ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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欲望には見境無く、目的には際限無く。



Ep.120 暗躍

 

 

 

 

 97層《フィルキア》は王宮然とした街並みが続く広々としたフロアで、プレイヤーやNPCの人口も他の層と比べて多く、露天の立ち並ぶ大通りはかなりの盛況ぶりらしい。行き交う人波の勢いはその分だけ増し、ゲームクリアまでの残り少ない時間を謳歌する人達で溢れ返っているそうだ。

 

 アスナからメッセージを受けたアキトは、それを読んで苦笑しながらその層のフィールドへと足を運んでいた。

 生憎とまだカーソルの色はオレンジで《圏内》には入れない日々が続いている。犯罪者の目印でもある以上、世間の注目集まる攻略組の仲間達とは一緒に行動できない。時間的猶予も考えてオレンジカーソルのまま攻略するつもりだったが、《圏内》に入れるというメリットは、やはりアイテムの補充や精神的な問題に大きく関わってくることもあり、特にシノンからの正論によって漸くクエストを受ける気になった。

 その他にも、アスナからは最前線の街並みの詳細を伝えられ、羨ましがらせる事で早く帰ってきてもらおうなんて考えていたみたいだが、攻略も進めておきたいアキトは現在、贖罪クエストと最前線攻略を並行して行っていたのだった。

 

 フィールドは少しの草原を歩けばその先は断崖絶壁で、続く道は上空へと続いていた。大蛇のように入り組んだ白の空中回廊は、そのまま迷宮柱への扉へと繋がっているのが遠目でも確認できる。

 しかしながら、眺める迷宮柱の周りは霧のような雲が漂っており、崖下を見下ろそうものなら底が見えないほど深いだろう。天空の城を彷彿とさせるこの場所は、高所恐怖症の人間ならどの層よりも手こずるのは確実だった。

 

 

「……寒っ」

 

 

 中々に冷たい突風を肌に受け、思わず身震いする。コートのポケットに両の手を突っ込み、猫背のままよろよろと空中回廊への入口へと向かう。

 最前線でこれほどのだらしなさは、アスナにも怒られるし普通だったら有り得ないのだが、今はプレイヤーの気配ばかりでモンスターは索敵スキルに引っ掛かっておらず、自然体のまま草原を踏み締める。

 

 傍から見れば飄々としているが、別段 “暴走”という現象を楽観視しているわけではない。寧ろ張り詰めていても逆効果なだけだと若干開き直っているまである。リラックスして、自分という意識を確立していれば大丈夫だと、自身に言い聞かせているだけでもあった。

 勿論最悪の事態を想定し、攻略はソロで行っている。アスナやシノンが特に渋ったが、怪我させたくないと我を通すことでどうにか折れてくれた。頼るとは言ったが、迷惑は掛けたくない。

 先も挙げたが、攻略組として行動するとどうしてもオレンジカーソルが目に付いてしまうという理由の他に、もう一つ彼らと行動することを躊躇する要因があった。

 

 先日、ログハウスでの一件。思い出すのは、恐怖で表情を歪める14歳の少女───シリカだった。

 彼女のことを考えると、共に行動するのは憚られた。優しい彼女なら、今度こそ自分の気持ちを推し殺そうとするに決まっているし、怯えさせたくなかった。

 シリカはあの日のことを、とても後悔し、泣いているとメッセージで聞いた。謝罪もしたいとのことだったが、今はまだ会わない方が良いのではないかと、特に理由もなくそれを拒んでいた。きっと心の何処かでは、シリカにまた拒絶されることを恐れているのだ。

 我ながら何とも女々しい奴である。

 

 そんな自分に辟易しながら、草原と回廊の境界を跨ごうとした時だった。

 

 

「て、てめぇっ!一体何しやがった!」

 

 

 遠くで、聞き覚えのある怒声が耳に入り込んだ。

 その足を止め、思わず顔を上げる。意識が覚醒したような感覚と共に視線は声のした方角へと向かう。

 いつになく鋭い五感の全てがその先にある光景を辿り、一つの予想に行き着いた。

 

 

(……クライン、か?)

 

 

 その予感が的中してもしていなくとも、声の感じから何やら揉め事であることは間違いない。ポケットに収まっていた両の手を出し、声の方角へと進路変更した。

 距離が近付くにつれ状況の詳細がはっきりとしてくる。場には複数のプレイヤー、言い合いは徐々にヒートアップしていく。これはもしかしたらデュエル紛いのやり取りまで起こるかもしれないと、冷や汗を掻きながら思い切り駆けると、その光景はすぐに目の前に現れた。

 

 

「静かにしてくれ。そんなに大騒ぎすると、コイツも同じ目に合わせるよ?」

 

 

 やたら耳に付くような声と喋り方。そして高慢な態度を隠すことなくひけらかし、全てを見下すようなその態度。容姿など見なくても大体予想はついていたが、仕方なくクライン達《風林火山》が睨み付ける対象を見据える。

 

 

(────アルベリヒ)

 

 

 淡い金色のオールバックヘアに、色白で吊り目の青年。プラチナカラーの全身鎧を身に纏い、腰には血のように赤い極太の細剣。

 装備のランクと実力が見合わない異質な存在として警戒されていたアルベリヒだった。その胡散臭さは相変わらずの健在で、以前と変わらぬ下卑た笑みを浮かべながら、クラインと自分の下にある“何か”を交互に見やっていた。

