ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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“憧れ”が、そこに居た────







Ep.98 キリトVSアキト

 

 

 

 場違いな、懐かしさを感じていた。

 何よりも大切だったあの時間、あの空間を思い出してしまう。初めて感じた温もりと、心地好く感じた世界を、否応無く。

 初めてこの手で守りたいと切に願った、愛した少女。

 

 

 そして大切な、たった一人の親友の事を。

 

 

 何処か似ているような風貌で、けれどそれ以外の何もかもが違っていて。

 彼は自分に無い強さを持っていた。何度も願ったのに、結局手に入れられなかった、何もかもを救えてしまうくらいの理不尽な強さ。誰かを守る事が出来る、正義の味方のような強さを彼は持っていた。

 

 

 彼はいつしか“理想”となり、“憧れ”となり、絶対に負けたくない“ライバル”になった。そして、“親友”になった。

 理想の果てが、追い付きたい背中がそこにはあった。彼の存在がこの身を強くしてくれると思った。

 この『強がり』を『強さ』に変えて、いつかは並び立てる存在になれると信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「があっ……!?」

 

 

 突然キリト(・・・)に斬り付けられ、その身をアスナ達の伏す後方にまで吹き飛ばされる。

 

 

 

 「アキト君!?」

 

 「アキト!」

 

 「ぐっ……!」

 

 

 二人の呼び掛けを受け、アキトは起き上がる。いきなり親友に攻撃された事実に、動揺を隠せない。視界に映る親友を見て、その瞳が揺れる。

 キリトはそんなアキトに対して無表情のままだった。ただ虚ろな瞳で、変わらずこちらを眺めるだけ。

 

 

 「キリト……なんで……」

 

 

 そんなアキトの問いにすら答えない。キリトは、再び床を蹴った。

 こちらに迫るその速度に、アキトは反応が遅れる。瞬間移動でもしたのかと思う程に速く、アキトは目を見開いた。

 

 片手剣単発技《ホリゾンタル》

 

 キリトの持つ《エリュシデータ》が白銀の光を帯びる。こちらに背を向けたかと思うと、流れるように横に剣を一戦した。

 

 

 「ぐぁっ……!」

 

 「きゃっ!」

 

 「うぁっ……!?」

 

 

 その一撃は空気と共にアキトの胸元を裂いた。同時に、そこから生まれる風圧で、アスナとフィリアも後方へと吹き飛ばされる。

 三人が同時に地面へと転がり、アキト以外の二人は運良くエリアの端へと追いやられた。

 アスナとフィリアはダメージこそ食らっていないが、特にアスナはキリトに剣を向けられた事に少なからず動揺していた。彼女達の目の前では、アキトが身体を震わせて、どうにか起き上がろうとしているところだった。

 そんなアキトに、再び黒の剣士が迫る────

 

 

 「っ……アキト、前!」

 

 「……!」

 

 

 アキトは急いで顔を上げる。目の前には、左手の《ダークリパルサー》を横に薙ぎ払おうとするキリトの姿があった。

 慌てて床に転がる二本の剣を引っ掴み、防御体制を取るアキト。瞬間、繰り出された《ダークリパルサー》の一撃が、二本の剣と交錯した。

 甲高い金属音、ギリギリと火花を散らすと同時に、その圧倒的な筋力値にアキトの防御する腕が震える。

 

 

 「キ、リト……」

 

 「……」

 

 

 キリトは物言わぬ人形の様に、こちらを俯瞰していた。虚ろな瞳でアキトを見下ろし、今度は右手の《エリュシデータ》を頭上に掲げる。

 

 片手剣単発技《ソニック・リープ》

 

 

 「っ……くそっ!」

 

 

 アキトは《ダークリパルサー》を弾いて左方向に飛ぶ。放たれたソードスキルは空を切り、床に叩き落とされる。途端に轟音が響き渡り、床を振動させる。

 ローリングしながら体勢を立て直すも、その一瞬でキリトはアキトの間合いに入っていた。

 

 

 「なっ……くっ!」

 

 

 再び振り下ろされる黒い剣。やむを得ずアキトは左手の《ブレイブハート》をキリトの剣にぶつけた。

 火花か盛大に飛び散り、その眩しさに一瞬目を細める。しかし、そうして視界が狭まったところを、キリトは見逃さない。

 視覚外、真下から足を突き上げ、そのままアキトの腹部を蹴り飛ばした。

 

 

 「ぐぁっ……!」

 

 

 後方へと身体が流れ、体勢が崩れる。そして、続けて左の《ダークリパルサー》を、後ろへ倒れるアキトに目掛けて振り下ろした。アキトは、二本の剣を交差して、自身の身体に落下してくる剣を受け止めた。

 倒れているこの状況で、押し潰さんと迫って来るキリトの剣。その力強さが、剣から伝わる。熱も、想いも全く篭っていないその剣が、ただただ重い。

 交錯する剣の向こう、キリトの瞳を見て、歯軋りする。

 

 その目は、決して自分を映してはいない。

 ただ、アキトを倒す為だけの存在、それ以外の意味など感じない。

 ただの獲物としか、こちらを認識していない。

 

 

 「────アキト、反撃してっ!」

 

 

