ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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──── “助けて”と、その一言が言えてたら。








Ep.107 眠りの傍で

 

 

 

 

 

 何度も何度も剣を振る。

 悲しみも怒りも弱さも、そこから生まれる劣等感さえも。戦いの邪魔になる負の感情を拭い去るように。剣の錆として振り払うように。

 

 

 金属がぶつかる音がする。

 その度に何かを壊し、何かを傷付け、何かを失う。その全てが例外無く、散った火花のように一瞬にして。まるで夢幻だったかのように。

 

 

 身体は無機物のように動く。

 義務的に、機械的に、能動的に、何も考えない冷たい身体はまさしく機械のように無慈悲に正確に。そこに理論(ロジック)なんてものは無く、だが有していても無に帰するものだった。

 

 

 その黒い瞳はただ闘志を宿し、憧れを映す。

 助けられるだけの存在が曲がりなりにも目指した、独り善がりな、偽善と欺瞞な理想の姿。

 

 

 ─── その全てが、総てが、消え去る。壊れる。

 支えにしてきたものが、頼りにしてきたものが、なくてはならない存在が、全て悉く、一つ残らず拒絶された。積み上げてきたもの全てが、台無しにされる気分は最悪だった。自分の全てを下らないと蔑ろにされる感覚。

 お前の頑張りなんて、努力なんて、気持ちなんて知るか、と。不条理などお構い無しに潰された気分は最悪の極み。

 

 

 「残念だよ。本当に」

 

 

 本当に残念そうに呟き、それでいて此方を憐れむような視線が突き刺さる。未だ退かずに構えた剣の切っ先は震えていて、眼前に立つ者に怖気付いてしまっている事を隠し切れていなかった。それすら誤魔化すように、強がるように睨み付けても尚、結果は変わらない。

 白い髪、白いコート、白い剣。何から何まで正反対なのに顔だけはそっくりな目の前の男は、血色の双眸を細めて、次第に口元に弧を描き始めていた。

 

 

 「もう立たなくていい、全部終わった。周りを見ろ。これがお前が抗った結果、失った全てだ」

 

 

 そう問われて、漸く悟る。もう自身の周りには、武器をその手に立っている者などいなかった事に。いつからか。いや、初めからかもしれない。気が付けば、ふと我に返れば、そこにあったのは屍の山だった。知っている顔、知らない顔、それら全てが乱雑にごみのように散りばめられる転がって。まるで無機物のように潰れて、砕けて、切り取られて。

 どうしてこうなったのだろうかと問い返しても、返ってこない。死屍なる彼らはただそこに伏すのみの存在と化している。故の自問自答による解はたった一つだけ。

 瞳は揺れ、唇は戦慄く。視界が歪む中目の前の白髪の自分は此方を指差して嘲笑った。

 

 

 ─── ああ、そうか。俺が負けたせいか。実力の差ではない。身体的な話ではない。力量差ではない。技の数ではない。弱かったのは、心。奴を許した自身の精神、侵食された自身の脳。ひとえに脆弱な強がりを張り続けた心が敗因だった。

 それでも、敗北したのは紛れもなく偽りもなく虚偽もなく、どうしようもなく自分自身だった。それによって払った代償が、この自身を取り巻く死屍累々。そう思うと、手に持った二本のひび割れた剣がガシャリと大きな音を立てて地に落ちていった。

 

 

 ─── そうか、お前が彼らを殺したのか。

 

 

 初めから知っていた。納得していた。なのにそれを認めたくなくて剣を向けていた。お前のせいだ。お前のせいで、お前が俺をこうさせたのだと剣を向けた。奴を殺せばこれ以上誰も死なないと思う反面、此奴を殺しても死んだ彼らが戻らない事による絶望のせめぎあいの中、奴は告げた。

 

 

 「もうやめろよ。もうお前の守るべきものは何も無い」

 

 

 その一言で身体が硬直する。時間が、空気が止まる。落ちた剣から血だらけの黒いコート、そして何も救えず全てを取り零した自身の両手を見下ろす。周りを見渡せば、最早立っているのは自分だけだった。わなわなと震えるその指先、手のひら、腕、段々と身体全体が刻まれるようにカタカタと。

 何故、と。どうして、と。そう一言でも言えていたのなら。

 

 

 「お前はこれまで自分の身を賭してまで誰かを助け、そしてそうする事を願っていた。考えるより先に身体が動き、見返りなんて求めない。確かにそれは自身から湧き出た感情によってのものだった。だからこそ不思議だった。……でも、理解したよ」

 

 

 剣を突き付けているこの状況を気にする事も無く話し続ける。狂ってると、異常だと言われてもなお、この剣を下げる事はしない。誰かにそう思われても、この願いが間違いなんかではない事を、知っていたから。

 なのに。

 それなのに。

 目を見開いた。口元が震えた。

 これ以上奴に口を開かせてはいけないと、そう本能が語り掛けていた。これより先は、何か核心に触れてしまいそうな予感があった。

 何を言っているんだと、そう瞳で訴えれば最後、目の前の少年は赤い瞳を細め、嗤いながら告げた。

 

 

 

 

 「本当は、願いがあったんだろ?」

 

 

 

 

 ─── ドクン

 

 

 

 

 言葉が、出てこない。ただの一言も。

 まるで身体を乗っ取られたかのように。金縛りにでもあったかのように。

 

 

 「お前には、誰かを助ける事で貰える“見返り”がある。それが欲しかったんだ。物心ついた時から渇望している“それ”の為に誰かを助けてる。考えるより先に身体が動くのも、そうする事で“それ”が手に入れられると無意識に思っているからだ。お前はその“見返り”の為だけに父親の夢を使っていただけ。そうだろ?」

 

 

 その視線に貫かれ、身動きが取れない。理想はあまりにも遠くて。その憧れに手が届く自分を想像出来なくて。現実はあまりにも違い過ぎて。だから諦めたはずなのに、それでもこの世界ならやり直せると思って、自身の欲望の為に他人を利用したと、そう告げられて。

