今作、『ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──』はこの度、コラボする事が決定致しました!
自身の描いたキャラクターが、他の方の手によってどう動くのか、とても楽しみです(*´ω`*)
コラボする方の情報を、この話が投稿する頃には活動報告で紹介してますので、宜しかったら見てください!
それでは、どうぞ!
《ホロウ・エリア》秘匿領域
広大な宇宙を思わせる、虚ろな世界の中心点。
そこで今の今まで、まさしく世界の命運をかけた戦いが行われていた。
生きるか死ぬかの瀬戸際、その修羅場を幾つも掻い潜り、その黒の勇者はそこに立っていた。
「……」
────勝った。
歓喜も達成感も湧かない、ただの事実。それを確認しただけ。
何処か遠い目をしながら、ゆっくりと顔を上げる。
[ 高位プレイヤー以外のロックを解除します ]
そんなアナウンスと同時に、フィリアにかかっていた強制麻痺状態が溶ける。フィリアは漸く立ち上がる事が出来て、ホッと安心したように息を吐いていた。
[《ホロウ・データ》のアップデートが、高位ユーザー権限により停止されました]
続けて響いたアナウンスの内容。
それはこの戦いを最後に、《ホロウ》のPoHが企てていた大型アップデート───プレイヤーとデータを入れ替える計画が完全に凍結した事実を告げていた。
漸く、全てが終わった瞬間だった。
(……終わった……)
二代目《黒の剣士》──アキトはその狭いフィールドの中央で、散りばめられた光の破片が中に浮かぶ様をただ眺めていた。
その光の粒子は、ほんの数秒前まで親友の姿をしていたものだった。プレイヤーを守る為と銘打って、アキトは親友に剣を向け、そして貫いたのだ。
心に、ポッカリと穴が空いたような感覚だった。達成感はそこに無く、虚しさだけが胸中を襲っていた。
たとえ敵が偽物であろうとも、それは人の形をしていた。そして、それは親友《キリト》と同じもの。かつて憧れ、越えたいと思った親友。
こんな形で戦いたかった訳じゃ、なかったのに。
「……あ、あれ……」
アキトの後方で、そんな小さな声が聞こえる。
視線を向ければ、そこには床にペタリと再び座り込んだ、放心状態のアスナがいた。
最後の最後で、アキトを助けるべく立ち上がり、自身の武器を投げてくれた彼女。愛するキリトの姿をした《ホロウ》に剣をぶつけるのに、一体どれほどの覚悟が必要だったのかは分からない。
「……アスナ、大丈夫?」
「え、ええ……」
アスナは曖昧に頷き、か細い声を出したが、表情は真っ青で、酷く弱々しかった。
けれど、それは無理も無い。そうなる気持ちは分かる事だった。
────アスナにとって、キリトが目の前で消えゆく光景を見るのはこれで二度目だったのだ。
75層、キリトとヒースクリフの決闘の時も、ただこうして自身の前からいなくなった。
キリトを助ける事も出来ず、眺めるだけだった光景が蘇る。結局何も出来ず、倒れていた今回の事も、一緒になって胸に去来する。
大切な人を守れず、あまつさえ今回は、想い人に剣を向けてしまった事。
そして偽物とはいえ、また愛する人が目の前から消えてしまった事。
どうにかなってしまいそうだった。
アキトは、アスナの元へとゆっくり歩を進める。
弱々しいのは、アキトも同じだった。覚束無い足取りで、座り込むアスナの目の前まで歩み寄った。
フィリアはただ、その光景を少し放たれた場所で見守るだけ。俯くアスナは、ゆっくりと顔を上げ、アキトと視線を交錯させた。
「……立てる?」
「……ご、ごめん、アキトくん……足が思うように……動か、なくて……変ね……」
床に足が貼り付いてしまったかの如く、拳は膝下でギュッと握り締めていた。そのまま硬直してしまって、自力では立ち上がれなくなってしまっている。その内、小さく身体を震わせ始めた。
「……」
アキトは、それと同時にウインドウを開いた。慣れた手つきで操作すると、とあるアイテムがオブジェクト化した。
