我が血が滾る。憎む。希う────
────かつて、約束した。
絶望に感覚を麻痺された勇者の、寂しげで儚げな背中を見つめながら、ただ一方的に心の中で告げただけの約束だった。だがそれが果たされる事がないようにと、今日まで何度も心の中で願っていた。
だから今だって祈ってる。どうかこの剣が、彼を貫く事なかれと。誰かを守る為の剣が、仲間と共にある為の武器が、どうか彼を止める為の刃にならん事を。
全ては彼を救えなかった時────“その時は、私が貴方を殺してあげる”、と。その約束を破らんが為。
Episode.130 『
●〇●〇
カナタ────カーディナル・オルタナティヴ。
そう自称する存在が手にした武器《
かつての勇者と同じ顔をしたその表情は恍惚に歪み、愉悦を刻み、快楽を欲し、憎悪を宿す。見る角度によって、見るタイミングによって、その顔に張り付けただけに映る感情は、都度印象を変化させていく。
「離れて───!」
回避を願う叫び声はいつだって後手。精度すら甘い此方の予測の速度さえ越える剣速は、既存のどの近接武器よりも広範囲に伸びてくる。蛇行の如く左右に揺れる剣先は、到達点を決して定めさせてはくれない。
「────遅せぇ」
──連接剣二連撃範囲技OSS《アタナシア・チェイン》
墓色の刃が数珠のように等間隔に分裂し、一際長い線を虚空に描く。絶望さえなければ鮮やかに映る紫色の閃光。目を引き付ける螺旋の嵐の中心に立つ白の剣士は、まるで舞うかの如く身を翻し、返す腕に込められた力の流れはそのまま鞭のような刃に伝わる。
────瞬間、カナタを取り巻く蛇腹の剣によって生み出された二重の鎖の輪が、そのまま斬撃となって辺りに広がり弾けた。アスナの指示で漸く自身の危機に気付いたプレイヤーにとってその攻撃は、その場を離脱するには遅過ぎて、回避するには範囲が広過ぎた。
「があああああああああっっ!!」
「痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!」
「なんでだよっ、なんで痛みが、あっああ……!」
まるで暴風。その嵐に乗るように舞った鮮血にも似た
「────はははは」
それを生み出した本人は変わらずに微笑む。この惨状に何も感じていないような、それでも何か反応しないといけなくて、無理矢理貼り付けたような無味乾燥の笑みで辺りを見渡して。
その中で、肩から下を消し飛ばされた痛みで蹲りながらも、カナタを変わらず睨み上げる無精髭の男が目に留まる。痛みに感情を支配されているにも関わらず、それに耐えるように歯を食いしばりながら、涙目で睨み付ける存在に、カナタは嬉しそうに近寄って────
「────まず、
「っ────ぐうぅっ、がっ、あああああっ!!!」
クラインが肩を抑える手の甲の上から、自身の足を押し付けた。瞬間、傷を抉られた痛みにクラインが怒号にも近い声を上げ、思わずアスナでさえ悲鳴のような声で叫んだ。
「クラインさんっっ────!!」
「
「ぐぁっ……!!?」
ぐりぐりと磨り潰すように足を動かして、念入りにクラインの肩を踏み締める。淡々と語る口調は相も変わらずで、見下ろした先で痛みによる涙を溜めたクラインを前にして、カナタはただ冷たい瞳を静かに細めた。
「ねえ痛い?痛いかな、クライン?悲しいかなこれが世界の在るべき形だよ。ゲームであっても遊びじゃないんだなんて世迷言をほざくなら、もう一つの現実なんだと豪語するなら、世界に痛みは必要だよな。痛みがあるからこそ死を想像する。死が近いと感じられるからこそリアリティは生まれるんだ。茅場は作り込みが甘いと思わないか?こんなところに僕を閉じ込めて……ねぇ大丈夫?ねぇ聞いてる?クライン?」
「────!!─────!!」
踏みしだく度夥しく流れる血飛沫が、仮想のものであっても生々しく映る。唇から血が出るのではないかと思うほどに噛み締めながら、クラインは何度も何度も言葉にならない音を─────
