ソードアート・オンライン ~士魂商才のパラダイムシフト~   作:俺、抹茶オレ

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phase1.「心の在処は」

 ――――荒唐無稽も甚だしい、後藤慶次郎はそう思った。

 

 見渡す限りに石畳が広がっている、抜けた空間。中世ヨーロッパを想起させる煉瓦造りの街並みが周囲を取り囲んでいて、その間隙を縫うように細い路地がいくつも伸びている。その向こうにどのような風景があるのか、まだ確認は出来ない。

 

 天を仰いでみる。そこに透けるような青空は存在しない。あるのは真紅に彩られた市松模様。そして、中央に浮かび、怪しく揺らめいているローブを羽織った巨人。

 

 この世界に降り立ち、数分も経たぬ内に強制テレポート。現れたのがこの場所だった。おお、これがソードアート・オンラインのオープニング演出なのか。メニュー画面などの操作周り、ユーザーインターフェースには、はっきり言って感動してしまったが、それ意外の要素もしっかり作り込まれているではないか。なるほど、なるほど、VRMMORPGは大変に期待できるのかも知れない、そう期待を寄せた傍から、これである。

 

「諸君らにログアウトの選択肢はない。解放されたければ、このゲームをクリアすれば良い」

 

 ソードアート・オンラインの創造主、茅場晶彦なる異形のローブ姿から放たれた、その言葉を聞いた時、周囲の反応は様々ではあったが、大多数の者がこう思っただろう。――――これはゲームだ。

 

 そう、ゲームなのである。

 人をバーチャル世界に閉じ込める、ゲームオーバーになればマイクロウェーブで脳を破壊される、脳に直接仮想の五感情報を与えて仮想空間を生成するVRマシン――――ナーヴギアが外的要因により機能を停止した場合も同様、現代の技術で出来ないことではないだろう。しかし、それがどうしても結びつかない。非日常的な娯楽というコンテンツの中に、場違いなリアリティは排斥されて然るべきだ。ならば、これは一般的な感覚で言えば、イベントということになる。

 

 イベントにしても趣味が悪い、そうひとりごちる慶次郎。ぼんやりと見守っていると、上空に複数のウィンドウが立ち上がってテレビニュースが表示された。そのどれもが、ナーヴギアを外的操作で外されたプレイヤーの死去、という内容であった。

 

 これも元々から用意されていたアニメーションか、そう考えるのは容易い。だが、あまりにも情報が多い。この演出の為だけに、この労力はありえるか。もし、とにかくプレイヤーを楽しませたい、そんなエンターテイナーに徹するような運営ならばありえるのか。

 

 良く考えれば、否定しきるのは難しい。そもそも、我々はナーヴギアやVR世界についてどれくらいのことを知っているというのだ。それ以前に、普段から触れ、日常的に活用し、世の中に溢れかえっている電子機器の仕組みや原理を完全に網羅している人間が何人いるか。スマートフォンの使い方を知る人間は掃いて捨てるほどいるだろう。だが、無知な我々にとって、そのほとんどは、便利という印象のブラックボックスでしかない。

 

 そして、駄目押しであったのが、アイテムとして渡された手鏡だ。その手鏡は、アバターとして存在していたプレイヤーを完全に生身の人として顕現させてしまった。容姿や背格好、声さえも現実世界のままだ。

 非現実を作り出すバーチャル世界に現実の人間が存在するという強烈な矛盾。それは、大きな不快と恐怖を生む。そして、人の心を動かすには十分すぎた。

 

 狼狽える、怒る、すすり泣く、呆然とする、色々な人々がいる。当り前の反応だろう。もはや、これがゲームなのかどうかなんて関係ない。それを冷静に考えられる余裕は誰しもが持てなくなっていた。そして、慶次郎は全力で走り始めた。

 

 周囲を見る。他に動き始めた者は居るか。いた、黒髪の少年だ。あの若さで同じ発想に至ったとは、中々に聡明ではないか。だが、遅れを取るわけにはいかない。

 