 後ろから、フィリアの声が聞こえる。

 アキトもアスナも、この静寂の世界で響き渡る彼女の声が、よく聞こえていた。

 

 “反撃して”、と。そう言った。

 そんな事、出来る訳が無い。

 

 アスナは思わずフィリアを見て、アキトは思わず彼女の言葉に耳を貸す。

 

 

 「ソイツ、《ホロウ・データ》だよ!名前見て!」

 

 

 そう言われ、自然と目の前のキリト、その頭上を見やる。

 一瞬目が合ったかと思いきや、その虚ろな瞳はただ冷たくて、やはり何も見てなくて。

 プレイヤーと何ら変わらない一本のHPバーと、その上にあるはずの名前。目の前のキリトの姿をした、奴の定冠詞。

 

 《Kirito(キリト)》じゃない。

 

 その真の名前は────

 

 

 

 

 《Nightmare Hollow(ナイトメアホロウ)

 

 

 

 

 その名が、目の前の奴がキリトじゃない事を知らしめていた。目の前のコイツは、親友に似た、ただのAI。データの塊。

 悪夢(ナイトメア)の名を冠した、この世界の《ホロウ・データ》。

 

 

 「……!」

 

 

 アスナも我に返ったのか、その瞳からは動揺が段々と消えていた。アレがキリトでは無いと、いち早く踏ん切りが着いたのかもしれない。

 今、この状況の意図と意味を汲み取り、自身の感情を排斥し、アキトが今、やらなければいけない事を瞬時に理解した。

 

 

 あれは、キリトじゃない。

 自分が愛した人ではない。

 今は、自分達の前に立ちはだかる、《ホロウ・データ》なのだと。倒さねばならない敵なのだと。

 

 

 しかし────

 

 

 「くっ……!」

 

 「……」

 

 

 アキトは、未だ反撃すらせず、床に倒れたまま、上からキリトが押し潰そうとしてくるのを、剣で防御するだけだった。

 アスナもフィリアも、先程と変わらない状況に困惑を重ねる。何故、アキトは反撃しないのだと、そう表情が物語る。

 彼にとって、アレがたとえ親友の姿をしていたとしても────

 

 

 「っ……」

 

 

 ────辛い。

 アスナも、あの姿をした《ホロウ》を倒すという事実だけでどうにかなりそうだった。けれど、世界とアキト、そしてその《ホロウ》を天秤にかけるならば、アキトに決まっていた。

 あれは、キリトじゃない。そうアスナ自身も、自分に言い聞かせた。

 だから、アキト君も───

 

 

 「アキト君!その人はキリト君じゃ────」

 

 

 「分かってんだよそんな事はっ!」

 

 

 今まで聞いた事ない程の声量。ビクリと、アスナとフィリアも肩を震わした。

 あんなアキトは、見た事が無かったから。

 

 アキトは悔しげに歯噛みして、腕に力を込めると、空いた右足でキリトの腹部を蹴り上げた。一瞬宙へと吹き飛んだキリトだが、すぐさま後方へと着地し、無気力な体勢で再びこちらを見据えた。

 HPが思ったよりも減っていない。恐らく奴は、アキトが腹部を蹴ると同時に地面を蹴り飛ばし、威力を最小限に抑えたのだ。

 

 

 「っ……」

 

 

 その判断能力と反射速度は、紛れも無いキリトで。

 起き上がったアキトは、ただ悔しげに表情を歪めるだけだった。

 

 

 ────それでも、あれはキリトじゃない。

 

 

 そう。

 分かってる。

 とっくに、分かってるんだ。

 なのに。

 

 

 「何でだよ……!」

 

 

 最初にキリトに斬られた時点で、アキトは混乱と動揺を見せながらも半ば理解していた。

 先程のアナウンスが告げていた『最終シークエンス』とは、今この現状の事を指している。

 この目の前のキリトの姿をした《ホロウ・データ》と戦い、倒す事。それが、今アキトに課せられた試練。

 アスナとフィリアが麻痺状態になったのは、アキトとキリト(ホロウ)の一対一の状況を作り上げる為。

 

 

 頭では、分かっている。

 自分の中に、キリトがいる事だって分かっているはずだ。

 けれど。

 

 

 「……何で、君なんだよっ……!」

 

 

 一万人いるプレイヤーの《ホロウ》。

 その中で、何故選りにもよって君なんだ。

 何故、こうして互いに睨みをきかせ、剣を持たなきゃいけないんだ。

 

 

 漸く、会えたのに。

 顔を、もう一度見れたのに。

 面と向かったなら、話したい事があったのに。

 

 

 グルグルと感情が渦巻き、視野が狭まる。

 心臓の音で、他は何も聞こえない。アスナの声、フィリアの声、その全てがくぐもって聞こえる。

 

 

 「……っ!」

 

 

 再び、キリト(ホロウ)が飛び出す。

 その二本の黒白の剣を構え、アキトを殺す為に。

 戸惑いの中、剣を突き出すキリトに対してアキトが見せたのは、紙一重の回避だった。それも、まるで恐怖から逃げ惑う子どものような、拙さ目立つ躱し方だった。

 戦いたくない、そう無意識に感じているのか否か、傍からは分からない。だがその表情は明らかに、拒絶のそれだった。

 

