荀シン(何故か変換できない)が恋姫的世界で奮闘するようです   作:なんやかんや

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長らくお待たせしました。
……待ってる人居るんですかね?
ともかく、更新です。

毎度毎度、誤字指摘、感想等ありがとうございます。
訂正に付いては少々お待ちを。
次の更新までには何とかしたいと思います。

かなり駆け足、というか内容があれなので、折を見て訂正したいところです。
したいと思うだけですが。


けーりん5

友若と荀彧。

それぞれの付き添いとして袁紹と程昱。

この4名は結局部屋を移して顔を合わせることになった。

当初予定されていた貴賓室は友若の準備した贈り物で一杯になってしまった為である。

何も考えなかった友若が取り敢えず贈り物を全部運び入れろと命じた結果である。

まずは荀彧に贈り物を見せておかなければ、とだけ考えていた友若のミスであった。

友若と袁紹が金に糸目をつけずにひたすら買いあさった結果、贈り物の量は大きめの貴賓室に小山を作る程となっている。

そのため、友若は大慌てで話し合いの部屋を変えることにした。

運び込んだ贈り物を再び外に出すだけでそれなりの時間がかかってしまう。

そんな事をしていては荀彧達の気分を悪くしかねない、と友若は怖れたのだ。

まだ、部屋を変更したほうが荀彧の心象悪化は避けられるはずだ、と友若は考えた。

 

対する荀彧達は友若の行動を全く異なる視点で見ていた。

突然の部屋の変更。

それが意味することは、袁紹達の動向を冀州に潜む間諜達が追えなくなる可能性が高いという事である。

 

荀彧が主となって構築した諜報網は冀州の根深い所までその目を広げている。

その過程で、荀彧達は曹操以外にも袁紹の動向を探るべく幾つかの諸侯が諜報の目を仕込んでいることを知っていた。

それ自体は当然の話である。

漢帝国の実情を知る人間ならば、今後の鍵を握るのは冀州の動向であると容易く理解できる。

そして、それを理解できる人間は、何としてでもその情報を可能な限り早く手に入れておかなければならない、と当然考えるだろう。

何らかの形で袁紹と伝のある者ならばそれを最大限利用しようとするだろうし、それ以上の情報を手に入れる必要を感じるのならば間諜を使うことになる。

逆説的に言えば、冀州の情報を積極的に探っている人間は、頭の片隅に留めておくべき相手である事を意味している。

例えば、孫家と関係の深い周瑜や袁術(を動かしている張勲)、自らの教え子を幾人も冀州へと送り込んでいる司馬徽がそれに該当する。

 

ただ、荀彧が情熱を注ぎ込んだ曹操の諜報網と比べると、他の勢力が構築しているそれは児戯に等しい。

そもそも、他勢力のそれらは袁紹の動向を一々追っていないのだ。

通常ならばそれで問題はない。

袁紹の思いつきによる行動などを一々調査した所で有益な情報が手に入れられるわけがないのだから。

それよりも、官僚達や元清流派閥の動向を探っておくことの方が遥かに有意義なのだ。

だから、冀州に放たれた間諜の多くは官吏達の動向を調べる事に重点を置いており、袁紹が予定通りの行動をしている範囲でのみ、冀州の主を監視している。

逆に言えば、袁紹の急な予定変更に対応できるものではないのだ。

諜報活動としては甚だ不十分であるが、袁紹の突飛な行動の対処に要する労力と金銭的・人的資源の兼ね合いによって曹操以外の勢力は妥協せざるを得なかったのだ。

 

そして、会談に使われることになったこの部屋、旧貴賓室。

冀州の発展とともに拡張され続けてきた政庁であるが、袁紹達と荀彧達4名が使うことになったのは、冀州が発展する前から存在していた一部屋だ。

この近辺は普段使われて居らず、半ば封鎖されている。

政庁の拡張工事の影響で交通の便が悪くなった事と、より立派な貴賓室が出来た事がその理由である。

そのため、この旧貴賓室近辺に従事する人間に諜報員は紛れ込んでいない。

そもそも、増築と共に新たな人員を多く雇うことになった新貴賓室近辺と異なり、旧貴賓室の整備は昔から袁紹に仕えていた人間達が行っている。

間諜を放つこと事態が難しい場所であるのだ。

その上、普段使われていないとなれば、態々労力を費やして間諜を放つ事には利益がないのだ。

そう思われてきた。

だからこそ、この旧貴賓室では諜報の目を気にせずに密会ができる。

つまり、友若の行動は冀州の特殊な条件に対応した諜報網の穴を突いた格好になる。

そして、この状況は決して偶然ではない、と荀彧達は判断する。

昨日、友若が曹操の放った間諜にその正体を仄めかすような発言をしている。

今日、冀州の街で友若と袁紹が大量の物品を買いあさった事により、衆目はその奇行に集中したはずだ。

そして、今、友若は贈り物を理由に監視の目の及んでいない旧貴賓室を敢えて話し合いの場として選ぶことになった。

もし、これらが一つだけだったらまだ偶然で済ませられたかもしれない。

しかしながら、『偶然』とは普通積み上げられるものではないのだ。

ならば、この状況は確かな意図による必然と想定するべきである。

荀彧達はそのように考えて、友若の次の一手に身構えた。

荀彧の機嫌を取るためにも少しでも眺めの良い部屋を用意しなくては、と考えていた友若と荀彧達の間には若干認識の齟齬が存在していた。

 

程昱は半眼に開かれた目で袁紹の隣に座る友若を見据え続けながらも、隣に座る友人の事に多少の意識を割いていた。

決してはっきりと示すことは無いものの荀彧の傷つきやすい内面を知る程昱。

だからこそ、程昱は友人の事を案じていた。

 

「袁州牧殿、この様に兄と話し合いの席を設けていただいたこと、深く感謝致します」

「あら、当然のことですわ。おーっほっほっほ!」

 

程昱は僅かに目を見開いた。

荀彧の声には覇気のみがあった。

ここ数日、荀彧の言葉の端々に感じられた影が無くなっていたのだ。

荀彧は毅然と袁紹を、そして、隣に腰掛ける友若を見据えていた。

 

「あら?」

 

