Season Final 始動────
《ホロウ・エリア》での戦い。
あれから、数日が経った。
《ホロウ》のPoHが企てた、プレイヤーとAIを反転させるという大規模なアップデートを阻止し、大きな戦闘から抜け出してからというもの、アキトの精神的な疲労はピークを迎えていた。
というのも、《アークソフィア》に戻って来たその翌日から、アキトは迷宮区攻略を強いられていたからだ。フィリアと帰って来てすぐ、攻略組の面々は、アキトを見つけるや否や攻略に参加していない事に対する文句を次々とぶつけてきた。
アキトが攻略組として参加した当初は、目の上のタンコブの如く妬んだり陰口を叩いていたはずなのに、手のひらを返すかのように付け上がってきたのだ。
中には血盟騎士団のメンバーも多く、アスナは憤慨していたが、そこはアキトによって制止された。アキトがこの世界に生きるおよそ六千人のプレイヤーを救った事など、周りは知らないからだ。
《ホロウ・エリア》は、高位テストプレイヤーのみが転移する事の出来る高難易度エリア。一般的には、そもそも行く事すら出来ない為、アキト達はこの情報を秘匿し続けて来た。
故に、何も知らないその他攻略組からすれば、アキトが階層攻略もせずに怠けていると思った事だろう。
加えて、アキトが初対面時にとった横柄な態度について、プライドの高い攻略組の何人かは未だに根に持っているようで、アキト自身を良く思ってないようだった。
決定的だったのは、86層フロアボス討伐作戦で見せた《二刀流》だった。アキト自身は覚えてないが、それを見て大きな戦力になると踏んだ攻略組はそれまで忌み嫌っていたアキトに対する態度を180度回転させた。
それからというもの、フィリアの失踪、《ホロウ・エリア》でのボス戦、アップデートの阻止が度重なり、かなりの時間が経っていたのだ。
おかげでアキトはここ何日かは迷宮区に入り浸っており、そしてつい昨日、87層のフロアボスを討伐したのだった。
攻略組のプレイヤーが揃って怒るのも無理無いな、と笑いながらアキトは転移門広場のベンチに寄り掛かり、空を見上げていた。
(……良い、天気だな……)
雲一つ無い青空。今日は休日にする事にしたアキトは、解放したばかりの87層の街を一通り眺めた後で、こうして《アークソフィア》で暇を持て余していた。
何をするでもない、空白の時間。ただこうして転移門広場の水路に流れる透き通った水に耳を傾けながら、のんびりとするだけの時間。
久方振りの平和、束の間の休息が、今のアキトにとっては癒しだった。
「……ん?」
そうしてぼうっと道行くプレイヤー達を眺めていると、少し離れた場所にチラつく人影に視線が向いた。
敏捷性を活かす軽装に、蒼いフード付きのマントを羽織っている。光の角度ではオレンジ色にも見えるであろう淡い金髪のショートヘア。
よく見ると食べ物を山ほど抱えて、腰を落ち着ける場所を探しているようだった。
そしてその顔を、アキトは知っていた。
「……フィリア?」
「あ、アキト!」
アキトの声で振り返るフィリア。こちらを視界に捉えた瞬間、ぱぁっと分かりやすく表情が綻んで、アキトは思わずドキリとした。
出会ってからこれまで、あまりしっかりと見た事が無い彼女の笑顔に、アキトは何とも言えない達成感にも似た、けどそれとはまた違う感情に襲われた。
苦笑しながら手招きすると、フィリアは食べ物を落とさないようバランスを取りながら、ゆっくりとアキトの座るベンチまで歩き、やがてその隣りに座った。
その表情はとても楽しそうで、彼女と自身の間に置かれた沢山の食べ物を見下ろし、口を開く。
「随分楽しそうだね。食べ歩きしてたんだ」