 そんなつもりじゃない。確かにいきなり何もかもが上手くいくだなんて思ってない。だけど少しずつ自分に何か出来て、周りを変えていけるのなら。そう思って。

 

 

 

 

 「お前は誰かを助ける事で、哀れだった自分を慰めたかっただけだ」

 

 

 

 

 違う。お前は間違っている、と心の中では告げられた。俺はただ、誰かの悲しむ顔が見たくなかったから、だからせめて俺の手が届く範囲では、誰にも泣いていて欲しくなかっただけだった。そしてそれは真実だった。それはエゴだと、偽善だと分かっている。

 けれど、それなのに奴の言葉が頭から離れないのは、そんな感情があったからなのだろうか。これが、自分の夢が叶わないなら、せめてその断片だけでもと縋り着いた結果なのだとしたら。その弱い心に付け込まれた未来として、この場に死体が転がっているのだとしたら。

 誰かを助けるなんて烏滸がましい理想を抱いた末に得たものが、何一つ無いのだとしたら。そして、そのせいで逆に何もかもを失ってしまったのなら。

 

 

 

 

 「お前じゃヒーローは無理だよ、逢沢(あいざわ)桐杜(きりと)

 

 

 

 

 ─── 聞こえる、響く。

 今も鳴り止まず次第に大きくなる悲痛な叫び声が。助けて、嫌だ、死にたくないと嘆く多くの命達の声が。

 ─── 見える、感じる。

 次々にその灯火を消されていく人々の姿が。泣き叫び、逃げ惑い、それでも最後には潰えていく数多の人の姿が。

 

 誰が、一体こんな事を。どうして、こんな事に。

 そう問答しながらふと気付くのは、彼らが血を流す瞳の先に、その瞳の中に、自分がいる事。誰もが此方を見ながら後退り、千切れて無くなった足の痛みに構わず這いずる様に怯え、血みどろの傷を抑えて逃げていく。此方を見ながら必死に命乞いをする、身体から切り離された首の数々。

 なんで、俺に。どうして俺に。命だけはと願うのだ。

 

 

 「ぁ……ぁ……」

 

 

 そんなのは、問答するに値しない、聞くまでもない事実だった。気が付けば、いつの間にか手にしていた二本の剣。誰かを守る為にと、そう願って作られたその二振りが、数多の人の血でべっとりと濡れている。それを見て膝から崩れ落ち、周りの屍の中でその剣を見つめ続けた。

 自分がやったのか。いや、俺じゃない。やったのは目の前にいるコイツだ。でも、この結果が俺の独り善がりを続けた末のものなら。

 それなら────

 

 

 

 

 ─── これは、誰の血?

 

 

 

 

 ─── 右で倒れているシリカの。

 

 

 ─── 左で横たわるリズベットの。

 

 

 ─── 虚ろな瞳を見せるリーファの。

 

 

 ─── 腕を切り取られたシノンの。

 

 

 ─── 足を砕かれたフィリアの。

 

 

 ─── 身体を裂かれたストレアの。

 

 

 ─── 後ろで呻き声をあげるクラインの。

 

 

 ─── 四肢をもがれたエギルの。

 

 

 ─── 白い服を真っ赤に染めたユイの。

 

 

 ─── 武器をへし折られた親友(キリト)の。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「─── アキト、君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── 腕の中で息絶えたアスナの、血。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あああああああああぁぁぁぁあぁぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああああぁぁぁあああああああああああああああああああああぁぁぁああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それがお前の、成れの果てさ」

 

 

 

 

 ─── 壊シテ、喰ラエ。

 

 

 

 

 頭の中で何処か楽しそうなそんな一言が、どうしてか聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「アキト君!?アキト君っ!」

 

 「っ……!?」

 

 

 身体を揺さぶられる感覚と共に意識が覚醒する。急に暗闇から明るい空間へと身を投げ出されたような錯覚に陥り、気が付けば自室のベッドの上だった。先程までの気だるさが幾分か軽くなり、恐怖に震えていた身体は荒くなった呼吸を整えようと上下する。殺風景な自室で聞こえるのはそんな汗まみれの少年の呼吸と、焦りで心臓を高鳴らせてしまっていた少女の不規則な呼吸音。

 汗でぐっしょりと濡れた自身の黒シャツの両肩を掴んで揺さぶっていたのは、目の前にいる涙目の少女だった。

 

 

 「……リー、ファ」

 

 「っ……だ、大丈夫……?アキト君……!?」

 

 

 ベッドに膝を付き、アキトの顔を覗き込む彼女の瞳からは涙が伝い、アキトの頬に落ちる。とめどなく流れるその涙が、今も彼女の頬を濡らしていた。

 呼吸が一定になりつつあるアキトは、そんなリーファを見上げた後に周りを見やる。窓の外はまだ暗く、先程とそんなに変わらない時刻である事が伺えた。変わっているのは汗まみれの服と、くしゃくしゃになって泣く親友の妹の姿。

 身を起こすと、リーファもその場から退く。ベッドの上でへたり込んだ彼女は、袖で止まらぬ涙を拭っていた。状況が分からずにいたアキトは、躊躇ったが、泣いているリーファに事情の説明を聞こうとその名を呼んだ。

 

 

 「……リーファ、俺……」

 

 「アキトくん、凄く魘されてたんだよ……っ、凄く苦しんでて、叫んでて……っ、な、なのに、全然、目を覚まして、くれないし……アスナさん呼ぼうとしたけどっ……もし、戻ってきた時に……っ、何かあったらって、思ったら……!」

 

 

 嗚咽混じりで話す度にポロポロと涙が零れる。自分では制御出来ないようで、拭っても拭ってもまた涙が溜まり始めていた。どうやら物凄く心配させてしまったらしく、それなのにアスナ達に助けを求めに行けない状態が続いた結果、彼女は今までに無い程に取り乱していた。以前みんなの前で初めて《二刀流》を解禁したあの時以上の彼女の困惑状態に、眠気も朧気な夢の記憶も吹き飛びそうな程だった。一瞬だけ迷ったが、アキトは自身のシャツの袖をもリーファの頬に近付けて、涙を拭う手伝いを始めた。

