ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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────好きな人や大切な人は漠然と、明日も明後日も生きている気がする。

それはただの願望でしかなくて。
絶対だよと約束されたものではないのに。

人はどうしてか、そう思い込んでしまうんだ────





Ep.126 永眠

 

 

 

 

 

 

 

 ────貴方はきっと、知らないだろう。

 

 どれだけのものをみんなに与えてきたのか、どれだけの人を救っているのかを、貴方自身知らないでしょう。

 私がどれだけの想いを貴方に抱いていて、その存在がどれだけ私の中で大きなものになっているのかも。

 

 大切な仲間達も、攻略組のみんなも、すれ違うプレイヤーでさえ、貴方に救われ、影響された人間は多い。最前線に突如として現れた彼に、一番最初に救われたのは、きっと私だった。

 

 ……私は、君の事を。何にも、知らないんだよ。

 

 教えて欲しい。けど無理に聞きたくない。それでも彼の事を理解したい、知りたいという感情は日増しに膨れ上がっていった。出会う前の彼を、どんな二年を過ごしてきたのかを、どんな想いを抱いてくれているのかを。

 知って、伝えて、共有したい。

 

 ────けれど、今の君を、私は知ってるよ。

 

 出会う前の露悪的な言動に隠れる、不器用な他者への優しさ。恐ろしい程に自身を勘定に入れない誰かの為の行動力。全てを圧倒する程に隔絶した剣技と身体能力。死の恐怖さえも跳ね除ける愚かしい程の勇気。

 ────悲哀を誤魔化す、儚げな笑み。その中で垣間見える、いつ死んだって良いと思っているような、どこか満足したような表情。

 

 それを教えてくれるに足る程の信頼を、友情を、絆を。彼は私に感じてくれてないのではないかと、そう考えてしまう自分が酷く醜く思えた。こんなにももどかしさや焦燥を感じさせる人に、これまで出会った事がなかった。

 手を伸ばさないと、近付きに行かないと、その差は自然と引き離されていって、最後には私の目の前からいなくなってしまうような。

 キリト君とは違う脆さを感じて酷く恐ろしかった。

 

 今なお目の前で、たった一人で、たった独りで。絶望に等しく、地獄の比喩すら生温い敵との攻防にその身を投下し、果ては死に一歩ずつ近付いているその後ろ姿、背中。そればかりで、彼の表情が見えないのが酷く恐ろしかった。

 剣を束ね、技を重ねる度にその身に深い傷を付けていく彼の体力が凄まじい速度で減少していくのを見て、口元が酷く震える。

 死が、すぐそこまで来てる。

 

「────っ、ぁ」

 

 ストレアに吹き飛ばされ、壁に亀裂を作り出す程の威力で激突してまだ時間が経ってない。肺に酸素を取り込む事すら厳しく、目尻に涙を溜めながら咳き込み、必死に呼吸を繰り返す。

 彼の折れそうな姿を見て、酷く心臓が高なった。恐怖や焦燥が綯い交ぜになって、動かない自身の身体に酷く苛立ち、痛みを感じる程にその下唇を噛み締めながら、両の腕のみで這うように彼の立つ中心へとその身を引き摺っていく。

 

 

「アキト、くん────」

 

 

 ……私は、過去の君を知らない。けど、今の優しい君を、もう知っている。理解している。だから、恐怖に震える体に爪を立てて、頬を何かが伝うのも構わず、必死にその身を前へと押し出す。

 彼の背中が、次第にあの日を思い出させる。75層での、キリトとヒースクリフの決闘。かつて愛した人の、たった一人で戦う後ろ姿。見てるだけだった自分と決別する瞬間は、恐らく、きっと、今しかない。

 道半ばで目の前から消えてしまった彼の顔を思い出して、アスナはポツリ呟く。

 

「ゴメン……ゴメン、ね……ごめん……っ」

 

 あの時、駆け付ける事ができなくて。守ってあげられなくて。一緒に戦ってあげられなくて。

 許してだなんて言わない。けれど、どうか彼に──アキトくんに伝えさせて欲しい。取り返しのつかない事だと分かっているけれど。

 それでも、浅ましく彼の名を呼んでしまう私のこの想いの丈を、感情を、溢れていく全ての気持ちを声にして届けたい。

 