 更に迫って見ると、奴の足元には尻餅をついたプレイヤーが襟首を掴まれて動けないでいた。必死にアルベリヒの腕に両の手を伸ばして藻掻いている。

 

 

「は、離せ!離してくれっ!」

 

「やめろっ!!ソイツを放して、その変な武器も捨てろ!」

 

 

 見兼ねたクラインは普段では珍しい怒りの込められた声をアルベリヒにぶつけた。しかし奴には全く響く様子もなく、それどころかクラインに指摘された「変な武器」を見せびらかしながら口元を歪めている。

 

 その武器はアキトの眼から見ても確かに不思議な形をしていた。

 短剣と呼ぶには刀身が稲妻のように歪に捻れ、短く細過ぎる。なんなら柄の方が少し長いくらいで、武器と呼ぶには粗末で戦闘に不向きな形状をしていた。

 だがアルベリヒは、特にそんな素振りも見せずに余裕な態度を保ち続けながら言った。

 

 

「これのことか?中々良いデザインだと思っているんだけどね。この尖ってる部分なんて芸術的だと思うけどなぁ、クックックッ」

 

「ひ、ひいぃぃっ!」

 

 

 その嗤う声に、堪らず奴の足元のプレイヤーは我を忘れて暴れ始める。だがステータスだけは高いアルベリヒの筋力値に敵うはずもなく、どれだけ身体を動かしてもその場で地面を削るばかり。

 

 

「て、てめえ!いいから捨てろって言ってんだろが!」

 

「そうはいかないよ。僕にはやらなければならない、とても重要なことがあるんだ」

 

 

 クラインの怒り滲む表情と荒れた声に怯む事無く、アルベリヒは足元のプレイヤーへと視線を落とす。

 すると、空いた右の手に保持していた不気味な形の短剣を逆手に持ち直し、

 

 

「さあ、健康そうな君も喜んで協力してくれるよな?」

 

「や、やめろ、やめてくれえぇ!うわあああああああああ!!!」

 

 

 やめてくれと叫ぶ彼の願いを無視しながら、その短剣をうなじ近くに突き刺した。

 ────瞬間、男の動きが停止したと思えば、身体の内側から輝きを放ち始め、そのまま光と共にその場から消失した。

 

 

(────)

 

 

 アキトは、思わずその場から飛び出した。

 傍観者であった距離から、一気にクライン達の元まで駆け出していき、そのままアルベリヒとクライン達の間に滑るように割って入る。視界にはいけ好かない笑みを浮かべる金髪の男、その背には守るべき刀使いの男とその仲間達。

 

 

「っ、あ、アキト!!」

 

 

 途端、僅かなざわめきを耳にする。《風林火山》のメンバーの訝しげな視線に小さな声、アルベリヒ側の取り巻き達も此方を忌々しげに睨み付けている。

 中には、フィリアといった76層の喫茶店や、93層の街《チグアニ》にてアキトに面子を潰された男性プレイヤーも混じっており、殺意込められた顔を向けているが、気にすることなくクラインに声を掛けた。

 

 

「大丈夫、クライン?」

 

「コイツ、変な武器を持ってやがる……気を付けろよ」

 

「……ああ、見てたよ」

 

 

 その右手の指で背に担ぐ《リメインズハート》の柄に触れながら、静かな声でそう答える。

 同時に、アキトがストレアの行方に関する情報をアルゴに頼んでいた際に、彼女に聞いた“神隠し”の噂を思い出していた。

 最近、プレイヤーの行方不明が多発しているという、明らかに異常な事態。その理由を今、目の前でまじまじと見せ付けられたのだから。

 加えて、アルベリヒのカーソルの色を見る。やはり、カーソルの色は緑のまま変化していなかった。《圏内》で女性にちょっかいを出していた奴の部下が《ハラスメントコード》に掛からなかったことと無関係とは思えない。

 

 

「最近の“神隠し”騒動は、この人達の仕業か」

 

「ああ、あの武器の攻撃が当たると、理屈は分からねぇが否応無しにどっかに転送されちまうみてぇなんだ」

 

「転送……なら、生きてるのか。よかった……」

 

 

 クラインの言葉を背に、アキトは安堵の息を漏らした。アルベリヒはさも今気付いたと言わんばかりの態度で、不敵な笑みを浮かべながらアキトを見やって口を開いた。

 

 

「おや、《黒の剣士》様ではないですか。そんなに血相を変えて如何致しました?」

 

「……────は」

 

 

 取り繕うともしないアルベリヒの舐めた口調に答えることなく、アキトはその足を一歩踏み出す。その口元を三日月のように歪めながら。その思考が黒く変色し始める。

 ────瞬間その肩を、クラインに思い切り掴まれ引き寄せられた。

 

 

「おい、冷静になれよ。あんな奴に相手に、あんな姿晒す必要ねぇんだ」

 

「っ……分かってる。ありがと」

 

 

 心臓が、止まるかと思った。一瞬、自分が何をしていたかを忘れかけてしまうほどにあっさりも、主導権を奪われかけた。

 今、一瞬で“何か”と切り替わるような感覚が確かにあった。自然と漏れ出す殺意が、すぐ傍らにある気がした。刻まれたその恐怖は、アルベリヒに対する怒りより強かった。

 

 

(落ち着け。冷静になれ。自分を見失うな、目の前のことに集中しろ)

 

 

