ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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約束したからと、そう告げる。縛られたそれは、まるで呪いのよう────。






Ep.125 輝亡

 

 

 

 

 初めてその少年を目にしたのは、この世界に彼ら一万人が召喚された時だ。

 

 幽閉された事実に誰もが困惑し、絶望と恐怖に染まった夕暮れ時の《はじまりの街》で孤独に震え蹲っているその姿は、その場において取り立てて珍しいものでは無かった。その時点で自殺を考える者、どう行動するのが正解なのかが分からず立ち止まる者、事実から目を背けようと仲間を探す事で気を紛らわせる者、恐怖で動けなくなる者───、広間に残ったプレイヤーには、そういった者達しか残らなかったからだ。

 そして全てを諦め、孤独に怯える者。彼がそうだった。

 

 明確な行動指針も無く、ただその光景を見つめるだけの時間。孤独のままそれを眺めるのは退屈ではあったが、誰もが同じ事実を突き付けられたにも関わらず人それぞれで行動も目的も違っているのは純粋に面白いと感じた。誰もが助からないと頭の中で予感しているはずなのに、諦めず攻略に躍り出る者さえいた。

 勿論、その強さに興味を持たなかったといえば嘘になる。────だが、彼女(・・)が関心を示したのは、チュートリアルを終えて人が少なくなってもなお、変わらず端の支柱に凭れて蹲っているような少年だった。何もかもを諦めたような表情の癖に死ぬのは怖いのか、よく見れば肩も腕も震えていて、恐らく自分で立ち上がる事さえ困難な状態であったろう。その時何故か、彼女は思った。彼が怖いのは死であって死ではない。怖いのは、独りぼっちであるという事。

 

 ───ああ、彼は今、孤独に怯えているのだ。

 

 何処を見渡してもそんな人達ばかりだったのだから、この時彼に目を付けたのは本当に偶然だった。彼もまた周りの人のように世界に絶望し、いずれ自ら三途の川を渡るのだろうと、何処か悟ったように眺めていた。だから、そんな彼に手を差し伸べる存在が現れた時は素直に驚いた。

 

 それが、彼と《月夜の黒猫団》との出会いだったと、彼女は記憶している。そこからはずっと、彼らから目が離せない生活が始まった。

 

 絶望が渦巻く大きな世界の中で、そこだけは笑顔が絶えぬ小さな世界に思えた。育まれる絆とささやかな幸福が生まれる瞬間を目の当たりにするのが、箱庭に閉じ込められた彼女の唯一の楽しみだった。彼らと共に、冒険ができるのならと思った数は知れない。決して無理はせず着実に堅実に実力を伸ばしていく彼らを見て、きっといつか攻略組として活躍するであろう未来を夢想した。目に見えて成長するのを見ると、自分の事のように嬉しかった。彼らの暖かな雰囲気が、殺伐としたこの世界を陽光の如く照らしてくれるのではないかと、心が分からないはずの彼女でさえ胸を踊らせていた。

 だからこそ、最初に出会ったその彼だけが未だ壁を作っている事が、どうしても気になって仕方が無かったのかもしれない。孤独は寂しいと知っているはずなのに、警戒心を剥き出しにする事でしか他人との接し方を知らないように、彼女には見えた。

 

 けれど徐々に彼らと心を通わせて、不器用ながらも微笑みを見せる彼を見て、段々と胸が温かくなるような感動に襲われた事を今でも覚えてる。彼の黒猫団に対する感情、行動、表情。色んな事を学び、成長していく彼を見て、いつかあの場所に立ちたいと、そう思えたのだ。

 

 ただ沢山の人々を観測するだけだった自分に、初めて芽生えた願望。生まれてしまったのならば、それを叶えようとしないのは嘘だと、そう思ってしまったのだ。もうあの場所が無いと知っていても、この場所でしか生まれないものが、生きられない者が此処にいる。この世界に自分の足で立ち、消えるその瞬間まで生き、足掻く。その為に戦うと決めたはずなのに、彼の目を見るとそれが鈍る。揺らぐ。そっちに行きたくなってしまう。

 

「……来たのね、アキト」

 

 その扉をこじ開けて、彼は来てしまった。死の可能性が蔓延したこの冷たい空間に、黒猫団とは違う新たな仲間と共に。その表情も、生き方も、優しい声色も、何もかもが愛しいと感じる。自分に夢を与えてくれた存在を、これから手にかけようとしている自分が心底嫌になる。

 どちらか一つでなければ有り得ない。両方を選ぶ事など傲慢で、不可能なのだととうに知っているから。

 

 

 ただ、一つだけ。

 一つだけ、ずっと気になっている事がある。彼を見る度に湧き上がる、この感情は何という名前だったんだろうか。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 天井も見えない闇、鳥肌が立つような冷たさ。円形に広がる空間内には、攻略組の他には誰もいない。静寂が続くだけでも精神的にかなり苦痛だと再認識する。

 

 現在の攻略組の総勢は三十三名。レイドバトルというにはあまりにも人数が少ない。前層攻略の際に生じた甚大な被害と、それによる死への現実感に耐え切れずに脱退したメンバーによる損失だった。しかしその事に対しての説得も、人員の補充も行わなかったのは、尻込みしてしまったプレイヤーが多かった事もあるが、連携に支障をきたす可能性を考えての事だった。経験の浅いプレイヤーを増やしても、それは戦力にはならない。無駄に死人を増やすだけだという、血盟騎士団の考えだった。

 だがそうなれば、その人数の減少によって首を絞められたのは此方である。仕方がないと割り切っても、この戦力差が絶望を呼び込みやすい事は周知の事実だ。にも関わらず時間は待ってくれない。タイムリミットは確実に迫っているのだと、誰もが知っているからこそ。

 

「────……」

 

 未だ影すら見せない存在を探すべく左右交互にに視線を向ける。上に、下に。殺意の塊が何処から来るかも分からない。そんな経験を幾度と無く繰り返しているからこそ誰も油断せず、声も出す事はない。

 そんな中で、探していた存在の内の一人、透き通るような声が天より舞い降りた。

 

 ────カツン、と。

 

 着地と共にブーツの音が、仄暗く冷たい壁に反響している。

 以前まで身に付けていた紫を主体としたドレスは既に脱ぎ捨て、今はアキトと対峙した際に纏っていた紫色のコートを翻している。背中には反逆の剣トレイターを収めたまま、かつてのように両手剣を使用する素振りも無い。冷気が肌を刺す部屋の中心点に降り立ち、暫く閉じていたその瞳がゆっくりと開かれる。変わらず深淵を覗くような虚ろな瞳で、そこにアキトを含む攻略組のプレイヤー達が映っているのか、途端に分からなくなる。

 各々が武器を構えながら警戒を緩めずにいるが、その剣先の束を見据えても尚彼女の表情は氷のように冷たく固まったままだった。

 

「……ストレア」

 

「……来たのね、アキト」

 

 前のように、何もかも分からなくて癇癪を起こすようなアキトはそこにはいない。ストレアも以前のように此方の話を聞かずにすぐ行動をするような、我を通す事はせずに此方を見つめている。

 

 この場所に到達する前から、再びストレアと邂逅する事は分かっていた事だ。それでも、この時が来なければ良いと何度思ったか知れない。彼女のその空洞のような眼を見つめるだけで前層での記憶が鮮明に呼び起こされる。あの日の悲鳴が生々しく脳内で木霊する。彼女の魔女のような姿を目の当たりにすれば、それが現実なのだと突き付けてくる。

 彼女は既に、覚悟を持ってこの場所に立っている。いや、前層からずっとそうだったに違いない。自分達に刃を向ける意味、それはこの世界では時に現実世界よりも重い意味を持つ。彼女は自分自身で考え選択し、そして切り捨てたのだ。アキト達“仲間”を。

 

 するりと、彼女の右腕が上がった。アキトの後ろに控えるアスナ達の肩がビクリと震え、剣の柄を握り直す彼らの荒れた吐息を背中に感じる。未だ静寂の世界に、ボスらしき巨躯は見当たらない。故に彼女の一挙手一投足で現れるであろう事は、前回の一度きりで理解できてしまう。その細い右腕、右手、その指先は彼女の背中の片手剣に触れる。《反逆》の意を持つ剣を、確かにその手に収め、掴む。その感触を確かめるように一度握り直したかと思えば、一瞬でそれを抜き放ち、天へと伸ばす。

