忘れてはならないと、何かが流れ、告げている。
食後、エギルの店で全員が椅子に持たれて満足そうに息を吐いた。あれだけあった大量の料理はみるみるうちになくなっていき、彼らは見事に完食したのだった。
どの料理も甲乙付け難い程に美味で、口に頬張る度に幸せそうに笑う姿が、とても温かく見えた事だろう。
「いやあ、堪能したぜえ……オレ、生きてて良かった!」
クラインが自身の腹をポンと叩き、天井を見上げて呟いた。その表情は幸福に満ち溢れており、未だ興奮が冷めない様だった。
食事はこの世界の数少ない娯楽、つまりは、今回の食事は最高の娯楽のひと時だったと言えよう。彼の感動は全員が感じていた。
「まったくだ。三日に一度は、こんな日があると良いな」
「三日に一度S級食材を食べるって……どんなラッキープレイヤーなの……」
エギルもクライン同様に幸せそうにそう呟く。それを聞いてアキトは困ったように笑った。
S級食材は手に入れる事それ自体が困難なのだ。ドロップの確率はプレイヤースキルで賄えるものでは無いうえ、市場で売られてる可能性も低い。
先程も言ったように、食事はこのSAOにおいて数少ない娯楽。S級の食材を手に入れたなら、自分で食べたいと思うだろう。勿論、料理スキルを完全習得をしているようなプレイヤーは数える程しかいない為、探せば売ってる場所もあるかもしれない。
そんな発言に、リズベットは呆れたように笑う。
「もう、エギルったら大袈裟ね。でも、本当にどの料理も美味しかった。思い出すだけで幸せになれそう」
「全員で食べても、結構な量だったわね」
シノンももう満腹なのか、疲れたように背もたれに寄り掛かる。そんな彼らを見て、アスナが嬉しそうに笑った。
「ふふふ、お粗末様でした。あれだけの食べっぷりを見せられると、作って良かったなーって思っちゃうな」
「みんなでこうやってワイワイやるのって、すっごく楽しいね!」
ストレアはとても楽しそうそう告げた。そんな至極当たり前の事を言い放ったストレアに誰もが視線を向け、笑った。
そんな当たり前の日々の楽しさを、久しく感じていなかった気がした。色んな事が起こり過ぎて、そんな感覚忘れかけていた。
ストレアの今の発言が、改めてこの在り来りな日々の大切さを教えてくれていた。
「そうだ!ねえねえアキト! アタシ、今夜はここの部屋に泊まっていくね!」
「え?」
「アタシ、もっとみんなとこうしていたいな」
「ストレア……」
アキトは、思わず言葉に詰まってしまった。
そんな彼女の願いに、子どものような想いが、とても愛おしくて。
周りもそう思ったのか、そんな彼女を微笑ましく見つめていて。そんな中、ユイが笑って駆け寄って、ストレアの腕を掴んで見上げた。
「大歓迎ですよ!夜はいっぱいお喋りしましょう!」
「うん!賛成!ストレアさんの事、色々聞かせて欲しいな」
アスナもストレアに近付いて、そう答えた。
シリカやリズベット、リーファやシノンも賛成のようで、ストレアの周りに集まっていく。ストレアが嬉しそうに笑みを浮かべて辺りを見渡す。
そんな彼女に、アキトが口を開く。
「だってさ。みんなストレアと一緒に居たいんだ。君の気が済むまで付き合ってくれるよ」
「ありがとう、みんな!」
ストレアは、太陽のような笑顔を向けるのだった。そうしてアスナ達に囲まれて、両手を広げていた。
そんな彼女を見ていると、とても温かくて。
────何処か懐かしく、とても、切ない気持ちになった。
●○●○
「……ふう」
そろそろ日を跨ぐ時間帯に差し掛かり、アキトはベッドに寝転んだ。大の字で仰向けになり、シミ一つ無い天井を見上げる。自分以外誰もいないこの部屋で聞こえるのは、自身の小さな呼吸音と、ベッドの小さな軋む音。
