荀シン(何故か変換できない)が恋姫的世界で奮闘するようです   作:なんやかんや

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ツインドリル

「奈何せん此の征夫、安んぞ四方を去るを得ん……」

 

曹操は城壁の上に立ち、天を見上げながら呟いた。

曹操軍は現在冀州から洛陽までへと続く関所の要塞を守っている。

袁紹軍が進軍してくれば、その一撃を受け止める役割を曹操軍は担っていた。

とは言え、曹操軍の手勢は現在3万程度。

仮に袁紹軍20万に攻められれば持ちこたえることは難しいだろう。

 

袁紹討伐を名目に集まった20万もの兵士達は消え去った。

特に先の戦いで官軍主力が壊滅的な打撃を受けたことが後を引いている。

あれで漢帝国は主力精鋭の大半を失った。

曹操の活躍を除けばほぼ一方的な敗北。

仮に袁紹軍から素早い追撃を受ければ、官軍は文字通り全滅していた可能性すらあった。

無論、曹操軍の活躍によって混乱していた袁紹軍に素早い追撃は不可能だった。

更に、曹操は拙速な追撃を迎え撃つために幾つかの策を用意していた。

あの状況下で、どれだけの効果があったかは微妙であったが、袁紹軍が陣形を崩してでも強引に追いすがってきたならばそれなりの効果を得ただろう。

もっとも、それは奇策や小細工の類であり、袁紹軍が犠牲を省みずに追いすがれば飲み込まれただろう。

袁紹軍の圧倒的な数の弩による面制圧は単純且つ圧倒的な破壊力を有している。

 

しかし、袁紹軍は追撃を仕掛けてこなかった。

官軍側としては一命を取り留めた形だが、一週間を過ぎても姿さえ見せない袁紹軍の動きは不可解であった。

事実、敗走し、要塞まで退却した官軍側は恐慌状態にあった。

延々と降り注ぐ矢に倒れていく友軍。一方的に死んでいった精鋭部隊。

その様子は官軍の将兵に恐怖心を植え付けていた。

時間を置くことで、兵士達の間には戦闘がどのように推移したか、どのように負けたか、という話が広まったのだ。

このタイミングで袁紹軍が追撃を仕掛けていればどうなったか。

官軍はまともな指揮系統も組めないままに再び潰走する事になったかもしれない。

この時、袁紹軍相手に唯一奮戦した曹操軍は鉄砲の火薬と弾を切らせていた。

銃火器を装備しているのは兵の1割である1000のみである。

だが、銃火器は曹操軍の基本戦術の根幹をなしており、戦力低下は無視できなかっただろう。

更に、皇帝を始めとする朝廷は予想外の大敗に混乱状態にあり、援軍の編成もままならない状況であった。

 

だが、結局袁紹軍は動かなかった。

斥候を放った結果、袁紹軍が河に橋を建設している事、つまり先の戦場付近に留まっているという事が分かった。

その情報を知った袁術を始めとする諸侯は袁紹軍の脅威は無い、と主張して撤退を始めようとした。

官軍の総司令官であった皇甫嵩はその動きを止めようとしたが、不幸なことに、このタイミングで朝廷から皇甫嵩の司令官解任の命が下った。

結果的に後任への引き継ぎに奔走する事になった皇甫嵩と曹操に諸侯の動きを押しとどめることはできなかった。

そのため、官軍の兵力は3分の1程度まで減った。

人事の混乱も相まって、この時、士気の低下は深刻な状況だった。

それでも、袁紹軍は動かなかった。

そして、袁紹軍は今も不気味な沈黙を保っている。

 

不動の袁紹に討伐軍に参戦した諸侯は次々と領地に引き返していった。

元々、冀州の財を狙って参戦した諸侯である。

彼らは勝てる見込みのない戦いに付き合うつもりなど微塵もなかった。

そして、袁術などは領地に帰参して間もおかずに公然と袁紹と連絡をとっている。

袁紹に漢帝国従うよう説得するためだ、と張勲は説明していたが、それを言葉通り信じるのは余程のお人好しくらいだろう。

だが、漢帝国にはそれを諌めるだけの力がない。

 

