それは、寒い雪の日だった。
レオンは、父親の帰りを待ち続けていた。
家の中は暗く、温度も低い。彼は、毛布を何枚か被り、寒さに耐えている。
いつもは、父親が明かりを灯していた。レオンの身長では、ランプまで手が届かないからだ。なので彼は、暗い玄関に座り込んで、扉のノブが回るのを待っている。
けれど、その扉のノブを回すのは、いつも彼の掌だった。
外を確認しても、父さんはいない。雪が規則的に降り積もり、街灯に照らされる道を埋めていく。通りを行く人は、段々とその数を減らしていく。諦めて、扉を閉めて、また玄関に座り込む。
一向に帰ってくる様子はない。
家の中は、とても静かだ。
日没から、かなりの時間が経過していた。普段なら、夕飯を食べ終わって、父さんに本を読み聞かせてもらっていただろう。昨日は、いいところで寝る時間になってしまい、本の続きが気になっていたが、今は興味も沸かない。ただ、父さんと会いたかった。
徐々に、不安が襲ってくる。
もしも、帰ってこなかったらどうしよう。
一人になってしまったらどうしよう。
悪い想像が、彼の頭を埋め尽くす。
いくら振り払っても、いつの間にか戻っていて、その度に心臓の近くが痛くなる。
はあ、と息を吐くと、白い空気が現れて、すぐに見えなくなる。
そのうち、いてもたってもいられずに、家を飛び出した。
もうすぐ、街の人達は眠りにつく時間になる。
広い通りを走り、父さんの形を探す。けれど、そのどれもが違っていた。彼に必要なものは、どこにも存在しない。
息を切らして、足を動かして、寒空の下を走り回る。身体の末端の感覚がわからなくなっていくが、全く気にならない。
走っていると、雪で隠れていた段差に気づかずに、つまづいて転んでしまう。雪を被り、膝と肘に痛みが走った。
その衝撃で、我慢していた感情が溢れ、景色が滲んで見えなくなる。
街灯や生活の光は、煌々と街を照らしていた。幸せそうな影が、あちらこちらで動いている。
母親の手料理を食べ終わって、家族仲良く談笑している少女。
暖かいベッドの中で、父親に絵本を朗読してもらっている少年。
きっと、彼等は今日も幸せなのだろう。
今の僕には、ないものだった。
少し前までは、傍にあったのに。
いきなり、目の前で取り上げられてしまった。
それが、羨ましくなって。
また一つ、大切なものを失ったのだと知って。
どうしようもなくなって。
涙が零れる。
必死にそれを押し止めようと。
ぐしぐしと腕で目を擦って、
痛みを堪えながら立ち上がって、
また歩きだそうとする。
もう、探し回る気力はなかった。
家に帰って、眠ってしまおうと思った。
そうすれば、今までの事は全部夢で、夜が明けたら、幸せが戻っているだろうと。
そんな、淡い期待を抱きながら。
彼は歩きだそうとする。
その時、
「ちょっと、止まってくれる?」
レオンの隣に、馬車が止まった。誰かの命令で、止まったようだ。彼がそちらに目をやると、閉じられていたカーテンが開き、綺麗な黒髪の少女が顔を出す。
「そこのあなた、大丈夫かしら?」
そして、声をかけられる。レオンは涙を堪えて、少しだけ俯き気味に彼女を見た。
「……何でしょうか」
彼がそう言うと、
「膝。怪我してるじゃない」
「え……」
彼女に言われて、初めて気づく。膝に視線を落とすと、布が擦り切れて、血が滲んでいるのが見えた。先ほどから鋭い痛みを感じるのは、これが原因なのだ。
「お嬢様。お気をつけ下さい。いくら少年といえども……」
馬車の前面から、鎧を着た男が現れる。彼の手は、剣を包んでいる鞘に当てられていた。この近くではあまり見ないが、騎士のようだ。
「いいの。怪我しているのに放っておける訳ないじゃない」
少女は男の行動を制する。
「しかし……」
「貴方は座っていて」
「……はい」
少女の言葉に、男はただ従う。けれど、その視線はこちらを向いていた。明らかに、レオンの事を警戒している。
馬車の手綱をとっている御者は、何も喋らない。前方を向いて、指示を待っているようだ。
「その怪我だと、歩くのは辛いでしょう? 家までだったら送らせるわよ」
少女は笑顔を作って、レオンに話しかけてくる。そう提案されて、彼は迷った。送ってもらえるのは嬉しかったが、今の自分の姿をじっくり見られるのは嫌だと思った。あと、いつ感情が溢れ出すかもわからない。
「いえ……大丈夫です」
「遠慮しなくていいのよ? 私達も帰るところだったから」
レオンが断っても、彼女は引かずに問いかける。その口調は柔らかく、一瞬だけ揺らいでしまった。
それを聞いた男の表情が、一層険しくなった。
「お嬢様」
「何かしら」
少女は、男の方を向く。
「私はお嬢様の安全を第一に考えています」
「そうね。それはよく知っているわ」
「ですから、この少年を乗せることには反対です」
「どうして?」
むっとした表情で、少女は男を睨んでいる。
「こんな時間に徘徊しているのは、頭が飛んだ人間しかいません」
「それは偏見じゃないかしら。確かに禁止はされているけども。何かしら事情があるんじゃないかしら」
「お嬢様、それがわからない以上、馬車に乗せるのは危険です」
レオンを馬車に乗せるか乗せないかで言い合っている。それを見ていた彼は、
「本当に、大丈夫ですから」
一言だけ告げて、馬車が来た方向とは反対に走り出す。自分の為に、誰かを困らせるのは嫌だった。それに、今は一人きりになりたかった。早く、家に帰って眠りたいと思った。
少女の声が聞こえたように思えたが、それも、気のせいだったかも知れない。
傷ついた膝が悲鳴を上げている。腕を振る度に、肘も痛む。帰ったら、簡単に手当をしなければ。
どこかの家から、楽しそうな笑い声が聞こえた。
それを振り切るように、また足を動かす。
そして、一人きりの家に、戻っていく。
2.