 

 ────それが、戦闘開始の合図であるかのように。

 

 闇夜のような暗い天井から憎悪に満ちた怒号が響き、空間内を振動させる。突風にも似た不協和音と共に地を揺るがして降り立ったのは、巨大な黒い影。

 地ならしと共に現れ、突風が攻略組を襲う。見上げたそれは、これまでのボスの遜色無い程の巨体を持ち、不気味な闇色の陽炎纏う暗黒の鎧を装着している。死角などないとその身が伝え、両の手には鋭い剣と盾を持ち、漏れ出す殺意さえも彼らに向けている。

 兜から僅かに覗く青白い瞳は真っ直ぐに攻略組を射抜く。騎士にも似た風貌ではあるが、何かを守るよりも破壊する事に長けた力を手にした、無法者らしい冠が頭上に主張される。

 

 

No.97《The Knight Of Desperado(ザ・ナイト・オブ・デスペラード)

 

 

 それが、97層のボスの名前。

 その一振りのみで、75層のボスと同じ絶望を与えてくる事は想像に難くない。禍々しく歪で、まるで呪いが感染するのではないかと思わせるその風貌を前にして、彼女は冷たく。

 

「……始めるよ、アキト」

 

「……っ」

 

 嫌なくらいに響く彼女の声は、何処か懐かしさを帯びている。それが過去のものとまるで違うのだと割り切る事は、アキトにはとても難しかった。

 だがストレアは違う。彼女はまるで仲間とのこれまでを忘れたかのように此方を見据え、剣を握っている。決別はとうに済んでいるだろうと、その姿勢が告げている。

 

「────……ふっ」

 

 肩を上下させ、深く息を吸い込み、吐く。気持ちの昂りも、余計な躊躇いも、それで全て吐き出す。虚構の瞳のまま《トレイター》を構える彼女を見て、アキトも同様に両の剣を構え直した。姿勢を落とし、剣を傾けるその体勢を見て、彼女は眼を細めた。

 

「……よかった。アタシを殺す覚悟は、出来てるみたいだね」

 

「違う。そんなの、覚悟とは言わない。ただ望むものの為に戦うだけだ」

 

「それで良い。その意志の延長線上で、アタシと戦う気があるのなら。────行って」

 

 その指示を受け、黒騎士が床を踏み締めた。その巨体からは考えられない速度で距離を詰め、右手の大剣を首元へと回し───、振り抜く。刃先から柄までライトエフェクトを飛ばし、威力を乗せて加速する。

 

「────適応開始(セット)

 

 ガチリ、と歯車が噛み合う。その瞳に光を宿し、相対する黒騎士を視認する。つま先から頭まで、身長と体重を予測、標的の体格と体勢と得物のリーチ、威力、軌道の即時算出、予測演算開始。アルゴリズムの推測、武器から想定される戦術を把握、類似記録の閲覧、参照──、完了。

 発動剣技、片手剣単発技《ホリゾンタル》と断定。回避すれば後方に被害の可能性大。防御、受け流しを推奨。

 

絶対切断(ワールド・エンド)

 

 OSS、起動。発動するは一撃必殺を可能とするソードスキル。敵と同様、右手の剣(リメインズハート)を自身の首に回す。鈍い闇色に剣が輝くのを確認し、ただ振り抜くのみ。

 火花が飛び散り、刃を弾く。耳を劈くような剣戟の音に耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。片目を瞑り耐えながら、後ろを向いて叫ぶ。

 

「────行こう!」

 

「っ……作戦開始!」

 

 焦燥と困惑の中、慌てて告げる開始の合図。誰もが己を律する為に雄叫びを上げる。

 今までの攻略とは明確に違う意識。そして戦力。以前に増して、勝利の光景よりも死への現実味と不安ばかりが押し寄せてくる。合図があったのはたった今だというのに、既に敗北の道へと繋がりつつあるような予感。それをどうにか振り払おうと各々が声を荒らげる。

 アキトのその足はストレア────ではなく、黒騎士の方へ向かう。だがいち早く察知した彼女がその進路を即座に阻んだ。

 

「行かせると思う?」

 

「っ……前回とは違う。今回は、君がいる事を想定してる」

 

 言い切ると同時に右へ跳ぶ。刹那、ストレアへと伸びる閃光。彼女が目を見開いたその隙に彼女の横を通り過ぎ、同時に射出された光が彼女の胸元に迫る。それは剣の世界では異質な存在、射撃による矢での攻撃だった。

 

「────っ!?」

 

 ストレアは半ば反射的にトレイターを引き寄せ、その光を受け止め、流す。そうして彼女が驚く僅かな間にもアキトはストレアの射程範囲から離脱し、攻略組が囲う黒騎士へと駆け出していた。

 

「待っ……!?」

 

「────行かせない」

 

 アキトを追い駆けんとするその行く手を二つの影が阻む。一人は初撃を放っただろう弓を構え、もう一人は亜麻色の髪を翻し、細剣を突き付けて立つ。アキトの元へは行かせないと、その態度で彼女を牽制する。

 

 今回の作戦に必要なのは、アキトとストレアを対峙させない事。

 攻略組の人数が心許ない今、アキト無しでのボス討伐が困難である事は必定。ストレアの妨害を加えると討伐は絶望的だった。主に精神的な問題により、アキトと彼女の相性は最悪。彼らを一対一にしてしまえばアキトはボス討伐には参加出来ない。

 火力不足の現状、最大のダメージディーラーであるアキトがストレアに時間を稼がれている間に全滅するというケースは最も考えられうる可能性であり、そしてそれは現実味を帯び始めていた。

 

 故に考えられたのは、アキト以外の誰かがストレアを足止めし、その間にアキトを加えた攻略組が迅速にボスを討伐するという作戦だったのだ。

 危険だと、納得できないと思わなかった訳ではない。だがそれしか方法が無かったのも理解していた。故に、アキトは今回彼らを頼るしかない。

 

 だがアスナやシノン、みんなに気付かされたばかりなのだ。

 仲間は後生大事に守るものではなく、支え合い、助け合い、守り合う。頼っても良い存在なのだと────

 

「アスナ、シノン!」

 

 そうして彼女の前に立つ二人───、アキトがボスの討伐を完了させるまで彼女の足止めを買って出た二人を見据え、アキトは遂にその言葉を伝えた。

 

「───頼んだ!」

 

「……ええ!」

 

「任せて」

 

 アスナとシノン。ストレアを挟むように立つ二人のその笑みを背に、複雑な胸中のまま両の剣を構え、黒騎士を睨み付ける。

 奴と目が合う。憎悪と殺意を陽炎と混じらせ放つ圧倒的存在感に、アキトは笑う。絶対に勝つのだと心で叫ぶ。そうまでしなければ、アスナとシノンの安否への不安が集中力を掠め取ってしまいそうだった。だがこれ以上の心配は、逆に彼女達に失礼だ。故に────

 

「お前を、倒す」

 

 地獄を創造する彼女と今、二度目の決戦が始まった。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 標的と捉え、反射的に穿たれた黒剣を、僅かに身を引くだけで紙一重で躱す。床を抉る威力を目視した後、即座に床を蹴って黒騎士の足元へと向かう。両剣を交差させて剣技発動の構えを取れば、それを見下ろす奴の白眼が鈍く煌めいた。

 反応速度はこれまでと桁違い。突き立てたその剣を引き摺るように振り抜き、刃がそのままアキトの背を追い掛ける。片目で攻略組の展開具合を確認し、誰もいないあさっての方向に右手の剣を傾ける。

 

 速度だけで言えば、異常の一言に尽きる。分析と予測を織り成すその瞳が映す先へと《ヴォーパル・ストライク》を繰り出し敵の射程から外れ、返す形で左の剣に僅かに意識を傾け、接続。《未来予知(プリディクション)》によって最適解を選択。動作の一つ一つが最適化され、攻撃と回避を同時並行し、繋げる。剣技連携(スキルコネクト)の真髄。無駄を省き、ただ敵を最短で滅ぼす為の動きを。

 

「シッ!」

 

 片手剣単発技《スラント》──黒騎士の左足目掛け、左斜め上から神速をもって放たれたそれを、奴は左の盾で弾いた。その巨体故に態々腰を屈めて防御し、力任せにアキトを吹き飛ばしたのだ。

 此方を宙へと運ぶ程の筋力値による恩恵だろうか。僅かにHPの現象を確認。盾にも攻撃判定───()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()……!)