 キリトから躱された事に対する驚きも焦りも感じられない。そのまま立て続けに左手の剣を横に振るう。

 今度はバックステップで回避するが、それすら予測していたのか瞬時に間合いを詰められ、再び右手の剣が振り下ろされる。アキトは舌打ちしながらそれを弾くが、今度はまた左手の剣が構えられていた。

 二刀流、相手にするとここまで厄介なのかと実感する。そうでなくとも、自身が憧れる程の強さなのだ、少しの気の迷いが死を招く。

 

 そう、頭では分かっているのに。

 

 

 「しっ────!」

 

 

 苦しげに、そして半ば強引に繰り出すは右手の《リメインズハート》。キリトの怒涛の攻撃の中に生まれた一瞬の隙を突くかの如く振るった刃は、そのまま奴の頭上へと下ろされる。

 だがキリトは目を見開くと、足に力を込めて一気に横へと飛んだ。アキトの剣は何も無い空間を斬り、目の前にいたはずのキリトを見失う。

 慌てて見渡せば、既に視界にキリトはいない。

 

 

(っ……まさか、後ろ───)

 

 

 しかし、気付くのが遅かった。

 振り向く間も無く、アキトの背中にキリトの剣が落とされる。肉が削がれる音がして、赤い血のようなエフェクトが宇宙を舞う。

 

 

 「がぁっ……!」

 

 「アキト君!」

 

 

 アキトは地を滑り、転がる。すぐさま立ち上がり、顔を上げる。

 眩い閃光迸り迫るは、キリトの剣。《エリュシデータ》と《ダークリパルサー》の両剣が同一の光を纏っている。

 

 二刀流のソードスキルだと、瞬時に理解した。ならば、アキトにも対策は出来る。

 キリトの構えと、ライトエフェクトから発動するであろうソードスキルを見極め、同じスキルで相殺する。

 こちらに向かって駆けるキリトを迎え、アキトは《リメインズハート》と《ブレイブハート》を光らせる。

 互いに白銀に剣が染まり、その二本を振り上げる。

 

 

 「らぁっ────!」

 

 

 二刀流奥義技十六連撃

 《スターバースト・ストリーム》

 

 同一のスキルのぶつかり合いが始まる。火花が飛び交い、同じ速度で剣戟が生まれる。少しでも気を抜けば速度負けし、手を抜けば力負けするこの現状、一瞬の油断さえ命取り。

 迫る一つ一つの力、振り下ろし、繰り出される剣の一本一本を予測し、反応して相殺する。

 アキトは思いの外冷静に、この状況を見れていた。

 

 

 しかし────

 

 

 「なっ!?」

 

 

 瞬間、アキトの剣が弾かれた。慌てて立て直そうとするも、防御の為に構えた剣が空を切る。

 頬に、剣のかすり傷が生まれる。アキトは、その瞳を揺らした。

 先程まで同じ動き、同じ速さだったはずなのに。

 

 

(スキルが違う……!? そんなっ、さっきまで明らかに《スターバースト・ストリーム》のモーションだったのに……)

 

 

 途中から、キリトが動きを変える。

 ソードスキルのモーションが、変化していく。その事実に、アキトの表情は崩れた。

 相殺目的の為の同一のスキル発動。だが、キリトはそれすらも見越していたというのか。

 キリトはアキトの剣を弾き、体勢が崩れたアキトのソードスキルがキャンセルされた瞬間に、アキトの背後に回り込んだ。

 

 

 「しまっ────」

 

 

 アキトは対応出来ず、頭だけを後ろへ向ける。

 完全な隙。キリトのソードスキルは、まだ終わっていなかった。変わらず白銀の閃光が、アキトの視界を覆った。

 

 二刀流奥義技十六連撃

 《スターバースト・ギャラクシー》

 

 残り四連撃が、アキトの背後に集中していく。筋力値極振りのステータスを誇るキリトのコピーは、慈悲も容赦も無く、殺戮の機械と化してアキトの背中を刻み付けた。

 

 

 「あああああぁぁああ!」

 

 

 立て続けに背後を取られたアキト。連続で同じ戦術は愚策だという常識の裏をかいた、AIらしからぬ思考能力。防御すらままならないアキトは、そのソードスキルでHPを半分まで削られ、再び石ころのように吹き飛ばされた。

 

 三度地面を滑り、地に伏して倒れる。そして、また同じように震える足を叩いて立ち上がる。その連続だった。

 アキトは対処的にしか攻撃しておらず、奴を倒そうとする気配が傍からは感じられなかった。目の前に立つ相手が、キリトと同じ姿をしているだけで戦う気力を奪われていたのだ。

 その事実だけで、アキトの動きを鈍らせるには充分だった。

 

 

 「……」

 

 

 ────かつて、憧れた姿。

 

 それが今、自身に剣を向けている。見ているだけで、楽しかったあの頃の記憶が呼び起こされ、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 共に戦い、笑い合い、話し合い、研鑽し合った。そして、互いに仲間を失って、同じ痛みと悲しみを共有した親友。

