ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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君の望みを、叶えるよ────?






すれ違う想い

 

 

 

 

 

 

 

 ────サチがいなくなった。

 

 

 それを聞いてすぐに、キリトは《追跡》のスキルを発動していた。アキトと同じくらい動揺し、いてもたってもいられなかった。すぐさま自分の高ステータス、上位スキルを余すこと無くフルに活用し、彼女を探した。

 《追跡》のスキルで視界に表示されたサチの足跡を辿ったキリトは、主街区の外れにある水路に行き着いていた。首を捻りつつも中に踏み込んだキリトは、水の流れる小さな音と水の滴る音が響く影の中で一人、最近手に入れた隠蔽能力が付与されたマントを羽織ってうずくまるサチの姿を見付けた。

 その憂う表情がとても儚くて、キリトは一瞬だけ声をかけるのを躊躇した。だが、やがて意を決して一歩、前に足を踏み出した。

 

 

 「……さ、サチ」

 

 

 唐突に暗闇に響いたキリトの声は、サチを驚かせるには充分だった。肩までの黒い髪がピクリと動き、彼女はゆっくりと顔を上げた。やはりキリトが目の前にいた事に驚いた様に呟いた。

 

 

 「キリト……どうして、ここが分かったの?」

 

 

 月の光が差し込み、二人の影が伸びる。サチのその儚げな表情は、キリトの心臓の鼓動を強くした。

 サチの質問に、キリトはなんて答えるべきか迷ったが、やがて口を開いた。

 

 

 「勘、かな。サチなら、こういうところに行くんじゃないかって……」

 

 「……そっか。ふふ、凄いね、勘で私の居る場所が分かっちゃうなんて」

 

 「っ……」

 

 

 微かに笑うサチの表情に、キリトは言葉を失った。彼女が、自分を褒めてくれているみたいで、何処か嬉しそうな表情を見て、少しだけ自惚れた。

 けれど、キリトはまた仲間に嘘を吐いた。

 自分はサチがいなくなった事で冷静さを保つ事が出来ず、挙句スキルに頼り、確実な方法で彼女を見付けたに過ぎない。そこに“勘”なんてものは介在しておらず、全ては、黒猫団のみんなに自分が隠して偽っている高レベルの恩恵だった。

 そんな事、サチは知らない。彼女はやがて、両腕で抱えていた膝の上に顔を伏せた。まるで声を出さずに泣いている様に、キリトには見えた。

 

 

 「……みんな心配してるよ。迷宮区に探しに行った。早く帰ろう」

 

 「……迷宮、区……アキト、も……?」

 

 「……ああ」

 

 

 ────また、嘘を吐いた。

 サチが見付かった報告はまだしていない為、恐らくアキトもまだ街中かフィールドを駆けて探しているかもしれない。

 彼女からアキトの名前が出た瞬間、胸が熱くなる様な感覚に陥る。サチから出てくる言葉はいつだってアキトの名前だ。その事実が、キリトの心を締め付けた。

 

 

 「そっか……心配させちゃうのは、やだな……」

 

 「っ……」

 

 

 サチの表情は、アキトを想ってのものだと、キリトには分かっていた。彼を思い出しているのか、小さく笑って遠くを見つめている。

 キリトはその場に立ち尽くし、その拳を強く握り締めた。彼女のアキトへの想いが、キリトを妬ませる。

 まるで、これがみんなを守る為に戦うアキトと、自分の事しか考えていないキリトの差なのだと、そう突き付けられたみたいだった。

 そして、そんな自分が嫌になった。いっそ、他人は他人だと割り切る事が出来たら、どれほど楽だろう。

 

 

 「……立ってないで、座ったら」

 

 

 サチにそう促され、キリトは言われるがままに腰掛ける。サチから少しだけ間を空けて座った石畳は、夜という事もあって冷えていた。

 

 

 「……帰らないと、って思ってはいるの。けど、どうしてか足が竦むの」

 

 

 隣りで、小さな囁きが聞こえる。キリトはその声の主をチラリと見た。とても弱々しくうずくまる彼女の背中は、とても寂しそうで。

 

