言ったら最後、それが言霊。
『一度会って、話がしたいです。今日、お時間ありますか?』
ただ一言二言、そう送られてきたメッセージ。
ログハウス近くの湖の畔。日陰で風を浴び、巨木に体重をかけながら、アキトは空を透かすそのウインドウに記された一文を見上げる。大事な話なのだと簡素な文面からもはっきりと分かる。差出人たるフレンドの名前は、シリカのものだった。
「……」
これが送られてから既に数時間が経っている。にも関わらず、アキトは今の今までこれに対する明確な返答ができず、メッセージを眺めるだけの時間を過ごしていた。このままではいけないのだと知っていながら、これ以上何かが変わってしまうのならと後一歩踏み出せずにいる。その癖にレベリングやクエストを熟している間もふと思い出しては返事をせねばとウインドウを開く。その繰り返しに辟易しているのは、他でもない自分自身。
このまま気付かなかった振りなんてできるはずがない。どれほどの勇気をもって自分にメールを送ってくれたのか、それが分からないアキトではないのだ。
『────来ないで!!』
けれど、それでも。脳が何度もあの光景を再生する。あの日、怯え震えていた彼女に拒絶され、叩かれた右手の甲を見つめる事を止められない。全てを話すと決めたあの日からある程度の覚悟があったはずなのに、拒まれた事実を前に情けなくも立ち止まってしまっている。
『ごめん。今日は、クラインとレベリングする予定だから』
レベリングなんていつでもできるはずなのに。シリカよりも優先する事では無いのに。それでもそう打ち込んだ言い訳のようなメッセージを、一瞬躊躇するだけですぐさま送信してしまっていた。そして、安堵するように息を吐いてしまう。
逃げているのは、拒んでいるのは自分だと、頬を突き刺す冷たい風が教えてくれる。傷付けておいて逃げている今の自分を客観的に見た結果、最低である事この上ないと自覚する。
彼女の事だけではない。取り巻く自身の環境がこれ以上無く恨めしい。《アインクラッド》の異変、大規模なシステムエラー、アルベリヒやストレアの行方と目的、キリトの安否────そして、自分の事。
先の不安ばかりが募る現状に、ふと考える事を放棄して何もかもから逃げ出したくなる衝動が生まれる。ほんの少しだけ、刹那の間だけ。それでも、ザワついた胸中にある凝りは、次第に肥大を続けている気がした。その事に、少なくない焦燥を覚えている自分に気付く。どうすれば良い、どうすれば───と、答えのない問いを繰り返し、返ってくるはずもない解答を待ち続けている。
「みーっけ」
ふと、覚えのある声がすぐ近くで聞こえた。慌ててメッセージウインドウを閉じ、上体を起こす。木陰から段々と歩いて来るシルエットが、やがて陽の当たる場所で顕になる。
「……リズ」
此方を見付けて、達成感が滲む表情を浮かべて息を付いたのはリズベットだった。いつもの赤いエプロンドレスを身に纏い、躊躇も遠慮も無く踏み寄って来た。
「こんなとこで何してんのよ?」
「……えと、少しウトウトしてた」
そんな事は無い。眠れなかったのは本当だが、目は自然と冴えていた。シリカのメッセージについて、なんとなく告げるのを躊躇った。だから、それらしい言葉で誤魔化しただけだと、アキトは口にしてからすぐに自覚していた。
リズベットは「ふーん……」と何の気なしにアキトの頭上を見上げ、そのカーソルの色に目を見張った。
「あれ、ていうかアンタ、カーソルの色戻ってるじゃない!」
「ああ、うん。昨日……」
アスナ達を傷付けた事でオレンジとなっていたカーソルは、先日贖罪クエストを満了した事によってその色をグリーンへと変えていた。アキトはこれが罪に対する罰だとして、戒めのつもりでそのままにしておくつもりだったのだが、《圏内》でなら例え“暴走”が起こったとて誰も命の危機に晒す事は無いうえに、アイテムの補充も容易いからという説得もあって、結局元に戻す事に決めた。