楽しい時間程すぐに終わってしまうもの。みんなでテーブルを囲ってのトランプなどのゲームは想像以上に盛り上がりを見せ、絶叫などが聞こえる程。
暫くして、普段は寝るであろう時間帯になった頃、アキトは部屋に戻ったが、女性陣は同じ部屋へと集結し、夜の会話を楽しんでいたようだ。少し部屋から出てみれば、ワイワイと快活な声が聞こえていた。
今はもう聞こえていない為、みんな寝静まったのかもしれない。
「……」
一階も二階も静寂に包まれて、夜中である事を実感させる。気が付けばもう零時になっており、曜日が変わっていた。
────今日、この日だ。
今から眠り、再び目を覚ませば、やって来るのは《ホロウ・エリア》での最後の戦い。《ホロウ・データ》であるPoHが企てた、この世界全員を対象とした大型のアップデートを阻止する為の攻略が始まる。
もう猶予は残されていない。タイムリミットは、良くてあと一日、二日程だろう。
最後のエリアである管理区の地下、そのダンジョンの先の中央コンソールにて、それを解除し、フィリアを連れ帰る。
そして、みんなでゲームクリアをするのだ。
「……」
早く眠って明日に備えないといけない。そう思っているのに。
何故か、不安で寝付けない。眠たくならないのだ。何かするでもなく、ただ天井を眺め続ける。
明日に、全てがかかっていると思うと、身体が震えた。
自身の選択や判断によって、明日の攻略が失敗するかもしれない。そうなれば、この世界のプレイヤー全てが《ホロウ・データ》を上書きされ、意識を消滅させ、IDを失ったアキトとフィリア、アスナ、クライン、シノンは死亡扱いとなって現実世界の身体に影響を及ぼす可能性もある。
その事実が起こり得る未来のビジョンに、アキトは嫌悪感を覚えた。決して認める訳にはいかない、拒絶の意思だった。
アキトの脳裏に蘇るは、先程までの光景。たくさんの料理を囲って談笑する、大切な仲間の姿。
────あの空間が、好きだ。
今日、改めて感じた。
彼らの柔らかな笑み、耳に残る楽しそうな声。何もかもが尊く、綺麗で。かつての仲間を重ねてしまう。
だからこそ、もう、何も失いたくなくて。そして、そんな恐怖こそが戦闘での反応速度を鈍らせる。
駄目だと分かっていても、また失うのではと、何も変われていないのではと、不安が胸を襲うのだ。
怖い、ただ怖いのだ。また、何かを失う事が。
「……君は、ずっとこんなプレッシャーの中、戦って来たんだね。キリト……」
────ズキリ。
頭が痛む。再び覚えの無い光景が頭の中を流れる。
誰も死なせない、そんな意志を纏わせた二本の剣を振り回し、一人でボスを圧倒する自身の姿を。
涙を流して想いを吐露するアスナを抱き締める、自身の姿を。腕の中にいたアスナの身体は震えていて、そんな感触を、まだ覚えている。
────まるで、自分が体験した記憶のようで。
「……」
瞳を揺らし、焦燥を僅かに感じる。
もう、現実での自分の家族関係や記憶、それに対して、何もかもが上塗りされたような不快感を感じる。
大丈夫だ、と首を振る。
けど、脳裏に映るその何もかもに。覚えの無いはずのものなのに、しっくりきてしまって。自分のものじゃない、そう自覚していても。本当の記憶は何処かへと飛んでいて。
アキトは、頭を抑えた。
もう、現実世界にいる本当の家族の顔すら朧気で。それらが全て、キリトのものに上書きされかけていて。
自然と溢れる荒い呼吸は、恐怖からか、焦燥からかも分からない。
「……くっ」
────すると、突然部屋の扉が軽く叩かれた。
「っ……」