 あのゲームマスターが発した言葉、その真偽を見定めることに時間を作っている暇はない。兵は拙速を尊ぶ。アクションを起さねば後悔さえ許されぬのだ。

 

 さあ、見えてきたぞ。街路を走り抜け、そこに現れたのは雑多な露店がひしめき合う商店区。眠そうな顔で店番をする禿頭の親父に、慶次郎は勢いそのままに、息を切らせて問い掛けた。

 

「この世界の通貨は何だ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦2022年11月5日

 

 

「別れて欲しいの、ケイジ君」

 

 カラン、と音が鳴った。グラスの中で氷が溶けていた。

 

 都内のとある喫茶店。ビルの谷間にひっそりと佇むそこは、アンティーク調の家具類で揃えられた店内に、ゆったりとしたボサノヴァが流れている。都会の喧噪から離れた隠れ家のような場所。椅子に腰を落ち着けると、まるで時間が止まってしまったかのような感覚になる。慶次郎いきつけの店である。そして、目の前に座る彼女――――天見理沙子にとっても。

 

 長く透き通るような黒髪を垂らし、気まずそうに視線を落とす。もう何度も見た顔ではある。しかし、久方振りということもあってか、とても美しいと慶次郎は思った。凜々しい切れ長の目、見つめると吸い込まれそうな焦げ茶色の瞳、細く通った鼻梁に、薄い唇。道を歩けば幾人もが振り返る。彼女と恋仲になった当初の慶次郎は、それはもう浮かれに浮かれたものであった。しかし、今は微妙な状態にある。

 

 慶次郎と理沙子が知り合ったのは、とあるMMORPGであった。始めは数十人所属するギルドメンバー内の一人で、挨拶をしあう程度の関わりしかなかったが、エンドコンテンツの高難易度ダンジョン攻略に向けて同じパーティになった事から深く接するようになった。

 

 理沙子とは妙に馬が合った。初めはゲーム内での攻略情報や他愛もないギルドメンバーの噂話をする程度であったが、暗黙の了解として触れる事の少ない現実の話題も深くやりとりするような仲になっていった。

 価値観、出身、趣味、仕事、とにかく何を話しても尽きなかった。ログインして、日がな一日、理沙子とチャットしていた日もある。

 

 ゲーム内ではなく、ボイスチャットを通じて会話をするようになってしばらく経った頃、自然な流れから現実で会うことになった。それまで、お互いの情報といえば、声と年齢などの簡単なプロフィールのみだ。慶次郎はともかく、顔も知らない男と会うことに、女性の理沙子はなんとも思わないのか、という若干の引け目を感じつつも、胸が高鳴ったのを覚えている。

 

 それでも、初めて現実で会ったその日、ムードもへったくれもない居酒屋で朝まで言葉を交わした。途切れることのない言葉のキャッチボールに、慶次郎と、おそらく理沙子も、これまでにないような居心地の良さを感じていた。それから、数日と経たない内から付き合うこととなり――――怒濤のように2年が過ぎた。慶次郎の年齢は30を過ぎており、理沙子はまだ20代前半ではあったが、二人の未来のその先を考えるような、そんな関係になった、と慶次郎は思っていたのだが。

 

「ケイジ君はさ、わたしとは何か違うんじゃないかって、最近そう思うの」

 

 ポツリ、と彼女の口から言葉が漏れた。天真爛漫な普段の彼女からは想像出来ないような、これまで聞いたことのない、重苦しく、たどたどしいものだった。慶次郎は胸がギュッと締め付けられるような感覚に、顔を強張らせる。

 

「……どうしてだ?」

 

 その問いに、理沙子はしばらく答えなかった。店内のBGMがボサノヴァからアコースティックギターのインストゥルメンタルに切り替わった時、ようやく、わからない、とだけ呟いた。

 

 慶次郎は薄々気が付いていた。さすがに2年も付き合っていればわかる。彼女が抱いているのは不信感、それだけである。

 