荀彧の様子を見た袁紹は微かに首を傾げた。

彼女は事前にこの兄妹は非常に仲が悪いという事は友若の言動から知っていた上、2人が喧嘩別れしたという話も耳にしていたのだ。

だから、2人の仲直りは不可能だ、とは微塵も思わないのが天性の楽天家たる袁紹である。

が、一筋縄ではいかないだろう、という程度にはこじれた関係修復の難しさを認識していた。

 

そもそも、兄と喧嘩をして妹が涙を流していたと聞き及んでいた袁紹は彼女なりに2人の事をやきもきと心配していたのだ。

自らと妹分の袁術の関係のように兄弟姉妹というものは仲睦まじくあるべきだと袁紹は確信している。

それ故、友若が度々示していた荀彧に対する拒否反応の目撃者である袁紹は友若に仲直りするよう再三に渡って要請した。

今や友若の妹である以上、荀彧は袁紹にとっても妹というべき存在になるのだ。

だから、何としてでも2人を仲直りさせなければ、と袁紹は彼女なりに並々ならぬ熱意を持って話し合いの場に望んでいた。

そして、袁紹にとっては珍しいことに、彼女は一度でこの問題を解決することは難しいだろうと判断していたのだ。

 

だからこそ、荀彧の覇気溢れる様子は袁紹にしてみても予想外であった。

昨晩、友若と泣きながら物別れをしたという話を聞いて先入観を持っていたのだから。

そして、この話し合いを始めた当初は荀彧の表情が優れなかった様に袁紹には見えたのだ。

一体如何なる理由で荀彧は覇気を取り戻したのか。

袁紹の脳裏に疑問が浮かんだ。

とは言え、荀彧に思考力と理解力とその他諸々が足りないと陰口を叩かれている袁紹である。

流石は友若の妹、という簡単な理由付けで思考を停止した。

 

「さあさあ、折角こうして久しぶりに兄妹が話し合う場を設けたのですわ。2人とも積もる話があるのではありませんか?」

「え、ええ……」

「……」

 

荀彧が元気な様子であるならば、2人の仲直りを推し進めねば。

そのように考え、袁紹は兄妹に会話を促した。

友若は吃りながらも小さく返事をし、荀彧は何も言わずにただ血縁上の兄を見据えていた。

 

「……な、……いや……な、なあ」

 

妹の並々ならぬ視線に友若はたじろぎ、何度か言い淀んだ。

躊躇した様子を見せる友若から視線を袁紹に向け、荀彧は静かに話し始めた。

 

「いえ、袁州牧殿。お心遣いは大変ありがたいのですが、兄も私もこの様な場で話すべきことはありません。確かに、荀大老師殿は確かに私の肉親ではありますが、兄と私はそれぞれ異なる人物を主君として仰いでおります。袁州牧殿も御存知の通り、我が主曹孟徳、華琳様は袁州牧殿と剣を交えた間柄であり、未だ両者の和平は天下に知らしめられておりません。もし、この状況で兄と私が親しく付き合えば、必ずや私達の間の密通を疑う者が現れるでしょう」

 

息継ぎをすることなく、淡々と荀彧は言葉を紡いだ。

顔は僅かに強張り青ざめていたものの、その瞳には爛々としている。

袁紹は思わず息を呑んだ。

鈍感な袁紹をして、思わず感じ入らされるだけの何かがその時の荀彧には備わっていた。

 

「そのような噂は兄や私だけではなく、袁州牧殿と我が主華琳様の名声までをも傷つけます。兄は勿論の事、私もまたその様な事態は望んではいません」

「で、ですけど、やはり兄妹というものは仲良くするべきだと思いますわ!」

 

荀彧の言葉に気圧された様子を見せながらも袁紹は家族愛を説いた。

だが、荀彧は一考する事もなく淡々と答える。

その声は平坦だったが、荀彧の顔が、口調が、その並々ならぬ意志を痛いほど伝えていた。

 

「一介の私人であればそれは正しいでしょう。ですが、兄も私も身命を賭して仕えるべき主君を持つ身です。心構えとして主君の為なら命も捨てる覚悟を持っておきながら、どうして私情に流され主の名声を傷つけることが出来ましょうか」

「……ぇ?」

 

荀彧の言葉に友若は小さな、本当に小さな声で唖然と呟いた。

幸いにも、あるいは不幸にも、荀彧の気迫に押されて彼女に意識の大半を割いていた袁紹も程昱もその言葉に気が付くことはなかったし、自らの言葉に集中している荀彧も気が付きはしなかった。

 

「……昨晩の私は余りにも愚かで盲目的でした。だからこそ、兄は私を拒絶したのでしょう。……いえ、私はその事を不満には思っていません。むしろ、感謝しているほどです。もし、兄が拒絶しなければ、私は取り返しの付かない過ちを犯したでしょうから」

 

淡々と言葉を紡ぎながら、荀彧の頭に浮かぶ複雑な感情には確かに感謝の念が含まれていた。

荀彧を受け入れた振りをすることも出来たはずの友若。

もしそうなれば、舞い上がった荀彧は曹操の不利となる行動をしてしまったかもしれない。

曹操を最大の脅威として認識している友若にとっては大きな好機であったことは間違いない。

勝利を確実なものとする最大の近道は競合相手を弱めることなのだから。

 

常の荀彧であれば、そうした手段の選択を躊躇することなどあり得ない。

相手を真正面から打ち破る事を好む曹操の意図に反しているとしても、それが最善だと判断すれば進んで泥を被るのが軍師としての荀彧という人間なのだ。

だから、もし、友若が浮かれた心につけ込んだとしても、心情的な苦痛はあれ、それを非難出来る資格は荀彧にはない。

 

だが、友若はその好機を掴み取る事はなかった。

友若は荀彧を拒否した。

受け入れた振りをしたほうが、袁紹に利益を齎したと容易に予想できるにも関わらず。

そして、友若はその事を理解していながら敢えてそうしたのだ、と荀彧は信じていた。

 

昨日、友若は幾通りもの方法で自らが曹操側の諜報活動を熟知していることを仄めかしていた。

勿論、それらは必ずしも確信に基づくものではないだろう、と荀彧達は思っている。

諜報活動の全貌を掴んでいるのならば、態々それを放置することに利は見いだせないからだ。

確かに諜報網に欺瞞情報を流す、諜報網外で重要な決定を行うことで相手の虚を突く等の情報工作は考えられないこともない。

それでも、相手に手札を覗かせ続ける事の不利益と比較すれば選択の余地はない。

しかしながら、袁紹側はある程度正確に諜報網の様子を把握しているのだろう、というのが一連の友若の言動から荀彧達が下した判断であった。

 