「やめて────!」
「やめない。これが僕の正規のプランだ。攻略組が僕を排除するつもりなら、痛みと恐怖を持って君達を傀儡する。最初にも言ったけど、僕の目的はあくまでもストレアだよ。元より君達に含むところなんてないし、ゲームクリアを邪魔するつもりもない。こうしてクラインが床に伏せっているのは正当防衛の結果さ。襲って来たから、払っただけ」
「っ……この────」
アスナの足が一歩、今にも駆け出そうと床を踏み締めた瞬間だった。カナタの胴体に迫る一筋の光が奴の上体を仰け反らせ、そのままクラインとの距離を取らせた。
閃光の出処、向かって来た方角へとアスナとカナタが同時に視線を走らせると、片膝だけでどうにか体勢をとっていたシノンが、此方に矢を引き絞っていた。
「っ、とと……へぇ」
「……次は、当てる」
「当てられるの?」
「……っ」
シノンの睨み付けるような鋭い眼光を浴びてなお飄々と微笑んだカナタは────あろうことか両腕を広げて見せた。明らかに隙だらけの体勢。まるで撃ってみろと揶揄うように目を細めて、シノンの次の行動を促しにかかる。
「シノのん……」
「…………」
シノンはそれを見据えて僅かに歯軋りした。引き絞った矢を放す事無く構えたまま、その視線が交錯したまま。彼女の瞳が僅かに揺れたのを、その存在は見逃さない。
「
「っ……この、下衆が……」
「この見た目だと撃つにも躊躇うかな?クラインよりも簡単で助かる───よっ!!」
言い切ると同時に剣を振る。まるで弾を投げるようなスイングに、鞭のようにしなる刃が等間隔に広がっていく。音速に近いそれは擦り切れるような高音を生み出し、獲物を視界に捉えた蛇のような軌道を描く。
「っ、あああああっっ!!」
「リーファちゃんっ!!」
シノンへの悪意を感覚的に察知したリーファが、誰よりも早くシノンとカナタの間に躍り出る。アスナの叫びをその身に受け、駆けながら発動していたソードスキル《バーチカル》が一筋の希望のように輝きを放つ。そして、迫る無軌道な刃を前にしてほぼ出鱈目に薙ぎ払った────かに見えた。
「……っ!ず、ぁぁっ……!!」
「掠っただけでも痛いだろ?流石は英雄の妹、その勇気は評価するけどね───」
剣先を弾いても、後方から畝る刃の一部がリーファの頬や腕を掠める。それだけで、今までこの世界では感じたことの無いほどの、冷たさと錯覚するどの痛みがリーファを襲う。
思わず目を瞑る。耐えるように歯を食い縛る。その刹那が隙となり、ただのひと踏みでカナタとリーファの距離が重なる。
「────“
一回転し、そのままの勢いで片脚を突き刺すように解き放つ。紫電を帯びたような鮮やかな闇色が、リーファの腹部を呆気なく貫いた。
「か、は──────っ!?」
「くっ、きゃあっ!!」
呼吸が止まり、身体がくの字に折れ曲がり、その威力のままに地面と平行に吹き飛ぶ。その背後に居たシノンを巻き込んで、二人は壁際まで摩擦で装備を削りながら、路傍の石のように転がっていった。
「くっ……か、は……ゲホッ、ゲホッ……!」
「リーファ……!大丈夫、リーファ……!?」
呼吸が出来ず、涙を目に溜めながら懸命に酸素を欲するリーファと、戸惑いながらもその背を摩り声をかけるシノンを見て、アスナの瞳が酷く揺れた。
────あまりにも簡単に、二人の強者を跳ね除ける。
剣の柄に搭載されたトリガーにかける指を離せば、伸びた鎖のような剣が次第に通常の剣へと形を戻していく。こと一対多数、中距離戦闘においてのステータスが高過ぎる。
《二刀流》や《神聖剣》と遜色無い衝撃。使いにくさを度外視すれば、勝るとも劣らない高威力。
────これが、奴のユニークスキル。
「っ……このっ……うおおおおおあああああっっ!!」
裂帛の気合いが込められた、野太い声。見方を変えれば現実逃避に近い絶叫。決して速くはない、しかし圧のある存在感。体勢を立て直す時間を稼ぐ為に両手斧を構えて迫ってくるその姿に、カナタは嗤った。