先の戦いで袁術は真っ先に逃げ出した。

それにも関わらず、朝廷がそれをまともに咎められなかった時点で漢帝国の凋落は明らかになった。

それを分かっているからこそ、袁術配下の張勲は袁紹と大々的に交渉できるのだ。

袁術の袁紹に対する個人的な確執を除けば、同じ袁家の勝利は袁術にとって悪い話ではない。

袁紹と袁術、その両者が同盟を結ぶということも十分にあるだろう、と目端の利く者達は考えていた。

そうなれば洛陽は北と南から攻められることになる。

そして、漢帝国にそれを防ぐだけの力は残されていない。

 

とは言え、曹操は袁紹と袁術が現状で同盟を結ぶ可能性は極めて低いと判断していた。

先の戦いで袁紹は圧倒的な勝利を収めた。

袁紹勢力の大半は洛陽までの道も楽に突破できると考えるだろう。

勝利の美酒を容易に手にすることができる立場の人間が同門とは言えそれを態々分け合おうとは考えないはずである。

そして、袁術の性格を考えれば、両者が短時間で歩み寄れるとは思えない。

 

更に、南方の豪族達は冀州の台頭で割りを食ってきた。

そのため、南部豪族達の袁紹に対する憎しみは強い。

袁術が明確に袁紹と組むとなれば袁術の支持母体である南部豪族からの反発は必至である。

だから、曹操は南の袁術に関しては心配していなかった。

 

むしろ、懸案は北部辺境である。

対異民族に関して失敗を重ね、辺境に莫大な犠牲を強いてきた漢帝国。

戦乱により荒廃していた辺境は冀州の経済と結びつくことで奇跡的な復興を遂げた。

冀州と距離が有るために経済的結びつきの弱い馬騰等を除けは、辺境の群雄は全てが袁紹に味方した。

辺境を守る将軍は公孫賛など忠誠心の高い人物が選ばれていたはずである。

それにも関わらず、こうした状況に陥ったことに朝廷はようやく自らが辺境からどれだけ恨みを買っていたかを理解させられた。

朝廷では袁紹に味方した辺境の将兵を寝返らせようと画策しているようだが、朝廷不利のこの状況では難しいだろう。

むしろ、馬騰らが袁紹に与するのも時間の問題だというのが曹操の考えだった。

 

そして、辺境の将兵が一斉に洛陽を目指せばそれを防ぐことは難しい。

いや、不可能だ。

兵の数だけならば問題はない。

莫大な人口を抱える司隷。

後先を考えなければ幾らでも徴兵できる。

だが、それを率いる将軍や指揮官の数が圧倒的に足りない。

漢帝国が抱える歴戦の将兵は清流と濁流の血で血を洗う争いによってその多くが命を落とした。

現状で、まともな実戦経験のある将兵は辺境に集中している。

そして、その辺境が袁紹に味方したのだ。

無論、曹操の見出した才ある者達ならば、辺境の精鋭を相手にしても十分に戦ってみせるだろう。

だが、彼女達は漢帝国存亡の戦いで数万の兵を率いるには地位が低すぎる。いくら皇帝の寵愛厚い曹操であっても、実績の不十分な部下にそれだけの大任を与えることを周囲に認めさせることはできない。

そして、仮に曹操と彼女が見出した優秀な人間に全権限が与えられたとしても辺境が一斉に進軍してくれば全てを守ることはできない。

皇帝の不興を買って左遷される形で袁紹討伐軍司令官の任を解かれた皇甫嵩。

かの老将は曹操の計らいで司隷の北部を守っているが、北西を守る将がいないのだ。

袁紹軍と同じタイミングで北西の馬騰らが動けば、洛陽陥落の危機だ。

 

