ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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少女は隠す。自身の弱い心を。

少年は偽る。愚直で優しい自分を。






Ep.10 その剣は加速する

 

 

── 76層に来てから毎日、夢を見る。

 

 

キリト君と団長がゲームクリアを賭けてデュエルを行った、75層のボス部屋での事を。

何度見ても慣れない。何度見ても、結果は変えられない。

 

 

何度その夢を見ても、私はキリト君が斬られるのを、ただ黙って見ているだけ。

 

 

キリト君が斬られる度に目が覚めて。その度に後悔する。

あの時、何でもっとちゃんと止めなかったんだろうって。

今も凄く後悔してる。

 

 

団長にシステムで麻痺をかけられた時。

何故、その麻痺毒に逆らおうとしなかったのだろうかと。

 

どうして、キリト君は死んでしまったのだろうって。

 

私が、私達がキリト君を信じてしまったから。

私達が、私が彼に全てを背負わせてしまったから。

 

 

『私は、君を絶対に守る』

 

 

口先だけだった。

一緒に背負っていくと決めたのに。

君を守ると決めたのに。

 

 

「っ…キリト、君…」

 

 

こんな私に、涙を流す資格があるだろうか。

キリト君の後を追う資格なんてあるのだろうか。

 

 

夢でさえ、自分の言葉を守れないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HPはレッド、立っているのは自分だけ。

目玉の怪物、ガストレイゲイズのHPバーは一本半もある。

だというのに、アキトの心は冷めていた。

この絶対絶命のピンチだというのに、あまりに焦りの感情を感じない。

 

 

「…何度も繰り返し見てきたんだよ…この程度の困難は…」

 

 

アキトは、ティルファングを斜に構える。

ティルファングは再び、その刀身に光を纏う。

アキトは、ボスに向かって走り出した。

 

 

 

 

── あの日から何度も夢に見る。

 

 

何度も何度もあの日の事を。

その夢を見る度に抗って、その度に失敗して。

そして毎回涙して。

そんな自分に何度も幻滅して。

 

 

それでも諦め切れなくて。

夢だと分かっていても、この行いを投げ出したりはしない。

結果は変えられないとしても、変える意志を失くしはしない。

 

 

例え何回、何十回、何百回失敗したとしても。

何千回、何万回、何億回と挑戦し、必ず救ってみせてやる。

だからこそ、この程度のピンチで屈したりなどするわけがない。

 

 

 

 

 

 

「そうだろ…キリト」

 

 

片手剣六連撃奥義技<ファントム・レイブ>

 

ボスより先に、アキトが動く。

アキトは既に、敵の懐に入り込んでいた。

 

 

初撃、右下から左上にかけて斬り上げる。

ボスが怯む瞬間を、アキトは見逃しはしない。

 

 

二撃目、左下から右上への斬り上げ。

仰け反るボス相手に、その斬撃はいとも容易く入っていく。

アキトはそのボスの動きを全て把握していく。

 

 

三撃目、右上から左下へかけ、ティルファングで斬り付ける。

蒼く輝くこの剣は、ボスの弱点である眼球を斬り裂いた。

ボスの絶叫は、部屋全体にビリビリと響く。

それでも、アキトは顔色一つ変えず、ただ冷静にその剣を握るのみ。

 

 

四撃目、返す形で剣を突き刺す。

その瞬間、ボスの瞳が大きく開かれた。

アキトはそれに気付きつつも、ソードスキルのモーションは止まらない。

 

 

ボスは雄叫びを上げながら、アキト目掛けて触手で襲いかかる。

HPが視認できるかどうかのアキトが、この攻撃を受ければどうなるかは明白だった。

エギルは必死に叫ぶ。だがその声はアキトには届かない。

クラインがこちらを焦ったように見ている。しかし、その視線にアキトは気付かない。

アスナが手を伸ばす。だが、今はその手を掴む事は出来ない。

 

 

アキトは攻撃の手を緩めない。

その剣はボスの瞳を捉える。

ボスの触手は自分の目の前まで迫って来ている。

けれど、迷いは無い。

恐いとは思わない。怖いとは感じない。

誰かを失う事の方が、もっとずっと恐ろしい。

 

 

「──遅せぇよ」

 

 

その触手は空を切る。

アキトが、その触手を全て躱したのだ。

 

 

「はあああぁぁぁ!!」

 

 

<ファントム・レイブ>は、躱した触手の間を通り、全てボスに命中する。

奥義技というだけあって、その威力も凄まじい。

ボスが有り得ないように吹き飛ばされ、浮遊していた体は遂に地面に伏した。

 

 