 

 

 「り、リーファ、落ち着いて……俺はもう平気だから、そんな泣かないで」

 

 「……ホント?」

 

 「うん。ちょっと汗掻いちゃったけど……リーファが起こしてくれたから」

 

 

 汗まみれの顔では格好付かないなと思いながらも、これ以上心配かけまいと今出来る最高の元気な笑顔を心掛けた。リーファをそれを見て鼻を啜りながらも、取り敢えず涙は収まった様だった。頭に置かれたアキトの手を甘んじて受けながら、リーファはポツポツと気持ちを吐露し始めた。

 

 

 「……思い出しちゃったの。現実での事……お兄ちゃんが寝てる病院のベッドの事……」

 

 「……」

 

 「アキトくん、あんなに苦しそうなのに起きなくて……もしアキトくんがこのまま目覚めなくなっちゃったらって……そう思ったら、いてもたってもいられなくなって……それで……」

 

 

 ────それで泣いてしまったのか。

 彼女にとって先程までのアキトは、現実世界のキリトと──ベッドに横たわって動かない兄と重なって見えたのかもしれない。アキトの中にはキリトも存在している。故にそう思ってしまうのは尚更だった。

 またリーファに辛い思いをさせてしまうところだったのかと、アキトは今、漸く悟った。

 

 

 「本当にゴメン。俺、みんなに迷惑かけてるな……」

 

 「グスッ……」

 

 

 もう何度目か分からない謝罪。最早その在り来りな言葉に価値を見い出せない自分がいた。恐らくこれからも吐き続ける事になり、いずれ信用に足らぬ言葉へと成り下がるかもしれない簡単な一言だった。自分で聞くとまるで誠意の欠片も感じないうえに、どうせまた近い未来に使う事になるだろう予感が既にあったのだ。

 だが今は、ただ目の前の少女を泣かせたくなくて、その為だけに使う言葉だった。

 

 

 「リーファ、俺はゲームクリアするまで絶対に居なくなったりしないよ。それにキリトだっている。知ってる?君の兄貴はSAOの中で一番強いんだ」

 

 「……」

 

 「だから、もう泣かないで。リーファが来てくれたから少し楽になったし。それにいつまでも泣かれたらキリトに怒られる」

 

 「……ふふっ」

 

 

 最後の弱気な発言に、リーファも漸く笑みを浮かべてくれた。目は赤くなっていたがそこに涙はもう無く、彼女は少しばかりいつもの活力を取り戻したように見えた。

 

 

 「うん……ゴメンね。あたし、なんかちょっと泣き虫になっちゃってたみたい。ダメだよね、病気なのはアキト君の方なのに、あたしが慰められちゃった」

 

 「妹を慰めたりワガママを聞いたりするのは兄貴の務めだってキリト言ってたし、俺も一応現実世界では兄貴だし、全然問題無いんじゃないかな」

 

 「ふふ、何それ。……兄妹だから、ワガママを言っても良いの?」

 

 「勿論。ここに来るまでキリトには散々泣かされてるんだし、どんどんワガママ言っちゃいなよ」

 

 

 全部キリトに丸投げの発言。まあ元々リーファがこの世界に来てしまった理由に少なからずキリトも関わっているのは事実だし、泣かせたのも本当なのでバチは当たらない……はず。

 と思ったのだが、リーファの反応が想像と少し違っていた。何だか良い事を聞いた、と言わんばかりの、悪戯を思い付いた子どものような可愛らしい態度でアキトを見つめていた。

 

 

 「ふうん……“妹”は“兄”にワガママ言って良いんだ……そうなんだぁ……」

 

 「……あ、あの……一応付け加えておくと、確かに俺は“兄”でリーファは“妹”だけど、俺達は別に兄妹って訳じゃ……」

 

 「じゃあ、アキトくんはあたしのワガママ聞いてくれないの?」

 

 「へ?あ、いや……まあ、そんなに無茶なお願いじゃなければ……」

 

 「そっか……えへへ、そっかぁ……」

 

 

 心配を掛けた手前Noとも言えずなあなあに答えると、リーファは頬を少しばかり赤くして目を細めて笑みを零した。何だか不味い約束をしてしまったような気がしたが、リーファのその表情を見て何も言えなくなってしまう。

 するとリーファは突如ウインドウを開き、慣れた手つきで操作を開始した。目当ての物を指でタップすると、それは小さな光と共に姿を現した。

 

 

 「じゃあ……アキトくん。これ」

 

 「……これ、《太陽》と《月》のペンダント……」

 

 

 それは、いつの日かリーファと共に赴いたクエストの報酬として手に入れた二つのペンダントだった。かつて名を馳せた彫金師が愛する人の為に太陽と月を象ったペンダントを作り、それぞれが身に付けて愛を誓い合い、そして最後にはとある禁忌によって神に嫌われ、袂を分かたれたという物語を背景に、二人を───兄妹をもう一度合わせてあげたいと願うリーファに応えたくて手伝ったクエスト内のアイテム。彫金師の《太陽のペンダント》は83層に、彼女の身に付けていた《月のペンダント》が85層に落ちていて、それを二つ探して占い師に届けるというのがクエスト内容だったはず。

 当初から何故かこのクエストを受けたがっていたリーファは、半ばアキトを強引に連れて行きクエストを受注した。彼女はすぐさま83層の森へと赴き《太陽のペンダント》を入手、当時は85層の解放を心待ちにし、そして解放した矢先にアキトを連れて《月のペンダント》を手に入れる為に不充分な準備の中ボスと戦闘した。異常な程必死だったリーファにとって、このクエストはただのクエストではなかったのだ。彼女はただ神の手によって引き裂かれた二人を、自分と兄であるキリトと重ねて見ていたのだ。だからこそ、もう一度二人を引き合わせたいと、そう願っていた。