それを手にしゃがみこみ、アスナと同じ目線に立つと、アキトは、両手で持ったそのアイテムを彼女に差し出した。
「……これ」
「……今の《ホロウ》からドロップした……報酬のアイテムだよ」
声を震わせるアスナに、優しく答えるアキト。
おずおずと、か細い腕と指先で、差し出されたそれを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、そのアイテムを見て目を見開いた。
それは、一本の剣。
しっかりとした皮の鞘に収められたそれは、柄から刀身まで真っ黒で、何より──アスナが知っている剣だった。
一緒に行動し、同じ時間を過ごしていきたいと願った、一人の少年の剣。
持ち主が消え、冷たくなったその黒剣を大切そうに両手で受け取り、呆然とした顔で見つめた。
「っ……ぁ……」
片手用直剣カテゴリ : 《エリュシデータ》
「……う」
その表記を見た瞬間、アスナの瞳からふと、涙が一筋こぼれ落ちる。
我慢していた何もかもが、彼女の意志に関係無く吐き出すかのように。
「う……ぅっ……ううっ……」
もう、止まらなかった。限界だった。
耐えられるはずがない、この剣を見れば、嫌でも思い出してしまう。大好きだった、あの時間を。
「キ……キリト……く……っ」
その名を、呼ぶ。叫ぶ。
顔をくしゃくしゃにして、泣き崩れた。
脳裏に焼き付いた思い出が再び駆け巡って。消えない。消えてくれない。
「ごめん……ごめんね……っ……守って……あげられなくて……うぅ……」
まるで、その剣がキリトであるかのように。
「ごめんね……っ」
それを胸に抱き締めて、嗚咽し続けた。
それは、あの日の後悔。
愛する人を、守れなかった事への懺悔。
そのとても苦々しい、忘れてしまいたい記憶。無かった事にしたい現実。その全てを。
今まで何度も夢に見て、それこそ夢幻であったらと願ったもの。キリトが生きてさえいたら、こんな回り道はしなかった。
目の前の少女が、こうして涙する事も無かったのに。
アキトは、悲しげな表情を浮かべ、拳を強く握り締める。
ブルブルと震え、何かを必死に訴える。その瞳が、その表情が苦痛に見舞われた。
その瞬間、心臓が熱を帯びた気がした。
「っ……」
────違うんだ、アスナ。
聞こえるのは、懐かしい声。
頭の中で、アスナに呼びかける誰かの声がする。
────俺は……ここにいる……ここにいるんだ……っ!
ズキリと、頭が痛み、目を細めるアキト。内に眠るキリトが、心の中で叫んでいるのを感じた。
もう、キリトと何ら変わらない真っ黒な瞳が、アスナを見据える。その瞳は、必死に愛する彼女に呼びかけていた。
けれど、アスナには届かない。キリトは、彼女の涙を拭い去る術を持たない。
────こんなにも近くにいるのに、声も届かぬ遠い人。
それがアキトの中で生きるキリトと、アスナの距離だった。とても近いのに、とても遠い。こんなもどかしい事があるだろうか。
そんな二人の為に、アキトがしてあげられる事。それは少ないのかもしれない。
けれど────
「きっと……キリトは、安心したと思う」
「……え?」
「君が、無事で……生きててくれて、良かったって……」
アキトは、アスナを見てそう告げた。
今出来る精一杯の優しい笑みを浮かべて。アキトを見上げる彼女の眼には涙が溜まっていて、再び溢れそうだった。
「だから……君が謝る事なんてない。謝らなくても良いんだ……」
「っ……」
「……大変、だったね」
「……ア、キト……く……っ」
────瞬間。
アスナは、すぐ傍にいたアキトに飛び付いた。
腕をアキトの首に回して必死にしがみつき、その涙をこぼした。
「……っ……ぅ……うぅっ……!」
アキトの肩に頭を置いて泣く彼女を。
抱き着いて離れない、震えた彼女を。
驚きはしたけれど、決して拒んだりはしない。
「……お疲れ様、アスナ」
アキトは、抱き締め返す事はしなかった。けれど、その亜麻色の長い髪を、優しく撫でて、アスナが落ち着くのを待った。
