ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

115 / 156



ただ必死に抗った。考えるのは、いつも二の次。


Ep.110 鬼眼の殺戮者

 

 

 

 「『──── 戦闘、開始!』」

 

 開かれた巨大な鉄扉の先の空間へと、一気に集団が押し寄せる。雄叫びを上げながら、武器を掲げながら、緊張と恐怖を誤魔化すように。どれだけ自身を熱く昂らせようとも、冷たい空間から醸し出される独特の死の予感は、いつまで経っても慣れやしない。

 完全に開き切った扉の中へとアキトとアスナが先行すると、それに続く様に全員が走り出し、やがて円形の広い空間が視界を覆う。四十数人がその部屋へ走り込み、陣形を整え立ち止まった瞬間、背後の扉が轟音を立てて閉じ始める。それを歯軋りしながら眺める者も少なくない。最早、逃げの選択など有り得ない。ボスかこちらが死ぬまでは決して開かない壁へとその姿を変えたのだ。

 いつまでも未練たらしく見る訳にもいかず、誰もが気を取り直す。各々が自分に合った武器を手に構え、いつ何が起きようと対処出来るよう構えを作る。それぞれ形は違えど、張り詰めた緊張感と研ぎ澄ませた集中力を全員から感じる。

 

 「────」

 

 未だ部屋は薄暗い。まるで黒い霧に覆われたかのように靄がかかり、すぐ近くにいるプレイヤーの顔を確認するのがやっとだった。そのまま何も起こらず数秒の沈黙が続く。

 しかし、何も起こらない。ただただ広い空間で付かず離れずの距離を保ったままの陣形で辺りを見渡す。それでも武器は下げない。構えは崩さない。一瞬の気の緩みが命取りだ。だがこうして何も見えない闇色の景色に同化し、やがて消えてしまうのでは無いかと思わせる程の恐怖と、ボスが現れない不信感が限界まで張り詰めた神経を焦らすかのよう。

 いつ迫るがも分からぬ死の恐怖。未だ警戒態勢が解けない現状に耐え切れなくなる者も現れてしまうだろうと感じる程に長く感じる静寂。一秒、また一秒と経つに連れてそれは募っていく。

 

 

 「ねえ────」

 

 

 すぐ近くで、痺れを切らしたリズベットがそう口を開いた、その時。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 アキトは全身が総毛立つ程の気配を肌で感じた。身体の細胞、神経、血が危険を知らせるかの如く騒ぎ立て、アキトはその目を見開く。ビリビリと痺れる感覚が本能的に危険を察知した。

 感じたのは異彩を放つその気配。そして、その正体と居場所────

 

 「リズ────!」

 

 アキトはすぐさま床を蹴り飛ばし、リズの元まで一瞬で飛ぶ。そして彼女の目の前で立ち止まると、その二本の剣を交差に構えて頭上に抱えた。

 瞬間────

 

 「ぐっ……!」

 

 「きゃあっ!」

 

 耳を劈く程の巨大な金属音、剣と剣がぶつかり合う甲高い音が空間に響き渡った。誰もが身体を震わせ、動揺にも似た声を漏らす。薄暗い部屋の中で、誰かが襲われているのだと理解するのにそれほどの時間は掛からない。

 アキトは、両手にかかるかつてない程の質量に押し潰されそうになりながら、苦しげな表情で手元を見上げた。

 ────そこにあったのは、巨大な剣。血のように赤く、茨のように刃が細かく枝分かれしている。その部分がアキトの二本の剣を交点を引っ掛け、軋むような音と共にアキトに迫る。

 

 

 「……!?」

 

 

 瞬間、それまで周りを漂っていた黒い靄が嘘のように霧散し始めた。薄暗くて何も見えなかった世界が、次第に光を取り戻し、やがてその空間の全てを曝け出す。

 明かりを取り戻したボス部屋の中を、一同は見渡す。暗闇の中で何か得体の知れないものが動いていた恐怖から解放されて安堵する暇も無く、彼らは戦慄した。部屋の中央で、見上げる程の巨体が何の前触れも無く突然に現れていたからだ。音も影も気配すら、アキト以外はその姿を見るまで感じ取れなかった為に、いつの間に存在を見せたその敵に、驚愕のあまり声すら出せない。

 

 ────誰もが、その姿に息を呑む。

 

 その四、五メートルはある巨躯は、岩石の様に盛り上がった筋肉を纏っていた。肌は大剣動揺赤黒く、まるで血飛沫を身体全体に浴びたかのようだ。

 そして二の腕と脛の部分の皮膚は硬質化し、武士の鎧の如き防御力を彷彿とさせる。肩も同様で、左右からは亀裂の入った火山岩のような突起が伸びている。

 分厚い真紅の肉鎧の上には、獣のような鋭い牙を並べる鹿に似た頭が乗っかっており、兜のような長い角が両端から開けて伸び切って反り立ち、眼の奥は炎のような揺らめきと輝きを見せ、狩りの対象であるこの場の凡そ四十数人を逃さない。

 どす黒く赤いオーラを身体に纏わせたそれは、小さく喉を鳴らして周りを睨み付けていた。

 

 

 No.95 “The Genocide Eyes(ザ・ジェノサイドアイズ)

 

 

 直訳して『虐殺の眼』。それが95層のボスモンスターの掲げる定冠詞だった。その名に相応しい眼を宿しており、睨み付けられてしまえば恐怖で動けなくなってしまいそうな程の迫力。

 そして、中でもアスナとクラインはその風貌をマジマジと見上げる。ボスのその姿形、手にする武器の種類、迫力、そしてボスの名前。どれを取っても思い出すのは、かつての戦場の風景。

 そう、キリトが《二刀流》スキルを解禁して単独で撃破した74層のボス《The Gleam Eyes(ザ・グリームアイズ)》だ。あれから二十層も上のボス部屋で、その上位互換であろう奴が今目の前に立ち、アスナ達は僅かに身体を震わせた。

 74層のボスが『青眼の悪魔』なら、目の前の奴はさしずめ『鬼眼の殺戮者』だ。

 

 「っ……アキト君!」

 

 そうして、奴が振り下ろした剣の真下で、いつの間にか競り合いになっているアキトを見て誰もが目を見開いた。誰も動けなかったあの中でただ一人、ボスの介入をいち早く察してリズベットを庇ったアキトだが、それでもどうにかこの体勢を維持するので精一杯。

 アスナが自身を呼ぶ声がしたのと同時に、アキトは一瞬だけ背後のリズベットに視線を送り、その名を叫んだ。

 

 「リズ!」

 

 「了解!────せりゃあああっ!!」

 

 途端、背中から熱を感じる。

 弾けるような閃光と共に放たれたのは片手棍単発技《サイレント・ブロウ》。アキトが受け止めていた巨剣をリズベットの一撃で弾き飛ばしたのだ。

 軽くなった身体を靱やかに動かし、ボスの足元目掛けて一気に加速する。アスナと一瞬の視線の交錯、頷き合った時には既にその剣を構えていた。衝撃でボスが怯む僅かな空白の時間に手に入る情報の全てを分析と予測にかける。

 アキトは一瞬だけ瞳を閉じる。大分予定と違ってはいたが、やる事は変わらない。まずアキト自身のファーストアタックから絞り出せるだけのパターンを読み取り、円滑に攻略を開始する。そして、今の彼にはそれを為せる力があった。

 

 

