ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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強さとは、必ずしも結果で示されるものじゃない。そこを目指す過程にこそ、在り方と覚悟が試される。




Ep.124 追想

 

 

 

 

 97層迷宮区。

 

 そのボス部屋前の通路は一直線にある程度続いている。その麓が回廊結晶を繋いで攻略組が現れる集合場所である。もうこの辺りに来るような輩は攻略組か《血盟騎士団》の上層しか有り得ない。ゲームとして楽しめるレベルはとうの昔に終わっている。そんな楽観視でさえ、本当は初めからあってはいけないものだったが、度胸試しで来るような死に急ぎがいないだけ有り難いと、壁に凭れながらそう思った。

 

 集合時間にはまだ早過ぎる。だというのに、今日に限って目が冴えた。普段朝には弱く、目蓋が重くなり二度寝を決め込む事は現実でも仮想世界でも珍しくはなかった。最も、前線に来てからは目的意識があった為にその限りではなかったけれど、最近は連日眠れぬ夜を過ごしたからか不眠に拍車がかかってきていた。

 

 あと何度そうした夜を過ごし、日々を重ねる事ができるだろうか。アキトは天井へと向けていた視線を下ろし、遥か先に仄めく大きな扉を凝視する。固く閉じられ、来る時以外にその口を開く事の無い地獄の扉。あの先に、既に彼女はいるのかもしれないと思うと、その物理的な距離の近さに緊張が走る。

 

 早く時間になって欲しいような、このまま時間なんて止まってしまえばいいような、そんな矛盾ばかりを抱えた複雑な心中が、何もせず此処に突っ立ってるだけの自分自身をイライラさせる。このまま何もせずにいたら、嫌な思考ばかりに脳が軌道を変えていく気がした。ボス戦当日だというのに、思えばこれまで戦略や戦術に関する作戦ばかり練っていて、ストレアに対する心構えなど何もできてはいなかった。

 

「っ……はぁ」

 

 覚悟を決めたはずだけど、いざ彼女と相対した時に自分は何を思い、どんな言葉をかけるだろうかと、悩みに悩んだ。それでも答えなんて出てこなくて、気が付けば数時間経っている事もあった。

 だから複雑だ。会えばきっと言葉なんて自然と出てくるだろうから、早く時間が経ってしまえばと思うのに、もしそんな事は無くて、彼女の顔を見た瞬間にしどろもどろになりながら何一つ進展しなかったらと思うと、ボス戦の時なんて来なければ良いのにと思う。

 

(誰かの事で、こんなに悩んだのは久しぶりだな……)

 

 それこそサチやキリトを除けば、最前線ではストレアだけだ。出会いは突拍子も無い事で、特に知り合いだったわけでもなくて、けれど妙に懐かしさを感じさせる彼女は、その天真爛漫な性格と笑顔で多くの人達に幸福を与えて暮れていた。それは決して過言ではなくて、彼女が笑ってくれるだけで嬉しかった。

 そんな不思議な存在だった彼女が、いつの日か傍にいるのが当たり前になっていて。ストレアにあれ程拒絶され、仲間だって傷付けられたというのに。それでも諦め切れないのは、そんな当たり前の日常に彼女がいて欲しいと願ったからだろうか。

 それが、自分だけでない事を祈るばかりだ。

 

「────っ」

 

 ふとすぐ右手側の階段から、何者かが此方へと上ってくる音がし始めた。考え事をしていたせいか対応が遅れ、慌てて背を壁から離す。コツコツと、静寂の中でブーツが階段を叩く音が木霊する。次第にそれは大きくなり、その存在が近付いてる事を知らせてくれる。

 先程も言ったが、97層ともなれば此処に足を運ぶ酔狂な輩は限られてくる。攻略組やその候補となるプレイヤー、つまるところ同業者だ。そうでなくとも此方に敵意を向けるような連中である事は考えにくい。まして、オレンジプレイヤーなどが此処に来る理由なんて無いのだから。

 

 その予想は的中したようで、階段を上り切り、その影から姿を現した少女を見て、アキトは目を点にした。

 