今回、アキトの身に起きた現象。
全てが憎悪の対象に見える、あの破壊衝動の塊。アキトはサチに助けられた事で一時的には奴の侵食を回避出来たかもしれない。
けれど、彼女は言った。あれは、負の感情に寄ってくると。再び、アキトの元へ現れるかもしれないと。
自分だけじゃない。
過去に囚われ前に進めない者は大勢いる。アスナもその一人だった。
いつかは、それは思い出になって過去になって、懐かしんで、笑える日が来るのかもしれない。
けれど、それは今じゃなくていい。今すぐじゃなくていい。
だからこそ、泣いて良いんだ。
アキトは、腕の中で泣きじゃくるアスナを見て、小さく笑った。
●○●○
「アキト、もう大丈夫なの?体調は?頭は?痛くない?平気?」
「大丈夫大丈夫。心配かけてゴメンね、フィリア」
戦いが終わり、アスナが泣き止んだ頃には、この場の空気はいつものように戻っていた。それは《ホロウ・エリア》最後のボスを倒し、大型アップデートを回避出来たという事実に、漸く歓喜を取り戻したからという事に他ならない。
「……っ」
アスナは散々泣いてしまった恥ずかしさで顔を赤くして黙っており、フィリアはアキトを心配してオロオロと慌てふためいていた。
そんな彼女を宥めつつ、アキトは辺りを見渡して呟いた。
「けど、これでアップデートは回避出来た……って事で、良いんだよね?」
「うん……そうみたい。見て」
フィリアがアキトの後方を指差した。
振り返ってみると、そこにはこの宇宙空間を裂いて出来上がった、奥へと続く入口が出来上がっていた。
恐らくあの入口の先に、《中央コンソール》があるのだろう。それを知った瞬間に、どっと疲れが押し寄せて来た気がした。
「やっと……って感じだね。何度死ぬと思った事か……」
「そうだね。流石はアキトだよ。あの《ホロウ》、ヤバいぐらい強かったし」
「アスナとフィリアが見守ってくれてたおかげだよ」
「そ、そんな……私なんか……アスナと違って動けなかったし……何も、出来ず終いで……」
そう言うと、フィリアは俯いてしまう。
彼女なりに何も出来なかった事を恥じ、悔いているようだった。正直、あのシステムに強制された麻痺をどういう訳か打ち破ったアスナこそ以上であり、フィリアが自分を責める必要など全く無いのだが、それでも彼女自身思うところがあるのだろう。
アキトは、そんな彼女の健気さに対して、温かい気持ちになる。途端、笑ってフィリアを見据えた。
「今日に限った話じゃないよ。フィリアはこの《ホロウ・エリア》で、いつだって俺を助けてくれたじゃん。君が居てくれたから、ここまで来れたんだ。だから……ありがとう」
「アキト……」
その真っ直ぐな感謝に、フィリアはほのかに顔を赤らめる。曇り無きその言葉は、傍から聞けば恥ずかしくなる程のもの。けれど、フィリアにとっては嬉しいものだったようだ。最後は口元を緩ませ、笑顔になってくれた。
「ありがとう……そう言って貰えるのが、一番嬉しい……。でも……アキト……カーソルがオレンジになっちゃった。私と一緒……だね」
アキトの頭上には、フィリアの言う通りオレンジ色のカーソルが表示されていた。《ホロウ・エリア》に迷い込んだばかりのフィリアが、自身の《ホロウ》に攻撃した時と同じ現象が起きたのだ。
「……?」
それに気付いた瞬間、アキトは眉を顰めた。
フィリアのオレンジカーソルは、本来出会うはずの無い自身と同じ《ホロウ》を攻撃したという予想外の事態が引き起こしたエラーによって表示されたものだったからだ。
今回アキトの目の前に現れたのは、《ホロウ》の自分ではなく、どういう訳かキリトだった。プレイヤーの数と同等の《ホロウ》がこの世界に居るならば、そのAIは一万人を超えるだろう。
その中で、何故キリトの《ホロウ》が選ばれ、それを倒した自分はオレンジカーソルになったのか。
つまり、《カーディナル》はアキトと同じ《ホロウ》として、キリトを目の前に出現させたという事。
アキト=キリトだと、認識したという事──?