 システム外スキル :《未来予知(プリディクション)

 

 

 「────起動(セット)

 

 

 口にした途端、脳裏でスイッチがカチリと切り替わる音がした。

 ソードスキル《バーチカル・スクエア》を、奴のヘイト値を上げる為の布石として放つ。初撃は脛、奴の脛は硬質化しており甲冑の脛当のような形状をしている為にダメージの期待値は低い。ぶつかり響く鈍い音と火花からは有効打では無い事を悟る。返す形の二撃目で硬質化の範囲外である膝裏を斬り裂く。結果、肉質の柔らかさと先程以上の手応えを感じた。この時点で、硬質化した皮膚と肉質の柔らかい部位で通るダメージの違い、そして『斬る』攻撃が有効である事が知れた。

 既に回復したボスの剣が轟音と共に振り下ろされる。咄嗟に目を見開き、最小限の動きと僅かなステップのみで躱して、そのまま流れるように残りの二連撃を奴の膝裏にぶつけた。再びボスが剣を構える。捉えるは当然の如く黒の剣士。誰もが見上げるその巨大質量は動く度に地響きと旋風を巻き起こし、目の前の少年の髪とコートを靡かせる。その前髪から覗く黒い瞳はただボスの姿を捉えて、あらゆる動きの予備動作、機微すら見逃さない程の集中力を感じさせる。

 その洗練された動きからは、天才的な強者のそれではなく、努力によって培われた技術的なセンスを感じる。凡そ《二刀流》というスキル無しで単独でボスの情報を割り出している事実に、アスナ達含め攻略組全体が呆気に取られていた。

 

 「────!」

 

 連携(コネクト)・《ヴォーパルストライク》

 

 振り下ろされた剣を見上げる暇もなく、スキルの突進力で一気に攻撃範囲外を離脱する事で回避する。分析時間が短い為にまだ情報把握に粗があるが、それで思考を途切らせたりはしない。足でブレーキを掛けてすぐさま反転し、ボスを再び視界に捉えた。

 

 連携(コネクト)・《レイジスパイク》

 

 攻撃と攻撃の合間の僅か隙間、そこでタイミング良く攻撃を仕掛ける事の出来る予測と敏捷性。誰もが舌を巻くその御業だが、アキトは構わずその剣を突き刺した。先程同様に膝裏に突き立て、HPバーを目視する。《バーチカル・スクエア》との一撃のダメージ差を見て、先程よりもダメージの入りが悪いのに気付く。アキトはすぐさまその場を離脱する。これで『突く』攻撃よりも『斬る』攻撃が最適と理解し、その情報を元に再び予測を立てる。

 柄を持ち替え、刺突した部分をそのまま抉るように斬り払う。すぐさま次の行動に移行。ボスの呻き声さえも耳に入らない。

 

(いける────)

 

 間断無く動く目の前のオブジェクト、目まぐるしく働く脳細胞。なのに何故か段々と研ぎ澄まされていく集中力と感覚。かってない程の高性能な処理を脳が実行し続け、その都度最適解を導き出していく実感。培われた経験による直感と本能、データに基く理論的思考が頭の中を駆け回る。

 ────アキトは今、珍しく調子が上がっていた。瞳が、鼻が、耳が、肌が。それぞれが伝え訴えてくる、生きる為の、勝つ為のあらゆる情報。僅かなものでさえもがアキトの身体の中に入り、その御業たるスキルが深化していく事への高揚。

 決して驕りでは無かったが、結局勝つしか選択肢など与えられていないのだから。

 

 「突撃ィ!」

 

 「……っ」

 

 その声で、深化した意識が霧散し、我に変えるような感覚に陥った。背後から《血盟騎士団》の壁役(タンク)部隊が甲冑を軋ませながら走行してくるのを感じる。チラリとアスナを見れば、どうやら彼女が指示したらしい。作戦として課せられていたアキトの初撃はここまでのようだ。次第に近くなる息遣いと声音の塊を他所に、再び自身に向けられた大剣をソードスキルでかち上げた。

 

 「スイッチ!」

 

 「了解した!壁役(タンク)部隊、前へ!」

 

 入れ替わりになるように、身体の左右から強固な紅白の鎧と盾で身を守るKoBのプレイヤー達がボス前と突撃していく。アキトはボスの視線が前衛軍へと下ろされるのを確認し、アスナ達の元へと駆けて行く。すると、すぐ横から影が近付いてきた。

 

 「アキト凄〜い!」

 

 「あ、ありがとう」

 

 「ホント、普段と戦ってる時とのこのギャップはなんなのかしらね……」

 

 称賛するストレアと冷やかすリズベットに挟まれながら苦笑していると、アスナとシノン、クラインが眼前に待ち構えているのが見える。他のメンバーは前衛の壁役のサポート、ダメージディーラーを努めているようだ。アスナが心配そうにこちらを見つめるが、大丈夫だと笑ってみせた。

 

 「アキト……お前ぇいつもより動き冴えてね?」

 

 「そう、かな……いや、そうかも」

 

 訝しげに目を細めるクラインに曖昧ながら返答する。気の所為かとも思ったが、やはり調子が良いような気がした。油断大敵なのは百も承知だが、この感覚は事実だった。アキトは一先ず気持ちを切り替え、ボスを一瞥してからアスナに告げる。

 

 「アスナ、みんなも。今から俺の言う事をみんなに伝えて」

 

 「分かった」

 

 部屋の中央でけたたましく咆哮が鳴り響く。壁役のプレイヤー達に向かう巨大な剣にはありったけの力が込められ、一般のプレイヤーならば意図も容易く吹き飛ばされてしまう確信があった。

 彼らが稼いでくれる時間を無駄にしない為にも、今予想出来る奴の攻撃パターンを簡潔に説明する。奴の篭手と脛は見た目通り硬い為それ以外の場所を狙う事。『斬る』事に特化した武器を中心に攻める事。両手剣のソードスキルを使用する可能性がある為範囲技に気を付ける事など。伝えた情報の中で、奴はまだソードスキルを放ってはいないが、武器を持つ人型ボスが95層にもなって使用しない可能性の方が低かった。ましてや上位互換ともなれば、多少攻撃のバリエーションは増えてもパターンが全く違う事などほぼ無い。《カーディナル》が作成したモンスターの中でも、細かな調整は人間が行っているはず。その際、プログラミングの段階で同種のモンスターの攻撃仕様を全く違うものにするのは手間だ。故にある程度の予測は立てられる。

 アスナ達とある程度情報の交換が出来たタイミングで、獣が再び雄叫びを上げる。暗闇の中でも鋭く光るであろうその双眸が足元の部隊を見下ろし、その茨染みた剣を掲げた。

 

 「やっぱソードスキルありか!」

 

 「衝撃に備えろ!」

 

 盾持ちの壁役はそのまま防御姿勢を保ち、一定の距離があった者達はすぐさま後退する。放たれたのは二連撃範囲技《ブラスト》だ。武器の遠心力で二回転し、周りを一蹴する剣技。振り抜かれた大剣からは旋風が巻き起こる程で、盾にぶつかり火花を散らす者達は軒並み体勢を仰け反らせていた。流石の高威力、だがここまで来たトッププレイヤー達の防御力だけある。壁役として割り振ったステータスと防御姿勢によってHPが危険域に突入するものはいなかった。

 アスナはすぐさまPOTローテ及びスイッチの指示を出す。それより先にボスが動き、それより先にアキトが動く。

 