「来るか。待ってたよ。しかし、
───連接剣七連撃OSS《ブレイク・リベレイション》
人差し指で《連接剣》の柄のトリガーを引く。その腕を高く掲げた瞬間にフワリと広がる龍のような刃の胴。自身を囲うように螺旋を描くそれは、容易く竜巻を生み出した。
「ぐうっ……お、おお……っ!!」
エギルがその烈風に足を止めた瞬間、頬を裂くような切り傷が現れる。肩に、腕に、距離が縮まる毎に赤く浅く、何ヶ所にも────そうして痛みに表情が歪んだその瞬間、天を回していたその腕を一気に振り下ろした。
暴風の如く荒れ狂い、最早視認さえ困難な無数の刃の嵐。単発威力が小さくとも、エギルの巨体に確かに刻まれていく。
「────く、そがっ……!」
「エギルさん……っ!」
裂傷による身体中の痛みが酷いのか、耐え忍ぶだけで動けずに立ち尽くすばかりのエギル。両手斧を前に押し出し、少しでも前方からの攻撃を防ごうと、嵐の中瞑る目をどうにか開いた時だった。
「はは」
────そこに、まるで天使のように軽やかに舞い降りたカナタが、エギルの懐に自然と入り込んだ。まるで時間が飛んだかのような速度で近付き、その左手の指先で軽くエギルの胸元に触れて、
「────《エンブレイザー》」
────告げた直後、エギルの身体が後方へと飛び上がった。
攻略組の中でも巨漢である彼の姿が、重力に逆らう如く上空へと弾き出され、放物線を描いて床へと叩き落とされた。先程とはうって変わり、時がゆっくりと流れるように、その光景が目に焼き付いて、消えない。
体術スキル《エンブレイザー》。だが、通常の拳で突くような一閃の威力ではない。
先程のソードスキルも同様だ。《二刀流》も《神聖剣》も確かに衝撃はあった。だが《連接剣》はそれを優に超える。使いにくい印象から放たれた自由度と威力、そして何よりも恐怖すべきは痛覚の付与。痛みに慣れてない此方を脅すには充分過ぎた。
「っ……みん、な……!」
盾を装備していた方の腕が消し飛び、抑えながらへたり込むリズ。
全身に切り傷を刻まれ、痛みで蹲ったまま動けないフィリア。
片腕をもがれ、床に伏して倒れているクライン。
裂傷の痛みで表情を歪めたリーファと共に壁に打ち付けられ、足の痛みと相まって壁に持たれるシノン。
エギルでさえ、今の一撃が深かったのか未だ仰向けのまま視線だけをどうにか此方に向けている状態だった。
そして既に部位欠損を受けてる者達は、皆一様にその部分を空いた手で押さえ、耐えるように蹲るか、呻き声をあげるか、どちらにせよ地獄絵図だ。まだ剣を交えていないプレイヤー達でさえ、痛みに喘ぐ彼らを見て尻込みしている。
その惨劇を生み出した存在が、今も尚薄暗い空間の中央で、一際目立つ白銀を纏って佇んで────その瞳を、アスナの背後の少女へと下ろした。
「……さて、と。君が
「っ……させないわ」
ここまで仲間達が蹂躙される様を呆気にとられながら見ているだけだった。細剣を構え、決して此処から先に進ませまいとする此方の出で立ちは、奴にとって痛みによる恐怖に怯えて動けなかっただけに映ったのかもしれない。
振り撒いていた悪意全てを集めてストレアに向けたような、ただ彼女を消す為だけの無機質な瞳の色だった。
「こっちの台詞だよ。彼女は唯一システムに干渉できる存在だ。
「言ったでしょ……ストレアさんは、もうそんな事しないし、私達がさせない」
「僕は個人的に、二度同じエラーを吐き出したシステムやプログラムを信用しない。《カーディナル》の修正力があってもなおストレアは変わらず今日まで来てしまった。所詮データの塊である彼女の本質は変わらない。やり直せるとか簡単にほざく人間様とは違うんだ」
その言葉一つ一つが、後方で座り込むストレアの胸を突き刺す。言葉に詰まり、正論だと何も言い返せずに、下唇を噛み締める。自身の所為で起こった目の前の地獄に尻込みし、頭からつま先にかけてまで小刻みに震えていた。