「し、シノン……」

 

「はぁ……此処にいたのね」

 

 大きめの弓を肩に下げ、怪訝な顔で溜め息を吐きながら───シノンはそこにいた。

 

 チラリと後ろを振り返り、登り切った階段を煩わしそうに見た後、小さく溜め息を吐いて向き直った。後続に誰も居ない事に気付くと、アキトは思い出したように目を見開く。

 

「……え、一人?シノンさん、一人で此処までいらしたんですか……?」

 

「別に平気よ。誰かさんが顔すら見せない間も、それなりに成長してたから」

 

 何その口調、と可笑しそうに言いながら歩み寄る。彼女の言い分にバツが悪そうに目を逸らしていると、すぐ隣りでアキトと同じように黒曜石の壁に寄りかかった。

 

「だからって、一人で来るのは」

 

「自分の身は自分で守るわ。アンタこそ、一人でこんなとこで……随分早い到着じゃない。集合時間、まだ先でしょ?」

 

「……まあ、ね。ちょっと考え事……」

 

 家にいて時間まで仰向けになってても、色々と考えてしまうだけだった。そんな静寂が嫌で予定時刻よりも前に此処へ来たは良いが、場所が変わっただけで結局のところ同じだった。

 長いようで短い未来で、彼女と対峙する。距離にしてみれば、ほんの数十メートル先に君がいる。その時、自分はどうするのだろうかと抽象的で曖昧な思考をぼんやりと脳内で掲げるばかりだった。何の為に移動したのやら……。

 

「そんな事より、シノンは?なんで此処に……」

 

「さあ、どうしてかしらね」

 

 そんな惚けた態度で、シノンは上体を少しだけ前に傾けた。隣りで寄り掛かるアキトの更に先、通路の奥深くに聳える巨大な扉に視線を向けながら、やがてその瞳を細めた。恐らくあの先にいるであろう彼女の事を、頭に思い浮かべながら。

 

「……ストレアに会ったって、聞いたわ」

 

 ────白々しい態度を取っておきながら、本題を切り出す速度が異常過ぎる。思わずギョッとしながら彼女を見る。依然として変わらない彼女のすまし顔に、アキトは口元を曲げ、眉を寄せた。

 

「……アスナに聞いたの?」

 

「コテンパンにされたみたいだってね。……落ち込んでるの?」

 

「そんな事な……や、あるかもだけど、そーゆーのじゃなくて……彼女に会ったらどうしようかって、少し考えてただけ。俺の選択で、みんなを危険な目に合わせるかもしれないから……」

 

 その行動一つ一つに命を懸ける。最前線に来てからは毎日そうだったはずなのに、今回に限ってはその重みに違いを感じた。

 攻略組やそれに関連するプレイヤー、広がった噂を耳にした者達の殆どはストレアに対しての断罪を求めている。それは勿論多くの人を死なせた事による怒りもあるだろうが、ゲームクリアに支障が出る可能性が大きいからという現実的な意見が多かった。誰もが望んだ現実世界がもうすぐ手の届くところにあるのだ。邪魔をする存在を良く思えるはずがない。まして理由を告げる事無く問答無用で襲いかかってくる相手と分かり合おうと考える者の方が少ない。アキトでさえ、ストレアが全く知らない赤の他人であったのなら、こんなに考えたりはしなかったかもしれない。

 だから今回に限っていえば、大多数の意見がきっと正しい事であるというのは分かっているのだ。それを押し切ってまでストレアの為に行動しようというのだ。その選択で他者を傷付けるかもしれない事実に、アキトはまだ躊躇を感じていた。

 

「へぇ……怖いんだ。そういうの珍しいわね」

 

「へ……そうかな」

 

「言葉にしてくれる事、無いじゃない。アンタいつも『大丈夫』しか言わないから」

 

 何処か刺々しい物言いに苦笑する。バツが悪そうに視線を軽く泳がした後、小さく息を吐いて、ポツリと小さく呟いた。

 