 待ってて。

 もう決して、独りにさせない。

 君に二度と、悲しげな表情を作らせないから。

 

 私は、もう逃げない。

 私は、もう負けない。

 私はもう、後悔しない。

 

 

「私、を」

 

 

 ────どうか、アキトくんの傍に行かせて。

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

(────あ、れ)

 

 

 どれくらいの、時間が経ったんだろう。

 ていうか、今、何してるんだっけ。

 

 

「いい加減────壊れてッ!!」

 

 

 97層迷宮区。最終到達点。聳える巨大な鎧の黒の騎士。散らばり倒れる数多の生命。少年と少女。守る為の剣と殺す為の剣。────その中心で。

 魂の込められた意志と共に、各々の剣戟が交わる。火花散らす競り合いの中で視線が合わさり、重なる。

 互いに譲れぬものの為、互いに求める願いの為、互いに守りたい居場所の為に。

 

「せあああああっ!」

「っ……!」

 

 裂帛の気合いを乗せて、その闇色の剣が振り抜かれる。こんな細身の少女からは到底放たれると思えない一撃が、少年───アキトのその身を吹き飛ばす。

 まだ地に到達さえしてない内に追い打ちを仕掛けようと彼女───ストレアが剣を伸ばして迫って来るのをその視界端に映しながら、アキトは空中でその身を翻して冷たい床にその手を付ける。

 

「────ッ!」

 

 瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。振り抜いたストレアの剣は空を切り、彼女が見上げた時には既に、アキトは遥か後方へと距離を取っていた。

 

「なっ……」

 

 ストレアの表情が僅かだが驚愕に変化する。此方の一瞬の高速移動。刹那の間ではあったが、両の腕を纏っていたのはライトエフェクト。それも《体術スキル》だが、あの体勢から発動できるスキルも、あんな短時間のみの発動も、一瞬の効果光だけで終わるスキルも見た事が無いだろう。

 それを見て少しだけ考えるような表情を作るストレア。そうして振り返って、黒騎士───97層のボスに顎を傾けるだけで指示を出した。

 

 ────いけ。

 

『GuuuuuuuaaaaAAAAAAAAAA!!!』

 

 暗黒騎士、その名こそ相応しい。歪に象られた鋭利な黒い鎧に、光の反射が鈍く煌めく。兜の奥の瞳が青白く輝き、巨大な長剣と盾を胸の前で何度かぶつける。火花を散らし、その口を開き、自身の力を誇示するように喚く。

 空気を何度も振動させる。災害とも思しき咆哮が突風を生み出し、倒れるプレイヤー達を端の壁まで吹き飛ばす。

 

「きゃあああ!」

「うおおあああ!」

「グハッ……っ!」

 

「!?────っ!」

 

 薙ぎ払われ、項垂れゆくアスナ達に視線を向けたその刹那、巨大な影がアキトを覆う。

 瞬間、ドクリと心臓が一際大きく脈打ち、全身が熱く昂る。ロングコートの裾を翻し、バチリと何かが弾け散る音が駆け回る。すぐさま振り返り、そのまま剣を構え直し、目前に広がる悪夢で視界を埋める。

 眼前に現れるだけで、実際の何倍にも大きく見える圧倒的存在感。全てを断絶するその大剣が、天井高く聳え立つ。たった一歩で、既に奴の射程圏内だった。

 

「っ!」

 

 空気が鈍く振動し、耳を劈くような低音と共に振り下ろされ、眼前まで落ちて来てる刀身を見上げて、今度は脚に力を込める────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ……」

 

 縦横無尽。ストレアも黒騎士もまたしてもアキトを見失う。超速移動を重ねるアキトは既に、黒騎士の背後を位置取っていた。その身を反転させ、ボスを見上げて剣を構える。右手の剣《リメインズハート》は既にその刀身をライトエフェクトで覆っていた。

 

「────遅せぇよ」

 

 膝に力を込めると同時に、身体が軋むような音がする。限界に近いその錆びた身体を無理矢理行使してるかのような感覚のまま、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。やはりその速度は、先程までと比べても数段速く、一瞬にして奴の頭上まで飛翔する。