しかしながら、この状況下で袁紹はそうした選択肢を採ろうとは思わないだろう。

袁紹軍と辺境軍が一斉に進軍した場合、最初に洛陽の土を踏むのは恐らく馬騰らになる。もしくは董卓か。

袁紹の配下はそう判断するだろう。先の戦いで活躍した曹操が要塞を守っている以上、如何に袁紹軍が数で勝ろうとも打ち破るのには時間がかかる。

底抜けに楽天的な袁紹を除いて、その配下はそのように判断するはずだ。

実際、曹操は袁紹軍が動きを見せない間、怯えた兵を鍛え直し、要塞の堀を深め、対攻城兵器用の火矢や油を用意した。

そして、その情報を誇張して袁紹側に流した。

袁紹側に曹操軍に打ち勝つのが容易では無いと知らしめるためである。

もちろん、如何に曹操が守りを固めたところで袁紹と協調して辺境が動けば洛陽陥落は免れない。

だが、その時、洛陽を陥落させる名誉を手にするのは袁紹ではない。

 

端的に言えば袁紹軍は勝ち過ぎた。

先の戦いで圧倒的な勝利を収めた袁紹。

このままいけば勝利の果実を独り占めできる、と袁紹達は思ったに違いない。

だからこそ、袁紹は辺境との協調を躊躇するだろう。

時間をかければ袁紹単独でも勝利は可能だと思うが故に。

目と鼻の先にある勝利が袁紹軍の動きを縛るのだ。

 

もっとも、それは凡俗の話だ。

友若、袁紹の懐刀と呼ばれるあの天才はそうした問題など百も承知だろう。

そもそも、袁紹軍が動かなかった原因は友若が反対したからだ、という情報を曹操は最近密偵から得ていた。

友若の近辺に潜んだ密偵からの情報によれば友若は当初から一貫して官軍への追撃に反対していた。その理由は、官軍への追撃が義に反するというものだ。

 

もちろん、曹操は友若の言葉をそのまま信じる愚は犯さない。

恐らく、友若は軍を進めることの不利益と混乱を知っているからこそ袁紹を止めたのだろう、と曹操は思う。

 

冀州を中心とする袁紹勢力。

その中枢を担っていた人物の内、少なからぬ者達を先の戦いで曹操軍は殺した。

袁紹の首を取れなかったことは曹操にとっての痛恨事である。

だが、袁紹勢力は頭を取られなかったまでも重臣を何名も失った事により、混乱状態に陥っている、というのが曹操が密偵の情報から得た結論である。

 

戦いの前、袁紹配下では田豊を中心とする古くからの臣下の派閥と、洛陽で袁紹に従った名のある清流派達の派閥に権力が集中していた。

この両派閥は長年協力的な関係を築いてきた。

そして、両派閥が推していたのが友若である。

友若が冀州改革に当って莫大な権力を行使できたのもこれらの派閥があったからこそである。

しかし、その一方が田豊らの死によって崩れた。

そのためこれまで強大な派閥によって押さえつけられてきた袁紹配下の野心家が動き出した。

野心家達は一様に洛陽への進軍を主張している。

洛陽へと袁紹が進めば、天下が握れると野心家達は思っているのだ。

だから、彼らは一致団結して進軍に反対していた友若を批判していた。

 

この様な状況下で軍を進めればどうなったか。

なるほど、数多の犠牲の果てに洛陽は取れるかもしれない。

しかし、袁紹が今の状況で洛陽を取って天下を握れば、その裏では配下達による熾烈な権力闘争が幕を開ける事になる。

曹操の知る袁紹にそれを抑えるだけの能力はない。

そして、諸侯は袁紹が1人で天下を握ることを快く思わないだろう。

袁紹には逆賊という汚名がある。

それは陰謀によって被せられたものだが、洛陽へと攻め込めばその汚名はそのまま真実となるのだ。

袁紹が圧倒的な力を持ち続ければ問題はない。

だが、内部闘争によってその力に陰りが見えた時、袁紹に反感を抱いている諸侯たちは一斉に動き出すだろう。

友若はその可能性を怖れたのだろう。

 

