ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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更新していると思ったらIFだったりと本編だったりと読みにくいと言われたので、近いうちに整理も兼ねて、IFストーリーを削除させていただきます。

同じ事を思っていた方々にも一言謝罪致します。
残りの本編とコラボに関しましても、後々解決策を探していきますのでご了承ください。
まあ、IFに逸れるより早く本編やって欲しいですよね皆さん……脱線しまくってすみませんでした。


では、どうぞ(´・ω・`)









Ep.104 仮想と現実

 

 

 

 

 「しっ────!」

 

 

 背後から迫るリザードマンの腹に、振り向きざまに一撃を加える。

 光芒纏う剣が鮮やかな輝線を描き、互いがすれ違ったその瞬間、リザードマンはポリゴン片となって砕け散った。

 続けて剣を振り上げて近付いてくる同種に対して一歩で間合いに入り込み、《ヴォーパル・ストライク》を発動する。紅蓮の煌めきが空間を裂き、一直線に敵の鳩尾を貫く。

 大量に残っていたはずのHPはあっさりとゼロになり、眼前のリザードマンは目を見開いた後四散した。

 

 辺りを見渡せばまだ何体か点在しており、全員が武器を構えてこちらを睨み付けている。個体によって別の武器を所有しており、どんな敵相手にも弱点を突けるようにしていた。

 上層に上がるにつれ顕著に浮き出るアルゴリズムの変化。モンスターが思考し、こうして集団になれば連携を取り始める。長剣、盾、槍、曲刀。見れば見るほど豊富な武器種と、互いにアイコンタクトを送る仕草まで、まるで人間───攻略組と変わらない。

 

 

 「……」

 

 

 流石に敵が多いだろうか。

 アキトは右手に携えた《リメインズハート》に視線を落とす。柄から刃先まで真紅に彩られた業物。鍔に埋め込まれた蒼い宝玉が太陽の光に晒されて小さく光る。

 

 現在、アキトはこの《リメインズハート》一本でこの場を制していた。決して楽な訳ではないし、油断しているつもりもないが、別段それでも苦労していなかった。だが、数が増えてくると万が一という可能性もある。上層に上がれば上がるほどソロでの攻略は難しい。故に現在のこの状況も、剣一本では厳しい部類に入るだろう。

 《剣技連携(スキルコネクト)》という、隙を作らずにソードスキルを連発出来る技もあるが、片手剣一本と拳一つだと左右のリーチの差が生まれる為、集団戦に於いて実は使い難かったりするのだ。

 

 

(なら……)

 

 

 アキトは、ゆっくりと左手を背中へと伸ばしていく。そして、肩から突き出たもう一本の剣の持ち手を握り締めた。

 蒼い剣《ブレイブハート》。青空のような鮮やかな刀身に、紅玉が鍔に埋め込まれた業物。まるで、《リメインズハート》と対を成す存在にさえ感じる。

 

 ユニークスキル《二刀流》

 

 今この場を圧倒的な力でねじ伏せられる、唯一無二のスキル。

 思えば、ここぞという時以外でこのスキルを使用した事は無い。75層でのキリトとヒースクリフの決闘した日である2024年11月7日に継承した段階で、このスキルの熟練度は既にコンプリートされていたからだ。恐らく、キリトが使用していた状態のものをそのまま譲り受けたのだろう。

 まるで彼の意志をそのまま受け継いだかのような感覚に陥り、アキトは身を引き締めた。彼の代わりにはなれなくとも、彼がしようとした事をやり遂げてみせると決意したあの日を思い出す。

 

 

(……よし)

 

 

 レベリング効率を考えれば、ここは《二刀流》が望ましい。

 アキトは周りのモンスターとの距離を把握しつつ、その鞘から《ブレイブハート》を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── ズキリ

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 ─── 引き抜こうとした、その手を止めた。

 小さく、だが確かに感じた頭の痛みに、アキトの瞳は揺れた。

 《二刀流》を使おうとした瞬間に感じた突き刺すようなその痛みに、アキトは思わず《ブレイブハート》から手を離した。

 何故か、この剣を引き抜く事を躊躇った。その左手が僅かに震えている事に、アキトは困惑を隠せない。

 

 それを隙だと思ったのだろうか。

 瞬間、リザードマン達が一斉にアキトに向かって飛び出してきた。

 