「何でそーゆー事すぐに言わないのよ」
「へ、あ、ゴメン。けど特に理由とかは……待ってくれてるとは思ってなくて……」
「待ってたわよ、みんな。特にユイちゃんが。アンタめちゃめちゃ懐かれてんのね、知ってたけど」
「まあ、構ってもらってはいるかな。俺の何がそんなに良いのか分かんないけど……」
「アンタが構ってもらってる側なのね……」
そう言うと、ふとリズベットは何かを思い付いたように口を開く。その後少し考えるように顎に手を添えた後、アキトを見下ろしながらニンマリと笑みを浮かべて頷いた。
彼女が何か言うよりも先に、アキトが首を傾げる。
「……そういや、何か用事だった?」
「ううん、
「へ……あ、俺は……」
普段なら二つ返事で了承していたが、アキトはバツが悪そうに目を逸らした。脳裏に、先程まで目の前にあったメッセージウインドウが浮かび上がったのだ。
会えないか、というシリカの懇願を此方の都合で断った。だからせめて、断った理由の方には嘘が無いようにしたかった。故に、これからクラインを誘ってレベリングをしようとしていたのだが……。
「えと、今日はクラインとレベリングしようかなー……なんて」
「レベリングなんて買い物付き合った後でも、なんなら明日でもできるじゃない。……何よ、一緒に行くの嫌なの?」
「違う、けど…………やっぱり、そう感じる?」
「?」
リズベットの解釈を聞いて、シリカに対する断りのメッセージを今すぐ削除したい衝動に駆られた。客観的に見てもアキトがシリカに送った返事は、会いたくないから適当な理由を付けて断ったように見えるのかもしれない。ならば自分はまた、彼女を傷付けたのではないか。謝罪も済ませず、罪ばかり重ねているのではないか。
なんて、情けないのだと。頭で自虐が繰り返される。首を傾げたリズベットは、そんな彼の様子に気付く事無く詰め寄る。
「アンタが《圏内》に入れない間、誰が毎回メンテの度に出向いてあげたと思ってんのよ。いいから来なさい」
「……そう、だね。それは、俺が悪かった」
「な、何よ、別に謝って欲しいとかじゃないから……あー、やっぱ嫌なら────」
「一緒に行くよ。どのみちアイテムの補充は、しなきゃいけなかったし」
《圏内》に入れない間、武器のメンテナンスはリズベットに頼んでいた。ログハウスと76層を何度も往復させた恩は返すべきだ。アイテム補充も久しくしていなかったから、それに合わせて彼女の買い物に付き合えば何の問題もない。そして、その足でクラインと共にレベリングを行えば良い。そこに嘘はない。けれど、シリカへの罪悪感も消えることはない。それに嘘を吐く事を躊躇うのでさえ、おかしな話だ。
自分はきっと、嘘を重ねる事にもう慣れ切っている。
●○●○
97層《フィルキア》
────視線が痛い。居心地が悪い。
リズベットに連れられていくつかの店を回っている内に気が付いたのだが、自分に刺さる周囲の視線の多さだった。
最近まで《圏内》に入れないでいたアキトは、プレイヤー達の間で数日間、その所在についての噂が絶えなかったらしい。状況の説明にはストレアの反旗が絡むので、中々情報として浸透させにくかったからだ。伝達が難しかった事で、彼が死んだと密かに噂される事もしばしばだったのだという。
その反動からか街の中のプレイヤーは久しく見ていなかったその《黒の剣士》としての彼を目の当たりにすると、驚きながらその足を止め、すれ違う此方を見ていた。
まるで客寄せパンダのような気分になる。周囲の視線を振り払って、リズベットの隣りに並ぶように歩く。
「……慣れないなぁ」
「ま、オレンジのまま過ごしてきたツケね」