それが意味するところは────
「……」
「……アキトくん?」
今まで黙り続けていたアスナが、顔を強張らせたアキトに思わず声をかけた。
ハッと我に返り、アキトは顔を上げる。心配そうに見つめるアスナと、それにつられるフィリア。アキトは慌てて両手をブンブンと振った。
「な、何でもないんだ。ただ……データとはいえ、それを倒してオレンジカーソルになるっていうのが心情的に複雑だなーって……はは」
キリトの《ホロウ》を倒した事実を、まるで気にしてないと言うように誤魔化すアキト。けれど、ちゃんと笑えていないだろう事は、なんとなく分かっていた。
「それでも私は……少しでもアキトも一緒で嬉しいかな……うん」
けれどフィリアはその間、顔を赤くして物凄い小声で何かを言っていた。何やら照れたような仕草をしているが、アキトは全く聞こえていない。
「フィリア?」
「……ううん。大丈夫」
「そっか。……それじゃあ、奥に進もう。最後の仕事が残ってる」
「うんっ」
そうして、三人は新たに出来た道を、真っ直ぐに進んで行った。
●○●○
入った先は、先程の宇宙エリアに転移する前と同じ構造のフィールドが広がっていた。
ネットワークを彷彿とさせるデザインで覆われたその場所の、正に中央に、無機質か直方体の大理石に似た黒い何かが設置されていた。
《ホロウ・エリア管理区》のものと良く似たコンソール。これこそが、探し求めていた《中央コンソール》なのだと理解した。
「……あった。これだ」
アキトはコンソールに触れ、その項目を整理し、検索していく。そうして見つけた目的の項目に目を付け、パネルを操作していく。
その瞬間、アキトとフィリアの頭上のオレンジカーソルの色が、正常のグリーンへと変化した。
「あっ……」
「二人のカーソルが……!」
フィリアとアスナが目を見開いていると、立て続けに女性の声でアナウンスが響き始めた。
[エラーが解除されました。エラーの種類はデータの重複。原因は……]
その言葉を聞いて三人は、漸く本当の意味で全てが解決したのだと理解した。自ずと、それぞれの表情が明るいものになっていく。
「……よし。これでオレンジも解消だね」
「アキト……ありがとう……」
フィリアは、素直に感謝を述べた。
アキトと自身のカーソルの色が元に戻った時、ほんの少しだけ名残惜しそうな表情をしたフィリア。もう少しだけ、二人一緒のオレンジカーソルでいたかった……なんて事、勿論アキトが知る由もない。
アキトはお礼を言ってくれたフィリアに向かって笑いかけた。
「俺は何もしてないよ。そもそも、フィリアは何も悪い事してなかったんだし」
『本当だったら、アイツに文句の一つも言ってやりたいくらいだ』
アキトの脳内で、キリトの声が響いた。
“アイツ”とは、恐らくヒースクリフの事だろう。割と本気のトーンで言っているのが分かり、思わずアキトは苦笑した。
確かに今回のフィリアの一件にはアキトも思うところがある。一プレイヤーである彼女は一ヶ月もの間この訳の分からないエリアに彷徨っていたのだ。アキトが来なければ、もしかしたらずっとここに留まっていたかもしれない。
命に関わる問題だったのだ。何か言う権利くらいあるだろう。
「ふふ……それじゃあ二人とも、帰りましょうか」
アキトとフィリアを見て、アスナは小さく笑って言った。フィリアはアスナを見て、首を縦に振る。
「うん。管理区に戻るんだね」
だがフィリアがそう言った瞬間、アキトとアスナはキョトンとした。そして二人して顔を見合わせると、途端にクスリと笑い出した。
フィリアは急に笑い始めたアキトとアスナに困惑し、キョロキョロと二人を見ながら戸惑い始めた。
「え、え……? どうして笑うの?私、なんかおかしな事言った……?」
「ああ、いや……染み付いちゃってるなぁって思っただけ」
「え……?」
アキトの言っている事がいまひとつ分からなかったフィリア。そんな彼女の隣りで、アスナは楽しそうに告げた。
「私達が帰るのは、《アインクラッド》だよ、フィリアさん」
「ぁ……」
フィリアは、漸くアキトとアスナが笑っていた理由を理解した。
そして、自分がやっと、《アインクラッド》へ帰れる事を実感したのだ。
《ホロウ・エリア》に飛ばされて、凡そ二ヵ月間。SAOに閉じ込められてからの二年間と比べれば、刹那の時だったかもしれない。けれど、この二ヵ月は短いようでとても長かった。何度も死ぬ思いをし、何度も帰りたいと願ったフィリア。
