あ! やせいのダイナソーがとびだしてきた! 作:いぶりがっこ
大きな背中があった。
激流に揉まれ、角の落ちた巌の如く雄大な盛り上がりを見せる広背筋を、爬虫類特有の、真っ赤な分厚い蟇肌が覆っていた。
背中だけで伝わってくる強者の貫禄。
しかし今、男はその大きな背を丸め、殊更窮屈そうに身を縮め、ベンチに腰を下ろしていた。
竜であった。
このカントーちほうには珍しい、おそらくは唯一のきょうりゅうポケモンの末裔。
キング・オブ・ダイナソー。
旋律のデビュー戦を終えたロッカールームに佇む彼の背中からは、リング上で見せた狂気がすっぽりと抜け落ちており、どこか寂寥感に満ちた瞳の色は、長きに渡る戦いを生き延びた老雄の知性すら感じさせた。
(……やはり、あのリングの上には、私の求めて止まぬ何かがあるのだ)
肺腑に充満した会場の熱気を、大きな鼻腔から深く長く吐き捨てる。
ふるふると別の生物のように震える爪の先を見つめる内に、ずきり、と頭部に痛みが走った。
この時折走る偏頭痛もまた、彼に確信を与える材料の一つであった。
「……どうしたの、キング、どこかケガしたの?」
ガチャリと後背の扉が開き、先ほどの少年、テリーJr.が、室内へと入って来た。
「少年よ、いきなり何を言う?
太古より磨きに磨き上げたマイマッスルが、あれしきの戦いで手傷など追うものか」
「だけどキング、そんなに震えているじゃないか?」
「……ああ、そうだ、震えておるのだ。
ふふ、今宵のリングとの出会いに、私の全細胞が歓喜に打ち震えておるわっ」
ダイナソーの吐き出す言葉が次第に熱を帯び始め、やがて、獰猛な大型肉食ポケモン特有の傲慢な笑いが溢れだす。
「フハハハハッ! やはり、間違ってはいなかった。
失われた私の記憶の欠片は、あのスポットライトの下に残っていた。
そうだダイナソー、お前のルーツはマットの上にこそあるのだと、
マイマッスルが全力で夜泣きしておるのだァー!」
「キング……」
道化のような恐竜王の高笑いを前に、少年が悲しげな瞳を向ける。
失われた記憶。
それこそがこの暴君が今宵のリングに姿を現した理由であった。
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遡ること半年前――
ダイナソーの最初の記憶は、打ち上げられたクチバの海岸線で望む朝焼けより始まった。
海難事故か? あるいは何かの事件に巻き込まれたものか?
とにかく彼は、それまでの記憶を、1・2の……ポカン! と失ってしまったようであった。
右も左も分からぬ世界の中で、人間の言葉を理解できた事だけは幸いであった。
自分がポケットモンスター、通称ポケモンと呼ばれる生物である事もその内に理解した。
とは言え、ここカントー地方の生態系は、恐竜王たる彼の力をしても、ほとほとに手を焼いた。
何せ草むらから飛び出して来るポケモンたちはいずれも好戦的で、小さな個体ですら、どくばりだの、ちょうおんぱだの、しびれごなだの、危険な攻撃を次々と繰り出して来るではないか。
と言って、無用な縄張り争いを避けるべく街道に出れば、たちまち新鋭気鋭のポケモントレーナーたちのモンスターボールが飛んで来る。
数々の地獄を乗り越えて来た不屈の肉体がなければ、どれだけゼツメツしていた事か。
カントーちほうはまさしく修羅の国であった。
だが、飽くなき生存競争の日々は、彼自身にとってもプラスに働いた。
絶えず迫り来る窮地と闘う日常の中で、戦士としての彼の魂は少しずつ回復を果たし、やがておぼろげながら、幾ばくかの記憶を引き出す事にまで成功したのだ。
雄大な自然と、力の掟が全てを支配する太古の世界。
降り注ぐ隕石、この世の終わり、永い不毛の季節の底に埋もれて行く同胞たち。
そして……。
そして、何かがあったハズである。
彼が、今の自分に、殊更に純粋な力を渇望する、獣の道を選んだ契機となるような事件が。
だが、どれほど強く切望しても、その記憶はイワヤマトンネルのように見通す事が叶わない。