アキトはハッと我に返り、思わず起き上がる。額に汗を滲ませながら、慌てて扉を見やる。しかし、何の変化も無い。
どうやら誰かが部屋をノックしたようで、こちらの返事を待っているようだった。
アキトは汗を慌てて拭い、立ち上がる。扉に向かいながら、口を開いた。
「誰……?」
『アタシ……』
その弱々しい声は、聞き覚えのあるものだった。
故に驚いた。その声の主は、先程まで元気で透き通った声を放っていたから。
アキトは目を丸くしながら、ゆっくりとドアノブを回し、立っていた少女の目に視線を合わせた。
薄い銀髪に、紫を基調とした装備。常に笑顔なのが取り柄だと勝手に解釈していたアキトだが、今の彼女のその顔は何処か暗かった。
「ストレア……?」
ストレアは、悲しげにも見える表情で、扉の前に立っていた。先程とは打って変わって大人しく、何処か具合が悪そうだった。
「どうしたの?こんな時間に」
「ゴメン……なんか苦しくて眠れないの……」
「……中、入る?」
「うん……」
扉を開けば、ストレアが小さく頷いて、ゆっくりと部屋へと入る。扉を閉めてストレアを追い越すと、ベッドの隣りにあったソファーに座るよう促した。
ストレアが座るのを確認すると、アキトも彼女の隣りに座り、彼女の様子を伺った。
普段彼女からは考えられない程に弱々しく、触れれば消えてしまいそうだった。俯く彼女の顔を覗き込み、響かない程度の声で問い掛ける。
「具合、どう?」
「うん。まあまあ」
「……そういえば、帰ってきた時にアスナ達がストレアの事、心配してたみたいだったけど……もしかしてずっと無理してた?」
「ううん、そんな事無いよ。今日はホントに楽しかった」
あはは、と無理して笑う彼女の表情は、普段と比べてあまりにも脆く見えた。そんな彼女の顔を見たくなくて、アキトはどうにか具合が良くならないかと、ストレアに少しだけ近付いて、原因が分からないか思案した。
持病持ちなのか、食べた料理が悪かったのか。だがそれならストレア以外にも何か症状がないとおかしいと、アキトは再び首を捻る。
そんなアキトを見たストレアは、再び俯き口を開いた。
「ごめんね、心配かけて……多分アタシの問題だから……」
「……やっぱり、何か病気、とか……?」
「うーん……病気、なのかな……」
彼女のその曖昧な様子は、まるで分からないといったものだった。病気なら、彼女自身何か知っているはずなのだが、そんな様子もなくて。
そうして待っていると、ストレアが淡々と説明をし始めた。
「えっとね……アタシ……時々、頭の中に、自分でない誰かが居る気がするの」
「っ……自分でない、誰か……?」
その言葉に、アキトは思わず言葉を詰まらせる。まるで、自分の境遇を想像させるから。
ストレアのその状態に、自分を重ね合わせてしまう。思わず、視線が彼女に固まる。
「うん……その誰かの頭が痛くなると、アタシも一緒に痛くなって……色々なものが、アタシの中に流れ込んでくるの」
「色々……って?」
「何か、色んなもの……でも、それが何なのかは、よく分からない。何か凄く大事なんだけど、忘れちゃってる事みたいな……」
首を左右に振ってから、窓の外へと視線を向けるストレア。
街灯の光が伸びているのが分かる。夜である事を改めて実感させ、暗闇が不安を助長する。
「でも、それを思い出しちゃうと、アタシがアタシじゃなくなっちゃう気もするの。それが、とっても不安で……」
「……」
ストレアの説明は、良くも悪くも抽象的で。彼女の身に今何が起きているのか、明確な事は分からない。
ただ、彼女のこの不安そうな顔から感じ取れる恐怖は真実で。それさえ分かれば、もう何も必要ない気がした。
「っ……」
ふと、何かがアキトの右手の指先に触れる。