 あの時は自分の事ばかりで、彼の事を考えていなかった。辛いのは自分だけなのだと、無意識にそう思っていた。

 間違った怒り、行き場のない憎しみをキリトに向け、それを背負わせてしまった罪。

 強くなって、攻略組としてキリトに再び出会う事を目的に生きてきた。それなのに、辿り着いた先に彼はいなくて。

 

 

 もし、また出会えたのなら。

 

 

 「謝ろうと……思ってたんだ……」

 

 

 一人にしてしまった事。

 背負わせてしまった事。

 拒絶してしまった事を。

 それなのに。

 ナイトメアホロウという名を冠するキリトの《ホロウ・データ》。

 これが悪夢(ナイトメア)だなんて、思いたくないのに。

 

 

 戦う事に、なるだなんて────

 

 

 剣の握る力が強くなる。

 悔しさや悲しさ、行き場の無い苛立ちと焦り。この想いをぶつける何かを、必死に探してる。

 込み上げてくるものは、失くしたものに対する大きな罪の意識。キリトに対する、謝罪の気持ちだった。

 こんな、こんな出会いを望んだわけじゃなかったのに。物言わぬデータと化した親友と、剣を交えたかった訳じゃなかったのに。

 

 

(畜生────)

 

 

 伏せた顔、前髪で隠れる目元。けれど、その口元は何かを堪えるように、必死に歯を食いしばっていた。

 

 そんなアキトに迫る、黒い影。

 キリトは再び床を蹴り、お構い無しに迫って来る。その速度は衰える事無く、寧ろ俊敏になっていた。間合いを一気に詰め、《エリュシデータ》を突き出した。

 近付く刃、それを視認したアキトの瞳は、悲痛に歪んでいた。

 

 

 「畜……生っ!」

 

 

 アキトはそれを弾き落とし、もう一本の剣を上段から振り下ろす。相手の不意を突いた完全な隙。常人なら対応は難しい絶妙なタイミングだった。

 

 だがキリトは、身体を少し傾けるだけでその一撃を紙一重で躱す。《二刀流》保持者の反応速度は伊達では無いと改めて実感する。アキトは舌打ちをしながらも、相手から目を離さない。常に視界内に捉え、見失わぬよう細心の注意を払う。

 

 

 「っ……はぁっ!」

 

 

 アキトは右手の剣を床と平行に薙ぐ。

 気合いと呼ぶには投げやりな声と同時に振るった剣速は、万全の時のものと比べると明らかに劣る。手を抜いている訳では無いのかもしれない。だが、本気ではない攻撃をキリトが躱せない訳はない。

 

 キリトは悠々とバックステップで距離を取り、アキトを一瞥する。

 そして、再び閃光のような速度で近付くキリトの剣は、眩い光を放っていた。

 ライトエフェクトが空間に広がる。目を細めてしまう程に輝きを増し、接近してくる。

 構えた剣をアキトの左肩から斜め下へ袈裟斬りに放った。アキトの命を終わらせようと本気で迫るそれは、大振りで隙が大きいように見えて、キリトが使えば正に音速、躱す事すら至難の業。

 躱せないなら、受け止めるしかない。

 

 その太刀筋を予測して先に剣を構えていたアキト。タイミングよくそれを前に押し出し、キリトの剣を受け止める。

 甲高い金属音が辺りに響き渡り、火花が眼前に迸った。

 

 

 「ぐうぅ……!」

 

 

 アキトは全力でキリトの一撃に集中し、受け止めて力を加え続けたのだが、それでも押され続けた。

 ジリジリとポジションを取られ、詰め寄られていく。押し負け、体勢が崩れる。

 キリトのHPは未だ減っていないのに対し、アキトのHPは半分以下にまで減少している。アキトが今の状態のままならジリ貧だった。

 こちらの隙、体勢が崩れるタイミング、その全てを見極めてくる高知能AI。キリトは、アキトが力負けして膝が曲がった瞬間、アキトを思い切り弾き飛ばした。

 分かっていても、準備していても防げない程の筋力値。ステータスの違いと、自身がまだ憧れに追い付いていない事実を浮き彫りにされる。

 押しとどまっても、再び迫られる。親友だったはずなのに、目の前の敵からは一切の躊躇を感じなかった。ただ冷たい瞳がアキトを見据え、容赦無く剣でこちらの想いを根こそぎ斬り潰していく。

 防御も回避も拙くなり、好機と捉えたキリトは畳み掛けていく。HPはドンドン削れていき、危険域に近付いていく。

 

 

 「アキト!くっ……」

 

 

 アキトを助けようと、必死に抗うフィリア。しかし、どれだけ身を捩っても、その身体は動いてくれなかった。麻痺状態が延々と続き、ただアキトが傷付くのを眺める事しか出来ない。

 

 

 「アキ、トくん……」

 

 

 アスナの瞳からは、涙が溢れていた。

 愛した人と、大切な人。その二人が剣を交え、こうして戦っている。誰もが望まぬ再会だった。こんな再会を望んだわけじゃなかった。

 想い人がアキトを傷付けているこの状況を、心の何処かで拒絶する。受け入れたくない事実として、否定し続けている。

 

 同時に重なるのは、かつての光景。

 

 ヒースクリフと戦う、キリトの姿だった。

 あの時も麻痺で動けず、二人の決闘を眺めるだけだった自分。今みたいに一方的なものではなかったが、このままだと辿る末路は同じかもしれない。

 