周りは、その異様な光景に何も言えなかった。

開いた口が塞がらないとは正にこの事。

誰もがこの信じられないような出来事に言葉を発せないでいた。

HPレッドゾーンの、それも今回初のボス戦のプレイヤーが、たった一人でボスを吹き飛ばしたなんて。

 

 

<ソードスキル>

 

 

この世界での<必殺技>に該当するそれは、プレイヤーが所定の動作をする事で発動し、その後は体が勝手に動くものだ。

発動出来ればあとはシステムが体を動かす為、自分ではその決められた動きを変える事は出来ない。

無理に変えようとすると、スキルがキャンセルされ、その反動で体が一時的に硬直してしまうのだ。

 

 

アキトは、ソードスキルが中断されないギリギリの範囲で攻撃を躱してみせたのだ。

ソードスキルのモーションを崩さず、フロアボスの攻撃を躱し、尚且つダメージを与えるなど、並のプレイヤーに出来る事ではなかった。

 

 

「…な?心配なんて要らねぇだろ?」

 

 

 

 

──この少年は、何者なのだろうか。

 

 

そんな疑問が始めに浮かぶ。

だが、そんな事、今はどうでも良かった。

後ろにいるエギルに、アキトは屈託なく笑う。

その笑顔を見て、エギルは何故か儚さを感じた。

しかし、そんな事を今考えている場合ではない。

アキトが作ってくれたこの隙に、エギルはグランポーションを飲み干す。

体力が回復していくのを感じる。

自身のHPは、既に安全域にまで達していた。

エギルは斧を支えに立ち上がり、アキトの隣りに並んだ。

そしてその視線は、自然とアキトの方へ向く。

 

 

逃げろと何度も叫んでも、決して逃げなかったアキト。

出会って間もない自分に、命懸けで守ってくれた理由は何だろう。

年端もいかない少年に守られた事を情けなく思い、恥ずかしく思いつつも、その心には感謝しかなかった。

アキトはエギルの視線に気付いたのか、怪訝そうな顔をした後、ニヤリとその顔を変えた。

 

 

「いい飲みっぷりじゃねぇの」

 

「…アキト」

 

「あ?」

 

「…ありがとよ」

 

 

今の自分に出来る、精一杯の感謝。エギルが少年に出来る事は、現時点では少ないかもしれない。

けれど、その気持ちに、この意志に、嘘偽りは決してないから。

 

 

「…一日一杯、コーヒー奢れよ」

 

「…お安い御用だ」

 

 

アキトは視線だけエギルに向けて、その口元を緩ませた。

エギルも、そんなアキトに微笑み返す。

エギルは確かにこの少年に。

英雄の影を見たのだった。

 

 

 

 

ガストレイゲイズはその体を再び浮かせる。

ダメージから立ち直り、その巨大な瞳で瞬きを繰り返す。

その後、アキトとエギルを見据え、その目を大きく見開いた。

そして、声にならない絶叫を再び放ち、ボス部屋を震撼させた。

 

 

「…沸点低いなアイツ。スゲェキレてんじゃんか」

 

「当たり前だろ…眼だぞお前」

 

「おっさん…周りの奴ら立て直してくれ」

 

「…お前はどうするんだ?」

 

このボス戦、ただ勝つだけでは意味が無い。

アキトは、周りを見やる。

トッププレイヤーである筈の彼らが、今、諦念を抱き動けないでいた。

彼らが動けないのは、攻略組の戦力と連携の不足によるもの。

キリトとヒースクリフがいないのと、アスナの指示がないのは、かなり堪えているようだ。

今後も攻略して行くには、彼らの協力は必須なのだ。

その為には、キリトとヒースクリフの穴を、誰かが埋めなくてはならない。

 

 

彼らの様な強さを。彼らの様な希望を。

この場所に登場させなければならない。

 

 

その為には──

 

 

 

 

「…俺はもう少し、アイツの相手をしてやるよ」

 

 

アキトは笑みを浮かべ、ボスを見据える。

エギルはそんなアキトを黙って見据える。

普段だったら止めているし、普通だったらやらせられない。

だが、そのアキトの顔を見ると何故か──

 

 

「…分かった。頼んだぞ」

 

「了解。承りましたっと」

 

 

エギルはそう言うと、動けない攻略組の集まる方へと駆けて行く。

アキトはその背を見送ると、ボスの方へと視線を向ける。

相も変わらず激情しているようで、アキトは思わず笑ってしまった。

 

 

「怒るなよ、怖いだろ」

 

 

アキトはティルファングを再び光らせる。

HPは、依然変わらずレッドゾーンだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か!?」

 