 「せあっ!」

 

 二刀流突進技《ダブル・サーキュラー》

 

 回転しながら突進し、一瞬でボスの視界から外れる。奴の意識を置き去りにするように、両足を斬り付ける。前衛部隊から気を逸らす為の一撃だったが想像よりも浅く、ボスのヘイトがこちらに向かない。アキトは僅かに舌打ちをするが、間髪入れずにストレアが脇から飛び出した。

 

 「おりゃあっ!」

 

 両手剣上段技《アバランシュ》。自身の突進力によって威力を上げるその単発技は、奴の硬質化した脛の装甲を深く抉る。HPバーが分かりやすく減少し、殺戮者たる獣は振り上げた剣を中途半端な高さで止め、ストレアへと視線を向ける。すると威嚇からか牽制からか、再び轟く咆哮を放ち、空気をビリビリと震わせる。ヘイトの中心たるストレアは臆する事無く得物を構え、奴を迎え撃つ体勢になっていた。

 一瞬の逡巡、しかし隙を逃さぬように前衛は回復の為に離脱する。思考して行動する速さは流石攻略組だ。75層でスカルリーパーを目の前にして恐怖で動けなくなったあの日より格段に成長していた。

 彼らと入れ替わるように、次々の他のメンバー達が前に出る。シリカやリズ、リーファ、フィリア、クライン、エギル。見知った面々が集い、アキトは更に気を引き締め、目を凝らす。眼前に聳え立つ奴の一挙手一投足から生み出す僅かな筋肉の機微までもが零し見落とす事を許さない。

 

 「────!」

 

 後方からシノンの矢が放たれる音がする。エメラルドグリーンの輝線を描くその矢はブレる事無くボスの顔に直撃し、ストレアを狙おうとしていた奴の視界を阻害した。同時に飛び出し、一瞬で足元へ。互いを邪魔しないよう目配せし、統率された動きで武器を構える。系統は違えど攻撃力は言わずがもがな、ジェットエンジンにも似たサウンドと共に各々剣技を展開し始めた。様々なエフェクトが色鮮やかに飛び散り目を奪われる。その様子は壮観で、後退していた前衛も回復を終えそれを眺めていた。

 

 「!みんな、下がって!」

 

 打ち込んでいたソードスキルを切り上げ、ストレアがワンテンポ早く告げる。畳かけようとしていた一同の動きがピタリと止まり、一瞬ばかり考えた後すぐさま後退した。瞬間、辺りの空気を旋風が巻き上げる。ボスが先程まで射程内にいたアキト達に向かってソードスキルを放ったのだ。ストレアの掛け声が無ければ何人かは被害を受けていただろう。さっきまで立っていたその場所は火花が散り、錆が焼けたような匂いが媚り付く。

 振り切った巨剣を担いだ奴の視界が最初に捉えたのは、シリカ。間一髪で回避していた彼女は、その場で足を縺れさせていた。

 

 「っ、ひゃあ!」

 

 「シリカ────っ!」

 

 迫って来たのは、赤黒い拳。空いた左手を握り締めて飛ばした一撃は、またも俊敏な反応を見せたストレアが平の刀身を押し上げる形で防御姿勢を取った。流石の一言だが、比較的軽量である彼女の身体は徐々に地面へと押し潰され始めていた。

 瞬時にアキトが放ったのは上段の片手剣突進技───《ソニックリープ》。黄緑色の光の帯を引きながら繰り出されたそれは、空中で放った事で奴の闘牛染みた顔にクリーンヒットした。弾き出されたように仰け反った奴の隙を突くかの如く、回復に転じていた壁役前衛達が再びアキト達と入れ替わるようにボスへと行進していくのを確認し、アキトはストレアとシリカへと駆け寄った。

 

 「シリカ、ストレア」

 

 「あ、あたしは大丈夫です。ストレアさんが守ってくれて……ありがとうございます」

 

 「へへーん。言ったでしょ、アタシが守るって!」

 

 「ストレア……ホントに頼もしいね」

 

 ボスと対面していた際は苦しげにしていた表情も嘘のように晴れやかなものへと変わっている。基本笑顔を絶やす事の無いストレアは本当に有難かった。シリカだけでなくボスの予備動作、僅かな機微にも反応して周りをフォローする速度も、ソロプレイヤーとは思えない気遣いともいえる。戦いやすいの一言だった。

 

 「次、来るわよ!」

 

 リズの声と同時に獣の咆哮が響き渡る。アキトのファーストアタック。前衛の牽制攻撃からストレアの両手剣による攻撃、転じた隙でのソードスキル総攻撃で予想以上のダメージを与えられている。それによって奴のアルゴリズムも変化し始める頃合いだ。張り付くような緊張感は未だ鎮まらず、唸るような獣の眼光に誰もが一瞬怯んだ。

 流れるように剣を構える様は、プレイヤーと変わらない。獣でありながら人の技を手に入れた奴は、獰猛さだけでなく知性すら見せている気がした。

 

 両手剣突進技《テンペスト》

 

 ダン!と力強い踏み込みが地面を揺らし、誰もがたたらを踏む。予想外の動きに近くにいたプレイヤー達の身体はぐらつき、防御姿勢をとっていた何人かの体勢も簡単に崩れた。

 それを待っていたかのように、溜めに溜めたその巨大な剣を一気に押し出した。剣を突き出しながら走るその様はまさに闘牛。直線上にいた前衛プレイヤー及び、周りにいたプレイヤー達も風圧で吹き飛ばしていく。

 

 「チィ……!」

 

 「なろっ……!」

 

 真っ先に行動に移ったのは、奴の直線上にいたエギルとクライン。これ以上被害を出さぬようにとすぐさま得物を構え、突き出された大剣に自身の武器を宛てがうように押し付けた。

 ギャリギャリ!と火花と共に確実に刃と耐久値が削れていくような音が響く。瞬間的に繰り出された故の拙い防御体勢にエギルとクラインは歯噛みする。隙を突いたはずだったのだが、奴が立て直してくる早さが想像以上に早かった為に対応が遅れ、この一瞬で何人かのHPが危険域に入る。その失態による悔しさが滲み出ていた。アキトとストレアが出足好調に見えた為に認識に甘さがあったようだ。やはり、95層は伊達じゃない。

 

 「シノン!」

 

 アキトは叫ぶ。しかし彼女には分かっている。自分のすべき事が。

 既に弓は引き絞られ、矢が向けられた先には一直線に迫って来るボスの姿。エギルとクラインが床を滑りながら防御しているが、ジリジリとHPが減少しているのが目に見えていた。シノンは目を細め、矢の先に迫る赤い獣の黄色い眼光を睨み付ける。そうして狙いを定め、鏃が光ると同時に、溜めていたその力を一気に解き放った。

 

 射撃連射技《ストライク・ノヴァ》

 

 「───はぁっ!」

 

 シノンの裂帛の気合と共に放たれたその矢は風を纏って一直線に飛んでいく。立て続けに引き絞って放たれたそれは、驚く事に全てボスの顔面へと直撃していった。何度も顔にぶつけられた高威力の攻撃は、奴の顔を煙で覆う。《テンペスト》は中断され、エギルとクラインは瞬時に防御姿勢から攻撃態勢へと移る。視界を覆われた獣は唸りながら身を捩り、雄叫びを繰り返す。

 

 「大人しく、しやがれぇ!」

 