 

 失う恐怖が、胸を突き刺す。

 

 

 視界に映るのは、キリトから斬撃を受け、投げ出されたアキトだった。この宇宙を背景としたエリアに反して、重力に逆らわずにごろごろと地面を転がり、漸く止まった時には、もう心身共に壊れる寸前だった。

 

 

 「……」

 

 

 動かない身体を、ゆっくりと仰向けにする。

 見上げた天井は現実のものよりも煌びやかな星々で輝いており、嫌なくらい綺麗だった。そんな星達に見下ろされながら、そのまま視線を落としていけば、キリトがこちらに歩いて来ていた。

 

 頭がぼうっとする。仰向けになった身体を動かす気力すら無く、ただキリトの移ろいゆく瞳を見据えるだけのアキト。

 ここへ来ても、まだ一言も発しないキリトに、形容し難いもどかしさと悔しさを感じた。

 

 他の《ホロウ》は、プレイヤー同様に言葉を放っていたのに。

 そこに居たのは喋る事を許されない人形。アキトを殺す事だけを使命に与えられた、この世界の奴隷。

 

 

 「っ……」

 

 

 まるで、今までの恨み辛みや憎しみを、本人にぶつけられているみたいだった。

 

 

 ────だからこそ。

 

 

 「……ゴメン、キリト……

 

 

 だからこそ、そんな言葉がか細く呟かれる。

 震える声音、今にも泣きそうな表情を想像させる。

 込み上げた想いが溜まりに溜まり、最初に口にしたのは、そんな謝罪の気持ちだった。

 

 

 「アキト……?」

 

 

 フィリアが、今まで見た事もない弱々しい姿を見せるアキトに、困惑を隠せない。瞳を揺らし、アキトの変貌を固まって見ていた。

 アスナも、《ホロウ》のキリトに圧倒されるだけのアキトに、心臓を高鳴らせていた。動かない身体に苛立ちを感じながらも、二人の戦いの行く末を見守っていたのに。

 こんな、一方的な戦いになるだなんて。

 PoHとは比較にならない強さに加え、アキトの意気消沈した戦闘。

 ここまで力を合わせてきたにも関わらず、クリアよりもゲームオーバーの可能性の方が大きくなっていた。

 

 

 それでも、アキトは────

 

 

 「……俺は……僕は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 場違いな、懐かしさを感じていた。

 何よりも大切だったあの時間、あの空間を思い出してしまう。初めて感じた温もりと、心地好く感じた世界を、否応無く。

 初めてこの手で守りたいと切に願った、愛した少女。

 

 

 そして大切な、たった一人の親友の事を。

 

 

 何処か似ているような風貌で、けれどそれ以外の何もかもが違っていて。

 彼は自分に無い強さを持っていた。何度も願ったのに、結局手に入れられなかった、何もかもを救えてしまうくらいの理不尽な強さ。誰かを守る事が出来る、正義の味方のような強さを彼は持っていた。

 

 

 彼はいつしか“理想”となり、“憧れ”となり、絶対に負けたくない“ライバル”になった。そして、“親友”になった。

 理想の果てが、追い付きたい背中がそこにはあった。彼の存在がこの身を強くしてくれると思った。

 この『強がり』を『強さ』に変えて、いつかは並び立てる存在になれると信じていた。

 

 

 

 

(……なあ、キリト。教えてくれよ────)

 

 

 

 

 あの時、君に憧れたり、妬んだりしなければ。

 みんなを避けずにいられたなら。

 自分の心が強かったなら、何か変わった?

 

 

 あの時、俺がもっと強かったら。

 もっと早く気付けてたなら、助けられた?

 

 

 分からない。

 情けない。

 考えられない。

 

 

 心底、自分の弱さに嫌気がさした。

 目の前の敵が、偽物だって分かってるのに。

 

 

 君の姿をしている──ただそれだけで、戦う事すら出来ないだなんて。

 罪の意識を感じているからこそ、これ以上傷付けたくなくて。キリトの姿をしているからこそ、その想いは強くなっていて。

 

 

 傲慢だった。

 自惚れだった。

 

 

 「……全部、俺の所為なんだ、キリト

 

 

 大切な人達すら救えなかった自分に、何かを変える力なんてあるはずないのに。

 嫌な程、痛感してるのに。

 

 

 「……」

 

 

 小さな声、それでも静寂が覆う世界でそれは響いた。

 その懺悔が、《ホロウ》であるキリトに届くはずも無く、二本の剣を携えて無慈悲にこちらへ歩み寄って来る。

 アキトの言葉に、耳を貸さない。全く反応を示さない。目の前の奴が完璧に偽物だと判断出来るはずなのに、アキトの腕は震えていた。

 ここまでまともに戦えていないのは、アキトが無意識に戦う事を拒絶しているから。けど、そう頭では理解しているのに、身体が動いてくれなかった。

 

 ────考えるより先に、身体が動いてしまったのだ。

 

 それも、悪い意味で。

 世界が危機で、それを救えるのがこの場で自分だけだったとしても。

 だからといって、親友に剣を向けるのはまた別の話。天秤にかけられるものなんかじゃなく、比べられるものなんかじゃない。

 二つに一つ、そんな残酷な選択を迫られても、アキトはここまで決めあぐねていた。

 

