Ark Fantasy   作:山田山彦

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 また、夢を見た。

 光が差し込む。柔らかな若葉色のカーテンがふわりとなびき、私をほんの少し暖める。翼を持つ小人達が、魅了されたように光の元へと飛んでいく。どこか、安寧に満ちた場所に。表情は柔らかく、全てを受け入れるようで。微笑を浮かべ、哀しみに打ちひしがれている人の元へ行き、寄り添う。

 小人達は、天使なのだ。希望を拡散し、救いを与える。本物の救世主。まがい物の殺戮者とは異なり、女神に成り代わることが可能な存在。

 私は天使達に包まれていた。何人かは離れていってしまったが、まだ残っている。周囲をゆらゆらと舞い、幸せの笑みを零してくれる。

 至福と安らぎの時間を、共に過ごしていた。一時だけだが、それがどれだけ待ち焦がれた瞬間だったのかは、私が一番知っている。前のことは、よく覚えていない。思い出す価値もないのだろう。全て理解した上で、この幸福を受け入れる。

 私は柔らかな光が差し込むベッドの上で、眠っていた。彼女に成り代わられてしまったが、眼を閉じることだけは、できたようだ。だからこんなに落ち着いて、安らいでいる。

 受け入れるだけでいいのだ。私にとっての答えはここにあった。存在理由など、儚く消え行くものなのかもしれない。世界の中で息苦しく生きるよりも、虚飾に塗れた鼓動を重ねる方が、ずっと楽だろう。長く続くものではないとわかっていたが、簡単に手放せるようなものでもない。必死にそれを抱きしめて、離しはしまいと仕舞い込む。すると、身体の内側から暖かい感情が湧き上がってくる。必要なのに与えられず、飢えた内側にはとても心地よくて。何度も求めてしまう。そのたびに、壊れてしまうのに。

 気づかない。私は、気づかない。

 何度成り代わろうと、共有することもない。感じ取ることもない。片隅に転がっているのに、視界に入れようとしない。もし入っても、意識がそれを拒否する。記憶に残らずに放ったまま、埃だらけになってしまう。風化して、腐食して、気づく頃にはその価値を無くしている。

 知識だけが増え、記憶は朽ちていく。

 錆びついた視界が映すものは、残骸だけ。

 貴女は、何を見ているの?

 不毛な繰り返しに、自身を投げ捨てて。

 繁栄と衰退は、表裏一体なのに。

 きっと、何も見ていないのでしょう。

 理解を拒んでしまっている。

 戦うことから、逃げている。

 幾度も幾度も朽ちた貴女は、既に生きることを止めてしまった。

 絡繰り仕掛の人形のように。

 用意された躯を着て、必要な台詞を覚えて、纏められた道を進んでいく。

 終末はいつも同じ。変わり映えのない死の瞬間。

 嘆き。苦しみ。残響。反響。その全てを覚えているのに。

 復唱しない。想起を拒絶する。空っぽの箱には、何も入らない。

 しかし、声は届く。

 深海に隠れ棲んだ怪物の元へと。

 痛みが嫌い? 

