──盗る獲る掴む削る。奪う、奪う、奪う、奪、ウ。
「────ストレアさんっっ!!」
────アスナの劈くほどに甲高い悲鳴が、恐怖と焦燥で滲んだ吐息を練り混ぜたような声で響き渡る。
「……っ、ぅ……ぁ……」
その空間の中心でストレアはただ自身の胸元から伸び出る、錆び付いた墓石のような鈍色と冷たさを併せ持った剣先を、狼狽しながら見下ろしていた。
自分に何が起こったのか理解が追いつくよりも先に、その身を貫かれる不快感に口元を歪め、自身を刺し殺さんとするその剣の柄を握る存在を追いかけて、
「……ア、ンタ……っ」
「────はは」
振り返ったその先で、粘つくような笑みを浮かべて嗤っていた存在と視線が交わり、彼女の顔が強張る。
艷めく長めの髪、その身に纏う外套、床を踏み締める靴、その何もかもが汚すことさえ躊躇うほどの純白に覆われ、まるでこの世全ての無垢をそこに集めたかのような、それでもなお美しさよりも不気味さが際立つ異質な存在感を放っていた。
「────く、は、ははは。はははは」
恐怖で全てを絡め取ってしまうかのような、冷たく乾いた嗤い声。その少年が放つその声音一つで、この空間全てが底冷えするような感覚と鳥肌を覚えた。
そこに在るだけの存在に神経を凍らせ、身動き一つできずに息を呑み、視線さえも迂闊に動かせない。アスナも、部屋の中心に立つその白き存在から不用意に目を離せ、な────
「───────────────ん、で」
その異質な姿と雰囲気に目を奪われるばかりだったアスナの瞳が、目の前の白の剣士の容姿を映し取る。
────そしてその正体を理解した瞬間、時間が止まったかと錯覚するほどにその身体が強張って、震えて、そうして何もかも悟って、力無く項垂れた。
その頭上でストレアの呼びかけが聞こえ、
「アス、ナ……逃げ、」
「────ふふふ、はは、あははははははっ」
「ぐっ、ぁ……!」
その存在が、ストレアの背中に突き刺していた剣の柄を握り直し勢い良く引き抜く。そして、その鈍痛によって重苦しい表情で項垂れる彼女の背中を血溜まりにも似た赤い双眸に捉えたその瞬間、彼女を思い切り蹴り飛ばした。
小石のように部屋の端へと転がっていくストレアを眺めて口元に歪んだ弧を描くその存在の横顔を見上げて、アスナの口元がわなわなと震えた。
「………………………………………もう、やめてよ」
数え切れぬ程に憧れ、焦がれ、追いかけ、手を伸ばし続けた存在。そんな彼と違わぬその姿に自身の呼吸さえも忘れかける。目の前にいるその人のその顔を、本当は誰もが知っている。
────たった今目の前で失って、淡い恋をしていたのだと自覚して、その在り方を目指すと決意して、もう二度と会えないのだと涙して。そうして摩耗し切った感情がまた、自身の心に傷を付け、自身の瞳に涙を生み出していく。
「はははは─────く、ふふっ、ははっ、はははははははは」
歪な三日月のようにつり上がった口角に、機械的なただ貼り付けたような乾いた笑みが、次第に喜びを実感し、それを噛み締めるかのように感情が籠ったような笑い声へと変わっていく。
何もかも自身の思惑通りに事が運んだと言わんばかりの、込み上げてくるようなその笑みを前にして、頬を伝う涙が酷く冷たい。
勇者はもう居ない。消えた命は蘇らない。その理を無視し、他者の命を冒涜するその在り方と獣のような本能は、前回目の当たりにした時と変わらない。九十六層で垣間見た“暴走”とも呼べる力の奔流が、その剣先をストレアに向けて駆け出したのだった。
「────……っ、ぁ」
思わずストレアの名を呼ぼうとするが、動揺が喉を詰まらせ声が出ない。その視線の先で、腹部を抑えてよろめきながら立ち上がるストレアが途端に表情を変えて迎撃体制を取る。その行く末を、アスナは眺めることしかできない。
薄暗い部屋でこそ目立つはずのその“白の剣士”は、瞬きしてしまえば刹那、姿を見失うほどの速度でストレアに迫る。張り付いた笑みは消えることなく、視認する度に恐怖を呼び起こす。
脱力したように寝かせた剣が右下からの斬り上げに伸びる。その刃先は、ストレアの反応速度ギリギリのラインを攻めていた。表情を歪ませながら上体を仰け反る形で紙一重で躱した彼女は、その隙だらけとなった胴体を見据えて自身の剣を輝かせる。
片手剣OSS《インフィニティ・モーメント》
一歩で距離を詰め、ゼロ距離からの最初の一振り。眼前に袈裟斬りで迫る刃を見据えてもなお、その存在の固めた笑みは崩れない。合わせるような剣速でストレアの一撃をいなし、返す刃に力を込め────
「……!」
その直前でその身を翻した。自身の剣技発動よりも先にストレアの二撃目が自身に届く。後方に軽く跳躍する形で回避を選択し───彼女の刃の先端がその肩を掠めた。
赤く透明な三角片が飛び散り、頭上のHPバーが数ドットの減少を見せる。予想が外れたと言わんばかりに目を丸くしていたのも束の間、その少年の口元が再び歪みを見せ始め、
「……へぇ」
空気が変わり、重苦しい圧となる。それを実感した直後、その床が爆ぜた。瞬きの一瞬でストレアの視界から外れた白の剣士は、ほんのコンマ数秒で振り抜いた剣を天井に仰ぐストレアの背後へと回り込むほどの超速を見せる。
時間が飛んだと錯覚するほどの速度に、誰かの声にならない音が零れる。振り返った彼女の視界端で白の剣士は再び嗤い、
「────はは」
「────ッ!!」
ストレアは半ば反射的に剣を振り上げる。容易く躱されたその刃を返す形で振り下ろし、弾かれたその勢いのままソードスキルを強引に発動。放つは単発技《ホリゾンタ────
「────遅せぇよ」
ストレアのスキルがアシスト軌道に乗る前に、白の剣士の刃がストレアが握る柄へと伸びる。鋼同士が衝突し、弾かれたストレアの右腕が天を仰ぐ刹那、彼の空いた左腕が音速で彼女の鳩尾を貫いた。
「ぐっ……あああっ!!」
「────!」
衝撃が全身の動きを硬直させるも、無理やりにその身を行使して剣を構えたストレアの精神力に、奴も僅かに反応が遅れたように見えた。その一瞬の隙を逃さず、ストレアは全ての動作を完了させる。構え、モーション、その全てが既存の片手剣技の動きに当てはまらない。アキトが《ホロウ・エリア》の設備で作成していたオリジナルソードスキルと同種のものだと、アスナは直感で理解した。