 

 けれど。

 

 

(……立たなきゃ)

 

 

 ────そうだ。

 

 

(戦わなきゃ……)

 

 

 ────命が懸かっている。

 

 

(コイツを倒して……)

 

 

 ────みんなを救って。

 

 

(フィリアを助けて……)

 

 

 ────三人で、アークソフィアに帰らなきゃ。

 

 

 アキトは何も考えられなくなっていた。その瞳は段々と色を失い、キリトをぼうっと眺めた。こちらを見下ろすキリトは、剣の先端を此方に向け、後ろに引いて構え始めた。

 一気に突きを入れ、HPを削り取るつもりなのだろう。

 

 

 どうして、自分は今。

 自分が殺されそうになっているのをただ眺めているんだろう。

 

 

 なんで、身体が動かないのだろうか。

 

 

 「アキト!嫌ぁ、アキト!」

 

 

 フィリアの声が聞こえる。必死に身体を動かそうと藻掻く、呻き声が床から響く。

 それに答える事すら出来ない程に、悲しみが胸に去来して。

 彼女はずっと、自分に呼び掛けてくれて居たのにと、アキトは申し訳ない気持ちになる。

 

 思い返せば、フィリアには謝らなきゃいけない事が多過ぎた。そもそも、フィリアはキリトを知らないじゃないか。

 なら、今自分がこうして目の前の《ホロウ》に対して攻撃を躊躇っている理由なんて、知る由も無いだろう。

 説明すれば、フィリアは分かってくれるだろう。けど同時に、偽物なのだと、そう説得してくるだろう。

 

 

 ゴメン、フィリア。

 もう、とっくに分かってるんだよ、そんな事。

 

 

 みんなを、助けなきゃって、そう思ってるのに。

 絶対に阻止しなきゃいけないって、守りたいものを今度こそって、そう思っているのに。

 

 

 でも無理だよ、俺。

 割り切れないよ。

 目の前の奴を、他人だなんて思えるはずない。

 

 

 だって、漸く会えたんだ。

 話したい事が、いっぱいあるんだ。

 その為に強くなって、ここまで来たんだ。

 この時を、一年待ったんだよ。

 

 

 親友だったんだ。

 大切な存在だったんだ。

 

 

 だからなんだと、他人からすれば想うだろう。

 そんな彼らに、自分は謝る事しか出来ない。

 

 

 だって、どんなに取り繕ったって、どれだけ割り切ろうと思ったって。

 結局、身体が動いてくれないんだ。

 

 

 

 

 「……ゴメン……ゴメン、みんな……ゴメン……!」

 

 

 

 

 くしゃくしゃになった顔で、絞り出した声。涙と共に思い起こされるのは、キリトと出会ってからの懐かしい記憶。

 そして75層で出会った、新しい仲間達。彼らに返さなきゃならない事が、沢山あったはずなのに。それら全てが今、無に帰してしまうかもしれない。

 そんな彼らに、謝ることしか────

 

 

 「……」

 

 

 キリトの《エリュシデータ》が、赤いライトエフェクトを纏う。暗がりに包まれた空間で、その光はよく目立つ。

 強烈な一撃だろうと予想は付く。今の残りHPを鑑みても、まず助からないだろうと悟った。

 涙で歪められた視界の中、キリトが目を見開いて突き出してくるその剣はスローモーションに見えて。

 ゆっくりと迫って来るその刃をじっと見つめる自分がいた。

 

 

 穿つは心臓。一撃必殺。

 

 

 再び走馬灯のように呼び起こされる、かつての記憶達。

 薄れていくものもあれば、既に消えているものまで脳を巡る。

 

 初めてこの世界で出来た、大切な仲間。

 ケイタ、ササマル、ダッカー、テツオ、サチ。

 

 そして、人生で初めての親友、キリト。

 

 再び立ち上がる、その背中を押してくれたアルゴ。

 

 この決意を応援し、支えてくれた、かつてパーティを組んだ少女。

 

 そして、新たに出来た仲間達。

 一緒に戦ってくれる人達。

 アスナ、リズベット、シリカ、リーファ、シノン、ユイ、ストレア、フィリア、クライン、エギル。

 

 

 こんなにも、大事なものが出来たのに。

 なんて、どうしようもない男なんだろうかと、アキトは悲しげに目を瞑った。

 

 

 

 

 ────そして、キリトの剣が肉を貫く音が、耳に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 時間が、止まったような錯覚に陥る。

 変わらず世界は静寂で覆われていた。誰もが動きを止め、呼吸すらも忘れていた。

 

 

 どれくらい経ったのかは分からない。一分、一秒。一時間以上経っているかもしれない。それほどに、感覚が不明瞭になる。

 

 

 いつまで経っても、衝撃が来ない。

 貫かれた際の不快感も、死を迎える気配も感じられなかった。

 

 

 逆に感じのは、影。

 自分を何かが覆っているような感覚だった。

 

 

 アキトは思わず、目を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そして、表情が凍りついた。

 

 

 自身に覆い被さっていたのは、人だった。

 

 