下を見下ろせば、ソファーに置いていた自分の右手のすぐ側に、ストレアの細い左手が置かれていた。
ストレアが、恐る恐ると左手を動かす。行き着いたのは、隣りに座る、アキトの右手。躊躇いがちに伸ばされた彼女のその手が、アキトの右手に触れていた。
「……」
表情は暗く、何処か不安そうで。
アキトは、それを黙って受け入れた。何も言わず、右の手のひらを差し出し、ストレアの左手に近付ける。
一瞬だけ呆けた彼女だが、やがておずおずと左手がアキトと右手首をゆっくりと辿る。
手のひら同士をくっつける。指をを動かし、優しく握り締めた。
指を互い違いに絡ませると、その指先にそっと力を込めた。
「……ストレア」
「っ……」
アキトに名前を呼ばれ、ストレアは少しだけ肩が震えた。その瞳は揺れていて、不安が顕著に現れていた。手を繋いでいる事で彼女から伝わる動きは、どんな微かなものでも追わずにはいられなかった。
そして、そんならしくないストレアの、笑った顔が見たかった。
「俺は、ストレアが何に悩んでいて、何に怖がっているのか、ハッキリとした事は分からない。分かっても、解決してあげられるとか、そんな無責任な事も……言えない」
「……」
「……けど、君が望むなら、何度だって手伝うし、力になるよ」
「……アキト」
ストレアの、アキトの手を握る力が少しだけ強くなる。小さく、心臓の鼓動が聞こえる。
絡めた指から、彼女の想いを、不安を感じる。アキトは、ストレアを真っ直ぐに見て、小さく笑った。
「ストレアにどんな事があっても、俺にとっては大切な仲間だし、みんなもそう思ってる。無邪気で楽しそうで、いつも笑顔なストレアにみんな惹かれたんだ。だから、ストレアに悩みがあるなら、君が笑顔になれない状況になってるなら、みんなきっと力になってくれる」
「……」
「……まあ、初対面では嵐のようだって言われてたけど」
「えへへ……」
ストレアが、小さく。けれど、確かに笑った。
照れたような仕草に、曇りない表情。弱々しくはあったが、いつものストレアと良く似た笑顔だった。
ストレアとの初対面は、驚きを連れて来た。
眠りから目を覚ましてみれば、隣りで寝ていて。何故かアキトを知っていて。キリトを知っていて。信頼を寄せてくれていて。
過去については曖昧で、強さに反して知名度が無い。色んな矛盾や不可思議な事を、彼女は多く持っている。それでもそれが気にならないほどに、アキト達はストレアに惹かれていた。
傍から見れば違和感を感じるかもしれない。けれど、彼女の正体云々は関係無く、それ以上に、みんなストレア自身の事を大切に思っているのだ。
「……だから、何も心配する事は無いよ」
そう語りかければ、ストレアがアキトの手を握る力が強くなる。まるで、自身を按じてくれている存在を、確かめるかのように。
「アキト……みんな……ふふ、ありがとうね」
そう小さく告げたストレアは、漸く彼女らしい笑顔を向けてくれたのだった。
彼女なりに、吹っ切れたのだろうか。アキトは、小さく息を吐いた。素直に良かったと、そう思えた。彼女と繋がったその手から、熱を感じて。何処か、懐かしくて。
「ふあ〜……アキトとお話してたら、なんだか眠くなってきちゃった」
ストレアはもう片方の手を口元へ持ってき、大きく欠伸した。アキトと話して、気が緩んだのか、思い出したかのように睡魔を感じ取り始める。
ストレアがソファーからゆっくりと立ち上がり、アキトを見下ろした。手は未だ繋がれていた為、アキトはつられて立ち上がった。そろそろ帰るのだろうか、と思い、見送ろうとアキトが口を開く。
「戻るなら送るよ」
────しかし、