 原因は心当たりがある。最近、慶次郎は会社内で部署を移動した。とある医療機器の企画、開発が主業務。決して栄転ではない。むしろ、前部署の方がサラリーも良く、勤務時間に融通を利かせることも出来た。しかし、情熱を注ぐことの出来る分野であることも事実だった。

 

 気付かぬ内に仕事にのめり込み、蔑ろにしていたわけではなかったが、理沙子と触れあう時間は減り、数々の細かいすれ違いが起きた。何度か理由を聞かれたが、詳しく理由を説明することはなかった。いや、できなかったのだ。それも、彼女を第一に考えてのことであった筈なのだが、皮肉にも、気持ちとは反比例して、二人の関係はぎくしゃくとしたものになっていった。

 

「理沙子、君の気持ちは分かる……気がするけど。もう少し待ってくれないか。もう少しすれば全て話せるんだよ」

 

 そう言うと、理沙子は顔を上げた。その目には大粒の涙が光っていた。

 

「最近そればかりじゃない。わたしはこんなにも本気なのに、いつもはぐらかす……」

 

「そんなわけ……!」

 

 ない、と否定したかったが、それを裏付けるような材料を、慶次郎は何も明かせないのだ。それを言ってしまうのは、彼女にとって、かなり不誠実なものだ。

 

「ケイジ君、わたし知ってるんだよ……。他の綺麗な女の人と毎日のように会ってるの」

 

 ドキリとした。なぜそのことを、と驚く慶次郎の表情を見て、理沙子はさらに瞳を暗くする。

 

「そんな……どこで」

 

 狼狽えてしまった。落ち着けるわけもない。そして、追い打ちを掛けるように理沙子の髪が揺れる。

 

「ごめんなさい。友達から聞いたの、ケイジ君が女の人と六本木で食事する姿を見たって……」

 

「それは、違う。違うってば。仕事の付き合いで仕方なかったんだ……」

 

 実を言えば、嘘である。しかし、不貞を働いているわけではないのだ。理沙子のことを第一に考えているのは紛れもない事実だ。慶次郎は必死に次の言葉を紡ごうとしたが、思いとどまる。どうしても、今は言えない。

 

 それを見て、理沙子はギュッとグラスを強く握りしめて、黙り込んだ。頬に止め処なく涙が伝う。手を伸ばして拭ってやりたい。強く抱きしめて、全てを打ち明けたい。しかし、それは出来ないのだ。膝の上で拳を握って、耐えることしか出来ない。

 

 それから、お互いが口を開かぬまま、しばらく時間が経った。長い、長い沈黙だった。窓の外を見ると、既に夕暮れであった。斜陽によってできたビルの影が、アスファルトにチョコレートのようなどろりとした暗闇を作っている。

 

 理沙子はフーッと細く長い息を吐き、涙を拭って立ち上がった。何か諦観したような顔つきだった。その表情を見て、直ぐさま声を掛けなければならないと直感的に思った。そうしなければ、彼女との関係は終わってしまう。だが、声が出ない。

 

「……今日は、帰るね」

 

 それだけ言うと、出口に向かって歩いていく。その手がドアノブに掛かった所で、ようやく慶次郎は立ち上がった。

 

「理沙子、信じて欲しい」

 

 ピクリと、背中が震えた。何かを答えようとしたのだろうか。数秒その姿勢で止まっていたが、やがて、きつく口を結んで、扉を開けて去って行った。

 

 後には彼女の美しい黒髪の残滓だけがチラチラと、視界に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

西暦2022年11月6日

 

 

 目を覚ます。

 

 ぼやけた意識の中に、すぐに昨日の出来事が蘇り、溜め息を吐いた。

 一縷の望みを込めて、スマートフォンを見る。着信もメッセージもない。当り前ではないか、そう思いつつも、慶次郎は、また重い息を吐いた。今日何かが起こったわけでもないし、悪い予感がするわけでもない。ただ、気持ちだけでいえば最悪の朝だ。

 