 

 二刀流十八連撃技《ブラックハウリング・アサルト》

 

 鈍く煌めく闇色の剣光、構える二刀は翼の如く、黒騎士がその双眸で睨みを効かせる前にその両剣は振り下ろされた。速く、強く、その歪な暗黒の鎧の光沢を削り取る。

 その連撃の最中、無理矢理に上体を捻じ曲げ振り返り、此方に応戦しようとする黒騎士の、振り下ろされる剣。それさえも、アキトには見えている。

 

未来予知(プリディクション)────起動(セット)

 

 ガチリ、と歯車が噛み合う音がする。身体を構築する電子の回路が、血液を循環する心臓の鼓動が、ドクリと一際脳内で響く。その瞳が、奴のあらゆる機微、動作、視線を見逃さない。

 必要最低限の動きのみで突き出される大剣を受け流し、その勢いのままその身を振って連撃に乗せる。刻む度に呻く奴の声が、耳に心地好く思わず嗤う───寸前に意識を覚醒させる。まだ、まだ自分自身のままでいろ。

 

 一撃、二撃三撃四撃────繰り出される都合十八連撃の剣閃。僅かな時間ロスも、ミスも許されないこの緻密さを突き詰めたような剣技に、黒騎士は再び咆哮を放つ。

 亜音速にも似た連撃は僅か数秒の後にその体力の一振りを減少させ、追撃は再び瞬間的移動によって回避する。一人に対して一人とボスが一体。ヒット&アウェイこそがアキト唯一の勝ち筋。

 ストレアと黒騎士(フロアボス)。周りには四肢を欠損した攻略組が数十名以上。現状立ち回れるのがアキトのみという絶望に等しいこの状況下で、彼はたった一人で全てを守り切るつもりでいた。

 

「……まだ、そんなの隠してたんだ」

「……」

 

 ストレアはただ少しだけ目を見開き、アキトの両の手両の脚を見据える。恐らく通算四回に及んだ先程の超速移動の事を告げているのだろう事は理解している。あれこそ、アキトの持つもう一つのスキル。

 

 システム外スキル:《駆動拡張(フィジカル・バースト)

 

《体術スキル》の瞬間発動。起動と中断を繰り返し、高速移動を可能にする擬似的身体強化。基本的にソードスキルや体術スキルは決められた構えでないと発動せず、思考がブレれば失敗したり、中断し硬直が起きる事もあるうえに、発動後も決められた動作があるが、アキトの《剣技連携(スキルコネクト)》から分かる通り、アキトはどんな体勢からでもスキルを発動する事ができ、その間隔での硬直を連携によってカットできるプレイヤースキルがある。それ故に為せる彼だけのスキル。

 スキルが威力を生み出す瞬間のみを切り取り発動し移動に使用する、ボスを翻弄する為の御業。同様の事をキリトにもできそうではあるが、これには自身の速度について行けるだけの思考速度、情報処理能力が必要になってくる。

 故に常人には使い勝手が悪過ぎるのだが、アキトには《未来予知(プリディクション)》がある。

 

「……けど、もう限界みたいね」

 

 ストレアは、そう言ってアキトを一瞥する。その黒衣のコートの装飾は所々剥がれ落ち、重ねた剣戟を物語っているかのように二本の剣は刃こぼれが酷く、これ以上行使すれば折れてしまうのではと感じさせる程に頼りない。

 剣を突き立て頭を垂れて、肩を大きく上下させながら、震えるその身をどうにか起こそうと躍起になってるアキトの姿は既に死に体だった。

 それでも。

 

「これ、は……君を止める為の力だ」

「まだそんな……耳障りの良い言葉ばかり並べてっ!」

 

 苛立ちを脚に溜めて一気に蹴破る。その黒剣がアキトの喉元へと伸びる瞬間に、その身を右に逸らすだけで紙一重で躱す。通り過ぎるストレアの背中はガラ空きで、剣を落とそうと思えば致命打を与えられたかもしれない。

 しかし、そのストレアを無視して睨み付けるは巨躯なる黒騎士だった。あの存在が蔓延る限り、他プレイヤーの命がいつ散らされるかは時間の問題なのだ。ストレアを躱した瞬間にその軸足を捻り、黒騎士に向かって駆け出す。