「今晩は、ここで寝ても良いよね」
「…………えっ」
ストレアは、とんでもない事を言ってきた。
アキトが一瞬だけ、彼女の言葉に固まっていると、ストレアはその隙にアキトの手を引いて、ソファーのすぐ隣りのベッドへと移動を開始していた。
ハッと我に返ったアキトは、すぐさま足に力を込めて立ち止まる。
「ま、待って!それは流石にまずい……!」
「もうここで寝るって決めたの」
ストレアはアキトと繋がったままベッドへと腰を下ろし、いそいそと横になり始めていた。自由奔放な彼女だ、ここまでしたらテコでも動かなそうだった。
アキトはここで彼女を寝かせる事を半ば強引に容認しつつも、絶対に引けない部分があった。
「ストレア、手、手を離して!せめて俺はソファーで寝る!」
「良いじゃん、一緒に寝ようよ。私ずっとアキトとこうしたかったんだよね」
「な、何言って────」
「えいっ」
「っ……うおっ……!」
アキトが固まった一瞬に、ストレアが繋がれた手を強く引っ張る。力の抜けていた身体は簡単にベッドへと倒れ込み、ストレアのすぐ隣りに簡単に収まってしまった。
すぐ隣りを見れば、眠気でとろんとしたストレアの瞳。思わず顔を逸らす。
すると、繋がれた手の力が強まり、そのまま片腕が彼女の腕の中に捕えられた。彼女の身体にぴったりと付けられたその腕は、豊満な胸が押し付けられて、逃げようにも彼女自身の腕に強く抱き締められている。
どうにか手だけでも離さないと、と思い指を開いて僅かにずらすと、繋がっている彼女の指がピクリと震えた。
彼女を見れば、解かれてしまうのか、そんな想いで表情を曇らせていた。
そんな仕草に、アキトは顔を赤くしてわなわなと震えた。生憎現実でもゲームでもコミュニケーションを苦手としていたアキトが、経験した事も無い行動をこうも繰り広げられたら対処出来るはずも無く、何も出来ないまま、ただストレアの女性らしさを色々と感じざるを得なくなっていた。
瞬間、ストレアはその手指を、アキトの指間に食い込ませるように、強く握ってきた。
アキトは色々と限界が来ていて、思わずストレアを見る。
「っ……」
────彼女の瞳は、揺れていた。
“離さないで”
そう伝えてくるかのようで。
「……はぁ」
アキトは観念したのか、開いた手を再び握り、ストレアを見る。彼女は驚いたようだが、段々と表情を緩ませ、甘い声で笑った。
安心したのだろうストレアは、とろんとしていた瞳、その目蓋を、ゆっくりと閉じていく。
「ふふ……お休みなさーい……」
「っ……ストレアさん!?」
「すう……」
「……もう寝たの?のび太君かよ……」
今までのやり取りで体力を持ってかれ、力が抜けるアキト。隣りで無防備に眠りにつくストレアからは、女の子の甘い香りがした。小さな吐息に感じる色気が、アキトの思考を鈍らせる。
これでは、彼女と初めて会った時と同じではないかと苦笑し、ストレアを見つめた。
具合が悪そうだった彼女も、今ではこうして安らかに眠れている。なら、こんな状況になって良かったかも、と思う事にした。
「……抜けない」
しかし、かなりガッチリと絡まれてる腕は中々に抜けず、無理矢理引き離すのも気が引けた。脱力し、天井を見つめ、先程とは別の意味で眠れず、また彼女を見た。
「……ストレア、か」
────彼女は、ソロだった。
これまで歩んで来た道は不明だが、ソロという点においてのみ言えば、キリトとアキトと同じだった。
なのに、いつも無邪気で、いつも楽しそうで、いつも笑っている彼女は、自分とは違う。
アキトは、仲間を失って暫くは、感情を顔に出す事が出来ないでいた。その方法すら、忘れてしまっていた。