その願いが今、漸く叶うのだと。
「アインクラッド……そっか、私も元々は、《アインクラッド》に居たんだよね……でも、私が行っても良いのかな?」
しかし、未だ罪の意識が抜けないフィリアは、俯いて、自嘲気味にそう呟く。
だが、フィリアの自分を卑下する言動を耳にした瞬間、アキトの表情が曇った。途端不機嫌な態度をとっては、フィリアをジトっと見つめた。
「……まだ言ってるの?もういい加減にしなよ」
「あ、あれ……アキト、なんか怒ってる……?」
ビクッと身体を震わせ、恐る恐るとアキトへと身体を向けるフィリア。アスナは苦笑しながらそれを眺め、当のアキトは珍しく眉を吊り上げて言葉を続けた。
「『私なんか』とか『こんな私が』とか、『私如き』とかフィリア多過ぎるよ」
「さ、最後のは言ってないよっ……!」
「アキトくんは人の事言えないわよ……」
フィリアとアスナがそうボヤくが、アキトは聞き入れない。
だが確かにフィリアは、アキトを罠に嵌めてから──もっといえばPoHの誘いに乗ってしまったその時から、アキトやアスナに対する罪悪感が存在していた。
もし相手が違えば、フィリアは見捨てられ、今頃死んでいたかもしれない。そうならなかったのは、ひとえにアキトやアスナの優しさがあったから。
だからこそ、そんな優しい二人を傷付けた自分が、この場に居て──みんなと同じ場所に居ても良いのかと、そう思ってしまうのだ。
「……はあ」
誰よりもフィリアと共に居たアキトには、そんな彼女が考えている事はお見通しだった。いつもの元気がまるでない、変わらず下を向くフィリアを見て居られなくて、アキトは頬を掻く。
────だが、意を決したアキトは、フィリアに向かって口を開いた。
「いいから来いよ。お前には散々恩を売ったんだ。それを返してもらうぞ」
「あ、アキトくんっ……!」
途端、急に口調を変えたアキト。その表情は鋭く、フィリアを睨み付けていた。
黙って見ていたアスナも、その強めの言い方に思わず声が出る。だが、フィリアは目を丸くしてそれを聞いていた。
その偉そうな態度と口調はまるで、初めて出会った時のよう。高慢で、有無を言わせぬその雰囲気に、フィリアは思わず顔を上げた。
そして────
「っ……!」
「……やっと、顔上げたな」
フィリアが顔を上げたその視線の先。
そこには変わらず、自身を優しく見つめているアキトが立っていた。何度も助けてくれて、何度も守ってくれた、フィリアにとってのヒーローが。
そんなヒーローが、手を差し伸べてくれた。
「……っ、ぁ……アキ、ト……」
フィリアは、涙が出そうだった。
「帰ろうぜ。俺達の家にさ」
楽しそうに笑うアキト。
それを眺めて、嬉しそうなアスナ。
そして、今にも泣きそうな自分自身。
この幸せな空間を認識して、フィリアは漸く実感した。
────本当に、全てが終わったのだと。
「っ……うん……うんっ……!」
フィリアは、アキトから伸ばされたその手を握り締め、もう片方の手で涙を拭った。けれど、何度拭いても溢れるその涙を、フィリアは抑えられなかった。
アキトとアスナはそんなフィリアに寄り添い、ただただ嬉しそうに笑った。
「……じゃあ行こうか、《アインクラッド》」
「いよいよだね、フィリアさん」
《ホロウ・エリア》の管理区にある転移門に、並んで立つアキトとアスナ、そしてフィリア。
この場所に立って《アインクラッド》にみんなで帰る光景を、フィリアは何度想像したか分からない。
アキトとアスナのそんな呼び掛けに、フィリアは少しだけ複雑な表情を見せた。
「うん……でも……なんか変な感じがする」
「変な感じ?」
「引っ越す前の家に戻るっていうか……そんな感じ」
「引越し先が《ホロウ・エリア》じゃ、おちおち寝てられないじゃんか」
アキトはくつくつと笑うと、そんな彼女を見て目を細めた。
「すぐに慣れるよ。あそこが、俺達の帰る場所なんだから」
「まあ、SAOの中なんですけどね」
アキトの台詞を、面白そうに茶化すアスナ。あははと頬を掻くアキトを見て、フィリアは目を細める。
SAOの、そして《ホロウ・エリア》での生活に想いを馳せながら、小さく言葉を放った。
「そうだね……もう現実の事なんて、暫く考えてなかった」
ずっと、訳の分からなかったこの高難易度エリアで、明日も我が身の生活だった。生きるか死ぬかで、現実の事なんてもうずっと記憶から抜けていた。
