Ark Fantasy   作:山田山彦

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 煉瓦造りの通路を二人で歩く。静かな足音だけが響いていた。

 もちろん隣同士ではない。前に給仕が歩いていて、私がその後ろを着いていく。ここに来る時と何一つ変わらない光景だが、目では視認できない部分には変化が起こっていた。今なら彼女の背に手が届くような気がする。細く、弱々しいその背中に。

 私と彼女との間には壁があった。向こう側に存在するはずなのに、どれだけ叩いても返事の一つも帰ってこない。叩き疲れて、座り込んで、そのまま放置していた。

 確かに、彼女にとっては私の世話も仕事の一つだ。生きる為にはそれを遂行しなければならない。やらなければ、生きていけない。外の世界も、概ねこのような仕組みなのだろう。

 けれど、それは私との間に壁を作る理由にはならない。勇者という存在に憎しみを抱いているのなら話は別だが。彼女にとって勇者は特別な存在のようだ。他の誰よりも愛おしいほど。 ぼんやりと考えていると、前を歩いていた彼女が振り向く。私と目が合うと、また前を向いて歩き出す。何も感じていないような顔で。確認の為だけに。それだけなのに、不快な気分にはならなかった。彼女は突きあたりを右に曲がる。

 そういう所は、変わらない。いや、変えてはいけないのだ。距離を置かなかれば、その関係を維持することができない。少しでも均衡が崩れると、それは一瞬で崩壊してしまう。

 私と彼女は、親子ではない。師弟でもない。今朝食べたスープの具のように溶けやすい関係なのだ。もし近くにいれば意識を働かせて関係を取り持とうとするが、一旦その人間がいなくなってしまえば考える必要がなくなる。その場にいない人間のことを考えるのは酷く億劫だ。

あまりに距離が接近していると伝わらないこともあるのかもしれない。

 だから、私と彼女はこのままでいい。勇者と給仕の関係は、これが最適なのだろう。

 つかず離れず、両手を自由にしたままの状態。そうしておけば、引きずり落とされることはない。恐ろしいものは、私が弱る瞬間を狙っている。

 不意に、彼女の足が止まる。まだ通路は続いているのに。前方を見つめたまま立ち止まった。

表情に驚きが混じっているような気がした。

 どうしたのだろう、と考えると同時に、通路内に声が響く。

「まさか青色を持ち出してるとは。なっがい回廊を辿るのに苦労したわぁ」 

 聞き覚えはない。給仕より高く、若々しい声。女性だ。

「私の寝処から近いからわかりやすい方だったけど」

 給仕が邪魔でその人間が見えない。私は彼女の側に行って、現れた人間の姿を見る。

「……ルートヘイズ」

 隣に立っている給仕が呟く。冷たく、悪意を込めた声だった。

「こっそり何かしてると思ったら、ここに居たのね」

 白い外套を羽織った女性が立っていた。給仕の聖胴衣と似ていて、全身を覆う形状の服のようだ。色素の抜け落ちた艶やかな髪が、地面に触れそうな程伸びている。

 私は、聖者を連想した。

「何の理由でここへ?」

 前方を睨みながら言い放つ。感情を表に出さない給仕が嫌悪感を露わにしている。

「理由? そんなの要らないでしょ」

 またか、というように眉をひそめる。

「ならば早急に立ち去りなさい。貴女の接触は推奨されていません」

 ほんの少し、給仕に焦りが見えた。それを隠そうとしているのか、拳を握りしめている。

 何故だろう。彼女に出会って不都合なことでもあるのだろうか。

「それを言うなら、貴女がここにいる理由も教えてほしいけどね」

 視線を外し、侮蔑の籠もった笑みを浮かべる。外套の隙間から細い腕を覗かせた。

「まぁいいわ。私はこの子に会いに来たのよ」

 こちらを指差す。私がそれを認識すると、聖者は腕を下ろした。

「久しぶりね。リオ」

 再び細い腕を外套の中へと仕舞う。

「私がわかる?」

 首を振る。全く記憶になかった。彼女を構成する部分のうち、その一つたりとも覚えがない。向こうは、自分のことを知っているのだろうか。

 それを見て、聖者は薄気味悪く微笑む。

「何も知らないか。まぁ当然かもね」

 少し、満足そうだ。自身の思うように事が進んでいて、愉しげな。

「私は君のお母さん」

 表情を崩さず、口を開く。

「お母さん?」

 お母さん、とは、何だったか。一瞬遅れて、ああ、母親の事か。と思い出す。

 けれど、理解できたのはそこまで。記憶と現実を結びつけることができなかった。

 中央聖殿の天井の景色。一番最初に私を抱いた人間。目があり、鼻があり、口があった。もしかしたら、髪も生えていたのかもしれない。両親の顔は覚えていないが、確実に言えることが一つだけある。

 彼女は、私の母親ではない。記憶が拒絶反応を起こし、警鐘を鳴らしている。

 反論しようとしたが、聖者が次に呟く言葉がそれを遮った。

「そうよ。君は私が作ったの」

 不穏な言葉が零れ落ちる。その言葉に生が宿っているとは到底思えなかった。

 本来人間はそれを紡いではいけない。人間より上位の存在であれば、許されるのかもしれないが。彼女は、違う。そう感じた。

 作ったの。

 何を?

 君を。

 私を?  