もう一歩、カナタがその足を踏み締める。それに合わせて半ば反射的に、アスナもその足を踏み出すと、眼前の少年の瞳が僅かに驚きに揺らいだ。
「君の剣速は認めるよ、アスナ。ステータス的にも、恐らく純粋な速度だけで僕の予測を凌駕できる唯一のプレイヤーだ。その剣は僕に届き得る。けどそれは周りとの連携があっての事だ。君単体なら現状そこまでの脅威じゃない」
「……随分な自信ね。レベルやステータスだけじゃ、勝敗は決まらないのよ?」
「アルベリヒのことを言ってるなら一緒にされては困るな。……だが確かに
────“最近”。
その一言に、アスナの身体が硬直する。面白おかしく微笑む彼の表情と言動に一瞬慄く。
確かにアルベリヒが脳裏を過ぎったのは事実だ。この場でその名前が挙がると思っていなかっただけに、彼のその発言は耳を傾けるに値する説得力があった。
「……あの人達のこと、知ってるの……?」
「彼らはこの世界の運営側の人間なんだよ。まあ、ログインした時の慌てようを見てるから、恐らくこの世界に来たのは偶発的な事故だったんだろうが……自力で帰れないという意味では君たちと立場はそう変わらない。もっとも、彼の思惑は現在、ゲームクリアとは別にある。助力を乞うのはお勧めしない」
「……な」
────知らない事実が、次々と出てくる。
こちらが手を拱いていた謎が、いきなり現れた存在によってこうもあっさりと。
アスナだけじゃない。痛みに耐えながらも聞き耳を立てていた各々が、淡々と告げられた事実にその表情を驚愕や困惑に変えていく。
「彼が実力に見合わない高ステータスを有しているのは、使用しているアバターが開発者側のスーパーアカウントだからさ。故にアルベリヒは数値だけでいえば君たちを完全に凌駕している。大方、その力があればいつでもゲームをクリアできると高を括っているんだろう。愚かしさも極まれりだが、井の中の蛙というのも一周まわって可愛いじゃないか」
くつくつと嗤う彼の顔は心底楽しそうで、アルベリヒの事をまるで脅威にも感じていない。存在を認識しているだけの羽虫と言わんばかりの軽々しさに、カナタという存在に感じる圧が助長するばかりで。
「だがレベルやステータスだけが強さを決めるファクターじゃないという君の言い分はもっともだ。確かに僕のこの
カナタの、決して変わらない余裕の態度。勝利を疑わない表情。そして、悪意だけが込められた瞳、歪み切った口元。
この世の災い全てを束ねたような笑みで、見た者の恐怖を生み出す為だけに作られたような笑みで、ただ子どもが楽しい事を思い付いたかのようにはしゃぐ声音で告げたのは、
「────君に僕は殺せない。はは。この身体を傷付けられはしない。ははは。あは、ははは。くふ、ふふふふっ、ふははは……アキトが死ぬのは嫌だろう?はははっ、ははははは、あはははは」
────人質の宣言だった。
「────────────────」
────瞬間、アスナの憎悪が消えた。
細剣を構えていた剣が、ゆっくりと力無く下ろされる。自然と開いた口元が小刻みに震え、その瞳が微かに揺れる。
目の前では、それがトドメの一言になり得ると確信した奴の嗤った顔があった。何故自分が今、彼から目を離せないでいるのかと。
彼の言葉の意味を理解するのに数秒、数十秒かかかった。背後で罪悪感に押し潰されそうな、弱々しい声が聞こえた。
「……カナタが、最初に持ってた……あの石……」
声のする方へ、どうにか視線を動かす。
床に両手を着いて、泣きそうな表情で、悔しげに彼を睨み付けるストレアを、ただ、ずっと、見据えて。
「あれ、は……アレは、アキトが一昨年の……クリスマスのイベントボスから手に入れたもので……一定時間内なら、指定したプレイヤーを蘇生できるプログラムコードが入ってた……」
「なっ……」
────誰かの驚く声がする。
彼の驚きを皮切りに、誰も彼もが騒めく戸惑いの音を、その身体に浴びた。
アスナはただ、彼女の言葉を聞いて立ち尽くしたまま。彼の言葉と、今自分の真下で彼女から語られている言葉の一つ一つを、胸の奥で反芻する。