 未だ高鳴る心臓は、戦闘での快楽を求めている。

 だから自分に言い聞かせるのは呪詛のように。確かに身体に刻まれるように心の中で唱える。そうして、やがてその瞳の奥には確かな理性と闘志を宿し始めた。

 右手の剣を引き抜き、それをアルベリヒに突き出すようにして構えを取ると、それを見た奴は高らかに笑い声を上げた。

 

 

「アハハハハハ!僕をどうにかしようとしてるのかい?まさか僕に勝利できるとでも、本気で思っているのか?」

 

「前回の醜態があってよくそんなこと言えるなお前」

 

 

 いつもの強気な口調を意識しつつ、それを聞いて呆れる。

 記憶に新しい、かつての攻略組テスト。見掛け倒しで粗末な実力を周りに晒しておきながらまだそんな傲慢な態度が取れるとは、寧ろかなりの大物なんじゃないのかとすら思える。

 そう伝えてやれば、アルベリヒは苛立ったような表情を一瞬だけ見せると、馬鹿にするように鼻で笑った。

 

 

「ふん。あれは何か卑怯な手でも使ったんだろう」

 

「……え、アンタがじゃなくて?」

 

「僕のステータスをもってしても勝てなかったなんて、何かを仕込んだとしか思えない」

 

「……アンタじゃなくて?」

 

「だが今度はそんな手は使わせないよ。圧倒的なステータスの前に君は打ちひしがれるんだ」

 

「……」

 

 

 思わず聞き返してしまうような内容の連続で、最早取り付く島もないと理解した。

 実力に見合わないステータスと装備を手にしながら今まで無名で、かつオレンジカーソルにもならなければ《ハラスメントコード》にも抵触しない輩の方がよっぽど仕込みが多そうなのだが、まともに取り合っても埒があかない。

 高鳴っていたその心臓も、段々と冷めきったように大人しくなった。アキトに宿る“何か”も、目の前の男相手には戦う気も起きなくなったのだろうか。

 

 アルベリヒはその短剣を持って初心者丸出しの構えを取る。見るだけで頭が痛くなりそうなのを抑えつつ、構えた剣の柄を強く握り締めた。

 クラインが慌てて声を掛けてくる。

 

 

「やるのかよアキト!?」

 

「うん、あの武器に気をつけながら立ち回ってみる。クラインにはアルベリヒの仲間達をお願い……し、しても良い?」

 

「……ったく、遠慮すんなって言ったろ?一々聞いてくんじゃねぇよ」

 

「わ、わ……」

 

 

 クラインはそう言うと、後ろからアキトの髪をクシャクシャにしながら小さく笑ってくれた。それはきっと、アキトとっても安心できる答えだった。

 自分から助けを求めたり頼ったりが苦手なアキトが、どうにかして考えた最初の一歩。少し照れ臭くて、でも悪くない感触。

 それをかみ締める間もなく、アルベリヒは不意を突くかのように地面を蹴り破って叫んだ。

 

 

「さあ、今度こそ本当の勝負だ。ステータスによる絶対的な強さを思い知らせてあげよう!」

 

「────クライン!」

 

「おう、任せとけ!」

 

 

 アキトの背から離れ、回り込むようにしてアルベリヒの取り巻きを囲いに行くクライン達。カーソルがオレンジにならぬよう注意する以上、クライン達は直接的な行動はほぼできない。動きが制限される分、アキトがアルベリヒにかける時間はなるべく最小限に抑えなければならない。

 アルベリヒの動きは相変わらず単調ではあるが故に読みやすい。だがステータスが高く攻撃に転じるスピードが異常である分、此方も判断速度を要求される。研ぎ澄まされる神経が冷静な心臓と同機する感覚を胸に、その瞳に奴の動きを映す。そこに油断は一切ない。

 

 

「そらぁ!」

 

「ふっ……、シッ!」

 

 

 突き出された右手を左に跳んで紙一重で躱す。そこを畳み掛けるように払われた短剣は、即座に《リメンズハート》でかち上げた。

 火花が散ると同時に、アルベリヒの身体が仰け反る。バランスを崩し、情けなくもヨタヨタと足を縺れさせながら、やがて地面へと尻を打ち付けた。

 完全なる隙。だがその間、アキトは特に奴に追い打ちをかけることもせず、口を開けたままのアルベリヒを見下ろしていた。

 

 

「っ……くそ、舐めやがって!!」

 

「……」

 

 

 攻撃してこないアキトが自分を舐めていると思ったのか、アルベリヒはその端正な顔を赤くするとすぐさま立ち上がり、その歪な短剣を左手に持ち替え、空いた右手で腰の細剣《ブラッドスラスト》を引き抜いた。

 

 

(っ────二刀流)

 

 

 流石に少し驚くが、アルベリヒにとっては意外と相性の良い戦法かもしれない。

《二刀流》のユニークスキルがなければ、武器を両手に構えてもイレギュラー判定でソードスキルの発動に支障をきたすが、前回の攻略組テストでも奴は何故かソードスキルを使わなかった。元々スキルに頼る戦い方をしないのならばデメリットは皆無と言える。右手で攻撃し、隙を見て左手の短剣を突き出す戦法の方が脅威にすら思えた。

 

 

「ハアァァアッ!!」

 

 