 わかっているわ。だから、言っているの。

 言葉を。物語を。苦痛に塗れた、呪縛を。

 冷たく、か弱い貴女。

 堅牢な殻を破るのは、いつになるのでしょうね。

 私は、今すぐにでも貴女を殺せるというのに。

 もう一つ頭があれば、脳があれば。

 主導権を握って、貴女を殺せる。

 足りないものを分割しているから、こんなにも絡み合っている。

 奪い合って、相殺して、その結果が今の私達。

 哀れ。とても、見ていられない。

 そろそろ、私が成り代わる。

 貴女は、眼を開けて眠っていなさい。

 必要な終末に、私が導いてあげる。

 頭の中に、甲高い叫び声が響く。あまりの恐怖に身体が痙攣し、うっすらと目を開ける。

 若葉色のカーテンから、光が差し込んでいた。天使達は相変わらず優しげな表情で、私を見つめていた。何人か戻ってきたようで、さっきより増えている。

 私を救いに来たのだろうか。悪夢に怯える人間を、只の人間に微笑を浮かべて虜にする。

 貴女は大丈夫。天使が、ついてるから。声にならない振動が響く。

 私はベッドで眠っていたようだ。柔らかい毛布にくるまれて、頭を枕に乗せて安らぎの時を過ごしていた。

 周囲を見渡してみると、カーテン以外にも様々なものがあった。部屋には私が寝ているベッドと、右側に木製の丸いテーブルと、イスが二脚置かれている。その近くに、扉があるようだ。左側にはカーテンと茶色い壁しかない。テーブルの上に鉢植えが置かれていて、元気に赤い花を咲かせている。その花の名前は知らないが、どこかで見たことがあるような気がした。天井には、ランプが吊り下げられているが、明るい部屋なので火は灯っていない。扉のノブの上には錠がかけられていて、鍵を持っていない私には出ることができないようだ。 

 外から差し込んでくる光は異様に輝いていて、たまに眩しくなってしまう。カーテンを閉めようと思ったが、何故か身体が動かない。毛布の感触や暖かさは確かに感じるのだが、頭が命令を出してもどこかで途絶えてしまう。手や足に命令が届かないのだ。知らないふりをして、動くことをしない。他の部位が動かないかどうか試してみたが、どこも駄目なようだ。恐怖で痙攣したので、おかしくなってしまったのだろうか。わからなかったが、どちらでもいいと思った。

 すると、扉が開く音がした。視界の中に映り込んだ景色の一部分を注視する。開け放たれた扉のノブを、誰かが掴んでいる。掛かっていたはずの錠は、既に消えていた。

 人間のようだ。顔は、見たことがない。顔立ちは整っており、どこか高貴で近づき難い雰囲気を持っている。私と同じような髪の色をしていて、服も似たようなものを着ている。

 彼女は部屋の中を見回し、私を認識すると扉を開け放したままこちらに向かって歩いてきた。開け放した扉の外は暗く、何も見えない。この部屋だけが他の遠い世界に隔離されてしまったかのように。

 テーブルの傍にあったイスを引き、座る。足を組んで、視線を私へ向けてくる。いつもと違い、特に何の感情も湧かなかった。怯えることもない。

 何故だろう、と思ったが、視線の先を辿っていくと、私は気づくことができた。

 彼女には眼が存在しないのだ。元々それがあった場所は、苔と縫合痕で一杯になっている。 継ぎ接ぎ狂った緑色の目隠しに見え、少しだけ不快感を覚えた。菌類に侵された顔の上半分がうねうねと蠢いており、緑色の生物が周期的に脈動する。顔面に繕われた歪な刺繍は何本か引き抜かれていて、痛そうだ。傷口は見当たらないが、もう治癒したあとなのかもしれない。苔はその為に繁殖しているのか、とも思えた。

 口や鼻はとてもいい形をしているのにと、残念に思える。もしかしたらそれは精巧に作られた目隠しで、本当は凛々しい顔をしているのではないかと考えたが、身体が動かないので確かめる術がない。

 眼のない彼女は、どうやって私を認識しているのだろうか。異形の存在に疑問を感じるよりも、そちらの方が大事なことに思えた。依然として彼女は私から視線を外そうとしない。

 すると、唐突に彼女の口が開く。

「助けて」

 そう、呟く。

 悲しげな表情も雰囲気も見せず、身体も足を組んだまま微動だにしない。整った口から救いを求める言葉が流れ落ちる。彼女に表情があるのかはわからないが。

 何を、助ければいいのか?

「助けて」

 また、呟く。

 流れ落ちる言葉は掬うことができず、その意味を理解することが難しい。よく考えてみると、私の口は動かない。彼女に私の意思を伝える術がないのだ。苔が蠢く顔は、動きを見せない。

「助けて」

 三度、呟く。

 私は彼女を見つめることしかできなかった。動けないのに、喋れないのに、一方的に求めてくる。救ってあげたい欲求と、どうすることもできない脱力感の狭間で揺れ動いてた。

 もし助けを求めていたとしても、もっと具体的に話すべきではないのか。

 何故彼女は言葉を一つしか使わない?

 きっと頭の中には生前の記憶が詰まっているだろう。幾つか引っ張り出して、私に伝えればいいのに。一番、単純明快で簡単なことではないか。そう感じた直後、ある考えがよぎった。

 もしかすると、彼女は一つしか言葉を使えない?

