Fate/Grand Apocrypha〜亜種聖杯大戦〜 作:古代魚
藤丸は自分の置かれた状況がわからなかった。
手が疼くように痛む。その痛みがいつまでも止まらない。
こんな強く手が痛む事なんて、なかったのに。
「先輩、大丈夫ですか?」
「……だい、じょうぶ……」
歯を食いしばって立ち上がる。
こんなのはどうってことない。そう言い聞かせないと新しくできた後輩の前で泣いてしまいそうだった。
そう、藤丸は穂群原学園の二年になったばかり。
なんてことはない、ごくごく一般的な家庭で育った一般人である。
そして今隣にいる少女、マシュは藤丸の家の隣に引っ越してきたうえに、今日から同じ学校に通う正真正銘の後輩である。
知り合ったばかりに情けない姿を見せたくない。
しばらく蹲って呻いていると、唐突に痛みが引いた。
まるで急に波が引いたよう。
ホッとすると同時に痛みの原因は何なのか手を見ると、甲に赤く光る紋様が浮かんでいた。
「何だ、これ」
「……先輩。本当にご存知ないのですね」
酷く緊迫した様子でマシュは呟く。
表情は曇り、藤丸の事を心配しているように見えた。
「それは令呪という代物よ」
突然知らぬ声が聞こえてきた。
声からして人に命令することに慣れきった様子。
誰かの下についたことのない男の声だった。
「貴様が最後の一人だぞ、雑種」
突然そんなことを言われても藤丸は困ってしまう。
この男は一体何者だろうか。
ようやく街灯の明かりで見えた男は、現実にいるのか信じがたい姿をしていた。
「サーヴァント……!」
「……ふむ。ああ、興味深い存在ではあるが今回は貴様に用はない。失せるがいい、女」
マシュを無視するかのように、刺すような視線が藤丸に突き刺さる。
だが藤丸は何もできない。自分の置かれている状況がわからないのだ。
ただ、理解できるのは自分の命が危ういらしいこと、そして下手をするとマシュが巻き込まれてしまうと言う事だけだ。
いや、巻き込まれるというならもう既にマシュは巻き込まれている。
今だって、マシュは男に威圧されて動けない藤丸の前に立とうとしていた。
「貴方が私に用がなくとも、私は聖杯戦争について貴方に聞きたいことがあるのです」
死の恐怖に震えることもなく、それはどこか浮世離れをした響きだった。
「ほう。どこかの魔術師の使いか。調査を貴様に依頼したというところか。令呪を宿していれば対話に応えてやれたものを。だが、マスターでもなく、死への恐れも持たぬ者に我は用はない。疾く失せよ」
「できません」
頑なに藤丸の前に立つマシュを、男は手に持った錫杖で薙ぎ払う。
鈍い音。視界から消えるマシュ。酷く現実が藤丸から遠ざかった。
「マシュ!」
すぐそこに理不尽な死が待っている。
そんな状況だというのに、先ほどまで動かなかった身体は動く。
藤丸はそこにある死の威圧も忘れたかのように、マシュへと駆け寄った。
「せん、ぱい……にげて……」
「逃げるのかと思えば、女の心配とはずいぶんと余裕よなぁ、雑種」
マシュは身体を打ち付けたのか立ち上がろうにもできないでいる。
もう動かなくていい。マシュは藤丸に巻き込まれた立場なのに。
鋭い風音。大地を揺るがすと錯覚した一瞬後に、アスファルトが砕かれ、武器のような物が突き刺さっていた。
「なっ……!」
少しでも動いていたら藤丸の命はなかった。
強張らせた視線を武器のような物が飛んできた方向へ向けると、黄金の輝きが無数に中空へ浮かんでいた。
その中央に立つのは錫杖を持つ男。
左右対称に展開された黄金の輝き、それぞれの中心から白銀の切っ先が覗いている事だけはわかった。
全て藤丸に向けられたそれは、たやすく藤丸の命を消し炭にしてしまう。
「マシュ、逃げて」
少しでも自分が逃げるそぶりを見せたらあの男はすぐにあの武器たちを撃ち込むだろう。
それぐらいは簡単に予想が出来た。
だからマシュだけは助けないとと藤丸は思った。
「せんぱい……だめ、です……」