 再び接近し、細剣を袈裟斬りに振り下ろす。

 相変わらず尋常ではないスピードだが、見え透いた軌道に邪な思考は読み取れない。寧ろステータスに裏打ちされた勝利への確信があるからこそ、フェイントなどの魂胆は必要ないと踏んでいるのだろう。

 だがその分動きが読みやすく───正直、油断大敵と宣いはしたが、油断してもしてなくても割と早い段階で決着がつきそうだった。

 乱雑に振り回す二対の剣を、全て最小限の動きだけで紙一重で躱していく。攻撃してこない此方に対し、アルベリヒの苛立っていた表情は自然と笑みを取り戻していく。

 

 

「ハハッ、どうだい!避けるので精一杯だろう!」

 

「……」

 

 

 ────とんだ幸せ者である。

 一度記録結晶で奴の動きを録画して、ギャラリーを交えながら本人に見せつけてやりたい。

 アキトがその赤い細剣を身体を傾けるだけで躱し、お粗末な右足首に軽く蹴りを入れるだけでその身体は再び体勢を崩し、今度は前のめりに膝を付く。

 

 

「っ!?……このっ!」

 

 

 立ち上がりざまに斬りあげた奴の細剣は、そもそも当たる距離に立っていなかったアキトの前を空振りする。そして今ので戦闘における空間把握能力、更には自身の得物のリーチの記憶すらないのではないかという疑問さえ浮上した。

 この実力で奴のステータスと装備は本当にどういった理屈なのだろうかと、目の前の男相手だと考える余裕さえできてしまう。

 だが今はクラインと、奴が転送したプレイヤー達の安否が最優先事項。アキトは奴に見切りを付けると、《リメインズハート》で突き出された細剣を再び弾いた。

 

 

「なっ!?」

 

 

 その力の強弱に耐えかねたのかアルベリヒの手元から細剣は離れ、上空へと高速回転しながら飛び上がった。奴のその手に残ったのは、歪に煌めく心許なく短い剣。

 それに臆することなく、アキトはその足を一歩前へと踏み出すと、焦りながらも好機とニヤけるアルベリヒの下卑た笑み。

 

 

「馬鹿が、くらえ!」

 

「────」

 

 

 そうして、左手に携えた短剣がアキトの胸に届く──その前に、アキトの左手に光が収束した。アルベリヒがそれに気付いた時には、拳は迫る短剣目掛けて振り抜かれていた。

 

 体術スキル《閃打》

 

 瞬く間の一撃が、奴の短剣の刃の付け根に衝突する。同時にアルベリヒの左手は武器諸共弾かれ、上体は空に向いた。その視界には、回転しながら落下してきた自身の細剣。

 アキトは振り抜いた左手でそれを掴み取ると胸元に引き寄せて、驚愕を露わにする奴のその眉間に焦点を当て、

 

 

「────《リニアー》」

 

 

 放つは《閃光(アスナ)》の代名詞とも呼べる原点のソードスキル。その武器は所有者であるアルベリヒが持つよりも剣としての役目を全うし、洗練された動きで繰り出された刺突は奴の頭蓋には僅かに届かず、眼前で止まった。

 あくまで怯ませる為の一撃であるが故にダメージを加えることを意図しない。発動と同時に突風が周囲に発生し、アルベリヒの髪が舞い上がる。顔面スレスレで制止した刃に、男は再び尻餅を付いた。

 その喉元に、すかさず剣の先を向ける。それだけで、始まる前から分かっていた勝負に決着がついた。

 

 

「────終わったか、アキト!」

 

「ああ、終わったよ。……そうだよね?」

 

 

 取り巻きを囲んでいたクラインからの声に返事をしてから、再びアルベリヒに視線を下ろしてそう問いかける。

 

 

「……まだ、やるの?」

 

 

 アキトは、奴の《ブラッドスラスト》を足元へと転がした。口を開けて呆然としていたアルベリヒはハッと我に返ると、手に持った歪な短剣を忌々しげに見下ろしながら歯軋りし始めた。

 

 

「く、くそっ!どういう事だ!肝心な時に上手く動作しないなんて、使えないなっ……このっ!!」

 

 

 苛立ちを隠さずに立ち上がったかと思うと、それを力任せに投げ捨てた。適当に投げたのだろうが直線上に運悪くクラインが立っており、当人は目をひん剥きながら慌てて仰け反った。

 

 

「うおっ!危ねぇな!変なモン投げつけんじゃねぇ!」

 

「認めない!僕は認めない!馬鹿にしやがって!覚えておけよ、いずれ僕が世界を掌握するんだ!」

 

 

 此方の話を聞く素振りもなく一方的に言いたい事を口にし終えると、アルベリヒは腰のポーチから転移結晶を取り出した。取り巻き達も示し合わせたように同時に結晶体をその手に持ち、各々転移先を口にしていく。

 その流れがあまりにも突然で、アキトでさえ反応に遅れた。

 

 

「しまっ────!」

 

「野郎……!」

 

 

 クラインと共に慌てて駆け出すも既に後手。一歩足を踏み出した時には奴らの身体が転移特有のエフェクトに包まれて目の前から消えてゆく。伸ばしたその手の指先が光の粒子に僅かに触れるも感触はなく、冷たさだけが残った。

 

 

「ぼ、ボスっ!!待って下さいっ!」

 

 

