【――Side on Asassinaters――】
〔ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、冬木ハイアットホテルにて発見。サーヴァント確認。ランサーの呼称及び二本の槍を確認〕
〔衛宮切嗣。ドイツ、森の奥の城にて発見。サーヴァント確認。セイバーとの呼称確認〕
〔ウェイバー・マッケンジー。深山町x-x-xにて発見。サーヴァント確認。ライダーとの呼称確認〕
〔間桐雁夜。間桐邸にて発見。サーヴァント気配のみ確認。武器不明。消去法によりバーサーカーと確定〕
…
……
………。
たかが三枚ほどの紙切れが黄金にも勝る価値を秘め、綺礼の手にあった。
未だ召喚されないキャスターを除き、あらゆる陣営の内情が仔細に記録されている。マスターの名前と外見情報に始まり、従えているサーヴァントのクラス、風貌、そして拠点としているであろう場所。セイバー陣営だけは遠く海の果てだが、冬木郊外の森にアインツベルンの城がそびえ立つことは周知の事実である。
たった半日。
朝霧も消えぬような未明から日暮れまでの、聖杯戦争が始まっていないことを踏まえても僅かとさえ言い切れる時間で、眠たげな瞳の少年は想像を遥かに超えた情報を持ち帰った。
「……まさか、これほどとは」
確かに、命じたのは綺礼だ。隠密特化型のサーヴァントを密偵に使わぬ道理がない。朝食後にその旨を伝えると、アサシンは特にこだわりを見せることなく頷いた。
今にして思えば、むしろ慣れた仕事なのではないか。アサシンの来歴は結局よく分からないままだが、どんな時代のどんな土地であろうと、少年の異能をもってすればあらゆる場所に忍び込み、また気取られず脱出できる。その優越性を綺礼は知ったつもりで、しかし真の意味では理解できていなかったらしい。
情報戦においては、もはやジョーカーだ。無敵に等しい。
が、ここで問題が一つ浮上する。
ずらずらと並べられた文字列は淡白だが、それが返って端的な事実のみを記している。ケイネスがソラウという女性を伴っていることや、遠坂時臣でさえ知り得なかったウェイバーなる魔術師の存在もしたためてある。更にはマスターとサーヴァントの会話から両者の関係――たとえばランサーと思しきサーヴァントはケイネスを仕えるべき主と仰いでいるなど、互いの立ち位置までも推測を交えて詳細に書かれてある。
だが、詳細過ぎた。
あの終始ぼんやりした調子のアサシンがこうも的確な報告書を作り上げるとは俄かに信じ難いが、その能力をぼかして時臣に伝えている綺礼にとって、これらの情報ををありのまま伝えることなどできはしない。
これもまた、多少精度を落として報告する他ないのだろう。嘘に嘘を塗り固めていくことへ、僅かながら不安があるものの、アサシンを納得させるための欺瞞情報と割り切らなければならない――綺礼は自分を納得させるほかなかった。
中間管理職の(アサシンの管理が仕事と思えば言い得て妙な)やるせない気分を味わいながら最後の紙面をめくり、綺礼は報告できない理由をまた一つ発見してしまう。
〔遠坂時臣。遠坂邸にて発見。サーヴァント確認。武器不明〕
呆れたことにあのアサシン、時臣の内情まで調べたらしい。サーヴァントとの意思疎通に頭を悩ませている模様、と的確過ぎる。
確かに時臣を調査対象から除外しろとは言わなかった。アサシンの立場からすればいずれ裏切る相手。調べない理由もまた皆無である。が、然程有益な情報でないのも確か。アサシンが調査するまでもなく綺礼がより深く内情を把握している。
有能なのは間違いない。アサシンがもたらした情報は正に値千金を上回る。だがなぜだろう。あまり嬉しくない。
「……どこまで師に報告したものか」
優秀すぎるのも困るのだと、目から鱗の思いであった。
・
・
・
奏絵をさらったのは、奏絵とあまり年が変わらないように見える少年だった。
通学路の帰り道にふと上を見た時、呆気に取られたのを覚えている。どこにでもあるような一軒家の屋根の上で、真っ赤なコートを着た少年がぼんやりと空を眺めていた。夕焼けが風景を赤く染める中、彫像のように身じろぎもしない少年の姿は、まるで空想の世界から抜け出してきた住人のように現実味が欠けていた。
太陽が西の彼方に隠れ、藍色のグラデーションが空を覆っていく。夜の訪れを眺めていた少年が、ふと、奏絵を見下ろした。目と目が合った。そう感じた。直後、奏絵は信じがたい光景を目撃する。
二階の屋根から少年が飛び上がった。飛び降りたのではない。ほとんど膝を曲げる素振りすら見せず、棒高跳びのように高々と跳躍したのだ。そしてふわりと、羽より軽く奏絵の前に舞い降りた。