「うん。《ホロウ・エリア》には街は勿論、お店も無かったから。……食べ物といえば、自分が調達して来た食糧と野外調理キットで作る、わびしい夕食だけ……そこに比べると、ここは天国みたい。色んな食べ物があって」
話しながらコロコロと変わる表情。《ホロウ・エリア》での食べ物を思い出して暗い顔をしたり、今目の前にある美味しい食べ物を見て幸せそうな顔をしたり。
子どもみたいで、とても可愛らしい。アキトは再び笑った。
「ふふっ……フィリアはサバイバル得意そうだもんね、納得。けど、あまり食べ過ぎると夕食の時に後悔するよ?」
「っ、わ、私、普段はこんなに食べないんだよっ!? で、でもでもっ、凄く久しぶりだったから、ちょっと、ハメを外し過ぎて……」
彼女は自身の行動を思い起こしたのか、急に顔を赤くして慌てて両手を左右に振った。
自身が食べ物をたくさん買い込んでいるところを、他でもないアキトに見られた事実を漸く理解し、恥ずかしさに顔を俯かせる。
アキトはそんなフィリアに心情をなんとなく理解し、戸惑いがちに呟いた。
「あ、うん……そんな風には思ってないけど……俺もそんなに食べる方じゃないけどさ、美味しいものって幾らでも食べられる気がするし、気持ちは分かるよ」
「ホントに?……あっ!なら、アキトも何か食べる?」
「え?」
「へへー、見て見て、ほら!」
フィリアは思い出したかのように目を見開くと、食べ物の山から小さなパックを取り出した。中には球体のものが、何個か敷き詰められている。
とても既視感のあるそれに、アキトは見入ってしまった。
「……これって」
「そう!たーこー焼ーきー!」
未来の猫型ロボットよろしくの言い方と同時に差し出されたたこ焼き。現実世界のものと遜色ない色合いと、香ばしいソースの香り。それだけで食欲をそそり、かつとても懐かしく感じた。
「たこ焼きなんて売ってたんだ。知らなかったなぁ」
「青海苔やかつお節っぽいトッピングもかかってて、かなり忠実に再現されてる。本格的でしょ!! ファンタジー世界でたこ焼きって、なんかミスマッチな気もするけど、中々の再現率だと思う」
「そ、そうなんだ……」
ズイズイっと顔を近付けて来て、割と真剣な顔で手に持つたこ焼きについて力説するフィリアに、アキトはそんな言葉しか出ない。すると、フィリアはそのたこ焼きの入ったパックを開き、その一つに楊枝を突き刺した。
「ほらほら、アキトも食べてみなよ。絶対美味しいから」
「あ、うん」
「ほら、あーんして」
「へ?あ、いや、平気だよ、一人で食べられるって……それに周りの視線が……」
「もう、アキトってば照れちゃってー」
フィリアはこちらの事情などお構い無しにたこ焼きを寄越してくる。一口サイズの綺麗な丸みを帯びたたこ焼きが、アキトの眼前に迫る。
その背後からは、普段からは想像し難いハイテンションかつ満面の笑みを浮かべながら、アキトがたこ焼きを食べるのを待っているフィリアがいた。
「……」
ここまで清々しい程の笑顔だと、逆に怪しく見えてくる。すると、その疑惑は目の前のたこ焼きへとシフトする。
────ひょっとしてこのたこ焼き、何かあるのだろうか。
そう考えると、段々目の前の食べ物がたこ焼きではない別の何かに見え始めてくる。たとえば、中身がタコではなくイカのだったり、良く分からない果物が入っていたり、実はこのソースがジャムの可能性だってある。
美味しそうだと思っていたたこ焼きが、一気にゲテモノに見えてきた。
しかし、アキトが再びフィリアを見ると、彼女は変わらずニコニコと笑っていた。今のこの状況が楽しくて仕方が無いといったように。
それを見たアキトは、無粋な考えをやめることにした。《ホロウ・エリア》から解放された彼女が、漸く日常に戻り始めている。だからこそ、今この状況は、彼女にとっては必要な事なのだ。
