拙い文章ですが、初投稿なので目を瞑ってください。
浮遊城《アインクラッド》第76層
迷宮区 ボスの間 2024年 11月 7日
クォーターポイントと呼ばれるその階層のボス部屋では、今まさに一触即発の空気が漂っていた。
対峙するのは2人の剣士。
《二刀流》黒の剣士キリト。
《神聖剣》ラストボス、ヒースクリフ。
周りが沈黙してる中、黒の剣士が口を開いた。
「…悪いが、一つだけ頼みがある」
「…何かね」
私、本当はどこかで期待してた──
「簡単に負けるつもりはないが…もし俺が死んだら、…しばらくでいい。アスナが自殺出来ないようにはからってほしい」
「ほう…よかろう」
たとえ、どんな敵やモンスターが相手でも──
「くそ……はああああぁぁぁぁあ!」
このゲームのラスボスが相手だとしても──
「っ…!? き、キリト君っ!」
それでも、キリト君なら──
「さらばだ、キリト君」
キリトくんなら、きっと、勝ってくれるって───
その時、世界に裂け目が出来た。
●○●○
「…夢」
目が覚めると、アスナはその部屋にいた。
ベッドに机、棚。隣の部屋には浴場もついている。必要最低限のものしか備わっていないその場所は、あまりにも冷えていた。
そこまで見て、アスナは思い出した。
ここは、浮遊城《アインクラッド》第七十六層。名前は《アークソフィア》。
品揃えが良い商店街や、橋のかかる綺麗な水路に噴水。賑やかな街、というのが第一印象である。
エギルが76層に新しく建てた店、その宿の一部屋に横になっていたアスナは、天井を見上げる。
その目蓋はとても重く、酷く疲れているのを感じた。
「…嫌な夢…」
起き上がったアスナは、苦い顔で右手で頭を抑えた。寝起きにこんな夢を見るなんて、あまりにも不吉だ。
そう。
『キリトが死ぬ夢』なんて。
そうだ、キリトが死ぬはずなんてない。随分と可笑しく、馬鹿げた夢だ。笑えるものでもない。
逆に、アスナの頬には涙が伝っていた。
「あ、…あれ…?」
アスナは不思議に思い、涙を手で拭った。しかし、涙は再び、アスナの瞳からこぼれ落ちた。
拭っても拭っても、涙が止まらない。
──その理由を、アスナはとっくに理解していた。
「……『夢』、じゃない……現実だ……」
アスナは、顔を手で抑えた。溢れんばかりの涙を、どうにかして抑えたかった。
フラッシュバックするのは、キリトが自身の目の前から消えゆく瞬間の光景。
それは、三日前に現実に起きた光景。
七十五層で起こった、攻略組トッププレイヤーの一人キリトと、《ソードアート・オンライン》製作者、茅場晶彦ことヒースクリフの決闘。
ヒースクリフの正体を看破したキリトに対して、茅場が出した報酬は、『ゲームクリアを賭けた決闘』だった。
ここは引くことを提案したアスナだが、キリトはこの決闘を受けたのだった。
自分達のタイムリミットと、百層まで辿り着くまでの時間。ヒースクリフとの勝率。それらを天秤にかけて、それでもなお、キリトは茅場に向かっていった。
結果、残ったものは何もなく、ただ、『キリトの死』という事実のみが残された。
ユニークスキル《二刀流》
この仮想世界随一の反応速度を持つプレイヤーに与えられるそれは、こと戦闘においては無類の強さを誇る。常人の使う共通のスキルでは追いつけない境地に、キリトは立っていたはずなのだ。
何よりこのスキル保持者は、この世界の『魔王』を倒す『勇者』の役割を担うものだったのだ。
──だが、それでもなお、キリトは、ヒースクリフには勝てなかった。
戦闘を続ける中、キリトは焦りを感じていたのだろう。この世界の創造者である彼に向かって放ったのは、この世界に存在する《ソードスキル》。
それはヒースクリフ──茅場晶彦に向かって使用するにはあまりにも愚かだった。
だが、キリトはそれでも自身の持つ速さでヒースクリフに立ち向かい、そして結局、二人ともその場から消失してしまった。