 

 「みんな、私のせいで迷宮区にいるんだよね……アキトも」

 

 「……アキトは強い。だから、最悪の事態にはならないよ」

 

 

 そもそも、アキトが迷宮区にいる事、それ事態嘘なのだが、もし彼が迷宮区に黒猫団のみんなと行っていたとしても結果は変わらないんじゃないだろうか。

 キリトは、そう告げた。それは、サチを心配させまいとしたキリトなりの配慮だった。

 

 

 「そう、だよね……アキト、強いもんね……」

 

 

 だが、サチが洩らした声はとても弱々しく、その瞳は揺れていた。サチは自身の肩に乗せた手をキュッと握り、ほんの少しだけ顔を上げた。

 それから暫くは、二人の間で沈黙が生まれていた。キリトは、サチが何を思っているのか、それが分からないでいた。

 早く帰らなきゃ?それとも帰りたくない?もしかしたら、全く違う事を考えているのかもしれない。

 そこに会話は無く、互いの小さな呼吸音と、水路に流れる水の音だけが聞こえる。月明かりで伸びた影は、先程までと位置が変わっている。月が傾いている、つまり、時間が経っている事実を二人に教えてくれていた。

 これ以上の時間経過は危険かもしれない。アキトは兎も角、黒猫団のみんなは迷宮区で探し続けている。このままサチが動かなければ黒猫団のみんなも帰れないし、出会ったモンスターに襲われるかもしれない。サチが行方不明、アキトとキリト不在という精神状態で戦い続けられる訳でも無いだろう。

 キリトは仕方無しといった表情で、ケイタにメッセージを送る為にウィンドウを開こうと、その指を動かし────

 

 

 「……私、死ぬの怖い」

 

 

 その指が、空中で静止した。キリトはその腕を下ろし、サチへと視線を向けた。

 突然そう切り出したサチにほんの少しだけ驚いたが、彼女はまた、ポツリと呟いた。

 

 

 「怖くて、この頃あんまり眠れないの」

 

 「……」

 

 「ねえ、何でこんな事になっちゃったの?なんでゲームから出られないの?なんでゲームなのに、ホントに死ななきゃならないの?あの茅場って人は、こんな事して、何の得があるの?」

 

 

 それは、サチがずっと黒猫団のみんなに浸隠しにしてきた気持ちの吐露だった。

 

 

 「こんな事に、何の意味があるの……?」

 

 

 立て続けに連ねた五つの質問。彼女が今まで何を思って、どう感じていたのか、その断片だが、キリトは知る事が出来た。その質問全てに、個別に返答出来たかもしれない。けれど、この思いをずっと吐き出さずに我慢してきたサチは、そんな口先だけのまともな意見を求めている訳では無いのだろう事は、キリトにも分かっていた。

 

 

 「……多分、意味なんて無い……誰も得なんてしないんだ。この世界が出来た時にもう、大事な事はみんな終わっちゃったんだ」

 

 

 また、そうして嘘を重ねる。それは、とても残酷な嘘だった。自分を守る為の保身で、サチの魂の叫びに応える誠意など、微塵も感じられない嘘だった。

 それはキリト自身、強さを隠して黒猫団に入り、共に行動する中で自分だけは、密かに優越感、快感を手にしていたからだ。その意味で言うなら、キリトは明らかに得をしていた。

 

 

 ────本当は、この時に全て話してしまうべきだった。

 自分はこんなに強い。黒猫団の誰よりもレベルが高い。だから、サチが前衛をやる必要なんて無い。なんなら、戦わなくたって良いと、そう言えていたら。

 そう、キリトは後悔していた。キリトはサチに、前衛への転向を焦る必要は無いと言った。それは、自分が強い事を──少なくとも、盾になるには充分過ぎるステータスを持っていたからだ。

 なのに、アキトはサチに、前衛転向、それ自体しなくて良いと言ったのだ。キリトよりもレベルは低い、ステータスも中途半端で、ただレベル上げと情報収集をしてるだけ、明らかに自分よりも劣っているはずのアキトが、キリト以上の事を口にしたのだ。その分、自分が働くからと。

