――――――始めに見たのは、辺り一面に広がる綺麗な花畑だった。
地に寝そべった状態から起き上がると、そうなっていた。
何故自分が此処にいるのか。此処は何処なのか。不思議と、そういったことは頭には浮かばなかった。
ただ純粋に、綺麗だ。と、それだけを考えていた。
何処までも続く地平に、限りない花の園。
ああ。なんて此処は素敵な場所なんだろう。子供心ながらにそう思っていた。
しばらくその場で辺りを見渡しながら感動していると、ふと誰かが後ろから来る気配がした。
振り向くと、絹のような滑らかな生地の服を纏う人物がそこに立っていた。
しばしの間、その人物を見ていた。
長身で、髪の長い女性だ。それに、まるでこの世のものではないかのように美しかった。
お互いに無言が続いたが。子供ゆえに、我慢がきかなかったのだろう。先に口を開いたのは自分だった。
『……こんにちは』
我ながら、もっといい言葉を出せなかったものかと思う。
だが。相手の女性は一瞬驚いたような顔をすると、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
女性はそのままこちらに近づき、こちらの頭に手を優しく乗せた。
『――――――、――――』
すると、二言三言呟き、乗せた掌が淡い光を灯しだした。
それは暖かくて。それと同時に少しずつ眠気が襲ってきた。
寝てはダメだと、自分に言い聞かせるも、子供故に眠気には逆らえず。徐々に瞼が下がっていくのを感じる。
『――、――――――。――――』
女性は言の葉を紡ぎ続ける。
それはさながら。子供を寝かしつけるための、子守唄のようにも聞こえる。
穏やかで。暖かで――――何処かに、力の篭もった詩だ。
眠気はどんどん強くなり、もういっそこのまま眠りに任せてしまおうとすら思えてきた。
歌声は滑らかに続き、乗せられた手はいつの間にか撫でるものに変わっており、それがまた心地よい。
そして、眠りにつく直前に聞いた声。
『――――――――――――――頑張りなさい』
それが。■■■■■■にとって。最初の記憶だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
魔術師。オルガマリー・アースミレイト・アニムスフィアの朝は早い。
毎日5時に起床。寒気が襲う11月の空気の中、乱れた髪をセットしつつ、今日の日程を確認する。
今日は午後から
それが今日使う分として十分だと判断。その後、階下へ降り朝食を取る。
本来なら、そのテーブルにはもう一人。彼女にとって尊敬する父であり、現天体科の
まだ君主の名を継ぐには歳若いオルガマリーだが、こうして父が留守の間は教鞭を振るうこともある。
17という年齢ではあるが、才覚に富み、その講義のやり方は父であるマリスビリーよりも上なのではと噂されるほど。
…………とはいえ。まだまだ父親からは家督を譲られていないので、講師としては見習いの域を出ないのだが。
オルガマリーとしては、早く父親に認められたくて仕方が無いのだが、まだまだ自分には経験が足りていないのも自覚している。
焦ってはいけないと思いつつ、それでも先を急いでしまうのは自分の悪い癖だといつも思っている。
朝食を食べ終え、片付けをメイドに任せると身支度を整え、そのまま家を出るため車を回してもらう。
向かう先は時計塔。その中の天体科学術棟。
無論。その中までは行かず、近くまで行き適当に降ろしてもらう。
時計塔は、倫敦郊外に存在する中世と近世が入り混じる街並み。
その中には、およそ40は越えるであろう
とはいえ。全員が全員寮生というわけでもなく。オルガマリーのようにロンドン市内に別宅を持っていたりする。
オルガマリーはそのまま天体科の学術棟へ向かう。
中では、彼女の姿に気づいた者たちが一礼しながら通り過ぎていく。
彼女もそれに軽く答え、講師用の部屋にかけられた魔術の錠を解きながら、中へと入る。
中はやや雑多な感じが出ており、机の上には書類が無造作に積み上げられており。幾つかの書物も崩れるか崩れないかの微妙なバランスの上で塔を築いている。
来客用のソファは唯一何も乗っていない綺麗な状態ではあるが、位置が少々ズレていた。
オルガマリーは小さくため息をつきながらもそれらを直していく。
マリスビリーはオルガマリーにとって、尊敬もしている魔術師であるしとても良い父親でもあるが、研究熱心な性格が災いしてか、時折こうして部屋を訪れないと散らかった状態がずっと続くことになる。
