私はカトラリーケースからナイフとフォークを取り出す。そして、シフォンケーキを適当に切り分け、小さい欠片から口へ運んでいった。
久しぶりに甘いものを食べたせいか、とても美味しく感じる。シロップの甘さが口腔に広がり、喉へ流れ込む度に心地よい感触を残していく。作りたてなので、程よく熱を持っていた。無意識のうちにフォークが動いてしまう。対面に人がいるため、それを押しとどめて、ゆっくりと味わうことにした。
「うん、美味い」
彼は最初に紅茶を飲んでいるようだ。満足げに頷いている。
私もカップを手に取り、口をつけた。柔らかな匂いが鼻孔をくすぐり、程よい酸味と渋味が喉を通過していく。こういった嗜好品を飲む機会はあまりなかったので、まだ味には慣れていないようだ。しばらくしたら慣れるだろうか。
「そういえば、紅茶は大丈夫だったかな?」
「ええ、まぁ」
曖昧に返事をする。
「よかった。勝手に頼んでしまったから、嫌いだったらどうしようかと思ってたんだ」
「別に大丈夫ですよ。嫌いなものは特にないので」
私はまたシフォンケーキを口に運ぶ作業に戻る。
「偉いなぁ……僕なんかは好き嫌いが多すぎて困ってるよ」
彼の好き嫌いについて、思い当たることがあった。
「酒場では、サラダばかり食べてましたけど、肉料理とか苦手なんですか?」
「そうだね、普通の肉料理は全く食べられないな」
その発言に疑問を抱いた。
「普通の肉料理……?」
「うん。肉にも色々種類があって、そこには様々な趣向を望んでいる人達がいるんだよ。例えば分離した食肉の美しさであったり、加工するときの耳鳴りであったり、動物が肉に成り果てる過程に、芸術を見出すことができるんだ。僕もきっとその一人なんだろうね」
今ひとつ、彼の発言の意図がわからなかった。ただ、何となく後ろめたい内容であることは理解できた。
「まあ、そこはハスノさんにわかってもらおうなんて思っていないよ。感性は人それぞれ違うからね。多くの価値観が存在して然るべきなんだ」
彼はパウンドケーキにクリームを乗せて、口へと運ぶ。
「もしクリームを使いたかったら、遠慮しなくて大丈夫だよ」
「いえ、結構です」
塗られているシロップだけで甘さは十分だ。これ以上甘いと逆に気持ち悪くなってしまう。
「あと、喋り方もかしこまらなくてもいい。僕がそういうのは苦手だから」
彼はクリームの欠片を口元に飾って、にこやかに笑う。
「……そうですか。うん、じゃあ、いつも通りに話す」
「ありがとう。その方が気が楽になるから」
「私も、あんまり得意じゃない」
「それが得意な人間なんてきっといないよ。変にかしこまったり、態度だけ綺麗に取り繕ったりしても、最後には全て知られてしまうだろう」
「そういうものなのかな」
「僕が見てきた景色の中では、そういったことが多かった」
彼は皿にフォークを乗せた。
「気を使わない状態が、一番心地いい」
「私もそう思う」
「ハスノさんも僕と同じ分類に入るのかな。あっ」
そこまで言って、彼は口元に付着したクリームに気づき、慌てて舌で舐め取る。そして、少しだけ視線を逸らした後、私の目を見つめてきた。
「……僕は甘いものが好きなんだ」
私は頷いた。
「甘いものを食べる時は、喉を通る感触に集中するんだ」
再び私は頷く。
「だから、その他のことは気にならない」
私は二回頷く。
「意識の中から排除されてしまうんだ。わかるかい?」
「うん」
私は彼を肯定する。
「泡みたいで、気づかないよね」
「そんなことはないかも」
彼は項垂れる素振りを見せる。クリームを口元に付けたまま話していたことが恥ずかしいのだろうか。私は特に気にしていなかった。
「……それで、ハスノさんはこの依頼を受けてくれるかな?」
顔を上げた彼は、話題を逸らした。本題に戻るようだ。けれど、私は答えを出すことができなかった。
「ごめんなさい。もう少し、考えさせてほしい」
「そうか……」
彼は残念そうに呟いた。
「もし何か気になることがあれば、教えてくれないか」
私の目をじっと見つめて、聞いてきた。このように聞かれてしまったので、口に出すのは憚られるが、仕方ない。彼への印象を素直に伝える。
「……まだ、貴方の事が信用できていない」
疑り深い性格なのだろうか。エマのときもそうだった気がする。この人間が話すことが真実なのか、私に判断できない。
「どうすれば、信用してもらえるだろうか」
他人を信用するためには、その人間の本質を知らなくてはいけない。本質が浮き出るのは、自身の存在が脅かされたとき。なので私は、彼に対して行動を起こすことにした。
「じゃあ、貴方の力を見せてほしい。どんな力を持っているのかわからないと、怖くて仕方ないから」
「……君にとってそれが必要なら、喜んで引き受けるよ」
彼は嫌な顔一つせず、私の提案を受け入れた。
「ありがとう」
多少面倒な態度になるだろうと考えていたので、少しだけ拍子抜けする。このような人間も珍しいと思った。