もし、曹操が袁紹の立場にあれば、間違いなく洛陽へと軍を進めただろう。

漢帝国の腐敗と混乱を一挙に解決する絶好の機会だからだ。

権力の一極集中に因る様々問題など恐れるに足らず。

曹操にはその全てに対処してみせる自信がある。

だが、それは類まれなる統率力を持つ曹操だからこそ選べる選択肢だ。

誰もが選べるものではない。

そして、袁紹は洛陽へと進むことによりもう一つ、重大な問題を抱えることになる、と曹操は見ていた。

あの友若ならば、そうした事を考えるなど朝飯前だろう。

だからこそ、友若は官軍への追撃に反対したのだろう。

 

「荀シン友若」

 

曹操は友若の名を口にした。

袁紹の懐刀。

曹操の配下である荀彧の兄。

名門荀家の長男。

冀州発展の立役者。

客観的に友若とはその様な人物だ。

 

だが、それはあくまで客観的に見た場合だ。

人の価値観が一様ではないように、友若に対する認識も人によって異なるだろう。

 

例えば、荀彧にとっての友若とはただの兄ではない。

自覚しているわけではないのだろうが、荀彧は友若の事を何時も意識して行動している。そこには言語化の難しい複雑な感情、親愛、嫌悪、劣等感、怒り、悲しみを相混ぜにした様なそれがある。

 

曹操にとっての友若もまた、一言で言い表す事は難しい。

だが、今、曹操が友若とは何者か、と一言で問われれば、超えるべき壁、と答えるだろう。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

広大かつ肥沃な大地を持つ秦や漢帝国、その歴史の一面は対異民族政策の歴史でもある。

貧しい土地に住む異民族は生き延びるために肥沃な中原を襲うのだ。

歴代の皇帝は代々この問題に頭を悩ませてきた。

始皇帝や高祖は防衛線を築くことで異民族の脅威を防ごうとした。もっとも、完全な防衛線を築くことは難しく、和解金を支払うなどの宥和政策により漢帝国は辺境を維持した。

これに対して、武帝は軍を持って異民族を打ち破ってこれを統治することで抜本的な問題解決を試みた。これは一時的に効果を上げたが、異民族の反乱頻発や防衛線の拡大は漢帝国に莫大な負担となってのしかかり、遂には武帝の獲得した領土の放棄を選択せざるを得なくなる。

後漢の光武帝は防衛線として城壁を築くのではなく、人の住まない緩衝地帯を作ることで異民族を防ごうとした。これは一定の成果を上げた。

とは言え、時間が流れると、無人の緩衝地帯は消えていき、漢帝国は異民族と向き合わざるを得なくなる。

 

曹操が生まれた時代、辺境では異民族が暴れ回っていた。

辺境の人口減少により漢帝国は防衛線を維持することが不可能となっていた。

それにもかかわらず、漢帝国が異民族を弾圧する政策を採ったことで、異民族が凶暴化したのだ。

加えて、異民族に強力な指導者が現れたことで、漢帝国は窮地に立たされた。

異民族討伐を目指した漢帝国の軍は大敗。

もし、異民族の指導者が病死しなければ、洛陽は陥落して漢帝国は滅んでいただろう。

曹操はそうした情勢を見ながら育った。

 

曹操は幼いころから周囲の人間を圧倒する才覚を示した。

教師となった者達は曹操が瞬く間に己を遥かに上回ることを理解させられるか、あるいはその才能が己を遥かに超越していることを理解できずに彼女を変わった考えを持つ一介の生徒として扱うかのどちらかであった。

そして、曹操の才を理解した人間は最早教えることはない、と去っていった。

曹操の教師を続けるのは彼女の才能を理解できない人間だった。結果として、曹操は私塾の評価であの袁紹にすら後れを取った。

 