「ストレアの事、まだ助けるつもりでいるのね」

 

「……それ、どういう意味」

 

 言葉の意図が分からず、思わず聞き返す。

 まるで私は違うと、そう聞こえてしまったから。驚きを隠せずに彼女を見下ろせば、彼女はアキトの心情を理解したのか左右に頭を振ると、此方を見上げまま告げる。

 

「彼女がした事はもう随分と知られてる。断罪だの処刑だの宣ってる輩が多くなってるの知ってるでしょ。けどそれは仕方が無い事だとも思ってる。理由はどうあれ、彼女はそれだけの事をしたんだから」

 

「……それは、分かってる」

 

 あのボス戦で、人が死んでいる。それもベテランの攻略組たるプレイヤーが、だ。過程として、襲ってきたのがボスだったとしても、嗾けたのはストレアだ。

 殺人というだけで罪深いが、ただでさえ不足気味だった攻略組の戦力を消耗させたのはかなり問題だった。そのうえ、この世界では強いプレイヤーというだけで名が通る。それも攻略組となれば、尚更知らない者は少ない。故に今回死亡したプレイヤーの命も、きっと個人だけのものに留まらない。彼らを知り、憧れ、繋がった絆がきっとある。家族や恋人、友人だっていただろう。

 そんな彼らにとってストレアは、大切な人を殺した仇でもある。憎しみからは何も生まないだなんて、綺麗事に過ぎない。彼女を助けられなかった自分が、彼らに何かを言う資格なんて、止める権利なんて、きっと無い。

 

「シノンも、そう思ってるの……?」

 

「私は別に……ただ、目的は知りたいって思ってる。ストレアとは、ずっと一緒だったんだから」

 

 正直、シノンだけでなくアスナ達でさえ、ストレアの裏切りとも呼べる行為を未だに信じ切れてはいないだろう。だからこそ彼女がそうしたのには必ず理由があるはずなのだと考えるしかなかった。だがそれは都合の良い考えでしかなく、目的があったとて彼女の行動に正当性がある訳じゃない。人が彼女の手によって死んでいる以上、誤魔化す事などできないし、してはいけないのだ。

 それでも、彼女にそうまでさせた理由を。ここまでしなきゃいけなかった理由を知りたいと思うのは当然だった。

 

「……俺もそう思ってた。そう思ってる……だけど……此処まで来ると、それはもうただの綺麗事でしかないんじゃないかって」

 

「……」

 

「誰一人死なせたくない。けれど、ストレアの目的も知りたいし、助けたい……その為の行動をするって決めた。……だけど、そんな我儘が通るはずがないのを分かっていて、俺は結局、またその場で足踏みしてるんだ」

 

 天秤になどかけられるはずがない。何方も捨てられない大切なものなのだ。けれど、既に引き返す道はない。現実世界に帰還する事だけを目指して二年間人々は戦ってきたのだ。現実の肉体にだってリミットがある。ゲームクリアが目と鼻の先にあるのだ。それなのに、ストレア一人の願いの為に攻略組が止まるはずがない。そんな希望など最初からなかった。

 だからストレアは、それを分かっていて相談しなかったのだ。理由も何も話してくれない。話したところで理解も解決もできないのだと決め付けて。

 故にこのまま進めば何方も平行線、互いに命のやり取りを選択しなければならない。この場所は既に、その領域なのだ。

 アキトは、シノンから視線を外して反対方向に続く道の先、ボスが待ち受ける巨大な扉を見据えて口を開ける。

 

「……もうすぐあの扉が開く。そうなればきっと、嫌でも彼女と戦う事になる。その刹那で彼女の目的を聞いて、解決する手段も手に入れて、仲間を死なせずボスを討伐するだなんて……流石に思わない。思えないよ……」

 

 きっと何かが───大切な何かが犠牲になるのだ。それが分かっていて、けど止める術を知らない。ストレアをフィールドで見掛ける事が無い以上解決策はなく、彼女と確実に対面するにはボス部屋へと赴くしかない。それはまるで予定調和のように進行していて、アキト達とストレアの決別は既に運命だった。

