それから、難しい漢字が並んだ資料に目を通すも、提督はどこか上の空で仕事どころではなかった。戦闘訓練も初めは提督直々に指導するように言われているし、彼女たちが人間の生活に慣れるまで少し時間がかかるだろう。どこから手をつければいいか困惑している所へ、吹雪が一枚の電報を持ってきた。
「明日、総理ムカウ。盛大ニ歓迎セヨ…か」
「ど、どうしましょう」
司令室は足の踏み場も無い位に荒れ放題、小さな無人島にある鎮守府は建てたばかりだが、周りに生えた雑草の撤去のこともやらなければいけない。
「全員、グランドに集合するように伝えてくれないか?」
「は、はい!了解です」
バタバタと駆け出す吹雪の背中を見送った後、先ほどつい『「C」クラス』を付け加えようか迷ってしまった。左ポケットに入れている地下地図を上から手でなぞる。「A」クラスの娘たちが寂しい部屋に閉じ込められている。敵か味方か、判断するのはいつだって若い者たち。自分のことで落ち込んでいられない。両足に力を込めて前を向いて歩くだけ。窓の外で、しゃがんで草むしりをする艦娘の様子を一瞥して司令室を後にした。
この鎮守府にはエレベーターが何故か存在せず、長い階段を薄暗い明かりの中一人で文句を吐きながら降りて行くと開けた場所に出た。映画などで見受ける牢獄、そのイメージが今、目の前にある。
「やぁ、ココに来るの随分と早かったね」
「…重森さん」
どうしてここへ?、と言いたい気持ちを飲みこんで一歩、歩み寄る。
「探し物はコレかな?」
じゃらり、と取り出されたソレは、おそらく閉じ込められている部屋の鍵。
「タダで譲ってくれませんか?」
「君の噂は前から聞いていたよ」
「…」
「凄いね、配属される部隊での輝かしい活躍、それも作戦成功率100%なんて。学力もかなり高いみたいだし、将来は何でもなれただろうね」
「…何が言いたい」
「戦争に勝って欲しくないんだよ、私は」
年齢を感じる顔の中に激しい闘士を宿した瞳を向けられる。
「じゃあ、俺にどうしてほしいんだ」
「彼女たちの幸せを」
そう言って鍵を俺の方へ投げた。
「ど、どういうことだよ!?」
手元の鍵から重森の方へ、ふと目をやると切ない表情が見て取れた。それはまるでキリストに懇願する弟子の様で、今にも土下座されそうな雰囲気を感じる。それに耐えきれなくなった俺は逃げるように「長門」と書かれた扉の前に立って鍵を開ける。扉に近付く前、すでに部屋から嫌な空気を感じていたが重森さんと対面するよりマシだろうとこの時は思っていた。
「くさい匂いだ」
「よ、よう。はじめましてだな」
予想していた世界と違うというか、色々衝撃的で思わず動揺してしまう。中は外より明るく、布団も…というか一人部屋なのに二段ベットが置いてあるし。テレビだって薄型の物が備わってて、
「快適だなココは」
「人間が私の前で喋るな」
長門と勝手に名づけられているが深海棲艦の時の名前もきっと憶えているだろう。でも、だからといって前の名前で呼ぶとしても他の艦娘への影響を考慮するなら「長門」と呼んだほうがいいだろう。
「なあ、お前の名前なんだが、何て呼べばいい?」
「喋るなといっただろう!」
「…」
「今、大事なところなんだ」
ピコピコピコ
彼女の手にはコントローラーが握られていて、視線はテレビ画面に釘付けである。どうしてこうなった。血生臭い展開を覚悟していた自分が馬鹿らしくなってくる。頭を抱えながら彼女のゲームが一区切りつくまで取りあえずその場に座って待っていた。
長門のほかに「A」クラスは今のところ三人いる。「那珂」と「暁」と「響」だ。重森さんに頼んで四人全員と話し合いたいと頼んだところ快く引き受けてくれた。
ちゃぶ台のような机を挟んで早速本題から突っ込んでみる。
「これから何がしたい?」
とあるゲーマーもどきは言った。
「戦争には興味ない。だが戦車ゲームには興味ある」
はい、次。
「那珂ちゃんはねぇ~アイドルになってみたいかも~」
今のままでも十分だよ、次。
「ハラショー」
日本語で頼みます、次。
「なんだか喉乾いたわ。何か持って来てよ」
長い溜息をついて頭を机につける。戦争に巻き込まれて仕方なく戦場に駆り出された彼女たちは幸か不幸か、またこうして命与えられて過ごしている。
「じゃあなんだ、人間のことは殺したいほど憎んではいないのか?」
「確かに仲間を傷つけたり殺されたら何倍にして返すが、コチラから進んで攻撃はしないことになっている」
「…そっか。俺ら人間が勝手に盛り上がってるだけか」
「だが、最近過激派が増えつつあるらしい。この前の日本軍壊滅はおそらく…」
目を閉じれば今でも思い出される傷だらけの記憶。俺の仲間が流した鮮血で汚れた甲板が目に浮かんでくるようだ。
でも、今の俺は、ただの船員じゃない。ここの鎮守府の提督だ。
もし仮に長門たちには内緒で他の艦娘たちを戦場に送ったとして、後でバレたらどうなるか、想像もつかない。だから長門たちに、今、決めてもらう。「敵」と戦うか、人間と戦うか、それとも…俺と共に戦うか。
「明日、一緒に総理を迎えよう」
「ちょ、ちょっと!」
重森さんが咄嗟に俺の左肩を強く掴んできた。それ以上はいけない、といった様子だ。だが俺だって選ばれた軍人だ。それなりの肝は持っていると、自慢ではないが自覚できているし、そのための力も持っている。
そして長門は、「わかった」と言って立ち上がり
「戦争が終わるのならば、この腕、どこまでも汚れてみせよう」
と声にした。その彼女たちの確かな決意が伝わって、ココに一人、更に固く拳を握る男がいた。