 自分とは対称的な白い装備。

 

 

 透き通るように綺麗な、長い亜麻色の髪。

 

 

 慈愛に満ちた、優しい瞳からは涙が零れていて。

 

 

 地につけた両腕は、震えていた。

 

 

 

 

 「……大、丈夫……? アキト、くん……」

 

 

 「ぁ……あ、すな……」

 

 

 

 

 アキトの上に四つん這いになっていたのは、アスナ。

 彼女はいつものように、優しく微笑んでいて。

 

 

 

 

 ────その胸からは、キリトの剣が伸びていた。

 

 

 

 

 「ぁ……あ、あああ……」

 

 

 アキトの瞳が、恐怖の色を映す。

 彼女が、キリトの攻撃から自身を守ってくれたのだと瞬時に理解した。キリトの《エリュシデータ》に貫かれたアスナは、身体を恐怖と不快感で震わせ、上手く声を発せないようだった。それを理解した途端、アキトの口から漏れ出すは獣のような呻き声。

 自分の情けなさによって生まれた事象を悟り、衝撃で頭が揺さぶられる。

 

 フィリアも、その表情に同様の色を映していた。

 麻痺状態を掻い潜り、どうにか動かしたその身体で、アキトに向かって一直線に走ったアスナの行く末を見て、唖然とした。

 

 

 「あ、すな……アスナ……」

 

 

 アキトは仰向けになりながらも、震える腕をアスナへと伸ばす。

 頬へと近付けたその手を、アスナは優しく握ってくれた。そこから熱を感じて、アスナは安心したような笑う。自分の事などお構い無しで、安堵の息を小さく漏らす。

 

 

 「よか、た……アキト、くん……生きて、くれてる……」

 

 「な、んで……」

 

 

 麻痺状態にかかっていたはずなのに。

 何故、その身を盾に自分なんかを。

 どうして、なんで、そんな問いが頭から離れてくれなかった。

 言葉が出ない。そんなアキトの上でアスナは、嬉しそうに笑い、言葉を紡いだ。

 

 

 「……ゃ……た、ょ……アキト、くん……私、今度は……ちゃんと、動け……た……ずっと、後悔して、たんだ……」

 

 「ぇ……」

 

 「あの時と、同じ……動けなかった、あの日の、こと……キリト、くんを、守れな、かった……だから、今度は……っ」

 

 

 ────それは、かつて想い人を失ったあの日。

 あの時、どんなに頑張っても麻痺状態を解除出来なかった。キリトを信じ、全て彼に押し付け、背負わせてしまったあの日。

 あれから何度も夢に見て、その度に何度も後悔したのだ。

 もしあの時、自身にかけられた状態異常をどうにか解除して、ヒースクリフとキリトの間に入れたなら、何か違う未来があったんじゃないかと。

 

 

 ────また、繰り返しになるところだった。

 

 

 「また……失う、ところだった……大切な、人……を……」

 

 「っ……アスナ……」

 

 

 段々と、そのHPを減らしていく。緑から黄色へ、黄色から赤へと、死へのカウントダウンは迫っている。

 キリトは貫いた獲物を一瞥し、その剣に再び力を込め始める。HPの減少速度が僅かに上がり、アスナの表情が悲痛に歪む。

 

 

 アスナは、アキト以上にキリトを想っているはずだった。

 《ホロウ》だとしても、目の前に現れた想い人を見て、否応無く感じたはずだ。

 戦って欲しくない、傷付けて欲しくないと。それは、アキトと同じだったはずなのに。

 なのに彼女は、最後には偽物だと割り切って、こうしてアキトを守る為に麻痺状態に抗ってみせたのだ。

 かつてのトラウマを、蘇る恐怖を、再び感じたくなくて。

 

 

(なのに……なのに、俺はっ……!)

 

 

 過去に囚われて、大事なものを見失っていた。

 偽物に翻弄され、本物を失うところだったのだ。

 

 

 

 

 自分は────

 

 

 

 

 「私、ずっと……アキト君に、お礼が、言いたかった……ずっと、恩返しがしたかった……」

 

 

 

 

 アスナが、目を細めて、震える声でそう呟く。

 思わず顔を上げる。アキトのその頬に、アスナが落とした涙が伝う。

 身体を震わせても尚、頬を赤らめて、小さな笑みを浮かべて。

 

 

 

 

 「……生きる意味を、失った私に……手を差し伸べてくれた事……」

 

 

 

 

 ────違う。あれは、俺の勝手な自己満足で。

 

 

 

 

 「……みんなを、助けて、くれた事……」

 

 

 

 

 ────ただ、黒猫団を重ねてただけで。

 

 

 

 

 「頼って、くれた事……」

 

 

 

 

 ──── 感謝されるような事なんて、一つもないのに。

 

 

 大切なものを、全て自分一人で守ろうとしていた傲慢な自分。

 誰かに任せたりなどしないと、過去の経験からそう固く決意して、柔軟に頭を動かせていなかった。

 大切だと、そう感じているのは自分だけだと無意識に錯覚していて。そんな凝り固まった考えを、他でもないアスナが正してくれたんだ。

 寧ろ、感謝しなきゃいけないのは、自分なのに。

 