キリトもヒースクリフも、何故かその場から姿を消していた。中には、相打ちだったのではないかと発言する者もいた。だが、この世界は終わらなかった。故に、キリトもヒースクリフも死んだのではと、その仮説は現実味を帯び始めていた。
浮遊城《アインクラッド》は、勇者を失った攻略組に対して。無慈悲にも次の階層への扉を開くのだった。
七十六層に辿り着いた攻略組は、闘志を失いかけていた。特に、血盟騎士団所属のプレイヤーの表情は、ボスを倒した直後よりも酷い顔だった。自分達が忠誠を誓っていた団長、ヒースクリフが、この世界の創造主、茅場晶彦だったとは想像もしてなかったのだろう。
裏切られる形になった上に、先頭に立つリーダーも失った。彼らが分散するのも、時間の問題だった。
今回のボス討伐に参加したプレイヤーの内、ほとんどは血盟騎士団のプレイヤーだ。
当然、アスナも。
エギルに抱えられているアスナからは、生気を感じなかった。虚ろな瞳からは、涙が伝って止まらない。
クラインも、エギルも、そんな彼女を見ていられなかった。
ヒースクリフの消失に続き、アスナも戦意喪失。キリトの死。攻略は絶望的だった。
これが、三日前の出来事である。
「くぅっ… …ううっ……キリト……くん……キリトくんっ……!」
アスナは膝を抱えて蹲り、しきりにキリトの名前を呼ぶ。だが、いくら呼んでも返事は返ってこない。
もう二度と、それに応えてくれる人はいない。
何故、どうして、そんな事ばかりが頭の中で巡る。でも、誰もそれに答えてはくれない。
アスナはこの日、アインクラッドに来て初めて大声で泣いた。
それを慰めてくれる人さえ、もういない。
●○●○
エギルの店、その一階の酒場の様な場所は、あまりにも静かだった。人は数人いたが、皆が大人しい。恐らく、攻略組のプレイヤー達だろう。
今の自分達が置かれている現状を冷静に考え、そして絶望しているのだろう。
「アスナさん……大丈夫でしょうか……」
そう言って、アスナの部屋のある二階に向かう階段を見つめる、頭にフェザーリドラを乗せた少女──シリカは、不安そうな表情を浮かべていた。
何かのバグなのか、七十六層から下に降りられないというとんでもない状況の中、キリトの身を案じて駆けつけた、ビーストテイマーのプレイヤーである。シリカはそう呟きながら、テーブルに置いてあるジュースに手を伸ばす。
ここは、七十六層に新しく立てられた、エギルの店である。事情を知らずに来てしまったシリカを、エギルが保護してくれたのだ。
そして、もう一人、何も知らずに来てしまったプレイヤーがいた。
彼女はリズベット。女の子にしては珍しい、鍛治職のプレイヤーだ。彼女もまた、キリトとアスナを心配し、ここまでやってきた。クオーターポイントである75層のフロアボスは、今まで以上に強い事が予想されたのだ、心配しないはずがない。
けれど、あの二人のことだから、きっと心配はいらない。リズベットはそう思っていた。
倒して、帰って来て。そしたらまたいつものように、二人に労いの言葉をかけるつもりだったのだ。
シリカの隣に座るリズベットは、シリカの言葉を耳に入れた瞬間、アスナの顔を思い出した。76層に来てみれば、キリトが死んだと言われたり、アスナが酷い状態になっていたり。
そんなの、大丈夫なんてものじゃなかった。
「大丈夫……じゃ、ないでしょうね……」
「そう、ですよね……」
二人はその会話で、すっかり途切れてしまった。
アスナだけじゃない。シリカも、リズベットも、今のこの状況に頭が追い付かない。
けど事実として胸に刻まれたのは、キリトが死んだ、という事だった。
カウンターのエギルは、かけてやる言葉も見つけられなかった。そんな彼に気付いたのか、リズベットは自嘲気味に笑う。
「私達……これからどうしたら良いんだろうね」
「……結局、ゲームをクリアする為にやらなきゃいけない事は、変わらないんだろうな……」