 《月のペンダント》を入手後、リーファの心の叫びを聞いて、半ば喧嘩別れのようになってしまった。故にリーファ一人でクエストを終わらせているものだとばかり思っていたが、どうもそうではないらしい。

 

 

 「……どうして。占い師のところに持って行かなかったの?」

 

 「持って行ったよ。そしたら、フェアリーサークルを作れって言われて」

 

 「……ふぇありぃさあくる?」

 

 

 このクエスト内で初めて耳にする単語に眉を顰める。リーファは小さく頷くと、手元のペンダントを見下ろして立て続けに説明を始めた。

 

 

 「うん。占い師さんが『《太陽のペンダント》があった地へと戻り、草花で円形の舞台を形作り……その周りでそれぞれペンダントを身に付けた男女が踊る。さすれば引き裂かれた二人の想いは再び巡り会い、悠久の時を経て結ばれるであろう……』って言ってて……」

 

 「えっと……つまり、花でサークル?を作れば良いの?」

 

 「そこであたしとアキト君が踊れば良いの」

 

 「へ、あ、俺!?」

 

 

 つまるところ、それぞれ二つのペンダントを付けて花輪の中で踊れば、元々の持ち主である彫金師と彼女の想いは結ばれる、という事だ。そして、このクエストを受けるに当たって丁度二人だったアキトとリーファはその役に適任なのだが、突然名前を出されてアキトは身体を震わせる程に驚いた。リーファは大袈裟に驚くアキトをジト目で見ながら呟いた。

 

 

 「他に誰がいるの?」

 

 「や、でも俺、踊りなんて分からないし……ぼ、盆踊りとかソーラン節とかじゃダメかな……?それだったらなんとなくでいける気がするんだけど……」

 

 「すっごい和風……踊りってそういうんじゃないでしょ。心配しなくても大丈夫、ちゃんとあたしがエスコートしてあげるから!」

 

 「……」

 

 「なんか素敵なクエスト……あたしはこういうクエストの方が、敵を倒すより好きだな」

 

 

 すっかりやる気なリーファは、そのロマンチックなクエスト内容に頬を赤らめてうっとりしている。こういう運命や恋愛的なストーリーが背景としてあるのは珍しいものでもないのだが、年頃の女の子にとっては憧れる部分があるのかもしれない。だがクエスト内容にあった踊りに関して言うなれば、本当に自信が無いアキト。《カーディナル》もソーラン節くらいで許してくれないだろうか。

 などと考えていると、リーファが照れたように下を向き、恥ずかしそうに呟いた。

 

 

 「それに……ワガママ、聞いてくれるんでしょ?」

 

 「っ……分かったよ。早く治すから、そしたらすぐ向かおう」

 

 「うんっ!」

 

 

 リーファは今度こそ満面の笑みを見せてくれた。目元はまだ赤いままだが、もう涙の一雫も残ってはいない。ほんの数分前まで号泣していただけに、アキトも本気で嬉しく思った。彼女に限った話ではないが、やはり誰かの幸せそうに笑った顔はとても綺麗で美しくて、価値のあるものだと実感した。

 話す事も話し終えて区切りが着いた頃、リーファは扉に手を掛けて廊下へと出て行こうとしていた。ドアノブに手を掛けて、そして今も尚手を振っているアキトをチラリと見てから、頬を僅かに染めて告げた。

 

 

 

 

 「じゃあ、もう行くね。ゆっくり休んで、早く元気になってね───“お兄ちゃん”」

 

 

 

 

 ────パタン。

 アキトが反応する前に扉から姿を消したリーファは、部屋の向こう側で足音を立てながら廊下を駆けて行った。アキトは、最後に彼女から放たれた単語を頭の中でグルグルとループさせながら、振っていた手をダラリと落とした。漸くリーファの言葉の意味を認識すると、小さく苦笑した。

 

 

 何故かそう呼ばれるのに懐かしさを感じて(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)()()()()()()本当の(・・・)家族では(・・・・)ないと知って距離を(・・・・・・・・・)()()()()いつも後ろから(・・・・・・・)ついて来て(・・・・・)ニコニコ(・・・・)()()()()()彼女(・・)()懐かれ(・・・)ている(・・・)事実が(・・・)満更(・・)でもなくて(・・・・・)()()()()()()()言った(・・・)()()祖父(・・)()殴ら(・・)れそう(・・・)()()()()()()あたし(・・・)()()()()()()()()()()逃げた(・・・)自分(・・)()庇っ(・・)()()()()()()

 

 

 

(お兄ちゃん、か……スグ(・・)に面と向かってそう呼ばれたのは久しぶりな気がする────っ)

 

 

 

 

 そこまで思い出して(・・・・・)、固まった。

 

 

 

 

 ────それは、俺の記憶じゃない(・・・・・・・・)

 

 

 「っ……!?」

 

 

 ズキリと、また脳内で何かが軋むような音を立てた。咄嗟にこめかみ部分を手のひらで抑えるも、痛みに耐えかね反射的に目を瞑る。至る脈がドクドクと強く血を巡らせ、走る動悸は鳴り止まない。青かった瞳は完全に英雄()色へと染まり、焦点が合わずに揺れ動く。気が付けば、先程まで考えていた事を忘れかけていた。

 

 

(っ……今、俺何考えて……)

 

 

 まるで自分の記憶に無い何かを、記憶の棚から引き出したような気がした。それは自分のものではないはずなのに、その棚の引き出しにしっかりと収まっていて。それでいてそれは自然に零れ落ちた。元々自分が持っていた記憶かのように。

 

 

 「……」

 

 

 ─── もしかしたら、と。そんな気がした。

 何故か、自分にはもう時間が残されていないのではと悟りながらも、最早寒気すら感じなかった。

 段々と朧気になる先程まで見ていた夢の記憶。極薄らと視界の向こうで白い姿をした自分がニヒルに笑う。お前は誰かを傷付ける事になるのだと、そんな予知にも近い予感を残していく。サチと共に逃げ切ったはずの影が、また自身に振りかかろうというのだろうか。