 

 脳内に宿る親友の記憶を抜き取り解析。理解、思考を改訂し再演算。あくまで此方は陽動と管制塔の同時並行。やる事はそれだけで構わない。ダメージディーラーは残りの攻略組三十人だ。故に、

 

 二刀流突進技《ゲイル・スライサー》

 

 宙でこそ威力を発揮する二刀流剣技。方向を定め、空中での移動を可能とするそれは、両の手を交差させて黒騎士の首へと迫る。

 見上げた黒騎士は、そこに盾を当てがうのみ。金属が弾かれる音。響き渡る空気の振動。衝撃波がアキトとボスを中心に生まれ、突風が巻き起こる。

 それを引き起こすのは主に独り。黒騎士を屠るに圧倒的に足りてない人数を補完する動きを見せるのは、いつだって何人分の戦力と化すアキト以外に有り得ない。

 

「スイッチ───、クライン!」

 

「分ぁってらぁ!」

 

 防御に徹する黒騎士の背を、跳躍して切り伏せる侍。炎のように揺らめくエフェクトを伴って、その斬撃が黒騎士の背後に垂直に落ちる。HPの減少、同時に黒騎士の視線が背後のクラインへ。瞬間、アキトは剣技を切り替える。

 十五連撃《シャイン・サーキュラー》───その盾を躱し、腕から胸元にかけてを駆け巡る。

 

「余所見、してんなっ!」

 

 胸元に連撃の最後を打ち込み、床へと落下。着地してすぐさま反転。息つく暇も無く次の初動を開始する。

 フルレイド四十八人に対し、現状攻略組の人数は三十三。その内二人はストレアの足止め。たった一人でも死なせれば連携は崩れ、精神的にも負担は重なる。一挙手一投足、その予測を失敗する事は許されない。足りない人数の代わりを自分が補うのだと。

 分析、予測、記録参照、繰り返す事に悲鳴を上げる。瞳が、脳が、痛いと叫ぶ。知った事かと振り払い、冷たいその床を蹴り飛ばす。

 

 ────巫山戯るな、まだ始まったばかりだ。

 

「リズ!」

 

「了っ……解ィ!!」

 

 固い装甲には打撃が定石。黒騎士の盾を防ぎ、クラインが背後を襲う。そうしてアキトとクラインにヘイトが分散し、御誂え向きの隙を見てリズが飛び上がる。その頭上をメイスが叩き、砕く。

 それを横目に再び構えをとる。《剣技連携(スキルコネクト)》、起動。

 

「───フィリア!」

 

「任せて!」

 

 反転し、黒騎士の左の膝裏目掛けて放つのは《バーチカル・スクエア》。合わせてフィリアは右の膝裏に目掛けて《エターナル・サイクロン》を発動。

 鎧を身に纏う者の弱点として、関節の裏の防御が手薄なのは周知の事実。打撃でなくとも有効打なり得る。

 動作の隙、急所、余さず読み取り、活用する。その為だけにこの眼と脳を稼働させる。

 

「遅せぇよ」

 

 敵の反撃の予備動作、機微を即座に補足。視線とヘイト値から標的を予測。その大剣が持ち上がるより先に飛び上がり、再び放つのは《ヴォーパル・ストライク》。赤い輝線が火花と共に黒騎士の右肩に直撃し、薄暗い部屋を赤く輝かせる。よろけた瞬間を逃さず叫ぶ。

 

「エギル!」

 

「おうよ!行くぞ!」

 

 声は既に上空、此方の意図を理解しているのか指示よりも先に飛び上がり、斧での一撃を放つ。エフェクトが飛び散り、HPの減少を目視する。

 呻くような咆哮。よろめき膝を着くそれは、一時的な怯みだった。エギルの声に合わせて、散らばっていた攻略組の各隊が攻撃に参加し、その隙を僅かでも余す事無くソードスキルを展開していく。

 

「凄い……!」

 

 すぐ近くでリーファが驚愕を露わにしている。97層のボスとは思えぬ程に、みるみるうちにHPを減少させているこの事実が信じられないのだろう。アキトの指示とサポートがあるだけで余りにも戦いやすい。死の危険も少ないこの戦術に彼女は目を丸くしていた。

 適材適所。アキトが提示したのは、互いに出来る事のみを忠実に熟す役割分担による戦い方。それだけ聞けばリスクは少ないように思える。自分の仕事だけを熟し、危険を伴う無茶をしなくて済むのだから。

 ただ、それはアキトに負担を強いるものだった。

 

「はぁ、はぁ……はぁ……くっ」

 

「おいアキト……お前ぇ、最後まで持つのかよ……?」

 

「大丈夫……まだ半分以上残ってんだ、休んでられっかよ……」

 

 クラインの問いに対してのアキトの態度は、明らかな強がり。言葉が乱暴になる程に切羽詰まっているとも言っていい。仮想世界でさえ、激しい動きの連続では息が詰まる。肩で息をする程に疲労し、精神が摩耗する。

 

 アキトが提案したのは、火力となり得るプレイヤー全てを攻撃に注ぎ、アキトがそのサポートをする攻撃特化陣形。味方はアキトの予測によって導き出された最適解を実行し、その障害となる可能性の全てはアキトのみで排除するという、余りに巫山戯た戦術だった。

未来予知(プリディクション)》による予測演算によって敵の行動を分析・予測し、敵の攻撃への妨害や回避の指示をアキトが全て受け持ち、溢れた部分を《剣技連携(スキルコネクト)》によって補う。その隙を残り全員で攻撃し、一気にダメージリソースを増やすというこの策は、アキトの仕事量が他のプレイヤーの比ではない。敵の行動の予測に加え、他のプレイヤーの動きを見て指示を出さなければならないのだから。

 

 だがこの作戦が一番安全で、かつストレアを足止めするアスナとシノンの負担を短縮できる一手でもあった。

 元々単純な実力差でいえばアキトとストレアは互いに拮抗している。逆にいえば彼女の足止めはアキトでないと困難であるという事だ。

 故に彼女の足止めを受け持つ他のプレイヤーの負担を短くする為に、ボスをいち早く討伐する事が望まれていた。

 

『Gu────aaaaa……!』

 

「っ……回避だ、エギル!」

 

「ッ、全員退避!」

 

 呻き声が苛立ちへと変化したタイミングを逃さず叫ぶ。同時に一時的な休息は終わり、クラインを置き去りにすぐさま床を蹴る。膝を立て、その長剣を肩に乗せた瞬間、迸る鈍い極光。凄まじい剣気に大気が震える。

 現段階ではまだ見せてない剣技と予測。構えから解析───連撃数、四。《ホリゾンタル・スクエア》と断定。

 

「チィ……!」

 

 呼吸を整えていたせいで指示が僅かに遅れたか、未だ黒騎士の射程圏内から逃げ切れてないプレイヤーを捉える。ガチリ、と再び脳内でまた何かが噛み合う音がする。システム外スキルの起動ルーティンだった。剣技の軌道上にいる人間を即座に判定し、両の剣を交差させる。

 射程圏内にいるのは僅か数人。しかし初撃の軌道に立っていたのは───

 

「シリカ!」

 

「っ……!」

 

 間に合え───!