 すると、視界端の方でそんな情けない声が草原に響き、誰もがそちらに目をやると、逃げ遅れたのか転移結晶の用意すら遅れ忙しなく動く男性プレイヤーが目に映った。

 アルベリヒの取り巻きの一人であろうソイツは、主人や仲間がいた時の高慢さが抜け落ちて、親を見失った弱々しい小鹿のようになっていた。クラインは慌てることなく男の肩を鷲掴むと、目を吊り上げながら口を開く。

 

 

「おっと待て待て!お前は逃がさねぇぞ」

 

「ひっ!す、すみませんすみません!オレはボスの指示に従ってただけでっ……!」

 

 

 味方がいないこの状況でその男はあまりにも弱腰で、クライン達も触れることになんとなく躊躇を覚えた。しかし、彼らが“神隠し”騒動の一端を担っているのならばおいそれと逃がすわけにはいかないし、演技という線もまだ残っている。

 アキトは蹲る彼と同じ目線まで腰を落とすと、柔らかな声で言った。

 

 

「攫った人達の場所、教えて欲しい」

 

 

 脅すでもなく、命令するでもない。優しく語りかけるような純粋な願い。命の危機に肩を震わせていたその男は段々と落ち着きを取り戻し、ゆっくりとその顔を上げ始めた。

 

 

 ────その時、突然地面が揺れ始めた。

 

 

「っ!?」

 

「うおっとと……!」

 

 

 凄まじい地響きがまるで世界の悲鳴であるかのように辺りに轟く。誰もが突然の揺れに対処し切れずにたたらを踏み、声を上げて驚く者、バランスを崩して倒れる者が続出する。

 

 

(また、地震っ……!!)

 

 

 アキトもその一人だった。揺れる地に手をついて耐える中で、76層以降から頻発する地震に愈々脅威を感じ始めていた。

 以前にも増して揺れが大きくなっているのが感覚的に分かる。世界が壊れているのではないか────そんな恐怖を掻き立てるほどの音が鼓膜を震わせ続けた。

 やがて段々とその音は揺れと共に遠のいていき、余震がある程度続くと、漸く冷たい風と靡く草原の音のみが残る世界に戻った。

 

 

「……今回は長い地震だったな……」

 

 

 ポツリと、驚きと安堵の篭った息と共に吐き出された感想。それを口にしたクラインは、辺りでよろめいた《風林火山》の仲間達の安否を確かめていく。

 それを視界端に捉えながら、アキトは瞳を揺らしていた。そろそろ曖昧にしていた事象全てに、何か仮説を立てなくてはならない状況になりつつあったからだ。

 

 一つ目は75層を突破した直後、スキルやアイテムといったデータ、ひいてはシステム全体が異常事態を連続で吐き出している事。

 二つ目は、それまで無名だったアルベリヒ一行の突然の登場と実力に見合わない装備とステータス、今回はカーソルが変わらない事とチート染みた武器の存在。

 そして、急に変貌したストレアの不可解な言動と行動原理。ボスを強化する事さえできるゲームバランス度外視の能力。

 

 今までに有り得なかった事が、一度に起き過ぎているのだ。一体、何が始まろうとしているのだろうか。

 この《アインクラッド》で────

 

 

「おいアキト、コイツどうするんだ?」

 

「っ……ぇ、あ……」

 

 

 クラインの呼び掛けで思考が一度霧散する。慌てて顔を上げれば、へたり込む。アルベリヒの部下の処遇を判断しかねて眉を顰めたクラインが立っており、そこで漸く話の途中だった事を思い出した。

 今は不安を募らせるよりも、神隠しにあったプレイヤー達の安否が最優先だった。アキトは気持ちを切り替えてクラインの元へと駆ける。先ずは、彼らのやろうとしていたことを洗いざらい話してもらい、攫われたプレイヤーを助けることからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 攫ったプレイヤー達が隔離されている場所は、《ホロウ・エリア》によく似た無機質なデジタル空間を彷彿させる世界観度外視の部屋だった。目的の為に最適化された殺風景な景色の中心点に、プレイヤー達はいた。

 倒れている者、朦朧と座り込んでいる者、意識ははっきりしている者と疎らだが、彼らを監視するかのようにアルベリヒの部下達がその部屋には立っていた。

 大方予想はついていたので、事前に何人か助っ人をクラインに頼んで募ってもらい、ほぼ攻略組と化した団体で突入したところ、意外にあっさりと事態は収束した。アルベリヒ同様、取り巻きのプレイヤー達もそれほど実力がある訳じゃなく、押せばあっさりだったのだ。

 

 

「ひいいいいい!す、すみません!降参です、投降します!」

 

「なんだよ、これでお終いか?歯応えのない連中ばっかりだったな」

 

 

 最後に残った一人が投降し、クラインが溜め息を吐きながら刀を肩に担いだ。

 残りの部下をクラインが拘束し、《風林火山》が部屋の隅へと取り巻き達を追いやっているところを見ていると、手を貸してくれたアスナに背後から声を掛けられた。

 

 

「アキト君、捕まってた人達はみんな街に戻ったよ」

 

「そっか……アスナ、ありがとね。急だったのに……けど、まさか《血盟騎士団(ギルド総出)》で来てくれるとは……」

 

「アキト君からの数少ない(・・・・)お願いだもの。つい団長権限で呼びつけちゃったっ」

 

「普通に職権乱用じゃ……?」

 

 

 思わず周りを見渡すが、団員を見れば何故か満足気だし別に良いのか──?いや、それよりも『数少ない』を強調するのは自分が悪いと分かっているのでやめて欲しい。

 