舞台劇のワイヤーアクションか、さもなくばテレビの向こうでしかありえない出来事。唖然と立ち竦む奏絵に、じぃー……っという擬音がぴったりの視線が注がれ、
『…………似てる』
たじろぐ奏絵の耳が幽かな呟きを拾った。それからしばらく、記憶がない。
気絶させられて運ばれたと気付くのは、広い西洋風の屋敷で目を覚ました後。首筋に衝撃を受けるとか電流で痺れるとか、そういう分かりやすい予兆がまるでなく、意識を取り戻しですぐは激しく混乱した。ガムテープで声も出せないように縛られていたのだから尚更だ。
自分が誘拐されたことを受け入れるまで、かなりの時間が必要だった。そんな犯罪があるのは知っていたし、稀に報道されることだってある。だが誘拐事件は遠い世界の出来事で、自分は無縁だと何の根拠もなく信じていたのだ。
混乱が恐怖に変わるまでは早かった。そして恐怖が絶望の虚無に変わるまでも。
奏絵がさらわれてどれほど経っているか分からない。だけど捜索願とか、行方不明の報道とか、未成年の奏絵がどういう形で扱われるにせよ、警察はとっくに動き始めて、両親と弟は心配していて、友達は軽口混じりに本音では案じている。そのはずだった。
『――好きにしろ。情報操作はこちらでやっておく』
だが耳にこびりつく無機質な男の声音と、狂気を帯びた赤紫の瞳が、奏絵の希望に死の鎌を押し当てた。それが事実なら――警察権力さえ左右してしまえる相手だとしたら、もう無理だ。そして、事実なんだろうな、と奏絵は思っていた。諦めていた。自暴自棄に近い無気力が奏絵を支配していた。
だから寝室に連れ込まれても、すすり泣くばかりで、ろくな抵抗はできなかった。
ベッドに押し倒された奏絵を待っていたのは無慈悲な凌辱だ。か細く喉を震わせた拒絶の言葉ごと初めての唇が奪われる。ブラウスのボタンが上から外され、硬い手の平がシャツの裾をたくし上げた。
強引ながらも少年は巧みだった。恐怖に震えるいたいけな少女を女に変えてしまう術を心得ていた。
首筋をくすぐる柔らかい唇の感触。敏感過ぎる場所へ下着越しに触れる優しげな手つき。奏絵の様子を見ながら罠へかけるように弱点を探り出す手管。
その全てに翻弄され反応してしまう自分の身体を、奏絵は信じたくなかった。誰にも見せたことのない肌を嬲られ、好きでもない異性に乳房の突端を吸われ、快楽と呼べるものを感じてしまう自分が悲しくて、もどかしくて、どうしようもなく嗚咽した。
「…………弱い」
不意にこぼれた囁き。
身体をまさぐる手が止まる。
「脆弱。……か弱い、頼りない。…………どうしてこんなに、弱い」
困惑、疑問、不思議――もっと深い感情――悔しげな思いが伝わって来る。
「似てるのに…………やっぱり、似てない」
肌の上を硬い手の平が撫でていく。再開される。もどかしさをぶつけるように手つきが荒々しくなる。――うっすらと目を開けた。苛立たしげに細められた赤紫の瞳が奏絵を見下ろしていた。
(……?)
どうしてかは分からない。
ただ奏絵はその時、無表情を崩さない少年が泣いているように見えた。
まるで自分に縋りついているように見えてしまった。
顔が近づき、唇が重なる。最初に奪われた行為と何も変わらないそれ。
だが唇の向こうに、膝を抱えてうずくまる子供の幻が。
「っ……ゃ……!」
するすると足を抜けて行くショーツの感触に、逃げかけた身体を押さえつけられる。太腿の内側に手がかけられ、割り開かれた。最後の抵抗も容易くあしらわれ、少年が奏絵の無防備な秘所に腰を進めた。
「あ……あっ!」
押し当てられた熱さに奏絵は喘いだ。恐ろしく硬いものが奏絵の純粋な部分に頭を潜らせる。入って来る。取り返しのつかない場所まで少年の一部が到達する。痛みよりも、喪失感よりも、お腹の内側を押し上げる生々しさに、奏絵はぽろぽろと涙をこぼす。
それからどこをどう蹂躙されたか、覚えがないことは救いだろうか。
ただ、何度も何度も、奏絵の中で少年が果てた感覚だけは、呪いのように記憶していた。
「…………妊娠は、しない」
少年が囁いた。手には水の入ったコップ。氷が浮いている。喉の渇きを自覚した。でも動けない。身体がまるで鉛のよう。少年はまるで当たり前の様子で水を口に含んだ。そのまま口付けられる。口移し。嫌悪感が湧くどころか、奏絵は貪るように飲んだ。子犬のように少年の唇を舐め、二口目をせがみまでした。
「今の僕は、血の一滴まで、仮初。…………魔力で編まれた、実体を持つ、霊体」
さっきまでの手荒い扱いが嘘のように、少年が奏絵を優しく抱き寄せる。水と引き換えに、少年は奏絵の唇を吸う。
「だから、僕の精も…………魔力に還る」
