それは、大切なものを守りたいと願った少年が。
大切なものを守れなかった物語────
白い黒猫
アインクラッド、現在第49層。
2023年12月────
暗闇とも呼べる時間帯の中、それを貫くソードスキルの閃光が大型の狼にも似たモンスターを四散させる。
それを目の端で捉えつつ迫り来る牙、その顎に向かって空いた左手を突き上げた。
コネクト・《閃打》
一瞬で狼のモンスターは上空へと舞い、そしてポリゴン片となっていく。
その手に持つ黒い刀からは、斬り殺したモンスターの手応えを感じる。
けれど、まだ足りない。そんな気がする。
「……」
もう、かれこれ何時間が経過しただろうか。
ウィンドウを開いてみれば、朝の6時。空は曇っている為に、いつもよりも暗く感じる。
少年がここに来たのは夜中の11時。休まずにここに居続け、湧いて出るモンスターを斬り潰しているとするなら、もう7時間は経過していた。
だが、集中力は戦闘を重ね、時間を重ねる度に増していく気がした。
足りない。こんなものじゃ、満たされない。
もうこの狼共の攻撃パターンは割り出せている。飛びかかっての噛み付き、爪に寄る引っ掻き、それだけだ。
数は多い。狼は群れで動く動物だっただろうかと考えていたのは、既に5時間も前の事だった。
今はもう、目の前にいるモンスターはただのレベルを上げる為の経験値にしか見えていなかった。
「────死ね」
迫り来た狼の一匹を紙一重で躱し、すれ違いざまでスキルを放つ。
真紅の光を纏った刀は、敵の体力を一撃で葬った。
それが最後の一匹だったようで、気が付けばもう周りには何も無かった。
だが関係無い。リポップするまで待てばいい。それだけだった。
ここは49層、現在の最前線。今解放されているフィールドの中なら、一番上のフィールドのモンスターが一番強いに決まっている。
ただそれだけの理由で赴いたこの場所は、決して効率の良い経験値稼ぎの場所とは言えなかった。
特に、ソロプレイヤーがここに来るのは自殺行為とも呼べる。モンスターの湧きは早いが、このモンスターは集団で行動するからだ。在り来りな攻撃パターンではあるが、数の利でのみ述べるなら決して雑魚ではない。
一匹ならまだしも、集団となると奴らは連携する。この狩り場は完全にパーティ向けのものだった。
だが、知った事ではなかった。一番早くレベルが上がるならそれで良かった。
効率など考えているだけ無駄だ。そんな場所は、必ず人気になるからだと知っているから。
現在知られている中で最も効率の良い経験値稼ぎが可能なスポットは、ここより3層下の46層。虫型のモンスターが多く出現するエリアだった。
周囲の崖に幾つも開いてる巣穴から湧き出す巨大なアリのモンスターは、攻撃力は高いがHP、防御力共に低いタイプのモンスターで、攻撃さえ躱し続ければ短時間で大量に倒す事が出来る。
所謂、『当たらなければどうということはない』というやつだ。
だがそこも、四方を囲まれて攻撃を被弾すれば、体勢を立て直す間も無くゲージを持っていかれてしまう為にソロ向けとは言えない。
そして、人気スポットというだけあって、1パーティ1時間までという、今の少年からすれば『ふざけるな』と言いたくなるような協定まで張られている。
そんなところで仲良しこよしするくらいなら、一人で最前線で戦う方が、よっぽど早くレベルが上がる。
そう思った。
けれど、時間が経てば経つ程、レベルが上がれば上がる程に、最前線だというのにモンスターに対する手応えを感じなくなっていく。
ここではもうダメだ、早く次の層へ行かねば、早く解放せねばと、そう心が叫んでる。
「……」
あとどのくらいの敵を殺せば、強くなれるのだろうか。
迫り来る敵を斬る。
威嚇している敵を斬る。
逃げ始めていた敵さえも斬る。
そうしてモンスターを倒して倒して、その先に求めたものがあるのだろうか。
強く、なれるのだろうか。
仮想の世界でも、欲しかったものが────
「いつまでそうしてるつもりダ?」
そんな声が、後ろから聞こえる。
かなりの上層の荒野のフィールド、一雨来そうな曇り空の下で、一人立つ白いコートを着込んだ少年はその声のする方へと振り返る。
そこにはフードを深く被り、特徴的な三本ヒゲのペイントをした少女が立っていた。
小さな丘ではあるが、彼女はその少年よりも上におり、少年はそんな彼女を僅かばかり見上げて、その名を口にした。
「……アルゴ」
「オレっちが知る限り、もう二、三時間はレベリングしてるだロ。こんな上層でソロだなんて、よっぽど自信があるんだナ」
「……」