 乾いた声で苦笑していると、《回廊結晶》で攫われたプレイヤー達を街へと返し終えたリズベットが歩いて来て、眉を顰めながら訝しげに辺りを見渡していた。

 

 

「リズベット、お疲れ様」

 

「ええ。……それにしても、此処って何なの?何かおかしな機械とかあるし」

 

 

 そう言う彼女の視線の先には、この世界にはまず存在するはずのない機械が連なっていた。『機械』というだけでこの世界の雰囲気には合わないのに、これをアルベリヒ一行が何かの企てに利用していた可能性があるというだけで、もう胡散臭いったらない。

 見ただけで高性能と分かる。だが、何をする為のものなのかは皆目検討もつかない。攫われたプレイヤーに事情を聞こうとも思ったのだが、聴取を担当していたアスナが言うには、

 

 

「それに、捕まってた人達が何をされていたのかっていうのも気になるわね。本人達は、何をされたかとかは記憶に無いみたいだし……」

 

 

 という事らしい。手掛かりは最早この部屋しかなかった。

 こうなったらこの施設を調べられるだけしらべるしかない。専門的な知識が必要かもしれないが、徹底的に調べれば何かしらは分かるかもしれない。

 

 その主旨を仲間内で共有し、アキトは暫く別行動を開始する。彼らも各々で機械や部屋の特徴、捕まえた部下からの情報収集などを行ってくれるらしい。それに甘え、広々とした部屋をキョロキョロと見渡していると、奥にもう一つ部屋が存在していることに気付いた。

 小さな入口から見える空間も、現在の部屋と同化するほどに同色であるが故にすぐには気付かず、思わず二度見した。

 

 

(っ……あれ、は)

 

 

 アキトは思わず小走りでその部屋に入り、奥にあるものを見て目を見開いた。

 そこには、つるつるに磨かれた黒い立方体の石机が設置されていたのだ。その頭上には透明で大きめのシステムウインドウが開かれており、その画面には0と1の文字列が波となって流れ続けている。

 途轍もなく既視感のあるそれは《ホロウ・エリア》にも、そしてキリトの記憶の中─── 一度はユイと別れを告げた、《はじまりの街》の黒鉄宮地下迷宮最深部の安全エリアの中央に存在していたもの。

 

 

「……システムコンソール」

 

 

 これを使えば、何か分かるかもしれないと本能が叫ぶ。思わず飛びつき、現実世界で培ったタイピングの速さでコンソール内のデータを調べてゆく。

 しかし、当然ながら重要そうなファイルにはロックが掛けられていたり、その他のそれらしい資料にアクセスしても、暗号や符丁のようなものが多用されていて全く内容が読めない。

 

 この部屋は、捕まえたアルベリヒの部下から情報を引き出すことで漸く見付ける事のできた場所だ。一般のプレイヤーが誤って侵入することはまず有り得ない。そうなると、パスワードやロックをかけるような心配事も少ないが、にも関わらずセキュリティはかなり厳重だ。

 つまるところ、アルベリヒ達は公にできない実験をこの仮想世界で行っていた可能性が出てくる。

 

 

(他に……他に何かないか)

 

 

 この世界で増えている不可解な現象。その答えに少しでも近付くならと、縋る気持ちが無かった訳じゃない。だがその願いが通じたのか、アキトの視界に映るシステムウインドウの右端に、とあるデータに関する記録が飛び込んできた。

 内容は────

 

 

「……『プレイヤーの感情に関するデータ』」

 

 

 何故、そんなデータがこのコンソールの中に?アキトは眉を顰め、食い入るようにそのデータに焦点を合わせた。

 一見何の関連性も見受けられないデータだが、これが目的の一部だとすると考えられるのは、攫ってきたプレイヤーに対して何か感情に関する実験をしていた線だ。

 このSAOの中で世界観とは無縁の実験を行っている辺り、暗躍する何かの影を感じずにはいられない。そんな事ができるのは茅場晶彦本人か、その関係者としか思えないからだ。現在茅場晶彦───ヒースクリフの所在は不明ではあるが、攫われたプレイヤー達が何をされたのか覚えていないのが、感情や記憶に関する実験によるものだとすると納得もいく。

 

 

「……?」

 

 

 ────ふと、視線が固まる。

 

 目に映ったのは、研究が成されたとされるその“日付”。

 それらは特に一定の間隔がある訳でもなく不規則に、上から順に羅列されていた。だが、アキトはそこから視線を外すことはしなかった。その日付に何か違和感を覚えたからだ。

 そしてその違和感は、すぐに氷解する。

 

 

(……この日って、俺がシノンとフィリアと《ホロウ・エリア》に行った日……)

 

 

 ────そして、アスナ達がダンジョン内で苦しむストレアを見た日だった。

 

 

(こっちは、確か……ストレアが《ヒドゥンバイソンの肉》を持って来てくれた日……)

 

 

 ────そして、その夜ストレアが身体の不調を訴えてきた日だった。

 

 

(これは……95層のボスを討伐しに行った日だ……)

 

 

 ────そして、ストレアがアキト達の前から消えた日だった。

 

 

 そう、一見不規則に見えたこれらの日付には共通点があったのだ。そして、それに気付ける人間は、恐らくこの世界でたった一人だけ。

 ストレアの苦しむ表情が、無理矢理脳裏に思い起こされたのを感じる。アキトはコンソールを見つめながら、驚きを隠せずに口元を震わせた。

 