「────はは」
しかし、さも面白そうに目を見開いて嗤う白の剣士。かつて両手剣を扱っていたストレアの筋力値から繰り出されたそれは、片手剣に持ち替えたことによって威力と速度が乗算されていて、赤青緑の色彩を纏ったその剣が上段から放たれる。
片手剣三連撃OSS《コード・レジスタ》
赤い一振りが後退した少年の胸元を掠め、その体力を僅かに減少させる。既存の剣技でないが故か、初動が遅れたことで鋒が触れ、血飛沫の如くエフェクトが舞い散る────それを視認したその存在は、ただ嗤った。
「はああああああっっっ!!!」
二撃目。刀身の光が青く染まり逆袈裟斬りに刃を返す。変わらぬ笑みをその顔に張り付けたまま、今度は紙一重でその剣を躱してみせる。三撃目、その剣が緑に輝きを変貌させ、横一文字に薙ぐ一振り────しかしそれは、彼の持つ鋼が迎え撃ち、交錯した途端に軋る音を響かせた。
「なっ……」
僅か数秒の攻防。茅場晶彦が設計した既存の技でなく、個人が作成した未知の三連撃。目の前の存在は、その一振り目をその身で受けた後、二振り目を容易く躱し、三振り目で完璧に受け止めて見せた。
対応の早さに唖然とする彼女を前に、したり顔のその存在は口元に弧を描いたまま、
「……ははぁ、アキトのOSSか。既存のソードスキルじゃ読まれると踏んで《カーディナル》保管の
「────……ぇ」
────言葉、を。
誰の口から漏れ出た声かさえ分からない。衝撃が、遅れて脳を揺さぶり支配する。以前とは比ぶべくもない、流暢な言葉遣い。
そしてその声は聞き慣れたものでさえない。聞き覚えのある声にも聞こえるが、老いた男性の声にも聞こえる。若い女性の甲高い声にも、果ては子どもの声にさえ聞こえるのだ。彼が嗤う度、声を音にする度、鼓膜を震わす声色が幾層にも重なって脳に刷り込まれていく。
「定型行動から逸脱したアドリブって部分は評価だな、対応が少し遅れて初撃は受けてしまったけれど……慣れない武器は使うもんじゃないなぁ、ストレア?力の入れ方がなってない。両手剣持ってる時の方がもう少し脅威に感じた気がする、よっと!」
「くっ、うぅぅ────!?」
競り合ったままの刃を思い切り振り抜き、勢いに押されてストレアの腰がくの字に折れ曲がる。重力を無視して地面と並行して直線的に吹き飛ぶ彼女にその場の全員の視線が持っていかれた瞬間、視界端にいたその存在が床を踏み抜いた。
「まだ肩慣らしにもなってないんだ────簡単に死んでくれるなよ、
地面が砕く音と、その存在が呟いた言葉を鼓膜が同時に受け取った途端にストレアのその白の剣士の距離が一つに重なる。ストレアが体勢を立て直し顔を上げた頭上には、既に振り下ろす為に掲げられた刃が天高く聳え立っていた。
「────っ!」
片手剣二連撃技《バーチカル・アーク》
迎え撃つストレアの剣が奴の得物の衝突し、薄暗がりの部屋が一瞬明るくなるほどの光芒が広がる。しかしストレアのSTR値を持ってしても、ただ振り下ろされた一撃にソードスキルの初撃が弾かれ、手首が痺れる。
「────ふふ」
「ぅ、あ、ああああああっ!!」
変わらず笑う彼に抱く恐怖心を跳ね除けるように、裂帛の気合いと共に苛立ちと怒りを込めて繰り出されたストレアのソードスキル。硬直無しの怒涛の連撃で敵を葬るアキトの十八番、一対多数ですら対象を圧倒出来る可能性を秘めたシステム外スキル。
目の当たりにした誰もが、アスナでさえ、全て躱し受け切るのは不可能とさえ思える程に冴え渡った剣技に思えた。
「あ、ははは────」
────不気味なほど、乾いた笑み。その剣技を真正面から見つめる奴の顔は、絶やす事が決して叶わぬ程に恍惚とした笑みを浮かべたまま、自身が手に持つ剣を前に、その全てをただの技術で受け流して見せた。
「っ……はああああぁぁぁぁああっっ!!」
唖然とする暇さえ皆無。離れた位置にいるアスナの背筋が凍るほどの悪意の前兆。目の前にいるストレアは殊更強くそれを感じているはずだ。だが本能的にそれを感じてもなお、システムアシストに入った身体の行使を止められない。ならばと、その勢いのままに繰り出されるは、ストレアの三連撃《サベージ・フルクラム》。
彼の視線が刃先を捉えたその瞬間、再び自身の得物を目の前で傾ける。それだけで攻略組最高峰の実力者である彼女の剣戟を児戯の如く全て捻り、弾き、火花を鮮やかに散らしていく。
絶対切断の別名が黒い閃光と共に喉元に迫る。ほぼノーモーションで繰り出されたそれは、あと数ミリの距離で再び躱される。返す刃を視界に捉えたストレアは、その体勢を無理やりに動かし、強引に次の構えを取る。瞬間、反逆を冠す剣が黄金に光り輝いた。
《
しかしその存在は、身体の前で構えた剣を僅かに都度傾けるだけの動きで、彼女の技の軌道を全て外側に流していく。ストレアの驚愕に強張る表情など意にも介さず、その笑みは嘲笑となって歪む。
「そ、んな……」
「ああ、満たない、足りない、届かない。物足りないよストレア。速度、物量、“心意”、その何もかも」
少年の声はあまりに軽く、楽しげですらあった。
現状、アキトのみが狙って出せていたシステム外スキル《
繋げられる剣技の数だけ、未知の剣技の量だけ、無数の組み合わせを編み出せるその御業は、再現性の難度が高い分それだけ予測が難しく、凡そ対人においては無類の強さを誇る────はずだった。
目の前の彼は、そんなチート染みた連続のソードスキル連撃を全て受け流し、しかも平然とそれをやってのけた。そこには以前のような獣に近しい反射はなく、予測による正確な対処が見て取れた。
やはり、以前の“暴走”とは訳が違う。本能で動く獣ではなく、明確な意志と人格。
「────そら」
その思考と戦略を持った眼が剣技と剣技を繋ぐ僅かな動作不備と、動揺を隠し切れなかったストレアの硬直を見逃さない。そうして振り下ろされた剣先から、ストレアは逃れるように脇へと転がりその勢いのまま立ち上がった先、追撃で払われた薙ぎの一閃を上体を仰け反らせて回避した─────そのほんのコンマ数秒、蛇のようなしなやかさでストレアの間合いに入り込んだ奴の瞳は、ただ殺意が宿っていた。
「しまっ……」
「遅い」