「口を閉じなさい、狂信者」

 しびれを切らした給仕が、冷たく咎める。握りしめていた拳が解けており、焦りはなくなっているが、その代わりに強い憎悪を発していた。

 視線が、そちらに向けられる。

「随分とご執心なのね? 何回目とも知れない勇者に」

 嫌な汗が流れる。彼女たちの間には埋まらない溝があるようだ。

 それは傷つき、不浄な血がこびり付いて、汚れた涙で錆び付いている。過去からの流れが、現在の彼女達の関係を形作っている。その原因が私にあることも、何となくだが理解していた。

 給仕は微動だにせず、獲物を狙うかのように聖者を見つめる。

「あら、ごめんなさい。貴女は確か、三回目でしたっけ?」

「……黙れ」

 口調が変わった。給仕の雰囲気が一変し、私は少しだけ後ずさる。

「ふふ、怖い怖い。でも、周りをよく見なさい。歪みが漏れてるわよ?」

 聖者の言っていることが理解できない。

「必死に抑えようと頑張ってるじゃない。へぇ。なかなかに強力なのね。きっと貴女のせいかしら? ……その子の腕、折れてる」

視線が交差する。そして、私は気づいた。

「……え」

 右腕の感覚がない。不思議と痛みはなかったが、私の命令を聞かないのだ。動け、と命じても違和感だけがはね返ってくる。決して反応しようとしない。そちらに目を向けると、腕だったものは肩から吊り下がる肉へと姿を変えていた。

給仕が驚愕の表情を浮かべ、私の傍へ駆け寄ってくる。右腕にそっと触れ、悲しそうに撫でる。

「ごめんなさい」

 小さな声で、呟いた。

 彼女は、苦しそうだ。

 そして、私達を観察していた聖者が口を開く。

「これからもきっと語り継がれるでしょう。何も知らない童達のお伽話として」  

「歴史的犯罪を犯した一人の給仕。哀れ、その魂は抹消されることはなく彷徨い続ける。誰よりも解放を望んでいるはずなのに。あまりに重すぎる罪が、この世界からの逃亡を許さない。何せ貴女はゆ――」

 息を呑む。本当に一瞬だった。私の傍にいたはずの給仕が聖者のすぐ近くへ動いていた。

「次に言葉を紡げば、その首を捻じり落とす」

 聖者の首に腕がかかる。給仕が力を込めれば、細い首はたやすく折れてしまいそうだ。 

 それでも聖者は妖艶な笑みを崩さない。憐れむように給仕を見つめる。

「いいのかしら。ずっとこの繰り返しよ?」

「殺して、生きて、殺して、生きる」

「貴女は、その度に苦しみ続けるの」 

「幾度とも知れず再演する戯曲に。許されない死を蝕む衝動に」

「都市が救済を望んでいる限り、貴女は永遠の錯覚を与えられる」

 くすくすと笑い出す。とても可憐で、儚い笑顔だったが、私には怖くてたまらなかった。

「ガスタ・ローレン。貴女は私の呪縛から逃げられない」

 聖者の笑い声が静かな通路内に響く。給仕はそれを見ていることしかできない。きっと、それがわかっているのだろう。

 私はそれを聞いて、胸の深い所に重りを乗せられたように感じた。以前に捨てたものは、再び鈍い感覚を呼び覚ます。

 

 その後、聖者は首にかけられた腕を外し、通路の奥へと戻っていった。給仕は立ち尽くしたまま。後ろ姿からでは、どんな表情をしているのかわからない。

 憤りだろうか。それとも、悲しみだろうか。因縁の相手に抱く感情は、その人間自身にしか理解できない。私がいくら想像したところで、彼女の気持ちには掠りもしない。

「……」

 沈黙。通路内を包む、静寂。

 給仕は動かない。私は折れた右腕を押さえ、壁に寄りかかる。煉瓦の壁は固く、ひんやりとしていた。深呼吸をして、緊張と動揺で固まった身体を溶かす。そして、思う。

 彼女は何者なのだろう。やっと、疑問を持つべき点に気づいた。本当はもっと早く考えるべきなのだが、どうも私には苦手なようだ。意識の外側に存在するものには、あまり気づくことができない。

 純白の外套。色素の抜け落ちた髪。彼女の特徴を思い出す。美しく、澄み切っていた。

 その外見はまるで、聖者だ。女神の使いと言われたら納得してしまうほど。救いを求める人間は、彼女のような存在に縋るのだろうか。少し考えたが、私はそうではないらしい。

 しかし、内側は淀んでいる。暗く、黒いものが沈んでいる。言葉の端々から尾をひいて落ちていく。目に見えるわけではないが、そう感じずにはいられなかった。

 聖者と給仕の間には、確執がある。しかし他人は入り込むことはできない。深く汚れた溝は理解することさえ不可能なのだ。彼女達にしか分からない。なので私ができる事も少なく、今はただ傍観しているだけ。

 給仕が私の方を向く。少し怖かったが、彼女と視線を合わせる。何か言葉が零れるかと思ったが、口は依然として閉じたままだった。

 再び通路の奥へ向き直ると、彼女は歩き出す。それに続いて私も着いて行く。

 どちらも口を開かないが、別に構わなかった。無理やりに言葉をねじ込もうとすると、上手くいかないのかもしれない。給仕の細い背中を見つめる。今は、何も言わないのが正解だろう。

 私達は、曲がりくねった通路を歩いて行く。聞こえてくるのは足音と、二人分の呼吸。

 他には何も聞こえない。

 熱を孕んだ鼓動は、冷たい空気に溶けていった。

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