 

 

 

 「……くっ」

 

 

 アキトは、暫く動けずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「私は見たわよ、アンタが罪を犯したのをね」

 

 「待ってリズベット、許してホントに」

 

 

 ベッド近くの椅子に座り細い目でアキトを見据えるリズベットは、口元を手で抑えて嘆かわしいと態とらしく仕草をする。どうやらリズベットはアキトを見舞いに来た際にドアの向こうで先程までのアキトとリーファのやり取りを見ていたらしく、リーファの爆弾発言をこれでもかと引っ張ってくるのだ。

 そう、帰り際にリーファが放ったあの一言を、彼女は耳にしてた。

 

 

 「アキトの周りには女の子がたくさんいるわねえ。しかも親友(キリト)の妹に“お兄ちゃん”呼びさせてるだなんて、どー見ても犯罪よねえ……」

 

 「……というか、見てたんなら全部知ってるでしょ。そんなんじゃないから……それに、今言い返す元気無い……」

 

 「そうなの?まあでも、思ったよりは元気そうで良かったわ。本当は仮病だったりして」

 

 「だったら良かったけどね……まあ、みんなが心配する程大袈裟なものじゃないよ。少し疲れが出ただけで」

 

 

 

 

 ─── また嘘を吐くのか?

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 そう口にした瞬間、脳裏に過ぎるのは夢に出た白い少年。アキトの何度目か分からぬ小さな嘘に、悲しませないように吐いた優しい嘘に、反吐が出ると囁いた。だがそれでも楽しそうに嗤う彼の表情が浮かぶのは、アキトにとって苦痛だった。

 リズベットに悟られぬよう歯軋りしていると、リズベットが一歩、ベッドに近付いて来た。

 

 

 「……なら、だったら早く治しなさいよね。まったく……アンタがそんなんじゃ調子狂うったら……」

 

 「……リズベット」

 

 「仮病とか言ってゴメン……アンタ辛そうなの、こうしてちゃんと見れば分かる事なのに、冗談なんか言って……」

 

 

 いつもからかってくる彼女にしては珍しくしおらしい態度に、アキトは面食らった。俯く彼女の表情は実にらしくなく、これも全て自分が倒れたせいで見る事になってしまった顔だった。

 毎度リズベットのそのふざけたような、それでいて誰かの為に動ける優しくて真面目な彼女が、アキトにとっては大した事の無い日常的な会話の中で出たタイミングの悪い発言一つでここまで縮こまっているのを見て、アキトは目を伏せた。

 彼女がこんな風に接するのも、ひとえに自分のせいであり、彼女が謝る事なんて何一つ無いのに。

 

 

 「……謝る必要なんて全然無いよ。元気づけようとしてくれたんでしょ?それに、リズベットはこうして心配して来てくれたじゃん。感謝こそすれ、怒るような事なんて何も無いよ」

 

 「……ホントに?」

 

 「うん。寧ろ心配掛けてゴメン」

 

 

 そう謝ると、リズベットは漸く自分を取り戻したようだ。いつもアキトに見せる笑顔を、漸く見せてくれたのだった。

 

 

 「……ホントよ、まったく。アンタがいないからみんな元気無いし、攻略だって大変なんだから。治ったら何か奢ってもらうからねっ」

 

 「ははは……分かったよ」

 

 

 じゃあ戻るわね、とリズベットが手をヒラヒラさせながら扉へと向かっていく。これまでシリカ、ストレア、アスナ、ユイ、リーファと、みんな同じようにこちらに背を向けて向こうへと行ってしまう。まるで自分から離れて行ってしまうかのような錯覚に心細さを感じ、次はリズベットの番なのかと思うと自然と腕が伸びてしまう。けれど、結局何も掴めずに空を切る。しかしそれに気付いたのか、リズベットは不意に振り返ってアキトを見下ろしていた。目が合った瞬間、自分が彼女を呼び止めようとしていた事に気付いた。まったく、体調が悪いと心細くなっていけない。けれど、それだけ彼らが大切なのだと自覚する。そんな風に思えたのはみんなのおかげで、目の前にいる彼女も同じだった。

 だからほんの少し、感謝の意味も込めてリズベットに告げる事にした。

 

 

 「来てくれてありがと、“リズ”」

 

 「っ!?」

 

 

 今まで呼ぶ事をしなかった彼女の愛称。親しみを込めたその呼び名を、76層に来たばかりのアキトは意識的に呼ばないようにしていた。もう大切な物など作らないと、そんな気持ちが無意識に何処かにあったから。だから一度呼んでしまえば、認めてしまう事になると思ったから。

 だからこそ、今は大切だと思っているからこそ、こうして呼ぶ事にした。今まで呼び方を変えるタイミングを図りかねていたが、期待通り効果はあったようで、リズベット───リズは一瞬だけ呆けたように固まるも、意味を理解してすぐさま顔を真っ赤に染め上げた。

 目を見開き、わなわなと唇を震わせ、そうしてアキトに向かって慌てて指差し、勢い良く捲し立てた。

 

 

 「い、良い!?今日ばっかりは可愛い女の子に頼られたからって無理しちゃダメよ。外出も禁止、装備いじるのも禁止、ベッドの上で大人しくしてなさい!」

 

 「はいはい」

 

 「そ、それじゃあねっ!」

 

 

 逃げるように扉へと走り、バタン!と大きな音を立てて扉が閉まる。そのまま走り去る音が耳に残る中、リズベットの慌てようを思い返して、アキトは微笑んだ。いつもからかわれている為知らなかったが、こうしてからかうのもまた楽しいかもしれないと、アキトは思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「アキト……」

 

 「フィリア?な、なんでそんなところに……」

 

 