リズベットの手厳しい一言に口を噤む。歩きながら振り返った彼女は、ジトーっと目を細めて此方を見据える。その瞳には何もかもが見透かされてしまいそうで、下手な誤魔化しなんて通用しそうになかった。
オレンジのままでいることで、彼らとの距離を物理的に引き離す。それによって一先ずはリスクを回避できる、そう思っての行動だった事は認める。リズベットはきっとそれを悟っていて、それでいて気に入らないとこうして自分を《圏内》に引き摺ってきたのかもしれない。この周囲の視線は、またしても一人で抱え込もうとしてしまったアキトへの、小さな罰のつもりなのかもしれない。
「……ま、意図っていうか……アンタの気持ちは理解してるつもり。シリカの事、気遣ったんでしょ」
「……っ」
彼女が口にしたのは、96層のボス討伐戦時にアキトが傷付けてしまった、齢十四程度の少女の名前だった。恐怖に支配された表情、死を感じて揺れ動く瞳、許容できずに放った拒絶の声、そうしてしまった自分に対する後悔の跡。その光景の全てが、アキトの脳内で今でも鮮明に焼き残っている。
《アークソフィア》に戻るという事は、否応にもシリカと顔を合わせるという事だ。個人的には危険性が測れない今、彼女と会うのは逆効果でしかないと思っている。シリカを傷付けてしまったアキトにとっても、自分に恐怖している彼女にとってもだ。
リズベットの言葉に、肯定も否定もできずに目を逸らす。けれど、その行為が既に解答を示しているようで、すぐに後悔した。並べた理屈の全てが彼女から逃げるだけの体の良い言い訳にも聞こえるのは、実際にそう感じてしまっているからだろうか。これまで何度も寄り道しながら、それでも真っ直ぐに進んでいると思っていた自身の在り方が、また寄り道を探している。
どれだけ言葉を重ねても、彼女に会うのが怖いのは自分も同じだった。だから回りくどい事をしてまで、シリカの要望を断ってしまった。
「……怖がらせたく、ないんだ。行くにしても、彼女が怯える必要の無い安全マージンが欲しい。俺も、誰かを傷付けない保障が欲しいんだ。だから、それが取れない今彼女に会うのは、その……無理があると思う」
言い訳だと、すぐに思った。
《圏内》かどうかなど、既に問題では無くなっている。勿論死に直結するかどうかでいえば深刻ではあるが、シリカが負わせてしまったのは精神的なもの───心の傷の比重が大きいのだ。だからこそ、自身に起きている問題を解消しなくては会うに会えない。最早、HPが減る減らないの問題ではない。
シリカは優しい女の子だ。故にあのメールは彼女の優しさによって此方に与えられた慈悲であり、本意ではないのではないか。一度そう思ってしまうとどうにも堪らない。
本当は怖くて、会いたくなくて、逃げ出したいんじゃないのか。シリカの気持ちを、そう決め付けてしまう。だから安全が欲しい。理由が欲しかった。
「でも、様子も気になってるんでしょ?それにあの日の事、きっとシリカも後悔してる。なら、話す機会があっても良いんじゃない?」
「……シリカの反応は、客観的に見れば寧ろ普通だよ。アスナ達が俺を許してくれたから……それが難しかったシリカがあの場では浮き彫りになっただけで……」
傷付いてないと言えば嘘になる。けれど、仕方が無かったのも本当だ。だがそれを此処で言ったところで、シリカ本人には伝わらない。
誰になんと思われようが───とはよく言うが、自分もそうで在れたならどれだけ良かっただろうか。そのつもりで生きてきたが、周りの目というのは自分の価値を嫌でも突き付けてくるもので、無視をするには多過ぎた。
誰かと比べ、その違いに羨み妬み、そしてお前なんか要らないと言われれば立ち直れるか自信が無い。《黒猫団》の時だって、キリトと入れ替わった時だって、仲間の視線ばかり気にして思い込みに近い程の勘違いを繰り返した。