仲間を失って、絶望して、もう何も無いと自覚し理解して。
ただあの日、大切だった人からのメッセージを聞いて、頑張ってみようと暫く奮闘していたけれど。
みんなを死なせたあの日からずっと、笑顔を作る方法を忘れていた。
一人なら、独りでいるならば。喜びや悲しみ、そんな想いを誰かと共有する事さえ出来はしない。表現する必要性を失い、だからこそ笑顔も、怒り方も、泣き方も、段々と忘れていく。
レベルを上げても、武器を手に入れても、強敵を倒しても。
それを共有出来る人がいなければ、笑う事も出来ない。ただただ無表情で、戦闘はただの作業で。
“約束”を果たすと決めても、それまでの道のりは虚ろな日々で。
────また笑えるようになったのは、いつだったかな。
そうして76層に来る前の過去に、想いを馳せる。
仲間を失ってからずっとソロだった自分が。
他人と関わる事を放棄し、感情を共有する事無く笑い方を忘れた自分が。
────たった一人だけ、パーティを組んだ女の子を思い出す。
その時、再び他人と関わりを持つ事で、漸く感情を取り戻した気がした。思えばあの時、誰かと一緒に居られたから、こうしてまた笑えるようになったのかもしれない。
そんな出会いが無ければ、ここに来るまでずっと、一人で独りの活動が続いていただろう。
(ストレアは、そんな事は無かったのかな……)
自由奔放で快活な彼女。誰もがそんな彼女に惹かれ、笑顔を咲かせている。ずっとアキトが望んだ光景を、今日は他でもないストレア自身が作り上げていた。
綺麗だと思った、誰かの笑顔。誰かを笑顔にさせたくて、それでヒーローに憧れた。
けれど、ソロでの生活はそんな理想を実現させられない。
なのに、同じソロであるストレアは、アキトとはまるで違くて。今日、アキトは確かに彼女に魅せられたのだ。
(……彼女みたいなプレイヤーこそ、ヒーローになれる存在なんだろうな……俺とは……ぜんぜん……)
眠れなかったはずなのに、段々と視界に靄がかかる。
そうしてアキトは、ゆっくりとその瞳を閉じた────
●○●○
「……んぅ……」
何故かふと、瞳が開く。
まだ眠いのかその目蓋は重い、二度寝してしまおうと再び目を瞑るも、何か違和感を感じて再び頭を上げた。
ゆっくりと上体を起こし、細い目で周りを見渡す。タンスや机、ソファーに、小さな四角テーブル。必要最低限の家具が取り付けられた殺風景な部屋。いつも自分が目が覚める場所とは違う景色に、段々と目が見開く。
「あれ……アタシ……」
漸く意識が覚醒してきたのか、透き通った声で小さくそう呟いた彼女───ストレアは、ふと窓を見た。日は登り始めており、時間を見れば6時半、そろそろみんなが起きるであろう時間だった。
先程まで眠かったにも関わらず、ストレアの眠気は既に消え去り、目は覚めていた。
「……?」
────ふと、自分が横になっていたベッドを見下ろす。
そこには、仰向けになって小さく寝息を立てる、アキトの姿があった。黒い髪がさらりと流れ、瞳を閉じたその表情はとても綺麗で、女の子みたいに可愛らしかった。
ストレアは目をぱちくりとさせながら自分の横で寝ているアキトを見ていたが、この状況を思い出したのか、納得したように口を開いた。
「アキト……そっか。アタシ、アキトの部屋で寝たんだった……」
だからだろうか。いつもより睡眠時間が短いのに、安心して良く眠れた気がした。アキトが隣りにいてくれる。それが、何よりも嬉しくて。
いつも一人で眠るベッドよりも、ずっと温かい。ストレアは、それを実感した。
「っ……」
────しかし、そうしてアキトを見下ろしていると、ストレアは思わぬものを見て驚愕した。
自分のその手が、未だアキトの手と繋がれていたのだ。