 誰も彼もを守りたいと願うが、今の自分にその力があると自惚れはしない。何かを失う事は、既に決定事項とも呼べた。だがボス戦を先延ばしにもできず、だからこうも不安が募っているのだ。

 アスナは言ってくれた。やらないで後悔するよりもやって後悔した方が良いと。だが事前に後悔すると分かっているのなら話は別ではないだろうかと、決意は簡単に鈍る。

 

「……俺がもっと強かったら……その気になれば何処にでも飛んで行けるような、そんな強さがあったなら……つくづく思うんだ」

 

「……」

 

「キリトだったら、ストレアが抱えていたものも分かってあげられたかもしれないのに……」

 

 誰かが命を落とす事もなく、彼女が笑顔でいられる世界線があっただろうか。網目のような選択肢全てを間違いなく選べていたら、ストレアを人殺しにさせなくて済んだだろうか。以前のようにみんなが笑い合えていただろうか。

 もうずっと、何度も何度も同じ事を考えている。何もかも覆せるような力があったのなら、ストレアも迷わず相談してくれたのかもしれない。彼女が仲間を傷付け、死に追いやる事はなかったかもしれない。袂を分かつ事はなかったかもしれない。今この瞬間に至るまでの彼女の言葉や仕草、そのたった一つでも気にしていたのなら、こんな事にはならなかったのかもしれない。そう思うと、なんだか堪らないのだ。

 キリトが居てくれたなら、救ってくれたのではないかと、また押し付けて期待してしまっている。結局、あの頃と何も変わらない────

 

 

「……っ」

 

 

 ふと、我に返って隣りを見た。

 

 

「……」

 

 

 シノンは、変わらず口を閉じたまま此方を見ていた。不安ばかりを吐露して情けなかった自分の姿を目にさせてしまった。彼女も不安なはずなのに、自分の言動一つでそれを助長させたかもしれないと思った途端、アキトは慌てて口を開いた。

 

「ご、ゴメン、ボス戦前にこんな……弱音なんて……シノンまで不安にさせちゃいけないのにな」

 

「アンタがいつも強がってるだけなのは、もう知ってるから平気」

 

 ────思わぬ返しに二度見する。シノンは慈愛に満ちた瞳を細め、何も言わずに此方を見上げている。その表情を見て、アキトはいつの日か彼女に言われた言葉を思い出した。

 

「そ、か……シノンは、知ってるのか」

 

「前に言ったじゃない。アンタの事、誰よりも理解してあげるって」

 

 言い返すようにして、僅かに微笑む。それを見て、アキトも自然と頬が緩んだ。

 彼女には何度気を遣わせたか分からない。色んな秘密を周りにひた隠しにしていた頃から、シノンは此方の事情をある程度目の当たりにしていた。だからこそ自分だけは彼を知っておかなければと、そう思わせたのかもしれない。仲間の安否を周りに黙り、時には嘘を吐かせたかもしれない。今となっては、申し訳なさしか感じなかった。

 

「けれど……私がアキトを理解してる気になってるのは自分と似てるからだって、最近思うようになったの」

 

「……それ、初めて会った頃から言ってたよね」

 

「私が勝手にそう思ってるだけなんだけどね」

 

 少しだけ、気恥しそうに声を漏らす。そんな彼女に、思えばアキトは、似てると思ってくれている理由を聞いた事はなかった。もしかしたら自分でも、無意識にそう感じていたからなのかもしれないと、今になって思った。

 そうして彼女を横目で見ると、シノンは思いを馳せるように語り始める。

 

「初めてアンタの戦いぶりを見た時は震えたわ。私が求める強さがそこにあったから。それですぐに考えた、どうしたらあの強さに到れるだろうって。結果、アンタの強さはきっと、死と隣り合わせだからこそ生まれたものなんだって、そう思ったの」

 

「……だから、攻略組に?」

 

 アキトは僅かに動揺しながらそう尋ねる。シノンはコクリと頷いた後、するすると壁を背に付けながら座り込み、その膝を抱えた。

 