拒絶されるのが怖いのは、純粋な本心だ。そしてそれを言葉にできない情けなさを、目の前の少女には見抜かれている気がした。
「……シリカは、その……元気かな」
「まあ、表面上はそう見える感じ。同時に、距離も感じてる。避けられてるっていうか、近付かないようにしてるみたい。気になるなら、会いに行けば?」
「……会っても、どうすれば良いのか……」
「……怒ってる?シリカのこと」
「……分からない。シリカが今、何を考えているのかも、何も」
メールをくれたのは、本心からか。罪悪感に耐え切れず仕方なくなのか。本当はまだ怖くて、会いたくもないのではないか。顔を見たくない、声も聞きたくない、そう感じてしまっているのではないか。ずっと、この場にいない彼女に問い掛けている。
「君にどれだけ拒絶されても、平気だよって……そう言えば良かったのかな」
そんな人、きっと世界の何処にもいない。大切だからこそ、大切にしたいからこそ大切にして欲しいのだから。彼女を傷付けて、怖がらせたのは他でもない自分にその資格はない。
責任を感じるのは彼女ではなく自分だ。それなのにシリカがそれを悔やみ、孤独を強いられていると言われても何ができるか分からない。ただ彼女は悪くないのだと、繰り返し呟くことしかできない。
あの日、あの瞬間を幾度となく思い返す。その度に何度も考える。拒絶されて当然の自分が、彼女に何を言えば良かったのだろう。
そうしてどれほどの店を回っただろうかというタイミングで、リズベットが最後の店として選んだのは、序盤に素通りしたが気になっていたというアクセサリー店だった。
店頭に並ぶ品々に張り付くように顔を近付けた彼女の瞳は、そのアクセサリーの光を反射したかのようにキラキラと輝いていた。
「うわー……うわー……!! 凄い綺麗……この細工、凄過ぎる……」
「いや語彙力……アクセサリって言うから装備品かと思ってたけど、普通に装飾品のお店か……」
この店に並ぶアクセサリーの全ては、凡そ攻略組が身に付けるには不相応な店であった。決して店を卑下している訳ではなく、ここにあるものの殆どがパラメータに影響を与えないただの装飾品なのだ。
装備してもステータスの実数値は上がらない。オシャレを求める人なら兎も角、強さを求める人にとってはパラメータも上がらないのに装備箇所を無駄使いするようなものだ。故に、そういった人がそもそも立ち寄らないような店だった。
しかしリズベット当人はかなりご満悦の様子であり、今もなお目の前のショーケースに鎮座する指輪に顔を近付けて荒い呼吸を繰り返していた。
何がそんなに興奮するのだろうか。段々と気になって彼女の隣りで足を止めると、同じように品を覗き込む。するとリズベットは、眼前の指輪をケースから取り出す許可を貰い、その手に取って何が凄いのかを独り言で教えてくれた。
「この指輪の細工なんて絶対真似できないし……ハァ……凄い……目の保養だわ……」
「……わ、ホントだ。ええ、鍛冶スキルってこんな細部まで拘れんのヤバ……」
彼女が目を付けていた指輪は、素人目から見ても確かに高度な技術を施したものだった。芸術に疎いアキトでも、その細部に至るまでの拘り、指輪の形状や宝石の、美しさ、何よりこれを作成するのに掛けた時間と情熱が作品から伝わってくるのを感じる。
そんなアキトの反応には、リズベットも満足らしく自分の作品ではないというのに誇らしげにふんぞり返っていた。
「ふふん、漸くアンタも鍛冶スキルの凄さが分かってきたわねぇ……ハァ、凄いなぁ」
「……あ」
「あ゛?何よ、このエクセレントな指輪に何かケチ付けようっての?」
「へ?……あ、や、違くて……」
いつもより目敏く反応するリズベットの視線は鋭く、思わず萎縮するアキト。