その次の日。
レオンは昼頃に目を覚ました。窓が閉まっているため、部屋は暗い。ベッドの上でぼうっとしていたが、意識がはっきりと戻った後、起き上がり、部屋の窓を開けた。すると、眩しい陽の光が部屋を照らす。
昨日の記憶を思い出して、心臓の近くが痛む。
意を決して、家の中を見て回った。
キッチンに入っても、焼き立てのパンの匂いはしない。
レオンが起きる頃には、色彩豊かだったテーブルも、空のまま。父さんは料理が好きだったと、頭の片隅で思う。
玄関に父さんの靴はない。
父さんの仕事道具も、いつもの場所にはなかった。
僕の見える景色は、昨日と同じ。
何も、変わらなかった。
誰の声も、聞こえない。
唯一耳に響くのは、早くなる鼓動と呼吸だけ。
昨日の出来事が、夢ではなかったことを理解して。
段々と、視界が滲んでいく。
また、失った。
寂しさで、押しつぶされそうになる。
レオンは座り込んで、嗚咽を漏らした。
外の光がやけに眩しく感じて。
自分はどこか、光の届かない場所にいるのではないかと。
そんな、感覚を覚える。
少しだけ泣いた後、
もう一度、外を探そうと思った。
もしかしたら、街のどこかにいるかもしれない。
お酒を飲んで、酔い潰れているかもしれない。
だから、昨日は帰ってこなかったのかもしれない。
そうであってほしい、と思う。
レオンは、棚に入っていたパンを口に入れて、ミルクで流し込む。湯気の立たない料理は、とても味気なかった。
そして、外出用の服に着替えた後、家を出る。予備の鍵で施錠をして、父親を、探しに行く。
家の前の道は、ローブを着た人達が、行き来していた。街の大通り間を繋ぐ小道に、この家が建っているので、人通りは多い方だ。
レオンは大通りに出て、魔法教会へと足を運ぶ。そこでは、多くの人が歩いていた。露店が到るところに立ち並んでいて、様々な物を売っている。
その中から父親の顔を探すが、一致するものは見つからない。どれも、彼とは関係のない人間ばかりだった。
時折、似ている人に遭遇し、父親だろうか、と。じっと見つめていると、視線が交差してしまう。変な目で見られるが、回数を重ねる毎に気にならなくなっていく。
今は、父親の顔を探すほうが重要なのだ。
大通りを抜けて、魔法教会前の広場に出た。ここでも、沢山の人達がぶらついている。前衛的な形状の噴水があるため、自然と人が集まりやすい。
魔法教会は、時計塔を改装して建てられた。レンガ造りで、空に近い建物は、見上げると首が痛くなりそうだ。レオンは中に入ったことがなかったので、内装までは知らない。
彼が周りを見渡しても、探し人はいなかったため、他の場所を探そうと考えた。
すると、
父親らしき人が、露店の間の小道から出てきたことに気づく。レオンから離れた場所を歩いていたので、その姿が正しいものかどうかは、判断できない。なぜか、早足で歩いているようだ。
レオンはすぐにそちらの方へと向かう。見失わないように、なるべく早く足を動かす。
その人は、魔法教会の脇の林に入っていった。右手に、紙のようなものを持っていることに気づく。
彼はその人に続いて、林に入る。普段は、人があまり立ち入らない場所なのだろう。徐々に石造りの道から、土の道へと変わっていく。
どうして、こんな場所へと足を運ぶのだろうか。レオンは何度か考えたが、理由はわからなかった。
徐々に道が細くなっていき、木々によって視野が遮られる。父親らしき人は早足で林の中を進む。レオンは来た道を忘れないように注意する。