冷たく放たれた宣告。鈍く光る闇色の閃光。
「────“
その刀身が暗く染まり切り、その足を一本踏み締めたのと同時に繰り出された刺突が、一直線にストレアの胸元へと伸びていく。刀身の長さを度外視した中距離必中の絶技が、僅かに身体を反らした彼女の左腕を容易く貫いた。
「く、ぁ────」
呻く声すら上がらない、静かな一閃だった。
まるで路傍の小石の蹴り上げたかの如く、左腕が宙へと放物線を描いて跳ね飛ぶ。血飛沫にも似た赤いエフェクトが弾け、その勢いに巻き込まれたストレアの身体は、まるで車に跳ねられたかようにあっさりと後方へと吹き飛ばされる。その身が床を弾み、摩擦で防具を擦り減らしながらも変わらぬ勢いのままに壁にその背を打ち付け、肺に溜まった空気を全て押し出され、糸の切れた人形のように項垂れたのを見て、アスナの意識は漸く引き戻された。
「れ、あさん……すと、れあさん……ストレアさんっっ!!!」
へたり込み、地面に吸い付いていたかとさえ錯覚する程に重苦しかった足に力が入る。途端に立ち上がり、気が付けばアスナはストレアの元へと駆け出していた。
「……は、ははははは」
────その存在は、そんなアスナの背中を追いかけることも咎めることもせず、手にしていた剣を床に突き立てて、ストレアを無力化した手応えを実感するように自身の両手を見下ろし、双方を開閉し始めた。
そうする度、繰り返す度に、その感覚を現実のものと認識し、そうして次第に喉奥から込み上げてくる笑みが漏れ始めて、そして止まることはなく。
「っ……ざ、けんじゃ、ねぇぞ……!」
静寂の中で嗤うその声に掻き消される程にか細い声が、誰かの耳に届く。赤いバンダナに無精髭を生やした侍染みた青年の悔しさと悲しみと怒りが綯い交ぜになったような、今にも泣き出しそうな声音とそのまま奴を切りかかりに行きそうな悪寒に誰もが息を呑んだ。
けれど、そんな彼の言葉に共感した。彼の苛立ちに同調した。彼の悔しさや悲しさが、手に取るように理解できた。
「なん、でっ……なんでだ、よ……!」
「くふっ、くふふ、ふは、ははははは」
奴のそれは自分達が彼に望んだ笑顔では、決してない。故に、自分達が望んだ
自分達の怒りや悲しみをその青年が────クラインが言葉にしてくれたのだと、そう思った。
「……何を、やってんだよ……」
その込み上げた想いが耐え切れず決壊し、その空間全域に響き渡っても、なお。
「っ……なんてザマだよアキトォォオオオォ!!!」
「あははははははははははははははははははは!!」
────止められない、もう何もかも。
Episode.129 『
●〇●〇
「演算速度良好。
クラインの叫びも虚しく、各々の眼前でくつくつと抑え切れず込み上げてくる悦びを噛み締めるその存在は、こちらの言葉などまるで届いていない様子で天を仰ぐ。
見上げた先は天井────その言動から推測して、恐らく奴は茅場晶彦が立ちはだかる予定だった最上階《紅玉宮》を仰ぎ見ていた。
「ストレアさん……しっかりして、ストレアさんっ……!」
「……あ、すな……」
アスナの呼びかけに応えようとしたのか、しかし苦鳴が混じり聞き逃してしまいそうな程の細い声と共に重苦しく顔を上げストレアの顔色は酷いものだった。痛覚の鈍い世界でさえも痛々しく映る、血潮にも似た色の光を垂れ流す左腕の断面。まるで毒のように未だジワジワと止まらずに減少する体力を見て、アスナは慌ててポーションを取り出す。
そんな光景に漸く気が付いたのか、その存在は視線を虚空からアスナへと落とすと突き立てた剣を床から引き抜き、そのまま二人の居る方角へとその足を踏み出した。
「っ……止まって!」
ストレアがまだ回復していない。その僅かな逡巡の末、アスナは自身の得物である《ランベントライト》の鋒をその存在へと向け、睨み付けるように目を細める。
ストレアが戸惑ったように僅かに声を漏らしたのを感じながらも、アスナの視線の先は変わらない。愉悦を宿らせ近付いて来ていたその存在は、そんなアスナの抵抗を前に足を止めると、不思議そうに首を傾けて────嗤った。
「……まさか、さっきので本当に仲直りか?随分とお優しいね。ソイツがまた
「……貴方……一体、何なの……?」
「何だったら嬉しい?アキト?それともキリトかな?」
「────は」
素直に応えるつもりはない、どころか此方の琴線に敢えて触れようとする存在の言動に、アスナは一瞬固まった。悪びれもせずさも楽しそうにそう宣う少年の異質さに戸惑いながらも、言うに事欠いて二人の名前を簡単に口にするその軽薄さに今すぐ細剣を貫いてやりたい衝動にも駆られる。
理性が何とか歯止めを利かせられているのは、目の前の存在がアキトと同じ顔をしている、それだけの事だった。
それでも彼は────アキトじゃない。ましてキリトでさえない。こうして一、二度言葉を交わしただけで、彼を知る者なら誰しも理解し、僅かな期待さえ打ち砕かれる。
分かっている。理解していた。なのに、彼の姿を模しているだけで足が動かず、戦う意志を削っていく。彼を想う自分達を、目の前の存在は冒涜している。
怒りからか恐怖からか、カタカタと剣を持つ腕までもが震えているのを見たその少年は、それまでの笑みを表情から消し去り、困ったように息を吐いた。
「……正体を問い質す事にも、説明する事にも意味を感じないな。全ては過去。現在に帰結した今、終わった話さ。もうこの身体の所有権は僕のもので、そこは今後も変わらないし変えない。変に期待だけされても困るしね、はは、あはは」
「────……っ」
聞いた人間の肌や喉奥に貼り着くような粘性を帯びたその嗤い声に不快感と恐怖が混ぜられ、それを無理やり押し付けられるような感覚に意識が酩酊しそうになる。
その後ろで、片腕になりながらも呻き声を漏らしながらどうにか状態を起こしたストレアが、アスナに持たれながらも顔を上げ、憎悪の込められた瞳で睨み上げる。しかしそんな視線を浴びながらも、その存在はあっけらかんと微笑んでみせた。
「なんだよストレア。そんなに痛む?跳ね飛ばされた腕が」
「っ……
────カナタ。
目の前の白の剣士をそう呼ぶストレアの表情は、初対面のそれではなかった。声音声色からもそれは伺えて、二度三度顔を合わせた程度ではなく、もっと長い時間を共にしたであろう関係性を思わせる。それでもアスナの瞳には、ストレアの彼に対する怒りの感情は本物に映った。