一度。研究の邪魔をしてはいけないと思い、一段落着くまで部屋に入らずにいたことがあったが…………そのときの惨状を思い出し、オルガマリーは身震いする。
テキパキと片づけを済ますと、ふと。机の上の写真立てが目に入る。
そこには、今より幾分か若い父と一緒に写っているまだ幼い頃の自分。
それを見て、少しだけ笑みが零れる。
だがそれも一瞬。すぐさま自分の役職を全うすべく、部屋から出て隣の講義室に入る。
時刻は8時。あと30分もすれば、この日の最初の講義が始まる。
現在、講義室内には誰の姿も無い。
時間に几帳面で、一分一秒の遅れは怠慢と考えている彼女の気質は最早天体科全員に知れ渡っている。
一秒でも遅れれば凄まじく睨まれ。分単位で遅れようものなら説教を食らう。
とはいえ。流石に30分前から目くじらを立てるほどではないオルガマリー。椅子に腰掛け、持ってきた愛読書を読みながら、他の生徒を待っていた。
講義開始20分前。
ちらほらと、生徒たちが講義室の中へと入ってくる。
中には彼女にレポートを提出する生徒の姿も見かける。
特に必須ではないが、時折こうして名のある魔術師に自分の論文を見てもらうことは、時計塔では間々あることである。
とはいえ。大体が酷評を受けるのが常ではあるが。
講義開始15分前。
殆どの生徒が揃い、席に座りながら談笑をしている――――ように見える。
実際には、低い家名の者が高名な家柄の人間に媚を売っていたりが殆どだ。
これが時計塔の現状かと、オルガマリーは誰につくでもなく、ため息をつく。
時計塔には大別して三つの派閥から成る。
一つ目は、貴族主義派。受け継いできた歴史を重んじる。
二つ目は、民主主義派。血統より実力を重視し、能力のある者なら誰でも迎え入れるべきという主張を広げている。
三つ目は、中立派。先述した二つに属さず、そもそも派閥争いに興味が無い。
現在の時計塔は貴族主義派を中心とした権力主義の温床となっており、血統の強さを重視する者が生徒・講師に関わらずに多い。
一方で、そんな現状を利用して有力な人物に取り入ったり。逆に家の権力を振りかざしたりする者も中にはいる。
下らない、権力闘争という名のゲーム。それが時計塔で最も頻繁に行われていることだ。
中には魔術の研鑽などよりそちらを優先したりする者もいたりするため、本末転倒である。
それでもまだ時間を守って行動している分、まだマシだろう。
以前は時間を守らず平然とし、大口を叩いた大馬鹿がいたが。ソイツには
以来、その馬鹿者は時計塔から姿を消した。
講義開始7分前。
流石にもう誰も入ってこなかった。講義室も大半が埋まって、後は始業開始のベルを待つだけだ。
オルガマリーも読書を中断し、椅子から立ち上がる。
それと同時に、部屋の扉がゆっくりと開いた。
まず目立ったのは、白。
シミ一つ無く、穢れ無き純白。というのが最初の印象だった。それほどまでに、白色の
着ている服のサイズが合っていないように見え、若干袖が余り気味だ。
扉の人物は、少々困ったような――見ようによっては軽薄な――笑みを浮かべながら軽くオルガマリーに会釈した。
オルガマリーは、少々眉間に皺を寄せながらも一瞥して前を向く。
扉を閉め、席に着こうとする。
その間。女生徒からは嘲笑が密やかに起き、男子生徒からは嘲笑の他に、見蕩れるような視線が起きた。
さらさらと流れるような、少し長めの銀色の髪の毛を後ろで一つに纏め、顔には柔和な表情を浮かべている。
服がやや大きいためか。見た目よりも小柄に見えてしまうのも、男たちがそういう目で見てしまう一因なのだろう。眼鏡を掛けているのも好印象。
若干浮つきかけた空気を戻したのは、オルガマリーの咳払いだった。
それと同時に、始業開始の合図であるベルが鳴る。
瞬間。この部屋にいる全員の気が張り詰めたものになる。
オルガマリーもそれを感じながら、自身も気を引き締める。
「――――――では。本日の講義を始めます」
時計塔の一日が、始まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
講義が終わると、生徒たちは次の講義のための準備をしたり。次は何もないからと取り巻きを引き連れて外へと繰り出す者もいた。
オルガマリーも、今日の講義はこれだけだと。肩の力を抜きつつ、片づけを始めていた。
「ミス・アニムスフィア」
と、背後から声を掛けられた。
振り向くとそこには、教室に一番遅く入ってきた銀髪の生徒が立っていた。
オルガマリーは、若干不機嫌な表情になりながらも。一度片づけを中断する。
「……何か御用かしら?」