 

(どの日も、ストレアが苦しんでた日だ……)

 

 

 偶然か。いや、それにしては都合が良過ぎる。だが、未だ関連性は不明だ。

 プレイヤーの感情に関する何らかの実験と、ストレアの体調不良と日時的な関係。それらをぐるぐると頭の中で掻き混ぜるかの如く、その思考は加速していく。

 

 

「────」

 

 

 ───そして、ふと顔を上げた。

 凝り固まった頭の中で、小さくポツンと生まれた僅かな凝り。目を見開き、思考の奥にある何かを、必死に進みながら手繰り寄せる。

 そう、アキトは妙な違和感を振り切れていなかった。目の前のコンソールに映るデータを見れば見るほど、他人事にはとても思えない感覚が押し寄せてくるのだ。

 

 

 アキトは、知っている。

 自分は、覚えている。

 何処かで、きっと目の当たりにしている。

 

 

 

(感情と、体調不良)

 

 

 

 自分は、これに似た話を知っている。

 いや、本当はもう気付いている。覚えのないその記憶の中で、アキトはそれを体験し、目にしていた。

 それはいつも自分の傍にいて、笑って、帰りを待ってくれる存在。

 

 

 

 

「────ユイ、ちゃん」

 

 

 

 

 ────《MHCP試作一号》ユイ。

 

 彼女は元々ゲーム内で精神的な問題を抱えたプレイヤーのカウセリングをするプログラムだった。

 たがプレイヤーの負の感情をモニタリングし続けるだけで、システムからプレイヤーへの干渉・接触は禁止されていた。その為、解決に必要な行動を起こせない矛盾から崩壊寸前に陥り、負の感情を処理し切れずにデータ破損した結果、名前以外の記憶を失った時期があったという。

 ストレアもユイのように、プレイヤー達の感情の左右によって影響を受けたりするのだとしたら───?

 

 

(いや、でもストレアはプレイヤーだ。現実世界に肉体を持った、正真正銘の人間……)

 

 

 だが96層以降のあの変貌は尋常ではない。

 裏表のない性格だったことを知っているからこそ、今の彼女の在り方が二面性によるものではない事───つまり今までのが全て演技で、自分達を騙していた、というわけではないという事は確信を持って言えるのだ。

 何か、彼女の身に起こったのだと考えるのが自然だ。自分達に話せないような事情を抱えているのだと、そう考えたかった。

 なら、ならば。ストレアは一体────

 

 

「おーい、アキト。何処まで行ってんだよ」

 

「……クライン」

 

 

 背後からの声に振り向けば、自分と同じようにこの部屋を見付けだのだろうクラインが、辺りを見渡しながら歩いて来ていた。

 そうして此方まで来ると、設置されたコンソールを視界に収めて訝しげに表情を変える。彼にとっては見慣れぬものであろう。

 

 

「な、何だこれ」

 

「あ、いや……アルベリヒの目的が分かるかと思ったんだけど、ロックされてて殆ど何も……」

 

「用意周到な野郎だぜ、ったく。捕まえた奴等にも色々聞いてみたんだけどよ、白状しねぇんだ。どうする?」

 

 

 そう言って振り返った出口の先にいる部下達は、どいつもこいつも癖のありそうな面構えをしていた。そこには徹底した秘密主義を感じる。

 恐らく此方に殺す気がないと悟ったのだろう。命の保証さえあれば、痛みのないこの世界で死より恐ろしいものはない。彼らはきっと口を噤んだまま何も語りはしてくれない。

 それに、行方知れずだったプレイヤー達は皆解放されたのだ。それはとても喜ばしいことでもある。少しでも情報が欲しい状況ではあるが、取り敢えず今は無理に話を聞く必要も無いかもしれない。

 

 

「……攫われた人達は助けられたんだし、良いんじゃないかな」

 

「……相変わらずだな、お前さんはよ。んじゃあ、此奴らは簡易牢獄でも作って閉じ込めておくか。ああ、この施設にも見張りとか立たせる必要があるか?」

 

「それは……」

 

 

 確かに此処を張り込めば、逃げたアルベリヒと再会できるかもしれない。だが、そもそもこの世界にこんな研究所染みた施設がある事自体、既に問題だ。

 多くの事象が重なっている今、分からない事だらけだとしてもこれ以上の不安要素は取り除いておきたい。

 此処にあるデータは、一般の学生風情が関わって良いものではないのかもしれない。けれど、人を攫って来て強制的に実験を行うような研究なんて、そもそもが間違っている。きっと碌なものじゃないと、それだけは分かった。

 

 

 ────それに。

 

 

「……いや、このコンソールのデータだけ消して退散しよう。この部屋の利用価値さえ失くせば、また誰かが攫われるような事はないかもしれないし」

 

 

 アキトはコンソールに向き直り、黒曜石のキーボードに細い指で叩き始めた。パソコンと同じ要領でデータを消去できるのは有り難く、特に操作に間断も無く消去の準備は進んでいく。

 

 

「そうか……でも、そんな事しちまって良いのか?」

 

「……分かんない。けど、少なくともこの世界では必要ないと思う。……それに」

 

 

 アキトはクラインへと振り返ると、『あー……』と気の抜けた声を発した後、少し間を置いてから照れ臭そうに頬を掻き、そうして目を逸らしながら告げた。

 

 