 過去の遺恨も気不味さも今は関係無い。彼女が自分をどう思おうが、恐怖や嫌悪を抱いてようがこの足は止めない。

 アキトの声に振り返るシリカ。そのせいで動きが止まると同時に、システムアシストされた黒騎士の刃が彼女の背を捉える。舌打ちも苛立ちも、全て振り落とせ。声をかけた事に後悔する暇があるなら、この足をただひたすらに動かせ。

 

 二刀流突進技《ダブル・サーキュラー》

 

 シリカの前に跳躍し、迫る刃を前に両剣を交差させて迎え撃つ。迫る大剣がぶつかった途端、暴風染みた衝撃が部屋中を震撼させる。腕が潰れるかと錯覚する程の圧力に顔は歪み、文字通り身体中が軋む。

 敵は連続技、一撃の重さは単発技に及ばない。この初撃さえ反らせればと突進力を上乗せできる剣技を選択したが、予想よりも遥かに一撃が重い。

 

「が、ぁ……!」

 

「あ、アキトさん……っ!」

 

 足に込めた力を少しでも緩めればシリカを巻き込んで後方へ吹き飛ばされる。離脱の為に受けるのも一手だが、攻略組の態勢を立て直すのに時間が掛かる。現在攻略組はアキトの指示を待ち履行するだけの存在で、自立した予測や判断を半ば放棄した状態だ。ここまで戦ってきた猛者といえども、アスナやヒースクリフといった戦術眼に長けた者の統制による連携が強みなのだ。彼女がストレアを足止めしている今、管制塔代理である自分が戦場から片時でも離れれば、その瞬間に攻略組が瓦解する恐れがある。現時点までで把握出来てるだろう攻撃パターンだけではまだ足りない。

 それにこの一撃を凌げたところで、残りの連撃数は三。黒騎士の攻撃範囲から離脱して各々が回避の体勢になるまではこの場を離れる訳にもいかない。

 

「ぐぁ……っ、シリカッ……早く、下がって……ぁ!」

 

「は、はい……!」

 

 か細くではあるが確かに聞こえた彼女の声を背に、腕と足に更なる力を込める。これ以上注げるものが無いと言える程に。ここまで来れば根性だとか気合いだとか、そういった精神論だ。

 ────それで良い。意志だ。強く、硬い意志。それだけは手放すな。

 

「っ────らあぁっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に、二本の剣で漸く受け流す。勢いでよろめく身体はどうにか倒れずに留まるが、見上げた先で奴が振り切ったその大剣は風を巻き起こし、その先にいたプレイヤー何人かを後退りさせた。奴の視線は変わらずアキトに向けられており、二撃目が即座に来る事を予測する。

《ホリゾンタル・スクエア》ならば、次は返す形で左から横薙ぎだ。しかし間に合うかは五分、慌てて体勢を整えて二連撃目を迎え撃つ───はずが、

 

「なっ……」

 

 黒騎士は剣を振り切ったまま回転し、その威力を重ねて天からそれを振り下ろした。予測した剣技と違う動きに、アキトは咄嗟に床を蹴る。

 僅か数ミリも満たないその距離で地面が爆ぜ、衝撃を背に浴びて吹き飛ぶ。その有り様を見届けずに床に剣先を突き立てて強引に制動し、身体を起こす。

 

 ───三撃目。

 

「っ……マジかよ……!」

 

 また予測とは違う角度からの連撃。床を破壊しながら斬り上げられるそれを躱す余裕など無く、再び剣を交差させて受け止める。が、流れるように繋がった動作が連撃毎の威力を乗算し、黒騎士はその刃を振り抜く事でアキトの身体を容易く持ち上げた。

 空中へと投げ出され、世界が緩やかに見える中で、アキトは敵を睨み付けて舌打ちした。初動の構えが同じであるが故に誤った予測をした事に、焦燥と困惑を禁じ得ない。嫌な仮説が一つ浮上する。

 コイツ、まさか戦い方だけじゃなく、ソードスキルも。

 

(《神聖剣》……!)

 

 キリトがヒースクリフと対峙した際の記憶が僅かに蘇る。盾に攻撃判定が付与されている時点でこの仮説は想定すべきだったのかもしれない。いや、ラスボス特有のそれがボスに適用されるとは思わなかった。

 ともかく、ボスたるあの黒騎士は、ラスボスだったヒースクリフと同じ剣技を継承しているのだ。故に発動したこのソードスキルは、四連撃であっても《ホリゾンタル・スクエア》ではない。

 

 神聖剣四連撃技《ゴスペル・スクエア》

 

 天井へと突き上げるような斬撃が視界を覆う。アキトとして見るのは初めての剣技。記憶から引き出す予測と実物にある僅かな誤差。そして驚愕と動揺で遅れる反応。それらが悪い意味で噛み合い、躱すつもりで空中で身体を捻ったつもりが伸び切った刃先に右腕をぶつけ、そのまま抉り取られるような不快感に襲われる。

 

「ぐっ……!」

 

 掠り傷と呼ぶには些か深いそれは、視界左上に表示された自身の体力を容赦無く奪い取っていた。防御を捨てた攻撃と速度特化のステータスによる欠点、それを痛感して思わず舌打ちする。

 ────想像以上、想定以上。この世界はいつだって常識を覆し、それが更新されなければ情報無き行為は蛮行かつ無謀と成り果てる。一度閉じればどちらかが死ぬまで開かないこの空間の所為で、75層からボスの下見すらままならない状況下であった上に、ストレアによる未知の技によって強化を授かっている目の前の黒騎士は、常軌を逸した力を有していると再確認した。

 

「アキト!」

 

「っ、大丈夫……!?」

 

 四撃目を受けた事で姿勢が崩れ、着地に失敗し地に伏せる。駆け寄るフィリアの腕を借り、すぐさま足に力を入れた。黒騎士は硬直からは既に解放され、真下にいたアキト達へとその刃を突き下ろす。

 

「危ねぇ!」

 

 アキトの視界端からエギルの両手斧が振り抜かれ、黒騎士の剣を天井へ弾く。仰け反った隙に距離を取っていたプレイヤー達が再び四方へ展開し、各々が武器を構える。

 休む暇など無いと、アキトは下がりながらも視線だけは外さない。敵の姿勢、武器の位置、対処までの時間、それらを即座に計算し、どの方向からの攻撃が的確で適切かを割り出していく。

 

「リーファ!」

 

「おっけー!せええい!!」

 

 黒騎士の左斜め後ろ、奴の対処が一番遅いであろう位置に立つ彼女へ指示を出し、それを理解したプレイヤー達が彼女に続いて突撃していく───が、仰け反った勢いを利用して、黒騎士が再び体勢を変える。跳ね除けられた勢いを剣に乗せて再びソードスキルが発動するその過程に思わず見入り、目を見開く。

 臨機応変───そんな事までできるのか。

 

「っ……ダメだ下がれ!」

 

 予測ではなく、見てからの反射的な指示。一歩、一寸、一秒が命取りの戦場において、その指示の遅れは致命的だと、叫ぶ前から理解していた。誰もがその叫び声を耳に動きが止まり、黒騎士の姿を確認しようと見上げ──その斬撃は四方を囲むプレイヤー達を一掃する。

 

 片手剣二連撃技《スネークバイト》

 

(っ……今度は片手剣技!)

 

 羽虫を撫でるように、火の粉を払うように。いとも容易く精鋭達を吹き飛ばし、悲鳴と共に突風が巻き起こる。フィリアに介助されながら背を向けていたアキトでさえ、その強風に前のめりになった。その視界端で此処まで吹き飛び、地面を削るように転がるプレイヤー達を目視し、ソードスキルの威力に思わず振り返って惨状を確認する。

 

「みんな……!」

 

 たった一振り。されど、風圧だけで吹き飛ばされたプレイヤーも多かった。HPを半分以上失った者も視界に捉える。

 その結果を引き起こした黒騎士は、余韻に浸るかの如く振り抜いた姿勢で固まっていた。その硬直状態が様に見えて、強者としての圧倒的存在感を恐怖と共に押し付けてくる。《神聖剣》を有していても、その風貌から聖騎士を想像するのはとても難しく、不気味なその姿はさながら暗黒騎士を彷彿とさせる。あっさりと地獄を創造できる力を持ったその巨躯に、アキトは歯軋りしながら見上げるしかない。

 

(っ……くそ、俺のせいで……!)