「あぁ…………そんなに機嫌を悪くしないで頂きたい。今日は少し私用があり、そちらを優先していたのでやや遅れてしまったのです」
面目ない、と銀髪の生徒は軽く頭を下げた。
「もし必要ならば。後日正式な謝罪文を提出いたしますが……」
「ああもう。いいからそういうの。で、用件は何?」
ピシャリと、不要な会話を断絶する。
銀髪の生徒は温和な雰囲気を崩すことなく、手に持った鞄からシルクに包まれた正方形の物体を取り出す。
「先日。マリスビリー・アニムスフィア氏が取り寄せたという星図盤を届けに。コレをとりにいくため管財課に立ち寄ったのが、本日遅れた理由なのですよ」
「父が?」
そういって受け取り、中身を検めようとする。
「…………ああ。一つ言い忘れましたが。ご本人以外、この場合マリスビリー氏以外が開けると呪いが掛かるのでご注意を」
「先に言いなさいそういうことはッ!」
慌てて手を引っ込める。一瞬、体に何かが通るような感覚がしないでもなかったがきっと勘違いだ。包みは開かれていない。
ホッとするオルガマリーだったが、次にはキッとキツイ目付きで目の前の人物を睨んでいた。
対する当人はというと、何処吹く風で相変わらずの表情だった。
「…………いい趣味してるじゃない」
「ハハハッ。いやいや。今のは本当に言い忘れていただけなのですよ。誤解しないで頂きたい」
それだけ言うと、再び一礼して教室を出ていった。
今度会ったら特別な課題でも出してやろうかとオルガマリーは黒い考えを巡らせつつ、星図盤の入った包みを置く。
しばらくは何もないと、オルガマリーは椅子に腰掛け天井を仰ぐ。
最近、上手く疲れが抜けないのか体全体が緩い倦怠感に包まれている感じがしている。
無理もない。彼女は早く当主として認められたく、日夜魔術の研鑽に励んでいる。
元々才能があり、魔術回路もそれに見合う以上のものを持って生まれた彼女は、幼い内から一級の魔術師と同等の
が、若いとはいえ連日のように夜遅くまで勤しんでいれば疲れは蓄積されていく一方だ。
ハァ、と。深く溜息をつきながら、気だるい体を起こす。
包みを持ってきた鞄の中に入れながら、講義室を出る。
……あ。帰りに資料室行かないと。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時計塔資料室。
文字通り、古今東西。多種多様な本が棚に所狭しとある。
魔術書は勿論のこと。偉人の伝記や動物記や植物の図鑑なども置いてある。中には民間伝承を纏めた冊子程度のものも。
オルガマリーは本を数冊傍らに置き、今朝手渡された論文を読みながらその出来を評価していく。
「ここの部分も不適切、っと…………ハァ。全く。ちゃんと講義を聴いているのかしらね」
そういって、積み重なった論文の束を一回叩く。それと同時に軽い頭痛がしてきた。
「ッ…………」
流石に根を詰め過ぎたのだろうか。一度文字の羅列群から距離を置く。
おそらくは一時的なものだろうが、流石に身体的影響も出てくるレベルとなると多少は休まないといけない。
無論、魔術師にとって肉体的な負担は魔術なり薬なりで、ある程度誤魔化せる。が、流石にそこまではやりたくないのか。あるいはただ単純に、そういった行為が怖いのか。今日はもうこれで帰ろうと、オルガマリーは帰り支度を始めた。
とその時、頭上から不意の重みが来た。
「なーに不機嫌そうな顔してるのよマリー?」
そんな声が聞こえる。
オルガマリーは小さく溜息をつきながら、自分の頭に顎を乗せている人物を除ける。
「……何か用かしらキリエ」
オルガマリーは振り向く。
そこには、ふわっとした赤髪を長く伸ばした垂れ目の女性が立っていた。
キリエ・メルニア・アリステラ。オルガマリーの同期で、彼女の数少ない「友人」でもある。
ただし。専攻は
キリエは一歩離れると、いつもの温和な笑みを浮かべてオルガマリーに話しかける。
「別に? ただ貴女がいつも以上に不機嫌そうだから心配になっちゃって」
「何が心配よ。からかいに来た、の間違いでしょう?」
「ふふっ。やぁだマリーったら。私がそんな捻くれた性格に見えるの?」
「そうね。貴女は他人と違う方向に真っ直ぐに伸びているものね」
「もー。可愛くないなぁ」
と、オルガマリーの頭をキリエは優しく撫でる。
オルガマリーはそれをやや鬱陶しそうに見るが、振り払いはしなかった。
一頻り撫で終わると満足したのか、オルガマリーの隣に座る。
「ふー。もー、今日の植物科の講義は疲れたわ。あっちこっちで成金たちが金勘定で」