「なんでとは随分だな。賭けの結果を見に来たんだよ。それに君の目的が失敗に終わったら、今度は僕の番って話だったろ。だから────」
「そうじゃない!なんでっ……どうやって、アキトの身体を……!」
突き放すように告げられた言葉にストレアはゆらゆらと立ち上がる。驚愕を隠せぬまま苦痛紛れた声を絞り出し、対峙する敵を前に片腕のまま剣を構え直した。
交錯する互いの視線の圧、その深い理由も分からずにアスナは戸惑うしかない。そうした周囲の理解が追いつかない中で、今もなお彼らにしか分からないやり取りが続いていく。
「ああ、
そう呟くと、アキトと瓜二つの白髪の少年───カナタは、自身の懐から掌に収まる程の大きさの
まるで買ってもらった玩具を見せびらかす子どものように楽しげに、彼はその口元を緩める。彼の持つそれが何か分からず戸惑っていたアスナ達の疑問は、ストレアの表情と告げられた言葉によってすぐに解消された。
「っ……《
「ご明察。もっとも、使い捨てだったから乱用できなかったけ、どっ!」
そう言い切ると同時に、彼は水晶体を握る拳に力を軽く込め────その瞬間、聖晶石は硝子のように意図も容易く砕け散ってしまった。
「ぁ……!」
光の粒子が虚空に舞い上がり、その真ん中でカナタが作られた笑みをその顔に貼り付けたままストレアを見据える。対面していた彼女は、彼の一連の行為に対する激情をその顔に宿していた。
「っ……あ、ああああああっ!!」
「ストレアさんっ!?」
態度を一変させたストレアが途端に床を思い切り踏み抜き、瞬く刹那に彼との距離をゼロにする。反逆の名を冠す刃に光を纏わせ、飛びかかるように振り下ろした瞬間、視線が交わった。
「───はは」
眼前に迫る彼女の剣を、僅かに重心を傾けることで紙一重で躱す。それでも、返す刃が再び彼の眼前に迫り、それを僅かな驚愕を浮かべていなして剣自体を弾き飛ばした直後、彼女の空いた右腕が黄金色に輝くのを視認した。
対術スキル《エンブレイザー》、速度よりも威力を重視した正拳突きが白の剣士の顔面に迫り来て────回避間に合わず、その肩を抉った。
「っ────へぇ」
「はああああああぁぁぁっっ!!」
驚愕と、ほんの少しの感動。濁り切った瞳が輝きを見せ、ストレアの抵抗に魅入られた。そんな彼女の激情に重ねるように不敵に嗤い、瞬間踏み込みで床に亀裂を生み出すと、衝撃波が発生するほどの蹴りがストレアを吹き飛ばした。
「がっ、ぁ……!」
「ストレ────くっ……!!?」
その余波がアスナや周囲の人間にまで襲いかかり、風に煽られ髪が靡く。体術スキルを行使した様子は無い。アスナの目には何の変哲もないただの前蹴りに見えたそれは、威力の余波だけで転倒しかけるほどの風を生み出したのだ。
直撃を受けたストレアの身体は路傍の石ように飛び、地面を転がり摩擦でその身を削りながら静止した彼女本人の表情にも驚愕と困惑が張り付いている。
「……キミにまだこの身体を傷付ける度胸があったことには驚いたけど……僕を殺そうだなんて随分と思い上がったね、ストレア」
「っ……よ、くもっ……あのアイテムが何なのか……アキトにとって、どれだけ大切な物だったかっ……アレはアキトが、あの
「叶わない願いだ、持ってても宝の持ち腐れだった。それに形見の如く大事にしまってたアレを彼が他人に使う度胸が無いことは分かってた。お陰で計画の為の手段に事欠かなかったけど」
ストレアに抉られた右肩の傷を確かめるように左手で触れながら淡々と告げる少年は、次第にその足を彼女の元へと進めていく。
────何の、話を。
当然そう思わなかった訳ではない。聞き覚えのある単語が何度か投げられて、自分の中で曖昧ながらも感じていた予兆、それが次第に確信となりつつある気配。
これ以上進んではいけないような気がする。それでもアスナは反射的に立ち上がり、ストレアの前へとその身を投げ出すように立ち塞がった。わけの分からない現状に誰もが口を挟めず固まる中で、切っ先をどうにか向けられた彼女だけがその少年と───カナタと、視線が交わる。
「────……」
そうしてストレアにのみ向けられていた彼の意識が、漸く逸れた。彼女と自分を遮るように立ったアスナの方へと傾けられ、視線が重なった途端に息を呑み後退るこちらに対し、その白髪の少年はまるで知り合いを見つけたかのような柔らかな笑みを浮かべて告げた。
「……生憎だけど、君に用は無いんだよ。あるのはその後ろ」
「はいどうぞって……なると思ってるの?どうしてストレアさんを狙うの……!?」
以前アキトが暴走した時も、彼は執拗にストレアを狙っていた。あの時は、攻略組の仲間を殺された怒りに付け込まれた故のものなのかと思っていたのだが、自我が確立されてもなお、奴の目的はストレアのまま変わっていない。その理由を、奴は隠すことなくつらつらと語り出す。
「彼女の持つ力を返して貰いに来たんだ」
「……ぇ」
「彼女が君達の邪魔をする為に自分とフロアボスのステータスを弄ってたのは知ってるでしょ?アレはスキルではなく“
────急に何の話を、と思ったのは一瞬だった。
それを聞いて脳裏に蘇ったのは、ストレアによって蹂躙された惨劇、攻略組が半壊しかけた前層攻略時の光景。あの時の状況的にアレを生み出したのは彼女の持つ力なのだと、凡その見当はついていた。
それでも何故か、その能力の詳細を知ろうとは思わなった。いや、正確には彼女が敵になった時点で、そういうものだと心の何処かで考えていたように思う。
追求してしまえば最後、その深淵を覗いてしまうような気がして────
「あの力はこの世界が君達にとって“もう一つの現実”となる前、つまりゲームとしてリリースすることを想定していた頃の名残りさ。ユーザーに合わせたゲームバランス改善を目的とする難易度調整機能って言えば分かるかな……《カーディナル》のクエスト自動生成にも使われてる機能だよ。それを使えば、ステータスの修正や改竄が可能でね」
「────」