 

 「っ!」

 

 

 アキトは我に返ると、すぐに視線を背中の柄から外し、目の前まで来ている鎧装備のリザードマンを睨み付ける。《リメインズハート》を斜めに構えると、そこからライトエフェクトが放たれ、そのまま一気に振り下ろす。

 片手剣単発技《スラント》だ。視認すら難しい剣速で放たれたそれは、鎧諸共全てを四散させる。もう一体のリザードマンが、それを機にアキトの側面へと詰め寄り、その長槍を突き出す。が、アキトはそれをひらりと躱し、空いた左手を奴の腹に当てがった。

 

 コネクト・《掌破》

 

 張り手によって重い衝撃を与える体術スキルが瞬時に発動し、そのリザードマンを吹き飛ばした。等速直線運動よろしく、そのまま近くの巨木に背中を叩き付け、その身体をポリゴン片と化していた。

 唖然とするモンスターの群れ。けれどすぐに特攻を決め込む輩に、今度は範囲技《ホリゾンタル》を繰り出し、一瞬で数体を殲滅する。

 

 

 「……」

 

 

 降り抜いた剣を下ろし、ゆっくりと顔を上げるアキト。冷めたような表情とは裏腹に、心は確かに揺らめいていた。

 ほんの少しの動揺を隠せず、それでも尚目の前の敵を睨み付ける。そのまま剣を構えると、視界に入るモンスター全てに向かって駆け出してた。

 斬る、斬る。ただひたすらに。

 相手の動きを知識として取り入れ、把握し、演算を開始する。例え雑魚と称される敵であったとしても、油断する事は決してない。

 

 

 しかしその間、脳裏に過ぎるのは。

 今までずっと感じていたのは、先程の頭痛だった。

 ここのところ続いている度重なる頭の痛み。今までなあなあにして誤魔化していたが、そろそろちゃんと向き合わなければならないのかもしれない。

 これが、何なのかを。

 

 

 けれど、そうは言いつつも。

 アキトはもう、とっくに理解していたのかもしれない。自分が今、どういう状況下に置かれているのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 あの後レベルが一つ上がったアキトは、キリもよかったので一先ず狩りを中断し、その足で《アークソフィア》へと戻って来ていた。

 まだ夕方に差し掛かる時間帯の為、多くのプレイヤーは攻略に出ている頃合いだろうと思っていたが、心做しかいつもより人の数が多いような気がする。今日は、アキト同様に早めに帰って来ているプレイヤーが多いのかもしれない。

 

 街中を吹き抜ける風が肌を撫で、揺蕩う草花が香りを運ぶ。同時に、広場を歩く人達の楽しげな会話が耳に入り、自然と視線が彼らへ向かう。談笑している彼らの綻んだ顔に温かさを感じたアキトは、近くのベンチへとゆっくりと座った。

 木造りのベンチを細い指でなぞり、雲が漂う青空を見上げる。けれど、頭の中で何かを考えている訳ではなかった。

 夕飯の時間にしても早過ぎるし、今から攻略に再び戻る気分でもない。

 

 

 しかし、そうしてボーッとしている時だった。

 

 

 

 

 「あ……アキト……」

 

 

 「……?」

 

 

 

 

 突如自分を呼ぶ声がして、アキトは我に返る。

 空を見上げていた視線を落とし、思わず前を見る。すると、そこには見知った少女が立っていた。

 全体的に紫を主体とした装備に、薄紫色の銀に近い髪に、紅い瞳。

 けれどその表情は、アキトが知っているものとまるで違っていた。

 

 

 「……ストレア?」

 

 

 アキトは思わず、そう聞き返してしまった。

 天真爛漫で、快活な少女。それが、ストレアのイメージだった。なのに今の彼女からはそれが感じられず、何処か具合が悪そうな、元気が無いような、そんな感じが見られた。

 とても珍しい姿に、アキトは困惑を隠せない。アキトは自然とベンチから立ち上がり、ストレアへと歩いていく。

 

 

 「どうしたの……?気分でも悪い……?」

 

 

 そうアキトが尋ねても、反応が薄い。だが、少しして彼女は眉を寄せて、か細い声で囁いた。

 気を抜くと聞き逃してしまうかもしれないほどに、弱々しい声だった。

 

 