 放たれたのは両手斧単発範囲技《グランド・ディストラクト》。背中に回り込んだエギルが飛び上がり、両手斧を背に振り下ろした。続けてクラインが右の膝元へと滑り込み、刀身を光らせる。あの構えは刀スキル三連撃《羅刹》だ。

 

 「おりゃああぁ!」

 

 鋭く刻まれる斬撃。同時に、アキトもボスの隙を突く為に一気に駆け出した。更新された情報を頭の中で整理しつつ、被害の状況を手早く再確認する。前衛数人がHPを危険域まで減らし、風圧で吹き飛ばされたプレイヤー達はノックバックが酷いようだ。状態異常(デバフ)は無いようだが、先程の攻撃はレイドの動きを鈍くさせるには充分の威力を誇っていたようだ。

 リーファ、フィリア、シリカは被害を受けたプレイヤーの援助に向かい、アスナとリズはアキト同様ボスの隙を突くべく駆け出していた。アイコンタクトは一瞬、お互いに頷き合ってボスの足元へと滑り込んだ。殺戮者たる獣は未だ閉ざされた視界に苛立ちながら唸り声を響かせている。いつ視界が回復するか分からぬ現状、だが彼らが体力を回復するまでの時間はどうにか作らねばならない。ここで追撃出来るかどうかが、生きて帰る事と繋がっているから。

 

 「アスナ、リズ!」

 

 「了解!」

 

 「分かってるわ……よっ!」

 

 ほぼ同時に武器がソードスキル特有のエフェクトに包まれる。斬撃、刺突、殴打。種類の違う武器のハイレベルな剣技が一挙に放たれ、部屋の中央から鈍い轟音が響く。

 

 二刀流高命中技九連撃

 《インフェルノ・レイド》

 

 細剣重突進技五連撃

 《スピカ・キャリバー》

 

 片手棍行動阻害技四連撃

 《ミョルニルハンマー》

 

 三色の鮮やかなエフェクトが、ボスの立つ中心点で飛び散った。身体を回転させながら対の剣を膝裏に水平にぶつける。星のような煌めきと共に閃光の如く放たれたアスナの細剣はボスの腹部を深く抉り、神の名を受け継ぐリズの技は分厚い装甲の上から叩かれた。各々選んだのは攻撃力の見込める上位スキル。シンプルでありながらもこの手のボスには試す事は無い。何故なら連撃を放てる程の隙を個人では作れないからだ。だが今は、リズのソードスキルによって怯みを見せた殺戮者の隙だらけな体躯に連撃をぶつける事が出来る。再びボスのHPは減少を見せ始めていた。辺りの体勢も徐々に回復していき、後は隙を見て離脱を試みるだけだった。

 しかし、上位スキル故に危惧しなければならないのはボスの回復速度とスキル硬直のタイミングだ。彼らがたとえ攻略組上位といえども、システムに抗うような術を持っているはずがない。アスナとリズの動きは止まり、アキトは強引に体術スキルを連結させて蹴りを入れる。隣りでは石化したように固まるアスナとリズの姿。そして顔を上げて伺えるのは、再起動を果たした《ジェノサイドアイズ》のギラついた眼光だった。

 

 「アキト────!?」

 

 「アスナさん、リズさん!」

 

 回復の手伝いをしていたリーファ達の荒らげた声を背に、アキトは次の行動の選択肢を頭の中で張り巡らせる。シノンの射撃によって覆っていた奴の視界は既に晴れ、捉えているのは眼前に立つアキト、アスナ、リズ。以前のボスと格段に強くなっているのは当然だが、敵の回復速度に至っては戦闘の中で慣れていくしかない。故にこの現状は誰かが踏まねばならぬもので、文句の付け所などありはしない。だがあからさまにスキル硬直など見せようものなら、怯みから復帰した殺戮者が報復とばかりに攻撃してくるに違いないのだ。アキトがとる行動は考えるまでもなく決まっているはずだった。

 流れていた身体を立て直し、アスナとリズの前に割って入る。二人から自身へとターゲットを変更させ、瞬時に空中へと飛び上がった。軽々と宙を舞ったかと思えば、片方の剣を引いて一気に押し出した。瞬間、アキトは一気に加速してボスの頭上へと上昇する。突進技《ヴォーパルストライク》だ。ボスを目の前にして、そんな命知らずな事は誰も真似しないだろう。周りが声を漏らす中、躊躇い無く二本の剣を上段から振り下ろす。

 しかし、

 

 「────!」

 

 野生の勘、嗅覚と言ってもいい。これまでに無い反応を見せた殺戮者たる獣はアキトの高速の動きを捉えていた。血飛沫を浴びたかのような赤い刀身を寝かせ、迫る二本の剣を完璧に受け切る。乱暴にぶつけられた事によって火花が散り、同時に悲鳴のような金属音が耳を劈く。思わず目を細めるが、心に乱れはない。

 虚を突いた攻撃。だが突進技によって移動するこの行動は初めて見せた動きではない。故の防御。学習能力の高さを把握。やはり獣なのは見た目だけであって思考能力は流石の一言。目の前の敵相手にこの手はもう通用しそうにない。次の攻撃を再考するしかない。

 攻撃が失敗し、そのまま下へと落ちるアキト。立場が逆転し、隙を生み出したのはアキト自身だった。宙で為す術無い細い身体に向かって獣が放つのは、容赦の無い武骨な拳。

 けれども焦燥は無い。視界の端で、飛び出してくる影を捉える。

 

 「───スイッチ!」

 

 「任せて!」

 

 アキトの横を通り過ぎたのは、ストレア。下に向けて構えていた両手剣を一気に振り上げ、眼前の拳にぶつけた。足場の無い空中では見込めないはずの高威力のソードスキルに、ボスの拳はボールのように弾かれる。仰け反った瞬間に着地した二人は、一気に敵の胸元へと飛び込んだ。すぐさま復帰した巨体の死角に潜り込み、互いの距離を把握しながら連撃を放つ。

 一撃、二撃三撃。敵が次のアクションを起こす前に放てるだけの剣戟を放つ。剣閃は軌跡を描き、弱点を正確に狙ってクリティカルを起こす。アキトもストレアも互いの邪魔をしないよう立ち回り、轟音と共に振り回された両手剣を軽くステップを踏むだけで躱す。翻弄するとは、まさにこの事。張り付いて、執拗に攻める。

 

(ストレア……これほど他人に合わせられる人だったなんて……)

 

 女性が扱うには重量がある両手剣をまるで自身の身体の一部であるかのように使いこなすのも然る事乍ら、舌を巻くのはアキトに完璧に合わせる連携だった。まるでこちらの意図、考えている事を読み取っているかのような、そんな感覚。まるで、もう一人の自分。

 

 「おお……スゲーなおい……」

 

 クラインのポツリと呟かれた声。次の行動に備えながらも中心で繰り広げられている剣技に目を奪われる者達。95層のボスだなんて嘘かの如く、体力が削り取られていく。

 敵の予備動作、体力が減るにつれて増えるモーションとパターン。それらを読み切る事を前提に目を凝らす。必要な情報以外を削ぎ落とし、なお予測と思考を止めない。反応速度だけに頼らず、データに基づく行動をとる。

 

 「ピナ!」

 

 「きゅるぅ!」

 

 「っ────!」

 