そして、彼は表情を和らげて、
「これを食べ終わってからでもいいかな?」
「うん」
そして、目の前の焼菓子に手を付け始める。食べ終わるまでの間、彼との会話はなかった。ただ黙々と口に運び続ける。ついさっき食べたものに比べ、甘さが薄くなった気がした。
焼菓子はほどなく食べ終わり、私とモーゼルは喫茶店を後にする。会計は彼に任せてしまった。次に来る機会があれば、私も払うべきだろう。その機会があれば、の話だが。
すでに夕日は沈みかけており、街は暗闇に包まれようとしていた。夜は検問所を通ることができないので、人通りも段々と少なくなっている。
私と彼の間には、僅かに緊張した雰囲気が漂っている。慣れたものだと思っていたが、内面を深く知らない人間だと、こちらまで影響してしまうようだ。
彼は大通りを抜け、近くの林に入っていく。私も続いて、彼の後ろを歩いていた。地面は舗装されているが、近くに原生しているクリスタルは少なく、薄暗い。
「人がいない場所の方が、いいだろう。構わないかな?」
前方を見つめながら、聞いてくる。
「大丈夫」
私も短く返答した。
「すぐに着くからね」
そう言って、口を閉じてしまった。少しだけ林の中を歩いていると、開けた場所に出る。
中央に泉があり、若干の空気の揺れを感じた。いつも私が使っている泉とは別の場所だ。青と緑に光る虫が浮遊していて、水面を這うように飛び交っている。虫は得意なほうではないが、眩い光で形状がわからないので、特に嫌悪感を感じることもない。
「ここでいいかな。この近辺であれば、消費した魔力をすぐに回復させることができる」
彼は泉の畔で立ち止まる。私の方へと振り返り、はにかんだ笑みを浮かべる。
「僕の朱裝は攻撃寄りではないから、地味に見えると思う。だから、多少ガッカリさせてしまったら、ごめん」
「これが僕の朱裝だよ。どちらかというと防御寄りの力だから、戦闘はハスノさんの方が得意だと思う」
彼は盾形状の朱裝を解いた。宿主を失った魔力が大地に吸い込まれて消えていく。
「こんな説明でよかったのかな。何かわからない事とかあれば、言ってほしい」
「大丈夫。ありがとう」
返事をする。
そして、彼に悟られないようにアレスの制御権を奪い取った。そのまま、不可視の状態で彼の背後に回らせる。透明な質量が、モーゼルを殺せる位置に移動した。
サンドラは私の制御を離れ、自立駆動を始めた。けれど、現在は何も命令を与えていないので、動くことはない。
「……」
彼の顔を見て、その心の内を探る。しかし、不可視のアレスに気づいた様子はない。喫茶店で話していたときと同じ、穏やかな表情だった。
「どうしたんだい?」
黙り込んだ私を見て、彼は不思議そうにしている。
「……いえ、別に」
行動を起こすのは、今だ。もし反撃されたとしても、アレスの存在を知られていなければ、彼に勝機はない。私は、アレスに命令を下す。
"その人間を大地に押し倒せ"
その瞬間、透明な質量が彼に襲いかかる。不可視のゴーレムがモーゼルを倒し、四肢を地面に押さえつけた。
「ぐっ」
低く、くぐもった声が漏れた。押さえつける力が強すぎただろうか。心の中で反省する。
サンドラが状況を察知して、彼の頭を潰そうと、岩石造りの屈強な腕を振り上げた。
「止まれ」
命令を下し、行動を停止させる。腕を振り上げた状態のまま、硬直した。そして、彼の傍まで行き、その背中を見下ろす。
「痛かったかな」
「……そりゃあもう」
その声色は何故か落ち着いている。彼は、自身に乗っている透明な質量から逃れようとしていた。けれど、結局どこも動かすことができずに、諦めてしまった。傍から見ると、何もないのに大地に突っ伏しているだけなので、少し滑稽に感じてしまう。
「私が、素直に依頼を受けると思った?」
「そうしてくれたら、嬉しいと思った」
地面に押さえつけられたまま、彼は視線だけをこちらに向ける。
「ダメだよ、エマがいるんだから。そんなことをする訳にはいかない」
「……そっか。凄く残念だけど、仕方ない。そうなれば、このまま穏便に別れたいと思ってるんだけど、どうだろうか」
私は彼の言葉を聞き流す。そして、次の段階に移る。
「それじゃあ、いくつか教えてほしい」
「僕が知ってることなら、何でも答えるよ」
相変わらず、彼は柔らかい口調で返答した。
「わかってると思うけど、嘘をついたら終わりにするからね」
サンドラの腕が黒い靄に覆われる。その太い腕の輪郭が見えなくなるくらい、濃い靄だ。
「この瘴気は、人間にとって猛毒のようなものだから気をつけるんだよ」
私は彼を見下ろしたまま、言葉を投げかける。
「君には嘘なんてつかないよ。信用してもらわないといけないからね」
周囲はすっかり暗くなり、空には見慣れた月が浮かんでいた。クリスタルの淡い光が泉を照らしている。
「まずは一つ目。貴方の目的は何?」