別段、この指輪に特に文句がある訳では無い。というか、そんな事を言う資格すら自分には無いだろう。ただこれだけ綺麗なアクセサリーなら、贈り物に良いだろうと思っただけ。
────サチに、とても似合いそうだと感じてしまっただけ。
死と隣り合わせの世界で、彼女にとって装備とは自分を守る為のものだった。けれどそれがドンドン強化され、更新される度に感じていたのはきっと、安心感よりも『また戦わなくてはならない』という事への絶望と恐怖だった。装備やアイテムを手に入れては黒猫団のみんなに配っていたあの頃のアキトは、彼女にとってさぞかし非道の輩に見えていた事だろう。
けれどもし目の前の、パラメータが付与されてない単なる装飾品の贈り物であったなら、純粋に喜んでくれたのかもしれない。そう思うと、何だか堪らない。悔やまずにはいられなくなってしまうのだ。
「その……凄く、綺麗だからさ。パラメータが無い分、純粋に贈り物としても、良いなって」
「……」
「リズベット?」
「ああいや、今のはちょっと……ううん、かなり嬉しかったから」
喜ばれるような事をした覚えがなく、自然と困惑が顔に出る。そんなアキトを見て僅かに微笑んだ彼女は、視線をアキトの手元の指輪へと向けて、ポツリと呟き始めた。
「これの製作者はきっと、普通に装飾品として通用するアクセサリーも作れる人よ。スキルを相当上げないとこの細工は作れないから。それでもパラメータを度外視してるのは、それだけでこの作品の価値を決めて欲しくなかったからだと思う」
「……」
「ただ素直にこの美しさを見て欲しい、心惹かれて欲しいって願って、このアクセサリーを作った気がするの。だから、アキトの今の一言は製作者にとっては、凄く価値のある言葉だろうなって思ったのよ」
「……そういうもの、なのか」
彼女の視線につられて、アキトもその指輪へと再び視線を戻した。何度までもきめ細やかな細工、美しさの中にある独自性は素人目にも分かる。ここに至るまでに培ってきたスキルで作り上げたのは、戦闘では全く使い物にならないアクセサリー。それでも、これを作った当人の気持ちがそこには現れているように、確かに感じた。
鍛冶屋が作成するものの殆どに求められるのはパラメータだ。だからこそ目の前のただの装飾品は一見、人によっては無駄に見えるかもしれない。だからこそ、彼女の放つ言葉の重み、この指輪に込められたものをアキトは理解した。
「アンタだって、パラメータに関わってなくてもご飯は美味しい方が良いでしょ?ステータス上げに役立たなくても、ぼんやりと空を見上げたり、本を読んだり、こうして誰かと一緒に出掛けたりさ」
指輪からアキトへと、その瞳が向けられる。透き通ったその眼には、日光のような温かさがあった。
「たとえ仮想世界であっても、あたし達には心の余裕が必要じゃない?それが無駄に見えたとしてもね。焦った時こそ寄り道があっても良いと思うのよ、あたしはね。このアクセサリーはそんな風に誰かに必要な心の余裕を生んでくれる大事なアイテムだと思うの」
諭しているような言葉を耳に、再び指輪に視線を向ける。改めて見たその指輪からは、初めの印象とはまた違った何かを感じたような気がした。それは、リズベットがたった今伝えてくれた言葉が響いたからだろうか。
「……焦ってるように見えたかな」
「どうかしらね。まあでも、今は色々あるから」
曖昧に誤魔化しながら、態とらしく逸らされた顔。小さく苦笑すると、陳列されたアクセサリの前へと一歩踏み出して、
「……なら、その心の余裕を生む為にも、何か買っておこうかな」
「あ、ならこの指輪なんて良いんじゃないかしら」
「それリズベットが欲しいだけじゃ……」
────目に留まったのは、水晶で作成されたペンダントだった。空を透かすような水色で彩られ、その中心に宝石のように美しい鈴が付けられている。手に取って揺らすと、風鈴にも近い透き通ったような甲高い音色が響く。