マシュは起き上がろうとして、けれども動けないようだ。
「まだサーヴァントを呼ばぬか。ならばもう良い。消えるがいい」
無慈悲な宣告。
死が、理不尽な死が迫って来る。
逃げることも出来ず、後輩を逃すことも出来ず。
けれど藤丸はただ一つの選択をした。
マシュを男から庇うように覆いかぶさり、彼女の手を取る。
もうこれぐらいしか今できることがなかった。
――その瞬間、閃光が藤丸の目を強く焼いた。
反射的に目をつぶった藤丸だったが、いつまで経っても自身を貫くはずの痛みはやって来なかった。
その代わり、紋様の刻まれた手の甲が熱く、目を開くと闇の中紋様だけが赤く輝いている。
盾のように見える紋様は脈動する。何かに呼応するかのように。
「やああああ!」
気合一閃。その声はマシュの声に似ていて。
いつの間にか手の中から彼女の温もりが失われていて呆然とした。
「はっ! やっ!」
金属が金属を跳ね返すガキンガキンという音に反応して、藤丸は背後を振り返る。
それは不思議な光景だった。
大きな黒い盾を構えたマシュが舞い踊る。
盾と同じ色の鎧に身を包んで。
その度に、男が撃ち出す武器を弾き飛ばしていく。
「ふはははは! そう来たか! 此度の聖杯戦争は実に愉しみ甲斐があるというもの。雑種、そのような面白き召喚を成立させたのだ。もっと我を愉しませろ」
何度かマシュが武器を跳ね返した後、急に男は退いた。
唐突に。本当に突然に。男は消えてしまった。
最後に言った不穏な言葉を聞く限り諦めたわけではなさそうだ。
けれど、マシュはどうしてしまったのか聞く必要があった。
「マシュ!」
「先輩、お怪我はありませんか?」
「怪我はない、けど……これはどういうことなんだ?」
曖昧な言葉で質問する。
他にどう問いかけたらいいのかわからなかったのだ。
だって、こんなの知らない。
男は消えて、アスファルトを削った武具は消えても、傷ついた部分はそのままだ。
自分がまるでおとぎ話の世界に紛れ込んでしまったかのように感じる。
「私の事ですか? 先ほど先輩のサーヴァントとして私の身体に英霊が宿ったようなのです」
「サーヴァント……英霊……?」
「あ、先輩は何も知らないんでしたね。私が説明します」
それからマシュは聖杯戦争のことを説明してくれた。
何でも、マシュ自身、聖杯戦争の調査の為に来日したのだそう。
本当は一般人である藤丸の知らない所で始まるはずだった争い。
だけど何を間違ったのか藤丸がマスターになってしまった。
「先ほど、先輩を、藤丸先輩に襲いかかったのもサーヴァントです。本来サーヴァントはクラス名で呼ばれます。真名が明らかになると弱点もわかってしまうから。ただ、あのサーヴァントが何のクラスであるのか全く分かりもしませんでした」
「へぇ……」
「英霊は過去の自分の死因に弱いことがあるんです。ですから、隠ぺいします。自ら真名を明かす英霊があるとすればよほど強い英霊か、戦えないサーヴァントでしょう」
「マシュは? マシュの身体に宿ったとかいう英霊は――」
藤丸の疑問にマシュは残念そうに首を振った。
「残念ながら私は自分に召喚された英霊の情報がわかりません。おかしな召喚のされ方でしたから。けれど、クラス名はわかります。私のクラスはシールダー。盾の英霊です」
「そっか」
マシュの鎧が元の服へと戻る。
何でも一時的に魔力で被せてあるので、こういうことも出来るのだとか。
本来ならこういう風な服の変化はサーヴァントではできないそうだ。
あの鎧のまま移動するなんて夜ならともかく昼間は大変だろう。
「本当に、すみません。私、先輩のサーヴァントとしてお役に立てるように頑張ります」
「オレの方こそマシュに恥じないようなマスターになれるように努力するよ。ひとまず帰ろう。オレも少し混乱している。明日、学校かどこかでもう少しじっくり話をしたい」
これが藤丸立香とマシュ・キリエライトの契約の瞬間。
この時から彼らの聖杯戦争は始まりを告げたのだった。