ダンジョンの中というのは、思いのほか冷たい空気が流れている。
肌に直接触れる冷気が、まるで私の内側から迸る決意の焔を抑えているように思えた。
それがとても心地よい。
「――魔王軍幹部、バニル。……今日は本気で戦ってもらうわ」
やがてダンジョンの最深部、床に倒れ伏している人影を発見するなり私はそう言い放った。
一見すると深手を負った冒険者……に見えるが、流石にあの悪魔とはそこそこの付き合いだ。
どうせ何か嫌がらせをしようと企んでいて、死にかけの冒険者に扮しているのだろう。
「今日はいつになくやる気ではないか氷の魔女よ。どうした? 金欠を拗らせて、とうとうなりふり構っていられなくなったのか?」
むくりと身を起こした人影は、一瞬で私のよく知る悪魔の姿になった。
そしてそれに応えるように、私はバニルに氷結魔法を放った。
バニルは咄嗟にその場を飛び退くが、避けきれなかった右足はみるみると凍っていく……しかしあの程度、バニルにとっては何の痛手にもならない。
「また唐突なご挨拶だな、ぼっち魔道士よ。今日は仲間はおらぬのか?」
バニルの何気ない言葉が、心に突き刺さる――
「残念だけど、今日は遊んでいられないの……私は、本気で、あなたを」
――倒す!
「『インフェルノ』!!」
灼熱の魔法が、バニルに襲い掛かる。
そしてバニルは平然とそれを避ける。
「氷の次は炎か、汝は我輩を氷漬けにしたいのか、それとも灰にしたいのか? どちらにせよ悪魔族に売ればかなりの高額になるぞ金欠魔道士よ。何ならお勧めの店を紹介するが?」
「減らず口を!」
普通に攻撃してもやはり意味はない……ならば!
「『カースド・ライトニング』! 『インフェルノ』!」
二つの魔法を同時に詠唱、目の前の悪魔に容赦なく撃ち放つ。
タイミングは完璧、いくらあの悪魔でもこのタイミングなら直撃なはず……!
予想通り、魔法はバニルを飲み込んだ。
そして同時に、魔法による爆煙の中から、白と黒の物体がこちらに向かって飛んできた。
「せいっ!」
それは見覚えがあった。
あのバニルの特徴的な仮面だ。
それを私は持っていた杖で勢いよくはたき落した。
すると床に落ちた仮面の下から、土くれが集まっていき、やがて人型になった。
「ほう、魔法の同時詠唱という荒業だけでなく、飛来する我輩の仮面をそんな棒きれで叩き落とすとは。なかなかやるではないか」
「ふん、どうせロザリーにやったように、私の体を乗っ取ろうとしたんでしょ。あいにく、そんな趣味の悪い仮面なんか死んでも付けたくないわ」
「フハハハハハハ! 我輩のこの仮面を侮辱するか武道派魔道士よ! 汝が初めてだ、人間の分際で我輩の悪口を堂々と言ったのは!」
何が面白いのか、バニルは笑う。
「しばらくあなたと戦ってみて気付いたわ、あなたの本体はその仮面なのね」
「うむ、こちらの世界に我輩という存在を持ってくるには形のあるものが必要だからな」
「なら……粉々にしてダンジョンの壁の一部にしてあげるわ!」
出し惜しみはしない、有り金全てはたいて買ったマナタイトをいくつか持ってきた。
例え魔力が無くなっても、多少の余裕はある。
そうして暫くの間、決死の攻防が行われた。
流石のバニルも、今までにないほどの私の気迫を感じたのか、初めて抵抗らしい抵抗をしてきた。
「いつになく強気だな金欠魔道士よ、しかしその調子だと、下手をすればこのダンジョンが崩壊するかもしれんぞ?」
「別に構わないわよ、あなたを倒す為ならダンジョンの一つや二つ壊してやるわ……よ!」
「フハハハハハハ! 成る程成る程、
当たり前だ、その為に私は……
「それともう一つ、『見通す悪魔バニル』……あなたの強さはその過去未来を見透かす力によるものなのね。そしてあなたは私と最初に会った時こう言った」
『我輩の見通す力が通じない』……と。
「理由は知らないけど、どうやら私の事を見通す事は出来ないようね。そして何時も簡単にあしらわれていたのは、ブラッドとロザリーに対して見通す力を使って、私達の攻撃を先読みしていたから……その二人は今ここにはいない、これがどういう事なのか見通せるかしら?」
思えばバニルは、ブラッドとロザリーの攻撃は簡単に躱すというのに、私の攻撃だけは避けきれない時があった。
つまり、そういう事だったということだ。
「……どちらかというと、我輩が汝らをあしらっていたのではなく、ポンコツ魔道士の持ち込んだ面白魔道具による自爆が多かった気がしたが?」
「う、うるさい!」
それはまぁ確かにやらかした事も一回くらい……あった気がしたが。
「しかしなんだ、我輩を見通す悪魔だと確信をもって言ったな。どうやら熱心に我輩の事を勉強してきたとみえる」
「そうね……貴重な時間を殆ど悪魔について調べるのに費やしたんだもの」
その上で私は気付き、決断した。
みんなを救うには、この
「ふむ、その心意気は結構だが、我輩の残機を減らしたいのなら爆裂魔法でも覚えてくることだな」
「……爆裂魔法? 今爆裂魔法って言った?」
「どうした難聴魔道士、もしや老化現象がもう始まっているのか?」
「違うわよ!」
どうやら聞き間違いではなさそうだ。
