「今日は散々な一日です」
私ははぁー、と大きくため息を吐きました。兄さんの件がどうしても頭によぎってしまい、バイトに集中出来ませんでした。カメラマンさんからも『あやせちゃん、今日は表情が固いね。リラックス、リラックス!』と言われてしまいました。結局バイトが終了するまで、調子を取り戻すことができず、スタッフさんに『お疲れ様。まあ偶には調子悪い日もあるよね。次回は頑張ってね!』と気を使って頂く有様でした。
「シャンとしないと!」
頬に両手を叩きつけて気合いを入れます。お金を頂いている以上、プライベートな事で調子を崩してしまうようでは駄目です。今回の事は教訓として、次回はしっかり頑張ります。
頬に手を叩きつけた事で、周りから注目を集めてしまいました。う〜恥ずかしい、地元の駅だから知り合いに見られていないでしょうか? 私は逃げるように小走りで、改札を抜けだします。
まったく、全て兄さんが悪いんです。私がこんなに悩んでいる事に気付きもせず、きっと今も遊び回っているに違いありません。
噂をすれば影と言いますが、兄の事を考えていたからか? 兄の姿を発見しました。かなり前を歩いているので、向こうは気が付いていません。どうやら一人でなく、友人と一緒のようです。距離もあり後ろ姿なので、誰かまではわかりませんが、女性三人と一緒みたいです。私は早足で兄の元へ駆け寄ります。私が兄さんの事で悩んでいるのに……女の子と遊んでいるなんて、ムカムカが抑えられません。
「兄さん!!」
兄と女の子達が振り返ります。そしてそこにいたのは……
☆
やっと地元に帰って来た。やっぱりホームは落ち着くな!
夏コミではあの後もいろんな出来事があった。メイドさんにメイドのエロ同人誌を売りつけられたり。どーやら俺とメイドとは相性が悪いらしい、碌な事が起こらねえ!
黒猫が体験ブースのシスカリのゲームで、スタッフにパーフェクト勝ちをする快挙を成し遂げたり。なんと言うか次元が違うというのを、生で体験した気分だ。
コスプレスペースでは、なんとドラゴンボールのセルがいた。あれはマジヤバかった! 思わずかめはめ波のポーズで写真を撮らせて貰った。これはほんとに嬉しかった!
なんだかんだいって、まあ今回も悪くなかった訳だ。最初の方は後悔の嵐だったけどな!
もちろん桐乃達は俺以上に夏コミを満喫していたよ。こいつら一体何冊もしくは何個くらい同人誌やグッズを買ったんだ? よく金が足りるよな? 桐乃はおそらく読モで稼いでいるんだろうな? でも黒猫と沙織はどうしてんだ? 実家が金持ちなのか? そういえば、こいつらと結構遊んでいるけど、お互いの事あまり知らないな。オタク趣味の好みは知ってるのにな! ……まあ焦らなくても少しずつ知っていけばいいか、今回は黒猫がゲームの達人って分かったし!
さて、問題はこのメイドのエロ同人誌があやせにバレないようにしないとな。バレたらプレッシャーを発した妹に『兄さん?』と問い詰められるからな。あれ? そんな事を考えていたからか? あやせの声が背後から聞こえた。
「兄さん!!」
振り向くとそこには妹の姿が、もちろん幻覚や幻では無い。
「あやせ?」
妹は俺の声に反応を示さない。唖然とした表情を浮かべ、俺の隣の人物を見詰める。ここでようやく俺は現状の不味さに気が付いた。黒猫や沙織は構わない。でも桐乃は駄目だ。桐乃が俺と一緒にいるところを、あやせに見られちゃいけなかったのだ。バカか、俺は! 地元の駅近くで一緒にいたら、こうなる可能性が高いのは当たり前じゃないか。
「桐乃……」
「あやせ……」
「……ねえ、兄さん。なんで兄さんと桐乃が一緒にいるんですか?」
「えっと……それは、い、いま偶然会って……」
「それは嘘ですよね。さっきまで桐乃とそこの人達と楽しそうに話していましたよね。……兄さんは私が嘘が大嫌いって知ってますよね。ならどうしてそんな嘘を吐くんですか?」
「うう……すまない」
「謝らなくていいですよ。私に、どうして、嘘を吐いたのか、教えて下さい」
「あ、ああ……」
あやせの迫力に上手く言葉が出て来ない。
「あやせ、それはね……」
「桐乃は、黙っていて下さい!! ……いまは兄さんに聞いています」
俺が限界だと思ったのか、桐乃が説明しようとするも、あやせの叫びに遮られてしまう。こんなに怒ったあやせは初めてだ。
「それで、どうなんですか兄さん?」
「…………っ」
「黙っていたら、わからないですよ」