生き延びるために闘争を強いられていた筈のダイナソーは、いつしかより強大な敵を求めカントーちほうを彷徨うようになっていた。
本気のボディスラムでピッピを昏倒させ、ミニスカートを泣かせた事もあった。
街道を塞ぐ邪魔なガビゴンを、全力のジャーマンで引っくり返した事もあった。
カラカラたちの葬列に混じり、かつての同胞に哀悼の意を捧げた夜もあった。
サファリゾーンで牛を絞め落し、係員さんからこってり絞られた事もあった。
ロケットだんの密猟現場に殴り込み、仲間割れと間違われて諸共に摘発されかけた事もあった。
伝説のとりポケモンとの大一番を求めチャンピオンロードに遠征し、手厚いモンスターボールの洗礼を浴びた事もあった。
……それでも、何かが欠けていた。
闘争の量ではなく、質。
本当の自分を取り戻すためのキーパーツが欠けているのだと、自分の中で誰かが叫んでいた。
そんなある日、草むらに一冊の色褪せた雑誌を見つけた。
月刊ポケモンプロレス『リング』
追悼十周年企画と銘打たれた見開きには、フラッシュを浴びて美しいブリッジを描くカイリキーの雄姿が写し出されていた。
(これだッ!!)
たちまち脳髄を10まんボルトが走り抜けた。
苦楽を共にした全身の筋細胞が「YES」と叫んでいた。
ダイナソーは矢も盾も堪らず海を渡り、やがてグレンタウンで一人の少年と出会った。
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「……失われた記憶。
それが君が、この『だいもんじスープレックス』のマットに上がった理由か」
それまで廊下で二人の話を聞いていた男が、おもむろに室内へと入って来た。
興奮を抑え、ギロリ、とダイナソーが鋭い視線を向ける。
「YOUは?」
「失礼、私の名はテリー・ロヂャース。
その子の父親で、今はだいもんじスープレックスの代表を務めている」
テリーと名乗る男はそう言って、ポケモンに対しても礼を欠かす事無く会釈して見せた。
「まずはお礼を言わせてもらおう。
キミのおかげで、我々は当面、廃業の危機を乗り越える事が出来た」
「フハハ、余計な気遣いは無用だ。
こちらにはこちらの都合があって、勝手にリングに上がらせてもらったのだからな」
「そうか、そう言ってくれると助かる」
テリーは一つ安堵の息を吐き、向かい合うようにベンチへ腰を下ろした。
「今後の話をしよう、Mr.ダイナソー。
ジュニアからある程度、事情は聞いていると思うが、
今、我々は
対し、ウチの代表は……。
恥ずかしい話だが、急遽大将としてリングに上がった、君ひとりしか残っていない」
「ゼツメツ寸前だな、文明社会における生存競争もまた苛烈なものよ」
「改めて頼む、ダイナソー。
今後の試合でも、我々DMSの大将としてリングに上がってもらえないだろうか?
無論、こちらも君のトレーニングを全力でサポートさせて貰うつもりだ」
「ふはっ、共存共栄か。
卑屈になる必要はないぞ、社長。
互いの生存のためならば、秩序なき野生の獣とて時には共闘する事もあろう」
「おお! それでは」
「ただし」
歓びの声を上げかけたテリーに対し、ダイナソーは敢えて突き放すように断りを入れ、ゆっくりと重い腰を上げた。
「寝食だのサポートだの、余計な施しは私には一切不要だ!
野生とは奪うモノ。
文明を甘受すれば、巨大な竜すらタダのトカゲポケモンになってしまうと言うぞ。
YOUたちはただ、黙って私に敵だけを与えていればよいのだ」
「な……!」
「待てッ、ダイナソー、それは無謀だ!」
ダイナソーの不遜な物言いに対し、傍らのポケモントレーナー・スグルが堪らず叫んだ。
それは名門ポケレスジムのプライドではなく、純粋な老婆心から飛び出した言葉だった。
「ダイナソー、アンタは獣神武闘会のやり方を知らんから、そんな事が言えるんじゃ。
己の肉体一つで奴らの組織を相手にしようなど、
ポケモンを持たずにロケットだん本部に殴り込むようなモンじゃい!
