雄英高校は全国トップクラスのヒーロー排出率を誇る学校である。しかしあくまで学校だということを忘れてはならない。ヒーローになるための勉強だけしているわけではない。むしろトップヒーローだからこそ教養が求められる場面だって多いのだ。
当然授業の質はそれなりに高い。だがこんなことで躓いているようではトップヒーローなど夢のまた夢である。
「……」
「やあ緑谷君!昼食は一緒に――どうしたんだ東方君!?吹いたら飛びそうだぞ!?」
「あ、あはは」
飯田は真っ白な灰になりかかっている忠助を見て目を剥いて声をあげる。その言葉通り、忠助は自慢のヘアスタイルも萎んで見えるほど疲弊していた。虚ろな瞳で髪型を整える姿はもはやホラーだった。
隣に腰かけてかつ丼にはしを伸ばす出久もこれには苦笑いだ。
「へ、偏差値79はだてじゃねーってことかよ~~~」
「何だ?もしかして授業で分からないところでもあったのか?俺でよければ相談にのろう」
「……もうどこが分からねぇとかそーいう問題じゃあねえぜ~~、くっそ~、因数分解ってなんだよ分解すんなよそっとしといてやれってんだよ~~~~」
「それでどうやって筆記試験をパスしたんだ君」
額に汗をかきながらガタガタ震える忠助に、予想よりもはるかに重症であることを察した飯田が、もはや真顔で尋ねた。
当たり前だが入試は実技だけではないのだ。因数分解で躓いている忠助が通過できるレベルではなかったはずなのだが……。
「気合で何とかしたっつーんだよ、あんなもん合格した瞬間によ~、全部忘れちまったぜ~~」
「君という奴は……自信満々に言うことじゃないだろう!」
「ま、まあまあ!これから頑張ればいいんじゃないかな?危なかったら僕も手伝うからさ」
「おう!頼りにしてんぜ~~~」
「隣いい?」
突然聞こえてきた声に、男三人がそろって顔をあげる。
そこにはショートカットの、先端がイヤホンのようになった耳が特徴的な女子生徒――耳郎響香と、隣で若干不安そうに眉をひそめている八百万百の姿があった。
「俺ぁ別にかまわねーぜ」
「ああ、気にせず座ってくれ!」
「ぼ、僕も全然座ってくれていいよ」
女子相手だと上手く喋れない出久が思い切り目を逸らしているが、耳郎はとくに気にすることなく忠助の隣に腰かけた。八百万もまたおずおずと耳郎の隣に座る。
「あのさ、東方」
「お、なんか用かよ?」
「初めて見た時からずっと気になってたんだけど、そのヘアスタイルってプレスリーリスペクト?イカしてんじゃん」
「こいつの良さがわかるたぁ、なかなか分かってんじゃねーか耳郎~~」
「まあね、っつかロックが好きな奴ならリーゼント嫌いな奴はいないっしょ?」
それはそれで偏見なんじゃないかと、聞いていた出久は思ったが口には出さなかった。
髪型を褒められて上機嫌な忠助を見て、口を挟む必要はないかなと思ったからだ。それにしても褒め言葉で良かった、今ヘアスタイルと言う言葉が聞こえた瞬間に反射的に耳郎に跳びかかりそうになってしまった。
それはひとえに忠助のある欠点のせいなのだが、とりあえず今回は杞憂ですんで良かったと胸をなでおろす出久である。
「ま、一応答えとくとよ~~、俺もロックは好きだぜ~~、だけどこのヘアスタイルはよ~~、アーティストの真似ってわけじゃあねー」
「へぇ、自分の趣味ってこと?」
「いや、そーいうわけでもねーんだけどよ~~」
「あの、お話ししづらい内容なのでしたら、無理に言わなくてもいいんですよ?」
それまで黙々と食べていた八百万が、恐る恐ると言った風に忠助に語りかけた。忠助はそれに「そーいうわけでもねーんだけどよ~~」と頭を掻いた。
「……ま、別に隠してるわけでもねーからいいぜ、ただちょっと長くなるうえにおもしれー話でもねーからよ~~」
そう言って忠助が語ったのは、自分がこのヘアスタイルになったきっかけの事件。出久は子供のころからそれこそ暗唱できるくらい聞き続けた話。
忠助が幼いころ、祖父の家に遊びに行ったこと――。
その街で謎の高熱を発症して死にかけたこと――。
母親に病院に連れて行ってもらったが、大雪で車が動かなくなったこと――。
立ち往生の最中に現れた、『あの人』のこと――。
学ランをタイヤの下に敷いて車を押してくれた『あの人』のこと――。
記憶にいつまでも残っている、ボロボロの学ランを背負って去っていく男の背中。
「ふーん、じゃあその人に憧れてその髪型にしてるってこと?」
「ああ、俺にとっちゃどんなヒーローよりも、でっけー憧れなのよ」
「――ボー」
「ん?」
話を聞いていた飯田の肩が小刻みに震えていることに、忠助が気づくと同時に、飯田は椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がって、
「ブラーボー!すばらしい話じゃないか東方君!俺は感動した!つまり君の髪型はヒーローの象徴みたいなものなんだな!それなのに俺は、君の櫛が私物だなんて――もう何も言うまい!君の櫛は私物じゃない、必需品だ!持ってきて良い!」
「お、おぉ、ありがとよ」
「い、飯田君!?ここ食堂だから大声はちょっと!」
「む、そうだな!」