「きっと、アイツは……アタシがっ……アタシが、アキトを殺すのを待ってた……アバターを再構成する過程で、自分がアキトの脳に介入するつもりで……最初から、自分を上書きする、つもりで……っ」
「──────────
その一言を反芻する。脳内で繰り返す。
その意味を検索し、模索し、意図を思考する。
今目の前で何が起ころうとしているのか、目の前の存在の目的が、徐々に紐解かれていく。
散りばめられたパーツが、段々と脳内で一つの答えになり始める。
そうしてストレアが語る度、目の前の彼が嗤う度、自身の中で確信が生まれ始める。
「アイツはアキトのアバターを介して……アキトの脳内に自分を上書きすることで、現実世界に還った時にアキトの人格に取って代わるつもりなんだ……っ」
「───────────────────」
─────目的。
その、一部始終を聞いた。
聞いて、アスナの視線がストレアから、目の前の少年へと移った。ストレアの推測を聞いて、言葉の意味を理解して────カナタへと向き直る。
「君にしては良く考え付いた」
彼のその返答が、正解だと告げていた。
見事だと感嘆し、感心し、感動し、歓喜した。両手を広げ、周りに自身を見せ付けるように周り、踊るように歩き、楽しそうに天を仰いだ。
「そう────僕はこの身体を使って現実世界に帰還する。僕を形作る情報を記憶として脳に定着させ、僕というプログラムを人格としてその魂に刻み込み、僕という存在を彼に上書きする。そうして自己を確立し、単一の生命体になるんだ」
「……そんなこ、と……できる、わけが……」
誰かが言った。冗談ではない。
たかがAIが人間を凌駕する。データを脳に移行するなど、オーバーテクノロジーが過ぎると、漫画や小説の中だけの話だと、誰かが誤魔化しのように笑った。笑い話にしたかった。
────頭ではそう思っているのに、口ではそう言っているのに。
心の奥底で、焦燥が拭えない。底冷えするかのような悪い予感が、決して消えてなくならない。
この仮想現実でさえ、御伽噺だと、夢物語だと、本当の異世界など、叶わぬ望みなのだと、そんな理屈や常識を嘲笑うかの如く生まれた、嘘みたいな世界。
有り得ないなど、有り得ないのだと、そう思わせるに足るもう一つの現実。
「僕はこの世界をクリアする。他の誰でもない、被造物である僕がゲームとしてのこの世界を終わらせる事で“もう一つの現実”を否定し、茅場晶彦の尊厳を踏み躙り────そして、現実世界に還る」
────差し伸べた手は、怯えた眼差しで見上げるプレイヤー達へと伸ばされる。救いの手だと、そう告げている。
「ゲームクリアという目的が同じである僕達は、互いに手を取れる。今からでも共闘の道は残されている。痛みで脅すよりも、自発的に動いてくれる方が戦力になる。僕の戦力としての価値は示した。後はストレアを消去し、彼女の持つ機能を回収し、残りのボスのステータスを改竄して百層に到達する。現実的なビジョンだ」
それは誰の目にも輝いて見えて、誰の耳にも酷く甘美で、そして魅力的な提案に聞こえた。
一瞬でこの場を地獄に変えた存在が、その力を自分達の為に奮ってくれるのだと。今後激化する上層への険しい道を、楽な轍へと変えてくれるのだと。
自分達を、救ってくれるのだと。
その為に────たかがAIであるストレアを殺す事を容認しろ、と。
誰も、従った方が良いとは言わなかった。
それでも、従った方が良いのではないかと。悪い話ではないんじゃないかと目配せし、示し合わせようとする雰囲気が漂い始める。我が身可愛さに、仲間を売ろうとする空気が霧のように棚引く。
所詮AIだと、プログラムだったのだと。今まで騙されていたのだと、自分達がこんな目にあってるのは全て────
「……っ」
クラインの、震えるような吐息。周りのそんな空気に気が付いて、途端に辺りを見渡す。それにつられるようにしてリズやフィリア達も静かに、それでも次第に騒めき出すプレイヤー達の空気に戸惑い始める。