 それだけで、キリトは悔しさが滲んでいた。今サチがあの時の事をどう思っているかは分からない。けれど、あの時あの場にいた中で誰よりも強かった自分が、サチにそう言えなかった事を、アキトがそれを言葉にした時からずっと後悔していた。

 もし、この時全部打ち明けていれば、サチのプレッシャーも和らいだかもしれない。ささやかな安心感を得られたかもしれないのに。

 

 ────言えたのは、保証も無い戯れ言だった。

 

 

 「……君は死なないよ」

 

 「なんでそんな事が言えるの?」

 

 「……黒猫団は今のままでも充分に強いギルドだ。マージンも必要以上に取ってる。あのギルドにいる限り、君は安全だ。……だから、無理に、剣士に転向する事なんて無いんだ」

 

 

 最後に、取って付けた様に一言添える。それは、あの時アキトに言えて、自分は言えなかった一言だった。

 けれど、それでも、アキトの言葉よりも、彼より強い自分の方が、その言葉を信用出来るものに変えられると、キリトはこの時自分を誤魔化した。

 サチは、そんなキリトの言葉に瞳が揺れた。縋る様な視線を向けていた。キリトは、アキトの言葉を奪った事、サチの気を引いた罪悪感で彼女を直視する事を躊躇ったが、やがて同じ様にサチへと視線を向け、数秒見つめ合った。

 

 

 「……ほんとに?ほんとに私は死なずに済むの?いつか、現実に戻れるの?」

 

 「ああ……君は死なない。いつかきっと、このゲームがクリアされる時まで。それまで、俺が……っ」

 

 

 

 

 ────君の事は、アキトじゃなく、俺が。

 

 

 

 

 「……俺が、黒猫団を……君を必ず守るから」

 

 

 キリトは、そうしてサチを真っ直ぐに見据えた。その言葉を現実にすると、そんな意志を瞳に宿らせて。それは説得力も保証も確信も無い薄っぺらな言葉だった。

 それだけで、アキトと明らかに違う様に聞こえた。

 けれど、それでも。

 サチは感極まったのか、キリトの傍まで近寄り、彼の肩に顔を当てると、少しばかりの涙を流し、縋る様に泣いた。

 

 

 ────これは、卑怯だ。

 

 

 分かっている。自覚している。けれど、他にやり方を知らなくて。

 いつだって、他人は他人だと、そう割り切る事が出来なくて。アキトの近くにいればいる程、自分が見捨てて来た人達が走馬灯の様に自分に襲い掛かるのだ。

 それが、耐え切れなかった。

 だから、ほんの少しだけで良い。夢を見させて欲しかった。

 自分が、彼の様になれるかもしれない、その可能性を。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 翌日の夜、キリトは自分の部屋で装備の見直しとスキルやステータスの割り振りを確認していた。今まで以上に念入りなチェックをし、メンテナンスを怠る事もしなかった。

 昨日の夜にサチに放った言葉を嘘にしない為ではあったが、その目的の向こうには、自分が憧れてしまったアキトの背中が見えたのだ。

 

 

 「……っ」

 

 

 そうしてステータス画面を閉じ、装備品やアイテムの確認を始めようとした時だった。

 扉からノックの音が響く。キリトは慌ててウィンドウを閉じ、部屋の向こうにいるであろう人物に入る様に促した。

 すると、そこに現れたのは黒猫団で唯一の女の子である、サチだった。小さく、気不味そうに笑っていた。

 

 

 「……キリト」

 

 「サチ……どうか、したのか」

 

 「ゴメンね、その……眠れなくて……」

 

 

 彼女は枕を抱えてそう呟いた。キリトは、それを聞いて目を見開いた。それは、彼女が自分を頼りにしてくれた事による高揚感だったのかもしれない。

 そうして、一人では大きいベッドに、お互い背中合わせで横になる。サチも女の子だ、すぐ傍で寝ていると思うと、キリトも落ち着かなかったが、先日の彼女の言葉を思い出して我に返っていた。

