内気はそこにいる。
オレの目の前にいる。
カチカチとキーボードが鳴る。
規則乱して鳴り響くタイピング音は音楽のような不思議で、目を閉じて聞き入ってしまう。
タイピングの音と微かに漏れる吐息だけ。それ以外には音のない部屋の中。
不規則なタイピングは途中で鳴り止む。
指を止めて、首をかしげて考え込む。
暫くそのまま。
やがて上手くまとまらなかったのか、頭を抱えてため息を吐く。
その姿を見てオレもため息を吐く。
負けず嫌いということでもあるまいて。
しかし、長年にも抱えてしまった憧れとコンプレックスが妙な配分で混ざり合ってしまったもので、他者を頼ることを逃げと捉えてしまった可哀そうな状態だ。
憧れる背中は大きい。
身内であるが故にコンプレックスも大きい。
それも姉妹だ。
出来のいい姉を持ってしまったことが可哀そうだ。
オレは一人っ子だからいいけど。
姉への高い評価は同時に周囲の期待につながる。姉があれほどのものであれば妹だって負けずとも劣らない才能を持っているのではないか。
知らない人間の知りたくない期待感を前にして、追いつけないと恐れた妹がコンプレックスを抱えてしまうことなんて当たり前かもしれない。
その結果がなんでもいいから、どこかで姉を負かしたいと思ってしまうことだ。
専用機の開発。
これを自身単独で初めから仕舞いまでやってのけると作業に没頭しているのが更識簪だ。
没頭しすぎて周囲がおろそかになるほど。
缶コーヒーが簪の傍に置いてあるので、それをお汁粉と取り換えてみた。
缶コーヒーはオレが美味しく頂きました。ブラックは苦い。
簪の方はまさかの甘味に吹き出していた。
「……甘いぃ!?」
慌てて缶のラベルを確認してすぐさま周囲を警戒し始める。
「ちわーっす」
バレるならば堂々と。
「いつから居たの」
「二時間前から」
「……一時限目の授業が始まった頃。サボりじゃない」
「そして今は三時限目の最中だ。つまり簪もサボり。と言っても来たのは一時間前だから最初の授業はきちんと受けたみたいだな」
簪は首をかしげる。
「あれ? 私が来たときには確かに誰もいなかったはずなのに」
「いないと思い込んで見逃したんだろ」
「確かにサボる人なんていないと思ったけど」
「先入観じゃん。人間の悪い癖だな」
「声かけてくれればいいのに」
顔を真っ赤にしてぼそぼそと喋る簪。
集中している姿を見られるのを恥ずかしいと思うのが簪だ。注目を得意としていないタイプ。
「声かけ辛い雰囲気だから息を殺して生きてたのさ」
「……駄洒落のつもり?」
「んなわきゃねーさ」
「……まさか姉さんに何か言われて来たの? だとしたら帰って」
「いつもいつも楯無様様じゃないんだぜ。余暇を楽しむことを目的に朝から居ただけさ」
「授業があるのに……余暇?」
「ま、気にしないことで」
今日はサボりたい気分なだけだ。朝から気分が乗らずにモヤモヤしたままでは授業なんて入ってこない。
別に楯無から妹の様子を見てきてくれと言われたからではない。断じてそのようなことはない。
実際にそんな指示はなかったのだが、たまたま簪がパソコン片手に教室とは真逆の位置に向かっていくのが気になっただけだ。
つまり嘘ついた。
初っ端から授業を捨てたわけじゃない。
「でさ。何をしてんのさ?」
「どうせ、知ってるでしょ」
簪はノートパソコンに向かい合う。作業再開は意識半分でしか相手をしないと宣言しているようなものだ。要は邪魔だから出ていけ。
簪は人付き合いが苦手だ。
知り合いといえど集中しているところに人がいることを無視しきれない。
「織斑一夏のISに割かれていた人員は戻ったんだろ。ソイツらに任せ直すのが一番じゃないか。餅は餅屋さ」
張り合うべき相手じゃない。
暗にそう言ってみたが、簪はディスプレイから目を離さない。
「これは私一人で完成させてみせる」
決意を口にした。
まるで自分に言い聞かせるように。
分かっているのだけど止められない。勝てないと理解しているのに勝ちたい。
簪は一心不乱にタイピングを続ける。
何かしらのデータを打ち込んでいるのか画面上では文字や数字が出たり消えたり忙しない。
ふと、思い出したように簪が顔を上げる。
「あ……ありがとう」
顔を真っ赤にする簪。
可愛い。本音ほどじゃないけど。
「でも、それでも、続けるから」
通じたけど受け入れられなかった。
「そうか。じゃあコイツをやろう」
缶コーヒーを投げ渡す。
仮にも更識な簪はインドアな雰囲気に反してしっかりとキャッチした。
「安心せい。無糖じゃ」
「うん。わざわざありがとう」
「身体壊すなよ」
「分かってる」
さっそく缶コーヒーを口にする簪の顔はさっきよりも柔らかい気がする。
「そのコーヒーはIS開発の手助けだから気にすんな」
「ごめん返す」
惜しい。共同開発者を拒否された。