「……これ」
「なになに……鈴?そういや、アンタも付けてるわよね。なんか猫みたいに」
「猫……猫、ね」
自分のいたギルドに相応しいアイテムをくれたんだなと、プレゼントしてくれたかつての仲間を思い出して、儚げに笑う。その余韻を確かに噛み締めながら、手に取った鈴のペンダントを女性NPCに手渡した。
「これ、ください」
「ありがとうございます。今、付けていかれますか?」
「いえ、プレゼントに」
「プレゼント?アンタが使うんじゃないの?」
NPCとの会話を遮って首を傾げるリズベットは、訝しげに眉を顰めていた。アキト自身、鈴自体は今付けているもの以上のものは考えられない。ただ、仲間に贈られて嬉しかったものだから、自分も誰かに贈りたいと思っただけだった。
心の余裕。リズベットはそう言った。こういう機会でなければ決して立ち寄る事のなかった店だ。色々な巡り合わせがあって、今日この店に来て思い出す事ができた。
「お詫びっていうか……仲直りの証みたいな」
「……シリカに渡すの?」
「……思い出したんだ。昔のことを」
かつて自分も体験した仲間とのすれ違い。キリトへの劣等感に苦しめられた結果、惨めな自分を見られたくなくてサチを避け続けた。挙句、最後まで解れた糸が結ばれる事はなく、その後悔が消えた日など一日だってありはしなかった。
後悔はしない、と。すれ違いのまま終わらせてはならないのだと、サチ達から教わったはずだったのに。また、忘れてしまうところだった。
自分と仲間を繋ぎ止めてくれているのが、今まさに自分の首に掛かっている鈴のペンダントだ。店の鈴が綺麗だと思ったのも本当だが、もしかしたらゲンカツギのつもりだったかもしれない。
「話すこと、まとまってないけどさ。会ってみるよ」
「……そうね。それが良いわ」
「うん。ありがとリズ、今日誘ってくれて。君と話してると、元気出る」
「あら、人生相談ならいつだって請け負うわよ?」
それは頼もしい、と互いに笑い合う。
そうしてNPCから受け取った鈴を見て、瞳を細めた。これをシリカに────そう思った瞬間、視界端で見覚えのある装備を身に付けたプレイヤーが立っていることに気がついて、思わず顔を上げる。
────彼女を見て、もうしないと決めていたはずの後悔を、意図も容易く重ねてしまったのだと知った。
●○●○
「……え」
────シリカは目の前の光景を見て、動けなくなった。
無理矢理でも視線が逸らせない。言葉が喉に詰まって出てこない。見たくないのに、身体が動かない。瞳が映すものの全てが、自分の存在を否定している。
行き交う人々が映らない。そのざわめきが聞こえない。心臓が小さく脈打つ音が鼓膜を支配して、偽りの静寂の中で冷静に、ただ眼前の景色を突き付けてくる。
目の前で、アキトとリズベットが笑い合っている。
何故。なんで、なんで。どうして。
理由を求めようとしているはずなのに、頭の中ではずっと問い掛けの言葉ばかりを放ち続けている。胸中に、段々と何かが渦巻き、蠢き、形になり始めていく。
『一度会って、話がしたいです。今日、お時間ありますか?』
ただ一言二言、そう送ったメッセージ。内容なんてない空っぽの文章だけれど、恩人を拒絶した事に対して謝罪をしたいと、それが伝わるよう自分なりに意味を込めたつもりだった。
用事があるからと断られてしまったけれど、それなら仕方が無いと諦めもついたし、安堵もした。会いたいけれど会いたくない。罪悪感が入り交じる、そんな矛盾した想いを抱え込みながら。人の事を言えないのは分かっているけれど、目の前の光景が、何とも言えぬ感情を運んでくる。
「……アキト、さん……?」
え……なん、で。
今日は、クラインさんとレベリングだって……。
「────……」
嘘を、吐いた……?