 シリカのテイムモンスターであるピナの中距離ブレス、シノンの遠距離射撃。視界を奪いつつクリティカル補正の高いシリカとフィリアの短剣による斬撃が敵の腹部をすれ違いざまに抉る。前衛の盾に守られながら、リーファとリズが攻撃を加え、ストレアが敵の攻撃を弾く。アスナは全体の指揮を取りながらも前線を走り、クラインとエギルはダメージディーラーとしての働きを充分に熟す。二年という歳月を経て培われた経験は伊達じゃなく、着実に勝利へと導いていく。

 三度怯んだその隙に、アキトは地を蹴り上げた。

 

 「せあっ!」

 

 二刀流奥義技《ジ・イクリプス》

 

 黄金色に輝く二本の剣。ボスのHP減少が三本目に突入し、再びパターンを変える頃合い。それを攻めるように敵の得物を弾く。火花と共に両手剣が上に弾かれ、尚も懐に一歩迫る。

 歓声が耳に入り込む中、研ぎ澄まされた感性が敵の情報を最適化していく。武器の位置、間合い、奴の視界からヘイト値の把握。演算を繰り返し、脳が悲鳴をあげるはずの処理速度。心臓が高鳴って脳内でアラートが鳴っているかのようだ。

 なのに、どうしてだろう。

 

 

(不思議だ……)

 

 

 広げた二本の剣で、敵の腹部を挟むように斬る。そうして、そこからまた同じ部位を斬り払う。呻き声など聞く耳を持たない。両の剣を逆袈裟に振り、切り上げる。その度に鮮やかなエフェクトが、コロナのように周りへ飛ぶ。それは《ソードアート》と呼ぶに相応しい、美しい輝きだった。袈裟斬り、左切り上げ。斬撃を決める度、剣が加速する度に、どんどんと心臓の音が強く、高く谺響する。

 何故だろう。心が。

 

 

(高揚、してる……?)

 

 

 身体を回転させて側面を打つ。風を巻き上げる程の大剣を、剣で無理矢理突き立てて受け流し、その威力を保持しながら自身の剣技に繋げる。腕に伝わる手応え、軋む腕。一歩間違えれば簡単に命を吹き飛ばす理不尽を前にして、けれど心は昂っていく。

 消えろ、壊れろ、倒れてしまえ。

 

 

 「────ハハッ」

 

 

 口元が歪む。本人に自覚は無い。見据えた先にいるのは未だ倒れぬ獲物だった。けどそれが良い。まだ、倒れてくれるなよ。

 何かが脳裏からジワジワと迫るような感覚。だがそんなものに意味は無い。ああ、クラインの言う通り、今日は動きが冴えてる。だってほら、こんなにも自分は強い。不条理に抗う術を、今この手にしているのだから。

 だから。

 

 

 「────ね」

 

 

 震えろ。怯えろ。だがもっと抗え。闘志を燃やして掛かってこい。下等種だからと侮らず、死んでたまるかと声を荒らげてみせろ。

 ああ、もう止まらない。

 

 

 「────死ね」

 

 

 楽しい。思うがままに力を行使するこの感覚が。指の先まで研ぎ澄まされていくその全てが。何故、今まで知らなかったのだろうか。

 心臓の高鳴り、これはきっと、まだ見ぬ景色を見た事の高揚に他ならない。

 

 

 「死ねっ……死ねェ……!」

 

 

 何故か、そう勘違いしていた。だから気付かない。

 ────自分が今、一体どんな顔で、どんなに冷酷な言葉を口にしているかだなんて。この感情に身を委ねてただ一心不乱に身体を操りながら、これまで感じた事の無い程の安らぎに満たされていた。

 考えられないような力で剣を振り抜く。敵たる殺戮者が地面を削りながら吹き飛ばされ、すかさず地を蹴り距離を詰める。

 

 

 ────ああ、この感覚。

 持てる力と技の全てを使って強敵とぶつかり合う、純粋な弱肉強食の世界。

 何故だろう。

 どうしてだろう。

 こんなに心躍るのは。

 こんなに血が滾るのは。

 恐怖を、苦痛を、力の差を、圧力を、迫力を、敵意を、殺意を感じる程に。

 重なる度に。

 胸が高鳴るのは。

 

 

 

 

 ───コンナニ楽シイ事ハ無イ。

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……アキト、君……?」

 

 歪んだ笑み。狂気を綯い交ぜにした瞳。

 独壇場と化した彼の鮮やかな戦闘振りに攻略組は半ばギャラリーとなり始め、歓声が所々で上がる。

 けれどアスナには、徐々に。けれど確かに異変を感じ始めていた。

 

 「ムチャクチャね……アイツあんな規格外だったっけ……?」

 

 「なんだか踊ってるみたい……!」

 

 リズの呆れ笑いにリーファの感動したかのような声。今入っても足でまといになる為に後退していた二人は、遠目から見ている為に気付かない。いつものアキトとはまるで違う暴力にも似た力の変遷。嘲るように、皮肉にニヒルに歪んだ口元。逸る剣戟。もはや別人であるその在り方に。

 

 「アキト、凄い……!」

 

 「あ、あんな動きも出来んのかよ……!」

 

 常に一歩先を行く動きにフィリアもクラインも感嘆の声を漏らす。でもアキトは知らない。彼らの声を。自分の今の姿を。どんな姿で嗤っているかだなんて。ただ純粋に目の前の敵だけに、意識を固めていて。そんな褒め言葉は耳に入る事は無い。

 誰もが視線を空間の中心点に注ぎ込む。希望たる姿を見せられ、魅せられ。

 けれど、距離が離れている為に分からない。

 彼が、何を口走っているかなど。

 気が付いたのは────

 

 

 「……ねえ、アスナ」

 

 「っ……シノ、のん」

 

 「アイツ……何か、様子がおかしくない……?」

 

 

 アスナとシノンは、そんなギャラリー達やリズ達以上にアキトの現在の様子を深刻に捉えていた。この光景を。今までと違うアキトの姿を。次第に何かに侵食されているこの現状を。

 確かに凄い。ボスを、たった一人で圧倒している。希望足り得る働きをしていて、カッコイイとさえ思える姿。

 なのに、底知れぬ不快感と不安が胸を襲い、渦巻いた。

 だって、いつもと違う。

 私達の知ってる彼と違う。

 佇まいが。

 雰囲気が。

 戦い方が。

 動き方が。

 笑い方が。

 その、在り方が。

 そして、今の彼は見覚えがあった。

 

 

(っ……あれって、あの時と同じ……!?)

 

 

 それは《ホロウ・エリア》での最後の戦い。キリトのホロウとの戦闘時に感じた異変を想起した。アスナが傷付けられた事によって暴走した彼の姿はまるで獣染みていて、今の彼はあの時を思い出してしまう程に酷似していた。

 狂気に満ちた笑み。明確に感じる殺意。何より、戦闘を楽しむ瞳。それは本当に楽しそうで、零れた笑みを見ていると、とても痛い。

 

 

(っ……違う、違うよ……だって……)

 

 

 ────私は彼に、あんな風に笑って欲しかった訳じゃない。

 

 

 「……止めなきゃ」

 

 

 何故かそう思う。これ以上はいけないと、そう心が騒いでいるから。ただ見ているだけの現状を捨てる。足でまといになるかもしれない。彼の邪魔になるかもしれない。けれど、見ているだけなのはきっと違うから。

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「すげぇよアイツ、一人で互角に渡り合ってる……」

 

 「マジかよおい、このまま終わっちまうぞ……!」

 

 みるみる減少していくHP。アキトのHPも僅かずつではあるが減りを見せている。だが、このままいけばと誰もが思う。勝てるのだと、終わるのだと確信染みた期待が胸に宿る。

 だが、そんな声を聞いたアキトは、目を見開いた。顔を上げ、敵を見据えて、頭上に並ぶ四本の体力値。もう残り一本に突入し始めており、そろそろ危険域になる。

 

 

(勝てる、勝てる────あれ?)