「“強さ”が欲しかった。何よりも。攻略組になればそれが手に入るって、浅はかにもそう思った。勝手に、アンタを目指してたのよ」

 

 ────それはまるで、アキトがキリトに憧れた理由そのままに聞こえた。まるで自分の心を見透かされたみたいで、言葉が出なかった。彼女自身の事のように語っている手前、本当は自分に向けられたものなのではないかと、そう勘違いする程に似ていて。

 

「だから教育係にアンタを選んだ。アンタの行動一つ一つに、何かヒントが無いかって……あの時は必死だった」

 

 懐かしむように呟くシノンを、ただ見下ろす。あの時の事を、アキトは今も思い出せる。確かにあの頃の彼女は強くある事に本気で、異常な執着を見せていた。時折此方に見せる敵意に近い視線には、そんな理由があったのかと今になって納得した。

 しかしそんなシノンの表情は、次第に痛ましい笑みへと変わり、

 

「だけどアンタを見て知る事が出来たのは、期待してたものとは全然違くて……寧ろその逆の方が多かった。私は、鏡像を見せられてる気分だった」

 

「……鏡像」

 

 まるで鏡写しだと、そう告げた。それはこの場ではアキトとシノンの事に相違無く、故にアキトの瞳は揺れる。そう思う理由が彼女の口から語られるのを、何故か酷く恐れた。

 静寂で冷たい空気の中で、彼女の声は嫌によく響いた。

 

「時折見せるアンタの表情が……どうしようもなく私に似てた。過去に怯えるだけだったあの頃の私に重なった。目指すまでもなく初めから、私とアンタは同じだった」

 

「…………」

 

 ────動揺が無かったと言えば、嘘になった。傍からそう見られていたなんて気付かなかったから。あまりにも的を射たその発言から、アキトはシノンが抱えているものを少しだけ垣間見た気がした。彼女も自分と同じで、過去に何かを────苦悩を、抱えているのだと。

 だがシノンは困ったように笑みを返すと、頭を左右に振って、

 

「それでもアキトは、それを決して表に出そうとしなかった。辛くて苦しくてもそれを誤魔化して、自分を偽って、強がって、そうしてまで他人の為に行動してた。アスナも、フィリアも、アンタは救ってみせた。その心の強さだけは……私とは全然違ってた」

 

 ギュッ、と服の裾を掴み、悔しげにそう言った。そしてチラリと此方を見上げた後、再び目を逸らした。

 抱えた膝に顔を埋めるも、その頬が僅かに朱に染まっているのに気付く。

 

「……気が付けば、何の理由も無くアンタを見ている回数の方が、いつの間にか多くなってた」

 

 ────ポツリと、彼女はそう言った。

 その言葉の意味が分からないアキトではない。けれど、彼女のその愚直なまでの姿勢と言葉に、思考の逃げ道を失ってしまう。ジッと此方を見上げて、何かを期待するような眼差しで、その瞳は揺れている。

 耐え切れず、思わず無意識に視線を逸らした。答えを出す事すらしてないのだ、それが不誠実だと自覚していたが、バツが悪そうな顔をしていると自分でも分かる。だからだろうか、アキトが戸惑うその反応だけで彼女は満足そうに微笑んだ。

 

「……この世界に来て、私、少し分かった気がするの。キリトやアスナ達に、それに……ストレアも教えてくれた」

 

 逸らしていた顔を戻し、座り込んだ彼女をふと見下ろす。彼女の視線は、薄暗闇の最奥の扉からアキトへと向けられた。視線が交わる瞬間、慈愛の瞳がアキトを見据えて。

 

「強さって、なんなのかを。誰よりも……貴方が示してくれた」

 

 これまでそれを求めて躍起になっていた彼女は、漸く自分なりの答えを見つけたようだった。聞いても良いのだろうか、そんなアキトの表情を読み取ってか、シノンは小さく頷いた。

 