そろそろだよ、と少年が言った。何がそろそろなのか奏絵には分からない。今はただ、この温もりに包まれて、泥のように眠りたい。
そう思った瞬間だった。
「――――あぎっ……い、あ、あぁぁぁぁッッッ!?!??!」
破瓜の痛みなど比較にならない、焼き鏝を押されたかのような激痛が脊髄を引き裂いた。
そのままではきっと喉を掻き毟って血塗れになるか、頭を壁に打ち付けて今すぐ楽になるかを選んでいただろう。それほどの苦痛に狂乱する奏絵を、少年の腕はびくともせずに抑え込む。
「僕の魔力が、呼び水になった。…………眠っていた回路が、動き出した」
――魔術回路の覚醒要因は個人差が激しい。真っ当な魔術師であれば修行によって開くが、性的興奮や自傷行為で開かれることもある。しかし奏絵は目覚めなかった。故に英霊の魔力で強引に開いた。
そんな事実を奏絵は知らない。絶叫し、暴れ狂いながら、ギシギシと身体の内側で軋む何かの音を聞く。
「おはよう…………そして、おやすみ。……ようこそ、世界の裏側へ……」
・
・
・
【――Another Side――】
セイバーは空港から日本の大地に足を下ろした。極東。かつて生きたブリテンから見れば正に最果てだ。同じ空、同じ海、されど地は異なる。その感慨に束の間、足を止めた。
「どうしたの、セイバー?」
「……いえ、何でもありませんアイリスフィール」
男物のスーツを纏うセイバーに淑女が並ぶ。優雅な挙措にどことなく稚気を感じさせる、長い銀髪の女性――アイリスフィール・フォン・アインツベルン。最優先で守護しなければならない護衛対象である。
ヨーロッパはドイツからの旅路も空を越えれば一日とかからない。ホムンクルスである彼女に時差が影響を及ぼすのかセイバーは過分にして知らないが、それとなく気を払っておく。
そしてもう一人、着古した黒いコートに身を包む男性が隣に立った。
「車を用意してある。ここまで来れば冬木はすぐそこだ。二人とも気を抜かないように」
衛宮切嗣が、そこにいた。
・
・
・
英霊と推定される少年の襲撃に、切嗣は当初の行動方針を破棄。魔術師殺しが最も得意とする裏工作を久宇舞弥に一時委任し、正規のマスターとして姿を晒す。アインツベルンの結界さえすり抜ける英霊――アサシンの可能性が大である相手に、切嗣の単独行動によるリスクは無視し得ないレベルにあると判断した。
セイバーの戦闘中にアイリが狙われては元も子もない。平然と非戦闘員であるイリヤを攻撃対象に選ぶような輩だ。最低限、あの少年の投剣を防げるだけの自衛能力が求められ、それをアイリに望むべくもないことはセイバー陣営の共通認識である。これは魔術師如何ではなく、戦闘経験の有無によるところが大きい。
よって、未だ正体を知られていない舞弥を動かしつつ、切嗣自身が派手に動き、衆目を集めることで舞弥の行動を闇に隠す。最初に立てた計画より効果は半減するものの、他に選択肢がなかったとも言える。聖杯の器であるアイリと、セイバーのマスターである切嗣。どちらが欠けても聖杯戦争は立ち行かないのだ。
――しかし、切嗣の冷めた機械の部分は冷静に指摘する。聖杯の器を守ることとアイリの命を守る等号記号は、聖杯戦争が終盤へ近づくほどに意味を失うことを。三者の共闘関係は遅くとも中盤までであり、サーヴァントが脱落するにつれてアイリは動くことすらままならなくなる逃れられない運命を。
冬木市に入る手前で切嗣は一度車を止め、セイバーに警戒を促しつつホテルの一室に入った。急遽プランを変更したため、舞弥が冬木市内のマンションから必要な装備をそこに移していた。
火器、銃器、そして衛宮切嗣の切り札たる礼装。だがそれらを用意した舞弥は居ない。念には念を入れ、舞弥の露見を危惧した切嗣が接触を避けたためである。軽く動作チェックを行い、どのような調整を施したか舞弥直筆の手紙を確認した後、手早く装備を纏めてセイバー達と合流する。
「武器は手に入ったようですね。切嗣、次の行動は?」
「市街地で昼間から、というのは神秘の秘匿に反するから考えにくい。これは魔術協会も聖堂教会も共有する原則だ。予定通り日が暮れるまではドライブに洒落こもう。敵の挑発も兼ねてね」
「やった。私、前からお寿司食べてみたかったの」
「……まあ、根の詰め過ぎもよくないのは確かだ。そうしようか、アイリ」
戦場を前に英気を養う。初めての世界にはしゃぐアイリ、一口食べて目を丸くするセイバー、楽しげな妻の様子に目を細める切嗣。今夜にでも殺し合いに身を投じるとは思えないほど、穏やかな時間。
ここにイリヤが居たら。
切嗣は、そう思わずにはいられなかった。
――やがて、夜が来る。
始まりに向けた終わりが、始まる。
最新話は完成度60%かな(-_-;)