 

 

 瞬間、思考が止まった。今まで何の躊躇いも違和感も無かった胸中に、ふいに現れた凝り。振り下ろされた大剣は難無く躱し、ひらりと軽く後退のステップをとった。

 ふと顔を上げ見据えれば、再び視界には奴の体力バーが表示される。もうそろそろ赤く色を変えるであろうそれを眺め、何故か靄が胸を覆う。

 何故だろう。もう少しで勝てるはずなのに。

 ────勝つ。

 もう少しで。

 終わる。

 終わってしまう?

 

 

 

 

(もう……終わる?そんな……どうして……?俺はまだ……)

 

 

 

 

 ────戦えるのに。

 

 

 

 

 ドクン、と。一際大きく一度鳴る。一気に血の巡りが早くなるような感覚。身体全体が熱く滾り始め、焦燥や恐怖にも似た何かが駆け巡る。

 もう、終わってしまうのか。

 まだ、まだ、戦えるのに。

 戦っていたいのに。

 こんなにも俺は強いのに。

 敵がいなくなるだなんて。

 この衝動をぶつける相手がいなくなるなんて。そんなのは駄目だ。こんなんじゃ、満たされやしないのに。まだ、まだ。まだ朽ちてくれるな。俺はまだ、戦えるのに。

 

 

 ───“そうさ、()はこんなにも強い”

 

 

 自分の声が脳裏に響く。囁く言葉は、呪いのように。

 ただ剣を振るう。それだけで頭の中を巡るその声が大きくなる気がした。けどその声に、違和感など感じるはずもない。この声は自分のもの。なら、きっとこれは自分の意思。

 

 

 ───“ただ、望むがままに振るえばいい”

 

 

 そうだ。誰かを守る為の力だ。なら、目の前の理不尽を容赦無く潰したって、なんの問題も無い。思うがままにこの力を。そんな声がとても心地好く聞こえる。

 この声のままに、力に身を委ねれば、数多ある理不尽を払い除ける事が出来るだろうか。

 それなら、と。剣を握る力が強くなる。振り抜けば、そこに立つ障害の体力を吹き飛ばした。瞬間、ボスのHPが赤く染まった。

 

 

 ───“それで良い。躊躇う事なんて何も無い”

 

 

 この声のままに。思うがままに。求めるがままに。この力を振るえば良い。あらゆる障害や理不尽を跳ね除ける力を手に、ただ立ち上がれば良い。

 阻む全てを壊して喰らえば良い。

 

 

 「──ト君!アキ──!」

 

 

 視界の端に立つアスナの声は、くぐもって良く聞こえない。シノンも何かを言い放っているようだ。けれど、何故か興味が無い。今はただ、目の前の敵を全力で斬り付け、抉り取り、捩じ伏せる事しか頭に無い。

 アスナやシノンのただならぬ様子に周りも不安気になり始めていた。リズやクラインの表情が曇る。だが、アキトは何も気にならない。目の前の、敵だけ。

 バチリと、黒い稲妻が走った。

 倒せ。

 壊せ。

 喰らえ。

 

 

 

 

 ───“だって、()はヒーローだからね”

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その時、空間に悲鳴が響いた。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「っ!?っ、きゃあああああぁぁぁああ!!」

 

 

『!?』

 

 突如、空間を引き裂くような甲高い悲鳴が辺りに響いた。アキトに意識を向けていた全てのプレイヤーが我に返り、ただならぬ声に身体を震わせた。張り詰めていた緊張感を刺激し、恐怖を助長するかの悲鳴にこの場の全員が目を見開き、その先へと視線を向けてしまう。油断してはならないこの空間内でそうさせる程の何かが、その悲鳴には込められていた。

 集まった視線の先。そこにいた一人のプレイヤーに見覚えがありすぎて、思わず声を漏らしてしまったのは、アスナだった。

 

 

 「う、うあ、ああ……!」

 

 

 薄紫色の髪に、赤い瞳。

 その瞳を細めて、苦しげに唸る一人の少女。

 そこにあったのは、誰もが認める実力者である少女の、頭を抑えて蹲る姿だったから。

 

 

 「す、ストレアさん……!!」

 

 

 慌てて駆け寄って膝を付く。彼女の肩を抱いて声を掛ける。リズやシリカ達もただならぬ表情でストレアの元へと向かっていく。

 

 「ちょ、ストレア、どうしたのよ!?」

 

 「おいおい、大丈夫かよ!?」

 

 「み、んな……う、うう……アタシ……」

 

 リズとクラインの声に対して、返事をするのもやっとのストレアは、既に武器を床へと落とし、両手で頭を抑えて瞳を揺らしている。痛みをどうにか和らげようと必死に押さえ付けて、でもそれは叶わない。アスナは咄嗟に彼女の頭上を見るが、何か状態異常にかかっている様子もない。

 しかし、彼女を見てシリカが何かを思い出したかのように呟いた。

 

 「アスナさん、これって前に迷宮区でもあった頭痛じゃ……」

 

 「っ……じゃあ、また……!」

 

 アキトがシノンと《ホロウ・エリア》へと向かった日に、アスナ達が赴いた87層の迷宮区にて目にした光景。数体の敵と乱戦状態だったストレアが、突如戦闘を中断する程に苦しみ出したあの時と同じ。

 彼女自身、時々凄い頭痛に悩まされていると語っていたのを思い出す。それを知っていたアスナ、シリカ、リズ、リーファは動けず固まってしまった。

 

 「お、おい、何の話だよ……」

 

 「ストレアさん、時々凄い頭痛になる時があるらしくて……前に迷宮区で危険になった事があったんです……」

 

 「えっ……!?」

 

 「っ!な、なんでそんなんでボス戦なんかに……!」

 

 「そんな事言ってる場合!?とにかく、ストレアを後ろに下げなきゃ!急いで!」

 

 「は、はいっ!」

 

 事情を知らなかったフィリアとクラインはリーファの説明を聞いて驚愕する。耳が痛い話だが、ストレアが心配するなと笑う為にそれを鵜呑みにしてしまっていた。ここまで深刻なものだとも知らず、どこか楽観的に捉えていたのかもしれない。ましてや、このタイミングで起きようとは思わない。

 今更過ぎる後悔が募る中、それよりも先にやらねばならない事がある。リズはシリカと頷き合い、蹲るストレアの左右に付いた。

 

 「ストレアさん、しっかりしてください!」

 

 「今回は、いつもより……なんか……ぐっ、うあああぁ!!」

 

 ストレア一人ではもう動けそうにない。以前見た時よりも辛そうに表情を歪めているのを見て、アスナは歯噛みしか出来ない。だがするべき事は一つしかない。アキトが戦線に立っている今のうちにストレアを庇いながら攻撃範囲外に離れなければならない。

 なのに、そんな願いを蹴り飛ばすように簡単に、理不尽は襲いかかってくる。

 

 