 「ねえ、アキト……どっか気分転換出来る場所って無いかな?」

 

 「気分、転換?」

 

 「うん……気持ちが良くって、サッパリ出来るところ……」

 

 

 それを聞いて、アキトは眉を顰める。あの元気な姿は何処にもなく、とても儚げな表情。今にも消えてしまいそうな、そんな雰囲気。

 体調の問題かもしれない。でも、何か悩みを抱えているのかもしれない。

 そう思える程に、今のストレアはいつもと違う。故に、アキトはストレアを放っておけなかった。

 

 

 「……あるよ」

 

 「……ホント?」

 

 「期待に添えるかは分からないけど、この街の、それもすぐ近くにある。知ってる人も殆どいないし、俺のお気に入りの場所なんだ」

 

 

 それは、何かあった時、何も考えたくない時に、アキトが赴く憩いの場。アキトの他にはアスナとユイの二人しか知らないであろう場所の事だった。

 アキトが敢えて自信ありげにそう言うと、ストレアはぱちくりと目を丸くした。すると、眉を寄せたまま力無く、卑屈に笑った。

 

 

 「……良いの?そんな場所をアタシに教えちゃっても」

 

 「当たり前でしょ。一人が良いなら、道だけ教えようか?」

 

 「……ううん。一緒に行こ?」

 

 

 ストレアは、そうして片手をアキトに差し出した。

 今度はアキトが目を丸くする番で、思わずその手とストレアを交互に見た。

 けれど、そのおかげで気が付いたのだ。彼女のその提案や大胆な行動はいつもと同じはずなのに、声も、仕草も、微笑む表情も儚げで脆くて。今にも壊れてしまいそうで。

 いつもと全く違う事を。

 

 

 「……良いよ」

 

 

 アキトは一瞬躊躇ったが、ストレアから差し出されたその手を、優しく握った。

 ストレアは、嬉しそうにその手を握り返す。繋がれたその手を開き、指と指が絡み合う。ピッタリと繋がれて、決して離れないようにと、ストレアからそんな気持ちを感じる。

 アキトは一瞬だけ驚くも、ストレアのそんな表情を見た瞬間、彼女のその手を強く握り返した。何処かへ消えていってしまわないように。すると、ストレアは嬉しそうに笑う。

 

 

 「えへへ……」

 

 

 そのまま、ゆっくりと。足を踏み出す。

 ストレアはアキトに全てを委ねるように、ただ引かれるがままについて行く。けれどその表情は柔らかで、アキトに信頼を寄せている事が分かる。

 アキトは、何も言わないストレアを、目的地までただ引く事しか出来ない。

 

 人が少なかった転移門広場から、商店街へと足を運ぶ。

 変わらず繋がれたその手から、僅かな熱を感じる。ストレアのその手は酷く冷たく、無機物に思えた。こうして繋ぐ事で、漸く温かさを知る事が出来たような、そんな細い手と指だった。

 そうして歩いていると、すれ違うプレイヤーの何人かざ、アキトとストレアを見て目を丸くしたり、ヒソヒソと会話をしたりしているのを感じた。

『“黒の剣士”が、女の子と手を繋いでいる』と、そんな噂が立つかもしれない。けれど今は自分の事よりも、ただストレアの事だけが気がかりだった。

 ストレアは周りに見られている事に気付くと、クスリと小さく笑っていた。

 

 

 「……ふふ、デートみたいだね」

 

 「……っ」

 

 

 まだ、彼女の声は弱々しかった。

 普段はストレアがアキトの手を引いて前を歩くのに、今はそれも逆で。それが、何故かとても辛くて。アキトは小さく歯軋りした。

 いつもストレアに、自分達は笑顔を貰っていたのに。最初こそ警戒していたアスナ達だって、今はストレアの事を大切に思っているはずだ。

 だからこそ、そんな彼女の元気がないなら、力になってあげたいのに。アキトは、乾いた笑みで作った言葉しか放てない無力な自分を恨んだ。

 

 

 「ストレア、あれから体調の方はどう?」

 

 「うーん……まあまあかなー。心配、してくれてるんだ?」

 

 「……そんなの、決まってるじゃん」

 

 「えへへー、ありがと」

 

 