「エギル、さん…」

 

 

アスナ達の元へ駆け寄ったエギルは、素早く彼らを介抱する。

アスナを始め、タンクのメンバー、それ以外もメンバーも次々とポーションを飲んでいく。

しかし、回復が完了しても、彼らが立ち上がる気配がない。

エギルは目を見開いていたが、すぐに察した。

皆、怖気付いているのだ。

 

 

希望であったプレイヤーを二人も失い、付いていく者に裏切られ、彼らは立ち上がる気力を失いかけていたのだ。

エギル自身も、その気持ちは痛い程分かっている。

けれど、今、たった一人ボスと対峙している奴がいるのに、自分達が何もしないなんて沙汰、許してはいけない。

 

 

アスナは力なく起き上がる。

そして、エギルを視界に捉えると、その顔を俯かせた。

それは、自身の過失によって引き起こされた事の後ろめたさか。

 

 

「エギルさん…私…」

 

「…話は後だ。このままだと全滅するぞ…!」

 

 

そこまで言ってアキトの方へと視線を動かす。

アキトは未だ、ボスと一対一の交戦中だった。

それを見て舌を巻く。

アキトはあの至近距離で、ボスの触手をソードスキルを使いつつ躱しているのだ。

そして、先程のようにソードスキルを叩き込む。

ソードスキルを中断せずに攻撃を躱すなんて神業、マグレで出来た代物だと思っていたのに、連発出来るものだとは。

 

 

「今アイツが一人で戦ってる…これ以上はもたねぇぞ…!」

 

「っ…」

 

 

エギルの言動により、アスナもアキトを見る。

その瞳は揺れている。

アキトは、あれから全く回復行動を取らずにボスと対峙しているのだ。

エギルは立ち上がり、急いで他の倒れているプレイヤーのところに向かうべくその足を動かす。

彼の援護に向かう為に、早く体勢を立て直さなければ。

普通なら助けに行かなければいけない状況。

けれど、エギルはアキトの言葉を優先した。

何故か、アキトならと、そう思えて。

言葉より先に、体が動く。

 

 

しかし、そんなエギルの心情など知る由もなく、アキトはボスの触手を躱し続ける。

たった一人でこの長時間、しかもHPレッドゾーンの状態で戦い続けるなど、異常もいいとこだった。

そんなアキトの口元には、笑みが浮かんでいる。

この状況で笑えるなんて。

 

 

──だが。

 

 

アスナには、アキトの笑顔は戦闘狂のそれとは違って見えた。

ただ純粋に楽しんでいるようにも見えない。

なんだか、無理して笑っているような。

そんな儚さと寂しさを感じるものだった。

 

 

アキトとエギルがボスの光線で飛ばされた時、アスナは確かに、キリトの面影をアキトに重ねていた。

そして、自分はまた、それを眺めていただけ。

ヒースクリフにキリトが斬られた、あの時と同じ様に。

 

 

「っ……」

 

 

嫌だ。

もう、死なせたくない。

傷付くところを見たくない。

また見てるだけなんて。

もう何度も悔やんだ筈ではないか。

また彼の死を眺めるだけなのか。

 

 

アスナは、ランベントライトを握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボスの触手を、アキトはまたも躱す。

捌き、受け流し、跳ね返す。

決して自身の体に触れさせはしない。

ティルファングは触手の攻撃に対抗すべく、何度もその刀身を輝かせる。

あれからどれ程時間が経っただろうか。

アキトのHPは、未だにレッドゾーンから回復しなければ、1ドット足りとも減っていない。

全ての攻撃を把握し、予測し、躱していく。

感覚がどんどん研ぎ澄まされていく。

ボスの一撃一撃が手に取るように分かる気がする。

 

 

どうしてかは分からない。

けど、どうすればいいかは分かる。

 

 

死の淵にいるからだろうか。

けれど、そんな事はどうでもいい。

 

 

恐怖は感じない。

けれど、体は震えている。

 

 

ならばどうする。

笑え。楽しめ。

その奥底に眠る恐怖を殺せ。誤魔化せ。

偽れ。

斬れ。

 

 

その思考は、剣は、アキトの意識に関係なく加速していく──。

 

 

片手剣六連撃技<カーネージ・アライアンス>

 

その剣を金色に輝かせ放つは、ボスの触手。

迫り来る触手を、一つ一つ斬り付けていく。

ボスのHPは、いつの間にか残り一本だった。

 

 

「はぁっ!」

 

 

アキトは再び、ボスを吹き飛ばす。

ボスは学習したのか、今度は距離が離される程度に留まった。

そして、その瞳は変わらずアキトを映している。

アキトは怖気付く事なくボスを睨みつけた。

 