少年はアルゴを一瞥した後、小さく溜め息を吐き、その黒い刀を鞘に収めた。
そして、アルゴから背を向けると、緩やかな坂を下っていく。
アルゴは何も言わず、ただ少年の背中を追い始める。同じ速度、一定の距離。
アルゴが少年に近付く事はないが、後ろに立たれている事実に、少年は痺れを切らす。
「……キリトにでも頼まれたの?随分と暇だね、情報屋さんは」
「ま、お前さんに価値が無い訳じゃないからナー」
「キリトの頼みっていうのは否定しないんだ」
「判断するのはお前さんだロ」
少年は歩きながらに会話を続ける。アルゴの方へと視線は向けなかったが、アルゴの態度にその足を止めた。
「……悪いけど、俺は別にキリトの情報は買わないよ。買うなら────」
「フラグMOB、ダロ?」
「……」
アルゴの知ったような口振りになんとなく腹を立てる。当たっているからこそ、少年も何も言えない。
クエスト等の攻略キーとなっているモンスターは、総称して《フラグMOB》と呼んでいる。
大概は数日や数時間に1回のペースで出現するが、中にはたった1度しかチャンスがないものがある。それはボスと同等の強さを誇っており、ソロで倒す事を想定されたものではない。
そして、今は12月。イベントなんて、分かりきっていた。
クリスマスボスの討伐。目的はその後のドロップアイテム。
それが噂されるようになったのは、ほんの2週間前。
だけど少年はとあるNPCの情報を聞いて、以前にも増して酷い速度のレベリングを行っていた。
「《蘇生アイテム》────ガセかもしれないゾ」
「情報屋がそれを言うの?可能性があるならやってみなくちゃ分かんないでしょ」
「言っとくけど売れるネタは無いぞ。オレっちは基本的にウラが取れない情報は売らない主義なんダ。今回は1回限りのイベント、確認のしようがなイ」
「なら君に用は無いよ、鼠のアルゴ」
冷たい言葉が、アルゴを突き刺す。
そのまま転移結晶を取り出して、別のフィールドに転移しようとする彼の背中に、アルゴはほんの少しだけ、慌てたような声で放つ。
「キー坊も、お前と同じ目的で動いてるゾ」
「……キー坊?誰それ、のび太君のお友達かな?」
「分かってる癖に茶化すなヨ」
アルゴは真剣な声音で少年を見据える。
少年はふうっと溜め息を吐き、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「……驚いた。タダで情報を売るだなんて、主義はどうしたの。でもゴメンね、知ってるよ」
「……」
「46層の人気スポットでレベリングしてるんでしょ?ソロ向けじゃない狩り場の順番待ちの列にソロでいるのが《黒の剣士》じゃあ、噂もすぐに立つってものでしょ」
そう言って、キリトの事を思い出す。
最近はそんな目に余る行動から、《最強バカ》《はぐれビーター》と笑い者にされてるらしいが、少年はすぐにその思考を消す。
色々な事を考えてる時間が惜しかった。誰よりも強くなりたかった。
「けど、そんな順番待ちしてる余裕なんて……待ってる時間なんて無い。今最前線は49層、レベルの安全マージンは60程度。僕のレベルは75。多分、今この世界で一番レベルが高いのは僕だ。マージンより15も高い。これだけあればソロでも勝てる」
「っ……75……!?」
アルゴは自身の耳を疑った。まだアインクラッドの半分にも満たないフィールド下で、普通にレベル上げしてるだけならこんなレベルは有り得ない。
単純なレベルだけでいうなら、恐らく今のキリトを凌ぐ。
短絡的に動くAI相手にレベルを上げている為に、単純な技能だけならキリトの方が上だろうが、ボスの攻撃に耐えうる可能性が高いのは明らかに少年の方だった。
一体、どれほどの時間レベリングをして────
考えるだけで背筋が凍る。
死に急いでいると誰もが思う速度。アルゴは僅かばかりに恐怖を覚えた。
その白のコートを身に付ける彼の心は、代わって黒く染まっているように見えた。邪悪という意味ではない。何処か、傷付き、塞いでしまった心に見えた。
「迷宮区攻略しか興味のない筈の攻略組だって、今回のイベントに必死になってる。ライバルは多いんだよ。だから、技術が劣っていたとしても、レベルだけは誰よりも高くなきゃいけない」
「……キー坊は、酷く心配してるゾ、お前の事」
「なんだ、やっぱキリトに頼まれて来たんだ。けど、無茶なレベリングをしてるのはお互い様だよ」
途切れ途切れに呟くアルゴに、少年は優しく答えた。
キリトは自分の事を棚に上げて心配するところがある。そこは変わらないんだな、と少年は思い出したように笑った。