「……やだな……私。キリトが死んで、ヒースクリフは茅場晶彦で、アスナはあんな状態で……もう、これ以上は……」
「リズ、さん……」
リズベットの絞り出す細い声には、悲しみと絶望が綯い交ぜになって含まれていた。今にも泣きそうで、それを我慢している様にしか見えない。
シリカも、そんなリズベットを見て、キリトが死んだ事実、ゲームクリアが絶望的なものへと変わってしまった事実を段々と感じ始めていた。
「……そういえば、その……クライン、さんは……?」
シリカは、この場にいない彼の姿に気付き、エギルへと視線を上げる。エギルは小さく息を吐くと、ポツリと囁いた。
「……76層の攻略に出てる」
「っ……そう、なんですね……」
「もうここに来てから三日も経ってる。時間的にも、そろそろ攻略は再開しないといけない」
それだけ聞けば、一見、キリトの死よりも攻略が優先だと見えるかもしれない。クラインが冷酷に見えるかもしれない。
だが、きっとクラインも自分達と同じだ。この悲しみを紛らわせ、怒りをぶつける為に攻略しているのかもしれない。
それ以上に、ゲームクリアの為に止まれないと思っているのかもしれない。どっちにしても、この状況で行動を起こせるクラインが、リズベットには凄く見えた。
「……凄いわね、アイツ。もう駄目だって思ってる人達の方が多いのに……」
「……ああ、そうだな。あまり言いたくはないが、キリトもヒースクリフもいなくなっちまって、攻略組の戦力も士気も大幅に下がってる。アスナもあの状態だ、このままじゃ、いつ攻略が再開するか分からない。クラインの奴も、それが分かってるんだろう」
「そう、だけど……」
エギルの言葉は正しく正論だった。クラインのしてる事も、きっと褒められた行為だ。リズベットはそれが分かっているからこそ、この行き場の無い悲しみをぶつけられないでいた。
ふと思い出すのは、アスナの絶望一色に染まった顔。
「私は……もう、アスナに戦って欲しくないな……だって、辛過ぎるわよ……あの子の隣りに、キリトがいないなんて……」
キリトが死に、自分のギルドの団長もこの世界の創造者だった。
これだけの事が一度に起きたのに、アスナにまだ戦えなんて、そんな事が言えるはずが無い。
今のアスナは、何をするかも分からない。もしかしたら、自殺も考えてるかもしれない。そんな彼女を、前線に行かせる、なんて。
だが、そうなれば攻略組はこの先、アスナさえもいない攻略をしなければならない。ゲームクリアは遠のくばかりだった。
それでも、クラインは、エギルは、やらなきゃいけない事を分かってる。感傷に浸ってるばかりじゃなく、ちゃんと選択して行動している。
「クラインもエギルも攻略、続けるのね……強いのね、大人って」
それは、決して皮肉では無かった。リズベットは本当に、自分の気持ちよりも優先して行動出来る彼らが凄いと思ったのだ。
テーブルに乗せた握り拳が少しだけ強くなる。唇を噛み締め、今にも泣きそうな気持ち、その悲しみを押し殺す。
けど、それはエギルも一緒だった。リズベットとシリカが見上げた彼の表情は、悔しさが滲み出ていた。
「……んな事は無えよ。けど、俺達の目的は一貫してゲームクリアなんだ。悲しんでばかりいられないってだけだ。……じゃねぇと、キリトも浮かばれねぇよ」
「エギルさん……」
「俺達の為に、アイツは命を懸けてくれたんだ。なら、俺達もそうしなきゃならねぇ。やる事は多いぞ、二人とも」
シリカもリズベットも気付いてしまった。今この場で一番悲しいのはきっと、キリトと仲が良く、そしてキリトとヒースクリフが戦うその現場にいたエギルだったのだ。
何も出来ず、ただヒースクリフがかけた麻痺毒に侵され、黙って決闘を見る事しか出来なかったエギルのその表情は、悲しみに満ちていた。
そんな彼が、キリトがした事と同じ事をすると、そう豪語しているのだ。
それを見たリズベットは、ぐっ、と悲しみを押し込め、立ち上がった。
