女を抱きしめて少年は所有権を主張する。少女はまだ先ほどの恐怖が残っているらしく、青い顔で震えることもできずされるがまま。

 綺礼は無視して続ける。

 

「その娘だが、魔術とは無縁の一般人だろう。無関係の他者を無為に巻き込むことは師の流儀に反する。解放しろ」

 

 それが一番面倒がないというだけで、綺礼は別段、時臣の『優雅』とやらに興味はない。ただの建前だ。死体を処理するより、適当な記憶操作でもして帰らせる方が手間は省ける。

 

「この子…………魔術回路、ある」

「ほう?」

 

 アサシンの言に、綺礼は素直に驚いた。そして憐れみを抱く。

 これで、“無為”ではなくなった。

 

「なるほど。アサシンよ、それはつまり、その娘の魔力を?」

「うん…………ついでに、もらう。…………僕は、結構、大喰い」

 

 一人、会話について来れない少女が、怯えの表情に疑問符を貼り付ける。当然、綺麗に説明するつもりはない。事務的に思索を終え、“処置”の算段を整える。

 

「回路も開いていない娘からどれほど収穫できるか疑問だが……オドの回復を思えば無差別に魂喰いをするよりは有益か。時臣師もたかが小娘の一人程度に目くじらを立てることもあるまい」

「…………じゃあ」

「好きにしろ。情報操作はこちらでやっておく。……だが仕事はこなせ。いいな」

「ん」

 

 付け加えるならば。

 小娘の一人や二人で、このサーヴァントを縛れることこそが最大の利益だ。

 この娘のどこにアサシンが惹かれたかは分からない。知ったところで意味もない。だが執着しているのならば利用できる。利用できるならば、価値がある。路傍の石も同然の小娘を見捨てることに、綺礼は何の感慨も抱かなかった。悪鬼邪霊が実在する世で、人間が相手となるだけ幸運な部類だろう。

 この少年がまともな人間かはともかくとして。

 

「さて。では警戒任務に戻ってもらおうか」

「え」

 

 少女を連れてどこぞの空き室に向かおうとしていた少年が、無表情を狼狽させた。

 

「それは…………とても、困る」

「ほう。たった今仕事をこなすと頷いたのは偽りだったか」

「…………!」

 

 頭を殴られたように固まる少年の肩を叩き、綺礼は無意識に笑みを浮かべ、外を指差した。

 

「儀式に立ち会う必要はない。今夜一晩、この家に邪魔者を入れるな。……無論、場合によっては朝まで、だが」

 

 

 

 その夜、屋根に膝を抱えて座り込んだ少年の放つ八つ当たり気味な殺気によって、遠坂邸には鼠一匹近寄らなかったという。

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 【――Another side――】

 

 

 

 ただ、雪。

 空と地の果てまでも白く閉ざされるアインツベルンが居城。白銀に傅かれた壮麗なる城。

 そこにイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは生まれた。当家の名を継ぎながら血縁はなく、作られた人工生命(ホムンクルス)として、それは与えられた記号に過ぎない。

 だがイリヤは気にしない。よく遊んでくれる優しい父に美しい母。二人が居れば幸せだった。

 しかしそれも今日までだ。明日には二人とも仕事でいなくなる。

 早ければ父は二週間。母、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは……ひょっとしたら、二度と会えないかもしれない。いいや、ひょっとしたらではないのだ。

 漠然とイリヤは予感していた。明日の出立が、今生の別れとなる。それは昨夜寝室で母と話し、ほぼ確実にそうなるだろう可能性を告げられたからだけではない。もっと根源的な、魂と言える部分で理解したのだ。その意味で、イリヤは正しくホムンクルスであり、生まれながらの魔術師であった。

 

「……あれ? キリツグ、あそこ誰かいるよ?」

 

 冬の森でクルミの新芽探しを終え城に戻る途中、イリヤは門の前で佇む人影を見つけた。門と言っても城の内外を隔てる大門ではなく、幾つか存在する城内へと続いた小さなそれだ。観音扉の前に薄ぼんやりと立ち、城を見上げる人影は赤かった。まるで血に濡れたような外套を纏っていた。

 

「……イリヤ、ここに居なさい」

「キリツグ?」

「じっとしているんだ。そこの陰から出ちゃいけない。いいね」

 

 父、衛宮切嗣は先ほどまでの優しげな口調とはまるで違う、硬い声音で木の陰から出ないように告げ、一人で赤い人影の方へと近付いて行った。その背中にはイリヤがかつて見たことのない、氷よりも冷たい気配が漂っていた。