結局のところ、天に愛された曹操にとっての師となれたのは過去の偉人や天才の書き残した書物や歴史だけだった。

その結果、曹操は漢帝国というもの事態について色々と考えるようになった。

学友が漢帝国の中での立身出世を目指して勉学に励む中、曹操は国とはどうあるべきかを考えていたのだ。

だから、曹操は漢帝国がどのような異民族対策を採るべきか、ということについても昔から考えを重ねてきた。

 

そして、曹操は、人口が減少した辺境で異民族の略奪に対応するためには質の高い優れた兵士達が必要だ、と結論付けた。

異民族の騎兵一騎に対して漢帝国の兵士は等価ではない。異民族に対向するためには数倍の数が必要となってしまう。

これでは人口の減った辺境を守れるわけがない。

仮に、辺境の人口が減少していなかったとしても、防衛線の維持には莫大な費用が必要となる。その負担に代々漢帝国は苦しんできたのだ。

兵数を増やすことは短期的な対策にはなっても長期的な問題解決はできない。

だからこそ、漢帝国には異民族と真っ向から戦える精強な兵士達が必要なのだ。

優秀な兵を育て上げるには費用がかかるが、兵士として多くの民を動員すれば、田畑が荒れることとなり最終的な負担は大きくなってしまう、と曹操は考えたのだ。

 

この様に、私塾において曹操は漢帝国の持つ様々な問題に対する解決策を考えた。

そして、その思考はやがて野望へと変わる。

統治能力を喪失した漢王朝に代わって自らが立つ。

大胆にも曹操はその様に考えるようになった。

 

現実を見据えずに迷走する漢帝国。

漢帝国の制度や構造によって引き起こされた数多の問題。

私利私欲に走る官僚。

宦官の暴走を許す皇帝。

民草に伸し掛かる重税。

清流と濁流の血まみれの争い。

独立気運を見せる諸侯。

 

曹操は漢帝国がもはや長くはないと思った。

長くあってはいけないと考えた。

もちろん、曹操などの優秀な人間がいれば漢帝国の延命は可能だろう。

だが、延命したところで何の意味があるのか。

漢帝国の迷走を思えば、それは民草を徒に傷つけるだけだ。

 

今の漢帝国は皇帝、外戚、濁流、清流、豪族、名士等の様々な勢力が複雑な対立関係を構築しており、互いの足を引っ張り合うことに終始している。

漢帝国が抱えている無数の問題を解決するためには大きな改革が必要になるが、そこには必ず利害関係から対立する者が現れるだろう。

長い時を得て築き上げられた複雑に入り乱れた関係は生半可な事では断ち切れない。

だからこそ、曹操は漢帝国に代わる新たな国が必要だと考えた。

現状ではどうやっても問題解決が不可能である以上、他に道はない。

 

そして、その国を創るのは自分をおいて他に居ない、と曹操は内心で結論したのだ。

自らこそが万民を救い、導くのに最も相応しい、最も優れた『王』の器だと曹操は思った。

傲慢とも受け取られかねない曹操の有り様。

だが、無数の問題が明白に存在しているにも関わらず、何もできない既存の漢帝国の在り方よりは遥かにましだ、と曹操は考えたのだった。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

荀シン友若。

曹操をして天才と呼ばざるをえないかの人物は、金融という全く新しい概念を発明した。

その新しい概念に基づく幾つもの制度によって冀州経済を飛躍させた友若は次に辺境をその経済圏に取り込んだ。

その結果、異民族の跋扈を許していた辺境は急速に安定を取り戻していった。

冀州を中心とする経済に組み込まれた異民族が大人しくなったからである。

恐らくかなり早い段階から友若は辺境を冀州の経済圏に取り込むことを考えていたはずである。

冀州での毛皮を使った服の流行、酪等の異民族の食材を利用した料理の広がりは主に友若によって推し進められた事を曹操は密偵からの情報で知っていた。

明らかに、友若は異民族との交易活性化を目論んでいたし、実際に交易は拡大していった。

これを偶然と考えるのは余りにも呑気だろう。

つまり、冀州の経済が拡大した結果、辺境の異民族が大人しくなったのは偶然ではない。

袁紹はともかく、友若は最初からこの結果を予期し、そのようになるよう事態を導いたのである。

 

