荀シン(何故か変換できない)が恋姫的世界で奮闘するようです   作:なんやかんや

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俺の妹は断じて可愛くない

「どうしてですか、母上!」

 

荀彧は母親である荀コンに向かって叫んだ。

その荀彧の様子に荀コウは驚いた。

兄である荀シンに対しては激しい気性を示していた荀彧であるが、母親である荀コウに対してその様に振る舞うことは今までなかったからである。

 

「どうして私を袁州牧の下へ推挙してくださらないのですか! あの友若ですら部下となっているのです! 私の能力に不足があるわけがありません!」

「……貴方の能力はよく知っています、桂花。もちろん、貴方が袁州牧の下で働くにあたって不足しているとは思いません。洛陽での清流としての名声もあるのですから州牧としても悪い扱いはしないでしょう」

 

荀コンは憤る荀彧を見た。

洛陽の私塾で学び、清流派の面々と議論を酌み交わして、その顔役と目されるまでになった娘を。

その顔は自信に満ち溢れているようにも見えたが、どこか危ういものを感じさせた。

――あるいは不憫な子なのかもしれない。

最近になって娘を見る度に荀コンはそう思うようになった。

 

荀彧は優れていた。

荀彧が生まれるまでは麒麟児と呼ばれていた荀シンすらはるかに凌ぐ才能の持ち主である。

荀シンが時たま見せる奇抜な発想だけは荀彧に優っているかもしれないと荀コウは思っていた。

そう、優れすぎているのだ。

あまりにも容易に彼女は障害を飛び越えてしまう。

空を舞う鳥が大地の険しさを知ることもないのと同じように、荀彧にとって凡人にとっての試練とはただの日常と何の変わりもないものでしかない。

鳥として生きることができるのならばそれで問題はない。

しかし、荀彧は鳥でありながら大地を這いずる獣、凡人と共に生きなければならないのだ。

 

それは荀彧にとって幸福といえるのだろうか。

荀コウはそう問わずにいられない。

自らと比べてはるかに劣っている相手に傅き、付き合って生きていくことが娘の幸福であるかと。

 

荀彧は常に正しい答えを導くことができる。

それは天から愛されたと言っても過言ではない才能だ。

だが、言い方を変えれば、常に正解を導き出してしまい、間違えることが無いのだ。

だからこそ、荀彧を相手にすると誰もが自らが劣っていることを当たり前に思い知らされる。

何しろ、荀彧の言葉は常に正しいのだ。上辺でどれだけ否定したとしても内心では自らの誤りを思い知らされずにはいられない。

筍コウ自信、自分の娘によって自らの才能の限界を思い知った。

母親として荀コウは娘の優秀さを素直に喜んだ。

かつて学を極めんとした若き日の夢を娘に託せるだろうと思った。

だが、その裏で才能の塊と言っても過言ではない荀彧に嫉妬するところがなかったと断言できる自信は荀コウにはなかった。

 

荀彧の兄である荀シンは自らの誇りを傷付けられることに耐えられず、彼女から去っていった。

洛陽で荀彧が学んでいた際も同様の事が何度かあったと聞いている。

荀彧が学んだ私塾でかつて最も優秀だった学生が出奔したという話があった。

これについて私塾は何も言って来なかったが、荀コウは娘の存在が原因だったのではないかと思っている。

もちろん、このことについて荀彧に否があるわけではないだろう。

荀彧はただ正しいだけだ。そして、それだけで周囲を傷つけてしまうのだ。

 

――あれはバケモノなのではないでしょうか。

かつて荀シンが愛していたはずの妹を指して言い放った言葉が今でも荀コウは忘れられなかった。

あの時はきつく荀シンを叱ったが、荀彧が普通の人間と大きく異なっている事は荀コウも認めざるを得なかった。

荀彧の才能は比類ないものだが、それ故に彼女を殺しかねない。

正しいというただそれだけに、平凡な人間は耐えられないのだ。

 

この子にはその才能に相応しい王が必要だ、と荀コウは思う。

王佐の才、人物鑑定家からその様に評されたように、荀彧は主よりもその腹心という立場の方が向いているだろう。

だが、荀彧の主となる者にはそれ相応の資質が必要だ。

荀彧という巨星を受け止めてなお余りある器を持った王でなければ、彼女を使いこなすことはできないだろう。

 

――その点で言えば、残念ながら袁州牧は明らかに器が不足している。この子はただその器から溢れ出るだけだ。

 

――いや、そもそもこの子の主となれるような人物は存在し得るのだろうか。もし、もし存在していなければこの子は……

 