久しぶりの《アインクラッド》で、テンションを上げるのも仕方が無いだろう。フィリアはきっと、ただただこの時間が楽しいのだ。
どちらにしろここは《圏内》で、どんな料理だろうと死ぬ事は無い。なら、アキトがやるべき事は決まっていた。
それに、丁度小腹を空かしていたのだ。
「……じゃあ、頂くよ」
「う、うんっ!はい、あーんっ」
「……あむっ」
フィリアを少しでも疑った自身を恥じ、アキトは突き出されたたこ焼きを一口でぱくりと食べた。
「っ……」
瞬間、自分の『あーん』にアキトが応えてくれた事実に頬を紅潮させたフィリアが瞳を揺らしながら、口の中をモグモグさせるアキトを見つめていた。
「……うん」
「ど、どう……?」
アキトの様子を伺うフィリア。
その傍で、たこ焼きをじっくり味わっていたアキトは、やがてそれを飲み込む。
そのたこ焼きは、ピリリと隠し味が効いていた。辛いものが大の苦手なアキトではあるが、これくらいの辛さなら寧ろ好きになれるかもしれない。
ソースや青海苔といった味付けの土台となっているものについても特に文句の付け所はない。控えめに言っても美味しいたこ焼きだった。
「うん、美味しいよ。普通のたこ焼きと違って、ちょっとスパイシーだけど、これくらいなら食べられるし」
アキトは正直な気持ちをフィリアに伝えた。
そして、やはりフィリアが自分にたこ焼きを食べさせようとしたのは、ただの善意だったのだと理解した。
疑ってしまって恥ずかしい、とアキトはフィリアの優しさに微笑んだ。
「そ、そう……ねえアキト、もう一つあげる!」
しかし、フィリアはアキトの感想に曖昧に返事をするだけだった。それどころか、再びたこ焼きを差し出してくる。
「……うん、やっぱり美味しいね」
アキトは、差し出されたたこ焼きを躊躇うことなく頬張り、再びピリッとした辛みが走る。だがそれも一瞬。後はただの美味しいたこ焼きだった。
「……」
しかし、フィリアはそんなアキトに戸惑いの表情を浮かべていた。
美味しい美味しいと呟きながら口元をモグモグさせているアキトをチラチラと見た後、やがてフィリアは大袈裟に声を上げた。
「あ、あれ? お、おっかしーなー……?」
今度は小さくなった名探偵みたいな台詞が飛び出す。
眉を顰めてたこ焼きとアキトを交互に見るフィリアに、アキトはたこ焼きを飲み込んでから問い掛けた。
「何が?」
「いや……こう、本当ならもっと、ガツン!ってくるはずなんだけど……う〜ん……ぱく」
首を傾げながら、フィリアはたこ焼きに爪楊枝を刺す。
そして、アキトと同様にそれを口元へ持って行き、一口で頬張った。
「……」
「……」
────次の瞬間。
「……んっ、ンンッ! んんん〜〜〜〜〜〜っ!?」
「!?」
フィリアが急に頬を紅潮させて立ち上がり、手に持つたこ焼きを放り投げた。
アキトは驚きながらも慌ててそれをキャッチするのも束の間、フィリアは目を見開きながら辺りを駆け出した。右へ左へと忙しなく足を動かしては、口元を抑えている。
彼女のそのいきなりな動きに、思わずアキトはベンチから腰を上げた。ガタリと音が響く程に慌てながら、アキトは彼女に駆け寄った。
「ど、どうしたのフィリア!?」
「み……みずっ、みずうぅぅっ〜〜〜〜〜〜っ!!」
「み、水?」
アキトが聞き返すと、フィリアが首を取れんばかりの勢いでコクコクと縦に振る。どうやら彼女は水を欲しているらしい。よくよく見れば、顔が赤いだけでなく、必死さをも感じた。
アキトは咄嗟にベンチから立ち上がり、近くの売店で適当なドリンクを購入した。そのまま踵を返してフィリアの元まで走ると、即効で彼女にドリンク手渡した。