 

 焦燥は思考を見出し、驚愕は集中力を途切らせる。疲労は次の一手を遅らせ、対処的な思考では言葉を詰まらせた。故にアキトの指示によって取れていた統率は徐々に乱れ始めていた。これはその結果だ。

 そう、最初からこの作戦に無理がある事は分かっていた。これしか方法が無いから、それに縋るしかなかっただけ。つまり、こうなる事は必然だった。

 

「……!」

 

 休む間も無い。奴が追撃を躊躇う理由なんて無い。此方を待つ事など決してないのだ。数秒思考が止まるだけで、殺戮はすぐ傍までやってくる。

 

「っ、アキト……!」

 

 まだ立て直せていないプレイヤーは多く居る。暴力的なまでの強さと威圧感に圧倒され、見上げ震えるだけの者も少なくなかった。それを瞬時に察知し、アキトはフィリアから離れて駆け出す。

 彼女の声を背に、黒騎士の視界中央に位置するように躍り出る。目論見通り、奴のヘイトは全てアキトに注がれた。二本の剣を再び構え直し、その瞳を鈍く光らせる。態勢が整い、再び連携を取る準備が出来るまで。予測、分析。途切らせる事無く────。

 ストレアの足止めを引き受ける役を買って出た二人の為にもと、その床を踏み抜いた。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 黒騎士の雄叫びを背に浴びながら、互いに洗練された技を織り成す。張り詰めた緊張感と研ぎ澄まされた集中力の中で生み出される剣戟は流麗かつ繊細で、それが殺し合いの最中に繰り広げられているとは思わない。

 片方は殺す為、もう片方は時間を稼ぐ為。意志の重みが違う分、徐々にその差は明確になっていく。敵を無力化する為に急所でさえ躊躇無く突く少女と、迫り来る刃の嵐を躱し、受け流しを繰り返す殺意無き少女。勝利の兆しは前者の少女に見えつつあった。

 

「ふっ!」

 

「っ、くぅ……!」

 

 かつて両手剣を操っていたストレアだ、片手剣による剣速は計り知れない。《閃光》と謳われるアスナでさえ彼女の攻撃全てを捌き切るのは難しかった。右へ左へ目まぐるしく変わる剣技。メインウェポンではないにも関わらず、得物を操るセンスは飛び抜けている。

 刃先は頬を掠め、肩を抉り、連携(コネクト)により繰り出された拳は腹を的確に突いてくる。体力は徐々に、確実に減少している。頭の中で死神が手招きしている気がした。

 

「ぐっ、う……!」

 

「これで────っ!」

 

 最後の一撃、のつもりで踏み出したストレアの右足。瞬間、アスナとストレアの間を光を纏った何かが通過し、ストレアは後方に飛んで距離を取る。

 アスナが体勢を立て直し、チラリと左を見れば、そこには弓を引き絞って二本目の矢を構える少女の姿があった。

 

「あ、ありがとう、シノのん……」

 

「無茶しないでよアスナ。どっちが死んでもこの作戦は破綻する」

 

「うん、分かってる……」

 

 ポーションを取り出し、口に含む。その間、ストレアの邪魔が入らないようにシノンが矢を彼女に向けてくれていた。アキトの邪魔をするべくこの場を離脱しようとしても、それは同じ事。彼女の速度よりも、シノンの放つ矢の方が速い上に、この距離ならばシステム的に必中だ。

 

 ストレアの足止めを引き受けた二人───アスナとシノンの連携は上手く作用し、どうにか彼女をこの場所に留めている。片方が危うくなればもう片方がフォローし、そうして彼女の動きを封じていく。《閃光》と呼ばれし実力を持つアスナと、《射撃(ユニークスキル)》を持つシノンで漸くストレアを止める事が出来ている。

 ストレアは何もせずアスナの体力が回復する様子を見つめていたが、やがて口を開き、

 

「……まだやるの?続けてもジリ貧だと思うけど」

 

「気を遣ってくれるのね。回復させてくれたのは温情ってわけ」

 

「どう捉えて貰っても構わない。どうせ貴女達と会うのは、今日で最後になるんだもの」

 

 シノンの挑発的な物言いに対しても、表情を変える事無く淡々と告げるストレア。お前達の事など何とも思っていないのだと、そう伝えてくるその瞳と声音が、アスナの胸中に悲哀を生み出していく。

 

「っ……ストレアさん、お願いだからもう止めて!」

 

「無駄よ、アスナ。今のストレアに何を言っても。それにその話はこの戦闘が終わって、彼女を《アークソフィア》に連れて帰ってからでも出来るわ」

 

「連れて……帰る?」

 

 シノンのその言葉に、ストレアは僅かに眉を動かした。

 彼女の事だ、アスナ達の攻撃に殺意が無かった事は気が付いているはず。そしてその理由も、たった今シノンが口にした事で理解しただろう。此方にストレアを殺すつもりがない事を。

 

「まさかアタシが帰ると思ってる?シノンはアタシを許せるの?」

 

「……正直、私はこれ以上被害が大きくなるなら、貴女を生かしておく訳にはいかないと思ってる」

 

「っ……シノ、のん……!」

 

 交わるシノンとストレアの視線。シノンの言葉は真実なのだと、傍にいたアスナには分かってしまった。引き絞るその弓も、ストレアに向ける矢も、狙いを定めるその瞳にも、嘘偽りは感じられない。

 かつての仲間を殺す覚悟を、シノンは既に持っている。それを知って思わず口を開きそうになるアスナ。だが、

 

「でも」

 

 そう一言、そして息を吸う。

 シノンは凛とした意志をその言葉に乗せて、弓を構え直して、ただ真摯に告げた。

 

「貴女を助けたいと願ってる奴がいるの。だから無理矢理にでも連れて帰ると、そう決めた」

 

「────……」

 

 それを聞いて、アスナは少しだけ後ろを見やる。

 攻略組が囲う中心で、ボスたる黒騎士と黒の剣士の剣が交わるその瞬間を目にした。シノンの言う、ストレアを助けたいと願う少年の─── アキトの姿を。

 仲間を守り、味方を助け、そうして己を犠牲にしてもなお、敵となった彼女の事まで気にかけて。摩耗した精神の中で、その揺るぎない決意だけは手放すまいと、彼は今、命を賭して戦っている。

 そんな彼に報いる為に、そんな彼の支えになる為に、シノンは此処に立っているのだと。そう告げるシノンの表情は、何故かこれまでのものとは違うと、アスナにはそう感じた。

 

 彼女の言葉に、ストレアは僅かに目を細めて呟く。

 

「シノンに出来るかな」

 

「これでも前よりは強くなったと思うけど。試してみる?」

 

 そう言って、間髪入れずに放たれた閃光。不意を突くような一閃に、ストレアは目を見開く。しかし既に構えは完了しており、その矢じりが届くよりも先に彼女のソードスキル《バーチカル》が発動した。

 

「シッ!」

 

 上段から振り下ろされた刃は容易くその矢をへし折り、その流れのまま地を蹴り出す。引き摺るように構えた剣からは、またもライトエフェクトが迸る。

 短剣も扱えるシノンだが、メインは弓による遠距離攻撃戦術。近接戦闘になれば分が悪いのは明白。その弱点を補う為の二人、シノンを守る為にアスナはいる。

 

「っ────せあああっ!」

 

 咄嗟の判断の中、繰り出されたのは《閃光》の代名詞《リニアー》。二人の間に割って入り、文字通り光速をもってそのレイピアを前方に押し出す。

 

 ────ドクン、と心臓が脈打つ。

 

「……っ」

 

 世界の時間が緩やかになる錯覚に陥る。その間、視界に広がる光景を冷静に捉える。そして理解してしまった。

 鋭く尖る細剣、その先端がストレアの眼前に迫る瞬間を見て。自身の放ったその剣が、彼女の胸元を目掛けて突き進んでいくのを見て。もしこれが命中すれば、彼女にダメージを与える事になる、彼女を傷付ける事になると知ってしまった。

 

(わた、しは……)

 

 これが、アスナの選択の結果。アキトを支えると誓った自分が望み、選んだ道。自分でも分かっているはずだった。いや、分かっていたつもりになっていただけだったのかもしれない。

 此処に来て、今になって、この期に及んで、ストレアと仲間と過ごして来た思い出が脳裏で呼び起こされて、その光景が躊躇を生み出していく。

 

 ────それを、ストレアは決して逃さない。

 

 ストレアもそれを見てすぐさま片手剣を持ち上げる。既に初動は済んでおり、アスナの放つ《リニアー》と放たれた速度はほぼ同時だった。

 

「はあっ!」

 

「く……!」

 

 双方が激しく衝突し、甲高い金属音を響かせ、火花が四散する。アスナは上体を反らされるが、ストレアはその剣を振り抜いている──どころか、彼女の剣は未だ光を放ち続けている。

 単純な力負け、そう悔しがる間もなく目を見張る。アスナが放った単発技に対し、ストレアが発動したのは、

 

(二連撃────!)