「絶望の中から……引っ張り上げて、支えてくれたのは二人だよ。アキト、アスナ」
「フィリアさん……」
そんな真っ直ぐな言葉を、彼女は告げた。
ただ、感謝しかない。その想いしか、心には無い。
けれど、彼女の言葉に、アキトが返す言葉は変わらない。
「……俺達は何もしてないよ。君が頑張ったから……生きたいって思ってくれたから、ここまで来れたんだ。だから……ありがとうフィリア。頑張ってくれて」
「っ……アキト……」
フィリアは、再び目に涙を溜める。
こんなに優しい人間が、この世界にどれほどいるだろう。フィリアは、顔を真っ赤にしながら俯き、泣き顔を見られないように必死に誤魔化した。
アキトとアスナは顔を見合わせ、クスリと微笑む。
《ホロウ・エリア》
本来、プレイヤーが来れる場所では無いテストエリア。数多の事象が折り重なって、そうして出会った虚ろな瞳の少女。
一人で必死に生きて、耐えて、恐怖に怯え戸惑って。そんな彼女と共に繰り広げた数々の冒険が。
────今、漸く終わりの時を迎えたのだった。
「じゃあ、帰りましょうか。あっちに行ったら、フィリアさんにみんなを紹介しないとね」
「個性的だけど、みんな良い人達だから、すぐに仲良くなれるよ。来てくれる?」
「うん……大丈夫。ちょっと不安だけど、アキトとアスナの仲間だもん。仲良くなれると思う」
フィリアの答えなんて、初めから決まっていた。
こんな二人の仲間なのだ。面白くて、楽しそうで、仲良くなりたいに決まっている。
「それに……アキトの傍にいたいし」
「……フィリア?」
ポソリと小さく呟かれたフィリアの言葉。顔を赤くして放たれたその一言を、アキトが聞くことはかなわない。
けれど、それで良い。この想いはいつか、自分の言葉でハッキリと告げるから。
「……何でもなーいっ」
フィリアは嬉しさに涙を流しながらも、頬を染めて笑っていた。
●○●○
76層《アークソフィア》
自身を包んでいた転移の光が晴れ、フィリアはゆっくりと目を開ける。
そこは、フィリアがまだ見た事の無い景色が広がっていた。
透き通った噴水、小さな水路の上には石造りの橋、何処までも続く商店街にはたくさんのプレイヤーが溢れていた。
「…………ここ、が」
「76層《アークソフィア》、今の俺達の拠点だよ」
フィリアは転移門から一歩、一歩と足を踏み出す。辺りを見渡し、息が漏れる。
殺伐とした《ホロウ・エリア》とは違う、温かな雰囲気。それがフィリアに、生きている事を実感させてくれていた。
「……ホントに、戻って来れたんだ……」
実感が湧かないのか、何処かぼうっとしているフィリア。心ここに在らずといった様子で、ただ遠くを、そして辺りを眺めていた。
「こ〜ら〜、なーにキョロキョロしてんの?」
「えっ!?」
────途端、何処からか声が響いた。
フィリアは素っ頓狂な声と共に顔を上げ、慌ててその声の主を探す。
するとその視界の端に、プレイヤーの集団が現れた。
視線を固定してそこを見据えると、そこには────
「こっちですよ、フィリアさん」
「よーやく《アインクラッド》で会えたわね。待ちくたびれたわよ」
────シリカ、リズ。
「フィリアさん、おかえりなさい!」
「ホントに良かった。貴女が無事に戻って来られて」
────リーファ、シノン。
「くぅ〜……向こうでずっと大変な思いをしてきたんだもんな!よくぞ帰って来てくれたぜ!」
「皆さんなら、必ず帰って来ると信じていました!」
────クライン、ユイ。
そこには、フィリアを出迎える為に集まった、大切な仲間達がいた。
皆が皆、彼女の帰りを今か今かと待っていたのだ。とても輝いた笑顔を一斉に向けられて、フィリアは呆然としていた。
「えっ……え……?」
状況の整理がつかないフィリアは、次第に戸惑った表情に変わり始め、困ったように眉を顰める。
言葉に詰まって何も言えないでいるフィリアに、後ろからアスナが優しく声をかけた。
「これからは、みんなと一緒に居ることが出来るね」
「……ア、スナ……」
「お帰りなさい、フィリアさん」
────その言葉が、フィリアの止まっていた時間を動かした。
もう帰って来れないと、そう思っていた場所に帰って来れた事を、今漸く本当の意味で感じ取る事が出来たのかもしれない。
フィリアは、いきなり出来たたくさんの仲間に迎えられ、途端に顔を赤くした。
「……あ……えっと……?」
なんて言えば良いだろう────?