「効果はゲーム内でオブジェクトとして設定・管理されてるものであればその全てに作用する。高位権限があればプレイヤーは勿論、ボスを強化することも弱体化させることも容易い……過ぎた力だろ?立ち位置の定まってない奴に持たせておくのは少々
────淡々と語る彼に、誰も口を挟めずにいた。
予想と幾分か離れた解答を受け、その場の全員の身体が硬直している。これまで抱えていた謎の一旦があっさりと告げられた気がして、果たしてそれが真実なのか虚偽なのかも分からず、ただ受け止め切れずに混乱するだけの各々の視線が、次第にアスナの後ろで項垂れているストレアへと向かっていく。
‘‘ゲームバランス’’に‘‘難易度調節機能’’、“設定・管理”。
あからさまなゲーム用語。例えそれが突然現れた見知らぬ存在に告げられたものだとしても、鵜呑みに出来てしまうほどの説得力がそこにはあった。それを聞いてしまったことで腑に落ちる、ストレアの操っていたとされる現象の数々。
彼女の扱っていた力がプレイヤーのスキルとしての枠組みを超えた権能であることの証明。そんな世界観を無視した機械的な表現の羅列に、アスナの背筋が凍り付いた。
ストレアがこれまで見せていた未知の剣技や武器、ボスの強化はつまるところ、データ改竄による明らかなチート行為だったということ。もしそれが事実ならゲームを意図も容易くクリアする事も出来る。逆に言えば、攻略組を破滅させることさえわけないことだと思い至った時、
「…………………………………………………ぁ」
────自ずと視線は当人へと引き寄せられ、その視線が交わった。
そこに思考が辿り着いてしまえば最後、必ず感じてしまう違和感。気付かないフリが出来ていれば、もう少し上手く立ち回れたかもしれない。だがアスナはこの時点に置いて言えば、決して鈍くは在れなかった。
この世界のシステムの根幹を成す程の機能を今まで振るっていたとされるストレアのプレイヤーとしての存在証明が、アスナの中で揺らぎ始める。
出会った頃から印象的だった現実味のない強烈な存在感、周りの人間を自然と笑顔にさせる雰囲気、そしてこれまでのシステムに干渉する力。プレイヤーとしてのスキルを逸脱した彼女の権能の数々。
その理由と正体に────確信に近い説明が付いてしまう。これまで何度か過ぎった予感が、確信に近付いていく感覚。
「────そうだよ、アスナ」
まるで此方の思考を読み解いたかのようなタイミングで告げられたカナタの肯定をその身に受けて、アスナの視線はゆっくりと、再び彼へと向けられる。
彼が口を動かした瞬間に、身体が強張った。止めなければと反射的に思った。その先を聞いてしまえば、もう二度と戻れない気がした。聞いてはならない、聞かせてはならない、喋らせてはいけないと思った。
だが遅い。
それは残酷にも、容易く告げられた。
「君が必死こいて僕から庇っているソイツはただの無機物────
「────」
────。
────────。
────────────。
────────────────電子の、存在。
それを聞いてしまった途端、彼に向けていた戦意が凝り固まって、亀裂の入る音がした。向けていた剣先が次第に重力に従って堕ちていき、床に弾かれた途端に響く甲高い金属音が、静寂の中でアスナの鼓膜を震わせる。
聞き捨てならない言葉の数々に混乱し、何から動作を行えばいいか分からず硬直したのも束の間、戸惑うままに振り返った先には、彼が告げた言葉を事実として苦々しい面持ちで受け止め、項垂れ俯くストレアの姿があった。
アスナだけじゃない。彼女と関わりのある者たちは皆揃って彼女と変わらない表情を向けている。何から口にすればいいのか、どんな反応が正解なのか。どう受け止めれば良いのか、そうして混乱する全員の表情を値踏みするように見渡すカナタの視線が、再びアスナに留まった。
「……その顔を見るに、ストレアに対する違和感自体は持ってたみたいだけど……意外だな、最初に気が付くのはアスナだと思ってた」
「……ぇ」
「だってそうだろ?彼女と同じ存在を、娘と宣っているんだから」
────それを聞いて、ユイを侮辱された憤りよりも先に、彼が告げた確信が脳を支配して視界が不明瞭になっていく方が早かった。吐き気を催す程の頭痛と不快感に苛まれながら、その予感が確かに記憶と結び付き始めた。
そうだ、確かにアスナは知っている。NPCとは一線を画すコミュニケーション能力に加え、人間と遜色無い感情表現を見せる存在────自分と、キリトの娘という心当たりを。
頭に浮かんだその“単語”が、無意識に音となる。
「っ……メンタルヘルス、カウンセリングプログラム……」
「そう、その試作二号機。コードネーム《
「ユイちゃんと、同じ……!」
その答え合わせはあまりにも呆気無く、こちらの情緒などお構い無しに果たされた。
───メンタルヘルスカウンセリングプログラム。
プレイヤーの精神的なケアを、コンピュータで対応できないかと考えられ、生み出されたカウンセリング用の人工知能。ナーヴギアの特性を利用し、プレイヤーの感情を詳細にモニタリングして、精神的な問題を抱えたプレイヤーのもとを訪れて話を聞き、解決に当たる────ことを目的として作られた存在。
「嘘……だって、ストレアさんは私たちプレイヤーと、何も……」
しかし彼女のカーソル表記も、フレンド登録もプレイヤーのそれと何も変わらない。ユイと違って戦う為の武器やスキルといったステータスも備わっている。同じMHCPなら、あまりにも特徴に相違がある。
────それなのに、ストレアがあのユイと同じ役割を持ったプログラムと聞いて、何故こんなにも腑に落ちるのか。
「この世界のプレイヤー上限枠は一万人。けどその全員が二年前のあの日にログインしてた訳じゃない。未使用のプレイヤーIDに自分を上書きしたんでしょ?そうまでしてやる人間の振りは楽しかった?ねぇ、ストレア」
彼の瞳が次第にアスナの後ろで俯くストレアへと動き、答え合わせをするかのような問いにはまるで、友人を揶揄うような感情が含まれていた。
名を呼ばれて僅かに震える肩。ストレアは下唇を噛み締めながら、失った腕を左腕を抑えて動かない。彼の言葉が事実なのだと、沈黙が肯定を表しているようだった。
「ストレア、さん……」
「……っ」