そして、今回の言動における友若の目的は、知っていると脅しをかけることにより諜報活動の動きを鈍らせる事にあるはずである、と程昱等は考えている。

どの程度まで袁紹側が把握しているかが明らかではない今、迂闊に動けば折角築き上げた諜報網を根こそぎ失ってしまう危険がある。

勿論、態と仄めかしたということは、袁紹側が把握している事はそこまでは多くはない事の証左であると考えられる。

とは言え、決して油断が出来るわけではない。

 

冀州の急速な発展に奔走し、朝廷への工作活動がおざなりになるという失態を犯した袁紹勢力であるが、その情報収集能力が劣っているわけではない。

むしろ、冀州全土や経済的繋がりの強い辺境に関しては荀彧が組織した諜報網とは比較にならない規模の目が展開されている。

これは友若が陣頭指揮を取り組み上げられた銀行制度の副産物として生まれたものであるが、その伝達速度と正確さにおいては荀彧が構築した諜報網――鬼気迫る執念と血の滲むような努力によって作り上げられたそれ――を超えている。

と言うよりも、荀彧のそれは冀州に構築された情報網に相乗りすることにより多くの情報を得ているのだ。

 

もし、袁紹側がこれらの情報網に関して防諜に本腰を入れ始めれば、曹操側は袁紹勢力内部に構築した諜報網はその情報収集能力の多くを失うだろう。

そうなれば、曹操側は圧倒的な勢力である袁紹側に対して数少ない優位を失うことになる。

そして、その可能性は、その恐れは曹操の動きを確実に縛るだろう。

 

それ故、友若の言動は曹操側に対する牽制を意図していると考えるのが妥当だ。

 

だが、それだけではない、と荀彧は半ば確信を持っていた。

友若が荀彧達に対して牽制を行ったのが態々この機会であった事は、昨晩、友若が荀彧を受け入れなかった事とつながっている、と。

 

曹操の配下として荀彧は自らの主君を裏切る訳にはいかない。

それは、袁紹の配下である友若も同様のはずだ。

 

兄と共に曹操を支えたい、と荀彧は嘗て幾度と思った。

しかし、それは既に無理な話だと荀彧の理性は答えを出していた。

既に兄と自らの進む道は離れてしまったのだ。

あるいは天下を賭けての争いが決着すれば、荀彧は友若と同じ道を歩く日が訪れるかもしれない。

だが、それは先の話だ。

少なくとも、荀彧は勿論、その主である曹操も天下を諦めていない今、友若と昔のように過ごすことはできないのだ。

それにも関わらず、友若を荀彧の感情は暴走してしまった。

友若にとっては余りにも付け込みやすい隙だったに違いない。

 

それでも、友若が荀彧の心に付け入る事なく拒絶したのは、恐らく兄が立場上出来る最大限の便宜だったのだろう、と一晩泣き明かした後、冷静さを取り戻した妹は考えた。

荀彧の失着を利用することなく、それでいて袁紹を裏切らないギリギリ。

それが、昨晩の友若の態度なのだと。

荀彧自身にとって都合の良い考えである。

ただ、荀彧は友若の言動にそれを裏付ける証拠を見て取った。

つまり、友若が態々昨日に曹操側の動きをある程度把握していることを仄めかしたのは曹操への牽制。

それは同時に、荀彧に互いの進む道が別れたことをはっきりと示していたのだと。

兄妹としての付き合いをするわけにはいかないのだと言う事をはっきりと示す目的があったのだ、と。

 

荀彧は友若をまっすぐに見た。

目元や鼻立ちが自らとよく似た友若の顔が荀彧を見返していた。

友若の顔には特段表情は浮かんでいなかったが、微かに緊張している様子に荀彧は気が付いた。

当然ながら荀彧の言葉の意図に気が付いたのだろう。

荀彧は心の中で微笑んだ。

そして、言葉を紡ぐ。

 

「立場上、兄と私は肉親であるにしても親密に付き合うわけにはいきません。しかし、それでいいのです」

 

荀彧の言葉は、友若への返答であり、誓いの言葉だった。

 

「兄も私も互いに主の為に最善を尽くすでしょう。袁州牧殿、貴方は今最も天下に近い位置にいる。そして、私の主君たる華琳様もまた天下を覆うべき王才の持ち主です。そうなれば、必然的に私達兄妹は天下を舞台に切磋琢磨する事になるでしょう。決して親しげに言葉を交わすことはなくても、食事を共にすることなくとも……天下を舞台にお互いの才能をぶつけ合うこと……文門の家に生まれ育った者としてこれに優る喜びはないのです」

 

袁紹と程昱は驚いたような顔で荀彧を見た。

荀彧の言葉は自然と聴衆の心を打つものがあった。

決して感情的にならなかった荀彧だが、その言葉の裏にある熱気を誰もが感じていた。

これで良いのだ、という荀彧の言葉に。

 

荀彧自身、自らがそう思えたことに驚きを感じていた。

だが、荀彧は確かに天下を舞台にして友若とその知略を競う事に喜びを覚えていたのだ。

強力な敵を歓迎する事は愚かな行為だと、戦略的には戦う相手にはより弱い者を選ぶべきだと、日頃そう考えて、荀彧は夏侯惇を馬鹿にしていたにも関わらず。

友若という荀彧が知るかぎり最も優れた政治家、極めて優秀な戦略家を相手取ることに彼女の頭脳は燃えるほどの興奮を覚えていた。

 

難敵を喜ぶ。

ただひたすらに勝利を至上のものと考えるのならば、それは理解し得ない感情である。

勝つことが全てであるのならば、相手には勝利し得る者のみを選べば良い。

勝敗定まらぬ相手と迂闊に戦ってはいけないのだ。

荀彧が学んできた戦略は、軍略は、歴史はそれが正しいと示していた。

 

