俺の妹がこんなに優等生なはずがない   作:電猫

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第20話

 俺が呆けていた時間は十秒程度だろう、なのにもうあやせの姿が見つからない。ちくしょう運動能力に差があるのか? もっと身体を鍛えておくんだった。分かれ道、右か? 左か? 早くも肩で息をしながら、買い物帰りだろう通行人のおばさんに尋ねる。

 

「す、すいませ、ん」

「わっ!? あんたどうしたんだい? 大丈夫かい?」

 

 息も絶え絶えの俺を、おばさんが心配してくれる。ありがたいが、いまは用件だけを素早く告げる。

 

「い、いまここを、女の子が、走っていき、ませんでした?」

「あ、うん、そうね。あっちに走って行ったわよ」

「ありが、とうございます」

 

 おばさんが右側を指差す。

 

「何かわからないけど、頑張んなさいよ!」

 

 親切なおばさんの声援を背に受け、もう一度走り出す。しかし走っても、走っても一向にあやせの姿は見えて来ない。どうする? このまま闇雲に走り続けるか? いや、あやせが行きそうな所に的を絞った方が良くねえか?

 ……よし、まずは家だ。帰っていてくれよ、あやせ! 家に向かって、走り出す。息が苦しい、脇腹が痛い、だけどそんなの関係ねえ! あんな姿の妹を放って置く位なら、どんな痛みにだって耐えてやる! あやせを見付けられるなら、フルマラソンでもしてやるよ!

 

「か、母さん、あ、あやせ、帰っ、て来てない?」

 

 俺は玄関をこじ開け、母を呼ぶ。呼吸が乱れているので、大声で呼ぶつもりが大した事がない声量になってしまう。ただ幸いな事に母の耳には届き、リビングから出て来てくれた。

 

「あんたいきなりどうしたの? って汗だくじゃない。早くお風呂入っちゃいなさい!」

 

 俺の事はどうでもいい。のん気な母の言葉が癇に障る。いや、母さんは何も知らないんだから当たり前だ。八つ当たりしてどうする。怒鳴りつけたくなる気持ちを抑えて、再度問い掛けた。

 

「あやせ、帰って、来た?」

「あやせ、まだよ? ……何かあったの?」

 

 母の声が心配そうになる。俺の様子に何かを感じたのだろう。ただ説明している時間は無いので、俺は踵を返した。

 

「ごめん、母さん。また出てくる。あやせが帰って来たら、携帯に連絡いれて」

「わかったわ。あっ、ちょっと、京介!?」

 

 母の呼び止める声が聞こえたが、構わず進む。

 次は何処に行く? 俺は自転車に跨り走り出した。

 

「くっ、そ、こ、こにも、いない、か?」

 

 俺ははぁ、はぁ、と肩で息をしながら、子供の頃よくあやせと一緒に遊んだ公園を見渡す。胸の鼓動がうるさい、足がガクガクする。心の中で『もう、諦めろ』と言う悪魔を握りつぶす。

 学校にも、近所の公園にも、商店街にもあやせの姿は見当たらない。そろそろ探し始めて一時間は経ったろうか? 太陽がオレンジ色の光を帯びて来た。早く見付けねーと、焦りばかりが募ってくる。次はどうする? 麻奈実の所に行くか?

 また走り出そうとした時に、唐突に昔の記憶が蘇る。膝を抱えて泣いている子供の頃のあやせの姿が脳裏に浮かんだ。

 

「あそこか?」

 

 俺は残った力を振り絞って、自転車を走らせた。

 石垣の階段を駆け上がり、ほどほどに立派な鳥居をくぐり抜ける。ここであっていてくれ。神社の境内の裏手に回り込む。

 いた!? あやせが昔のように膝を抱え俯いている。見つかった!! 俺は安堵と疲れの為、膝から崩れ落ちそうになった。いや、気を抜くんじゃねえ! むしろこれからが本番だ! 俺は力が抜けた膝に手を叩きつけて気合いを入れた。その音に反応して、あやせがゆっくり顔を上げた。

 

「……なんで来たんですか?」

 

 あやせは泣き止んでいたが、目は充血して、汗と涙で化粧が崩れて、酷い顔だ。

 