荀コウは自分の娘を見つめながらそう思った。

以前会った時の印象から言って袁紹では荀彧の主足り得ないと。

いや、現状、漢帝国を見渡しても荀彧の主足りえる器を見つけることは荀コウにはできなかった。

優れすぎているが故にそれに値する主が居ないのだ。天才ゆえの孤高であった。

 

――そして、おそらくこの子もまた内心では袁州牧が主足り得ない事に気がついているはず。それでも母親である私にここまで強く袁州牧への推薦を求めるのはあそこに友若が居るからでしょう

 

幼い頃から荀彧は荀シンに執着を見せていた。

荀シンだけが荀彧に真っ向から挑んでいたからだろう、と荀コウは思う。

思い返せば、才能に満ち溢れた荀彧に挑もうとするのは荀シンしかいなかった。

荀コウ自身も含め、荀彧の姉達や、子供たちの家庭教師として雇われた学者達、その全員が荀彧の才能が自らのそれをはるかに上回っていることを認めた。

そんな中で荀シンだけが妹の才能を否定して挑み続けた。

荀彧が生まれるまで麒麟児と持て囃された荀シンのプライドがそうさせたのだろう。それは愚かな事だった。

荀シンでは荀彧に及びもしないのだから。

傍から見ていて、荀シンの様子は巨山を動かそうとするかの如くであった。

 

だが、荀彧にとって見れば荀シンだけが自らに挑んでいたのだ。

他の誰もが荀彧の才能を認め、畏れ、彼女を特別だと扱っていたのに対して、荀シンだけが荀彧という個人に真っ向から立ち向かっていたのだ。

そう、荀シンだけが荀彧と対等な立場に立とうと挑み続けていたのだ。

荀シンだけが荀彧という個人を見ようとしていたのかもしれない。

きっと、だからこそ、荀彧は荀シンに罵倒を浴びせつつも兄に付きまとっていた。

 

荀彧は母親である荀コウに対して従順な態度を示すし、姉や父親、家庭教師に対しても礼を尽くす。

幼い頃から――それこそ感情のままに過ごすはずの幼少期から荀彧はそうであった。

圧倒的に早熟な荀彧は儒教などの社会規範を瞬く間に修めて見せたのである。

荀コウを始めとした周囲は荀彧が才子であるとそれを喜んだ。

だが、ただ想いのままに甘えるべき年齢をその様に過ごしてしまった事は荀彧にとって良かったのか、今更ではあるが荀コウは疑問に思う。

思えば、荀コウは娘が自分に対して感情を顕にする様子を今日まで見たことがなかった。

そんな中で幼い荀彧が唯一感情をむき出しにしたのが荀シンであった。

 

荀シンが洛陽で勉学をサボり商売にうつつを抜かしていたと知ってから、荀彧は兄に対して怒りを隠さなかった。

そして、荀彧はその勢いで洛陽まで駆け込むと、荀シンの首根っこを掴んで彼が私塾に行くよう監視をした。

これが荀シンではなく他の姉であれば、荀彧はそこまですることはなかっただろう。

本人は口では否定するが、明らかに荀彧は他の誰でもなく兄である荀シンに強い執着持っている。

それは心折れた荀シンが荀彧を避けるようになってからも変わっていない。

 

「ならっ! どうして母上は私のことを認めてくれないのですか!」

「桂花、漢帝国は今皇帝の権威が失墜し、混乱の最中にあります。清流と宦官、どちらも漢帝国に必要とされて存在してました。しかし、彼らは互いに激しく憎み合いっています。彼らの間を調停していた袁周陽殿や袁次陽殿といった先見の明ある方々がこの世を去った以上、どちらかが果てるまで彼らは止まらないでしょう。この先どうなるか……どの勢力が台頭するかは混沌としていますが、我が荀家は暗雲垂れ込める中でも生き残らねばなりません。どの勢力が最終的な勝者になるか分からない以上、一つの勢力だけに肩入れすることが危険な事は党錮の禁を見ても明らかでしょう。荀家はどの勢力が勝利したとしても決して侮られず、且つ恐れられないように立ち回らなければなりません。袁州牧の下には既に友若がいます。……あの子は貴方が生まれるまでは麒麟児と持て囃された様に才能があり、事実、袁州牧の下でもよく活躍していると聞いています。そうである以上、我が家と袁州牧の関係は十分です。分かりますね」