 奴の残りの体力は半分を切っている。一人で相手するにはまだ厳しい範囲だが、仲間達の欠損部位が回復する時間さえ此方で稼げれば御の字だ。

 

「シッ────!」

 

 すかさず地を蹴り、黒騎士に急接近する。その速度は体感的にも数段速い。初動だけでストレアの反応の遅れを確信し、一瞬で彼女の真横を通り過ぎて黒騎士へと飛び出した。

 先に討伐しなければならないのは、アキト個人の理由を抜きにしてもフロアボスの方だ。存在している事自体が負傷中である攻略組のプレイヤー達に危険を齎す。ストレアとボス、両方をたった一人で相手する為には兎に角動きを悟らせないようにする、その為の速度と奇策。

 

 二刀流範囲技二連撃《エンド・リボルバー》

 

 瞬時に黒騎士の足元に立ち、二本の剣を広げて回転する。風圧で接近しかけたストレアを吹き飛ばしつつボスを見上げ、奴が此方にヘイトを向けるのを確認してからその場を離脱、そこから更に移動を開始する。

 休む暇も、止まる暇もない。一つ一つの動きの中で常に次の手を考え続ける。機微、挙動、視線、読み取れるものなら些細な事さえ落とす訳にはいかない。全て拾い切り、緻密に二手三手と行動を予測し此方の動きのプランを構築し、実行する。

 そして、如何にストレアと黒騎士の攻撃力が脅威でも、その全てを予測し対処し、反撃する。それを可能にする為の技術が今のアキトにはある。

 

 必要なのは“心”と“意思”。思い込みと呼んでもいい。けれどアキトのイメージ──つまり憧れの存在は、いつだってブレる事は無い。目指すのは常に一人、背中を追うのはいつだって彼一人。

 

 

 “想うこと”こそが力になる。

 

 

(────忘れるな)

 

 

 常に心に、“誓約(原点)”を────。

 

 

 連撃を重ね、予測に身体の動きを合わせ、致命傷以外は構わず、一歩でも多く前に。全てを躱し切れる訳では無い。それでも一つでも多く弾き、躱し、ただ守り抜く為の戦いを。

 

 その場から壁まで這うように移動し、瞬時に床を踏み抜く。壁を思い切り蹴り上げ、黒騎士の頭上へと飛び上がった。奴の視線が上を向くより前に右の剣を紅く染め上げ、単発技《ヴォーパル・ストライク》を繰り出す。その突進力で黒騎士の視界から一瞬で外れ、その兜を貫いた。

 視界端で砕け散る硝子片のような粒子、鈍く響く右腕の手応え、減少する体力を視認し、期待は確信に変わる。

 

「調子に───乗るなッ!」

「っ!」

 

 剣を振り抜くも束の間、着地した瞬間に迫る声。ストレアから発せられたとは思えない突き刺すような声と共に、彼女の剣が振り抜かれる。反応が遅れた割に状況判断と対応が速い。“眼”を彼女へ向ける。連撃数は四、《ホリゾンタル・スクエア》と解析。

駆動拡張(フィジカル・バースト)》によって底上げされた身体機能によってその連撃を紙一重で躱し、頭上から振り落とされた最後の一撃を両の剣で受け流す。

 

「ぐっ────!?」

 

 瞬間、渠に重い拳が乗せられる。ストレアの空いた左腕──体術スキル《エンブレイザー》が、炎のように揺らめくエフェクトを放ちながらアキトの腹深くに捩じ込まれ、そうして三度その身が吹き飛ばされた。

剣技連携(スキルコネクト)》────アキト同様の神業を、ストレアは意図も容易く引き出していた。それを理解した時には既に地面に叩き付けられ、摩擦で装備が削れていく。

 

「がっ……!?」

 

 突如、左から呼吸を奪われる程の衝撃。既に回復した黒騎士が右手の大剣を横薙ぎに勢い良く振り抜く。二刀での防御が間に合わず、そのまま切り捨てられるように、小石のように払い除けられ、吹き飛ばされる。

 

「っ……ぐ、うぅああ……!」

 