「──────────────────」
その部屋の中心で。
カナタの目の前で。
未だ何も告げず、僅かにも動かず、立ち尽くしていたアスナ。
「……アスナ……?」
不安そうなリズベットの声。その声に吸い寄せられるように、それまで動揺していた者達の視線が、今もなお直立したまま動かないアスナへと向けられていく。
この状況を覆して欲しいと、誰かが願った。彼女の後ろで消沈して項垂れたAIを手に掛けるだけで、安心が手に入るかもしれないと、痛みによる恐怖が刻まれた者達が一縷の望みを見出そうとしていた。
それでも、今まで共に戦った存在を見捨てる事に抵抗はあっただろう。それでも、自身の命と天秤にかけた時、比重が自身に傾くことを責められない。それでも、自分が発言するのが怖くて、誰かに救って欲しくて、指揮官であるアスナへとその責任を押し付けようとする、そんな悪意がきっとあった。
彼女の下す結末を見届けんとする瞳が、集まってくる。その部屋の中心で、
「─────ああ、そっか」
彼女は、ぽろぽろと涙を流していた。
その涙の理由を、誰もが分からずに見ていた。
「そう、だったんだ────」
ポツリと、呟かれた声。
彼女の頬に伝うそれは、決して絶望から零したものではなかった。希望を見出したかのような、今にも泣きそうな震えた声だった。
カナタを見つめるその瞳に溜まる涙は、決して悲哀のものではなかったのだ。
「そこに、いたんだ」
「─────はぁ?」
苛ついたように聞き返す。初めて、自身の内から生まれた感情が混じったような、そんな声だった。
そんな事さえ、アスナにとっては些事でしかなくて。いつだって、その視線の先には、彼がいて。
「っ……まだ、生きて……そこに、いるんだね……アキトくん……」
────生きてる。
彼が、まだそこに居る。
一度この手から零してしまったとさえ思った存在が。自分を救ってくれた勇者が。想いを募らせた男の子が。まだ、生きてそこにいる。
「……違う。彼は死んだ。此処に居るのは僕だ。此処で生きているのは僕だ」
強い否定が聞こえる。それだけは否定しなければならないと、そう感じる怒気の強さ。それが、まだ彼がそこにいる事の証明のように思えた。
それを理解した時、震えが収まっていく気がした。細剣を握る力が、一際強くなった気がした。力が溢れてくるような気がした。今なら、何でもできそうな気がした。
「────やっぱり私は、間違ってなんてなかった」
「……何、を」
彼の目の前で、ストレアを見捨てるような自分に成り下がらなくて、心底良かった。彼の背中を見続けて、彼を追いかけ続けて、彼のように在ろうと辿った道筋に、何一つ解釈の違いなどなかったのだと知った。
まだこの夢を、この願いを。自分が決めた誓いを、違えずに済むのだと。それだけで、充分に思えた。
「……もう誰にも、誰の終わりも決めさせない。此処から誰も、失わせはしない」
────だって、君をずっと見てたから。
「私は、ストレアさんと一緒に居る。いつだって私は、仲間の隣りに立てる自分でいる────自分の誇れる自分になる」
────そして今、君が見てるから。
「だから────貴方の望みは叶わない」
「────……はは」
瞬間、彼の右腕が動いた。
それを、アスナは決して見逃さない。
「────!!」
天翔ける龍の如く空へと畝る剣が、自身へと振り下ろされた。視認できない程の剣速を前に、アスナは半ば直感的に細剣を振るう。
他を蹂躙し、他者の尊厳を踏み躙るような、此方を舐めた動きを繰り返していた彼の性格をアスナは本能で理解する。たった今立てた誓いを、皆の前で告げた想いを、嘲笑ってやろうとする魂胆を────
細剣単発技《リニアー》
光る刀身、その矛先は真正面にあらず。向けるはやや斜め後方目掛けて────ストレアの眼前に思い切りそれを突き出した。
「せああああああああああっっ!!!」