フィリアはそれを手にすると、両手で一気に飲み干す。やがて辛そうな表情から回復すると、深く息を吐いた。
「う、うぅ……やっぱり激辛だ……し、死ぬかと思った……今までで一番命の危険を感じたかも……」
彼女のその発言に、アキトは苦笑い。それは言い過ぎだろうと心の中で呟いた。アキトにとっては今のフィリアより、PoHに襲われている彼女の方が失う危険を感じたものだ。
いや、しかしアキトは、先程の彼女の発言の一部に引っ掛かりを覚えた。
「げ、激辛……?」
アキトは手元のたこ焼きをまじまじと見やる。
見た目や香りこそ普通のたこ焼きと遜色無い。実際アキトは、自身が食べたたこ焼きにそこまでの辛さは感じなかった。少々ピリッとスパイスが効いていたくらいだったはずだ。
フィリアの反応こそが大袈裟なだけ、そう思った。が、フィリアは眉を顰めて近付いてくる。
「なんでアキトはこんなの食べて、平気な顔してるの?聞いてた話と違うよー……」
「話?」
「アスナ達にエギルの激辛ピザの話を聞いたの。アキト、辛いの苦手だからって最初は参加しないって言ってたらしいじゃない」
「ああ……」
フィリアが持ち出したのは、80層攻略パーティーの時の話だった。エギルが8ピースあるピザの中の1ピースに激辛を混ぜ、クラインの提案で、それを食べた者が誰かに命令を下せる、といったルールの元行われたちょっとしたゲーム。確かにアキトはあの時、一度ゲーム参加を降りている。その話を聞いて、フィリアはたこ焼きをアキトに差し出してきたという事。
なんて事は無い。フィリアは、辛いものが苦手だというアキトに激辛を食べさせるというイタズラを仕掛けてきただけだったのだ。
彼女の想像内のアキトは、あまりの辛さに号泣している事だろう。先程までフィリアを疑っていた自分を恥じていたはずのアキトの心は、何処と無く哀愁を感じさせた。
だがアキトはそもそも、ピリッと来るものさえ最初は苦手なはずだった。食べるのを拒む程ではないにしても、進んで食したりはしない。
変わったのは、この前《ホロウ・エリア》の秘匿領域にて食べた、アスナの“キリトの為に作った”サンドイッチだ。
アスナと初めて会った頃に一度食べた時は余りの辛さに食べられなかったが、この前は少しスパイシーに感じただけで難無く食べられた。
アスナが前と違って味付けを変えたのか、それともアキト自身辛いものをある程度食べられるようになったのか。
どちらにせよフィリアの寄越したたこ焼きは、本当にそこまでの辛さは感じなかったのだ。
「で、でもこれ、ホントに激辛なの?このうちのどれか一個が激辛、とかじゃなくて?」
「全部激辛だよ……うう、まだ唇がヒリヒリする……アキトのせいだ……アキトは絶対、味覚がおかしい」
「そこまで言わなくても……というか、フィリアが持ってきたたこ焼きでしょ」
「ちぇー」
フィリアはつまらなそうな顔で軽く地面を蹴って、不貞腐れた振りをした。アキトの反応が自身の予想と違っていた事が不服なのだろう、顔をムスッとさせている。
その傍らで、アキトはフィリアをただただ眺めていた。思い出していたのは、初めて会った頃の彼女。
誰も信じられない、そんな表情がずっと張り付いていて、アキトにさえ牙を向いていたあの頃。
自分の事さえ信じられず、傷付いた彼女。一時はかなり沈み込んでいたのに、こんなイタズラをしてくるだなんて。
それはまるで、フィリアがこの新しい生活に馴染んだ証拠みたいで、アキトは嬉しい気持ちになった。
「ねえアキト、ちょっと時間ある?」
フィリアは柔らかな笑みでそう聞いてくる。《ホロウ・エリア》では見られなかった彼女の穏やかな表情に当てられ、アキトも笑った。
