緑谷出久は追い詰められていた。
早くも半数以上の種目が終わったというのに目立った成績は残せていない。いやそんな言葉でごまかすのは止めよう。はっきりと分かっているのだ。
――このままでは除籍は確実だと。
当然そんなことはごめんだ。せっかく入学できたのに、初日で退学などオールマイトに合わせる顔がない。
しかしそれはそれ、これはこれだ。
ワン・フォー・オールの制御ができない以上、自分にできることは限られている。
即ち、どこか一つの競技に賭けるしか無い。どこか一つで、ずば抜けた成績を残すしか道はないのだ。
そして、熟考の末出久が選んだのは――ソフトボール投げ。
小さな円の中で、出久は呼吸を整える。自分を見ているクラスメートの視線も、担任のどこか冷めた視線も、今だけは、忘れる。
(やるしかない、いや、やってやるんだ!!今ここで!)
出久はボールを握り込むと、大きく振りかぶった。
※ ※ ※ ※
緑谷出久が小さな円に向かっていくのを、忠助はじっと眺めていた。
五十メートル走六秒二。
握力七十キログラム
反復横とび七十二回
それがこれまでの緑谷出久の記録たちだ。これが一般の高校の体力テストであれば十分すぎる記録の数々だろう。
だがこれが個性把握テストとなると話は変わる。
あまりにも、普通。もちろん悪い意味で、だ。
ここにいる全員、何かしらの得意分野がありそれに関しては他の追随を許さない記録を出している。
それと比べると出久の記録は、平均して高い数値こそ出しているものの器用貧乏の感が否めない。
このままでは、間違いなく――。
「除籍はデクで決まりだ。分かり切ってたことだけどな」
「……聞いても返事しねえくせによ~、今度は自分から話しかけてくんのかよ」
周りには聞こえない程度の小声で話しかけてきたのは、忠助のもう一人の幼馴染――爆豪勝己だった。
爆豪は忠助の言葉にはいっさい応える気はないようで、忠助に苛立ちを多分に含んだ目を向けると吐き捨てるように呟いた。
「てめぇの仕業か、チュースケ」
「あぁ?何の話だ?」
「しらばっくれんな、おかしいと思ってた、無個性でなんにもできねえあの野郎が、何を間違えたら雄英に合格すんのか」
「……何が言いてーのかよぉ、さっぱりわかんねえぜ」
視線を合わせようともしない忠助に、爆豪は苛立ちを隠そうともせず忠助の腕を掴んだ。
額に青筋を浮かべて、言葉通り今にも爆発しそうなほどの怒りを抱えて、爆豪は忠助を問い詰める。
「てめぇが協力したんだろうが!じゃなきゃあいつが合格できたわきゃねぇんだ!」
「……おめーが何を思おうと、俺は何もしてねえよ、ここにあいつがいるのは間違いなくあいつの実力だろーぜ」
「この期に及んでしら切るつもりか、この――!」
忠助は幼馴染の顔を見据える。出久ほどではないにせよ子どもの頃はよく見た顔だ。
だが出会った頃は今ほど出久に対して敵愾心を抱いてはいなかった。よくある子供が友人をからかって遊んでいる、その程度の関係だった。
それがいつからこうなってしまったのか、忠助はよく知っている。
その瞬間を、確かに覚えている。
「勝己」
「気安く呼ぶんじゃねえ!ぶち殺されてえのか」
「おめーがいつまで意地張ろうと勝手だがよ、それを理由にあいつの努力を貶すこたぁ許さねえ」
「……意地だぁ?訳のわかんねぇこと言ってんじゃねえ殺すぞ!」
「分かるさ。他の誰でもねえ……俺だからこそ、な」
いよいよ瞳に剣呑な色が混じってきた爆豪を前にしても、忠助は一歩も引かない。むしろ二人の小競り合いに気がついた周囲のクラスメートたちがざわめき立っていたが、二人の耳にはそれすら届いていなかった。
「進んじまった方向は違うだろーが、見ちまったもんは同じだろーからよ~~、オメーも俺もなぁ」
そう言って遠くを見るような忠助の瞳の奥に映るのは、子供のころ見た景色――。
決して色あせることなく、残り続けている、幼き日の一コマ。
小さな川で転ぶ爆豪と、それに手を伸ばす出久の姿――。
奇しくも、いやこの場合は必然的か。
忠助の瞳の奥に映った景色が、見えたかのように爆豪の顔が爆発的に歪んだ。
ぎりぎりとなる歯、小刻みに爆発する掌、その燃えたぎる怒りは、一心にリーゼントの少年のもとへと向かっている。
「俺を――」
爆豪は抑え込んでいたそれを一気に解放させて絶叫した。
「知った風に俺を語ってんじゃねぇーーーーーー!!!」
突然怒りを爆発させた爆豪に、二人の会話が聞こえていた者も、聞こえていなかった者も、一斉に二人へと視線を向ける。
そしてそれは緑谷出久が投擲したソフトボールが、一直線に空に消えていくのとほぼ同じタイミングだった。