俺はショックのあまり、思考が停止してしまう。そんな俺の姿を見て、あやせははぁー、と大きく息を吐いた。
「わかりました……桐乃に聞きます。なんで桐乃が兄さんと一緒にいるんですか?」
俺が不甲斐ない所為で、桐乃にターゲットが向かってしまう。
「えっとね。それはね……」
桐乃は説明しようとするが、言葉が止まってしまう。俺もそうだったが、なんと説明すればいいのかわからないのだ。友人になったと真実を説明するのが正しいと思う。でもなら、なんで隠していたかが、問題になるのだ。下手をすると、桐乃のオタクバレもしてしまうかもしれない。そこまで考えてしまうと、言葉が出て来ないのだ。
「それはなんですか、桐乃?」
「それは……」
「……親友と思っていたのは、私だけのようだったんですね」
「ち、ちが……」
「なにが違うんですか!! 桐乃と兄さん知り合いですよね! あんなに楽しそうに話していたんですから! それなのに、ずっと私に隠してきて、いまも何も話してくれない。それが親友の行動なんですか!!」
「ごめん、ごめんなさいあやせ。あたし京介と友達になったの。隠していて本当にごめんなさい」
何も話せないおれ達に、あやせがついに爆発してしまう。桐乃が堪えきれず謝罪して、秘め事を認めた。桐乃の謝罪により少し落ち着いたのか、あやせが淡々とした口調に戻り、また俺に向き合い質問を続ける。
「兄さん……桐乃とは、いつから友達になったんですか?」
「……四月の終わり頃に、偶然会ってな」
「そんなに前から……私に隠していたんですね」
「あやせ、すまない……」
俺はあやせに深々と頭を下げた。
「そうですか……四月ですか……」
あやせが言葉を切り考え込む。おれ達はそれを固唾を呑んで見守る。
「……兄さん、桐乃、私にもう嘘は吐きませんか?」
「うん、あやせにもう嘘は吐かない。誓う!」
「ああ、もう嘘は吐かない」
「わかりました。……桐乃と兄さんが友人になっていたのを隠していた事は、許します」
「ほんと、あやせ! ありがとう!」
「ありがとう、あやせ。そして本当にすまなかった」
桐乃がようやく明るい顔をする。俺もほっと胸を撫で下ろした。正直もっと追求されるものと思っていたので、助かった。
あやせが修羅場に硬直していた黒猫と沙織に向き合う。
「ごめんなさい、恥ずかしいところをお見せしました。あなた達も兄さんの御友人ですか? はじめまして、京介の妹のあやせと申します。いつも兄がお世話になっております」
「こ、こちらこそいつも京介さんにお世話なっております。槇島沙織と申します」
「はじめまして、五更瑠璃です。いつもお世話なっています」
あやせが深々とお辞儀をする。それに慌てたのか、それともさっきの迫力の所為か? 黒猫と沙織が、桐乃の親父さんのとき以来の生真面目な態度を取る。
……とりあえずなんとかなったのか? 桐乃のおたくバレはしなかったし、最悪の事態は回避出来たか。俺は安堵の息を漏らした。しかしその俺の考えは大甘もいいところだった。あやせの追求はここからが本番だったのだ。
「皆さんに一つ聞きたい事があるんですが、いいですか?」
「ええ、構わないわ」
「うん、なんでも言って」
「どうぞでござ……いえ、どうぞ」
「ああ、なんだ?」
「ありがとうございます、お言葉に甘えます。実は兄の部屋からアニメのDVDとゲームソフトが出てきたんですが、それはあなた達が貸したものですか?」
「「「「…………」」」」
おれ達は一言も喋れなかった。空気が再び凍っていく。あやせの言葉は質問形式を取っているが、あれはもう確信していて発した言葉だろう。黒猫風に言うならば、言葉が断罪の刃となっておれ達を斬り付けてきた。
「あれ? 答えてくれないんですか? ねえ兄さん、あれはこの人達から借りたんですか?」
「そ、それは……」
なんて事だ、よりによってこいつらに借りていた物がバレたなんて!? 桐乃と一緒にいるところを見つかる、もしくはそれ、どちらか片方ならまだしも、両方同時なんて最悪だ。
「兄さん、桐乃、もう嘘は吐かないんですよね?」
「あう……」
「ああ……」
「それは私が全部京介に貸したのよ!」
黒猫がおれ達を見るに見かねて、庇ってくれた。しかしあやせの追求は止まらない。
「ねえ、桐乃それは本当?」
あやせが桐乃の瞳を覗き込む。桐乃はさっきあやせに嘘は吐かないと誓ってしまっている。おそらくここまでの流れを読んで、俺と桐乃の嘘を封じたのだろう。おれ達はあやせの手の平で踊らされてしまう。