「今日は攻略休むつもりだったし、大丈夫だよ。何か用事?」
「そんなんじゃないけど……ちょっと、ブラブラしない?アキトはこれからどうする予定だったの?」
「前にシノンに紹介して貰った喫茶店があってさ、久しぶりにそこに行こうかなって。ケーキ食べたい」
「ケーキ!じゃあそれ、私も一緒に行っていいかな」
「良いけど、まだ食べられるの?」
「スイーツは別腹なのっ!じゃあ行こう、アキト!」
「……もうイタズラしない?」
「はいっ、しません」
フィリアのピシッとした敬礼の真剣な表情に、思わず小さく吹き出した。それを見た彼女からも笑みがこぼれ、アキトとフィリアは、暫くその場で笑い合っていた。
何気無い会話からこぼれる、温かな笑顔。それが、アキトにとっては何よりの幸せだった。
●○●○
「こんなところもあるんだねー」
「まあ、ここら辺はこの手の怪しげな店が多いんだ。……偶に掘り出し物なんて物が出る所為で、案外馬鹿に出来なかったりするけど」
「へえー、面白いね。あ、ほらアキト!武器が売ってるよ!」
目的地である喫茶店がある商店街に並ぶ、一般のNPC店とは少し違う怪しげな雰囲気が漂う露店商。辺りを見渡せば、チラホラとその手の店が存在していた。
普通のプレイヤーなら胡散臭くてまず寄りたがらないだろうが、フィリアからしてみれば新鮮なのだろうか、子どものようにキラキラと瞳を輝かせてそれらを見ていた。
そんな彼女の変わりゆく表情に、アキトこそ新鮮味を感じ、小さく笑う。
フィリアはアキトを見て、キョトンとした。
「ん?何?」
「何でもないよ。それよりそろそろ着くよ、喫茶店」
「え、ホント?どこどこ?」
「あそこだよ。最近人気でさ、プレイヤーも多く来てるらしいけど」
アキトが指差したその場所は、以前シノンと二人で訪れた場所。
《射撃》というユニークスキルを得た彼女に弓を買った際に、礼として連れて来てもらった喫茶店だった。
ここで食べたチョコレートケーキとコーヒーが、アキトの好みのツボをつく。シノンがここを勧めた所為で、アキトは人知れず何度もここを訪れていた。
「わあ……楽しみだなぁ……ね、何がオススメなの?」
「シノンは林檎のシブーストが好きだって言ってたなぁ。あとは……ガトーショコラとか、普通に苺のショートケーキも美味しいよ」
「迷っちゃいそうだな〜……うーん……」
腕を組んで唸るフィリア。
話を聞くだけでスイーツに対する食欲が大きくなる一方、そんなには食べられないという理性。心の中で葛藤し、フィリアは眉を吊り上げた。
アキトは苦笑しながら、一つの案を提示した。
「そんな迷わなくても、今日何か一つ頼んで、次来る時に別のを頼めば良いじゃんか」
「それは、そうなんだけど……」
「他のケーキは、次に来る時の楽しみに取っておきなよ。俺もそうするから」
すると、フィリアはジッとアキトを見つめていた。
彼のその言葉を聞いて、少しだけ驚いたかのように。アキトはくるりと振り返り、彼女の様子を見て首を傾げた。
フィリアは、ポソリと呟いた。
「……また、一緒に来てくれるの?」
「……? 勿論だよ。誰かと食べた方が美味しいしね」
「……」
その言葉を聞いた途端、フィリアは俯いてしまった。
その所為で、少しばかり頬が赤い事にアキトは気付けない。彼女が今、どういう想いを胸に抱いているか。
自分が彼の隣りに立つ事を、彼は当然と思ってくれているかのような。
その事実が、胸を高鳴らせる。フィリアの口元が、自然と緩む。
途端、フィリアは顔を上げ、アキトの手を引いて喫茶店まで軽快に駆け出した。
「行こっ、アキト!」
「え、ちょ、手ぇ引っ張らなっ……!」
アキトは躓きそうになる足元をどうにか正し、未だ楽しそうなフィリアを見つめる。