だが。

崇拝する主君、曹操孟徳――当代最も王才に満ち溢れていると荀彧は確信している――は才能のある敵を歓迎する。

いや、曹操だけではない。

才能ある人間は強力な競争相手を喜ぶものが多い。

生まれ持った才能を輝かせるためには、その限りを尽くすためには、相応しい相手が必要になるのからだ。

才能というものは困難を前にしてその真価を示すものなのだから。

だからこそ、曹操は自らの覇道を阻む難敵を歓迎するのだし、あの夏侯惇もその武芸を振るうに相応しい相手を喜ぶのだろう。

その職責と立場から自重しているものの、荀彧自身、困難に対して一種の興奮を覚えることがない訳ではないし、同じく曹操配下の同僚とその才能、成果を競う事に楽しさを感じていることは否定しようのない事実である。

 

ならば、友若もまた心の何処かで自らに相応しい相手を求めているのではないか。

荀彧はそう思うのだ。

 

友若の発案した株式や銀行制度は冀州のみならずこの国のあり方を大きく変化させるほど圧倒的に革新的である。

これらの発案を行った一事だけを見ても、友若の行政家としての才能は抜きん出ていると断言できるほどだ。

曹操や荀彧にしてみても、友若の政策は荒削りなものが多いにせよ、そのほとんど全てが異常なまでの先見性と革新性を兼ね備えている。

加えて、友若は幼少の頃から数々の革新的な発案を無数にしていた。

それらはあまりにも革新すぎたため、その持つ価値を当時の荀彧は理解できなかった。

友若もまた、それらを実用化する事はできなかったため、その多くは長い間日の目を見ることはなかった。

だが、今の荀彧ならば、嘗て友若が考えだした様々な発想が持つ価値を戦慄とともに理解できる。

恐ろしいことに、それらは現在の荀彧よりもずっと幼かった友若が1人で考えだしたものなのである。

正に天才、正に鬼才。

そうした言葉は正に友若のために存在するのではないか、と冗談交じりに言った程昱の発言に荀彧は心から同意する。

曹操に仕え、嘗て友若が発案した無数の発想を実用化して見せて尚、いや、それを繰り返すほどに、荀彧のその思いは強くなった。

友若が一体全体どれほどの頂にいるのか、どこまで先を見通しているのか、今日に至るまで荀彧には理解できたと思えたことがない。

 

だからこそ、友若はずっと孤独だったのではないか、と荀彧は思う。

あまりに抜きん出ているがために、余りにも革新的に過ぎるがために、誰一人として友若に並び立つことができないのだ。

嘗ては荀彧もそうだった。

同時に、自惚れ上がってもいたのだろう。

当時の荀彧は自らと同等もしくは優る人間を知らず、周囲の頭の回転の遅さと優柔不断さに苛立っていた。

それは実家を離れ、兄の住んでいた洛陽で暮らすようになっても変わりはしなかった。

洛陽一と呼ばれていた私塾の生徒も実家の姉達や兄と大差は無かった。

何度説明しても荀彧の言葉の意味を理解すらできない能なし。

理解できてその正しさを認識しているにも関わらず、慣例というだけで改善する意思を持てない臆病者。

彼らは慣例を維持した先の破滅を理解できず、あるいは理解しようともせずに、ただ耳を塞いでいたのだ。

 

誰もが荀彧の言葉の真意を理解できず、誰もが荀彧の考えに追従できない。

荀彧の言葉は常に正しく、他者はそれに従うか、あるいは嫉妬やそれに類する感情から不毛に反発するかの二択であった。

今思い返すと、あの頃、荀彧は心の何処かで絶望的な空虚と孤独感を感じていた。

 

だからこそ、幼いころ荀彧に様々な事を教えてくれた兄に荀彧は強く執着していたのだろう。

兄が心を入れ替えて真面目に勉学に励めば、あるいは荀彧と並び立てるのではないかと心の何処かで願い。

 

もし、曹操に会うことがなければ。

荀彧はずっと理解者を得られずに、自惚れ上がったままだっただろう。

曹操との出会いこそが知らず知らずのうちに狭まっていた荀彧の目を見開かせたのだ。

灰色の世界が色鮮やかに色付くような、世界が大きく広がるような、言葉では到底言い表せない様な感動を荀彧は覚えている。

能無しばかりで詰まらないと思っていた世界は荀彧が想像しなかった程に大きかったのだ。

荀彧という一個の才能を飲み干して尚余りある器を持った王才の持ち主もいれば、共に議論を交わすに値する軍略の持ち主がいることを荀彧は知ったのだ。

曹操と出会ったその日に荀彧は正しく生まれ変わったのだ。

 

そして。

袁紹の下での友若の成し遂げた功績を見て、荀彧は兄の巨大な才能、その異常なまでの先見性に気が付いた。

まだ2人が幼かった頃、荀彧はその存在に気が付くことができなかった。

友若の試みを超える成果を荀彧は容易く得ることができたから。

だからこそ、友若の無数の試みを荀彧は知らず知らずのうちに考慮に値しないものと見なしてしまっていたのだ。

友若の試みの先にある革新性に気が付くことなく。

 

友若は嘗ての自らと同様に、いや、それ以上に孤独感を感じていたのだろう、と荀彧は思う。

友若の異常なまでの先見性。

兄の言動を顧みると、恐らく友若にとってそれは当たり前のものだったに違いない。

どこまで先が見えているのか、荀彧ですら想像がつかない遥か彼方。

友若にとってその景色は当たり前に見通せるものなのだろう。

 

だから、誰もがそれに気が付くことが出来なかったのだ。

感情的に反発する者もいたが、まだしも順当な思考その発言の正しさは常に認められていた荀彧とは違う。

失敗を重ねる毎に友若の試みは下らないものだと判断されるようになっていった。

友若は自らの考えや試みが正しいことを知りながら、長い間誰にも認められてこなかった。

 

多くの功績を上げた今日、友若はその才覚を認められている。

だが、友若の見据えている先を本当の意味で理解できる人間はいないのだ。

ただ、その発案に従うと大きな成果を得ることが出来る、という経験則があるからこそ、友若の意見は認められている。

どんなに持て囃された所で、友若の発想を正しく理解できる人間はいない。

本人は気が付いていないのかもしれないが、そこには間違いなく孤独感があるだろう。

曹操という主、自らの理解者を持った荀彧はそう思うのだ。

 