 少しばかり、口調がキツくなる。それはストレアに対しての苛立ちなんかじゃなく、何も出来ず、何も気付いてやれない自分自身への憤り。

 けれどストレアはそんなアキトの気持ちなんて気にしてないというように微笑んでいる。アキトにはそれが、何かを抱えている事をひた隠しにして誤魔化すような、そんな表情に見えたのだった。

 こちらが会話を切り出さなければ、彼女から口を開く事はない。そんな大き過ぎる違和感に、アキトの表情も曇っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 歩くにつれて、人通りが少なくなってきた。目的地は路地裏から入る為に自然と人気は無くなってしまうが、そうでなくとも二人の間の空気は冷たく、静けさが漂っていた。

 物言わず俯くストレアと、その手を引いて歩くアキト。指が絡められたその手だけは強く握られ、決して離れないように固く結ばれていた。

 歩いていくうちに段々と太陽が傾き、やがて空がオレンジ色に差し掛かるった。建物の間から伸びる光が、アキトとストレアの目を細める。

 

 だが、段々と目が慣れ始めてくると、その視界に広がるのは広大な水平線。そこから見える街や夕焼けが水面に反射して、とても幻想的な風景と化していた。

 冷たい風が頬を撫で、靡く草花の音が心地好い。ストレアは、目の前の景色を見て目を見開いていた。

 

 「うわあ……!」

 

 瞳を輝かせ、感嘆の息を漏らす。

 一瞬だけだが、いつもの彼女に戻ったような気がした。視線の先に湖を映し、水平線の彼方まで眺めているような、そんな風にアキトには見えていた。

 

 「……少しは、気分転換になったかな」

 

 アキトは、ポツリと小さな笑みで呟いた。

 ストレアはこの場所に来て、自分と同じような感想を抱いているだろうかと、ふと疑問に思ったのだ。

 落ち込んだ時、逃げたい時、悲しい時、何も考えたくない時、スキル上げをする時、昼寝をする時。何だって良い。アキトはここに来れば、一時だけだとしても、いろんな事を忘れ、気を紛らわせる事が出来たのだ。

 だから、彼女もそうあったならと、そう願った。

 

 「……ふふっ」

 

 「?」

 

 ストレアは目を丸くすると、クスリと小さく笑った。

 

 「……ここ、前に来た事あるよ」

 

 「……えっ、そうなの?」

 

 今度はアキトが驚く番だった。

 しかし、ストレアは複雑そうな顔で笑うと、アキトを見て口元を緩めた。

 

 「うん。アタシが初めてアキトと会った場所だよ。アキトってば、忘れちゃったのー?」

 

 「……あ」

 

 ストレアにそう言われ、アキトは漸く思い出した。

 アキトが初めて、彼女と出会ったのは正にこの場所だった。77層のボスを討伐した際、攻略組が瓦解しないようにと一芝居打った後、この場所に来て眠ってしまったとある日に、アキトはストレアと出会ったのだ。

 目が覚めれば、自身の上でスヤスヤと眠っていて。初対面からかなり馴れ馴れしくて、カフェで振り回されて。

 けれど、何故か嫌な気にはなれなくて。それどころか、懐かしい感覚を覚えて。

 あの瞬間から、自分は彼女に魅せられたのかもしれない。アキトはそう思った。そしてそれはきっと、アスナ達も同じだった。

 

 「そう、だった……忘れてた……ここってストレアも知ってる場所だったね……」

 

 「でも、あの時はこの場所の景色ちゃんと見てなかったし。……そっか、こんなに凄い場所だったんだ……」

 

 ストレアは風に流された髪を耳にかけながら、夕日を見て目を細めていた。変わらず儚げな笑みで、ただ純粋にこの場所に魅入られているようだった。

 そんな彼女に何を言う事もせずただただ口を噤むアキトは、俯いて、草原を見下ろすだけ。

 

 「……」

 

 ストレアに、何を言えば良いのだろうか。そればかりをずっと考えていた。

 体調が悪いのか。疲れているのか。頭が痛いのか。彼女が言う『探し物』が、まだ見つかっていなくて落ち込んでいるのだろうか。

 あの日、アキトの部屋で告げた、『自分ではない誰か』の存在に悩まされているのか。

 

 聞きたい事─── 聞ける事はたくさんあるのに。

 それは、聞いても良い事なのだろうかと、少しばかり躊躇った。

 

 ────すると、ストレアの方から切り出してきた。

 