 切嗣が近付くと、赤い人影が振り返った。木陰からこっそり覗いていたイリヤは驚く。イリヤよりもずっと年上だが、大人になり切れない顔立ちは紛れもなくまだ子供と言える少年のものだった。

 

「君は、誰だい? アインツベルンの縁者……には、見えないが」

 

 切嗣の戸惑いがイリヤにも伝わってくる。だって、そうなのだ。イリヤにだって、分かる。面と向かい合っているのに、こうして目で捉えているのに、少年のこの、“希薄さ”は、何だろう……?

 

「…………」

 

 少年はじっと切嗣を見つめ、なぞるようにその目を動かした。顔、首、肩―――右腕。

 

「っ!?」

 

 直接見つめられたわけでもないイリヤの背にさえ、氷塊が滑り落ちた。ぞっと身を強張らせた切嗣がその場を飛び退る。少年は一歩どころか微動だにしていない。ただ小さく唇を緩めただけだ。

 その、幽暗に細められた微笑が、冬の外気さえ上回る、凍りつきそうな怖気を呼んだ。

 才はあれど、幼いイリヤはそんな少年が放つ気配に呑まれた。離れているのに、身動き一つ取れない。間近に迫った死の気配が意識を遅く、緩慢に知覚させる。

 切嗣が動いた。身を低く、前傾姿勢で少年に向かって疾走する。その手は固く閉じられ、何も握っていない。この安全な城の中で、何より娘と過ごす大切な時間に、武器を携帯しているはずがなかった。

 蹴立てられた雪さえ緩やかに舞う視界で、ゆっくりと少年が切嗣を指さす。当然、切嗣が少年の元までたどり着くより早い。切嗣へと向けられた人差し指が何を意味するのかイリヤには分からない。だがそれが良くないものであることは理解できた。

 ――そしてその指の直線状に、イリヤと切嗣が並んでいることも。

 

「っ……!!」

 

 切嗣はかわせない。避けられない。あからさまに射撃を思わせる少年の仕草が、切嗣を直線状から動かすことを許さない。イリヤもまた動けない。直感は逃げろと囁く。このままでは切嗣の邪魔だと。だが手足は未だ凍りついたままピクリともしなかった。

 そして、差された指先に“何か”が揺らめき、

 

 

 

 少年の頭上で窓枠ごと窓が爆ぜた。

 

 

 

「…………!」

 

 咄嗟に天を振り仰ぐ少年の頭上で、古風なドレスがはためいた。

 ガラス片と共に舞い降りる身体が奔流のような魔力を帯び、一瞬後には鮮烈な青と白を宿す輝くような鎧となって顕現する。

 

「っはぁあああああああ!!」

 

 咆哮。落下の勢いを乗せ叩きつけられた一撃は流星の如く地を穿つ。

 そう、穿たれたのは大地。赤い少年はいっそ緩やかな所作で、ふわりと地を蹴っていた。

 

「無事ですか、切嗣!」

 

 距離を開けた少年に向き直りながら、凛々しき面差しの少女――英霊としてこの地に招かれたセイバーが、その契約者たる切嗣に声をかける。

 

「……僕よりも、イリヤを」

 

 苦々しく答える切嗣の言葉にセイバーは視線を走らせ、イリヤの方を見た。翡翠色の瞳は峻烈で、強張っていたイリヤの意識をたちまちに溶かした。揺るぎない大樹に見守られているかのような安堵に包まれる。

 

「分かりました。――しかし、何者ですか? ただならぬ気配を感じ、急ぎ駆けつけましたが」

「今のところ不明だ。銃さえ持っていればもう少し平静に対応できたと思うけどね……」

 

 イリヤは、二人の間で交わされる会話が一体どれほどの奇跡かを知らない。必要に迫られたやむにやまれぬ状況が、切嗣の頑なさをこじ開けた。

 

「でも、あれは敵だ。あの殺気は普通じゃない」

「なるほど。それだけ聞ければ十分です」

 

 ひゅん、と大気の裂ける音が離れたイリヤにまで届く。セイバーが手首を動かし、少年へと腕を突きつけた結果だ。けれど一体何が空気を斬ったのか、イリヤの目には何も映らなかった。閉じられたセイバーの手が握るのは、空気だけではないのか。

 

