銀の狐と共に 作:ロンメル
「君達のお陰で本部を飛ばされずに済んだことは感謝している。しかし」
「軍備が足りない、ですか。」
「そうだ。カーラには大分支援しているみたいじゃないか。」
リチャードは軍服を着こなした美丈夫と相対していた。彼の名はエーリヒ。カーラの前に取り込んだ急進派の軍人である。
「そんなことは無いですよ中佐。つい先日も貴方の政治団体に寄付させて頂きましたし。」
(会う度にこれだから避けてたんだっての。エルヴィナも逃げるわ。)
直前まで一緒にいた相棒は優れた聴力をもって目の前の男が角から現れる前に消えた。まあ気持ちは分からないでもない。しつこく言い寄られたのだから。…紐で縛って車で…。
「そうか、それは助かる。それで次の戦力増強は何時になる?」
「半年後ですかね。」
「ふむ、相分かった。春が楽しみだ。」
「…行ったぞ。」
靴音高く去っていく長身を見送ると背後に相棒が立っていた。その整った顔を僅かに歪めてエーリヒの消えた曲がり角を見つめている。
「ごめんなさい。どうしても無理なの。」
「いいさ。」
2人して踵を返し来た道を戻る。いっそ鉄道課の方へ向かうかと提案すると相棒は苦い顔をした。先程より数倍読めない変化ではある。
「少し戻って休まない?」
「すまん。この後先輩と会う予定なんだ。」
「そう、何も問題はないわ色男さん。私も行くから。」
先輩と会う度に相棒の棘がある言葉と冷たい視線が自分を襲う。リチャードの最近の悩みである。そしてこの件における味方は1人も存在しない。同期に冷やかされ義母には手紙で諭された。駄目元で話したテュールには鼻で笑われている。
思わぬ形で軍内外へ影響力を得た俺達は次なる躍進の為の準備に移っていた。と言うと聞こえは良いが大きな成果は特に無い。本部将校としての業務をこなしつつ今まで通り潜在的な協力者を増やす毎日である。
幸い今の職場は戦時計画の中核を成す師団であり粉をかける人材に事欠かなかった。しかし彼等が目をつけた士官の大半が女性であることからあらぬ噂が広まっている。想定外のところで隠れ蓑ができ苦虫を万匹噛んだ表情の2人がここにいる。
「ああもう話を移す。オスマントラキアは勝てるのか。」
「海軍はイタリアーナ優勢。引き込んでからどれだけ踏ん張れるか、ね。」
「くそイタリアーナの野郎。今の北アラファカに手を出すか。」
事はアファラカトリポリタニアを巡って勃発した。衰退を続けるオスマン帝国の植民地を狙ったイタリアーナが宣戦布告。今頃アラファカ地中海沿岸にはイタリアーナ海兵隊が押し寄せているはずだ。それを食い止めるにはオスマン帝国の展開した兵士は余りに少なすぎる。
「取り敢えず様子見だな。情報が少なすぎ…。」
考えることが面倒になった不真面目リチャード。しめしめと話を切り上げようとして頭痛の種の襲撃を受ける。間違いなく相棒からの視線が鋭くなった。
「耳寄りな情報を教えてあげましょうか?対価は…。」
「コーヒーですね。はいはい。」
「リチャード私も。」
「へいへい。」
借りた簡易キッチンの台上。ろ紙を通して下に置かれたコップに注がれるプロイセン国民の血液。豆はアラファカの植民地産。帝国国民のコーヒーに掛ける情熱は紙フィルターを開発した。従来のそれと比べ雑味の取れた味を知った者はもう後戻りが出来ない。現に目の前の中佐はリチャードの淹れるコーヒー目当てにここ第2師団司令部へよく顔を出す様になっていた。ちなみに各人の好みはリチャードが激甘、エルヴィナがカフェオレ、カーラがブラックである。
「ふう。先日トリポリが陥落しました。トブルク、デルナ、ベンガジは時間の問題でしょう。一部内陸では塹壕戦が発生、イタリアーナは第2次遠征軍派遣の動きがありますね。当たり前ですがまだ緒戦も初戦。オスマン帝国が勝利する道もあります。」
「先輩、口ぶりが敗色濃厚と言ってますけど。」
「バルカン同盟がこそこそしてますからね。彼等を思い留まらせる程の戦果を挙げるに今の彼等は力不足です。」
大国オスマントラキアの勝機は薄い。しかし同盟国の勝利が固いというに喜ばしく思えなかった。遡ればフランセーヌがイタリアーナとチュニジアの権益でもめた時トリポリタニアの占領を唆していた事実があるからだ。仮想敵国の思惑通りに進む事態は面白くない。一応プロイセンはオスマン帝国の内政に深く関わって来たのだから。
「散々言いましたがかの国には期待もあります。面白い人材もいますしね。」
「中佐に目を付けられるなんてどんな変人なのです?」
こっちを見るな相棒。目を付けたのはこっちが先だろう。
「そんなことより、これです。我が帝国内西部へ繋がる複線が完成しました。これで13路線。まだ増えますよ。」
カーラはドンと机上に地図を広げプロイセン中央から西へペンを一閃。わざわざ白地図を持って来て書き込んでいるあたりカーラも楽しんでいる。ものの数分で広軌から狭軌はもちろん路面軌道まで書き込まれた路線地図が出来上がった。もちろんこれら全てが参謀本部の下で計画敷設されたものだ。
「先輩は相変わらずですね。」
「私の目標は1週間で西部へ7個軍83師団150万人を展開。今の輸送能力では余裕が無いですからね。」
「出来ないとは言わないんですね。」
「やれますから。」
…他者が聞けば無理だと笑うであろう。だがプロイセンはこれを成す。聞き手の2人も仮想敵国に対して得られる時間的優位を頭の中で思い浮かべた。カーラがやると言ったのなら神速の動員は決定事項。その時は2人の所属する師団もお世話になるのだろう。
「その時は前線に豆と砂糖だけは切らさない様にして下さい。」
「牛肉もお願いします。」
残念ながら有事に計画されているレーションはライ麦パンや缶詰、安物コーヒーである。貴族の肥えた舌を満足させられるとは思えない。
「善処します。」
「…。」
メシマズなんてやってられるかとリチャードは5個目の角砂糖をカップに投入しようとして相棒に止められた。既にコップの中は粘性がでてきている。
「慣れない頭使ったんだからいいだろ。」
「慣れなさい。それと甘味を取っても脳に関係は無いわよ。」
「…取りたいから取るんだよ。」
「駄目。」
翌年、3人の予想通りバルカン諸国との戦争も抱えたオスマントラキアは一部で奮闘するも各地で敗北を重ね停戦。講和条件で少なくない領土を損失することとなる。国内に反乱を抱え支配地域の独立を許し盾突かれる様は大国の最後を連想させた。
この一連の戦争においてプロイセンは血気盛んなバルカン諸国に対し釘を刺すに止まっている。
止まらぬ歴史の針は大きく進んだ。