離さないようしっかりと、お互いに指を絡めて握られていた。
思わず口を開け、瞳を見開いた。
その手は、自分が眠った時と、全く同じ形。ストレアは瞳を揺らし、自然と視線はアキトの方を向いた。
未だ目を瞑って子どものように眠るアキト。眠る前はあんなに慌てていたのに、今はこうして隣りで一緒に寝てくれていて。
ストレアは、段々と頬が緩むのを感じた。
「……ずっと、握っててくれたんだ……」
その手から伝わる温もりが心地好くて、少しだけ、ドキドキしたりして。こんな自分の我儘でも聞いてくれる事が、とても嬉しくて。
────ずっと、こうしてみたいと思ってた。
アキトとこうして同じベッドで、横になって。
会話しながら笑って、そうして互いに段々眠くなっていって。
そんな、友達とか家族とか、恋人みたいなやり取りを、ずっとずっと憧れて。
────あの日からずっと。
「……えへへ」
右手でアキトの頭を、優しく撫でる。
ずっと会いたかった、アキトという名前の少年。
何処か儚くて、でも強い芯を持っていて。何度も折れそうになった心を何度も奮い立たせて。
そんな彼が、放っておけなくて。
(……アタシは、知ってるからね……)
君の頑張りを。
一人でも戦う事をやめず、努力してきた事を。
ずっとずっと、見てきたから。
何度も、応援してたから。
────ズキリ
「っ……」
途端、頭に痛みが走り、ストレアは思わず目を瞑る。
撫でていたアキトの頭から右手を離し、自身の頭を抑えた。
それでも尚変わらず、色んなものが、忘れてはいけない何かが、頭の中に流れ込んで来て。
感情が、想いが、とめどなく溢れて────
そうして、顔を上げた。
「……行かなきゃ」
それだけ呟くと、ストレアは自身の頭から手を離す。そして、アキトと繋がれていたその手を、ゆっくりと引き離した。
名残惜しさを感じつつ、アキトを見る。未だ変わらず瞳を閉じて眠る彼は、とても気持ち良さそうに寝息を立てていて。もう朝になるというのに、熟睡していて。
起こしたら悪いだろう、と。ストレアはクスリと、思わず笑ってしまう。
「……」
ストレアは、身体を動かした。
身体の正面をベッドに向けて四つん這いになると、覆い被さるかのようにアキトを見下ろす。
「……またね、アキト」
そう言って、ストレアは髪を耳にかける。
そして、アキトへと顔を近付け────
────そっと、自身の唇を重ねた。
アスナ 『アキト君?起きてるー?』コンコン
アキト 「ん……?アス、ナ……?」ネムネム
アスナ 『起きてるの?開けて良い?』
アキト 「んー……いーよ……っ!? あっ、ま、待って!」ガバッ
アキト (ストレアが寝てるんだ!見られたら誤解される!)
アスナ 「アキト君?」ガチャ
アキト 「しまった……遅かった……っ!ち、違うんだアスナ!決してそういうつもりじゃなくて、けどストレアが強引にっ……!」アワアワ
アスナ 「ストレアさん?ストレアさんなら、結構前に帰っちゃったわよ」
アキト 「……へ?……あ、本当だ、いない……よ、良かった……」ホッ
アスナ 「……いよいよ今日で最後だね、アキト君」
アキト 「え……うん。準備は万全に行こう。力、貸してくれる?」
アスナ 「ふふっ、勿論よ。まずは、朝ご飯をしっかり食べましょう!」
アキト 「……うんっ」
アスナ 「……ところでさ、アキト君」
アキト 「何?」
アスナ 「さっき慌ててたの……あれ何?」ジトー
アキト 「へ?あ、いや、それは……な、何でもないんだっ」メソラシ
アスナ 「ホントにー?」
アキト (こ、怖い……!)ガタガタ
何かありましたら、意見や感想お待ちしております!