「しかし、母上、あれは当家を奔出した身です。もう十年近く当家とは何の連絡も取っていないあれを持って我が家との繋がりができたとは思いません。それに袁州牧の下で活躍しているという話も怪しいものです! あれは母上や私を騙し、洛陽で勉学をせずに商売なんかに傾倒していました。あれは当家の恥でもあります。何としてでも当家に連れ戻さなければなりませんし、それが叶わないのであれば、当家のものがあれが余計なことをしないように見張らなければなりません! ただでさえ、あれは袁州牧の下で商人の保護など漢王朝のあり方と大きく異なる政策を主導して、あちこちから睨まれています。更に、冀州への流民を止めるどころか積極的に受け入れる政策を行い、流民元の州牧を始めとした豪族からの憎悪を買うことになるでしょう。袁州牧へはその名声故に非難の声が向かっていませんが、その分、政策立案の顔とすらなっているあれにはこの帝国中の権力者が憎しみを向けることでしょう。そうなってからでは遅いのです。あれには自らに向けられた剣を躱す能力もないどころか、その存在にすら気がつけないほどの鈍感です。結果として、刃はあれどころか当家にまで向けられかねません。ですから早急に対処しなければならないのです」

 

荀彧の言葉を荀コウは目を閉じて聞いた。

なるほど、それは確かにもっともだ、と思う。

だが、荀コウは自らの言葉を曲げるつもりはなかった。

今のまま荀彧と荀シンが再会してもかつてと同じ様になるだろう。

2人共互いの感情が変わっていないのだから。

 

時々思い出したように送ってくる荀シンの手紙からは彼が未だに妹のことを忌避していることが読み取れる。

荀彧の話だと、彼女の手紙を荀シンは完全に無視しているらしい。

どうやら、荀彧は荀シンが荀家自体と音信不通になっているものと思い込んでいたらしく、兄が実家と連絡を取っていると知ると、その日は部屋に引き篭もった。

次の日、使用人から聞いた所によるとズタボロになった人形が荀彧の部屋の隅に転がっていたらしい。

その人形はどことなく荀彧の兄の面影があったと使用人は言っていた。

ちなみに、それと似た人形が小箱の中に幾つか入っていたとも使用人は証言した。

 

――随分と難儀な子……実の兄相手にこれでは結婚相手にはどうなるのかしら

 

荀コウはそう思う。

ともかく、今のままの荀彧と荀シンを再会させる訳にはいかない。

荀彧は彼女なりに凡人との付き合い方を学ぶ必要があるし、荀シンは妹へ抱いている強烈な劣等感から立ち直るための時間が必要だ。

お腹を痛めて生んだ2人の愛しい子供たちを思い、荀コウは決断する。

 

「桂花、これは荀家当主である私の決定です。貴方の話は参考として聞いておきますが、決定を変えるつもりはありません。貴方は曹孟徳殿の下へ行きなさい。彼女は貴方と同じ様に幼い頃から非常に優秀であったと聞き及んでいます。貴方としても学ぶところがあるでしょう」

 

荀コウは荀彧に向けて言い放った。

荀彧は耐えるように肩を震わせている。

 

「……私に、宦官の孫の下へ行けとおっしゃるのですか?」

「そうです。曹孟徳殿は皇帝陛下の信も厚く今後出世する可能性の高い人物です。ですが、彼女は宦官の孫であるために部下を集めることに苦労するでしょう。洛陽で清流との幅広い繋がりを得た貴方を曹孟徳殿は喉から手が出るほどに欲しいはずです。貴方が行けば歓迎されるでしょう。つまり、恩を売る相手としてとても有望なのです」

「……分かりました」

 

荀彧はそう言うと荀コウに頭を下げて部屋を退出していった。

荀シンの下へ向かうつもりだろう、と荀コウは確信にも似た思いを抱く。

荀コウはそっと目を伏せた。

 

――この子はやはり私の手の中に収まるような子ではない。

 

結局のところ、荀コウが何をしようが本気になった荀彧を止めることなどできないのだ。

 

荀コウの想像は正しく、荀彧はこの後、袁紹に仕えるべく動き始める。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

「ぇ!? ぶっ、ぶんっ、文若がこっちへ来る!!!???」

 

妹である荀彧が袁紹の下で働きたいと伝えてきたという話を聞いて友若は引きつけを起さんばかりの様子で叫び声を上げた。

友若にしてみれば、袁紹の配下であるということは高い収入を得られる機会が多いものである。

仕事は決して楽とは言えず、将来的には消滅するという事が予測されるという問題はあるものの、戦乱の世に備えて高収入が得られるということは魅力的であった。

だが、それは決して妹が側にいる事によって受けるストレスに見合うものではない。

 