 いくつもの擦り傷を生み出しながら、どうにか剣を地面に突き立て、静止する。すぐさま立ち上がろうとして────力無くへたり込んだ。

 身体が、中々いう事を効かない────無理矢理に己を律して立ち上がり、そうして、変わらない意志を宿したその瞳をストレアに向けた。

 

「なっ……」

 

 彼女の、まだ立ち上がるアキトを見るその瞳から、困惑と焦りを感じ取れた。

 アキトも、自分の諦めの悪さに心の底で苦笑した。これ程までに拒絶され、阻まれ、殺されかけているというのに、何をしているのだろうか。けれど、どれだけ突き放されようと、ストレアへと向かわなければ気が済まない。

 勝てない、届かない────そんなの、関係無いと吐き捨てる。そんな障害、俺には、関係無いんだよと。そう、ストレアに伝えるかの如く、真っ直ぐに彼女を見据える。

 

「っ……まだ、貴方は……!」

「────俺、は」

 

 声が出ない。漸く彼女が此方に言葉を、想いを傾けてくれたというのに。呼吸が安定せず、脳が大きく振動するかのような嘔吐感。システム外スキル────自身の技術を全集中力を使って何度も行使した事による精神的摩耗。

 

 傷付いたみんなを守り、ストレアを抑え、黒騎士を倒す。

 その全てを、たった一人で。

 もう既に擦り切れて、磨り減って、削りに削った。一人で彼らを相手取るのに身体的にも限界が近付いている事も、頭の中では分かっていた。

 

 

「……まだ、君に……」

 

 

 ────伝えられてない事が、沢山あるんだ。

 

 

「っ……その、“眼”が……」

 

 

 歯軋りし、苛立つような視線を浴びる。ストレアの焦燥も、苛立ちも手に取るように分かる。それでも。

 

 

「貴方の、その“眼”が────!」

 

 

「────アキト君!!」

 

 

 背後から、アスナの泣き叫ぶような叫ぶ声。行かないでと叫ぶ声。独りで抱え込まないでと、そう願う声。

 けれどそこで立ち止まるには、自分にはもう捨てられないものが多過ぎた。

 彼女に向かって、振り返りはしない。けれど、小さく微笑んで目を瞑る。

 

 

(────ああ)

 

 

 苦しい、辛い。最早ストレアを説得する余裕なんて残っておらず、ただ彼らとを守る為にその身を使い潰している現状が、絶望的過ぎて笑えてくる。

 それでも。自分がこれまで何の為に戦ってきたのかは、彼女の声が教えてくれる。

 だから。

 

 

「……行かなきゃな、キリト」

 

 

 ダンッ、と再び床を踏み抜き走り出す。迎え撃つ黒騎士とストレアを前に、剣戟による切り傷を大量に受け続け、その身を赤く染め上げながら、それでもその身を都度、地獄へと投下する。

 プレイヤーとしての技術、仮想世界で手に入れたスキル、その全てを注ぎ込み、その身体を無理矢理稼働させる。

 無限に等しい重圧、自動回復でも追い付かない殺傷の数々。着実に死へと近付いてきている実感と、それでも尚守らなくてはならないものとの天秤。アキトにとっては、比べるまでもなかった。

 

「────左」

 

 告げて、動く。身体の向きを傾けた瞬間、振り下ろされた大剣がそこに在った。紙一重での回避、研ぎ澄まされた予測演算。膨大に増え続ける情報の処理と、それに伴う身体の酷使。回避、攻撃、予測。終わりの見えない思考のループに、その瞳と脳、そして身体が悲鳴を上げ続ける。

 

「────前」

 

 後方に跳んで、ストレアの斬撃を回避する。交錯する瞳と感情───いや、アキトは最早それさえ薄れ始めていた。

 段々と摩耗していく精神は、ストレアへの感情や、黒騎士を倒す為の意志さえもをこそぎ落としていく。

 守る────ただそれだけの為。

 意識が遠のき、虚ろになっていく瞳。そんな自身の視線と交わったストレアの表情が驚愕に変わるのを、朧気な視界で感じだ。

 

「────右、っ」

 

 予測に反して、速度が速い。回避が間に合わず防御。迫る大振りの巨剣は軽々とアキトのその身を斬り飛ばしに掛かる。二本の剣を交差して受け止め、身体を傾けて勢いを受け流す。