 

 「……ねえ、聞いても良い?」

 

 「っ……」

 

 

 思わず肩を震わせたアキト。俯いていた顔を上げれば、夕日からこちらに身体を向けたストレアが、真面目な表情でアキトを見据えていて。

 その表情から、彼女が何を聞きたいのか、その真剣さが理解出来た気がした。きっと、大事な───ストレアの元気が無い理由にも起因する何かなのかもしれないとアキトは悟り、どうにか声を絞り出した。

 

 

 「な、何……?」

 

 「アキト達は、このゲームのクリアを目指してるんだよね」

 

 「え……うん、まあ……」

 

 

 けれど、彼女から繰り出された言葉に────

 

 

 「ずっとここに居たいとは、思わないの?」

 

 

 ────そんな、答えが決まってる質問に、アキトの思考が一瞬だけ停止した。

 

 

 「……ぇ?」

 

 

 思わず、顔を上げる。

 こちらを変わらず真っ直ぐに見るストレアの顔を確認し、わけも分からずその瞳が揺れる。

 ストレアのその質問の意図は何なのか、どうしてそんな当たり前の事を聞くのか。このゲームの目的なんて、初めからそれだけだというのに。二年前から決まっているのに、何故そんな質問を────

 アキトはその質問の意味を、数秒考えた。

 

 どうしてか、心の叫びにも似た何かを感じたから。

 

 その言葉が紡がれた瞬間、いっそう強い風がコートを靡かせた。水面が波紋を生み出し、映る景色を陽炎の如く揺れ動かす。太陽はゆっくりと確実に沈み始めていて、辺りが暗がりに包まれようとすると同時に、この場所にも静けさが生まれつつあった。

 

 「……どうして」

 

 どうにか吐き出した言葉は、ストレアが繰り出した質問に対する純粋な疑問だった。質問に質問で返すのは不誠実だったかもしれない。けれど、何故かこの時ばかりは聞かなければいけないように感じたのだ。

 だがストレアは、一瞬だけ困ったような表情を浮かべるも、すぐに考えるように小さく唸ると、当たり障りのない理由でなんとなく言葉を紡ぎ出した。

 

 「うーん……少し、気になっただけ。こんな綺麗な場所だってあるし、仲間だってたくさんいるし」

 

 それが誤魔化しなのだと、アキトはすぐに理解した。

 ストレアが裏表のない純粋な性格で、きっと嘘なんて吐けない優しい少女であろう事を、アキトはもう知っていたから。

 だからこそこの質問には、彼女が悩み抱くものの答えを見出す事の出来る情報、その“何か”が確かに宿っていると、そう思えた。けれど、誰に聞いてもほぼ同じような答えが返ってくるだろうその質問にどんな意味があるのだろうと、考えてしまった。

 

『ずっとここ居たいとは思わないのか』

 

 ストレアの質問はつまり、ゲームクリアを諦めてこの世界で暮らす事を選ばないのかという事だ。このまま攻略を停滞させ、残りの人生をこの場所で過ごそうとは思わないのかという事だ。

 何故そんな質問をしてきたのかは分からない。けれど、その質問の答えなんて初めから決まっている。だからこそアキトは、正直な気持ちを彼女に告げる事にした。

 

 

 「……俺は帰りたい、って、思うよ……」

 

 「……」

 

 「そりゃあ、人によっては違うのかもしれないけど……でもこの二年間、ずっとそれだけが一つの目標で、その為にみんな必死に生きてきた。ここで諦めたら、死んでしまった人達も報われない気がするんだ」

 

 

 諦めは、この世界に屈服し隷属するという事だ。

 それはこれまでの二年間を、そして必死に生きようともがき苦しんでも尚生きられなかった人達を否定する行為だ。

 全てが始まったあの日からずっと、この世界のプレイヤーが望んだ事、それを無かった事には出来ないから。

 

 

 「勿論、そんな人達の為だけって訳じゃないけど……それを引いても、俺は現実世界に戻りたいって思ってる」

 

 

 そう、ただ純粋に。

 アキト個人としても、現実世界に帰りたいと願っている。いつまでも、この世界にはいる事は出来ないのだと、真っ直ぐにストレアに言い放った。

 すると、ストレアがこんな事を呟いたのだった。

 

 

 

 