「……きっとね、人は大事なものが無ければ強くなんてなれない。ずっと、何かを打ち倒して乗り越える事のできる力が欲しかったはずなのに……大事なものを守ったり助けたりする心に──貴方に、私は魅せられた」

 

「……」

 

 

 ────それは、つまり。

 

 

「“強さ”は力じゃなく、その在り方なんじゃないかって思った。……だから、私は強くなれなかったんだ」

 

「────……」

 

 シノンは悲しげに、けれど清々しく言い切った。大切な“強さ”は決して力ではなく心の有り様なのだと、そう告げた。

 アキトがずっとキリトに憧れていた理由である力ではなく、心の強さを説いた。何の迷いも無くそう結論を導いたのだ。それが、シノンがこの世界で手に入れた一つの答え。

 それにすぐさま賛同するのは、アキトには難しかった。

 

(それだけじゃ……“そう在りたい”と思うだけじゃ足りないんだよ、シノン……)

 

 心の強さが大事じゃないとは言わない。寧ろ生きる為に必要な原動力だ。けれど、そう在る為に必要なのが何より“力”なのだと感じてしまう。

 ずっとキリトに憧れていた。一見して周りのプレイヤーと違うと分かったあの瞬間から、アキトは彼に幻想を抱き続けていた。押し付けといっても良い。それでもキリトはその度に、そんなアキトの期待に応えてくれたから。だからアキトは味を占めるかの如く、その力に対する欲望を膨らませ続けてしまった。

 彼のように強くなれたなら、きっと大事なものを守れると思ったから。守りたいという心だけじゃ、それは叶わないと思ったから。

 

「アキトも、強く在り続けたいと思うなら変わらなきゃね」

 

「え?」

 

「言ったじゃない。アンタは頼って貰えない側の事、全く考えてないって。私に言わせれば全っ然変わってないからね」

 

「……」

 

 何も言えず口を噤む。“誰かを頼る”というその一点において言えば、アキトは全くといっていい程に成長が見られない。これはアキトも自覚している部分だった。勿論、彼らが頼りないと感じている訳ではない。けれど過去にキリトに対して行った期待の押し付けが脳裏を過ぎり、無意識に人に頼る選択肢を除外してしまっている。

 それをアスナやシノンに言われる直後は我に返り、頼る姿勢を取ろうとはしていたものの、時間が経てばまたそれを忘れて独りを繰り返すのだ。過去によって形成され、もしくは捻じ曲げられてしまった部分はそこにあったのかもしれない。

 今回も、心の何処かでストレアの事を自分一人で考え込んでしまっていたのかもしれない。いや、実際独りで悶々としていたように見えたのだろう。だからアスナもシノンもこうして目を光らせていたのだ。まるで変わってないのだと突き付けられて、ぐうの音も出なかった。

 

「……アンタ一人が強くなったって意味無いんじゃないの」

 

「……え」

 

 顔を上げる。シノンは遠くを眺めるように目を細めて言葉を続けた。

 

「これがアンタ一人の問題だったら、私も口出ししたりしない。私も自分の抱えている事に関しては同じように思ってるから。けどストレアのことは、アンタだけが仲間だって思ってた訳じゃない。ならこれは、私達“みんな”で立ち向かうべき問題よ」

 

「……っ」

 

「それに攻略に大切なのは、ソロでの実力じゃなくてチームワークでしょ」

 

「────……」

 

 ────こういう、彼らに何かを教えられた時に、ふと思うのだ。

 目の前のシノンやアスナ達を見ていると、自分は過去から現在にかけて大切な事を履き違えていたのではないかと。

 

 それは、アキトと彼らとでは“仲間”という言葉の意味合いが違うという事だった。

 

 アキトにとって仲間というものは、この世界でできた唯一の大切なもので、決して失いたくないもので、だから自分自身で守らなければならない存在だった。

 けどアスナ達にとっての仲間は違う。大切ではあるけれど、決して大事に閉まっておくような“物”ではない。時に頼り頼られ、互いを補い合い高め合い、そして助け合う存在で。そこからは支え合って共に生きようとする姿が見てとれた。

 

