Fate/Grand Apocrypha〜亜種聖杯大戦〜 作:古代魚
そこはその魔術師の工房だった。
冬木の市街地から離れた場所にある、工業地帯の一画。
そう、そこは工場に偽装された巨大な工房だった。
こんな真似が出来るのも、多大な資金があるからに他ならない。
――アトラム・ガリアスタ。
それがこの工房の主であった。
冬木の地で亜種聖杯戦争を主宰する元凶でもある。
「実に解せないのは君たちに令呪が浮かび、サーヴァントを呼び出すことができたのに、僕には難の兆候もないことだよ」
表面上は事務所に偽装した室内で、侍女を侍らせたアトラムは集った共犯者達に声を掛けた。
一人は男性白衣に眼鏡を掛け、陰鬱にアトラムを見ている。
「ランダムに令呪を配るように設定したのは君だろう。けれど君に令呪がないのは都合がいい。君の魔術系統は呪術だ。殺し合いの果てに生き残ったモノは最高の呪物になるだろう」
「ああ、この国では『蠱毒』というのだったか。東洋の術系統は詳しくないのだが、最後の勝者を平らげるというのは実にいい。強者であればあるほど胸が躍るようじゃないか」
不機嫌だったアトラムは、男の言葉に不満げな様子からがらりと変えて身を乗り出した。
「トワイス、トワイス・ピースマン。君の戦う理由は僕には理解しがたいがこの趣向は実に僕好みだ」
トワイスと呼ばれた男はアトラムに賞賛の言葉を向けられても表情を変えなかった。
彼は賞賛を必要としない。あるのは心を焦がす病のみ。
争いを憎むその理由を知りたくて、アトラムに手を貸したのだ。
「さて。聖杯戦争のルールを確認しよう。今回の聖杯戦争の賞品である聖杯はアトラム、君の作った二つだ」
この工房の地下。アトラムとガリアスタに連なる一族が作り上げた聖杯が二つ、
そう、この連結こそが今回の聖杯戦争の要だった。
一つの亜種聖杯が呼び出せるサーヴァントは五騎に過ぎない。
だが、その亜種聖杯を二つ連結すると全11騎。ここにアトラムはさらに工夫を加えた。
「令呪が
「今のところ、順調に過ぎるな。追加の五騎はいつ召喚できる?」
「数値を確認したところ、二日後だね。マスターを持たぬ五騎。これを速やかに確保するのが、我々の目的となる」
「それで、聖堂教会の監督役の確保はできたのかな?」
アトラムの視線が女性へと移る。
蠱惑的な身体を修道服に似た黒衣へと押しこめた女性。
彼らの協力者である殺生院キアラである。
「ええ。暗示を掛けて確保しております。教会で私とアンデルセンが得た聖杯戦争の情報を、私たちの都合の良いように報告してくださるでしょう」
彼女は召喚したサーヴァントを仲間内に開示した。
いくら手を組んでいると言っても、それぞれに聖杯戦争に掛ける願いは別で、いずれ争う運命にある。
トワイスの望みは、自分を戦地に駆り立てる病の正体を知ること。
キアラの願いは、あまねく衆生を自分の手で救うこと。
アトラムにとってはどちらの願いも理解しがたいものだ。
だから聖杯に掛ける望みはない。彼は聖杯のエネルギーで魔力結晶を精製するつもりだった。
買い上げた人間から抽出するよりずっと効率がいい。
それぞれに違う目的で手を組んだ以上、争い合うのは当然の帰結。
だが彼女はサーヴァントの真名を伏せずにいる。
戦う気があるのかと思ったが、真名を聞いてアトラムは納得した。
彼女が呼び出したキャスターは一介の童話作家。戦争には向かないのだ。
「他のマスターにはアンデルセンが監督役ということで通しております」
「本当にそれで信じるのかな?」
「この街でマークすべきなのは遠坂家だけだろう。尤も、遠坂の家もあまり聖杯は眼中にない。ふん、これでは僕たちに有利すぎる。圧倒的な戦力差は構わんが、手応えがないと分捕り甲斐もないからな」
「ルーラーがいる限り私たちの有利にはならないだろう。アレは聖杯に召喚された時から手に負えなかったからね」
この聖杯戦争で最初に召喚されたサーヴァントはルーラーのサーヴァント。
彼がこの聖杯戦争におけるマスター候補を襲撃し、サーヴァントを召喚させる。
サーヴァントが召喚できなければ理不尽に殺される。
彼ら聖杯戦争を仕組んだ裏方の暗躍さえも寄せつけぬ、生きた嵐のようなサーヴァントだった。
――その真名をギルガメッシュという。
アンデルセンは忙しくペンを紙に走らせる。
監督役とは面白くない役をやらされたと最初は思っていたのだが、よくよく考えてみるとおいしい役どころであった。
監督役は建前上どの陣営にも属さない中立である。