 

 片手剣二連撃技《バーチカル・アーク》

 

 敵を斬り殺す事のみを目的とした剣が、アスナの足元から迫り上がってくる。ストレアのその虚構の瞳にさえ、此方は映らない。殺すだけの標的、自分の目的を果たす為の障害、そんな認識なのだと改めて理解した。

 

(ストレア、さん……)

 

 躊躇など、迷いなど無い。とうの昔に分かっていた事だ。繰り出される剣戟の数々こそが、もう引き返すつもりがないという決別の証明。それに対してアスナは、たった今彼女にソードスキルをぶつける事を躊躇った。

 

 ────やっぱり、私には。

 

 これではアキトの事は責められない。共に戦ってきた仲間にどうして剣が向けられよう。ストレアを知るみんななら、同じ結果を辿るだろうと思った。例えこの剣に身体を裂かれて死ぬ事になろうと、この身体が動かない。彼女を傷付けらる訳がない────

 

「アスナ、左に飛んで!」

 

「────っ!」

 

 背後からの声。半ば反射的に左へ飛ぶ。

 持ち上がるその剣の刃先が、僅かに胸元を掠め取った。痛みはなくとも不快感に自然と顔を歪む。悔しげに歯軋りするも束の間、アスナのその後ろから、既に射出準備を完了させたシノンの射撃スキルが迫る。

 

「───射殺せ(ファイア)

 

 冷たく、その声はアスナの耳に届く。

 放つ矢からは深紅の煌めきが溢れ、爆ぜる。どう移動しても確実に捉える為の三本同時射出。アスナの目の前を通過したそれは、一瞬で標的の眼前に収束する。

《バーチカル・アーク》の残り一撃はその内の一本、致命傷になり得る可能性がある一本のみを捉える。それがライトエフェクトと共に飛び散った瞬間、彼女の右肩と左足にその矢が突き刺さった。

 

「っ……く!」

 

「逃がすかっ……!」

 

 距離を取るべく後方へ跳ぶストレアを見て、シノンはアスナより前に躍り出る。既に腰から矢を引き抜いており、無駄な思考も動作もなく再装填。最適化された動きのみによる撃滅準備。

 引き絞った瞬間、再びその矢が輝きを帯びる。敵を射殺す為だけの一撃、その瞳には標的を捉える為だけの意志を宿していて。

 

「し、シノの───」

 

「アスナ、下がって」

 

 そして、実行。青白い極光と共に、神速をもって敵を追尾する。空気を裂きながらストレアへとその矢は走り出し、先程よりも狙いは無慈悲。脳天へと迫る刺突は彼女の右脳を掠め取り、その視界を歪ませた。余波を受けHPを減らす彼女を見て、シノンは変わらず腰から矢を抜き取り、流れ作業のように弓へと重ねた。

 

「っ、やり過ぎじゃ────」

 

「殺すつもりで丁度良い」

 

 攻撃を躊躇うアスナの前で、殺戮を生み出す射撃技(ユニークスキル)。驚異的だといえばそれまでだが、威力だけでなく攻撃への躊躇の無さに言葉を失った。

 普段の彼女と余りに違う。その表情も、戦い方も、話す言葉の重みの何もかも。

 

 シノンは変わらずストレアを見据え、その先に立つ彼女は右肩と左足に生々しく残る矢を勢い良く引き抜く。同時にHPがまた減少するも、表情一つ変えずにストレアはシノンを見つめる。

 

「……強くなったね」

 

「おかげさまでね。けど、貴女は弱くなったわ」

 

 アスナには、シノンのその一言でストレアが初めて感情的になったように見えた。未だ闇が広がるその瞳が僅かに苛立ちを孕み、その口元が震える。

 彼女は自分の叶えたい目的の為に仲間を切り捨て、ボスを強化し、攻略組に絶望を与えた。結果だけ見れば彼女は此処にいる誰よりも強者としての結果を出している。だがそれでも、シノンは怯える事無く告げた。

 

「自由で笑顔で、皆を振り回して。けど楽しそうで。いつも自信に満ち溢れていた前の貴女の方が、私には強く見えていたもの」

 

「……そんな、の」

 

「だから私は今の貴女を否定する。アキトが取り戻したいと願う貴女を連れて帰る」

 

 その為の力よ、と弓を構えて告げる彼女を見て、アスナはただ立ち尽くしていた。その覚悟が、発言に込められた熱が、自分と比べ物にならない事を実感した。SAOに迷い込んだばかりで、攻略組の誰よりもレベルが低かった彼女が、いつの間にか自分を越えているのだと自覚してしまった。

 

「……どうして、そこまで」

 

 それはストレアではなくアスナの、思わず溢してしまった問い掛けだった。ストレアもシノンも驚いたのか此方に視線を傾ける。だがそれも一瞬、シノンは再び前を向き、小さく微笑んだ。

 

「不器用なアイツが、漸く私達を頼ろうとしてくれたからよ」

 

 彼女が片目で見据えた先には、未だ死闘を繰り広げる攻略組の姿。その剣戟の渦に見え隠れする、黒いコートと二対の剣。必死な形相の中で、その瞳が一瞬だけ此方を向く。

 

「初めてアイツに任されたんだもの。次も頼って貰えるように、私は役割を全うする」

 

「……健気だね、随分と」

 

「自分でもびっくり。私、意外と尽くす女みたい。そうやってアイツに翻弄されてる今の自分も、嫌いじゃない」

 

 ストレアの皮肉ですら、笑みを持って答える。余裕そうに振る舞う事で、少しでもアキトの心にゆとりが生まれるようにと。シノンはずっと、そうやってアキトの為の行動を続けていたのだ。

 傷付けてしまうと言い訳染みた言葉だけで行動を止めた自分とは違うのだと、アスナは拳を握り締める。

 

「ごめんね、シノのん。───もう、大丈夫」

 

「……アスナ」

 

「私も、シノのんと同じだもの」

 

 頼って貰えた事。信じてくれた事。支えさせてくれた事。いつだって独りで抱え込んで来た彼が、漸く自分達に歩み寄ってくれた事。こんなに嬉しい事は無いとさえ思えたのだ。

 散々彼にその事を説いてきたのだ。いざ頼ってくれた時、その期待に応えられなければ、それは嘘だ。キリトを守れなかった時と同じ、口だけの戯言と化してしまう。

 

「アキト君の願いを、今度は私達が叶えるの。だから」

 

 構え直した細剣は、未だ僅かに震える。ストレアに剣を向ける覚悟がまだ完了したとは言い難い。けれど、アキトの為なら。いつだって、何処にいようとも自分達を助ける為に戦ってくれた彼の為なら、この剣を振るう事ができるから。

 

「ストレアさん、貴女を止める。そして連れて帰る」

 

「────」

 

「一緒に帰ろう。ユイちゃんも待ってるよ」

 

 僅かに零れる笑み。隣りで同様に笑うシノンにつられたからかもしれない。それでも方針は固まった。シノンと協力し、アキト達がボスを討伐するまでストレアを足止めする。そして、彼女を無力化して一緒に帰るのだ。

 そうして、彼女の抱えてる悩みをみんなで共有し、解決する為の行動を────

 

 

「……どうしても」

 

「え……」

 

 

 そんな目標を遮るように、前方からか細い声が放たれる。聞き逃してしまいそうな程に小さく、そして震える声音。

 それは紛れも無く、二人の目の前に立つストレアのものだった。俯くその顔から表情は読み取れず、代わりに両の肩がわなわなと震え始めていた。

 

 

「どうしても、一人にしてくれないのね」

 

 

 剣を握るその力が強くなり、その刃先さえもが振動している。口元は引き絞っていて、何かを堪えているように見える。アスナにはそれがまるで、涙を流さずに泣いているような、そんな表情に見えて。

 

「……ストレアさ────」

 

「何もできない癖に、どうせ無理なのに……そうやって、期待させるのね」

 

 その言葉の意味がよく分からず、けれど言葉を紡ぐその勢いに気圧され、何も言えずに後退る。瞬間、僅かに顔を上げた彼女の瞳が───血のような深紅に染まり、鈍く煌めくのが見えた。

 

「アタシは……後悔なんて、してない……生きる為に仕方が無いんだって、そう思ってる……そう思ってたのに……っ」

 

 ────バチリ、と。

 彼女の身体を纏う黒い稲妻。まとわりつくような風。苛立ちや憎悪を混濁させた血色の双眸。まるで以前暴走状態に陥ったアキトを想起させるような、底冷えするような冷たさを帯びて。

 背筋が凍りつく程の恐怖。震えてその場から動けなくなってもおかしくない程の圧力。以前のボス戦同様に感じ始める、死へのカウントダウン。それを引き起こそうとするのは、やはり目の前の彼女。