 そんな彼らを見ていると、アキトは《黒猫団》を、ただ大切だからと大事に箱に閉じ込めていたのではないかと思うのだ。自分だけが宝物だと感じていたのだと思い込み、それを《黒猫団》のみんなと共有してもらえるとは思ってなかったのではないだろうかと。

 彼らを『大切な仲間』だと、その一言だけで盲目的に見ていたのではないかと、そう思うようになった。それがアスナ達を頼れなかった理由なのではないかと、心の何処かでは自覚していたような気さえした。本当は《黒猫団(みんな)》も、頼って欲しいと感じてくれていたのかもしれない。

 それを、自分は見てこなかった────

 

 それなら。

 せめてアスナ達のことはと思うのは、都合が良いだろうか。

 

「……今からでも、遅くないかな」

 

「そう思う。けどすぐには変われないんじゃない?アキト、何度言ったって聞かなかったんだし」

 

「耳が超痛い……」

 

「けど私達がみんな、アンタに対してそう思ってるって事──それだけは何度でも伝えるわ。いつか、私達が何か言わなくても頼ってくれるようになると嬉しいな」

 

 シノンは、そう言って微笑んでみせた。純粋な気持ちを真っ直ぐにぶつけられ、目も逸らせずに口を噤む。どうして此処まで想ってくれているのだろうかと、自分には不相応過ぎる人達なのではないかと、不安で堪らなくなる。

 

「俺は……君達の信頼に、報いる事ができるかな」

 

「どうしたのよ急に」

 

「みんなに貰ったものが多くて大きくて……返せるか不安になる」

 

「逆よ逆。私達は、貴方に貰ったものを返そうと必死になってるだけなのよ。借りっぱなしは癪だから」

 

 何を馬鹿な、と彼女は笑って言う。笑い事じゃないと、本当にそう思った。彼女は知らないのだ。自分が、どれほど君達の存在に救われてきたかなんて。

 お互い様だと、君はそう言うのだろうか。

 シノンは真面目な顔で、言葉を、想いを紡いでいく。

 

「……本音を言えばね、戦って欲しくない。いつまたあんな状態になるかも分からないのに、無理して欲しくないもの」

 

 それは前回のボス戦の際の“暴走”の件だろうか。それとも《二刀流》やキリトとの事だろうか。隠してる事、黙っている事、強がっている事。彼女に吐いた嘘や隠し事が多過ぎて、心底嫌になる。

 優しい彼女が、そんな危うい自分を気に掛ける事は当たり前の事だった。逆の立場であったとしてもきっと同じ事を考え、思ったはずだ。

 

「けど今は……アキトがいなきゃ、勝てない。それが凄く悔しい。多分、アスナもそう。無力な自分が……とても歯痒い」

 

「……充分、助けられた気がするけど」

 

「アンタがどう思っていようと、私がそう思ってるのよ……もっと、強くなりたいな。そしたら、アンタがどんな道を選んでも背中を押してあげられたのに」

 

 ────何も言えなかった。

 今まで自身の強さを追い求める事に必死だった彼女が手を差し伸べたいのだと、そう言ってくれている。しかもそれがアキト自身の為だと。

 聞いてるだけで────何故か、とても苦しかった。

 

 大丈夫だよ、と。そう言いたかった。それは嘘になるんじゃないかと、不意に感じた。

 

 ────けれど嘘なんて、もう数え切れない程に吐いている。偽り、隠し、騙し、その行いが全て物語っている。真の意味で、誰かを頼ったりできない愚かな自分の姿を。

 そう思った時、言葉は音にならなかった。何を告げても、嘘になってしまう気がした。ボス戦への意気込みも、彼女への感謝も、掲げた目標も、誓いも約束も。その全てが、口にした途端に色褪せていく気がした。

 嘘吐きだとそう思われるだけで。それは何故かとても恐ろしく感じた。でも口にすれば、そう振る舞えば本当にそうなると思っていた時もある。だからそう思えていない今に限っていえば、自分は怯えている。その事実だけが明確に心にあった。

 