だからこそ、友若は半ば諦めつつも曹操や荀彧に心の何処かで期待しているのではないか。

荀彧はそう考える。

諜報を通して友若が曹操を警戒に値する相手と見なしていることを荀彧は知っている。

ただ、友若は曹操を警戒しておきながら、曹操に対して特段行動を取ったことはない。

曹操配下には荀彧という幼いころ友若が提案していた無数の試みを全て知っている人物がいるにも関わらず。

それは余りにも迂闊であるし、また酷い油断とすら言えるだろう。

友若の立場に立ち袁紹の事のみを考えるのであれば、曹操は袁紹の持つ宮廷との繋がりを駆使してでも叩いておかなければならなかった相手だ。

袁紹はそうした行為に対して良い顔をしないだろうが、力を持つ前に有望な相手は潰しておくと言うのは基本的な戦略である。

 

だが、荀彧は漠然とであるが曹操を警戒しながらも何の行動も起こさなかった友若の心理を理解できる気がする。

そこには、曹操が覇王の敵として才能ある者を求めていた心理の一面と類似したものがあるのだろう。

覇王として自負と圧倒的な才能を持つ曹操。

彼女と本当の意味で同じ立場になる資格を持つ事が出来るのは、同じく天下を握り覇者と成らんとする者のみだ。

配下である荀彧や夏侯惇等では、王としての重責を共感する事は出来ないのだ。

それが全ての理由ではないにしろ、曹操が強敵を求めていた心理の一面には、ある意味での理解者を求めようとする意図が含まれていた、と荀彧は考える。

 

荀彧は友若の隣に座った袁紹を一瞥した。

家の生まれの他には、考えなしの行動力しか持たない女。

その行動力は鬱屈した状況を打破することには役立つかもしれないが、むしろより多くの問題を呼び込むだろう。

表情を微塵も変えることなく、荀彧は内心で袁紹をそのように評した。

考えるまでもなく、袁紹では友若の見据えている景色を共有できる訳がない。

 

いや、袁紹配下の人間に友若と同じ景色を見る事が出来る者が居るとは荀彧には思えない。

そもそも、彼らは友若が見据えている光景を共有する必要はないのだ。

理解出来ずとも、友若が指し示した方向に従っていけば万事が上手くいくのだから。

勿論、友若の示した政策案を実現するためには幾つもの課題解決をする必要がある。

だが、結局のところ、それは目の前の問題を解決しているだけに過ぎない。

袁紹の配下達は国のあり方そのものを描く友若と同じ視点を持つ必要はないのだ。

 

袁紹本人の能力に対して、その配下には優秀な人間が多い。

しかし、彼らは優秀な程度でしかない。

極々少数、荀彧や程昱に匹敵する才能の持ち主も居る。

だが、それでは決して友若の視点には届き得ない。

友若の先見性は荀彧の知る限りにおいて、他の誰よりも隔絶しているからだ。

友若の示した政策からその結果を予測することは出来ても、幾つもの政策の先にある光景を想像することは余りにも困難だ。

そもそも、それを想像出来なかったとしても、袁紹の配下達にとって問題はないのだ。

その先にある光景を知らずとも、友若の指し示した道を何も考えずに進んでいけば良いのだから。

それ故に、袁紹の配下である限り、友若の見据えている光景を理解しようとする積極的な動機は存在し得ない。

そして、個人の興味や好奇心程度で友若の見据えている遥か彼方の景色を理解する事はまずもって不可能だ。

 

しかし、曹操や荀彧達は友若の見据えている景色を理解せずに済ませる訳にはいかない。

天下をその手に握ろうという野望を抱く曹操達。

それ故に、最大の敵である袁紹勢力が目指す先を知っておくことは何よりも重要だ。

現時点で圧倒的な勢力を誇る袁紹勢力。

辺境の諸侯等は経済的理由から既にその殆どが袁紹に従っている。

真っ向から立ち向かえば、地力の差で敗北は必至だ。

袁紹を打ち破るためには、今後の動きを予測してそれに対して上手く策を練らなければならない。

そして、袁紹勢力の方針決定に置いて常に主導的な立場に居るのが友若なのだ。

だからこそ、曹操は、そしてその配下である荀彧は、友若の見据えている景色を垣間見なければならない。

その全貌を知るところまでは至れなくとも、友若が一体どのような方向に進もうとしているのかを知らなければ迂闊に策を練ることも出来ないのだから。

曹操は、荀彧は勝つためにも友若に見えている遥か先を理解しなければいけないのだ。

 

荀彧が知る限り、この国で友若と同じ景色を見ようと必死になれるのは曹操と荀彧達しかいない。

凡俗ではそもそも友若の才能の大きさを理解できない。

友若の才能が余りに大きいからである。

だから、多くの人間は袁紹と友若の成功をただ運が良かっただけだ、などと扱き下ろすのだ。

そして、才能ある者であっても、いや、だからこそ圧倒的な勢力を誇る袁紹と天下を賭けて争おう等とは考えない。

ここ十年弱で築き上げられた強大な袁紹勢力に真っ向から立ち向かえば勝利のしようがないことが理解できるからだ。

だからこそ、そうした人間達は袁紹と直接ぶつかることなく、自分達の目的を達成しようと試みるだろう。

それでは主導権を握ることは難しいが、状況を考慮すれば妥当な判断だ。

 

しかし、荀彧の主、曹操は決して天下を諦めていない。

諦めが悪い、と言えばそこまでだ。

だが、袁紹勢力の圧倒的優位、友若の異常な才能。

それらを十全に理解していながら、合理的な思考を持ちながら、それでも尚、自らに覇王としての自負を持つのが荀彧の主君なのだ。

だからこそ、荀彧は友若の才能という頂きに手を届かせなければならない。

 

届かせてみせる、と荀彧は固く誓った。

自らの才能を飲み干してみせるだけの才覚を持った曹操の期待に答えるために。

そして、隔絶した才能を持つ友若の妹として胸を張るために。

 

嘗て、荀彧は友若の才能を理解できずに、否定する側に回ってしまった。

その行為が兄を傷つけてしまったことを荀彧は今も後悔している。

もし、あの頃、荀彧が現在持ち合わせている分別と理解能力を身に着けていれば。

あるいは全てが違っていたかもしれない。

だが、覆水は盆に返らず、過去を覆すことは出来ない。

そして、荀彧自身、曹操に仕える事になった自らの半生を否定するつもりは無い。

 

荀彧は遥かな高みを見上げるように友若を見た。

抜きん出すぎた才能を持つがために、嘗て誰にも理解されなかった天才の顔を。

そして、今日でも尚、同じ視点を持つ者が皆無であろう鬼才の持ち主の顔を。

 