石畳を叩く音と風に靡く木々の香り、街の景色と太陽の光を背景にした彼女の姿がとても絵になっていた。
────しかし、店に入った途端に、その空気は一変した。
「ちょっと、何するの!」
二人が店に入った瞬間に、その喫茶店に響いた声。
驚いたアキト達は思わずその声のする先へと視線が向かう。そこには、SAOでは珍しい女性プレイヤーが立っていた。アキト達だけではない、店にいた他のプレイヤー達も揃って彼女の方を見ていた。
「良いだろぉ、べつに減るもんじゃないんだから」
そんな女性の目の前には、不誠実そうな男性プレイヤーが立っており、彼女の怒声を気にもせず、彼女の腕を掴んでいた。
男はヘラヘラと笑いながら、その槍使いの女性を舐め回すように見ており、掴んだ二の腕を、いやらしい手つきと指使いで触っている。
「うわ、痴漢だよあれ。サイッテー……」
フィリアはアキトの斜め後ろに身を隠し、軽蔑の眼差しでその男を睨み付けていた。周りもフィリア同様にその男に対して怒気を露わにしており、店で騒ぎを起こす迷惑行為と痴漢の両方の理由で視線を強めていた。
だが、誰もがそんな男に声をかけたり注意を促したりしない。きっと、厄介事に巻き込まれたくないのだろう。
それに、女性にはこういう男性プレイヤーから強引に迫られた際に発動出来る《犯罪防止コード》がある。男性側があれほどの行為をしているならば、表示されたボタンを押すだけで監獄送りに出来る為、周りが何かする必要性はあまりないかもしれない。
「いい加減にして!監獄エリア送りにされたいの?しかも今は転送がおかしくなってるんだから、何処に飛ばされるか分かんないわよ!外周部に飛ぶかもしれないんだからね!」
女性も当然そのつもりなのか、掴まれた腕を振り払い、目の前の男性にそう捲し立てる。
75層のシステムエラーによって、その手の転送が不安定になっているというのは割と有名な話だ。男性プレイヤーはその事実だけで目立った行為を控えるようになるだろう。
故に脅しとして、彼女が放った言葉の効果は高いはずだった。
「いいよいいよ、やってみな。俺達にそういう無粋なものは意味が無いんだから」
だがその男は、彼女のそんな言葉に怯むどころか、寧ろやってみろと促し始めたのだ。これにはアキト含めた周りのプレイヤーもぎょっとする。
その男の後ろの席には、数人の男性プレイヤーが薄気味悪い下卑た笑みでそれを眺めていた。恐らく、痴漢行為を働いている男の仲間だろう。仲間がこれから転送されるかもしれないというのに、楽しげに笑っている。アキトはその事実に違和感を覚えた。
すると女性はムキになり、その男性の言う通りに《犯罪防止コード》による転送手順を進める。普段アイテムを操作する時よりも速いであろう指使いに、周りはハラハラするばかり。
そして女性プレイヤーは、画面に表示されたOKボタンを躊躇いなく押した。
しかし────
「っ……!」
「ほらね?」
女性の前に立っていた男性プレイヤーは、転送される様子は全く無かった。男性は、目の前で絶句している女性を見てニヤニヤと笑みを浮かべる。
「なっ、なんで《犯罪防止コード》が動かないの!?」
女性は驚きを露わにその声を店内に響かせた。瞬間、周りで経過を見ていたプレイヤー達もざわめき始める。
中には他の女性プレイヤーもおり、《犯罪防止コード》が働いてない事実に、驚きのあまり両手で口を抑えている。
フィリアも思わず目を見開いており、アキトはそれを食い入るように見つめる。
(あれだけの行為をしても働かない……!?何の反応もしてないなんて……)
まさか、システムの抜け道?
それとも、これもシステムエラーの影響?
