銀の狐と共に 作:ロンメル
貴族と言えど軍人ならば配属先が変われば住まいを移さざるを得ない。リヒャルトの実家も10年前まで父の配属先ライプツィヒにあった。現在の任地ケルンの外れに建つこの屋敷、歴史も何もない新築である。
広い屋敷に住人は父エルンストと使用人のみ。母はリヒャルトが2歳の時病魔に倒れ写真でその姿を知るのみ。幼い彼は使用人のマリアンネを実の母と思っていた。
「マリー。元気だった?」
「お帰りなさいませリヒャルト様、エルヴィナ様。ご活躍は旦那様からよく聞いております。」
「ただいまマリー。親父?」
「…むぅマリー。余計な事を言うな。」
「ふふ、畏まりました。夕食の用意をしてまいります。」
食堂は3人のみとなりどう会話を切り出したものかと三者が内心考え沈黙が訪れてしまう。仲は決して悪くない。寧ろ互いを尊重しているが故こうなる。
「…テンペルホフ中佐の件は済んだが陸相に釘を刺された。アイゼンシュタイン中佐は自分で何とかしろ。若い女子くらい口説き落とせんでどうする。」
「まあそれもそうか。」
「お義父様一言余計です。」
「そうかすまん。」
養女からの冷めた視線に厳つい顔を引きつらせる父に威厳は欠片も無い。リチャードは彼女の非難が飛び火して来ない様話題を変えることにした。
「親父こそマリーとどうなのさ。」
「再婚をしたいと思っている。」
ガタンと扉の外で音がした。部屋の外で夜食を零したマリアンネが立っていた。その頬は紅潮しトレーを持つ手は震えている。
「え…。」
「おめでとうマリー。もうお義母さんかしら。」
「リチャードお前。」
「いや偶然だって。ほらマリー返事返事。」
「あの、私は、私なんかが…。」
「お前がいいのだマリー。」
「…喜んでお受け致します。」
家族全員突然の事態に現実味が薄れていたが一夜明けた朝には周囲への根回しを始めた。新しい家族を迎える準備である。後継問題はリヒャルトの存在が解消する。数百年続く名家ともあって貴族同士の繋がりに多少の摩擦は起こるだろうがそんなことは些事だ。
リチャードとエルヴィナが休暇の内に身内と近しい者だけで式が開かれマリアンネはシュペルリンク家に入った。
「マリーが秘密結婚で良いって言った時のお義父様の顔ったら。」
「親父の珍しい我が儘だったな。」
2人が住む一軒家のリビング。戸棚の上には真新しい家族写真が飾られている。
少しだけプロイセン帝国について述べてみる。兵役は全ての健康な国民に課され短期間に集中的な軍事訓練を施される。除隊しそれぞれの職に戻る国民は予備役軍、次いで後備軍、最後に国民軍として巨大な予備軍を形成。有事には現役将校、下士官の下に付き第一線を補強する。
物騒な国家だと批判する人は左隣を見ると良い。フランセーヌは潜在動員数でプロイセンに負けている為更に厳しい軍務を強いている。
プロイセン軍の訓練は苛烈にして過酷。にも関わらず国民は軍というものに親近感と誇りを持っていた。これは列強国に対抗して指導者達が何世代にも渡って施した教育の結果であり他所には無い特徴である。
「お馬鹿な役人でも理解できる様に私は切りのいい数字を出しました。1人の兵士が1日に消費する食糧を1kgと仮定して1個師団1万7千人が2ヵ月軍事行動を行うと1千tかかる。帝国軍の訓練済み兵士500万人超が動員された時、今の食糧事情で輸入が止まり3年持つのか、と。そしたら彼等、何て言ったと思います?」
「あー、分かりかねますね先輩。」
「先輩…良い響きです。これからそう呼ぶように。答えは”戦争は短期で終わるのでしょう?”です。」
「それはまたなんとも。」
机を挟んでリチャードと向かい合うのは眼鏡を掛けた理知的な女性。軍服をピシリと着込んだ彼女の名はカーラ・アイゼンシュタイン中佐。帰省から1週間と経たずにリチャードは彼女をナンパした。相棒の不興を盛大に買いつつも。
実のところカーラはテンペルホフ中佐の件から此方の動きを見通して接触を待っていたそうだ。それをエルヴィナに教えないことを条件にリチャードをコーヒーブレイクに誘っている。
「さて後輩。何か話題を提供しなさい。新しい風を呼び込むのも新人の役目です。」
「これは超人兵絡みなんですけど。」
「待ちなさい。それは私に漏らしてしまって良い情報ですか?事後承諾は私としても不快です。」
「兵站を掌る先輩には遅かれ早かれ報告が行きますよ。研究を応用して食糧事情を改善する計画が完成したそうです。何でも病気に強く飢えた地で勝手に育ち栄養価も高い食物を作ったとか。」
「それ大丈夫なのです?」
「はは、気づいた時には俺達全員超人兵かもしれませんね。」
「とんでもないことです。」
カーラの瞳に笑うリチャードが映った。青年らしく好ましい笑顔だというのに頭の隅で警鐘が鳴る。何と無く話題を変えることにした。
「…帝国の鉄道を全て私、プロイセンの下で運営されるべきだと思うのです。この間もザクセンが私の路線計画をたらたらと進めて。」
「理に叶ってますけど私情駄々洩れです。」
「S3/6の大量生産を手伝っただけですよ。パテント料も補助金も払ってますし。」
「それ間違いなく根に持たれてますよ…。」
参謀本部鉄道課長となるや国内の鉄道事情を徹底して調査し機関車の増産、路線延伸、 複線化を強硬に推し進めたカーラ。軍主導の実行力と天才と言って問題無い彼女の頭脳が合わさった結果プロイセンの輸送網は一新されていた。当然弾かれた”(彼女曰く)無駄”も多い。
「休憩時間は終わりです。1週間後、同じ時間に。」
「例の件お願いしますね先輩。ではまた。」
席を立って休憩室を出ていく後輩を見送ったカーラ。資料を取り出し数字の海へ思考を落とそうとして失敗した。目線はカップを満たす液体に固定されている。
「まさか、ですよね。」
振って湧いた疑惑は暫く頭の片隅に残り続けた。そこに外から聞こえてくる痴話喧嘩がカーラの考えを戒めた。特に理由もなく彼女達を忌避する自分は普段邪魔をしてくる周りの無能と一緒だと。
「いいでしょう。後輩に頼られるのも先輩の役目。」
胃にコーヒーを流し込み新たな輸送計画を猛烈な勢いで立て始めた。カーラはなかなかの完成度だと思っていた仕事に別視点からオーダーをしてくる後輩のことを結構気に入っているのである。