まるで追い討ちのように呼んでしまった彼女の名前。アスナの声にピクリとまた肩を震わすと、ゆっくりその顔を上げる。罪と後悔が形として保てない程に混ざり切って一つになったような表情で、彼女とその視線が交わって、
「……ごめん、アスナ……ごめん、ね……」
「────……」
ストレアのその謝罪は、肯定を意味していた。
嘘だとか違うとか、そんな反論や弁明があるものだと思っていた。その様子だけで、カナタの言葉が真実なのだと誰もが理解した。
彼の、ストレアは人じゃないのだと、そう容易く冷たく吐かれた拒絶の言葉。そしてストレアの細い声で絞り出したような謝罪に、アスナは喉を詰まらせる。
────そうしている間に、カナタが一歩、前にその足を進める。
床を叩くその音に慌てて前に視線を戻すと、話は終わったと言わんばかりの表情で此方に歩み寄って来ていた。今の話をしたことで、最早誰も彼女には同情しないだろうと、本気で思っているような顔だった。
実際、そう思えたらどれだけ楽だっただろうかと思う。それでもアスナは奴を警戒しながらストレアへの呼びかけを躊躇わなかった。
────なんて言葉をかけたら良いのだろうか。
アスナは、ストレアにかけるべき言葉の正解を探していた。彼女がAI、それが事実だとされることで想像できるのは、これまでの行動の理由だった。ここに至るまでの彼女の言動、行動指針が、彼女が攻略組に反旗を翻した理由に直結し始める。
プログラムの存在である彼女が、この世界をクリアした後にどのような末路になるかは想像に難くない。
彼女が、AI。この世界でしか生きていけない存在。
かつてユイが自身のことを作り物なのだと、そう卑下して説明していたことを思い出した。
太陽のように明るい笑顔は感情模倣機能による再現で、何時でも楽しそうな声色や性格は予め設定されたもの。
そうだ。そう思えたなら、どれだけ────
「……っ!」
「……へぇ」
────《ランベントライト》。親友が自分の為に作ってくれた相棒。
気が付けばその細剣を水平に構え、臨戦態勢を取っていた。アスナの中で戸惑うばかりだった感情が、曖昧だった意志が、明確に形を成して戦意となっていく。
後ろで座り込むストレアの姿を見て、これまで共に過ごしてきた時間を思い起こして────どうにも、構えた剣を再び下ろす訳にはいかなかった。
先程の話が決定打になりうると踏んでいたであろう少年は、それでもなお変わらずに自分の前に立ちはだかったままのアスナに素直に驚いていた。
「……彼女がその力を持ってる限り、安全な攻略は難しい。此処での排除は妥当な判断だろ」
「自分の事は棚に上げるのね……そんな力、貴方に持たれる方が危険よ……!」
「どうかな。それをストレアに持たせ続けたらどうなるかは、身をもって体験したと思うけど。大き過ぎる犠牲を払って、アスナも漸く自分が馬鹿だったって理解したんじゃない?」
嘲笑を浮かべながら瞳を細め、挑発を孕んだ言葉が鼓膜を突き刺す。その不快感にアスナを眉を寄せて歯噛みした。彼の告げたそれはただの事実で、こうなる前に打たなければならなかった手は、確かに幾つもあったのだ。彼を失ったことで漸くそれを理解し、失ってから涙を流すのはあまりに遅過ぎた。
「ストレアが君達の邪魔をした理由はもう大体察しは付いてるだろ?君達と違って現実に肉体を持たない彼女は現実世界には帰れない。この世界の
「────……」
────そう。そうなのだ。つまりはそういう事だったのだと、彼女のこれまでの行動の理由に合点がいってしまった。
全員の表情が、驚愕に変わる。ストレアがプログラムと聞いた時点で、少し考えれば予想は付けられるものだったかもしれない。
それでも、彼女と親しかった人間全てを一瞬で、いとも簡単に絶望させるには充分過ぎる事実だった。それを前にして瞳孔が揺れ、誰もが自身の身体を思うように動かせない程に。
「……そうね。私が、馬鹿だった」
「────……っ、ぁ」
絶望を絞り出したような声が後ろから漏れる。後悔と罪の意識に押し潰され擦り切れた果て、消え入る寸前の灯火のような存在感。虚ろな瞳に溢れる程の涙を溜めて、黒曜石の床にポタポタと落としていく。
彼女が今、何を感じているのか。想像でしかないけれど、きっと確信に近かった。小刻みに上下する肩を横目に、アスナはただ────
「……でも、良かった」
「……ぇ」
「最後の最後で、間に合って。貴女が一人で戦ってきた理由を知ることができた。手遅れにならなくて、本当に良かった……」
────現実に肉体の持たないストレアは、現実の世界には帰れない。彼の言った言葉だ。
この世界がクリア後にどのような結果になるのかは分からないけれど、現実世界で死者が出ている事実に関してはリーファから聞き及んでいて、そこが揺らぐことは最早なかった。政府が動くほどの問題を抱えたこの世界が保護されるか破棄されるか、どちらにせよストレアがクリアと同時にどのような末路を迎えるかは、彼女がAIだと聞いた時点で想像に難くなかった。
「ストレアさんは……ただ、生きたかっただけなんだよね。少しでも長く……生きる為に、戦おうとしてただけなんだよね……私たちと、同じ」
「…………………………っ」
困惑、絶望は確かにあった。けれど彼女が何故これほどまでの行為に及んだのか、そしてそれを聞いて納得できるのか、本当のところ不安で仕方が無かった。彼女がやってきたことが正当化されるとは思わないが、それでも彼女なりに覚悟を持ち、戦ってきた理由に少しでも納得できる部分があって欲しかった。
言えなかったのは、言ったところで解決しないと思ったからといえば、成程確かに現時点で解決策は出てこない。だがそれでも、彼女はきっと自分たちに余計な気遣いや心配をさせたくなかったのと。
何より────自分が生き残る為に他人を犠牲にすることに、迷いがあったからかもしれない。そんなら確信に近い気持ちがあった。
「気付いてあげられなくて……ごめんね」
「……っ、ぁ……」
彼女の声を背に受けて、構え直す細剣は闇深い空間でも閃光の異名を持つ彼女に相応しい輝きを纏っている。ストレアはやはり、自分がこれまで見てきた彼女と何も変わらない。なら、自分が今彼女の前にこうして立ち、目の前の異質な存在に対して剣を向けるこの行為は、きっと何も間違ってない。