結果として、友若は辺境に平和をもたらした。

軍によってでもなく、和睦金を支払うのでもなく、経済という機構に異民族を組み込むという方法によって。

そして、この平和は漢帝国や辺境に負担をかけるどころか、利益をもたらした。

利があったからこそ、辺境は異民族との関係を変えることができたのだ。

 

様々な勢力の利害関係が入り乱れた漢帝国において、物事を変えることは非常に難しい。

辺境のように軍を維持するために莫大な資金がつぎ込まれる場合は特に困難となる。

辺境の軍を縮小することは、軍人として生活の糧を得ている兵士達の収入を奪うことになる。

また、宦官や官僚にとって辺境とは着服や賄賂を行う収入源であった。

だから、これまで異民族との講和を推し進める類の試みは失敗続きだったのだ。

講和が成功すれば、辺境に投じられる予算が削減されるからである。

 

これに対して、冀州経済と結びついて異民族との交易を推し進めることは、辺境で収入を得てきた関係者に今まで以上の利があった。

漢帝国の歳入をはるかに超える規模の冀州経済。

その冀州における毛皮の流行により、毛皮を求める莫大な冀州資本が辺境に投じられていたのである。

異民族との交易拡大は様々な雇用を創出したし、税収の増加も容易に予測された。

漢帝国が辺境に投じる予算を絞っていたこともあって、辺境の諸侯はこぞって異民族との交易拡大に舵を切った。

官僚達や豪族達にしても依存はなかった。関税や交通税による収入増加が容易に見込まれたからである。

辺境の民にしてみても軍人以外の雇用創造は喜ばしいことだった。

各勢力の利害関係の一致を見たことで、辺境はその在り方を大きく変えた。

おそらくは、友若の思い通りに。

 

友若によってもたらされた辺境の平和は無数の問題を孕んでいる。

交易によって異民族は漢帝国の政情等を今まで以上に容易に手に入れられるようになる。

更に、異民族は交易によって得た貨幣で武器を買い揃える事もできるようになるだろう。

そうなれば、潜在的な辺境の脅威はより一層増すことになる。

現在の辺境が平和に落ち着いているのは、異民族もまた戦いに疲れていたからだ。

だが、交易によって異民族の力が回復した時、異民族が大人しくしている保証はない。

 

また、平和維持を交易の利益によって行う以上、異民族との取引規模は一定規模に維持しなければならない。

平和によって異民族の数が増せば、さらなる交易拡大が必要にある。

だが、異民族の主な輸出品である高級な毛皮を購入できる富裕層や中間層は漢帝国全土を見回した時、それほど多くはない。

冀州の毛皮流行が終われば、異民族は売るものがなくなって、交易で食っていくことが不可能となる可能性すらあるのだ。

そうなれば、異民族は再び略奪を行うようになるだろう。

だから、友若のやり方で平和を維持するのであれば、漢帝国は需要にかかわらず毛皮の購入を続けなければならない。

短くとも、異民族が漢帝国に対して毛皮以外の輸出品を見出すまでは。

そして、それを可能とするには冀州以外でも商業を奨励し、商人や職人の力を強くして毛皮を購入可能な富裕層を増やすとともに、毛皮の需要を増やすように動き続けなければならないのだ。

 

これ以外にも、問題や何れ問題となるだろう要素は無数にある。

だが、それでも曹操は認めざるを得なかった。

友若の異民族対策。

それが曹操の頭にあったそれを上回っていることを。

交易による武器を交えない辺境の平和維持は曹操にとって盲点であったのだ。

いや、この広い漢帝国を見回したところで友若と同じ考えを思い描いた人間は居ないだろう。

それほどまでに、友若の成した事は革新的であった。

 