 リズがいなくなってからものの数分後に、扉の隙間から弱々しい声が入り込んできた。ふと身を起こしてそちらを向けば、ほんの僅かな隙間からでも落ち込んだフィリアの様子が見て取れた。扉を小さく開けたかと思えば、躊躇いがちに目を伏せてまた閉じる。けれどアキトが心配なのだろう、再びドアを開け、けど迷惑ではないかと不安になってまた閉める。その繰り返しだった。

 

 

 「……えと、取り敢えず入って来て良いよ?」

 

 「う、うん……」

 

 

 苦笑するアキトに促されて、フィリアは漸く扉から身を出した。ゆっくり扉を閉めると、重い足取りでアキトのベッドに近付いてくる。そのまま付近の椅子に座ると、縮こまって目を伏せた。アキトが、いつもと全然違う彼女の様子に若干の戸惑いを見せていると、フィリアは小さな声で言葉を発したのだった。

 

 

 「……ゴメンね、アキト」

 

 「へ?どうしたの急に」

 

 「だって私、みんなに言われるまでアキトが体調崩してるって気付かなくて……」

 

 「……ああ、そんな事か。俺も今日まで気付かなかったし、フィリアが謝る事なんて無いでしょ……ってこれ、今日何回も言ってるなぁ……」

 

 

 どうやらフィリアは、アキトの様子に気付く事の出来なかった自分を責めているようだった。完全に自己責任だと思っていたアキトにとっては予想外の言葉で、まさか自分の体調が崩れた事に関してフィリアが自分を責めていようとは思わなかった。

 心配は要らないと、謝る事なんて無いと告げるのは今日で何度目だろうか。それでもフィリアは納得せず捲し立てた。

 

 

 「ううん、ダメだよ……だって、あの時だってアキトは……私の事、ちゃんと見ててくれたもん……私は、アキトにあんな事したのに、アキトはアスナと助けに来てくれた……!」

 

 「フィリア……」

 

 「だから、今度は私がアキトを救うよ!全力でアキトのお世話するから!」

 

 「す、救うって……そんな大袈裟な」

 

 「大袈裟なんて事無いよ!アキト倒れたんでしょ?何でも言ってね。アキトが望むなら、私、何だってするから!」

 

 「……」

 

 

 ─── 相手が違えば簡単に誤解するであろう“何でも”という発言に、アキトはフィリアの本気を伺う事が出来た気がした。どうやらあの《ホロウ・エリア》の一件でアキトに想像以上に恩を感じているらしく、更に予想以上に心配されているようだ。

 

 

 「じゃあ、私そろそろ行くけど……また何かあったら呼んでね!私、何処からでも駆け付けるから!」

 

 「あ、ああ、うん……でも、用事がある時まで無理して駆け付ける必要は……」

 

 「絶対!駆け付けるから!」

 

 「あ、はい……」

 

 

 彼女のその勢いにたじろぎながらも首を縦に振る。ここまで親身になって行動してくれるのを見ると逆に悪いと思ってしまう。フィリアを助けたのは完全に自己満足であって、フィリアがそこまで恩を感じる必要なんて無い。難色示すアキトの表情を察したフィリアは、アキトが謝る前に手の平を突き出して、アキトの言葉を遮った。

 

 

 「アキトは気にしなくて良いんだよ。私が好きでやってるんだし。それに、アキトが私にしてくれた事に比べれば、こんなのなんて事ないよ」

 

 「……あのさ、まるで縛られているみたいに聞こえるから言っておくけど、そんなに恩を感じなくても良いんだよ?フィリアと一緒にいたいっていう我儘の為に、俺が勝手にやった事なんだし」

 

 「わ、私と一緒にいたい……!?」

 

 

 それを聞いた瞬間、フィリアの顔が紅潮し、身体をフルフルと震わせ始めた。その一言が彼女の頭を駆け巡り、その後のアキトの話など耳に入って来ない。

 

 

 「だから……フィリア?」

 

 「っ!?な、ナンデモナイヨ!?」

 

 「?」

 

 「じ、じゃあ、私もう行くけど!何かあったら、また、呼んでね!」

 

 

 慌ててくるりと振り返ると、カチコチと壊れかけのロボットの様な歩き方で扉まで向かって行った。もう行ってしまうのかと、リズベットの時のように手を伸ばすが、やがて下ろした。しかし、フィリアはくるりと振り返ると、何かを言おうとしてモジモジと身体を小さく揺らす。

 

 

 「フィリア?」

 

 「あ、アキトの周りには、アスナとかもいるけど……みんなに頼めないような事は私に言ってね!」

 

 

 フィリアはほんの少しだけ、また顔を赤くしてポツリと呟いた。恥ずかしかったのか視線を逸らし、途端に俯く。しかし当のアキトはそんなフィリアの言葉を聞いてポカンと口を開ける。

 ─── それってどんな事ですか。

 考えようによっては、彼女の言葉はそれなりにいかがわしい表現に聞こえたかもしれないが、フィリアに対して下心の欠片も無い純粋無垢な少年アキトは、彼女の発言をそのまま受け取り真剣に考え込んでしまっていた。

 

 

 「そんな用事があるかはちょっと分かんないけど……分かったよ。何か頼み事があったらフィリアにメールする」

 

 「絶対ね!絶対だよ!それじゃあ、お休み!」

 

 

 アキトの応えに満足したのか、フィリアは笑顔で小さく手を振りながら扉の向こうへ消えていった。軽い足取りが壁の向こうから聞こえており、やがてそれは静寂のなっていく。再び賑やかだった部屋が冷たく無機質な空間へと変化しつつあった場所を、アキトはぼうっと眺めた。

 シリカ、ストレア、アスナ、ユイ、リーファ、リズベット、フィリアの順でお見舞いに来ては、帰って行って。その度に部屋が賑やかになっては静かになる。今日一日で何度も体験したこの感覚は、出会いと別れの繰り返しを、人生という大きな概念染みたものを感じた。この孤独感が、一人の惨めさが、現実世界と同化し連想させる。