突然の事で、思考が追い付かない。けれど、何かを考えていなければ、また泣いてしまいそうだった。
「フィリア」
彼女の後ろにいたアキトが、フィリアの前に出る。
フィリアが困ったように見つめていて、それが可笑しくて笑ってしまう。
彼女がみんなに、まず初めに言う言葉。それを、アキトは彼女に伝える。
「ようこそ、《アークソフィア》へ。それから……お帰り」
「っ……」
フィリアが目を見開いた瞬間、アキトは彼女の背中を軽く押した。
いきなりの事で対処がきかないフィリアは、そのまま前のめりになってみんなの前に押し出された。
フィリアが顔を上げれば誰もが笑って、彼女が言うべき言葉を待っていた。
「……うん……あの……」
赤い顔で俯いて、恥ずかしそうにするフィリア。
全員がそれを微笑ましく眺め、その言葉を待つ。
そして最後には、照れくさそうに笑って、始まりの言葉を紡いだのだった。
「……た、ただいまっ!」
『『『おかえり!』』』
①その後
リズベット 「もー、いつまで泣いてんのよ〜!」(貰い泣き)
フィリア 「だ、だって……ふええぇぇ〜ん……」(ボロ泣き)
リーファ 「な、なんかあたしまで泣きそうだよ〜……」(涙目)
シリカ 「フィリアさん……今まで、お疲れ様でした……っ!」(涙)
シノン 「みんなして泣き過ぎよ……」(呆れ)
クライン 「よく頑張った……ホントによぉ、頑張ったよなぁ……!」(ガチ泣き)
アキト 「……ヤバ……俺も泣きそうだ……」ホロリ
アスナ・ユイ 「「!?」」
②その頃
《エギルの店》
エギル 「……」
エギル 「……」ボー
エギル 「……」キョロキョロ
エギル 「……はぁ」
エギル 「遅せぇなぁ……」←店番
③ その日の夕食
リズベット 「ほらフィリア、これも食べなさいよ」
フィリア 「う、うん」
シリカ 「フィリアさんっ、こっちも凄く美味しいですよ!」
フィリア 「あ、ありがとうシリカ」
リーファ 「フィリアさーん!これ、良かったらどうぞ!」
フィリア 「み、みんなありがとう……っ!これ、凄く美味しい!」
クライン 「トーゼンよ!なんたって、ウチの一流シェフが作ってんだからな!」
フィリア 「一流シェフ?」
ユイ 「ママとアキトさんです」
フィリア 「アキト!?」
④カウンターにて
エギル 「……彼女、大丈夫そうだな」
アキト 「……うん」
アキト (フィリア……思ったよりも早く馴染めて良かったな……)
シノン 「……随分な人気ね、彼女」
アキト 「シノン……シノンは行かなくて良いの?」
シノン 「……あ、後で行くわ」メソラシ
アスナ 「ふふ、みんなフィリアさんを放っておけないのね」
アキト 「まあ、大多数からすれば名前を知ってるだけの新顔だった訳だし、興味津々なんじゃないかな」
アキト 「……」
アスナ 「……アキトくん?」
アキト 「……あ、また泣きそうだ……」
アスナ・シノン・エギル 「 「 「 !? 」 」 」
────ただ、一つの願いだった。
────ただ、大切な“約束”だった。
────ただ、己が決めた“誓い”だった。
たとえその先が見えずとも、万人の為に戦えた。
その全ては、大切なものの為に。理想を追い求め、ただ縋った結果だった。
誰かが望んだ。
────“彼ならきっと”
誰かが求めた。
────“彼さえいれば”
そんな希望が今、この世界に未来を指し示す。
これは、語られる事の無い物語。
試練を越え、絆を結び、今漸く、その道に辿り着く。
────そう、これは。
英雄に憧れた勇者の、願いと奇跡の物語。
理想に手を伸ばす、未来を求める物語。
約束と誓いの為に突き進む、黒い猫の物語。
────そのはずだった。
●○●○
────そこは、ただの“地獄”だった。
「……」
目を開ければ、見渡す限り血みどろだった。
幾多の試練を越えた戦士達は、命の灯火を消され、灰になった。
四肢が無事な者は誰一人この場に存在せず、立ち上がれる者はいなかった。