  「お前ら、早くしろ!あっちもマズい事になってやがる……!」

 

 「え……!?」

 

 

 その声にアスナが顔を上げれば、エギルが斧を構え始めて部屋の中央を睨み付けていた。その先を辿れば、HPが赤く染った血色の獣が呻き声を上げ、怒りに身体を震わせている。

 モーションが著しく変化する体力危険域でのボスは、ハッキリ言って前半よりも苦戦を強いる。残り少ないHPが僅かな希望と言わんばかりの攻撃力と機動力を有する。眼下にいるアキトを見下ろして、空間を砕くかの如く強烈な咆哮が、怒りを織り交ぜて放たれた。

 

 

 ────瞬間、

 

 

 「っ……あ、ああああぁぁぁああああぁぁぁああ!!」

 

 「ストレアさん!」

 

 再びストレアが悲鳴を上げ始めた。頭を必死に、握り潰すかのように押さえ付け、それでも変わらない痛みに目尻から涙が零れていて。ボスの咆哮とストレアの呻き声が重なる。

 ────まるで、ボスと共鳴しているかのように。

 

 「チィ……こんな時に!」

 

 「私行ってくる!」

 

 なんてタイミングで赤いゲージになってしまったのだろう。誰も悪くない、だからこそ行き場の無い舌打ちをしながらクラインも刀を構え、エギルと共にフィリアに続いて走り出した。

 

 「俺達が時間を稼ぐ!シノン、援護を頼む!」

 

 「了解!」

 

 エギルの指示に首肯するだけで応え、弓を構えるシノン。

 獣のように喚くボスと、ストレアを庇うアスナの直線上に躍り出て、守るように立つ。矢を引き絞り、向けるは再びボスの顔。

 クラインとエギルが走る先、そして、アキトの立つ真上に位置する奴の頭。

 

 「っ……」

 

 見れば、その血で浸したような巨大な剣を天高々に掲げている。視線は真下、アキトだ。あと数秒もしない内に振り下ろされるだろう。ソードスキル特有のエフェクトが剣に纏い、段々と光を集めている。

 なのに。

 

 

 「っ!?おい、アキト!」

 

 「何してんだ!早く逃げろ!」

 

 

 アキトは、その場から離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「っ────……ぇ」

 

 

 アキトは、ふと顔を上げた。まるで眠りから覚めたような解放感がそこにはあった。何が起こったのかさえ分からず、ただ眼前に立つボスを捉える瞳が揺れるばかり。

 

 

(……あれ……あれ……?)

 

 

 ボスと対峙しているにも関わらず、アキトは辺りを見渡した。今いる場所と理由を思い起こし、自身とボスから距離をおいている攻略組のプレイヤー達や不安気な表情のアスナ達を見て、瞳が揺れた。

 

 ───何故、そんなに距離が離れているのか。

 

 先程まで一緒に戦っていたはずなのに。何故か自分以外の全プレイヤーがボスから距離を置いている。まるで、時間が跳躍したかのような感覚に襲われた。現状を把握出来ない。何故、どうして、自分はこんな所に立っているのかを。

 

 そして無意識に感じた。今の悲鳴によって、何かに洗脳されていたかのような浮遊感に陥っていた身体はストンと感覚を取り戻し、その瞬間アキトの意識はバチリと覚醒したのを。

 

 

(……俺……今、まで……何、かんがえて……)

 

 

 思い出す。自分が今まで何を考えていたのかを。視線の先に立つ巨大な獣を前に、どうして今一人で立っているのかを。剣を構えているのかを。

 

 

 「……ぁ」

 

 

 そして、段々と思い出していく。思い出してしまう。

 さっきまで自分がしていた剣の振り方を。狂気に満ちた敵の倒し方を。殺人鬼のような傷の抉り方を。

 自分が何度も口にしていた、冷徹で残酷な言葉の数々を。

 そして、それらをする度に感じていた、底知れぬ高揚感を。誰かを守る為の力で、敵をねじ伏せて楽しんでいたさっきまでの自分を明確に思い出した。

 

 

(楽しんでた……?ずっと、戦うのが、怖かったはずなのに……!)

 

 

 ───“怖いなら、この力に頼ればいい”

 

 

(っ……な、んだよ……この、声……!)

 

 

 先程からずっと聞こえてくる自分の声。けどそれは、自分の意思とはまるで違う。頭の中で囁くように告げられたそれは、まるで自分の意思かのようで、気が付けば身体を奪われたかのように操られていた。壊せ、殺せと、そう命じてくるのだ。無意識にそれが自分の意思なのだと、そう刷り合わされて。

 そんな事、自分は考えてない。こんなの、自分の言葉じゃない。

 

 

 ───“誰にも縛られる事無く、思うがままに出来る。ほら、振り返ってみろよ”

 

 

 「っ……」

 

 

 思わず、振り返る。

 そこにいたのは、こちらに向かって必死な形相で走ってくるクラインとエギル、フィリア、その先で弓を構えるシノン。

 頭を抑えて苦しむストレア。

 彼女を守るように立って武器を持つリーファ。

 ストレアの痛ましい姿に涙を流すシリカと、そんな彼女に喝を入れながらストレアを支えるリズ。

 苦しむ彼女の肩を抱くアスナ。

 

 

(……ア、スナ)

 

 

 ───“この力があれば、欲しいものは何だって手に入る”

 

 

(っ……誰なんだよ……お前……)

 

 

 ───“このままじゃ、死んじゃうよ?”

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────アキト!」

 

 「……!」

 

 名前を呼ばれたその瞬間、自身の襟首が掴まれる。そのまま後ろへと引っ張られ、そこから入れ替わるように左から飛び出して行ったのはエギルだった。我に返れば、頭上には振り下ろされた大剣が迫っていた。

 エギルが放ったのは両手斧スキル《スマッシュ》。筋力値に任せて下から振り上げたそれは、更に筋力のあるだろうボスの両手剣を天へとかち上げた。

 

 「フィリア、スイッチ!」

 

 「はああぁぁあ!」

 

 エギルの前へと飛び出したフィリアが、ボスの腹部に目掛けて放った

 のは短剣高命中技二連撃《クロス・エッジ》。クロスさせるように深く斬り付けられ、ボスが僅かに後退する。同時にフィリアも離脱して、アキトの元へと駆け寄った。アキトはまだ呆然といったような表情で、助けてくれたメンバーを見つめる。

 

 「アキト、平気?」

 

 「ボサっとしてんじゃねぇ!死にてぇのかよ!」

 

 「フィリア……クライン……」

 

 「無事かよ、アキト」

 

 「エギル……俺……」

 

 そんな訳は無いはずなのに、何故か久しぶりに顔を見たような気がする。危険を省みずに助けてくれたのに、言葉が出て来ない。それは、この現状を上手く把握出来ていなかったからだろうか。

 その瞬間、自分ではない何かが自分を突き動かしていた事実が、段々とその脳内に下りてくる。

 戦う。それだけが楽しく感じていた。自分のものではない感情のはずなのに、あの高揚感を覚えてる。今までゲームをやってきて、ここで生活して、その中で感じた事の無い別ベクトルの何か。違う喜び。

 もしあのままだったら、自分はどうなっていたのだろうか。

 あの悲鳴が無ければ────

 

 「……っ、さっきの悲鳴……!」

 