 がら空きの脇腹を視認してその両足首に力を込める。

 

「……────“駆動拡張(フィジカル・バースト)

 

 限定的な体術スキルの行使、両の脚で発動するそれで飛び上がり、黒騎士の腹部に焦点を合わせる。剣を寝かせて刀身を光で纏い、その瞳を見開いた。

 

 

 二刀流OSS二十八連撃《スーパーノヴァ・レムナント》

 

 

 赤、青、黄、緑、紫。エフェクトカラーが斬撃の度に変化し、それぞれの属性を鎧に叩き込む。弾け、飛び散り、消えゆく黒騎士の鎧の破片。その残骸を眼にしてなお、更にその剣戟は加速していく。

 奥義級の連撃数、波状的に広がる風圧。飛び散る火花に目を細め、その身に受ける一撃に歯を食いしばる。目に見えて減少していく体力を視界端で流し見ながら、凍えそうな程に冷たくなっていく自身の身体を実感する。

 

 ────死が、すぐそこまで来ている。

 

 死神が手招きをしている。奴の指先が、首筋に触れるような幻覚。

 それでも振り抜く剣速も、身体に込める筋力も、演算速度の何もかもが変わらない。衰えない。休んで、たまるか。

 

 まだ、動ける。

 まだ、たたかえる。

 まだ、しねない。

 

 

「速く」

 

 

 ────挫けるな。

 

 

「速く」

 

 

 ────止まるな。

 

 

「もっと、速く────」

 

 

 ────諦めるな。

 

 

 振り抜く自身の剣戟の反動さえ、自身の体力を削っていき、思考を鈍らせていく。柄を握り締める感覚さえも失われていき、感覚の全てが意識と共に遠のいていく。

 それでも。

 

 

「まだ、っ」

 

 

 コートの裾が千切れ飛ぶ。ストレアの斬撃を躱し切れず、その左眼が弾け飛ぶ。その形容し難い不快感が痛覚にも感じて、思わず左眼を抑えそうになる。

 呼吸が難しくなる程に苦しい、泣き叫びたくなる程に辛い、死にそうになる程に痛い、吐きそうなくらい気持ち悪い。

 それでも。

 

 

「みんな、を」

 

 

 守る為、支える為にこの腕を。

 救う為、導きの為にこの脚を。

 戦う為、理想の為にこの剣を。

 

 

「君を────」

 

 

 この二年間で得たもの全てを使い、その身全てを刃と化して。目の前の黒騎士と、その先の彼女へと。

 どうなってもいい、錆びれても、擦り切れても構わない。妥協は要らない。全て、染み込んで溶けろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────顕現せよ(ジェネレート)

 

 ────告げる、その冷たき声。

 黒騎士との攻防を縫うように、その存在は彼の元へと容易く近付いた。息付く暇も無い剣技の嵐の中で、空いた左手を虚空へ掲げる。

 ストレアはただ一歩アキトに近付き──瞬間、左腕に纏った紫電を、彼の右肩から左腹に掛けて振り抜いた。

 

「────ッ、ァ」

 

 抉るような深い傷。彼女の振り下ろした腕の先には、新たに生み出された別の黒剣が握られていた。黒騎士の剣が僅かに跳ね上がり、アキトの剣技が終わる僅かな硬直を突いた交代(スイッチ)

 返す刃が、アキトの腹部を貫く。呼吸を僅かに忘れ、剣を握る力が僅かに緩む。瞬間、その剣がストレアの蹴りによって容易く後方へと弾かれた。

 

「せあああああ!!」

 

 その剣から手を離し、今度は《トレイター》をアキトの右肩辺りに突き刺す。バランスを崩したアキトを一瞥し、再び空いた左手が紫電を齎す。新たに顕現したその剣を、今度は彼の左腿に突き立てる。そうして都度繰り返し数度、同様に剣がアキトの身体に刺し込まれていく。

 それでも。

 

 

「く、ぁ────」

 

 