ここは下らんプライドは捨てて、我々で一致団結して……」
「……それで、YOUが私をコーチしてくれると言うのか?
このきょうりゅうポケモンに適切な食事と休養を与え、
最適な腹筋の鍛え方を指導してくれると?」
「そ、それは……!」
「出来ぬのだ!
おそらく私は、このカントーちほうで唯一無二のきょうりゅうポケモン。
白亜紀に名を馳せたポケモンプロレスの名伯楽たちも、今や揃ってかせきとなって土の底よ。
たとえあの、ポケモンそだてやおじさんであったとしても、私を鍛え直す事など不可能だ」
「そんな」
「少年、YOUもあまり調子に乗るなよ。
私はあくまでマイマッスル一つを頼りに生きるやせいのポケモン。
YOUのボールに入るかどうかも、私自身の意志で決めるのだッ」
そこでダイナソーは一方的に話を切ると、そのまま振り向く事無く悠然と控室を後にした。
扉の閉められたロッカールームで、憤懣やるかたないスグルが愚痴をこぼす。
「くそっ、何なんじゃアイツは!?
テリー、本当にアイツを対抗戦に使おうと言うのか?」
「スグル……」
「こんな事は言いたくは無いが……、ヤツは獣神武闘会とは別の意味で危険なポケモンだ。
力への信仰が純粋すぎる。
事と次第によっては、だいもんじスープレックスの終焉に泥を塗る事になりかねんぞ」
「…………」
「やめてよ! キングの事をそんな風に言うのは」
スグルの言葉に対し、声を振り絞るようにテリーJrが叫んだ。
「しかしのう、ジュニア。
お前さんは自分が初めて捕まえたポケモンなもんじゃから、
そうやってアイツの肩を持つんじゃないのか?」
「……ああ、そう、そうだよ。
アイツは、キングは僕の話に黙って耳を傾けてくれて……。
それで何も言わずに、自分からモンスターボールに入ったんだ。
そうじゃなきゃ、あんな強力なポケモン、僕に捕まえられるワケがないじゃないか!」
「……!」
Jrの言葉の意味に気付いた二人が、ハッ、と互いに顔を見合わせた。
キング・オブ・ダイナソーは、人語を解する頭の良いポケモンである。
今日のリングに立つと言う目的のために、目の前の少年を利用する事にした。
そう解釈する事も確かに出来る。
だがダイナソーは知性以上に気位が高く、自らの種に絶対の誇りを持つポケモンでもある。
きょうりゅうポケモン最後の末裔が、そこいらの小僧にむざむざと捕獲されるなど言う屈辱に耐えられるものだろうか?
力がある、頭も良い。
手段さえ問わないならば、どのような形でもリングに乱入する事が出来るポケモンだ。
それを敢えてささやかな子供の願いを叶えよう、などと。
まるでどこぞの陳腐な
しばしの沈黙の後、テリーは傍らのスグルに対し、ゆっくりと口を開いた。
「今日のリングで奴が放った、最後の必殺技を憶えているか?」
「あ、ああ……、確か『ゼツメツハリケーン』とか言っとったのう。
思い返すだけでも恐ろしい。
まるでぜったいれいどの嵐が吹き荒れるかのような一撃だったわい」
「ああ、そうだな。
だが、私は奴の動きの中にある種の違和感を憶えた」
「違和感?」
「美し過ぎたんだよ。
技のセットアップから、跳躍に至る淀みない動きまで。
荒々しい獣の躍動感の中に、隠し切れない修練と執念の名残が見えたんだ」
「い、言われて見れば、確かに……」
「失われた記憶の欠片……、か。
おそらくはそこに、ヤツの二律背反する、もう一つの起源があるのではないだろうか?」
「テリー……」
「やせいのポケモンだと? 馬鹿な!
そこいらの野獣があんな美しいコブラツイストを極められるものかよ?
ふふっ、ヤツの本質、是非とも見極めたくなって来たな」
そう言って、テリー・ロヂャースはニヒルに笑いをこぼした。
プロレスとは、ドラマである。
失われた記憶を求め、リングに死闘を刻む暴虐の王。
アングルとしては申し分ない。
確かにそれはテリーの言う通り、団体の危機だの異種格闘技戦だのと言ったしみったれた脚本よりも、遥かに面白そうなドラマに違いなかった。