 

その様子を、攻略組のメンバーは見つめていた。

 

 

「…マジかよ」

「アイツあのHPのまま三本目のバー消し飛ばしやがった…」

「ソードスキル中に攻撃躱すとかどうなってんだよ…」

 

 

彼らは口々にそう呟く。

もしかしたら、勝てるのではと思い始める。

その心持ちを取り戻しつつある。

そのまま武器を、盾を持ち、立ち上がってくれれば。

 

 

まだだ。まだ足らない。

もっと自身を偽れ。

彼らの意志を奮い立たせよ。

無理にでも嘲笑え。

 

 

「この程度で音を上げるなんて雑魚過ぎるだろ攻略組…早々に引退した方がいいんじゃねぇの?」

 

 

アキトは、攻略組を馬鹿にする様に笑う。

いや、実際に馬鹿にしている。

攻略組の彼らは、そんなアキトを見て悔しそうに歯噛みする。

 

 

すると、ボスが再びコチラに迫る。

その速度は更に速くなっている。

アキトは、そのボスから背を向けて、逃げる様に走り出す。

向かう先は、彼ら攻略組。

彼らはそのアキトの行為に、怒りより先に焦りが勝ったようだ。

彼らはアキトがボスを連れて来た事で、否応無しに立ち上がった。

 

 

── そうだ、それでいい。

 

 

「ほら来たぞ!死にたくなけりゃあ回避しなっ!」

 

 

アキトは攻略組の間を通り過ぎ、後方まで走る。

攻略組の彼らは、皆盾を持ち、武器を持つ。

その表情に恐怖、焦りはあるものの、諦念は感じられない。

皆が、ボスを倒すべくたその心を一つにしつつあった。

 

 

真正面からボスの触手を受け、側面から攻撃。

隙を見て、弱点へソードスキル。

当初の戦略に戻った。

 

 

「…よし」

 

 

アキトはフッと安堵の息を吐いた。

アキトがここへ来て、やらなければならなかった目的。誓い。

守らなければならない約束。

漸く、その初めの一歩を踏めた気がした。

 

 

「……あ、れ?」

 

 

それと同時に、アキトは腰が抜けたかの様に、地面にへたり込んだ。

今になって、分かりやすく体も声も震えていた。

HPがレッドゾーンのまま、ずっとボスと戦ってきたのだ、それは当然だった。

 

 

「…今に、なってとか…ハハ…」

 

「何座ってるのよ」

 

 

その声のする方へ、アキトは顔を上げた。

そこには、怒ったかの様な表情のアスナが、細剣を持って立っていた。

その隣りにはエギルも立っており、その口元は緩んでいた。

 

 

「お前こそ…さっきまでへばってた癖に…」

 

アキトは、そう言って立ち上がる。

抜けていた力が、一気に引き締まる。

彼女の前では、弱いところは見せられない。

 

 

アキトはボスを見る。

HPはそろそろレッドゾーンに達する。

攻撃のパターンが変わるとしたら、ここしかない。

 

 

「…ん?」

 

アキトの目の前に、突如ウィンドウが開かれた。

何事かと思って見てみると、そこにはアスナからのパーティ申請の表示がされていた。

流石にアキトも少し驚き、アスナの方を見る。

アスナは変わらず無表情で、しかし、何処か柔らかい。

 

 

「…この方が…やりやすいから」

 

「……」

 

 

アキトは、そんなアスナを見た後、再びウィンドウを見る。

«Asuna»と表示されたその文字を、アキトは見つめていた。

 

 

キリトが愛し、愛された人。

キリトを想い、大切にしてくれた人。

 

 

キリトを失ったその心は、きっととても辛く苦しいものだったに違いない。

いや、今もきっと苦しい筈だ。

彼女がどんな気持ちでボスと対峙していたのかは分からない。

死に急いでいるように見えた彼女の、その行動の意図が分からない。

だから、このパーティ申請に何の意味があるのかは、彼女にしか分からない。

 

 

アキトは、再びボスを見る。

ボスのHPは、遂にその色を黄色から赤に染めた。

ガストレイゲイズは、その悲鳴の様な咆哮を、今まで以上に大きく上げた。

しかし、彼らはもう怯んでいない。

 

 

アキトは、その口元に弧を描いていた。

 

 

 

 

 

「今度は、間違えんなよ閃光」

 

 

アキトはyesと、その申請を承諾するボタンを押した。

 

 

その先に、ただボスだけを見据えて───

 

 




次回、ボス戦決着。

そして、独・自・解・釈!

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