 気怠い体を起して、ベッドを降りた。キッチンまで行って、ミネラルウォーターを飲み干す。空のペットボトルをぞんざいに放り投げる。ゴミ箱に入らなかったが、それを拾う気にもなれない。そもそも、キャップとビニールを分別しなきゃだったか、と思いながらソファにどっかりと座り込んだ。

 

 とにかく、何もする気が起きない。どちらかというと、精力的に日々を送っている慶次郎にしてみれば珍しいことだ。それを自分で理解しつつも、今日ばかりはどうしようもない。休みで良かった、と心から思う。会社に出勤しても、今のままだと何も手が付かないだろう。それどころか、喋ることすら億劫だ。

 

 ガラステーブルの上に置いてあったリモコンを取って、テレビの電源を入れた。

ワイドショーを漫然と眺める。頭では平静でありたいと願っているが、心が付いてこない。忘れようとするほど、記憶は嫌な尻尾を引っ張り上げる。表情、涙、声。逃げる慶次郎を追い掛けるのは無数の手である。

 

 そう、怯えているのは俺なのだ。より歳を多く重ねているのに、大人なのは彼女だ。恥ずかしがらずに正面から感情をぶつけることが、どれほど相手を思いやっての行動か。反対に自分は何をしているのだろう。優しさを拗らせて、心をいたずらに傷付けている。情けない話だ。

 

 知らぬうちに、番組コメンテーターの声が興奮気味になった。何だろうかと、ぼんやりとした目の重点を確かなものにする。写り込んだのは美しい景色だ。

 神秘的な輝きを浮かべる清らかな湖面。青々とした爽やかな草原を吹き抜ける一陣の風。陽光を照り返しながら飛び立つ白鳥の群れ。白亜の砂岩で造られた無数の家々に柔らかい灯りが点る。そのどれもが現実世界にはあり得ない。だからこそ、胸を打つ。

 

『ほんっとーに美しいでしょう!この全てがプログラミングされたオブジェクトだなんて信じられませんよ全く!モニターを見ている私は勿論のこと、テレビをご覧の皆さんもきっと、堪らなく惹かれているでしょう。しかし、それ以上の驚きが、感動が、ダイレクトになるだなんて考えるだけで胸が踊ります!それが、ソードアート・オンラインの世界なんです!』

 

 そうだ、と思い至った。慶次郎は今日、この世界に行く予定だったのだ。

 すっかり忘れてしまっていたのは、仕方ないことかも知れぬ。昨日の重い出来事から、ゲームをするだなんて思考が、脳のどこにも存在していなかった。

 

 ソファから重い腰を上げ、自室へと戻る。スチールラックに置いていた流線型のヘッドギア――――ナーヴギアを手に取る。

 LANなどの接続周りは万端である。被れば、すぐにプレイができる状態だ。

 

 だが、少し気持ちが上向かない。元々は、理沙子とプレイするつもりで、一緒に購入した物だ。当選したものの、ベータテストは忙しくて参加できなかった。だから、この日を待ち望んでいた筈なのだ。その時期の思いは分からないが、あの時の彼女も、それが何よりも楽しみなことだと言っていた。その言葉は嘘じゃなかっただろう。

 

 久しぶりに冒険が出来るね、と無邪気に笑っていた彼女は、今、どうしているだろう。今の時代、それを確認するにはスマートフォンをタッチすれば済む話なのだが、躊躇ってしまう。やはり、既にあの世界にいるのだろうか。

 

 栓のないことを考えても仕方が無い。聞くことが怖いのであれば、直接会いに行けば良い。無論、彼女が居るという保証はないが。でも、それでも良いかもしれない。気分転換にでもなれば買った価値はあるだろう。

 

 意を決してナーヴギアを頭に被った。ベッドに寝転がり、天井を見つめる。目蓋を閉じれば別世界だ。俺はこのゲームを楽しめるのだろうか。

 慶次郎は一つ、大きく深呼吸をし、口を開いた。

 

 深く、闇が迫る。

 

「――――リンク・スタート」

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