椅子に座り直す飯田に、出久と忠助は脱力した。
真面目なのはいいことだが、度を超すと困りものだ。
そんなことを考えていると、忠助の耳に「あの」と控えめな声が届く。
「東方さん、私も謝らなければいけないかもしれません」
「んん?何言ってんだ?」
「私、貴方のことが少し怖かったんです、見た目だけで不良何じゃないかって思ってしまって」
なるほど、ここに来てからどこか不安そうだったのはそういうわけだったのかと、忠助は一人納得した。
「でも、今のお話とても素敵でしたわ。東方さんがそんなに真面目な思いでその髪型を選んでいるのに、私ったら酷い偏見を――」
「おいおい、あんまりかしこまるもんじゃあねえぜ~~、このヘアスタイルがよ~、普通の奴からすりゃ不良っぽく見えんのはわかってっからよ~」
「怒っていませんか?」
「あたりめーだろ」
ほっと胸を撫で下ろす八百万の肩を、耳郎が軽く叩いた。
その顔は見たかとばかりに得意げだ。
「ほら、だから言ったじゃん?悪い奴じゃないって」
「じ、耳郎さん!そのことは――」
「え、えっと、もしかして耳郎さん、八百万さんに相談されたとか?」
「うん、クラスメイトだから話もできないのはまずいんじゃないかって言うからさ、話してみりゃ絶対いいやつだと思って連れてきたんだ」
「も、もう!言わないで下さい、子供みたいでかっこ悪いじゃありませんか」
頬を赤らめて縮こまる八百万、耳郎はにやにやしながらその頬を指でつついてからかっている。
いつだって人は見た目によらないものだ、たとえば耳郎と八百万だって、気が合うタイプには見えない。それでも入学二日目にして随分と仲がいい。
こうやってクラスメイトの新たな一面を発見しながら、仲良くなっていければいいと思う忠助だった。
――と、ここで終わっていればただのいい話で終わったのだが、そうは問屋がおろさない。今度は背後から声が聞こえた。
「いい御身分だなおい、東方、入学二日でもう女子と仲良くなるなんて、これだからイケメンは!」
「ん、峰田じゃねーか、羨ましいならおめーも来いよ」
「えー、やだよ、そいつ視線がやらしいから」
「うっせぇ!誰がお前なんか見るかよ、八百万は見てっけどな!」
「……峰田さん、その言動はヒーローを志す者としてどうかと思わなくて?」
「ふっ、蔑んだ視線なんぞただのご褒美だぜ!」
「ダメだこいつ……」
「峰田よ~、そーいう男子のノリってやつ?女子に押し付けると嫌がられんぜ~~」
「黙れ黙れ! イケメンの分際で!アウトロー気取ってんじゃねぇーっ!! なんでそんなーー」
椅子をガタガタと揺らして悔しがる峰田に、出久は直観的に何かを感じ取った。
――そう、ヤバい匂いと言うやつだ。峰田の口元がスローモーションに見える。
ヘ・ン・ナ・カ・ミ。
そこまでだった、出久は自分が食べ終わったかつ丼の器がひっくり返るのも構わず峰田に飛びついてその口を塞ぐ。
今まで大人しくしていた出久の凶行に飯田、耳郎、八百万だけでなく近くにいた全員が目を丸くした。
当然口を押さえられた峰田もその一人だ。バタバタともがいて口元に押し付けられた手を除けようとする。
そんな峰田に、出久は大慌てで声をかける。
「み、峰田君!今何も言おうとしてないよね!?」
「ふがふがもがもがぁー!!(なにわけわかんねえこといってんだ離せ! 男に抑えつけられる趣味はねえんだよ!)」
「い、いいから答え――」
「なあ峰田」
ぞわっと、その場にいる全員の背筋が冷えた。それほどまでに、冷たい声だった。
冷たく、そして煮えたぎる声、端的に言って命の危機を感じるような――。
「俺の聞き間違いだよな~~? 今、変な髪型って言おうとしたか?」
「や、やだなあ忠助! 聞き間違いに決まって――」
「峰田に聞いてんだよ」
峰田を抑えつける出久をゆっくりと押しのけて、忠助は峰田の前に屈みこむ、ちょうど視線を交差させられるように――。
視線だけでヴィランも仕留められそうな鋭い眼光に峰田も思わず悲鳴を上げた。
「ひ、ひぃ!?」
「何ビビってんだよ、聞いてるだけじゃねーか、おめーは、俺の、髪型のことを言おうとしたのかってな~~~」
「い、言ってない、言ってないぞ!!」
忠助は残像が見えるスピードで首を横にふる峰田を数秒睨みつけると、「ま、今回はそういうことにしといてやんぜ」と呟いて、自分のトレイを持つとその場から去っていった。
「……ごめんヤオモモ、やっぱり怖い奴かも」
「かか、髪型さえ触れなければいい奴なんだよ! ホントに!」
「分かっています緑谷さん、大丈夫ですわ……」
「足が震えているぞ八百万君!?」
とりあえずこの日からA組に『東方忠助の髪型を貶してはならない』という不文律ができた。
我ながらわかりづらくなってしまったのでいくつか解説をば。
まずあの人のエピソードですが、原作とほぼ同じにしているので大幅カットです。
ちょっとだけ詳しく書くと、忠助は四歳の時に祖父のいる杜王町に遊びに行った際に『あの人』に会いました。
ちなみに一話で忠助が「杜王町ってどこだよ」的な発言をしていますが、あれは知らなかったわけではなく、田舎過ぎるのを揶揄して言っていただけです。