「……仲間が危険な目に合うのは、誰だって嫌だもんな」

 

「……そうだけど、少し違うわ」

 

「違う?」

 

 言葉の意味を図りかね、ふとシノンを見る。彼女は右手で髪を触りながら、目を逸らして呟いた。

 

「好きになった男の子が危険な目に合うのは、誰だって嫌でしょ?」

 

 ────エグいくらいの不意打ちだった。思わず目と口が全開になり、顔が赤くなる。冗談だとか、自分を叱責する為の方便だろうと考えていた訳ではないが、面と向かって改めて言われると対応が分からず、思わず顔をあさっての方向へと、シノンに見られないよう背ける。自分でも熱いと感じる程に顔は赤くなっているかもしれない。

 すると、シノンはポツリと言葉を紡ぎ出して。

 

「……ねえ」

 

「……な、何でしょう」

 

「反応してくれないのは切ないわ」

 

「いや……だって、さ。急にそんなん言われても」

 

「急じゃないわ、前にも言ったじゃない。分かってるくせに」

 

「や、聞いたけど……こういう時どうすれば良いのかよく分かんなくて……」

 

「へえ、意外……じゃあ、彼女がいたことはないのね」

 

「何、急に凄い抉り方するね」

 

「けど人を誑かす事にかけては才能ね。男も女も簡単に手篭めにして」

 

「……あの、どういう方向に話を運ぶつもりかだけ聞いて良い?」

 

「別に?ただの雑談よ」

 

「この会話に落とし所が無いのは凄く困るんだけど」

 

「そう?私は楽しいけど」

 

「楽しみ方が違うんだよなぁ……」

 

 静寂の中、声を響かせながら飛び交う会話のキャッチボール。時折楽しそうに笑うシノンを見て、困ったように眉を顰め、最終的には仕方無さそうに笑うアキト。最初にあったはずの、これからの攻略に向けての不安などいつの間にか薄れていた。

 彼女の気持ちを軽視していた反動からか、彼女の素直過ぎる言動を拒絶する気が起きなくなってしまっている。現状の問題を抱えたまま、誰かと恋仲になれるほどの余裕がある訳でもない。シノンもきっとそのつもりがないから、返事を聞こうとはして来ないのだろう。

 そこまで分析できているのに何も言わずにいる事は逆に不誠実なんだろうかと、彼女の告白一つで物凄く考え込んでしまっている気がする。

 

「……別に、返事は要らないわ」

 

「……なら、何で今また言ったのさ」

 

「言いたくなったの。ただそれだけ」

 

「心のブレーキが壊れてやがる……」

 

「そんなんじゃないわ。自分を蔑ろにしてる貴方に、大切だと思ってる人が要る事を知って欲しかったの。貴方が忘れても、何度でも」

 

 壁から背を離し、アキトの横を通過するシノン。その先にボス部屋へと続く扉を見据え、小さく息を吸う。

 

 

「そんなアンタがストレアを信じたいと思うなら、助けたいと願うなら、私達も最後まで付き合うわ」

 

「……シノン」

 

 

 ────そう言って振り返り、ニッと口元を緩めて笑うシノン。そんな満面な笑みの彼女を、アキトは初めて目にした気がした。

 

 

「アンタは、私の理想(ヒーロー)だからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.124 『追想(追いかけ続けた想いは君へ)

 

 

 








シノン 「もうすぐ集合時間ね」

アキト 「そういや、結局何で早めに来たの?」

シノン 「へ?あー……いや……」

アキト 「?」

シノン 「少しだけ……ほんの少しだけ、ね?早く会えたりしないかなって……」

アキト 「……」

シノン 「……」

アキト 「……」

シノン 「……何か言いなさいよ」///

アキト 「なんて無茶振り」

























次回 『 輝 亡(きぼう)

END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)

  • ‪√‬HERO(キリトが主人公ルート)
  • ‪√‬BRAVE(アキトが主人公ルート)
  • ‪√‬???(次回作へと繋げるルート)
  • 全部書く(作者が瀕死ルート)

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