 

 

 「……」

 

 

 現実世界では何度も出会いを繰り返したのに、結果出会いの数より別れの数の方が多かった気がする。何度も友達を欲し、手に入れたはずなのに全て零れ落ちた。両親ももうおらず、結局天涯孤独の身。

 そうして独りで塞ぎ込んで、閉じこもって。他人なんて要らないと、独りで良いと本気で思っていた。周りとの繋がりを断絶していたあの頃は、ゲームをしている時だけが楽しかった。

 それでも父の夢を思い出した時には、もう遅かった。

 それに気付き、急いで顔を上げて、そして悟った。自分が属する場所は、欲しかったはずの居場所が、もう現実世界の何処にも無いのだと。周りは肩を寄せあって笑ったり、泣いたり、そうして巫山戯合ったりして。

 愕然とした。全て理解したのだ。

 自分が努力を諦めた事で、理想を捨てた事で何を失ったのか。いや、もしかしたら手に入れられたかもしれない何かを自ら捨ててしまったのか、それを初めて思い知ったのだ。

 自分が間違っていたのだ、と。

 

 恐怖にも等しい孤独感を味わいながら過ごす日々の中で、別の世界なら変われるかもしれないと手にしたナーヴギア。それは正しく現実逃避だと自嘲気味に笑いながら、結局現実世界を諦めた哀れな道化。それが、あの頃の自分だった。

 

 

 

 

 ─── お前じゃヒーローは無理だよ、逢沢(あいざわ)桐杜(きりと)

 

 

 

 

 夢の中で囁かれた一言が再び胸に去来する。あの時、否定の言葉を一つも吐けなかったのは、そんな後ろめたさがあったからなのかもしれない。あながち、奴の言っていた事もある意味正しかったのかもしれない。

 

 

 

 

 ─── “欲しいもの”があったんだろ?

 

 

 

 

(くそ……)

 

 

 

 理想は遠く、現実はいつだって非情。

 自分はきっとヒーローの器なんかじゃないのだと、孤独感に苛まれながら心の中で告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 視界が暗闇に包まれる中、意識だけが僅かに覚醒する。初めに感じたのは体調の著しい変化だった。閉じている重い目蓋、ズキズキと痛む頭、重苦しかった身体の具合、その全てが良好な状態に戻り、体調不良は完全に消え去っているのが瞬間的に分かる。あれだけ苦しかったのが嘘のようで、開けるのすら億劫だった目蓋がゆっくりと開いた。

 瞬間、窓から差し込む陽光が視界を覆い、慌てて目を細める。小さく呻きながら目元を擦り、猫のように蹲っていた身体が段々と伸びていく。

 

 

(……俺、いつの間に寝てたんだな……)

 

 

 スッキリとした気分とは裏腹に、まだ眠気が抜け切ってないのか、ほんの少しだけうつらうつらと瞬きをした。お見舞いに人が来る度に寝て起きての繰り返しで、しかも悪夢に魘されたとあってまともに睡眠を取れていなかった分、逆に長く寝過ぎた事でまだ眠気が抜けておらず、なんならこのまま身を睡魔に委ねて再び眠る事も出来る気がした。

 

 

 「……あ、気が付いた?」

 

 

 ─── しかしそれは、透き通るような声によって遮られた。それは静寂を裂くと同時に、それでいて心地好く耳に入る声色だった。アキトはピクリと身体を震わせ、再び目蓋を起こした。

 視界に映ったのは自分が寝ているベッドの端。そのすぐ傍にある木組みの椅子に、本を携えて座る短めの髪の少女。細い指先で本の紙を捲るその音は、久しく聞く事の無かった、現実世界での懐かしい記憶を呼び覚ましてくれる音だった。そして、その音を奏でていたのは。

 

 

 「……シノン」

 

 「おはよう、アキト。まあ、随分な寝坊だけど」

 

 

 本から視線を外し、アキトを見て苦笑しながらシノンは挨拶をした。アキトは椅子に座る彼女をぼうっと見て、それから身を起こす事も無く横になった体勢のまま呟いた。

 

 

 「……今、何時?」

 

 「午後三時。アンタ、ほぼ半日以上寝てたのよ」

 

 

 それを聞いて、アキトは漸くしっかりと目を開けた。だが、連日の攻略や昨日の苦痛で疲労が溜まっていた為か、すぐに身体が起き上がらない。しかし、無理矢理身体を起こそうと手に力を入れようとすると、シノンがそれを静止した。

 

 

 「無理しないで良いわよ。そのままで」

 

 「……でも」

 

 「でもじゃない。ずっと寝てたんだし、すぐに起きるって方が無理な話だわ」

 

 「……ゴメン」

 

 「……うん」

 

 

 アキトのその謝罪は、何に対して告げたものだったのだろう。言葉にしたアキトも、聞き入れたシノンも、互いにそれを考えていた。

 シノンにとって、アキトが倒れたという事実は、言葉以上の意味を持っていた。周りは日頃の疲労蓄積が原因だと判断する中、シノンだけは他の可能性をも考えしまっていたからだ。忘れもしない、アキトがホロウリーパーを倒して帰ってきたあの日の夜。アキトは壊れてしまうのではと思わせる程の頭痛に苦しめられていた。段々と限界染みたものがアキトの身体から見え隠れしていた事を、今回の件でシノンは思い出し、改めて痛感してしまったのだ。彼が今、どういった状態なのかを。

 だけど、アスナ達に話す事は止められているうえ、この世界の知識に乏しい自分ではどうする事も出来ない。いっそ喋ってしまいたいと思った。だけど、アキトの意志を想うと何も出来なくて。こうして、ほぼ一日苦しんでベッドに横になっていたというのに、シノンはアキトに対して何も聞けずにいた。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 アキトもアキトで、何も聞いて来ないシノンに有り難さを感じると同時に、申し訳なさを感じた。自分でも今どういう状態なのか分かっていないのに、それを口にして心配を掛けてしまったらと思うと憚られた。言った手前、解決しない可能性だってあるのに。