 激痛。視界が真っ赤に染まり、血走る瞳の端から血の涙が溢れる。

 全身の筋肉が、骨が軋み、いくつもの筋が断裂する音を上げるのが聞こえた。

 脳内がけたたましく警鐘を鳴らしている。死がそこまで来てる。心臓が大きく脈打ち、ここから逃げろと警告してくる。

 それらを全部無視して、奥歯が割れるほどに歯を噛みしめて地面を踏む。靴裏で大地が砕け、アキトのその身その瞬間、生命の限界を超えて稼働した。

 

 

「あ、あああああ────!!!」

 

 

 彼女の追撃を諸共せず、その横を一瞬で通り過ぎる。地を駆け抜け、瞬間的に再びその右脚に光を宿す。一瞬で飛び上がった先には、此方を見下ろす黒騎士の双眸。それと視線が交わり、アキトは裂帛の気合いを込めてその剣を振り下ろす。

 蒼の剣(ブレイヴハート)は刀身を輝かせ、やがてそれを白銀へと変える。天へと伸び行くその剣を、ただ上から下に落とすように。

 

 

 ────ねぇ、キリト。

 

 

 迎え撃つ巨人の剣、視認できるかも怪しい体力。朧気になり、霞んで何も見えなくなっていく視界。剣を握れてるかも分からない、失われていく感覚。そうして思考さえも覚束無い中で、キリトの背中を思い起こす。

 

 

 ────まだ俺、君に追い付けるかな。

 

 

 

 

「────解明剣(エルシデイター)

 

 

 

 芸術に違わぬ、一瞬の剣戟。言葉など要らない、ただその刃に込められたたったの一振り。落とされたそれは、鮮やかに黒騎士の右眼と、その大剣を半ばから斬り落とし、歪な鎧を叩き壊した。

 天地を揺るがす様な叫び声を浴びながら、黒騎士が後方へと倒れる。爆風にも似た音と風圧と共に砂塵が黒煙の如く広がる。

 その中で、奴の体力が激減するのを視認する。赤色に染まったそれを見て、攻略組があと数手刺し込むだけで倒せる瀕死の状態にまで追い込めた事実に、ここまで一人で戦う言葉ができた事実に、アキトは漸く微笑した。

 

 

「────ああ、これで」

 

 

 満足げに、頬を緩ませて肩の力を抜くアキト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────彼女の殺意の込められた剣が、その少年の細い身体を貫いたのは、直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────何が、どうなってるの。

 

 

 刹那の剣戟、殺意の押収、爆発のような音と共に広がっていく黒煙。突風が巻き起こり、生温い風がアスナの頬を撫でる。一瞬の出来事過ぎて、ただ見ているだけでしかなかったアスナの身体が、漸くまた動いた。

 

「っ、アス、ナ……」

 

 リズの苦しげな声に気付きもせず、前へ前へとその身を這うように動かす。一刻も早く、この惨劇を生み出した中心に行きたかった。

 

 

「どこ……アキト……アキト、くん……アキトくん……」

 

 

 ずるずると、両の腕だけの頼りない力で、下半身を引き摺りながら進み始めた。

 亡骸にも近い仲間達を状態置き去りに、呼吸も絶え絶えになりながらも必死に、ゆっくりと部屋の中央へ、求める人の方角へ向かって、亀の速度で進み続ける。

 

 その先になにが待っているのか、分からないまま。分かりたくもない、知りたくもないと、そう思ったまま、駆け出す勇気を持てないまま、ただ願いを脳裏に焼き付けながら。

 縋りつくように、拠り所となる彼の名を呼びながら、アスナはただゆっくりと、その白の装備を汚しながら、進んでいって。

 

 

「……ぁ」

 

 

 ────そうして、涙を流しながら微笑んだ。

 

 

 

 

「……こんなところにいたの……あきとくん………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────アキトは、剣で胸を貫かれて死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.126『永眠(きみがとこしえにねむるひ)

 

 

 

 











サチ「……まだこっちに来るの早いんじゃないの……?」

アキト 「……ごめん」

サチ「……ばか」








次回『 憎 悪 』

END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)

  • ‪√‬HERO(キリトが主人公ルート)
  • ‪√‬BRAVE(アキトが主人公ルート)
  • ‪√‬???(次回作へと繋げるルート)
  • 全部書く(作者が瀕死ルート)

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