「ここはアインツベルンが領地、無断で立ち入りを許される場ではない。早々にここを去るか、それとも我が剣の錆となるか。選ぶがいい、賊よ」

「…………」

 

 少年がコートの内側にするりと両手を忍ばせる。そして抜き放ったのは、どこに隠し持っていたかも分からない抜き身の細長い刀剣。それらを指の間に挟み、左右六つの刃がじゃきりと少年の前で交叉される。

 

「黒鍵だ。教会代行者の正式武装」

「そちらの関係者ということでしょうか」

「……本物ならね。形だけ似せるのは難しくない。だがこのタイミングで黒鍵の使い手が――」

 

 囁きは止まる。少年が動いた。尋常ならぬ技が刃を乱れ打つ。黒鉄の刀身は二本ずつ。切嗣に、セイバーに――そしてイリヤに。

 だが剣の英霊は先んじる。雪に覆われた地面を蹴り砕きながら前へと飛び出し、一閃。英霊の剣速は一振りで四を打ち、返す刀でイリヤに迫る二つを叩き落とした。

 

「切嗣! ご息女を連れて中へ!」

「っ……イリヤ、来なさい!」

「わ、キリツグ!?」

 

 距離を詰めたセイバーの牽制に、今度は分厚いナイフを取り出して応じる少年。一瞬の攻防が生死を分ける本物の殺し合いに圧倒されていたイリヤは、突如抱き上げられて驚いた。

 父の腕に抱えられ、剣風舞う死地から逃れる。全力で駆ける切嗣の肩越しに遠くなっていく二人の姿を、イリヤは懸命にその目に焼き付けた。そうしなければと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 ――それっきり、赤い少年がイリヤの前に姿を現したことはない。父も母も予定通り翌日にはいなくなった。城の結界も少年の姿を捉えておらず、この時のことは幼い頃の記憶としてイリヤの中で風化していった。

 思い出したのは十年後。奇跡のような出来事が重なって、兄と慕う男の家に転がり込んでいた時のこと。

 

「ねぇセイバー。ずっと前のことなんだけど、アインツベルンの城でセイバーが戦った赤い服の男の子って、結局誰だったか知ってる?」

 

 ふと気になっただけの問い。思い出話以上の意味はなかった。

 だと言うのにセイバーの反応は劇的だった。ぶっと含んでいた茶を噴き、面白いぐらいむせ返る。

 

「げほっ、ごほっ……す、すみません。まさか今になってアサシンの話が出るとは思わず」

「……アサシンだったの? 何て言うか、サーヴァントっぽくなかったけど」

「手強い相手でした。純粋な力でも技でもなく、速ささえ彼が持つ異能の補助でしかない。その異能一つで、彼は前回の聖杯戦争中最も多くのマスターを狩り、全陣営から恐怖された暗殺者です。彼が居たせいで切嗣はスタンドプレーに出られず、戦争の備えが半分以上無駄になったとぼやいていました」

「うわぁ……そんなにすごかったんだ」

 

 感嘆の声を漏らしつつ茶菓子を摘むイリヤ。この厳格な騎士王がここまで他者を評価するのも珍しい。

 

「それで真名は、宝具は? 一体どんな英霊だったの?」

 

 流れとして当然行き当たる疑問をぶつける。

 ――が。

 

「……」

「セイバー?」

 

 首を傾げて、イリヤは俯く騎士王の顔を覗き、ぽかんとなった。

 騎士王の少女は、懐かしむような、義憤に燃えるような、それでいて耳まで赤く染まるような、複雑極まりない表情で過去を反芻していた。

 

「……思い出したくないことまで思い出しました。あの時のあれは嵌められたというか、他に選択の余地がなかったというか、状況に流されただけというか……」

「おーい、セイバー?」

「……とにかく、もし再び相まみえる機会があれば、今度こそ叩き斬る。ええ、絶対です。乙女をもてあそんだ罪、決して許すつもりはない」

 

 最後は義憤に落ち着いたらしく、急須から新しく茶を注ぎ、湯気の立つそれを一息に呷るセイバー。

 

「―――どうせこの身は仮初の写し身。責任を取れ、とまで言うつもりはありませんが……」

 

 一転、翡翠色の瞳が憂愁に彩られる。

 剣の英霊のそんな態度を呆気に取られて眺めながら、イリヤもまたずず、と茶を啜り。

 

「……」

 

 何となく。

 シロウがここに居なくてよかったなー、と思った。

 

 

 

 

 

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