「ええ、そういう話だそうです。友若の妹さんは優秀と聞いていますし、私としても期待しています」

「だっ、ダメです、ダメです!!! あんなのを本初様に仕えさせてはいけません!!!」

「なんや、ごっつう焦っとるなあ。どうしたんや?」

「あっ、えっ、ええっと、……えっと、そ、そうだ。妹は当家の恥なのです。本初様にはふさわしくありません!!!」

「え? 洛陽での評判ですと非常に学識深く聡明な方だと聞き及んでいますが」

「え、あ、で、ですが、妹は人に言えない趣味を持っているのです。具体的には服の下に《――検閲削除――》していたり、厠で《――自主規制――》をしたりとんでもない《――放送禁止用語――》なのです!!!」

「え、あ、そ、そうですか……」

「え、うん、そうなんか」

 

泣きそうな顔で公共の場に相応しくない言葉を叫ぶ友若に許攸はドン引きだった。

普段友若と悪友といった感じで悪ふざけや金儲けに興じている審配は両手で真っ赤な顔を覆っていた。

そして、そんな様子にも気が付かないほど、友若はパニックを起こしていた。

トラウマである荀彧とは無縁の生活を長年過ごしていたことで、精神的に緩みのあった友若の心を許攸の何気ない話が強烈に抉ったのだ。

友若は折角冀州で築き上げたはずの名声を台無しにしかねない様子で泣きわめいた。

 

「友若殿が妹君と不仲であるという噂は聞いていたがこれほどとは……」

 

荀彧を受け入れることに積極的だった田豊は友若の様子を見てそう呟いた。

とてもではないが、荀彧が来るという話を聞いて取り乱す友若の様子からはこの人物がこの冀州を急速な発展へと導いた優秀な政治家とは思えなかった。

最終的に田豊は荀彧を諦めた。

現状で袁紹と冀州になくてはならない友若を切り捨てるリスクと未だ見ぬ荀彧の可能性とでは全く釣り合っていなかったのである。

 

「いやー、妹さんの話を聞いた時の友若の慌てっぷり、私も見たかったなあ」

「うっ、い、いや別にそんな」

「いやいや、あん時の友若はすごかったで。むっちゃ恥ずかしい言葉がばんばん飛び出てくんねん。うちめっちゃ恥ずかしかったわ。と言うか、テンパった時にあんな言葉が出てくるとか、友若ってそういう趣味でもあるんかいな」

「そ、そんな訳ないじゃないですか。も、もうこの話はやめておきましょう」

「そうね、妹さんの話を聞いて前後不覚に陥った誰かさんが帳簿を墨汁の中に落としたせいで今大変なことになっているんですものね。取引が不可能になった株式会社から賠償請求が来ているし、とんでもない損害が発生したわね」

「……誠に申し訳ありませんでした。損害は私の方で補填させて頂きます」

「ほーっ、こんだけの賠償額をポンと出せるんか。友若ってうちが飲みに行こうって誘っても何だかんだ断ってくれてるけど、金持ってるなら付き合わんかいな。こんな美女放っといて罰があたるで。今度一緒に飲み比べしようやないか」

「いや、俺は大して飲めないから正南さんと飲み比べなんて出来る訳ないじゃないですか」

 

ともかく、荀彧が袁紹の下へ来るという話は多額の犠牲を出しながらもなくなったのである。

こうして、荀彧はまさかの不採用通知を受け取ることになる。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

「不採用……ですってえ!? 巫山戯んじゃないわよ。あいつが働いてるのに私がダメとか連中どんだけ見る目がないのよ! どうせあいつが変なことを周りに吹き込んだに違いないわ! 今度あったらこの人形と同じ様にギタギタにしてやる!」

 

袁州牧から知らせを受け取った荀彧は怒りに燃えていた。

怒りのままに手に持った人形――どこか友若に似たそれ――をぐにゃぐにゃと変形させる。

明晰な荀彧の頭脳は自分が不採用となった理由を正しく導き出していた。

というか、清流としての荀彧の名声を考えれば、濁流や宦官の派閥以外ならどこにでもいけるはずなのである。

 

「~っ! まあ、しょうがないわ。しょうがなくはないけどしょうがないわ……取り敢えず母上の言う通り曹孟徳とやらのところに行くとしましょうか。もし、大したやつじゃなかったらボコボコにしてやるわ」

 

一通り怒りを発散させた荀彧は人形を片手にそう言った。

こうして、荀彧は自らの仕えるべき王に出会うことにある。

 

だが、荀彧は知らない。

荀彧を遠ざけようと冀州で友若がとんでもないことを言っていたことを。

それを知った時、荀彧は己の尊厳をかけて友若をボコボコにすることになる。

 


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