 アスナは涙を流しながらも、めいいっぱいの笑顔で、アキトに告げた。

 覆い被さる彼女の顔は、今まで見た事も無いもので。アキトの胸元をキュッと握り締めていて。

 

 

 

 

 「私に……私達に……“守る”って……そう言ってくれた事……本当に、嬉しかった……」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 ────守るよ、必ず。

 

 

 いつか、あの丘でアスナに告げた言葉。

 誰かを守る、その為に強くなったはずなのに。

 何故自分は今、目の前の彼女に涙を流させているのだろう。

 

 

 

 

 「────」

 

 

 

 

 アキトは、目を見開いた。

 アスナの頬に触れ、その涙を指で拭う。アスナが笑みを崩し、その行動に呆然とする。

 そんな彼女を見て、アキトも涙を拭いさり、固く、強く、その言葉を言い放つ。

 

 

 “守る”という、その言葉。

 アスナにはとても甘美に聞こえたのかもしれない。とても嬉しかったのかもしれない。

 ならば、自分は。

 

 

 

 

 「……そんなもん、何度だって言ってやる」

 

 

 

 手を伸ばす。

 蒼の剣、《ブレイブハート》を鷲掴み、握るその手に力を込める。

 アスナは、再び笑う。その顔は、先程とは違ってくしゃくしゃだった。

 そうだ。何度だって言ってやる。

 

 

 

 

 「……これからもずっと、俺が何度でもっ……!」

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 アキトは、アスナの先、未だ彼女の胸に剣を突き刺した状態のキリトを睨み付けた。

 その瞳は、どす黒い闇を宿しており、殺意を明確に感じ取る。

 段々と、その心に黒い感情が流れ込み、呼吸が荒くなる。

 

 アスナを傷付けたキリトに、その偽物に。

 アキトは遂に、確信を持った。

 同時に、渦巻く感情を抑えられない。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 なんだ、これは。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 そんなの、どうでも良い。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 アスナを傷付けたお前は、キリトなんかじゃない。

 皮を被った、偽物。

 なら────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────なら、殺してもいいよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────ハハッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────瞬間、キリトの胸が斜めに斬り裂かれた。

 

 

 

 

 「……!」

 

 

 そこから爆風にも似たエフェクトが発生し、キリトの身体が後方へ吹き飛ぶ。

 初めてキリトが驚愕に顔を染め、瞳を見開いていた。そのまま防御も受け身の姿勢も取らずに地面を削るように滑っていく。

 やがて静止し、土煙にも似た何かを周りに生み出しながらも、キリトはゆっくりと立ち上がった。

 何が起こったのか、その高度なAIでも瞬時に把握出来ない。

 

 胸元を見れば、斬られた部分から血のようなエフェクトが飛び散っていた。

 初めてHPを削られた事によるショックか驚きか、一瞬思考を停止させる。

 

 

 状況を把握し、予測演算を開始するキリトの《ホロウ》。

 しかし、奴に向けて放たれた言葉に、キリトは固まった。

 視線の先にいる、その黒い剣士。だが、彼を見た瞬間に。

 

 

 《ホロウ》は、恐怖に似た何かをプログラムながらに感じた。

 

 

 なんだ、こいつは。

 

 

 何者なんだ。

 

 

 思わず、《ホロウ》は顔を上げる。

 そこに居たのは、先程とは違う、変貌を遂げた剣士の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……殺シテ、やる」

 

 

 

 

 黒い何かが、混ざる。

 

 

 

 

 「何もしなけりゃあ、良い気になりやがって……」

 

 

 

 

 アスナにポーションを渡す。

 涙に頬を濡らすアスナの前に立ち、壁になるよう凛とする。しかし、その瞳には何かが混濁していた。

 

 

 キリトのものでも、アキトのものでもない。

 

 

 もしくは、キリトのものでも、アキトのものでもあって、そして。

 

 

 もう一つ、別の何か(・・)が、二人を襲う。

 

 

 

 

 「アキト、くん……」

 

 

 

 

 アスナが名前を呼ぶ。

 しかし、目の前の少年には聞こえない。

 

 

 

 

 感じるのは、怒り。そして、負の、悪意の塊。

 

 

 

 

 英雄と勇者の意識が混ざり合い、

 

 

 

 

 そして世界が今、負の感情を押し付ける────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『人の女に、手ぇ出してんじゃねぇよ、偽物野郎』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────サア、コワシテ、クラエ。

 

 

 

 

 

 

 ── Link ?% ──

 

 

 








小ネタ


アスナ 「ひ、“人の女”って、そんなっ……私、い、いつからアキト君の女になったのよ……!」\\\

アキト 「……」←“(キリト)の女”と言う意図で言ったつもり



※本編とは無関係です。


















悪意が、負を生み出す。


感情が芽吹き、災いを振り撒く。


少年は激情する。その力を振るい、虚ろなる“憧れ”に、その剣を向ける。


闇色の瘴気、悪意に満ちた、絶望に煌めく瞳。


少年の心、その姿は────








────負を纏いし、災禍の鎧。











次回 『黒の英雄(ホロウ) VS 黒の勇者(ヴァリアント)










──── 今こそ。




憧れるだけだった自分に、別れを告げる時だ。



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