そして、今なお、漢帝国は変貌を続けている。

冀州の発展は自ずと他州にも影響を及ぼし、官僚の在り方や商人や職人の地位向上、交通路の拡張など様々な面で構造的な変化を引き起こしている。

それは今までとは全く異なる国家のあり方を生み出そうとしていた。

果たして、この変化が友若の意図したものであるか否か。

曹操はこれをそうであると判断した。

友若の一連の政策の完成度と革新性を思えば、友若が始めから新たな国家の在り方を脳裏に描いている可能性は極めて高い、と曹操は考えたのだ。

 

曹操は友若の国家の在り方を描く才能を自らよりも上であると認めた。

だが、それは曹操にとって看過できないものだった。

 

特定の分野においてならば、曹操を上回る者は多くいる。

個人的な武について言えば、曹操は夏候惇や夏侯淵を下回っている。

人物鑑定眼に関しては荀彧が上回っている事を曹操は認め、それでよしとしていた。

発明に関してなら李典は曹操を上回る才能を示す。

あらゆる事に精通している曹操だが、その道を極めた天才に勝てるわけではない。

だが、それは問題にはならない。

曹操は自らの役割を『王』として自認していたからである。

『王』である曹操はあらゆる分野に関して判断を下す必要があるから、それぞれに関して理解していることが必要だ。

だが、それぞれの実行に関しては才ある人間に任せれば良い。

もちろん、人手が足りなければ、曹操は率先してあらゆる実務を行う。それを行えるだけの能力を持っている。

だが、より優れた者がいるならばその者に任せたほうが良い、と曹操は合理的に考える。

荒っぽい言い方をすれば、曹操にとって『王』の本来の責務は決断をする事だけなのだ。

 

そして、その決断とは国家の新しい在り方を定めることである。

これを定めるのが国家の創始者としての『王』の役割である、と曹操は考えている。

だからこそ、曹操は友若の描いた国家が自らのそれよりも優れていることをそれで良いと認めるわけには行かなかった。

最優の『王』を自認する以上、曹操が描く国家のあり方というのもまた、誰のものよりも優れていなければならない。

一方で、ずば抜けた理解能力を持つ曹操は友若のそれが革新的であり、尚且つ有効であることを認めた。

 

生まれてから、『王』として立つ、と内心で誓ってから、一度たりとも自らに優る存在を見たことのなかった曹操。

彼女にとって友若は『王』としての土俵で彼女に土を付けた初めてであり唯一の存在だった。

自らと対等となりうる存在としてではなく、自らを上回る存在こそが友若だった。

 

だから、友若の才能、その天才性に気がついた時、曹操は荀彧に命じて無数の密偵を友若の近辺に放ってその動きを調べた。

また、荀彧に昔の友若の言動を尋ね、その詳細を聞いていた。

友若の言動。

その一つ一つを吟味して、曹操はその背後にある意図を読み解こうと試みた。

曹操は自らを上回る友若からできる限りの事を学び、盗もうとしたのである。

ある意味で、友若は曹操にとって初めての本当の意味における師であった。

 

そして、曹操は書物では決して学ぶことのできなかった無数の画期的な知識を手に入れた。

哲学や数理、経済に関する新たな知見、銃火器や双眼鏡に代表される新たな発明。貨幣ではなく証文を使った取引形態や規格化による生産工程の分業化の可能性。

それらは確実に曹操に新たな力をもたらした。

そして何よりも、友若が当たり前の様に言い放った数多の言葉の背後に曹操は確かな国家像を見た。

 

友若から学び、模倣し、その叡智を盗むことに曹操は何ら躊躇を覚えなかった。

友若を前にした時、曹操は『王』ではなく挑戦者だったのだ。

曹操は曹操孟徳であるために、能力の限りを尽くして友若を超えなければならなかった。

 

また、曹操自身、友若を超えたいと心の底から渇望していた。

嘗て、曹操はこれほどまでに勝利に執着したことはなかった。

彼女にとって自らの優位は当たり前のものとして存在した。

だから、曹操にとって勝利とは当たり前のものであり、だからこそ万民に恥ずるところのない完璧な勝利でなければ意味が無いと思っていたのだ。

 