「成金言わない。彼らだって一応は由緒ある家柄の出なんだから」
「家柄、だけでしょ。それに見合った風格を身につけて欲しいものねー」
そうねぇ、と深く頷くオルガマリー。
キリエの家は、キリエでようやく6代目となる。オルガマリーは8代目。
たった2代だが、その差がこの時計塔では力関係を決定するものとなる。
6代目ともなれば流石に軽んじられることもないが、キリエはそんな雰囲気に辟易していた。
それはオルガマリーもそうである。
「ところでマリー。貴女こんなところで何していたの? 魔導書なら、貴女の家にもっといいものあるでしょ?」
「違うわよ。論文の評価。全く。どいつもこいつも碌な内容書きゃしないんだから」
「おー。流石。次期
「せっかくの血筋が台無しね」
それから二人は話をした。
他愛のない、日常的な会話を。
魔術師は、その生涯を賭けて共通の到達点。即ち根源を目指す。
故に本来であれば、こういった交流は無意味に等しいもので。したところで、相手の腹を探るという本来の目的がある。
あわよくば。相手を蹴落とし、自分が
しかし。この二人からはそういった鬱屈とした雰囲気は感じられなかった。
オルガマリーはキリエの実力を認めており、性格もそれなりに把握している。
無論それが全てではないことは承知しているが、それでもこうして同期の同性と話せることはとても貴重であることも理解している。
それで騙されるようなら自分はそこまでだとも思っている。
一方で、キリエはもっと簡単だ。
単純に、この子と話してみたいという。欲望に忠実な動機。
「で? キリエ。貴女、本当の用事は何?」
「あはっ。バレてた?」
そういって、キリエは手持ちの鞄から一枚の封筒を取り出し、オルガマリーに手渡す。
一瞬、受け取るのを躊躇したが、それでも受け取る。その際に、呪いなどが掛かっていないかを探る。
キリエはむー、とわざわざ口に出して抗議する。
「そんなに用心深く無くてもいいのに」
「馬鹿ね。それで呪いにでも掛かってみなさい。一生の笑いものよ」
「少なくとも。私はマリーにそういうことしないよ」
はいはい、と適当にあしらいながら中身を見る。
そこには、一枚の紙が入っていた。
それは、列車の乗車
「……これは?」
「いつも頑張っているマリーに私からのプレゼント♪」
「さーて。ゴミ箱は何処だったかしら?」
椅子から立ち上がり本気でゴミ箱を探し始めるオルガマリー。
「いきなり捨てる作業に入るとか酷くない?」
「あのね。魔術師同士でこういうのをすんなり相手が受け取ってくれると思ってるの?」
魔術師は基本群れない。
例え家族ですら、自分が上にのし上がる為の捨駒という扱いをする者もいる。
幸い、オルガマリーはそういうことを父親からは受けていないが。それでも、そういった環境があるのが魔術師としては普通なのだ。
ましてや相手に贈り物を贈るとなると、怪しいを通り越して喧嘩を売ってると取られてもおかしくない。
「あーうん…………でも、最近マリー。かなり根詰めてるように見えてさ。真面目なのはいいけど。たまには休まないと体壊すよ?」
「余計なお世話です。貴女こそどうなのよ。最近植物科からの評判、良くないじゃない」
「それはアレだよ。ホラ、私。こんな性格しているからさ」
「舐められてるの? 情けない」
キリエは人当たりは良いが、逆にそれが軟弱に見えて侮蔑や嘲笑の対象となることも少なくない。
そんな嘲りを受けても平然としていられるキリエ。精神が強いのか、図抜けて能天気なのか。
そんなことを考えていると、キリエは立ち上がる。
「ゴメンねマリー。私これから用事があって行かないといけないから。またね」
「えっ、あー、ええ」
「うん…………あ、いらないならそのチケットは捨てていいから」
それじゃ、といってキリエは立ち去っていってしまった。
あとに残されたのはオルガマリーのみ。
ふと。手に持ったチケットを見る。
……一等客室じゃないこれ。
貴族であるオルガマリーにしてみれば普通なことかもしれないが、贈り物として贈るには少々以上に高いものだ。
オルガマリーは少し考え、休暇として楽しむならいいかとチケットを仕舞う。
「……ありがと。キリエ」
そう呟き、オルガマリーもその場を去っていった。
どうもKoyです。
懲りずにまた書いてしまいました。しかもFate。
……正直、人外魔境の領域に足を踏み入れたような錯覚に陥りそうですが、頑張ります。
皆様の暇潰しになれば幸いです。
それでは。
あらすじが見たことある? 気のせいじゃないかなきっと(特に何も思い浮かばなかった