 死の恐怖で、この頃眠れない。そう彼女は言っていた。彼女がキリトの部屋に来たのは、自分がサチに、“守る”と言ったからだろうと、キリト自身そう思っていた。アキトでさえサチに向かって言わなかったであろうその言葉が、サチにとっては安心出来るものだったのかもしれない。

 二人の間には静寂しか存在せず、互いに何かを呟く事も無い。

 

 

 だが、ポツリと、サチが言葉を紡ぎ始めた。

 

 

 「……私、キリトが羨ましい」

 

 「え……」

 

 

 唐突な、しかも思いも寄らない言葉に、彼女に背を向けていたキリトの瞳は見開いた。

 頭を少しだけ動かし、チラリ、と背中合わせにしているサチを見る。

 

 

 「いつも冷静で、みんなに的確に指示を出して……危なくなったらすぐフォローしてくれる。後から入って来たのに、みんなとすぐに打ち解けられて……強くて、羨ましい」

 

 「……サチ」

 

 「私もキリトみたいに強かったら……怯える事無くモンスターに立ち向かえたら……アキトに、あんな風に言われる事は無かったのかな」

 

 「っ……」

 

 

 言葉に詰まる。アキトの名前が出て、すぐに思い出す。

 彼が黒猫団の前で、サチの隣りで告げた言葉を。『サチの前衛転向は止めても良い』と、そんな言葉を。

 それは、サチの身と彼女の感じるプレッシャーを按じての、アキトなりの優しさが見えた提案だった。それはサチにとっては良い話だし、アキトもサチを危険な目に合わせる数が減る事に安堵さえしていただろうが、あの言葉に誰よりも深く傷付いたのは、他ならぬサチだったのだ。

 自分は力不足、それは分かっている。モンスターが怖い、アキトはそれを知ってくれている。死にたくない、彼はその思いを汲んでくれた。

 けど、我儘だと分かっていても、他ならぬアキトにそう言われたのがショックだったのだ。

 

 

 「キリトみたいに強かったら……私も、アキトを助けられる様に、横に立てる様に、なれたのかな……」

 

 「サチ……」

 

 

 彼女の言葉一つ一つが、とても弱々しくて。

 その後、サチは誤魔化す様に笑うと、キリトに背を向けたまま壁に向かって音を出した。

 

 

 「……ゴメン、何でも無い。私じゃ、そんな事してもすぐ死んじゃうよね……」

 

 

 不安気な声が背中から聞こえる。キリトは少しだけ振り返り、サチを見る。サチも、キリトが振り返った音に気が付いたのか、振り返りキリトの瞳を見据えた。

 

 

 「大丈夫。君は死なないよ」

 

 

 安心させる様に、そう囁く。それを聞いて、サチは落ち着きを取り戻したのか、小さく笑みを浮かべながら瞳を閉じた。

 そんな彼女に背を向けたキリトの胸に宿っていたのは、アキトに対する嫉妬に近いものだった。凡そ戦いに向いているとは言えない臆病な性格であるサチに、そんな事を言わせるアキトが、とても羨ましかった。

 彼女が今、アキトでは無く自分の部屋に来てこうして眠っているのも、きっとこんな自分を見られたくないからなのだろう。

 

 キリトもサチも、別に恋愛をしている訳では無かった。互いに愛の言葉を囁いたり、触れ合ったり、見つめ合ったりする事は無かった。

 二人は互いに利用し合っていたのかもしれない。傷を舐め合う野良猫の様に、寄り添う事でお互いに必要なものを補完しあっていたのかもしれない。

 サチはキリトの言葉を聞く事で、僅かだが恐怖や焦燥を忘れ、キリトはサチに頼られる事で、ビーターである事の後ろめたさ、黒猫団のみんなの中で快感を得ている負い目を和らげる事が出来ていた。