つまり何も知らないマスターたちから存分に話を聞くことができるのだ。
しかも肉体労働はほぼなし。素晴らしい環境だ。
神秘の隠匿については出来る限り対処するしかないが。
「だが、この聖杯戦争は最初からおかしなことばかり起きるな。あの獣耳のキャスターがいるのなら、俺は呼ばれる必要がなかったんじゃないのか」
現在、聖杯戦争を仕組んだ黒幕側が呼び出しているサーヴァントだけでキャスターが二騎。
二つ連結して、最初に半分を召喚させているだけなのにこの偏りよう。
誰かが仕組んだかのような采配だ。
「まあ、それは俺の気にする事でもないか。ネタになるマスターでも来てくれれば、俺の宝具の筆も乗るんだが。こればっかりはルーラーが目利きであることを祈るのみ、か。そう思わないか、キアラ。俺は戦闘には全く役に立たん三流サーヴァントだからな」
「……アンデルセン。確かに貴方は戦えませんが、あまりにもやる気がなさすぎなのではありませんか?」
「仕方ないだろう。俺は作家だ。だが、執筆する時間ほど苦痛な時間はない。ならばここに来る人間を観察して話のタネにしないとやってられん」
いつの間にか戻って来ていたキアラと一通りの言葉の応酬をし、アンデルセンは更なる情報の収集をしようと声を掛けた。
「それで、奴らとの会合は?」
「特に有益な情報はありませんでしたが……やはり三人のマスターと戦う必要があるのか、その果てに私たちの間で仲間割れが起きるのか、巻き込まれることになるマスターたちのその苦悩を私は思い……」
キアラはそこで言葉を切り、身悶えする。
貞淑な修道服だというのに揺れる肢体は、見る者がアンデルセンでなければ違った感想を抱いただろう。
「涎を垂らしそうな顔をするな。全く、俺の精神が最後まで保つのか危なくなってきたぞ。早く他のマスター――できれば熱心な読者に会えれば僥倖だが、そこまでは贅沢というものだろう」
彼が望むは己のモチベーション。魅力ある題材。
幸いにも冬木教会は長期不在の神父の親が残した聖杯戦争の資料がある。
それをこっそり拝借する分ぐらいは、役得として認められるべきだ。
宝具を使うのに良い題材になるだろう。
「それで、キアラ。確認するが、追加で召喚されるサーヴァントを抑えたら俺は晴れてお役御免ってことだな?」
「何をおっしゃるんですかアンデルセン。私のサーヴァントは貴方だけですわ。私のようなか弱い女が、はぐれサーヴァントと交渉してマスターになれるはずもありませんわ」
「どうだか。お前の魔術なら十分にサーヴァントを戒めるに足ると思うんだがな。亜種聖杯で召喚されるサーヴァントは元がどんな大英霊でも能力は十全ではないのだろう?」
それは致し方ない事。
元から英霊を使い魔のレベルにまで落とし込み、召喚できるというのがそもそも人の手に余るのだ。
そのシステムを模倣できること自体が驚くべきことである。
たとえ、亜種聖杯を作るのに魔術師どれだけ犠牲を払っていても、おかしくない。
屍を積み上げて作られた山、その頂点にある亜種聖杯をもぎ取りに行くような物だ。
「まあ、お前が新しいサーヴァントを手に入れようと手に入れまいと、俺のやることは変わらん。ではキアラ、俺は部屋に籠る。マスターが来たら適当に相手をしてくれ」
言い捨てたアンデルセンは教会から中庭を通りどこかへと姿を消してしまった。
ギルガメッシュは召喚されて早々に飽きていた。
聖杯に掛ける望みはないが、この世全ての物は彼の庭であり、彼の所有物である。
令呪を宿した人間にサーヴァントを召喚させるのが自分の仕事であったが、召喚させる相手は二人だけであった。
ギルガメッシュが赴く前に自力でサーヴァントを召喚したマスターには興味がない。
残る二人。追い詰められた死の淵で足掻き、苦しみ、それでも立ち上がろうとする人間こそ、聖杯を得る戦いにふさわしい。
最後にギルガメッシュ自身が彼らの前に立ちふさがるのだから。
だが二人。わずかに二人である。
最後のマスターがサーヴァントを召喚した後は、若返りの薬でも飲み最後の一人になるまで待とうとも思ったが、一人目のマスターにセイバーを召喚させた後に気が変わった。
それはなかなかに見込みのある目をした人間だった。
彼が足掻く様を眺めているのもいいだろう。
「さて、残るは一人」
ギルガメッシュは足を進める。
夜闇の中を颯爽と歩いて行く。
目的地はわかっている。最後のマスターがどこにいるのかはわかっている。
そうして、ギルガメッシュは藤丸立香の前に現れた。
理不尽な死を彼に下さんと。