 そんな中、彼女の手元の本を見てアキトは思考はシフトした。彼女がそれを持っているその本は、暇を潰す為の物だと仮定して。

 

 

 「……ずっと、居てくれたの?」

 

 「そ、そんな訳無いじゃない。アスナ達と交代で傍に居ようって話になったの」

 

 

 アキトの様子を見ている間、暇を潰す為の物として本を用意したのだろうという考えはどうやら当たっていたようだ。だが、どうやら自分はフィリアが来て以降ずっと寝ていたようで、その間みんなが交代で看てくれていたらしい。

 

 

 「ほら、病気の時って起きた時に一人だと寂しいでしょ。それで、今は私の番ってだけよ」

 

 「……そう、なんだ。……ありがと」

 

 

 心做しか少し慌てているように見えるシノンだが、彼女の言葉にはとても共感出来る為、納得して頷いた。

 ────ちなみに、交代の時間はアキトが起きるとっくの昔に過ぎているのだが、彼には内緒である。自分の番で目が覚めてくれないかなと少しばかり期待したシノンの小さな我儘だった。

 疲労と寝起きで弱々しいアキトの感謝の言葉。シノンはぎこちなく目を逸らすと、本をパタリと閉じて少しばかり勢い良く立ち上がった。

 

 

 「……ど、ういたしまして。でも、起きたなら、もう良いわね」

 

 「ぁ……」

 

 

 焦っているのか慌てているのか、シノンはそのままアキトに見向きもせずに身体の向きを反転させた。そのまま例に漏れず見舞いに来てくれたみんなの様に扉へと向かうだろう。

 その後ろ姿を見たアキトは、リズやフィリアの時と同じように、その腕を伸ばした。自然に、流れるように。殆ど無意識に挙げたその腕は、真っ直ぐシノンの右手を掴んだ。

 

 

 「ひゃっ……あ、アキト……?どうかした……?」

 

 

 急に手を握られたシノンは、驚きのあまりに声が裏返る。アキトは、自らが伸ばし、繋いだその手をジッと見つめた。

 リズの時は、我に返ってその手を下ろしてしまった。フィリアの時は伸ばしても届かなかった。何度も繰り返し見てきた大切な人達の後ろ姿は、知らず知らずの内にアキトに恐怖にも似た孤独を感じさせた。

 けれど、最後に。

 漸く誰かの手を掴む事が出来て。

 零れていくだけの手に、何も無かった自分の手に収められた。

 

 

 

 

 ────漸く握られた、繋がれた、誰かの手。

 

 

 

 

 「……まだ、行かないで」

 

 「……え」

 

 「傍に居て」

 

 「……っ!?……な、なっ……!?」

 

 

 寝起きで思考が回らないアキトの、子どもの様な我儘。駄々にも似たその幼い雰囲気を漂わせた可愛らしさに、普段と違うギャップを見せられて、シノンは顔を赤くして口元を震わせた。何が起こっているのか、何を言っていいのかが定まらず、アキトのとろんとした艶かしい笑みに、シノンは思わず叫ぶ。

 

 

 「あ、あ、アンタ……何言って……!」

 

 「……だめ?」

 

 「っ〜〜〜!!!」

 

 

 ─── 何これ誰これ何なのこの小動物みたいな生き物!?

 シノンは今までに無いアキトの態度に、そのクールな表情を崩された。幼児退行したのではと思う程の態度の豹変に悶え死にしそうになる自分をどうにか抑え、漸く自分を取り戻した。

 小さく溜め息を吐き、ベッド近くの床に膝を立てて座り込むと、アキトと同じ目線に立って朗らかに笑った。

 

 

 「……分かったわ。アキトの気が済むまで傍に居るから」

 

 「……ん」

 

 

 アキトに掴まれた手を、自分から優しく握り返したシノン。アキトはその返答に満足したのか、再びウトウトと目蓋を下ろし始めていた。今の今まで寝ていたはずなのに、まったく仕方の無い奴だと、シノンはクスリと笑った。繋がれたその手を見て、確かに鼓動を早くしながらその寝顔を見つめる。

 誰かの為に必死になって、命を懸けて戦う彼の素顔はこうして見るとただの少年で。もしかしたらほぼ同じ年齢なのではないかと思う事もある。そんな彼は、少年であるが故に、やはりどこまで行っても年相応なのではないのだろうかと、そう不安になるのだ。

 我慢してたり、抱え切れない何かを、誰にも相談せずに押さえ込んでいるのではないのだろうか。アキトはまだ子ども、だからこそみんなの為に戦う強さと優しさを持つ反面、年相応の弱さが何処かにあるのではないかと、シノンは考えてしまうのだ。

 だって、彼はずっと一人で戦ってきたのだから。

 

 

 

 

 「……アキト」

 

 

 

 

 ─── 貴方は、アキトのままよね?

 

 

 

 

 そんな問いに応えてくれる人はおらず。

 シノンはそっと、アキトの額に自身の額を当てるのだった。

 

 

 

 






シノン 「……熱は無いわね」

アキト 「……シノン、近い」

シノン 「!?な、あ、アンタ起きて……!」

アキト 「……あー、えと、ゲームなんだし熱は無いと思うよ?」

シノン 「っ〜〜〜!!!」//////


※この後めちゃくちゃ叩かれた





《その後》


クライン 「おうおうおう!随分と重役出勤だなぁおい!」

エギル 「おうアキト。もう大丈夫なのか?」

アキト 「うん、平気だよ。心配掛けてゴメンね。明日からまた頑張るから」

エギル 「結局何が原因だったんだろうな」

クライン 「ま、少しは休息を取れっていう神様のお告げだったんじゃないのか?」

アキト 「……そう、かもね。気を付けるよ。またみんなに心配掛けたくないしね」

クライン 「へっ、そうかいそうかい。まったく、お前は幸せ者だよ!」


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