友若の才能がどれだけの高みにあるのか。

今日においても荀彧にはそれをはっきり見通すことは出来なかった。

それでも、友若が高みに居ることを気が付きすらしなかった昔とは違う。

そして、どんな山でも一歩一歩登り続ければ、いつかは頂に辿り着くはずなのだ。

荀彧が知る限り、ただ一人、友若のみが至った高みであったとしても。

 

辿り着いてみせる、と荀彧は心の中で固く誓った。

それが、嘗て友若を傷つけてしまった荀彧の彼女なりの償いだった。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

荀彧の発言に一事は場が凍ったものの、程昱や袁紹の取り成しもあって話し合いは穏やかな雰囲気で進んでいった。

双方の思惑もあって取り留めのない話が暫く続いた後、双方はそれぞれ休憩を取ることになった。

袁紹に連れられてお茶を供にする事になった友若は荀彧を意識しながら考え込んでいた。

 

まるで決意表明とでもいった様子で話しだした荀彧の意図を友若は全く理解できなかった。

ただ、昨晩泣いていた荀彧が今でも友若の記憶に新しい。

荀彧の様子はあの時とは大違いだった。

まるで昨晩の出来事が嘘か幻だったかの如く。

だが、荀彧が涙した事は確かにあった事実である。

そして、それはきっと演技ではなかった、と友若は嫌々ながらも認めていた。

 

可愛げのない奴、と友若は内心で毒づいた。

友若にとってあの荀彧が弱みを見せている事は初めての体験だった。

だから、仏心を出して――あるいは罪悪感を払しょくするために――荀彧を慰めようと考えていた友若であるが、荀彧はその必要性をまるで感じさせないほどに毅然としている。

 

その様子に友若は気圧されるとともに強い劣等感を覚えていた。

あの荀彧が冷静さを失い、ただ泣き喚くほどに動揺していたにも関わらず、一晩でその感情を押し殺し、いや、それどころか友若を圧倒するほどの覇気を感じさせている。

その立ち直りの早さ。

そして、その意図は理解できないまでも、話し方の節々に感じ取れる荀彧の並々ならぬ覚悟。

官軍との戦いが終わってだいぶ時間が経っても尚、曹操に怯え、覚悟を決められない友若にとってその姿は余りにも眩しく、同時に自らの煮え切らなさを際だたせるものだった。

 

才能で負け、覚悟でも負けて。

ならば、友若は荀彧に何一つ優るものを持ち合わせていない事になる。

袁紹の配下として、そこそこの成果を上げて若干鼻を高くしていた友若の自尊心は再び打ち砕かれた。

暫く見ない内に、この血縁上の妹は決意を含むあらゆる面で友若を置き去りにして成長していたのだ。

 

あらゆる面で友若を超える才能を持った荀彧が相手ならば仕方がない。

そう自らに何度そう言い聞かせても、友若は自らの心を誤魔化すことは出来なかった。

田豊や捨て石となった兵士達の様に、才能はなくても覚悟を持つことは出来るのだ。

 

もし、自らに荀彧に匹敵する才能があれば、と強く友若は思った。

そうすれば、真正面から曹操と対峙することも出来たはずなのに、と。

 

だが、曹操や荀彧といった文字通りのバケモノと比較すると、友若に才能は皆無といって等しい。

そう友若は考えている。

前世の知識という本来なら絶対のものとなったはずのアドバンテージもまるで役立っていない。

それどころか、流出した知識が曹操達を強化する結果に繋がったのだ。

無理だ、と友若は思う。

どうあがいた所で曹操達に勝ち目はないと。

あの曹操を相手に、袁紹や自らが勝利を手にする光景が友若には想像出来なかった。

 

そして、この世界が三国志に基づいている以上、その曹操に匹敵する英傑劉備と孫なにがしが存在している事になる。

1人でさえも手に負えないのに、他に2人も存在している以上、最早どうしようもない。

実際に話した感じでは劉備は大した人物には思えず、孫なにがしの正体だと思っていた孫堅はあっさり死んだが、だからと言って油断してはいけないと友若は思う。

何しろ、あの曹操と対抗できる連中なのだ。

今現在、小さな勢力でしかないということは何の慰めにもならない。

審配や沮授等を含む友若の同僚の大半は彼らの才能を認めつつも所詮弱小勢力だと判断しているようだが、その油断はあまりにも危険だと友若には思えた。

 

古今東西、図体だけは大きい存在が格下のはずの相手に遅れを取る原因はそのほとんどが油断に端を発しているのだ。

そして、曹操の異常性から判断すれば、劉備や孫性の誰かはほぼ間違いなく抜きん出た存在であるはずだ。

むしろ、油断を誘うこの状況そのものが余りにも危ういように友若には思われた。

殆ど袁紹配下の誰もが目先の勝利や優位に目を眩ませてしまっているのだ。

金塊に目を眩ませて壊れかけの吊り橋に足を踏み出す様なものだと友若は思っている。

 

袁紹の取るべき行動とは拡大戦略ではなく、今後覇権を握るだろう曹操達の誰かの下に収まる様画策することだ。

感情を徹底的に排除した時、友若の結論は何時もそこに行き着く。

勝ち目がないのならば、戦ってはいけないのだ。

戦乱の世で敗者に待っているのは殆どの場合死なのだから。

どんなに屈辱的な処遇であろうとも、それに甘んじて生き延びるべきだ。

持ち合わせている知識から友若の頭脳はそう結論付けていた。

 

だが、友若の理性が導き出した答えは到底賛同者を得られるものではない。

それは袁紹陣営が築き上げてきた成果を捨て去ることと同義だからだ。

いくら数々の功績を誇る友若であっても、現状で馬鹿正直に曹操の下につくべきだなどと主張すれば、忽ちその立場を追われるだろう。

そして、上手く立ち回り、袁紹が曹操に従うよう誘導した所で、その行為を裏切り者と非難されることはあっても、賞賛されることはあり得ない。

友若が必死になって袁紹を救っても、その先に待っているのは主や同僚の憎悪しかないだろう。

 

対して、曹操と戦う道を選べば、現在における友若の名声は保たれる。

そして、袁紹達が皆死に絶えることになったとしても、最期の日まで友若は袁紹の最も信頼する大老師として周囲から認められ尊敬されることだろう。

 