そうか、爆裂魔法か……
「……なんだその笑みは、頭の方までボケて…………いやまて、まさかとは思うが」
「その……まさかよ!」
そうして私は、渾身の爆裂魔法を放つーー
「けほっ、けほっ! だ、脱出は成功したみたいね……」
爆裂魔法を放つと同時に、転移魔法で予め登録しておいたダンジョンの入り口前へと転移したが、どうやら上手くいったようだ。
案の定、ダンジョンは爆裂魔法の一撃で崩壊を始めているが、私以外の冒険者は居ないことは確認済みだ。
流石のバニルも、ダンジョンごと崩壊しては脱出は困難なはず……加えて爆裂魔法の爆心地の中心にいたのだ、これで倒せないはずが……
「フハハハハハハハハハ! 流石のバニルもここまでしたのだから倒せたはず! とでも思っていたか狂人魔道士よ! 残念、我輩でした!」
「ゔぇ!?」
やばい変な声出た。
しかし仕方のないことだ、何故なら生き埋めになっているはずのバニルの声が私の背後からしたのだから。
「な、ななななんで! どうやって……!」
「驚き過ぎだ爆裂魔道士よ、どうせなら我輩好みの悪感情を期待するぞ! ちなみに何故我輩が無傷なのかというと、転移する直前の汝に我輩の仮面を投げつけたからだ。転移魔法は術者と触れている生物や物体を一緒に連れていく性質があるからな。いやはや惜しかったな、もう少しで我輩の残機を削ることができたというのに……おっと、ようやく美味な悪感情が出てきたな! フハハハハハハ!」
ぐぅ……まさかあのタイミングでそんな事をしてくるとは予想していなかった。
そして流石に、魔力もすっからかんだ……
「……けど、まだ終わりじゃない!」
私にはまだマナタイトがある。
全部一気に使えば爆裂魔法くらい一発は……!
「……あれ」
自身の身体を弄る。
しかし、マナタイトを入れていたはずの袋が何処にもなかった。
「何を探しているかは知らんが、我輩に必死に魔法を撃ち込んでいた時、懐から何かが落ちていたぞ。今頃、崩れたダンジョンの下敷きになっているだろうな」
と、バニルがそう言った。
…………落とした?
「……うそぉ」
泣きたくなった、自分の情けなさに。
「ふむ……どうやら魔力切れのようだな。それでもまだ我輩に立ち向かうか?」
「……そうしたいのは山々なんだけどね、残念ながらもう立ち上がれないわ」
ここが潮時かもしれない……
そう思い、私は懐から紙切れを取り出した。
「……悪魔との契約書だと? これは一体何のつもりだ?」
「そうね……一言で言うなら自己犠牲ってやつかしら。それなりに実力を示せたと思うんだけど、契約するにはまだ力不足?」
悪魔と契約するには、まず悪魔に認められ、その上で悪魔が望む対価を払わなければ成立しない。
だから力という実力でそれを示そうと、私はバニルを本気で倒そうとしたのだ。
「正直なところ、人間にしてはやるではないかというのが本音だ……しかし契約内容がよく分からんな、汝の魂と引き替えに呪いを解けだと?」
バニルは仰向けで倒れている私の顔に、しゃがむ形でその仮面を付けた顔を近づけた。
「…………ふむ、初めてだ」
「え?」
「ただの人間に対して、ここまで興味が湧いてきたのは初めてだと言ったのだ……どれ、特別に汝には『本気の我輩』を少しだけ見せてやろうではないか」
バニルは私の頬に手を触れたかと思うと、その体をいびつに変化させ始めた。
僅か数秒で、人型の形をしていたバニルは消え去り、異形の姿をした
そして冒涜的な、不気味な真っ赤な瞳のようなもので、私を見つめた。
「……何してるの?」
私がそう訊ねた瞬間、
「なに、我輩が少し本気を出せば見通せないものはない。本来ならば地上でその力を使う事はしないようにしていたのだが……今回は特別だ、少しばかり本気を出して、汝を見通させてもらっただけだ」
あぁ成る程、さっきの姿がバニルの本当の姿だったというわけか。
「くく、それにしても思っていた以上に汝の過去は傑作だったぞ面白魔道士……いや、異世界からきた人間よ」
「……そう、そこまで分かっちゃうのね」
何故かは知らないが、そこまで驚きはしなかった。
「しかし災難だったな、残念で頭が足りてない女神の些細なミスで性別を変えられ、そのせいで年を重ねていくにつれ、自分が男なのか女なのか曖昧になってしまうとは……成る程、だから早い所魔王を倒して自身の性別をはっきりさせたかったのか」
「…………」
バニルの言った事は正しかった。
最初の頃は自分がれっきとした男だという認識はあった……しかし、次第にそれは薄れていき、気が付けば自分は『もしかしたら本当は女だったのかもしれない』と考えるようになってしまった。
そんなわけないと思う自分と、今の現実を受け止めろという自分が常に心の中で対立を続け、私の精神はもう限界を迎えようとしていた。
だから私は魔王を倒し、その対価の願いで自分が何なのかはっきりさせたい気持ちでいっぱいになった。
だから私は……あの二人の気持ちを見て見ぬ振りをしてしまった……
「ふむ、悲観の気持ちに浸っている所悪いのだがな、一つ我輩から忠告をしてやろう」
「忠告……?」
「うむ、このままだと汝は『死ぬ』ぞ」
…………しぬ?