─────そうだ。確かに馬鹿だった。何も知らなかった自分が、本当に愚かだった。
そのツケがアキトを失ったことに帰結した。震えながらも脳裏に思い起こされるのは、いつだって自分達の前に立つアキトの姿。かつて大切な仲間を失って、いつしか心から笑えなくなっていたであろう彼の、寂しそうに微笑む横顔。
彼に笑って欲しくて、幸せにしたいと思った。この人が幸せにならないと、世界は嘘だとさえ思った。彼が楽しそうに笑ったらどんな顔だろうかと、妄想するほどに焦がれて。
そんな彼が、唯一笑顔を取り戻してくれるのではないかと密かに考えていた方法が、“仲間の誰一人欠けることなく、現実世界に帰ること’’だった。
現実で再会して、思い出話を語り合って、そうして漸く彼の心を溶かしてくれるんじゃないかと、そう思っていた。そこには、ストレアだっていなくちゃいけなかったんだと、剣を握り締めながら言葉に込める。
「もう決めたの。私は二度と、もう何も諦めない。アキトくんに誓った想い、私が彼女に伸ばした手、もう何も
「……っ、ぅ……あ、すな……」
震える声で自分の名を呼ぶストレアを背に、アスナの瞳の揺らぎは完全に消え去った。
カナタが自分達に語った話の真偽なんて、本当はどうでも良いのだ。事実だったとしても、アスナとキリトには、あの日涙を瞳に溜めながら笑ってみせるユイが普通の人間と変わりなく見えたのだ。違いなど、何も無いように思えたのだ。ストレアだけは別なのだと、そうやって割り切ることなどできるわけがなかった。
ストレアが起こした悲劇も、アキトの犠牲も、全てはアキトに何もかもを背負い込ませて、彼以上の歩み寄りをして来なかった自分達の怠慢だった。ストレアを真の意味で知ろうとする努力が欠けていた。正体を知ればその行動に納得が言ったからこそ、もっと早く分かり合おうとしていればと後悔した。
だからこそ、だからこそだ。彼女を守りきることがアキトの望みなのだと、信じて疑わない自分で在れるのだと言い聞かせて。
『────……』
────アスナの言葉が誰もの耳に、心に、染み込んでいく。そんな沈黙も刹那、それを破壊するのはいつだって異分子だった。
「そう……そうか。羨ましいね、ストレア」
空いた手で頬を搔き、心做しか羨望に近い視線を向けていたのも一瞬で、すぐさま歪んだ弧を口元に描きながら瞳を細めると、またその歩をアスナの方へと進めていく。
その存在を視認するだけで肌がひりつく。距離が近付くに連れて突き刺すような冷気が身体を硬直させる。それでも、剣の柄を握る力だけは決して緩めたりしない。
「クリアまで残り三層、戦力は多いに越したことはないんだけど、
「────んな事、させると思ってんの」
突如、別方向からの声に再びその足を止めるカナタ。意外そうに目を見開いて声のした方へと首を傾け、つられるようにアスナもその方向へと目を向けると、シノンやフィリア達よりも一歩前に出て、未だ涙を溜めた瞳のままにカナタを睨み付けるリズベットの姿があった。
よろめく足を奮い立たせながらメイスと盾を構えて立つその様に、カナタの瞳孔が確かに揺らいだ。
「へぇ、頑張るねリズベット……流石アスナのしんゆ……ぇ」
カナタがそう言いかけて────止まる。
彼女の踏み出した第一歩。それを皮切りに床と金属がぶつかる小さな音が断続的に鼓膜を震わせ始めた。
ゆっくりと、カナタの視線がリズベットから離れて周りへと向けられる。その場の誰も彼もが、地面に張り付いたその身を立ち上がらせていく。
涙を拭いながら、立ち上がる。恐怖を律しながら、武器を構える。リズベットに続くように、クラインやフィリア、リーファ、エギル……順々に武器を取り、カナタを囲うようにして円が出来ていく。
「みん、な……」
「────……」
泣きそうな程に震えたアスナの声。形容し難い想いが込み上げてきて、涙が溢れてしまいそうだった。
前の層での戦いと同じ。アキトを止める為に立ち上がった彼らが今、ストレアを守るべくして、その武器を手に取ってくれていた。アスナの意志、言葉。そして存在感。在り方とも言うべきその姿を見て、この場の誰も彼もが何かを感じて、突き動かされて。自身の気持ちが届いたのだと、響いたのだと、これほど嬉しいことなんてなくて。
「……………へぇ、そっか。みんなアスナにつくんだ。ストレアの事だって咀嚼し切れてる訳じゃないはずなのに……そっか、ふーん。そっかぁ、そっか、そっかそっかそっか。そっかそっかそっかそっかそっか」
そうやって出来上がった円の中心、各々がそれに向けて剣を構える。多勢に無勢、アスナとストレアを守るべく紡がれた絆の輪の中心に立っていた白の剣士は、その光景を目の当たりにして顔を伏せて言葉を繰り返す。
ふるふると何かに耐えるようにその身を震わせて、カタカタと握る剣が震えて、次第にその顔が上がっていき────
「───────────────────ははは」
─────嗤った。
楽しそうに、嬉しそうに、狂ったように、歪んだ顔で。数多の感情が渦巻いて練り込まれたような瞳が細く、ニタリと、幸せそうに歪む。
アスナへと向き直り、カナタは再びその刃先をストレアへと突き立てた。目標を定めたと言わんばかりの圧に、アスナは反射的にストレアを庇うようにして奴の視線の先を遮った。
「……貴方に、ストレアさんを消させたりしない」
「驚いた。黒の剣士が死んだ時の乱心を見ているだけに、想い人を殺した仇敵を信じられる程の器量があるようには見えなかったけどな。攻略の鬼と呼ばれていたあの頃の貫禄もまるで感じない」
「……信頼関係の話をするなら、まず貴方を信じられないもの」
あの口振りから察するに、ストレアと同じ権能を目の前の彼も使うことができるのかもしれない。そうなれば、彼にはアキトの身体を使って攻略組を襲った前科がある。条件がストレアと変わりないのなら、底が知れない奴の話を鵜呑みにするのは論外だった。
「ならストレアは信じられると?彼女が一度でも君達に信じて貰おうとしたことがあったのか?何を持って信じられる?彼女は君に自身の素性さえ明かしたことはなかったというのに」
「────……っ」
その矛先がストレアに向かう。刺された当人は肩を震わせ、か細くなった腕を抱いて俯く。罪の意識に苛まれる彼女への追い打ちを、彼は決して止めはしない。