友若自身、僅かでも勝ち目があるのなら、この選択肢を選びたいと思っていた。

戦う道を選べば、冀州に置いて友若が積み上げてきた名声は守られるのだ。

それは、常に荀彧と比較されることになった生家では終ぞ得ることの出来なかったものである。

自尊心の強い友若にとって尊敬と畏怖、そして嫉妬の目を向けられる冀州での日々は大いに満足のいくものだったのだ。

 

多少の勝ち目が見込めれば、危険を犯してでも友若はこの選択肢を選んだ事だろう。

友若にとって今現在の地位を守ることは命を賭けるだけの価値があるのだから。

友若が極限状態で田豊の様に捨て石となれるかは定かでは無いが、勝てる可能性があると思えれば、友若はきっと命を賭すことが出来たはずだった。

 

だが、曹操を前にして友若は一分の勝ち筋すら見出すことが出来なかった。

幼少の頃、荀彧が示した異常な才能。

そして、その妹が主人と認めた曹操。

火器を実用化してみせたという一事をとっても彼女達の才覚は友若のそれを遥かに上回っている。

そんな相手に戦うことはただの自殺であり、犬死にだ。

そして、無様な犬死にだけは御免だ、と友若は思うのだ。

滅びの美学といった類の感性は友若とは無縁のものだった。

 

あるいは、友若に曹操や荀彧に匹敵するだけの才覚があれば、友若は迷うことなく戦いを選択できただろう。

あるいは、友若に曹操や荀彧の才能を理解できるだけの頭脳が無ければ、他の袁紹陣営の人間達と同様に無謀な戦いを挑んでいたかもしれない。

しかしながら、友若は自らの才能の限界を思い知っており、曹操や荀彧の才能の異常さをよくよく理解してしまっているのだ。

曹操には勝ち目がない、と判断するだけの材料を友若は持っていた。

 

そうである以上、友若がすべき事は曹操との対峙を回避し、袁紹が曹操もしくは劉備の配下となるように画策することだ。

無様であったとしても、勝ち目がない戦いに挑んで死ぬよりはずっと良い。

その結果、袁紹や同僚から侮蔑と嫌悪の念を向けられることになったとしても……

裏切り者して全ての名誉を失い、処刑されるとしても……

 

「――っ!」

 

脳内をよぎった光景に友若は体を強ばらせた。

 

「どうしましたの?」

「……いえ……何でもありません」

 

隣に座る袁紹が友若の様子に気が付いたのか、問を投げかけた。

友若は言葉を濁すと、目を伏せた。

 

見目麗しく、頭脳は微妙な袁紹。

彼女は友若にとって恩人だ。

袁紹がいたからこそ、友若は数々の功績を上げることが出来たし、今の地位を得ることが出来たのだ。

そして、いつしか袁紹の存在は友若にとって特別なものになっていた。

といっても、当初、友若はそれを恩義に感じているからだ、と思っていた。

知性派を自負する友若にしてみれば、袁紹のような女性は好みではなかったからだ。

自尊心の強い友若は、自らの伴侶というものは相応の知性(ただし友若よりは高くない)が必要だ、等と自分勝手な考えを持っていたからだ。

 

結局、友若が自らの袁紹に対する感情に気が付いたのは、官軍との戦い後、月夜の下、2人きりで晩酌をした時の事だった。

まだ、戦いの生々しい記憶がはっきりと残る中、何時もは自信満々な態度を崩さない袁紹は月明かりに照らされてどこか儚げに見えた。

口うるさい田豊を嘗ては煙たがっていた袁紹だが、あの晩、確かに彼女の目からは涙が溢れていた。

それを見た時、友若は自らの心が袁紹を向いている事をはっきり自覚したのだ。

 

その袁紹から向けられる無邪気な好意を失うと想像しただけで友若の心は萎縮した。

 

ただ、どうしても今の関係を失いたくなくて。

一方で、死にたくなくて。

結局のところ、友若の優柔不断はそこに端を発している。

その間に両立の道を見いだせない友若は、あの戦いから未だに一歩も歩み出せていない。

時計の針は常に進み続ける以上、それではいけないと理解しながらも。

 

友若は荀彧を見た。

幼少よりあらゆる点で友若を上回っていたこの妹は覚悟においても兄の先を行っている。

全ては曹操の為に、と言わんばかりの発言には全てを切り捨てる覚悟があるのだろう。

その言葉が偽りではないと友若は直感的に確信していた。

その事が友若には恐ろしく、そして悔しかった。

 

――負けてたまるか。

 

友若の心にそんな考えが浮かんだ。

自らがそう思えたことに、我ながら友若は驚いた。

己の対抗心はとっくに折れたものだと友若は思っていたからだ。

しかし、不思議なことに友若の心には闘志が湧いていた。

 

一度落ち込んだ荀彧を見ているからだろうか、と友若は自らを分析した。

荀彧や曹操の事を人の皮を被ったバケモノだと認識してきた友若にとって涙を流す妹の姿は衝撃的であった。

その光景を見たからこそ、友若は、天才であるにしろ荀彧達もまた、友若達と同じ人間なのだと思えたのだ。

そして、理解不可の怪物ではなく人間が相手ならばやりようはあるはずだ。

 

勿論、荀彧達と友若の能力は隔絶しており、まともに戦うことになれば万に1つも勝ち目はないだろう。

それでも、万が一があるかもしれない、と空想するには友若に刻まれた敗北の経験は深すぎた。

現状の優位を見て、曹操達と対峙することは崖から飛び降りることと同義だと友若は信じている。

 

だが、今度ばかりは泥を啜っても諦める訳にはいかなかった。

何もせず、無為に時を過ごした所で事態は決して良くならない。

その先に待っているのは恐らく袁紹の死だ。

それを回避することが出来るのは恐らく友若しかいない。

そして、友若が全てを捨てる覚悟を持ちさえすれば、袁紹の死を避ける事はそれほど難しくは無いはずなのだ。

 

袁紹の為に命を落とした田豊達。

曹操の為に全てを捧げると言った荀彧。

彼らの姿を友若は頭に浮かべた。

ともすれば、逃げ出したくなる友若の足を止めたのは彼らの存在が大きかった。

決して天才でなかった田豊。

間違いなく天に愛されている荀彧。

この両者がその身命を賭す事ができる以上、覚悟を決められない事には何の言い訳も出来ないのだ。

 

「……麗羽様」

 

友若は袁紹の真名を口にした。

田豊亡き今、男でその名を口にすることを許されている者は一人しか居ない。

 

「? どうしましたの? 桂林さん」

「いえ……何でもありません」

 

友若の呟きに袁紹は首を傾げた。

その様子に愛おしさを感じながら、友若は目をつぶり深く息を吸った。

 

覚悟を決めなければならない、と友若は自らに言い聞かせた。

曹操達の脅威を正しく認識しているのは友若の他には誰も居ないのだから。

そして、何よりも、友若は袁紹を愛しているのだから……!