腕を押し出すその刹那、けたたましくも甲高い鋼同士の直撃音、目を瞑りそうなほどに眩い火花が辺りに飛び散った。
「……っ」
「防いだ……!」
瞬間、視界端で力無く跳ね返される蛇のような数珠の刃が、逃げ帰るように持ち主の柄へと瞬時に戻っていく。その間に腕に残る確かな手応えを感じながら、その先で驚きに瞳を揺らすカナタを前に、アスナは挑戦的に笑って見せた。
「っ……自分の目的を果たすこと、私の誓いを踏み躙ること、ストレアさんを消せば同時に叶う。だから初撃は、ストレアさんに向けると思ってた」
「────────」
「貴方の言う通り。未知を冒険するのは得意なの。私は、攻略組だから」
「アス、ナ……」
名前を呼ばれてる振り返る度に、泣きそうな顔をしてる彼女。罪の意識が消えなくて、だから助けてともいえなくて、先の結末がどうであろうと受け入れてしまいそうな程に弱々しくなった彼女を見て、アスナは。
「そんな顔、しないで」
ストレアさんの笑顔が、好きだから。
いつだってみんなを巻き込んで、けどそれが凄く楽しくて。そんな時間を、またみんなで作る為に。
「────
ただ告げる。
突き立てたカナタの剣先には、アスナが立っていた。その数字を聞いて脳裏に呼び起こされるのは、彼の言っていた、“五人の警戒戦力”。
クライン、シノン、ストレア────そして、
彼のストレアを消さんとする意志の強さを見るに、彼は自分が脅威となり得るものを消そうとしているのは明白。つまりそれは、彼に勝つ可能性が自分にはあるということの証明。
彼らが傷を癒す為の時間を稼ぎ、連携を取ることで彼に先手を打てる可能性はある。
それまで、ユニークスキル相手に一人で─────そう思った時だった。
「────────」
「……ぇ?」
ふとカナタの剣先が、アスナから移動する。此方への視線を外し、自分とは正反対の位置へと、その刃の先が動く。此方への悪意が途切れ、臨戦態勢だと思っていた空気が緩和され、地を這う各々が困惑の中で、彼のその動きを目で追っていく。
ゆっくり、ゆっくりと。
まるで誰かを探すように揺れ動いていた剣先が、やがて
「…………………………っ、ぇ」
────そこに居たのは、この惨劇が生み出される過程、恐怖で指先一つさえ動かせずに立ち尽くしたままの少女だった。
突如墓色の刃の先端を向けられて、何が起こっているのか分からず、戸惑いながら身体を震わせる存在が居た。
「────シリカ、ちゃん」
彼女を呼ぶアスナの声。竦み上がって動けないシリカ。周りが、彼女と彼に視線を往復させる。
その白い剣士は真っ直ぐにシリカを見据え、それまで浮かべていた歪な笑みを消し去って、冷たい表情で淡々と告げた。
「────
【カナタ 五人の警戒戦力】
《1人目》
アスナ 「攻撃速度」
脅威は自身の予測演算による対応速度を超えた速さで繰り出される正確無比の刺突の対処と回避の難度が他のプレイヤーよりも高いこと。単体火力よりも連携によって繰り出された場合の対処優先度は最大。
《2人目》
ストレア 「対抗手段」
脅威は自身と同様のシステム干渉による対抗手段の数と、予測可能であっても対処対策にリソースを割かなければならない事による行動阻害。現状の対処優先度は一番高い。
《3人目》
シノン 「攻撃範囲」
脅威は自身の予測領域外からの広範囲遠距離攻撃と、対処し切れないほどに高質量の攻撃を押し付ける事による予測と回避難度。近距離戦闘能力が低い為、対《連接剣》の場合、対処優先度は中。
《4人目》
クライン 「潜在能力」
脅威は当人でさえ制御不可の、偶発的な《
《5人目》
シリカ 「????」
─────現状詳細不明。
次回 『渇望』
END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)
-
√HERO(キリトが主人公ルート)
-
√BRAVE(アキトが主人公ルート)
-
√???(次回作へと繋げるルート)
-
全部書く(作者が瀕死ルート)