 「それは……この世界が偽物だから?」

 

 

 「っ……え?」

 

 

 

 

 彼女から告げられたその言葉に、アキトは目を丸くした。ストレアは悲しげに眉を寄せてこちらを見据え、唇を引き結んでいた。

 俯くその表情には影が差し、瞳が髪に隠れる。ストレアはただ立ち尽くして、アキトの次の言葉を待っていた。

 

 

 「……いや、そんな風には思ってないよ」

 

 「……」

 

 「確かに、その……現実世界と違うなって思う部分はあるけど……」

 

 

 アキトのそんな言葉に、ストレアは反応を示さない。けれど、アキトはただ事実を─── 自分が思っている事を、つらつらと話し始める。

 地面を踏み締めて、ゆっくりとストレアへと歩み寄っていく。

 

 

 「現実での感触を、この世界が完全に再現しているとは言わない。現実世界にあるものの方がリアルに見える事だってあるし。けど、それでもさ……温かいとか、冷たいとか、そういう感情って、確かに感じてるんだ。それはきっと、仮想も現実も関係無い、変わらないって思うんだ」

 

 「……仮想も現実も、変わらない……」

 

 「この景色だってそうだよ。この夕焼けがたとえ偽物だったとしても、綺麗だって確かに感じてる。そこに本物偽物なんて、関係無いんだよ」

 

 「……関係、無い……」

 

 

 アキトの言葉を、ただただストレアが繰り返す。

 アキトは小さく頷くと、彼女の隣りに並んで景色を眺め始めた。隣りから弱々しい視線を感じながらも、ただ言葉を紡いでいく。

 

 

 「一緒に居て楽しいとか嬉しいとか……誰かを好きになる、とか……そんな気持ちだってさ」

 

 「っ……」

 

 

 確かに、現実世界を知ってるアキト達プレイヤーは、ふとした時に仮想世界が偽物に感じる事もあるかもしれない。

 この世界は現実世界に限りなく近い。けれど、“近い”だけで決して“同じ”ではないのだ。

 現実の感触を完璧に再現した訳ではなく、見た事の無い生物が棲み、現実味を感じない世界観。ただのデータの塊にしか見えないクオリティの低い建物やモンスターだっている。

 データ処理等の問題があるのかは不明だが、その甘さが垣間見えた時にふと、ここが仮想世界なのだと思わされる時が来るのだ。

 

 

 

 

 ────けど、それでも。

 

 

 

 

 「何かを大切に想う気持ちが偽物()だって……仮想だって……想いたくない」

 

 

 「アキト……」

 

 

 

 

 それこそが真理だった。

 楽しかった、嬉しかった事。好きだった、愛しいもの。その全てが偽物(フェイク)だったとしても。

 愛したこの気持ちや意思まで、奪わせはしない。アキトは、ハッキリとストレアにそう告げた。

 

 

 「……それでも、現実に帰りたいの?」

 

 

 隣りに立つ彼女が、か細い声でそう尋ねてきた。

 アキトのその言い分では、仮想も現実と変わらないと、そう言っているだけだ。だから、きっと帰りたい理由にはなっていない。

 けれど、理由なら確かにあったのだ。アキトはそれを、ストレアに向けて呟いた。

 

 

 「……待たせてる人がいるんだ。いや、今更待ってなんてくれてないかもしれない。けど、そうだな……俺が、俺自身が、謝りたいって思ってる人達がいるんだ。だから……」

 

 

 口を開く度に想いを馳せる。

 現実世界に置き去りにした、家族の姿を。ここへ来る前に、かなり酷い態度をとっていた事を思い出し、今になって後悔している。あの日の自分の行動全てを、今でも恨む。

 待ってくれてるだなんて思うのは虫が良過ぎるし、勝手だ。自惚れも良いとこである。けれど迷惑や面倒は掛けているし、アキト自身伝えたい言葉もある。

 だから必ず帰って、謝りたいと切に願う。必ず現実にするのだと固く誓う。

 

 

 それが、この世界で結んだいつかの“約束”でもあるから。

 

 

 「俺だけじゃない。みんな、現実世界で大切な人を待たせてる。そしてその人達に会いたいって思ってる。だから、みんな帰りたいんじゃないかな。いろんな意味で現実的な、あの夢の無い世界にさ」

 

 