────その結論に辿り着いた時、底冷えするような、激情にも似た何かに締め付けられて、思わず悲痛に顔を歪めた。自分が感じるべき感情ではないのだと知りながら、意志とは無関係に負の感覚は増幅していき、固まっていたその足が震えながら一歩を踏み締める。
「────っ」
途端、アキトとリズの視界端に自分が映ったのだろう。揃って此方を見て、アキトは、酷く驚いた表情を浮かべた。当然だ、今の彼はクラインとレベリングをしているはずなのだから。
責められるべきは自分。分かっているのに、アキトの後ろめたいような表情、バツが悪そうな顔を見てしまったから。導いた結論が頭から離れなくて、思わず口を開いてしまった。
「……嘘を吐いてまで……あたしに会うのが、嫌でしたか……?」
「シ、リカ……いや、違うのよ。アキトは……」
「リズさんは黙っててください!」
ピシャリと、親友であるリズベットにそう吐き捨てた。今は彼女ともまともに会話したくなかった。言いたいことだけ言ってしまいたい衝動に駆られた。理性よりも感情が、考えるよりも先に口を動かして言葉を紡ぎ出す。
「本当は、嫌だったんでしょう?あたしに会うのが」
「……シリカ」
名前を呼んでくれただけで、言い訳の一つも言ってくれなかった。それが更に胸中の苛立ちを助長する。会うのが怖かったのは自分も同じなのに、それを棚に上げて怒りをぶつけている。勝手で卑しくて、汚い女だと分かっているのに。これ以上はいけないと知っているのに。
止まらない。止められない。
「謝る機会も、くれないんですか。なら、はっきり……はっきり言えばいいじゃないですか」
お願い。もう止まって。
これ以上、あの人を傷付けるようなことを言わないで。
そんな願いも虚しく、感情は勝手に自身の口をこじ開けて告げた。
「あたしなんか嫌いだって!顔も見たくないんだって!そう言えば良いじゃないですか!!」
「────」
言っちゃ駄目。それ以上は、言ってはいけない言葉だ。
だけど、積み重なった罪悪感と不安で、止められない。
「……無理が、あったんです……あの日の事があったのに、何も無かったみたいにやり直すなんて……」
目の前の彼の表情を見れば分かる。確かに嘘は吐いたのかもしれないけれど、そこに悪意や侮蔑の視線は全くない。自分の言ってる事が全て間違っているのだとすぐに気付いた。だから、優しい彼だから、またいつも通りに戻れる、戻してくれると勝手に期待した。この数日間、優しい彼に甘えて、けれど優しい嘘に脅えていた。
いつかこんな日が来る未来は決まっていた。だから、次会うのがとても怖かった。口にした拒絶は、今日に至るまで決して消えてはくれなかった。アスナやリズベット達全てがアキトを仲間だと、今までと変わらぬ態度で接する事ができていたのに、自分は。
自分だけは、彼を────
「────っ!」
「シリカ!」
堪らず、彼に背を向けて走り出した。最前線の人混みはそれなりに多くて、けれど小さい身体のおかげか簡単に隙間をすり抜けられた。その集団から飛び出し、簡単に一人になれた。
その背に呼び掛けるアキトの声に振り返りもせず、瞳から伝い始める涙を手の甲で拭いながら、まともに前を見ることもなく走り続ける。
行先なんて決めてない。逃げたい。いなくなってしまいたい。此処ではない何処かへ。
(痛い────)
拒絶の言葉を紡いだ喉が。
(痛い────)
拒絶を生み出した胸の奥が。
(痛い────)
孤独を感じる、その身全てがズキズキと痛む。
(────遠い)
会えずにいた数日間よりも。
今、貴方が遠い────。
『────来ないでっ!!』
あの日、恩人に言い放った自身の言葉。今日までずっと後悔している。口にした瞬間、じんわりと熱を帯びて胸に残っていて、とてつもなく痛くて、苦しくて。
────もう、言葉にする前には戻れない気がした。
────Episode.121『
リズベット 「まさか、シリカも97層に来てたなんてね……」
シリカ 「アキトさんに断られてしまったので……気になってお店に行こうかと思って……」
アキト 「なるほど……」
キリト 「……それよりさ、なんか傍から見たら、アキトの浮気現場を目撃したみたいだよな」ドキドキ
シリカ 「クラインさんとレベリングって言ってたのに、他の女と出掛けてたなんて……アキトさん、酷い!あたしとは遊びだったのね!みたいな感じですかね」ワクワク
アキト 「待ってくれ、違うんだハニー!みたいな?」ノリノリ
リズベット 「楽しそうで何よりだわ」
※本編とは無関係です。
END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)
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√HERO(キリトが主人公ルート)
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√BRAVE(アキトが主人公ルート)
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√???(次回作へと繋げるルート)
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全部書く(作者が瀕死ルート)