なんにせよ、《犯罪防止コード》が働かないなんて周りに知れたら、どんな被害が増えるかしれない。何故なのか、その理由を瞬時に考えうるだけ候補を上げ始める。だがどれも決め手にはならず、アキトは瞳を揺らした。
だが、目の前の男は《犯罪防止コード》が働かない事を知っていたはずだ。でなければ、女性プレイヤーにあそこまでの態度を取れるはずがない。
そして、その男性は女性の驚いた顔を一通り楽しんだ後、フッと軽く息を吐いて、再び目の前の女性に近付いた。
「さて、俺達の強さを知ってもらったところでもう少し……あん?」
────だが、その瞬間に。
怯える女性と、下卑た視線を送る男性の間に割って入った一つの影。
────アキトだった。
「……」
「あ、アキト……!」
フィリアの驚いた声を背に、アキトは目の前の男性プレイヤーを睨み付けていた。以前の、攻略組に入ったばかりの頃に周りに向けていた、下等生物を見下ろすかのような瞳。
周りは、女性を庇うように現れたアキトを見てホッと胸を撫で下ろすと同時に、それが《黒の剣士》である事に少なからず驚いているようだ。
目の前の男性も、アキトを見てその事実を思い出し、苛立ったような視線でアキトを見下ろす。
「──── おやおや、誰かと思えば《黒の剣士》様ではないですか」
すると、静寂だった空間を壊すように、男の後ろから声が聞こえた。
アキト含めたプレイヤー達が、揃って視線が移動する。
その声の主はすぐ近く、男性プレイヤーの仲間達が座っていた席の中にいた。一際の存在感を放つ装備と共に座っていたのだ。
そして、そのプレイヤーをアキトは知っていた。
淡い金髪のオールバック。
白をベースに、金色の装飾が施された高レアリティの鎧防具。
整った顔立ちの青年。その瞳が、この状況と相まって悪役としての存在感を際立たせている。
「……お前は」
そこにいたのは、以前攻略組の参加を希望してきた、ステータスの高い割に動きが酷かった初心者丸出しの男だった。確か名前は────
「……アル……アル……アルバトリオン?」
「アルベリヒだ」
しかし、名前は忘れた。
アキトのド忘れに、怒気を孕んだ声で訂正するアルベリヒ。それも束の間、アルベリヒはニヤけた顔でアキトを見据え、嘲笑いながら呟いた。
「こんなところでお会いするなんて、攻略組ってのは随分とお暇なようですな?いや、それとも正義の味方のつもりかな?」
「お前こそ、攻略組を目指してたわりに暇してんだな。やってる事最低だけど大丈夫か?部下の面倒もまともに見れない奴の実力や器なんてたかが知れてる。やっぱあの時断っといて正解だったな」
「っ……このクソガキ……!」
アルベリヒの、こちらを下に見た舐め腐った態度。だが、それに対してのアキトの切り返しは客観視すればドが着くほどの正論だった。同時に、目の前のアルベリヒの琴線にも触れたようで、涼しい顔をしていた奴の眉が吊り上がる。
以前会った時から既に感じていたが、やはりプライドの高い男のようだ。
アキトはアルベリヒに負けず劣らず馬鹿にするような笑みを浮かべ、同様に口調を強くした。
突っかかろうとしたアルベリヒは瞬間、周りに多くの目がある事を思い出し踏み止まった。既に注目は集めているが、これ以上に大事になってしまった場合、自分がこの世界で生きにくくなる事を悟ったのかもしれない。
アルベリヒは吊り上がった眉を正常に戻し、再びその顔に高慢な笑みを貼り付ける。
「……まあ、精々格好付けておくといいよ。お前が何も出来ない子供だって事は、そのうち身をもって教えてやるからな」
「お前こそ忘れるなよ。その“何も出来ない子供”相手に何も出来なかった、あの時の惨めな自分の姿を」
「ッ……!」
それは、《アークソフィア》でのあの手合わせ。アルベリヒが散々馬鹿にしたアキトに対し、奴は為す術なく敗れたあの日の事だった。
アキトの告げる全てが事実であり、アルベリヒは何も反論する余地が無い。
「……チッ、行くぞ!」
アルベリヒは最後にアキトに対して憎悪の視線をぶつけ、歯軋りをしながらこちらに背を向けた。部下はぞろぞろとそれについて行き、その中の何人かはアキトを見て舌打ちをかましていた。
しかしアキトは気にも留めない。彼らが扉の向こうへと消える間、ずっと変わらず彼らを蔑視し続けていた。
『『『……』』』
やがて、アルベリヒ一行が消えた喫茶店に静寂が生まれる。
誰もが何を話したらいいのか、何をしたらいいのか分からず、気不味い雰囲気を漂わせていた。