「アキトは幾度と無く手を伸ばしてきた。対話の機会は何度もあった。だが彼女は結局、己が抱いた願いに為に一度曲げた道理を正すことはしなかった。攻略組を一方的に、問答無用で蹂躙しただけだった。彼女からの歩み寄りは、遂に無かったんだよ。なあストレア、ねぇストレア?」
「……そ、れは」
震えるストレアの唇。アスナに向けていた眼はストレアへと向けられ、捲し立てるその口調は変わらず淡々として冷たく、事実を凶器のように突き付けていく。
「君は自身の何も彼らに語ってはいない。……でもまさか、まだ遅くないとか思ってないよな?前回と今回で散々人間様を殺しておきながら今になって自分が間違ってたと、そう言って謝罪して許しを乞うて申し訳なさげに振る舞えば自分は許されるのだと、今になって全て話せば何の蟠りもなくアスナのさっきの手を取れるのだと、本気でそう思っているなんてこと、ある訳ないよな?────遅いんだよ今更」
語る口調が段々と熱く、強くなる。込み上げてくる苛立ちを言葉に乗せるが如く、衝動的な様はまるで子どもの癇癪にも近い。ゆらりと踏み出す足は床を踏み砕くほどの圧を放ち、距離が近付くに連れて感じていた肌寒さが痛みに変わる。
「野郎────!」
「っ……アスナ、離れて!」
「────来んなよ」
クラインとリズベットの声、同時に近付く複数人の気配。アスナに近付く怪物を阻もうと駆けて来る数多の仲間達。
その瞬間カナタは、攻略組の自分に対する反旗を理解する。利害が結べると本気で思っていたその思考は消え去り、自分の予想だにしない現象を前に、そして自身を拒絶する周りの視線を浴びた事で、これからの計画全てを完全に捨て去った。
握っていたその剣を天へと高く掲げ、
「────奪う為、葬る為にこの腕を」
それは、まるで祝詞のように。
「────壊す為、滅ぼす為にこの脚を」
それは、まるで願いのように。
「────砕く為、野望の為にこの剣を」
それは、まるで呪いのように。
──── ACTIVATE : EXTRA SKILL
「
●〇●〇
「─────ぇ」
それを告げた瞬間だった。
カナタの周囲に入り込んでいたプレイヤーの全てが、アスナの瞬きの瞬間に消し飛んだ。明らかに彼の持つ剣の範囲からは離れていたはずの面々全てが、初めからいなかったのではないかと、因果や理を捻じ曲げられたように錯覚するほどの勢いで消えた。
まるでその一瞬がカットされ、時間が飛んだかのような刹那の光景に、喉元から聞いた事もないような細い声が漏れた。
「……な、にが……」
慌てて辺りを見渡す。震える自身の口元に構うこともなく部屋の端へと目を向ければ、そこには先程まで此方に向かってきてくれていたリズベットやクライン達の横たわる姿があった。
存在ごと消されたのではないかという予感があっただけに、胸を撫で下ろしかけて────息を呑む。
「ぐ、ぉ、ぁぁ……っ」
クラインの片腕が肩から下にかけて、まるで初めから備わってなかったのではないかと思い違うほど綺麗に消し飛んでいた。
「クライ、ン…………っ、リズ、シノのん……みんな……っ!」
我に返って視線を右へ左へと動かす。
武器を構えていたその腕が吹き飛び、蹲るリズ。駆ける為の足が消え去り、床に手を付くシノン。
他にも、身体に幾つもの裂傷を抱えたまま、身体を抑えるように蹲るプレイヤーの数々。その瞳に涙を為、傷を力強く抑えて、何とか歯を食いしばって耐えようとする表情はまるで。
────まるで、“痛みがある”かのように歪んで。
「────この場の警戒戦力は“五人”。それさえ潰せば詰みだ」
その部屋の中心で、白の剣士が告げる。
未だ彼を取り巻くその突風は、次第に形を成していく。
その風は光を反射し、一本の線を成す。
その線は伸び縮み、蛇のように畝り、鞭のようにしなり、鎖のような音を奏で、やがて一つの剣となり収束した。
見た事のない武器。
まるでキリトやヒースクリフのような、唯一無二。
「卑怯とは言うまいな。未知への冒険は得意だろう?攻略組諸君」
蛇腹剣────そう呼ぶに差し支えない武器で螺旋を描き、その少年は楽しそうに嗤った。
「では、改めて自己紹介。初めまして有象無象。僕の名は“カーディナル・オルタナティヴ”。以後、よろしく見知りおけ」
【キャラ紹介】
カナタ : カーディナル・オルタナティヴ
アキトと同じ容姿をした、白髪に白いコートの少年。右の名前は本人の自称。ストレアに「長いから」と略されたのが左の名前。本質はユイやストレアが処理し切れなかった、負の感情による未処理エラーの受け皿として機能していたMHCPの側面が大きく、思考ルーチンは死亡した四千人の負の感情がメインとなるよう学習されている。
【ユニークスキル】
・《
蛇腹剣の別名で有名な通称ロマン武器。刃の部分が等間隔で分裂してワイヤーで繋がれたことで鞭のように変化する機構を備えた剣の俗称であり、リーチでは弓には劣るものの通常の武器に比べると中距離戦闘及び一対多数に秀でた性能を持っている。
追加能力は、裂傷による定数ダメージとそれに伴う痛覚の付与。試験運用の際、この武器及びスキルによる攻撃で受けるダメージが何故かプレイヤーの痛覚遮断機能を度外視して現実同様の痛みを発生させるというエラーが発生し、これを修正するリソースの手間とスキル自体のそもそもの扱いにくさを鑑みた結果、本サービス実装時には不採用となった
次回 『
END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)
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√HERO(キリトが主人公ルート)
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√BRAVE(アキトが主人公ルート)
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√???(次回作へと繋げるルート)
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全部書く(作者が瀕死ルート)