 ハッとしたアキトはすぐに振り返った。

 視線の先、そこには痛みで涙を目に溜めたストレアの、見た事が無いほどに弱々しくなった姿が映されていた。普段絶え間ない笑顔を見せていたはずのストレアの、初めての涙。

 アキトは、瞳を見開いた。

 

 「ぇ……ど、して……」

 

 常に笑顔。それは、アキトが望んでいた姿。見たいと願った人の表情。その願いを体現していたストレアの存在は、アキトにとっては大きかった。

 そんな彼女が、泣いている。

 どうして。

 思わず、一歩足が出る。

 自然と、彼女へ手を伸ばす。

 

 

 「な、んで……ストレア……!」

 

 「アキト、落ち着いて!」

 

 「っ……」

 

 「彼女の事はアスナ達が守ってる!俺達は目の前のコイツをぶっ倒すんだ!」

 

 フィリアとエギルの一喝でアキトは動きを止めた。何故かこの状況に既視感があった。

 目が覚めたら、知らない景色。それはまるで、初めてアキトが人前で《二刀流》を使った時の、あの時の光景に見えた。気が付けば、状況が変化し過ぎていて。何故かとても怖い。けれど、彼らの言う通りだとも思うから。

 敵の頭上を見上げる。HPはあと僅か。これなら総攻撃を掛けるだけですぐに処理出来る。新しい動きを見せる前に叩く。

 

 「行くぞ!」

 

 「うん!」

 

 クラインの声に頷き、ボスへと向かって地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 一瞬と言える程、すぐに終わった訳では無かった。

 けれど、この場の空気に違和感を感じていたのは皆同じだったようで、ギャラリーだったはずの攻略組プレイヤー達は最後、アキト達のカバーをするべく全力を尽くしてくれた。強力な範囲攻撃が追加されたが、彼らのおかげで初見でも対応出来た。

 特にストレアの異変がとても大きい。この場の誰もが早々にこの戦いを終わらせてストレアを街に帰したい気持ちが少なからずあったのかもしれない。そう思うと、感謝しか無かった。

 ラストアタックが誰だったのかは分からなかったが、一際存在感を放っていた殺戮者たる獣は、その身を輝かせ、硝子片となって四散していった。

 

 勝利のファンファーレが鳴り響き、歓声を起こす者、疲れて床に座り込む者と別れたが、アキトはすぐさま身を翻してストレアの元へと駆け出した。

 激闘を終えても尚、安堵出来ない理由がそこにはあったから。

 

 「ストレア!」

 

 「ア、キト……」

 

 辛うじて返事をするストレア。すぐしゃがみ込み、表情を伺う。額には汗、瞳には涙。口元は震え、苦痛に歪めた表情は辛さを物語っていた。

 彼女の肩を抱くアスナは、アキトを見上げていた。彼女にとって心配なのは、ストレアだけじゃない。

 

 「アキト君……大丈夫なの?」

 

 「俺は平気だよ。それよりストレアだよ。すぐ街に戻ろう。転移結晶を」

 

 今は自分の事は後回しだ。今は自分よりも、彼女の方がどう考えても深刻だからだ。

 転移結晶を取り出そうとするが、傍に寄って来たシノンが呟く。

 

 「ここからなら、次の層に向かった方が早いわ」

 

 「じゃあ、すぐ向かわないと。ストレア、立てる?」

 

 「う、うう……」

 

 アキトに促され、顔を上げる。その紅い瞳は、目の前のアキトを真っ直ぐに見つめ、それでいて苦しげで。見方を変えれば、睨まれているようにさえ見える視線の強さ。

 こんなに酷かったとは、アキトも思わなかった。以前部屋に来た時に、もっとしっかり話を聞いていれば。

 

 「……貴方には……ない……」

 

 「ストレア……?」

 

 ふと、ストレアが何かを呟いた。こちらを見据え、か細い声で。小さくて良く聞こえないその言葉を耳にする為に、アキトは彼女に顔を近付けた。何かを伝えたがっているような、そんな様子で。

 けれど、痛ましい程に歪んだ表情で告げられたのは、想像もしてないような言葉だった。

 

 「アタ、シは……負け、ない……」

 

 「え……?」

 

 ────目が合った瞬間、アキトは何も言えずに固まった。

 苦しむように、憎らしいようにこちらを見つめる彼女の表情は、とても敵意に満ちていたから。それは仲間に対するものではなく、明確な決別の意味を込めた瞳。

 

 

 「アキト……キ、リト……貴方達に……クリアされる訳には、いかない……!」

 

 

 ────その意味を、この時に気付けていたのなら、何か変わっていたのだろうか。『ゲームクリア』という単語を耳にする度にストレアが見せていた、何処か悲しげな憂うような表情を、この時のアキトは思い出していた。

 

 「ストレア、もしかして魘されてるの……?」

 

 「しっかりして!心配無い、私達はここに居るよ!」

 

 リズの心配を背に、アスナが安心させるように声を掛ける。それが効果的かどうかなんて関係無い。ストレアにいつものように元気になって欲しくて。歓声を上げていた攻略組の連中も、段々と心配になってきたのか視線を向けている。いつも笑顔だった彼女に救われていたのは、きっとアキト達だけじゃなかった。今日の攻略においても、彼女がいてくれたからと、お世辞無しにそう思う。

 

 

 だから、良くなってくれと、そう願うのに。

 

 

 「……ストレア、さん……?」

 

 

 ────突如、ストレアは立ち上がった。

 なんの異変も無く、苦しむ事も無く、嗚咽も悲鳴も呻き声も無く。頭痛が無くなったのか、気分が良くなってきたのか、それは分からない。あまりにも不自然なくらいに、自然に立ち上がって。

 

 「ちょ、アンタ……いきなり立って大丈夫なの……?」

 

 シノンの問い掛けに、少しだけ振り返ったストレア。

 彼女のその表情を見て、アキト達は心臓が止まるかと思う程に驚き、そして背筋が凍った。

 そこに、かつての笑顔は無い。冷徹な程に無表情で、何もそこに宿してないような雰囲気。

 

 

 彼女の紅かった瞳はまるで。

 空洞のように暗く、虚ろになっていた。

 

 

 「ううん……心配されるような事なんて無いから。もう大丈夫……」

 

 

 次の層へと向かう扉が開かれ、ストレアはそれを、何も映していないような瞳で見据えて、ただ淡々と告げた。

 

 

 「アタシは、この世界を守らなきゃいけないの。さあ、行かなきゃ……」

 

 

 フラリと音も無くアキト達の作る輪から離れ、何に囚われる事も無く歩き出した。体調など、異変など、苦しみに歪めていた表情、全て嘘だったかのように。

 思わず伸ばしたその手も届かず、すり抜けていくように。

 

 “この世界を守る”

 

 その言葉を聞いて、何故かアキトは感じた。

 彼女を、このまま行かせてはいけないのだと。行かせてしまったならきっと。

 もう、彼女の笑顔は見られないような気がしたから。

 

 

 「っ……ストレ────」

 

 

 ───ズキリと頭が痛んだ。

 意識が遠のき、足からは力が抜け、糸が切れたように一瞬で地面へと倒れ込んだ。アスナ達の驚いたような、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 

 

 けれどアキトは、消えゆく意識の中でただひたすらに。

 

 

 背を向けて遠くなるストレアの背中に向かって、その手を伸ばし続けていた。

 

 

 

 








ユイ 「ストレートフラッシュです!」

アルゴ 「ニャッ!?」←ツーペア



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。