 そう言って、アキトは苦笑した。自分で言っていて、何だか可笑しくなってしまったから。

 誰もが願ったはずの夢のような世界にいるのに、ただただ現実を突き付けてくる、それこそ夢の無い世界への帰還をずっと望んでいるだなんて、皮肉が効いている。

 でも、誰もが現実世界の事を思い出し、帰りたいと願っているはずだ。だからこそ、アキトは今ここにいる。

 

 

 「そっか……やっぱりそうだよね……」

 

 

 アキトの主張を聞き終えたストレアは、変わらず暗い表情で沈みゆく夕日を見つめていた。

 今アキトが告げた事全ては、きっとこの世界で生きる殆どのプレイヤーが思っている事のはずだった。なのにストレアの表情が優れない事に、アキトは戸惑いを隠せないでいた。

 

 

 ストレアはまるで、ゲームクリアを拒んでいるかのような────

 

 

 「……ストレアは、その……クリア、したくないの?」

 

 

 だから、思わず聞いてしまった。

 それがストレアにとって、聞いて欲しくない事なのかもしれないと理解していても。

 そして、彼女は再び俯いて、ポツリと小さく囁いた。

 

 

 「……クリアしちゃうと、多分アキトと会えなくなる」

 

 「そんな事……きっと現実世界でも、今みたいに一緒に……」

 

 「でも、アタシ……」

 

 

 アキトの言葉を遮るように言葉を重ねるストレア。

 けれど顔を上げた彼女は、何かを躊躇うように視線を逸らすと、再び口を噤んでしまった。

 何を伝えたかったのか、それを追求する事は、アキトには出来なかった。

 

 

 それをちゃんと聞いてさえいれば、後悔する事も無かったのかもしれないのに────

 

 

 「ストレア……?」

 

 「……ゴメン、何でもないの」

 

 

 問い掛けても、ストレアは何も言わなかった。

 まるで、言ってはいけないのだと、そう自分に課しているようだった。

 それが何故か痛々しくて、アキトには見ていられない。気が付けば、自然とその手がストレアへと伸びていた。

 

 

 「……アキト?」

 

 「……」

 

 

 彼女のその手を、そっと握る。

 掴んだ手さえも脆く感じる程に、ストレアは儚く見えた。アキトは小さく息を吐くと、ストレアの瞳を真っ直ぐに見据えた。

 急に手を掴まれた事に、彼女は意外にも戸惑っていて、アキトは可笑しくなった。いつもなら、ストレアの方から握ってくるのに。

 

 

 「……なあ、ストレア」

 

 

 口を開きながら思い出す。

 そう、いつもなら彼女からこちらに迫ってくる。自由奔放で、無邪気で、破天荒で。けれどそんな裏表のない笑顔に、アキトだけじゃなくみんなが魅入られ惹かれたのだ。

 落ち込んだ時だって、彼女の顔を見れば、声を聞けば、一時忘れる事が出来た。初めこそ警戒していたアスナ達だって、今ではストレアの事を大雪に思ってくれているはず。

 ストレアが、みんなを引っ張ってくれたように。

 

 

 ────今度は、俺達が彼女を。

 

 

 「もし現実に戻ってもさ、俺が必ずストレアを見付けるよ。だから、会えなくなるなんて事は絶対にない」

 

 「アキト……」

 

 「約束するよ。どの世界でも、みんなでまた楽しく過ごせるって。その為の努力をするって」

 

 

 それは、その場の勢いと言われても仕方の無い言葉だった。

 けれどそれは偶然にもわストレアが欲しくて欲しくて堪らなかった言葉だった。

 ストレアは驚いたように目を見開き、ただアキトの真面目な顔を見て、口を開く。

 

 

 

 

 「……ふふ、ありがとね、アキト」

 

 

 

 

 ────それは、今まで元気の無かったストレアが見せた、彼女らしい笑顔だった。

 

 

 

 








アキト 「そろそろ帰ろっか」

ストレア 「うーん、まだ夜まで時間あるし、デートしようよ!」

アキト 「へ?や、さっき歩いてる時にデートみたいだって言ってたし、もうあれで────」

ストレア 「うん!だからホントのデートしよ!ほらほら〜♪」

アキト 「え、ちょ、ま、待って待って、何でそんなに力強いの!?筋力値どうなって痛でででで!」


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