友若は手をきつく、きつく握りしめた。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

小休止を挟んだ後、袁紹達と荀彧達は再び席を共にすることになった。

相も変わらず表面上、話し合いは穏やかに進んでいた。

もっとも、心の底からそう認識していた人間は、半数もいなかったのだが。

 

荀彧達は袁紹側、友若がいつどんな話を切り出すかに気を張っていた。

これまでの動きが全て友若の計算通りであるのならば――荀彧などはそうに違いないと確信を持っていたが――、当然、次の一手があるはずだ。

そして、友若はそのために必要な情報が届くのを待っているのだろう、と荀彧達は結論付けていた。

後手後手に回るのは好ましく無い。

とは言うものの、荀彧達としても詳しい情報を得るまでは動きにくい。

 

友若は友若で、自らの決意を風化させないよう、何度も自分に覚悟を決めろと言い聞かせていた。

結果として、状況が大きく動いたのは、深夜になろうかという時間であった。

 

眠そうに袁紹が欠伸をしているその時、1人の官吏が会談を行っている部屋に駆け込んできた。

 

「失礼致します、袁州牧様、荀大老子様!」

「ちょっと、何ですの!? 人が大事な話をしている時に!」

 

顔を青褪めさせ、息を切らした官吏に袁紹は眦を上げた。

袁紹の主観において、会談は大変和やかであり、兄妹の仲直りの為になるものである。

それを無粋にも邪魔され、袁紹は機嫌をやや損ねた。

 

「何をそんなに慌てて! 見苦しいですわよ!」

「至急人払いを!」

「何を言っているのですの? 私達は今、大事な話をしているのですよ!?」

 

一向に引こうとしない官吏の言葉に、袁紹は怒気を放った。

官吏は顔を青褪めさせ、それでも、引き下がることは無かった。

その様子に袁紹は顔を赤くして息を吸い込み――

 

「……袁州牧様、至急人払いを。緊急の知らせです」

「袁州牧殿、私達は一旦席を外したほうがよろしいのでは?」

 

荀彧の言葉に驚いた表情を浮かべた。

駆け込んできた官吏もまた目を見開いて荀彧を見た。

袁紹の機嫌を損ねてでも人払いを要求する程の情報となれば、曹操側も是非とも知りたいはずである。

それにも関わらず、荀彧はあっさりと引く姿勢を示したのだ。

何を考えているのか。

直属の上司から、荀彧と程昱の才能について聞き及んでいる官吏は訝しんだ。

このまま、荀彧達を退出させて自由にさせるのは不味いのではないか、と官吏は考えた。

 

「いえ、お二人はこの部屋にお残り下さい。袁州牧様と荀大老子様、お手数ですが――」

「いや、態々人払いをする必要もないだろう」

 

官吏の言葉を遮って友若は言った。

まさかの言葉に官吏は驚愕の表情を浮かべて友若を見やった。

袁紹も目を丸くし、荀彧は微かに目を見開いた。

 

「この話し合いは袁……麗羽様の好意で設けられたものだ。兄妹が腹を割って話すため、と謳って始まった以上、態々秘密にするような情報など無いと思うのだけど」

「し、しかし……」

 

官吏の顔には得体の知れない何かを見るような表情が浮かんでいた。

荀シン友若は今や袁紹の最大の忠臣である、というのが一般的な評価である。

その男が態々、最大の仮想敵と見なしている所の曹操側に情報を渡せと言っているのだ。

官吏の様子から並々ならぬ情報であることが分かっているはずなのに、一体何故そんな事が言えるのか。

官吏にはまるで理解できなかった。

 

「いえ、兄……大老子殿、その必要はありません。この様子ではよほど重要な話なのでしょう。私達の事はお構いなく」

 

驚愕していた官吏を更に混乱させたのは、荀彧の言葉だった。

官吏の情報を耳にしたく無い様な荀彧の言動。

官吏にはその理由がまるで理解できなかった。

 

「分かりました、大老師様。申し上げさせていただきます!」

 

だが、官吏はその場で情報を伝えることを決断した。

曹操側の人間が嫌がり、袁紹側の人間がそれをやろうとしているのだ。

その理屈は理解できないまでも、その選択は袁紹にとって利を齎すと官吏は思い。

 

「先ほど、許子遠様より緊急の伝令が届きました! それに依れば、天子様との和睦は成ったものの、一部の宦官がそれに反発、私兵を動かして皇帝を弑したとのことであります! その際、朝廷にいた審正南様も混乱に巻き込まれ、生死不明とのことであります!」

「なんですって!!?」

 

官吏の言葉に袁紹は声を荒らげて叫んだ。

その目は限界まで見開かれ、袁紹の驚きが如何程のものであったかを如実に表していた。

 

これに対して、程昱は表情を動かすことはなく、あたかも予定通りの報告を耳にしたかの如く、半開きの目で平然としている。

荀彧は驚くことはなかったものの、唇を噛んで、微かに悔しそうな表情を浮かべていた。

 

そして、友若は顔を青ざめさせ、何も言わずに立っていた。

その顔には驚きと悲しみ、そして僅かに笑みがあった。

 




これにてけーりんは終了。
次は『霊帝』の予定……だったけど、洛陽のゴタゴタは無視して、『ほうとう』とかにしようと思っています。

ほのぼのする予定だった後編ですが、霊帝さんはしょうがありませんでした。
長生きすると禅譲して献帝になってしまいますからね!
これでしっかりと諡は霊帝になります!

次の更新が何時になるかは不明。
環境が変わって忙しいことこの上ないのです。
Civとかもやらなきゃいけませんので……

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