しかし、その勝利が当たり前でなくなった時。心の底から自らの敗北を認めざるを得なかった時。

曹操は勝ちたいと強く思った。

曹操を信じて、従う才ある配下の為に。

自らの信じる新たな国家の為に。

 

そして何よりも、曹操自身が心から勝利を欲していた。

並ぶ者の居ない圧倒的な才能を持って生まれた曹操。

生まれ持って与えられた翼に意味があるとすれば、それは友若という巨人を超える事だ、とすら曹操は思った。

曹操をしてなおその頂を見通せない友若という大山。曹操が生まれ持った才能の限りを尽くしてもなお届かないかもしれない天才。

その存在に曹操は心の何処かで歓喜していた。

自分は友若に打ち勝つために生まれたのだ、と曹操は心の底から思う。

友若を超えて初めて曹操は本当の意味での『王』となれるのだ。

 

「荀シン」

 

曹操は再び友若の名前を口にした。

曹操は着実に友若と同じ高みへと近づいている。

その自覚が曹操にはあった。

だが、果たして友若と並び立つ領域まで行き着けるのか。

友若を超えることが叶うのか。

その保証はない。

曹操はそれに焦りを感じる反面、心のどこかで喜ばしく思っていた。

敗色濃い大敵を打ち破っての勝利はきっと曹操に心からの満足をもたらすだろうから。

何よりも生まれ持った才能を十全に振るう機会を想像すると曹操の心は震えた。

 

「お呼びですか、華琳様」

 

曹操の背後から声がかけられた。

振り返ると荀彧が立っていた。腕には幾つもの書簡を抱えている。

官軍の敗北から今日まで荀彧は敗軍の再編に追われていた。

 

「ええ、桂花。兵士達の訓練や物資調達、全て滞り無いようね。よくやったわ。流石は桂花ね。これなら袁紹幾ら兵を引き連れてきたところで十二分に耐えられるわ」

「あ、ありがたきお言葉です、華琳様ぁ!」

 

曹操は荀彧を褒めた。

実際、荀彧の働きは見事なものであった。

諸侯が次々と抜けていく中、兵士達に対しては夏候惇を始めとした曹操配下の武将に訓練を施させて士気向上を目指し、商人や近隣の豪族と交渉することによって食料や武器などの物資をかき集め、火薬の材料を買い集めたその中心人物が荀彧であったのだ。

その間、曹操は恐慌状態にある洛陽からの使者を宥めすかすことに大半の時間を費やさざるを得なかった。

その事を歯がゆく思う反面、曹操は荀彧という得難き名臣の価値を改めて嬉しく思っていた。

 

「ともかく、これで何とか防衛の準備は整った。だから、そろそろ次に向けて動かなければならないわ」

 

曹操の言葉に荀彧は緩みきった顔を引き締めた。

 

「引き継ぎは直ぐにでもできるわよね?」

「はい、華琳様! 私の部下で残りは問題ありません」

「素晴らしいわ、桂花。では、休みもなくて悪いのだけれど、早速働いてもらうことになるわ」

 

曹操は荀彧から顔を逸らして視線を城壁の外へと向けた。

視界には映らないが、その先には冀州がある。

 

「私は洛陽へ向かわなくてはならないわ。皇帝から度重なる要請をこれ以上無視することはできないし、袁紹が朝廷と交渉をしようと動き出しているのだから。だからこそ――」

 

曹操は振り返って荀彧の顔を見た。

その顔は普段よりも硬くなっている。

 

「桂花、貴方は袁紹の下へ向かいなさい。風も連れて行きなさい」

「は、はい!」

 

曹操の言葉に荀彧は緊張した顔で頷いた。

その目に微かな怯えがあることに曹操は気が付いたが、彼女はそれを無視した。

 

「桂花。貴方には全権を任せるわ。状況の変化に応じて自由に動きなさい」

 

曹操は未来に思いをやりながら荀彧に言った。

 




見所:華琳様「縛りプレイ止めました」
次話:妹様withPK

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