「どういう……ことよ」
「正確には『心の死』だな、実は汝のその悩みは汝が思っているよりも複雑な原因があるのだ。その原因を取り除かなければ、遅かれ早かれ汝の心は壊れ、廃人になるだろう」
複雑な原因?
「何よ複雑な原因って……」
「なに、単純なことだ。汝の『自分は女だったかもしれない』という考えは、汝の『前世』が深く関わっているだけの話だ」
「ぜん……せ?」
前世、その言葉くらいは聞いた事がある言葉だった。
しかしバニルの言いたいことがよくわからない。
「人間の魂というのは神達の手によってリサイクルされるものだ、死んだ人間の魂を次の生命として転生させる際、普通はそれまでその魂に蓄積された経験、知識は全てリセットされ、新しい魂へと変わっていくのが魂のリサイクルだ……しかしだ、稀に前世の魂の自我が強すぎると、前世の記憶だとか経験などが残ってしまう事もある」
バニルは話を続ける。
「汝の悩みの原因はまさにそれだ、しかも偶然という名の不幸な事に、汝の前世は『かつてこの世界で生きていたある女』なのだ」
「……嘘でしょ?」
つまり私の前世は……この世界で生を受け、死んだ後その魂が神達の手によって私、ウィズリー・リーンとして向こうの世界に転生したということなのか。
「女神によって女に変えられ、前世の魂と縁が深いこの世界にやってきたことで、残っていた前世の魂の残り香が強まってしまったのだろう。心当たりはあるだろう? 身に覚えのない技術を身につけていたり、変な記憶を度々見てしまったり」
……あぁそうか、そういう事だったのか。
「故にこのままだと、汝は前世の汝に押し潰されるか、前世の汝と今の汝の自我がぶつかり合いを続けいずれ心が壊れてしまうだろう」
……不思議だ、バニルの言葉で今までのつっかえが全て取れたような感覚を感じた。
良かった、それなら私に未練はなく、安心して『死ねる』。
「ふふふ……私にすら分からなかった事を見通すなんて、本当に出鱈目な悪魔ね」
「当たり前だ、そこら辺の下級悪魔と一緒にするでない。我輩は地獄の公爵、全てを見通す悪魔バニルだぞ」
「……なら今の私の望みも見通せたのでしょう? 私の魂をあげるから、みんなを救って」
それが今の私の……本当の望みだ。
「うむ、断る」
「はぁ!?」
思わずまた変な声をあげてしまった。
「な、なんでよ! 私の魂じゃダメなの!?」
「いや、前世というなの不純物が混ざってはいるが、汝の魂なら充分契約するのに値するだろう」
「じ、じゃあなんで……」
バニルは大きく笑い声をあげながら言い放った。
「フハハハハハハ! 我輩は仮にも大悪魔、ゆえに契約の代償は魂などという安っぽいものではなく、さらにキツイものを要求するが道理だ! そしてその手段さえも真っ当なものではないぞ。汝……ウィズリー・リーンよ、それでも我輩に縋るのならばーー!」
『ウィズの前世』
話が進むにつれウィズの一人称が変わったり、女っぽくなっていったのにはちゃんと理由がありました。
そしてウィズの前世とは……察しの良い方はもうお気付きかもしれませんね。
『バニルさん』
バニルさんの言葉使いとか凄く難しいです、バニルさんらしさを少しでも出せていれば良いのですが……
あとバニルさんの本当の姿とかも作者の妄想ですはい。