「なんでって、当たり前だろ!」

 

 俺はガクガクする足を引きずり、あやせに向かって歩き出す。

 

「近づかないで下さい! 兄さんは桐乃の方が大切なんでしょ!! もう放っといて下さい!!」

「…………」

「こないで下さい!!」

「…………」

「こないでよ!!」

「…………」

「こないで…ったら……」

 

 俺は妹の叫びを無視して歩き続け、あやせの正面で座り込む。あやせに目線を合わして、静かに語り掛けた。

 

「放って置けるはずねーだろ。大切な妹が泣いているんだから」

 

 また感情が高ぶったのか、あやせの瞳から涙が溢れている。

 

「そんなこと言っても、兄さんは……私をぶったじゃないですか!! 桐乃を…選んだじゃないですか!!」

「違う、それは違うんだよ……」

「何が、違うんですか!!」

「あのとき、俺はお前に、友達を切り捨てる奴になって欲しくなかったんだよ」

「…………なんですか、それ」

 

 あやせが俺から視線を逸らした。

 まったく勝手な話だ。俺は結局、自分の都合をあやせに押し付けることしか出来ない。

 

「勝手な言い分かも知れないけど、俺にとってお前は、いつまでも誇れる、自慢の妹でいて欲しいんだ」

「……ほんとに、勝手……」

 

 あやせが少し顔を俯かせた後、俺に向き合った。

 

「……私は、兄さんの……自慢なんですか?」

「ああ、そうだよ、可愛い可愛い、最高の妹だよ!!」

 

 俺は間髪入れずに、あやせに応えた。

 あやせが俺の顔をじっと見る。その瞳には、まだまだ涙が滲んでいる。

 

「ずるいです……………………いまから、兄さんの悪口を言います」

「それでお前の気がすむなら、好きなだけ言ってくれ」

「……兄さんのバカ」

「ああ」

「兄さんのアホ、ドジ」

「ああ」

「兄さんの変態、地味顔、女誑し、天然口説き魔、スケベ、あと…えっと、メガネフェチ」

「…………あ………………ああ」

 

 ……あやせの気がすむまで罵倒させてやろうとしたが、早くも俺の心が限界を迎えそうだ。最後の……もしかしてあれも見つかってしまったのだろうか?

 あやせは俺を罵倒したおかげか? 涙が止まりだしたが、今度は俺が泣きそうだよ!

 あやせがそろそろ泣き止みそうなので、ポケットからハンカチを取り出し……ハンカチが無い。……仕方ねえ! 俺は指であやせの涙をぬぐった。

 

「……兄さん……キザです」

「……うっせえ、こういう場面でハンカチを忘れてくるのが、俺らしくていいだろ!」

「ふふっ」

 

 あやせが微笑んでくれる。妹の笑顔はやっぱりこうでないとな、さっきみたいな微笑みは、もう二度と見たくない。

 いつもの様な雰囲気が戻ったことに安堵する。ただあやせの説得はこれからなのだ。まだ気を緩める訳にはいかない。

 

「あやせ、ぶってしまってすまない。頬っぺたは大丈夫か?」

「……大丈夫です」

 

 あやせの言葉通り、時間が経った為か? あやせの頬には跡は残っていない。

 

「……兄さんにぶたれたのは、いつ以来でしたっけ?」

「俺が暴力兄貴みたいな言い方するなよ。さあたぶん、小さい頃けんかして以来じゃねーか?」

「ふふっ、ええ……子供のときは、けんかしましたね」

「ああ、昔からお前には敵わなかったよ」

 

 懐かしい、俺が小六の頃までは時々あやせと喧嘩していたのだ。ちなみに小三の女の子が六年の男子を力で倒すのだから、恐ろしい。きっとあの頃からだろう、妹に頭が上がらなくなったのは。

 

「……どうして、ここが分かったんですか、兄さん?」

「……ああ、泣いているお前の姿が、あの時とダブったからな……チビ元気してるか?」

「そうですか……もう、兄さん、チビじゃなくて、モモですよ。ええもう、すっかり大きくなってますよ!」

 