「……な、んで……」
眼前に広がっていたのは、誰もが地に伏した、絶望一色の世界。
未来に希望を抱いた者達を、叩き落とす光景だった。
その空間の中心に降り立つ、圧倒的な“暴力”。
────奴が、全ての元凶。
それが咆哮を重ねる毎に、生きる希望が潰えていく。
────大切な仲間達は腕をもがれ、足を斬り飛ばされ、意識を失い倒れていた。
「……ピ……な……」
とある少女は、フェザーリドラを守る様にして抱えて倒れていた。
主人の頬を舐めて、必死に起こそうとするフェザーリドラ。だが、その虚ろな瞳が反応する事は無い。
「……ぁ」
とある鍛冶屋の少女は、腕を切断され、壁にもたれかかっていた。盾を持っていたはずの腕は消え、もう自身を守る壁はない。
メイスはもう片方の手から滑り落ち、恐怖で身体が動かない。
「っ……ぅ……」
妖精の少女は、その足をもがれた。
もう立って、目の前の“暴力”に歯向かう力も、勇気も失せた。
絶望の涙を流し、死するその時を待った。
「……く」
弓を持つ少女は、肩から下の腕全てを噛み千切られ、矢を放てず膝をついていた。
もう、弓を握る腕も、力さえない。
強さを求め続けていたはずなのに、勝てないと、そう身体が訴えていた。
「……」
かつて、虚ろの瞳を持っていた少女は、もう走る事は出来ない。
膝から下を斬り飛ばされ、立つ事も、死への恐怖で声すら出せなくなっていた。
侍染みた男も、巨漢の壁役も、見渡す限りその全ての強者達が、その地獄に浸かっていた。腕も、足も、武器も。その全てが、目の前の“暴力”によって、破壊し尽くされた。
────そしてこれは、終わりの始まり。
「……ね……え……起き、てよ……」
片足を失った亜麻色の髪の少女は、ポツリとそう呟く。
目の前には、この地獄を作り上げた“暴力”が近付いて来ていた。それなのに、彼女はその場に座り込んで動かない。
小さなか細い声で、腕の中の
「っ……ねぇっ、たら……いつ、まで……寝てる、の……?」
────彼女の腕の中には、一人の少年がいた。
長めの黒い髪。
ボロボロになった黒いコート。
刃こぼれした二本の剣。
傷だらけの少年は、そんな彼女の腕の中で目を閉じていた。この空間で唯一の五体満足。
だがその少年からは呼吸音も、体温も、もう何も感じない。ただ、異様なまでの冷たさを感じた。
「……」
────少年は、動かない。
「……お願い……目を……目を、開け……て……」
何度も何度も、何度も。
何度呼びかけても。それでも、その少年が返事をする事も、目を開ける事ももう無かった。
ただ、その少女の腕の中で、死んだように眠っていた。
いや寧ろ、眠るように────。
そう、今まさに。
────この世界唯一の希望が、潰えた瞬間だった。
「っ……い、や……」
────それは、ほんの一瞬だった。
その腕の中に眠る少年の身体が、眩い光を纏う。
それは段々と粒子になって、虚空へと消えていく。
「っ……やぁ、いやっ……お願いっ……行かないで……アキトくんっ!いやあああぁあぁ!」
悲鳴と共に泣き叫び、行かないでと必死に縋り付く亜麻色の髪の少女。
抱き締めたその腕からその少年の身体は無慈悲にも、光の欠片となってすり抜ける。
世界は、そんな人の願いを嘲笑うかのように。ただ無情にも現実を突き付けた。
この世界は、残酷なのだと。
「……」
────その光景を、ただ見据える一人の少女。
俯瞰した態度で、虚ろな闇色の瞳で、消えゆく少年の姿をただ眺めていた。
そして、その光が消滅し、少女が蹲って泣き叫ぶその姿を見て。
少女は、従える“暴力”の後ろで呟いた。
「────さようなら、アキト」
ソードアート・オンライン
──
Season Final Link Start ......
────これは、アタシの物語。
自分にとって、大切なものを守る為の物語。
そして、裏切りと血の味が染み渡るアタシの──
────叛逆と決別の、物語。