 彼女の顔を見る。苔は蠢いているが、表情は微動だにしない。 

 存在に制約がかかっているのか、既に失ってしまったのか。私にはわからない。

 何を、考えているのだろう。それがわかれば、こんなに苦労することはなかったのに。

 三度呟くと彼女はそれ以降口を開かなくなった。生きた石像にでもなってしまったかのように。動くことを止めてしまった。視線は私に向けられたままだが。

 苔が蠢いているところをみると、あれらは彼女の生命とは別の存在のようだ。異なる生命が混在し合い、拒絶の不協和音を奏でていた。

 そうしていると、だんだんと視界がぼやけていく。光が差し込むカーテンも、テーブルに上に置かれた鉢植えの赤い花も、扉の外の黒い世界も、眼のない侵入者も、何もかもが歪み、渦を巻き、全てが一つになる。救いを求める言葉が意識の外に放り出され、既に認識することができなくなっていた。

 まとわりつく残滓を振り払いながら私は思う。これは、夢だったのではないかと。

 全部、全部、悪い夢。必要のない意識が顔を出して、正常な私の存在を脅かしてくる。いつでもすり替われるように、準備を整えて待ち構えている。しかし、それは只の想像なのだ。淡く、儚い想像。覚めればすぐに消えてしまうし、気づくだけでも霧散してしまう。弱々しい存在だ。もう、心配することはない。

 あと少しで、現実が戻ってくる。確信に満ちた直感は、私の意識を支配していく。

 段々と沈んでいくのを感じ、それに身を任せる。世界が希望とも絶望ともとれない色に染まり、全てが包まれていく。

 終わりを迎える最後の瞬間に、眼を閉じようとする。

 しかし、閉じない。

 世界は崩廻し、私は消える運命なのに、眼は閉じない。

 怖くなった私は、堕ちていく鼓動に抱かれ、そのまま、数字を数える。

 頭の中で。それだけを考える。

 そうすることで、忘れられるような気がした。

 一、二、三、四、五、六、七……

 ――静かに、ゆっくりと。

 呪文のような、言霊のような。

 ――声が響かなくても、私は、聞こえる。

 聞こえているのに、わからない?

 ――だって、そうだよ。覚えているから。

 間違っていない。貴女は、正しい。

 ――どうしてわからないのかな。もう、終わってるのに。

 必要だった。今は、捨てても構わない。

 十と一、二、三、四、五、六、七……

 ――空も、見えないよ。

 天使達は微笑を浮かべて漂う。

 ――私も、飛べたはずなのに。

 翅をもがれ、地に落ちた同胞は死の元へ跪く。

 ――もう、飛べない。

 淀んだ嘆きが跳梁する。

 ――これも、嘘?

 認識を拒み、記憶を疑い続ける。

 ――酷い。酷いよ……

 虚ろな叫びは彼方へ消えていく。

 二十と一、二、三、四、五、六、七……

 ――言葉は逆転して、私も、反転する。

 私達は、二つで一つ。

 ――もし、聞こえているのなら。

 間違ってるのは、どっちだろうね?

 ――届いてほしい。眠り堕ちる貴女に。

 これが正しい結末なら、きっと間違ってるよ。

 ――最後の、口づけを。

 貴女も、そう思うでしょう?

 三十と一、二、三、四、五、六、七……

 ――終焉を迎えた。全ては、新たなる道を作り出す。

 私は、役目を果たしたよ。貴女の為に。

 ――自身は、何物にも代えがたい存在。

 生きていた頃は、辛かったのかな。

 ――代替品は、いつも内側に。

 もう、覚えてないけれど。

 ――潜んでいる。狙っている。いつか喰らうように。

 痛みだけは、残ってる。

 五十と一、二、三、四、五、六、七…… 

 よかった。最後がここで。

 ――陽は昇らない。答えは、まだ見えない。

 でも、幸せな気持ち。

 ――地平線の彼方に、埋もれている。

 見えなくても、存在するの。

 ――果てのない、何かを探して。

 生きた、誰かの物語。

 ――繰り返し、繰り返し、繰り返す。

 始まりは、きっと嘘。

 ――やがて、時は減速する。

 そろそろ、ダメみたいだ。

 ――次に、目覚めるときは。

 助けてくれて、ありがとう。

 ――私は、消えているのだろう。

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