 

「っ……ストレアさん。貴女に、もう誰も殺させない……!貴女の目的は分からないけど、こんな間違ったやり方……!」

 

「────アキトみたいな事を言うんだね」

 

 感情がそのまま力になったような、そんな突風だった。アスナもシノンもそれに当てられ、後方へと吹き飛ばされる。地面へと身を削り、思わず目を瞑るその刹那、ストレアの瞳が右に逸れたのを見た。

 

 

「……ああ、そっか」

 

 

 その視線の先には、アスナが絶対に守ると誓った大切な人の奮闘する姿───アキトが、いた。

 嫌な予感が、胸中に渦巻く。凄まじい勢いで増幅し、恐怖や焦燥を掻き立てる。彼に向ける感情は、決して以前のような好意的なものではないと、その瞳が告げている。

 

 

「────全部、全部アキトの所為か」

 

 

 瞬間、迸る紫電と暴風がストレアを取り巻き、辺りを震撼させる。その闇色のコートが翻り、虚ろな瞳の奥に不気味な深紅の光が宿る。その細腕が震える程に、柄を握るその力が増していく。

 アスナとシノンが慌てて立ち上がった時には、ストレアの持つその剣が天高々と掲げられていた。

 

 

「アキトさえ……アキトさえいなければ……」

 

 

 刀身が鈍く、黒く輝く。全ての希望を飲み込まんと、殺意を纏わせ宣告する。視線の先に立つ勇者の元へとその絶望が届くように、嵐を起こしながら。

 ────その瞳に、僅かに涙を溜めて。

 

 

「っ……貴方が最初からいなければ、アタシはぁ!!」

 

 

 天へと伸びる光、その剣を振り下ろす。それを目の当たりにして、アスナは咄嗟にその足を動かしていた。まだ見てない構え、アスナの知らないエフェクトカラー。まだ見せたことの無いソードスキルの可能性を示唆していた。

 一歩、二歩。それだけでストレアの間合いへと入り込む。彼女の視線は未だにアスナとシノンに向けられてはいる。けれどそれとは別にアキトへ向けられた意識、感情の全てが隙となり、アスナのレイピアを彼女へと届かせる。僅か数秒、数センチ。

 先程のような躊躇を感じる暇もない。この一撃が致命傷になる事はないと自分に言い聞かせ、自身の行いとアキトの命を秤にかけて、一瞬で選び取った後悔無き選択肢だと誇れる程に意志はハッキリとしていた。その意志を込めた刃が、ストレアの胸元へと伸びていく。

 

 届け、届け。

 間に合────。

 

 

「────インフィニティ・モーメント」

 

 

 冷たく響くそれは、ストレアの声だった。

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「っ────ぐっ……!」

 

 二本を交差させて大剣を受け止めた瞬間、腕ごと消し飛ばされるような衝撃と共に後方へと吹き飛ばされる。もう何度目かも分からないほどに受けていても一向に慣れる事は無い、即死へと続く刃の数々。

 神経を張り巡らせ、片時も剣を掴む握力を緩めず、集中力を途切らせる事無く、予測を繰り返し、そうして漸く奴と対等になれる。そして、ここまでしてもなお、あの黒騎士を圧倒できないという事実。

 

「アキト!」

 

「大丈夫、平気……」

 

 吹き飛ばされたその先で、フィリアがアキトを支える。彼女に肩を借りながら、よろよろと立ち上がった。

 防御したにも関わらず衝撃だけで体力を削り取られていく。あらゆるパターンが組み込まれた今回のボスは、予備動作からの予測さえ常人にはかなり難しい。巨大なだけであって、動きは人間とそう変わらないのだ。

 アキトの《未来予知(プリディクション)》で漸く───いや、それでもまだ足りない。時間を重ねる毎にその強さを痛感する。

 単純に攻略組の人数、即ち戦力の減少が今になって痛手になっていた。

 

「……っ」

 

 今噛み締めたのは、一体何本目の小瓶だろうか。乱雑に頭を振って捨てれば、硝子のように砕けて消える。視界左上の体力が回復していくのを確認し、再び正面に聳える黒騎士を睨み付ける。

 攻撃も防御も、剣技も立ち回りも、どれをとっても今までのボスと違うアルゴリズム。学習し、応用し、パターンを簡単に予測させない。アキト一人に全て任せての連携は、そろそろ限界に来ていた。

 

 黒騎士が雄叫びを上げながら再びその剣を振るう。その一振りによる風圧が、距離のあるアキトの前髪を揺さぶる。壁役の血盟騎士団の何人かがその重い一撃に吹き飛ばされ、エギルとリズも巻き込まれて倒れ込むのを視界に捉える。

 

「っ……行か、なきゃ」

 

 眼も、脳とグチャグチャだ。最早声も聞こえない。けれど、それでも行使してでも戦わなければならない。再びその剣を握り締めて前方へ駆ける。

 

 

 

 

 ────二つの影(・・・・)が、目の前を通過した。そしてすぐ、壁に亀裂でも入ったかと思うほどの破壊音が響いた。

 

 

 

 

「────え」

 

 風で髪が揺れ、コートが靡く。戦闘が一時終わりを告げたかのように、空気が静まり返った。まるで音なんて存在しないかのように、呼吸音すら感じ取れない程に静寂が一瞬で場を支配する。

 アキトは、呆然と立ち尽くした。他のプレイヤーでさえ、その異常な空気に動きを止めた。黒騎士さえ、武器を降ろして直立している。

 

「……何だ?」

 

 誰の声だったのかは分からない。ただ、誰もがそれを知りたかった。生きるか死ぬかの瀬戸際にも関わらず、戦闘を中断してしまう程の何かが、そこにはあった。

 

「────」

 

 アキトには、目の前を横切った二つの影に、嫌なくらいに見覚えがあった。そして僅かに聞こえたのは、よく知る大切な仲間の声。

 恐る恐る、震えながら視線を影の飛んだ先へと向ける。そこには壁が崩れる程の威力で叩き付けられた、仲間の無惨な姿があった。

 その二人はアキトの為にストレアの相手を買って出てくれた大切な────

 

「……ア、スナ……シノ、ン……?」

 

 呼んでも、返事が無い。深く抉り取られたかのように、アスナは右肩から左腹部を。弾け飛び消え去ったかのように、シノンは右腿から下を切断されていた。どちらも項垂れ、意識を手放している。その身は黒い稲妻のようなものの余韻が残っていた。アキトは、戦闘なんて忘れて思わずそこへと足を向ける。

 

「アスナ……シノン!!」

 

 ────しかしその瞬間、バチリと黒い稲妻が目の前を横切った。

 思わず動きを止めたアキト。だがその瞬間、思いもよらぬ方向から叫び声が聞こえた。

 

 

「ぎゃああああああああぁぁぁああああ!!!」

 

「っ!?」

 

 

 反射的に叫び声の先を見た────()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……は」

 

 

 そんな声しか出なかった。放物線を描きながら自身の目の前に落ちたその腕を見下ろす。目線の先にあるそれに、理解が追いつかない。床に転がった腕の先には、その腕の持ち主であろう血盟騎士団のプレイヤーがいた。恐怖からか、衝撃からか。涙を流しながら、ガシャリと鎧の音を立てて崩れ落ちていく。

 それを、誰もが目の当たりにした。けれど、何かを口にはしなかった。何も言えない。何が起こっているのか、誰にも分からない。

 

 

 ────ドクン

 

 

「……っ」

 

 再び、稲妻のような音を捉える。アキトはその気配をいち早く辿り、その視線を傾け、

 

 

 ────目の前で、リズの左腕が吹き飛ばされるのを見た。

 

 

「……え?」

 

「リズ!」

 

 

 目を丸くしながら、そんな音を零す彼女に慌てて駆け寄る。体勢を維持出来ず、膝を着いたリズベットを抱き留める。切断された腕を見て、呆然とする彼女の為にポーションを取り出そうとした瞬間、また背後で気配を感じ取る。

 

 

「あうっ!」

 

 

 今度は全く別の方角から声がして、視線を傾ければ────女性の両脚が転がっている。

 あれは。あれは、フィリアのだ。

 

 

「……ふぃ、りあ」

 

 

 その両脚の先で、うつ伏せになって倒れているフィリア。苦しげに顔を歪め、床を這っている。

 