無論、少年も彼の事を心配していた。無茶なレベリングをしている、そんな噂があるならそれは当たり前だった。
けれど────
「……これが今、僕の一番やりたい事なんだよ」
「……」
少年はハッキリとそう告げた。
その言葉に嘘も偽りも何も無かった。
今この瞬間が、目的の為にレベルを上げている今が一番だった。生きてる事を実感出来た。
大切なものは、まだこの手に残されているかもしれない、その事実だけでこの身体を動かせた。
蘇生アイテム。眉唾ものだとしても、それだけの為に今の自分は存在していた。
「……死ぬかもしれないゾ」
「死なないよ。生きる理由がある限り」
いつもより過干渉なアルゴだが、別に違和感を感じたりはしない。
そんな事を考えるよりもすべき事があった。何を捨てても優先したい事があった。
そう。まだ生きなきゃいけない理由がある。
大切な人に、もう一度出会う為に。
アルゴの表情を見て、少年は素直に驚く。
彼女の感情的な顔はとても珍しい。彼女は決して贔屓したり誰かに肩入れしたりしない人だと思っていた。
少年から見た限り、アルゴはキリトに頼まれてここへ来たと思っている。けれど、キリトとアルゴの仲だ、理由も聞かされずに引き受けたとは考えにくい。
それに加え、情報を求めるならば、キリトはアルゴと接触する頻度は多いはず。彼女はキリトと少年が同じギルドにいた事を知っていたはずなのだ。
ならば、今はそのギルドがほぼ存在しない事に等しいという事実を理解している。
なら、キリトと少年が無茶なレベル上げをしている理由。
《蘇生アイテム》を求める理由だってきっと────
「……君はきっと、全部知ってるんだよね」
「……気持ちは、その……少しは分かってル……けど────」
「分かるものか」
少年はそう吐き捨て、今度こそ彼女に背を向けた。
どのくらいアルゴが知ってるのかとか、まるで気にならなかった。
ただアルゴが放ったそのセリフが、とても気に入らなかった。
この気持ちが分かるはずがない。誰にだって、キリトにさえ分からない。
自分が感じているものと他人が感じてるもの、それが本当の意味で一致する事はない。共感といっても、それは決して100%一致ではないのだ。
誰だって、この気持ちを理解する事なんて出来ない。
少年は、その手に持った転移結晶に、自身の行き先を告げる。
結晶はそれに応えるように光を帯びた。
もう数秒、彼が自分の前から姿を消してしまう。そう思ったら。
アルゴは、思わずその口が開いた。
「っ……アキト!」
「……初めて名前、呼ばれたかも」
少年──アキトは、アルゴに呼ばれた事で目を丸くして、そして嬉しそうに笑った。
その笑顔さえ、脆く見えた。
白いコートを転移の光が纏い、アキトはその場から消えていく。
アルゴは知っている。キリトが彼の事を気にかけている事を。
ほぼ毎日、キリトはアキトの情報を貰いに来る事を。
自身も辛いはずなのに、それ以上に彼を思っている事を。
そして、キリトがアキトに、負い目を感じている事を。
だからこそ、キリトの為にも聞きたいと思った。
そんなアルゴの声は、しっかりとアキトに届いていた。
「キー坊の事、恨んでるカ……!?」
「恨んでないよ」
彼は即答し、優しく笑う。
そう言って、アキトは目を瞑る。
その光が視界を白く覆い────
気が付けば、草原が広がるフィールドだった。
暗く、冷たく、そして孤独。
見上げた空は49層と違って曇り空では無く、嫌になるくらいに満天の星空で輝いていた。
白銀に光る満月が、アキトの瞳を照らす。
そして、その地にアキトの影が出来る。
「……うん」
アキトはその黒い刀を収め、白いコートを翻すと。
その草原の先を真っ直ぐに歩いた。
アルゴの質問に返した、自身の言葉が蘇る。
「……恨んでない」
嘘じゃない。
キリトは変わらず、大切な仲間だと思ってる。
ただ、付け加えて言うならば。
キリトよりも大切な人がいるってだけ。
自分が今生きている理由は、彼女の笑顔を見る為だけでしかない。
サチ 「え……笑顔が見たいの……?じゃ、じゃあ……」ニコッ
アキト 「……えっと……その……うん。可愛いよ」
サチ 「そ、そっか……えへへ」
キリト 「……」ジー
アスナ 「……」チラッ
ユイ 「っ……」ソワソワ
シノン 「……」ジトー
※本編とは無関係です。
END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)
-
√HERO(キリトが主人公ルート)
-
√BRAVE(アキトが主人公ルート)
-
√???(次回作へと繋げるルート)
-
全部書く(作者が瀕死ルート)