「……あたしも京介に貸した」
「やっぱり……そうなんですね。違っていたらよかったのに……」
嘘を吐かないと約束した桐乃は、肩を落とし正直に告白した。それを聞いたあやせは寂しそうに俯く。
短い沈黙の後、決意した顔であやせは、桐乃達三人に言葉を告げた。
「勝手なお願いですが、もう二度と兄さんに近づかないで下さい」
「なっ!? い、嫌よ!」
「なんでござるか、それは!?」
「……本当に勝手ね、貴女に何の権利があるのかしら?」
あやせの予想外の発言に三人が反発する。
「私は兄さんの妹です。兄さん、兄さんは私がオタク趣味を嫌っている事を知ってますよね?」
「あ、ああ……だけど、いくら何でもあいつらに近づくな! は無いだろ!?」
あやせのオタク嫌いは知っていたが、まさかここまでの物とは思っていなかった。
「私は兄さんにオタクになって欲しくありません。兄さんは彼女たちと一緒にいて、まったく影響されないって言えますか?」
「そ、それは……」
いまの段階でもオタクの影響は受けている。
「それに兄さんはオタク趣味が好きなんですか? ただ勧められてやっているだけじゃないですか? 兄さんが本当にそれが好きで、自分で選んだなら、凄く嫌ですけど、ほんとに悔しいですけど、私には止められないかもしれません」
「俺は……」
「でも人から言われてやっているなら、辞めて下さい。お願いします」
「…………」
あやせが俺に頭を下げる。俺にとってオタク趣味はまだ大切では無い。最近は結構楽しめるようになってきたが、無いなら無いで別段困ったりはしない。ただしこいつらとの絆には必要不可欠な大切な物なのだ。
「さっきから聞いてれば、貴女こそ、京介に自分の都合を押し付けているじゃない!」
「妹なんだから、押し付けてもいいじゃないですか! それに貴女たちには、もうオタク仲間がいるじゃないですか! オタクじゃない兄さんを巻き込まないで! 私から兄さんを奪わないで下さい!!」
はぁ、はぁ、と声を荒げたあやせの呼吸音が、凍った空気の中で聞こえる。
「あ、あやせ、そのね?」
桐乃が場を落ち着かせようと、意を決して声をかける。だがそれは最悪の展開を招いてしまう。あやせが哀しげな瞳で桐乃を見詰める。
「桐乃……あなたもオタクだったんですね」
「えっ、そ、それは……」
「もういいんです。さっき兄さんに物を貸しているって言った時にわかりましたから、それに槙島さんと五更さんの格好と、手に持っている物でわかりますから」
黒猫と沙織の格好は、私はオタクですと全身で主張しているような姿である。さらに今は夏コミで買った紙袋のパッケージ萌えキャラが、これでもかという位にオタク色を強調している。あいつらと一緒にいて、さらに俺にアニメDVDを貸したのを認めてしまった以上、桐乃がオタクなのは隠しきれない。
「桐乃、桐乃もオタク趣味なんて辞めませんか? 私は親友として、誰よりも桐乃の凄さを知ってます。桐乃にそれは似合いません! お願いします桐乃、それを諦めて私と一緒に行きましょう!!」
あやせが心の底から懇願して、桐乃に右手を差し伸べる。しかし桐乃がその手を取る事はなかった。
「……ごめん、あやせ、それは絶対無理。あたしはオタク趣味が大好きなんだ」
「どうしても……ダメなんですか?」
「うん……どうしても」
「私より、オタク趣味の方が……大事なんですか?」
「そ、それは違う! あやせは大好き、ほんとに親友だと思ってる! でも、あたしはどっちかなんて、選べない!」
「そうですか……」
あやせの目から光が消えたように見えた。あやせが感情を押し殺した声で喋り始めた。
「さっき言いましたけど、自分で選んだなら、私には止められません。桐乃がそれを選んでしまったなら……しかたないですよね」
「あ、あやせ?」
不穏な気配を感じたのだろう、桐乃があやせに呼び掛ける。しかしあやせは、桐乃の呼び掛けに反応せず、淡々と言葉を紡いでいく。
「私はどうしても……オタク趣味を認められません。桐乃がオタク趣味を捨てられないなら……ごめんなさい桐乃、私も桐乃の事は……大好きでした。……本当に親友と思っていました」
「えっ、え?」
桐乃はあやせの言葉を理解出来ないのか、いや、理解したくないのか、混乱している。だけど俺には理解出来てしまった。やめろ、やめてくれ、あやせ! 友人をしかも、親友を、過去形で語らないでくれ! 切り捨てないでくれ!