 チビ、いやモモはおれ達が、ここで見付けた捨て猫だ。神社の境内の裏、ダンボールの中で、ニャーニャー鳴いているのを、子供の頃のおれ達が見付けたのだ。あの時、なんで境内の裏に行ったのかは、もう忘れちまったけどな。

 その捨て猫をどうしたかというと、まあお約束通りというか、規定通りというか、家に連れて帰って、母親に『もとの場所に返して来なさい』となった訳だ。ただこのとき、普段あまり我儘を言わないあやせが猛烈に反発し、母さんと喧嘩して家を飛び出してしまった。

 その後、俺が家を飛び出した妹を見つけたのが、この境内の裏だった。現在と同じ所で、あやせは子猫の入ったダンボールを抱えて、泣きじゃくっていたのだ。だから泣いているあやせの姿が浮かんできて、ここに辿り着く事が出来た訳である。

 ちなみにその子猫は、あやせの小学生時代の友人が引き取ってくれ、すくすくと成長しているらしい。

 

「あやせこそ、どうして、この場所に来たんだ?」

「……なんででしょう? ……もしかしたら、ここにいれば…兄さんが来てくれると、思ったのかもしれませんね」

 

 あやせが優しく微笑む。

 

「……そっか」

「あの時は……お母さんと初めて大ゲンカして、悲しくて、寂しくて…そんなところに兄さんが来てくれて……凄く、嬉しかったんですよ」

「………………なんか、照れるな…」

 

 俺が頬を指で掻いている姿を見て、あやせがクスクス笑っている。どうやらもう完全に落ち着いたようだ。

 俺は大きく息吸い、ゆっくり吐き出す。

 ……これから俺がいう事は、せっかく落ち着いたあやせの気持ちを掻き乱してしまうかもしれない。でも黒猫、沙織、そしてなによりあやせと桐乃の事を、俺は何とかしたい。

 

「あやせ……お前は何で、そんなにオタクの事が嫌いなんだ?」

 

 いままで微笑んでいたあやせの顔が、強張った。

 

 

          ☆

 

 

『黒猫、沙織、桐乃を頼む!!』

 

 そう言って、彼は妹を追いかけて走り去った。

 なんでこんな事になるのかしら、お昼はあんなに楽しかったというのに、私は運命の女神を呪いたくなる。

 目の前には真っ青な顔で茫然と立ち尽くしている桐乃がいる。

 

「……貴女……大丈夫…?」

 

 もちろんとても大丈夫なんて言える状態では無い。それが分かっても、他にかける言葉が浮かばない。

 

「く、黒猫、どうしよう……あ、あたし…あやせに、親友に………………うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 私が話しかける事によって、張り詰めていた糸が切れたのか、桐乃が泣き崩れた。

 ……親友にあんな風に言われてしまったのなら、無理は無いと思う。普段は強気に私をバカにしてくる桐乃が、酷く弱々しく見える。

 私と沙織は、そんな桐乃を抱きしめた。

 

「あ、あた…あたし……」

「大丈夫でござるよ。きりりん氏、大丈夫、大丈夫」

「わたし達はここにいるから、いまは思いっきり泣いてもいいわ」

 

 どれくらい経ったろうか? 嗚咽をしていた桐乃が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 

「……黒猫、沙織、ごめん…ありがと」

「いいでござるよ。拙者ときりりん氏の仲でござろう」

「言いたい事があるなら、全部吐き出しちゃいなさい。……今回は特別に聞いてあげるわ。貴女がそんなだと、調子狂うのよ……」

「…………うん、あんがと……」

 

 まったく、酷い顔ね。桐乃の顔は涙と鼻水で凄いことになっている。私は桐乃にハンカチを手渡した。

 

「ほら、使いなさいよ。……貴女酷い顔よ」

「……ん」

 

 桐乃がハンカチで涙を吹き、チーンと鼻をかんだ。……遠慮という事をしないわね。まあでも、ようやくらしくなってきたのかしら?