「――なっ!?」
彼方へ消えたボールを見て、怒りすら忘れて驚愕する爆豪の横で、忠助は満足そうに口を歪めていた。
※ ※ ※ ※
その後、怒りが限界を超えた爆豪が出久に突撃して相澤に止められたりするアクシデントはあったものの、体力テスト事態はつつがなく終わった。
あとは運命の結果発表だけだ。
「はいお疲れ様、それじゃ時間ももったいないからさっさと結果を発表する」
その言葉に数人の、おそらく成績が芳しくないという自覚のある生徒たちが固く目を瞑る。当然その中には緑谷出久の姿もあった。
と言うのも、ソフトボール投げで驚異的な結果を出した彼だったが、その後の競技に関してはごく平均的な記録だったせいだ。
理由ははっきりしている。
――ポケットの中で腫れあがっている右手の人差し指だ。
全力で個性を使えば体が持たない、そんな緑谷出久の考えた苦肉の策がワン・フォー・オールの部分使用だった。腕全体で個性を使うのではなく、指一本を犠牲にする、それがこの場での最適解だと考えたのだ――もっとも理由はそれだけではなかったのだが。
結果的に目論見はうまくいったものの、当然というべきか彼の人差し指には見事な亀裂が走り、耐えがたい激痛がその身を襲っていた。
しかし出久はそんなことを億尾にも出さず、力強い笑みを浮かべてその後の種目を乗り切った。恐らく出久の怪我に気づいているクラスメートはいないはずだ。
やるだけやったという意識は確かにあるものの、それが結果に結びつくわけでもない。
出久はギュッと目を瞑ってその瞬間を待ち――。
「あ、ちなみに除籍処分ってのは嘘な」
「「「「「へ?」」」」」
「君らの最大限を引き出すための、合理的虚偽」
「「「「「えええええええええええええええええ!?」」」」」
いやらしい笑みを浮かべてそんなことをのたまった相澤に、全力で絶叫した。
そんな出久を呆隣から呆れ顔で眺めていた東方忠助は、ポケットから出した櫛で髪型を整えながら呟いた。
「ま、だろーとは思ってたけどよ~」
「じょ、忠助!気づいてたの?」
「気付いてたっていうかよ~、考えりゃわかんだろ?まわりよく見てみろって」
忠助の言葉に辺りを見渡した出久は、クラスメートのうち数人は全く驚いていないことに気づいた。
どうやら洞察力という面でも自分はまだまだらしい……。
クラスメートが三々五々教室に帰っていく中、ひとり膝をついてがっくりと肩を落とした出久の背中を、忠助がバンバンと叩く。
「ま、こんくらいで気に病んでも仕方ねーぜ、せっかく学校終わったんだしよ、適当に喫茶店でも見つけて、再会祝いにパーッっと――」
と、身ぶりも大きく寄り道を提案しようとした忠助の右手に何かが巻きついた。
白色の布にしか見えないそれは、布とは思えない頑強さとしなやかさで持ってして忠助をからめ取っている。
ついさっき見たばかりのそれが自分の腕に巻きついていることに、忠助は額に冷や汗を流しながらその布を放ってきた人物を見る。
「あ、あの~、イレイザーヘッド?」
「どうした東方」
「い、いや~先生ともあろう方がミスとは珍しいっすね。俺の腕に巻きついちゃってるんすけど……」
「残念だが間違いじゃないよ……授業中の私語の多さがあまりにも目立つ。お前はこれからお説教だ」
「じょ、冗談じゃねーっスよ!俺はこれから出久と茶でも飲んで近所の特売セールに――」
「うんはいはい、逃げようとしてる暇があったらさっさと指導室に行こう。その方が早く終わるだろ?実に合理的だ」
「う、うおおおおおおおおおおお!?」
相澤の意思が堅いと知った忠助は、必死に腕の捕縛武器をほどこうと試みていたが、結局そのまま相澤に引きずられる形で校舎へと向かっていった。
その際出久の横を通りかかった相澤が、ちらりと視線を寄こした。その視線は一直線にポケットの中の右手に向いている。
「ぼぼ、僕が何か……?」
「……いいや、何でもない」
明らかに何かありそうな顔をして去っていった相澤を見ていた出久は、背後から腰を叩かれる感触に振り返った。
「ハリボー食べるかい?」
「リ、リカバリーガール!?なんでこんな所に――」
「全く師弟揃って最初に言う言葉まで同じかい」
「え?」
「こっちの話だよ、とりあえず保健室においで、右手の怪我を治さないとねぇ」
「え?え?なんで知って――」
「まったく、せっかく声をかけに来たっていうのに東方は連れていかれてるし、汐華はさっさと帰ってる。最近の若いもんは焦ってばっかりでいけないねぇ」
(あ、これ聞いてないな何も……)
ぶつくさとよく分らない愚痴を垂れているリカバリーガールに引きずられ、緑谷出久は保健室へと連れて行かれた。