「……あたし、この層に《リズベット武具店》の二号店を出すわ」
「リズさん……」
「もう《リンダース》には帰れない。だったら私も自分の出来る事、精一杯やるわ。バグでスキルも幾つか飛んだけど、またやり直す」
リズベットはそう宣言する。攻略組にとって命である武器、それをここからまた新たに作るのだと、そう告げた。ここへ来て、何のバグかは知らないが、鍛冶スキルやその他のスキル幾つかが飛んでいたのだ。またやり直すには時間はかかる。
けれど、エギルの言う通り、そうでなければキリトに合わす顔が無い。
「わ、私も頑張りますっ」
「きゅるぅ!」
シリカも、おもむろに立ち上がった。ピナもそれに便乗し、息巻いていた。彼女もレベル的には攻略組に参加出来るものじゃない。やる事は多かった。
シリカのその表情と言葉に、エギルとリズベットは笑う。シリカも、それを見て小さく笑った。
「じゃあ、そうと決まったら早速行動しないとね」
「…そうですねっ」
その誰もが空元気なのは、互いに分かっていた。
けれども、このままではいけない。残り時間は多くない。だから。
残り、二十五層。
少ないようで多いこの数字。 上に行くたびに強くなるボス。しょげてる時間さえ、カーディナルは与えてくれない。
この残りを、キリトもヒースクリフも、アスナも無しに上がっていかなければならないのだ。
たとえ不可能に近くとも、挑戦し続ける事を止めてはならない、そう思ったから。
無理にでも笑顔を振りまこうとする二人。けれど、その二人を見て、エギルは安心した。彼女達は少しずつゲームクリアの目標を思い出し、前に進もうとしている。
エギルは、静かに微笑んだ。
───突如、二階から音が響く。
人が降りてくる、そんな音が。
シリカもリズベットもエギルも、その表情が固める。その音のする方へ視線を向けた。
他にも人はいたはずなのに、全員の視線が階段へと向けられた。
「っ……」
降りてきた少女は栗色の長髪を靡かせ、白を基調とした衣装を身に着けている。
腰に刺すのは、リズベットが作った細剣《ランベントライト》。
誰もが振り返るであろう容姿をもつ彼女。リズベットにとって、彼女はよく知っている人物だった。
だが彼女の表情は、かつての、リズベットが好きだったあの笑顔など、嘘だったのではないかと思う程に。
「……アス、ナ……」
その表情からは、かつての彼女を感じない。まるで、人形のように冷たくて。触れれば壊れる脆い存在に見えた。
●○●○
75層、ボス部屋。
その場所は、三日前にキリトがヒースクリフとゲームクリアを賭けた勝負をした場所。役割を終えたその場所は、闇の様に暗く、冷たかった。そこは死を体現していた様に見える。
────その場所には、一人の剣士が立っていた。背中に紫に光る剣を刺し、部屋の真ん中に佇んでいる。
「ようやくここまで来た……。もう少しで最前線か……」
七十六層に続く階段を探すその剣士は、この長めの黒髪を左右に揺らす。きょろきょろと辺りを見渡し、この場所が他のボス部屋よりも広い事に気が付いた。
「何だこの部屋……他の層のボス部屋より広くない?……っとあったあった」
その視線の先には、探していた76層に続く階段が。この剣士は、は小走りで階段付近まで駆け寄った。
その足取りは軽く、彼が歩く度に響くのは、首にかけられた小さな銀色の鈴。
そして、その階段の前まで来るとその足を止め、先を見上げる。その青い瞳は、その階段の先、そこから紡がれる物語を映し取る。
「……」
────これは、とある一匹の猫の話。
永遠に続くかもしれない、そんな絶望の世界に現れた、唯一の存在。
望んだもの、欲しかったものの為に奮闘した、彼の人生の物語。
────ここから、彼の物語は始まる。
「……さてと、……行くか」
そう言って、彼は階段に向かって歩を進めた。
剣を背負い、黒髪は揺れ、それでも意志だけは揺らがぬ様に。
翻すコートは、かつての勇者と同じ色──
アキト「……寒っ」