 

「……あたし、親友に…あやせに、嫌われちゃった……」

「……きりりん氏…………」

「……それに、どうしよう。あ、あたし…京介にも、助けて貰ったのに……京介にも、迷惑かけちゃった……」

 

 せっかく泣き止んだのに、また桐乃の瞳に涙が溜まっていく。

 

「落ち着きない!! 貴女の親友の件はともかく、京介の件は、わたし達三人全員の責任よ!!」

「そうでござるよ!」

「でも……」

「でも、じゃないの! それに……きっと、あの男が何とかしてくれるわ!」

「京介…が?」

 

 ……全て彼頼りというのは、とても歯痒いわね。でも彼と妹が何処に行ったか分からない私に出来る事は何も無い。……待っているだけなのは、性に合わないわ。

 それにしても京介も、とんでもない妹を持ったものね。まるでゴルゴーンの魔眼に睨みつけられた様な迫力だったわ、彼女。

 

「そうよ! 貴女の家族事情に突っ込んでいく様な人なのよ! 自分の妹の為なら、それこそどんな無茶でもやり遂げるに決まってるわ!」

「ハハッ、そうでござるぞ! あの京介氏でござるよ、きっと何とかして下さるに違いないですぞ!」

「……そうかな? ……そうよね、京介ってシスコンっぽいから…あやせの為なら、きっと凄い頑張るわよね」

 

 ようやく桐乃に少し明るさが戻った。まだ笑いは強張った無理をしたものだけれど、さっきよりは全然桐乃らしい。

 ……わたし達がこれだけ信頼しているんだから、任せたわよ、京介!

 私はきっといま、妹の為に全力で走っているだろうあのお人好しに想いを馳せた。

 




一話じゃ、まとまりませんでした。


ヤンデレあやせが浮かび上がってしまい。
ゲームの様なIFのバッドエンドをつい書いてしまいました。
反省すれど、後悔はありません。
でも苦情は勘弁してもらいたいな……

短いのでこのあとの後書きに書かれてます。
ヤンデレ、バッドエンドはいらないという人はスルーして下さい。










「あやせ!!」

 パシッと俺の手の平に衝撃が走る。
 俺は愕然と自分の右腕を見る……あやせの頬を張ってしまった右腕を。
 俺の口から思わず否定の言葉が零れ落ちた。

「これは、違っ……」

 あやせが呆然と立ち尽くし、ゆっくりと俺に叩かれた頬に左手を添える。

「兄さんは……桐乃を選ぶんですね」

 あやせが淡々とした口調で告げる。その言葉は絶望を感じさせる乾いた声だ。

「そんなことは……」

 ないと、言ってやれなかった。その言葉を口にするには俺の右腕が裏切ってしまったのだから、俺自身がいま自分の行動を一番信じられない思いでいるのだ。

「否定してくれないんですね……兄さん」

 あやせが微笑みを浮かべる。ただしその微笑みは、全てを諦めた者が浮かべる様な乾いた笑みだった。

「違う、これは違うんだよ、あやせ! 俺はただ……」
「……駄目ですよ。兄さんは桐乃を選んじゃいけないんです」

 お前に桐乃と親友のままでいてほしい、と続ける筈だったが、あやせが途中で言葉を遮り、俺に抱きついてきた。
 その瞬間、俺の腹に灼熱が生まれた。

「あや、せ…いったい?」
「ごめん……なさい。でも……兄さんがいけないんですよ。私を選んで……くれないんですから……」

 あやせが涙を流しながら、微笑んでいる。
 ああ、なんて事だ。あやせに……こんな表情させちまうなんて、兄貴失格だ。俺が見たい……あやせの笑顔は、こんな……壊れた顔じゃなかったのにな……
 俺のお腹から、熱い液体が溢れていく。腹は熱いのに、それ以外がどんどん寒くなっていく。

「これで……兄さんは、私だけの……ものですね……」
「あ…ああ、お前…だけ、の……もの…だ……」

 妹を壊してしまったせめてもの償いだ。俺はあやせの言葉を肯定する。
 最後の力を振り絞って、指であやせの涙をぬぐった。
 泣くなよあやせ、間違っちまった俺が悪いんだよ。お前は悪くないんだ。
 最後が最愛の妹の腕の中なら……悪くねえんじゃないか……

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「京介さん、しっかりして下さい!?」
「京介っ、京介っ!!」

 遠くで、誰かの悲鳴が聞こえてくる。

「兄さん、愛してます」

 耳元で、最初で最後の、あやせの告白が……
 俺の意識は、そこで完全な闇に覆われた。

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