 

「っ……待っててフィリア、今────」

 

 

「きゃあああっ!」

「ぐああっ!!」

「うわああああああああああぁぁぁ!!」

 

 

 突如連鎖し、間断無く響き出す、悲鳴の不協和音。嫌な予感を拭えぬまま思わず振り返れば、次々とプレイヤー達が崩れ落ちていた。その度に黒い閃光が縦横無尽に地を駆け巡り、そうしてアキトの周りにいるプレイヤー達の四肢を削り取っていく。

 

「……なん、だよ」

 

 ポツリと、そう呟く。誰に聞いてもらう訳でもなく、それでも誰かにこの状況が何なのかを教えて欲しくて。

 

「があああっ!」

 

「っ……!」

 

 再びの叫び声に今度こそと視線を向けて────右手と、それが掴む刀がカシャリと音を立てて地面に落ちる。その刀は、最早原型が何だったのか分からぬ程に粉々に砕けている。

 

「っ……クライン!」

 

「っ……なんだ、これ……!」

 

 目で追い切れない速度で走り続ける黒い稲妻が通過する度に、悲鳴が、恐怖が、確かに刻まれる。それを頼りに目で追っても、腕をもがれ、足を切り飛ばされ、武器を打ち砕かれ、次々と仲間は床に崩れ落ちていく。

 

「リーファ!シリカ!」

 

 同様に脚を切断された二人を目の当たりにする。ピナを守るよう抱えて蹲るシリカの肩はガタガタと震えている。状況に困惑し、正常な思考ができていない。

 

「っ……エギ────」

 

 エギルは、腕と脚を一本ずつ消されていた。バランスを失い仰向けに倒れ込み、それを最後に攻略組のプレイヤー全てが誰も立つことができなくなっていた。決まって武器を持つ腕か、立つ為の脚を削がれ、まともに戦う事を許さない状態にされていた。

 気が付けばアキト以外、誰も戦える状態ではなくなっていたのだ。

 

「……っ」

 

 ゆらゆらと立ち上がる。その視線の先で、黒い閃光の正体が立っている。闇を纏い、殺意を持って、此方の瞳を覗いている。

 

「……ストレア」

 

「最初から、こうすれば良かった」

 

 ストレアが黒閃纏った剣を突き上げる。それを合図に、黒騎士が再起動を始める。その大剣が輝きを帯び、それを一気に振り抜いた瞬間に奴を中心に衝撃波が放たれる。

 五体満足のアキト以外のプレイヤーは例外無く全て、抗う術無く吹き飛ばされ、壁へと追いやられていく。

 

「みんな……!」

 

「これで戦いやすいでしょ?」

 

「っ、ストレア……!」

 

 冷淡に、残酷に。何の躊躇も後悔も感じない声。虚構だったそこ瞳には最早殺意と呼ぶに相応しい熱が灯っていた。

 ストレアと、その背に立つ黒騎士がそれぞれ武器を構える。どちらの視線もアキト一人に向けられていた。倒れている者には目もくれていない。標的は───ストレアが殺すと決めているのは、この場でたったの一人だけ。

 

「……っ」

 

 アキトは剣を構え、敵を見据える。対するのはストレアとボスである黒騎士。他のプレイヤー達の助力は部位欠損と体力を回復するまでは見込めない。つまりここからはアキトの一人勝負。絶望の比喩すら生ぬるい、地獄への最短ルート。

 しかしそこに逃げる選択肢など全く無い。既に戦う決意を、アキトはもうその胸に宿している。自分の役割を肩代わりしてくれたアスナとシノンの為にも、もう彼女と戦えないなどと言ってる場合じゃない。

 

「……だ、め。アキト、くん……」

 

 消えかかった火のような小さな声。それでも、それがアスナの声だとすぐに分かった。チラリと後方を見れば、苦しげに顔を上げる彼女がいた。

 アキト以外で唯一の五体満足。しかしストレアの剣技の追加効果なのか思うように身体が動いておらず、此方に来ようと両腕だけで身体を運ぶも、よろめいて倒れ込む。それでも足掻くのを止めず、絶えず地を這い進み続ける。

 

「アスナ……」

 

「決め、たの……誓ったの……言ったでしょう……?もう嫌なの……大事な人の、大事な時に……動けないのは、もう、絶対に嫌なの……!」

 

 ────それは、アキトが一番知っていた。

 キリトとヒースクリフの決闘を、動けずただ見てる事しかできなかったアスナの気持ちを。助ける事もできず、何も彼に伝えられず、目の前で突如として消え去った時の彼女の気持ちを。

 彼女がキリトと自分を重ねて見ていたとしても、あの時の悲劇を繰り返さんと行動できる彼女を、ただ誇らしく思う。アキトは小さく、本当に小さく彼女に微笑んだ。

 

「……君は、守ってみせる」

 

「え……」

 

 それだけ伝え、今度こそ前を向く。もう振り返る事は無い。何もせずただ此方を待ち構えるストレアと黒騎士の前へと一歩出ると、アキトは両の剣を構える。

 どう考えたって勝てはしない。勝つには必要なものが足りてない。解を導く反射に近い程の思考速度はまだ何とかなる。だが問題なのは意識を伝達し行動へと変換する速度。俊敏さだ。予測が完璧であったとしても、躱すだけの脚力や、受け止める為の腕力、そういった力の部分において、アキトはまだ足りてない。

 

 ────ならば、必要なのは予測についていける身体。それを手にする為に、アキトは一種の暗示をかける。

 

 夢想(イメージ)するのは、常に最強の自分だと誰かが言った。自己暗示は時に行動に、思考に多大な影響を及ぼす。そして何より、集中力を最大にまで高められるアキトの自己暗示は、他の者の比ではない。集中し、深く自身に暗示をかけ、ゆっくりと脳が肉体にかけているリミッターを外す────アキトの持つ、もう一つのシステム外スキル。

 剣を構え、目を瞑る。

 

 

「────護る為、支える為にこの腕を」

 

 

 呪文のように言葉を紡ぎ、その一つ一つの音を噛み締め浸透させる。

 

 

「────救う為、導く為にこの脚を」

 

 

 それが本当であるかのように。強がりを強さへと変えていく。

 

 

「────戦う為、理想の為にこの剣を」

 

 

 アスナやみんな、そしてストレア、この世界に囚われる全ての為に。

 

 

「────“起動(セット)”」

 

 

 殺す必要なんて何処にもない。これがアキトのやり方なのだ。誰にも、文句など言わせはしない。

 何もかもが欲しい。我儘で構わないと、誰かが教えてくれたから。

 

──── SKILL ACTIVATE : OUTSIDE

 

 ゆっくりと、その瞳を開く。もう迷いは無い。

 金色へとその瞳の色を変え、アキトは地を駆ける。

 

 

「────駆動拡張(フィジカル・バースト)

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.125 『輝亡(そのかがやきうしなわれるときはすぐ)

 

 

 

 









アキト 「……二人して何してんの?エギルの店の前で」

リズ 「お、丁度良い所に。ちょっとこっち来なさい」

アスナ 「今カウンターでアルゴさんとユイちゃんが話してるのよ」

リズ 「なんかめちゃくちゃ仲良さそうなのよね……」

アキト 「ああ……アルゴにはユイちゃんが一人になっちゃう時に一緒にいてもらってるから……」

アスナ 「楽しそう……むー、何話してるんだろう……アキト君分かる?」

アキト 「や、分かんない。聞き耳スキルも無いのに聞こえないよ」

リズ「へー、アンタ結構多芸だからてっきり……けど得意そうじゃない、読唇術とか。やってみなさいよ」
 
アキト 「分かったよ……ええっと──『誘ってくれてありがとうございます。三点倒立でスカイツリーの一気飲みしたの初めてです』」

リズ 「もう良いわ、壊滅的よ」

アキト 「無理ゲーなんだよなぁ……」

アスナ 「っ……っ……!」←ツボった



※実際


ユイ 「アルゴさん!次はオセロをやりましょう!ここに泊まってる人達に教えてもらったんです!」

アルゴ (勝てるカナ……)































次回 Episode.126『永眠』

END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)

  • ‪√‬HERO(キリトが主人公ルート)
  • ‪√‬BRAVE(アキトが主人公ルート)
  • ‪√‬???(次回作へと繋げるルート)
  • 全部書く(作者が瀕死ルート)

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