しかし、アキトに庇われていた女性プレイヤーは、溜め込んだ緊張を息と共に吐き出すと、アキトに向かって申し訳なさそうに微笑んだ。
「面倒かけてゴメンなさい、《黒の剣士》さん」
「それより平気?他に何か酷い事されたりしてない?」
しかし、アキトは女性の感謝の言葉に応えるよりも先に、彼女の事を気にし始めたのだ。何かされてないか、傷付いていないか。それを気にする彼の表情からは、本気の心配が伺えた。
そのアキトの一変した態度に女性も、周りにいたプレイヤー達も驚いた。
何せ、あの集団相手に高圧的な態度で詰め寄っていた先程の《黒の剣士》とは、表情も声音も態度も違う。
アルベリヒ相手に何も言わせなかった高慢な態度など一切なく、今のアキトからは、女性を気遣う純粋な優しさしかなかったから。
「え、ええ……大丈夫よ。男ばかりのSAOにいるからね。ああいった連中はある程度慣れてる」
その変わりように一瞬だけ戸惑っていた女性だったが、やがてそんなアキトを見て優しげに笑うと、自分は大丈夫だとアキトに教えた。
「……けど、アイツらは違ったね。システムの干渉が無かった」
そしてまた、暗い顔になった。
それも当然、あの男性プレイヤーには《犯罪防止コード》が動かなかったのだ。効かなかったのではなく、そもそも発動さえしなかったのだ。
これには、女性プレイヤーは特に不安だろう。
「まあ、アイテムやスキルのデータがおかしくなったりで、今更何が起こったって不思議はないけど」
女性は誤魔化すように軽く笑うと、アキトに背を向ける。向かった先は店の扉。どうやら彼女も帰るようだった。
ドアノブに手をかけるとクルリと振り返り、アキトを見て手を振った。
「じゃあね。今度機会があったら、何か奢らせて」
「そんな、気にしなくて良いのに」
「私がそうしたいの。さっきの貴方、凄くカッコ良かったわ」
女性はそう言って、店から出ていった。
途端、周りは静寂から解放されたかのように、小さな声ではあるが会話を再開させ始めていた。
彼らの視線はアキトに釘付けになっており、その場にいた男性、女性からもひそひそと会話が絶えなかった。
フィリアも心配そうな表情でアキトの元へと近付く。
その間、アキトはアルベリヒが消えていった扉をジッと見つめていた。
考えていたのは、先程の出来事。明らかに異常と呼べるシステムの不具合だった
《犯罪防止コード》が働かないのは、やはりシステムエラーが原因なのか、はたまた別の原因があるのだろうか、と。
──── そもそも、75層で発生したシステムエラーは、何が原因で引き起こされたものだったのだろうか、と。
① 彼の魅力
フィリア 「……」チラッ
女性A「さっきの、ヤバかったよね!」ヒソヒソ
女性B「《黒の剣士》でしょ?カッコ良かった〜!」ヒソヒソ
女性C「あの女の人守った時と後のギャップがもう……!あんな優しい人だったんだ〜……」ヒソヒソ
フィリア 「……」チラッ
男性A「……なんか《黒の剣士》って思ってたのと違ったな」ヒソヒソ
男性B 「それな。実力に物言わせた偉そーな奴かと思ってたのによ。助けて見返りも求めねーとか」ヒソヒソ
男性C 「強くて紳士でイケメンとか狡くね……なのに憎めねえ……」ヒソヒソ
フィリア 「……」ジー
アキト 「ん?どーしたの?」モグモグ
フィリア 「……なんか、嬉しいような悔しいような……」ムスッ
アキト 「?……ってこれ美味しい」ウマウマ
② 君の名は (楽屋)
アルベリヒ 「誰かと思えば黒の剣(ry」
アキト 「お前は……」
アキト (誰だっけ……アル……アル……アル、バイト? アル、コール?アル中とか?『アル』までは覚えてるんだけど……アルミホイル、アルミニウム……アルセウス、はポ○モンに失礼だし……っ!)( ゚д゚)ハッ!
アキト 「アルバニア!」
アルベリヒ 「違う!カット!」
アキト 「すみません……」
コラボ書きてえ……!けど、上手く書けねぇ……!と何度も書き直しているうちに、本編の方が書き上がってしまいました。
コラボがこれほど大変だったとは……!とても楽しいです(白目)
今後も頑張って行きますので、よろしくお願いします!
アリス 「……あの」ソワソワ
ユージオ 「……僕らの出番は……」ジー
キリト 「……」メソラシ
アキト 「……」メソラシ
ロニエ 「お二人とも、何とか言ってください……!」
アキト 「……ゴメン、みんな……!」