「キリトなら、こうするかなって思って……」

 

「……そうかい。なら、何も言う事ねぇな」

 

「……良いの?」

 

「良いも何も、お前さんがそう思ってんだろ?それに人攫ってする実験なんて、大抵ロクなもんじゃねえんだよ」

 

 

 それは、アキトの考えと全く同じ。お前は間違ってないのだと、未だ消去に対してほんの僅かに残っていた躊躇を払拭してくれた気がした。その一言に後押しされ、アキトはコンソールに向き直る。

 表示された《DELETE》の文字に対し、《YES》を選択。ロードが入ってすぐ、画面に表示されていたデータが次々と消去されていくのを眺めながら、隣りでクラインが言った。

 

 

「後は、あのアルベリヒの野郎に直接聞くしかねえな」

 

「……うん」

 

 

 ────そう言ってすぐ、消えていくデータの中にあった研究の日付に、再び視線が向けた時だった。

 

 

(────あ、れ)

 

 

 それは、ずっと頭の片隅にあった違和感に対する一筋の解が、急に浮上してきた感覚だった。既に塵となったその日付は、今も脳裏で写真のような焼き付いて離れない。離れていかない。

 研究の日付は確かに不定期で、何か法則があるとはとても思えない。その日全てがストレアの体調不良が起こった日という共通点は確かに偶然とは考えにくいが、共通点は他にもあったのだ。

 

 

 ストレアが苦しんでいた日は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 この二つはきっと───いや、確実に繋がっていた。

 どうしてすぐに気が付かなかったのだろう。考えてみれば、ストレアがS級食材を持ってきた日の夜、彼女が自分の部屋に来た時に言っていた言葉。

『頭の中に自分ではない誰かがいる気がする』と、確かにそう言っていた。それは、今まさにアキトが体験している事象そのものだったのだ。

 もしその声が自分に宿る“何か”と同種のものだったとしたら、前回の彼女の暴挙はその“何か”の所為なのかもしれない。

 

 だが、どうして。

 何故、ストレアはそのような状態に陥っているのだろうか。そもそも、本当に操られているだけなのだろうか。本当は彼女自身にも何か悩みのようなものがあって、本当は何処かで気付いてもらいたかったのではないだろうか。

 

 彼女が最前線に、攻略組に来た理由は?

 その強さで無名だったのたはどういう事だ?

 キリトや自分を初めから知っていたのは何故?

 これまでなあなあにしてきた疑問が次から次へと浮上していく。自分がどれだけ彼女に向き合っていなかったのかを突き付けられて、アキトは歯噛みした。

 

 

(……でも)

 

 

 本当に不思議なものだ。

 彼女は初めて出会った時から、今にまで振り回されっぱなしだ。初対面でも馴れ馴れしく、かといってそれが不快でもない。周りの空気を考えない奔放さが、殺伐とした最前線をいつしか暖かい空間へと変えてくれた。

 アスナは、彼女のことを大好きだと言ってくれた。リズベット達も最初の印象と打って変わって、一緒にいるととても楽しいと言ってくれた。もう、攻略組にはストレアがいなくては始まらない。誰もが彼女の笑顔を求めている。

 

 アキトだってそうだ。彼女の楽しそうな声やその雰囲気には、初めて出会った時から懐かしさ(・・・・)を、

 

 

「あ……れ」

 

 

 ()かしさを(・・・・)────?

 

 

「……」

 

 

 楽しそうな()や、雰囲気(・・・)に。

 

 

 懐かしさ?

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 “それ”を思い出した時、アキトは動くことができなかった。

 

 

「……おし、そろそろ帰るか。……ん?おい、アキト?」

 

 

 足が石のように固まって、床に張り付いてしまったかのように。直立したまま瞳を見開いて、消えゆくコンソールのデータを固まった視界に映していた。

 クラインが近付いて、方を揺すっている。動かない自分を心配して、アスナやリズベットも駆け寄ってくる。

 それでも、アキトは動けなかった。

 

 

 ────脳内で再生されているのは、“声”だった。

 

 

 それはキリトの声でも、ましてや身体に巣食う“何か”の声でもない。ただの、女性の声だった。

 明るく優しく、聞いているだけで心が救われるような、笑顔になれる声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ────この場所に立つ日までずっと傍に居てくれた、懐かしい声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.120 『暗躍(暗闇に躍り狂わされて)

 

 

 

 

 

 

 

 







彼女の、その声を。
彼女の、その優しさを。


俺は。












────“急いで、早くっ!”


────“27層の迷宮区だよ!早く!”


───“もっと先!早くしないと、間に合わな……”


──── “っ……アキ、ト……”


 ──── “無理、だよ……もう……だって……”


 ────“クエスト、やらないの?”


───“っ、でも、アキト強くなりたいって……『強がり』を強さに変えたいって……!”


──── “強くなりたかったのは、ヒーローになりたかったから?”


──── “誰かを守れる力が欲しかったから?”
 
 
────“アキトの、一番欲しいものは、何……?”


────“アキトなら、助けられるよ”







 

 ──── “うん!アキトのこれから、アタシが見ててあげるからね!”
 









 
本当は、ずっと前から知っていた。

END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)

  • ‪√‬HERO(キリトが主人公ルート)
  • ‪√‬BRAVE(アキトが主人公ルート)
  • ‪√‬???(次回作へと繋げるルート)
  • 全部書く(作者が瀕死ルート)

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