しかし俺の希望は叶えられない。あやせは凍った表情をして、無感情な声で告げていく。
「安心して下さい、きり……高坂さん。このことは……絶対に誰にも言いませんから……それに万が一漏れても大丈夫ですよ……高坂さんが……オタクだなんて誰も信じないですから」
「あや、せ…?」
「あやせ、それ以上言うんじゃない!!」
俺はあやせを止める為に叫びながら、あやせと桐乃に割って入るべく足を動かす。
だけど俺は間に合わなかった。あやせは俺の言葉では止まらず、あやせの口から決定的な言葉が溢れ落ちた。
「私は今後あなたとはお付き合いできません。もう学校でも話しかけないでください、高坂さん」
「ーーーーーー」
桐乃が真っ青な顔で立ち尽くす。
「あやせ!!」
パシッと俺の手の平に衝撃が走る。
俺は愕然と自分の右腕を見る……あやせの頬を張ってしまった右腕を。
俺の口から思わず否定の言葉が零れ落ちた。
「これは、違っ……」
あやせが呆然と立ち尽くし、ゆっくりと俺に叩かれた頬に左手を添える。
「兄さんは……桐乃を選ぶんですね」
あやせが淡々とした口調で告げる。その言葉は絶望を感じさせる乾いた声だ。
「そんなことは……」
ないと、言ってやれなかった。その言葉を口にするには俺の右腕が裏切ってしまったのだから、俺自身がいま自分の行動を一番信じられない思いでいるのだ。
「否定してくれないんですね……兄さん」
あやせが微笑みを浮かべる。ただしその微笑みは、全てを諦めた者が浮かべる様な乾いた笑みだった。
「あーあ、まさか親友だけでなく、兄さんまで失ってしまうなんて……可笑しいですよね」
あはは、と力無くあやせが笑っている。
「違うんだあやせ!!」
俺はありったけの力を振り絞り、あやせに呼びかける。俺はただあやせと桐乃二人に親友のままでいて欲しいだけなんだ。しかしもう俺の声はあやせに届かなかった。
「あれ? おかしいな……こんなに可笑しいのに、なんで泣いているんでしょうか、私は?」
感情の限界を迎えたのだろう。笑いながら、あやせの両眼から涙が零れ落ちる。
「あやせ!?」
「近づかないで!! もう何も信じられない、嘘つき!! もうやだぁ!!」
あやせの涙を見て、駆け寄ろうとする俺を、妹の悲痛な叫びが押し留める。そしてあやせは叫んだ後、踵を返して走り出した。
ちくしょう俺は何をやっているんだ! 大事な妹を傷つけて、ふざけんな! 自分自身への怒りでどうにかなりそうだ。クソがぁ、なに呆けてやがる俺、さっさとあやせを追っ掛けるぞ!
あやせの言葉からずっと呆然と立ち尽くしている桐乃、心配そうにこちらを見つめる黒猫と沙織を一瞥する。
「黒猫、沙織、桐乃を頼む!!」
返答を聞く前に、俺はあやせが走り去った方角へ全力で走り始めた。