 それは、キリトにも少なからず分かっていた。けれど、それでも、キリトはアキトに対して、何だか勝ったような気がしていた。

 サチがアキトよりも自分の名前を呼ぶ。アキトの部屋ではなく、自分の部屋にサチが来た。それは翻して言えば、アキトよりもキリトの言葉の方が、キリトの強さの方が、アキトよりも勝っている事実を示していたからだ。

 サチがそんなつもりでないのかどうかは分からない。

 だがキリトは無意識の内にサチを、アキトと自分の差を確認する為のものさしの様に見ていたのだ。

 

 あの日、サチの心の声を聞いて、キリトは初めてSAOという世界に幽閉されたプレイヤー達の恐怖、その一面を垣間見る事が出来ていた。それまでキリトは、このデスゲームの恐怖を、真の意味で感じた事は無かった。キリトはβテスターで、その時には既に低層フロアのモンスターを知り尽くし、その知識や戦い方を活かして機械的にレベルを上げ、充分過ぎる程の安全マージンを維持して攻略組に名を連ね続け、その事に快感を──自分が誰よりも強い事に優越感を覚えていた。

 だが、そうして他人をおざなりにし、自分が死なない為に、自分が最強である為に情報を独占し、何の苦労も無しに手に入れた膨大なリソースの陰には、サチの様に死の恐怖に怯える数多のプレイヤーがいた。それを、キリトは知る事が出来たのだ。

 そして、そう解釈する事によってキリトが手に入れたのは、自分が手にした罪悪感を正当化する方法だった。それは言わずがもがな、サチと黒猫団を守り続けるという事だった。

 そう、アキトがキリトに告げた、彼の夢。キリトはそれを、自分の夢の様に感じ、奪う形でサチに告げていた。

 黒猫団にレベルを偽って入る事で快感を手に入れた事実を、自分の行為は彼らを守る為、彼らの攻略組参加という夢を叶える為の行為なのだ、と都合良く解釈し、自らを正当化する事にした。

 

 

 それが、アキトの掲げた理想と全く違うという事を、無理矢理忘れて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 かなり早い時間に起きてしまったキリトは、ゆっくりと起き上がって窓の外を見た。まだ外は暗く、早朝と呼ぶにも早過ぎた。時間を見れば、まだ3時半だった。

 隣りを見れば、変わらずこちらに背を向けて静かに寝息を立てているサチがいた。最近の怯えた様子の彼女と比べると、大分和らいだのではないか、そう思って、キリトは小さく安堵の息を吐いた。

 かなり早い時間に起きてしまったが、昨晩はサチが来た事で、普段行っている深夜のレベリングが出来ていなかった事を思い出し、目が冴えてしまった事もあって、丁度良いと思う事にした。

 物音を立てずにベッドから降り、サチを起こさない様に扉をゆっくりと開ける。部屋から出た瞬間に、装備をウィンドウから取り出し始める。階段を下りながらウィンドウを操作し、コートと片手剣を身に纏う。

 宿の扉を開けば、まだ朝方とも呼べないが、暗過ぎる訳でも無い中途半端な明るさの空がキリトを迎えていた。

 外は肌寒さが残り、浅いが霧が立ち込めている。装備を一通り確認したキリトは、歩を進め始めた。

 

 

 「っ……」

 

 

 だが、霧の向こうに人影が見え、キリトはその動きを止める。その影は、真っ直ぐこちらに、この宿に向かっている様に見えた。

 キリトは一応警戒しつつ、目を細め、その霧から出てくるであろう人物を凝視し、そして。

 

 

 「あ……キリト」

 

 「……アキト、か」

 

 

 その人物がアキトである事を理解し、強張っていた表情を崩して安堵の息を吐いた。

 白いコートは霧と同化し、ギリギリまで分からなかったが、見知った顔だと分かった瞬間、張り詰めていた空気が弾け飛んだ気がした。

 互いに互いを見据え、何も言わない。何を言おうとしてるのか、お互いに模索しているようだ。

 アキトの透き通った青い瞳は、キリトを真っ直ぐに見据えており、それがキリトにとっては居心地の悪いものだった。

 

 

 「……レベリング、してたのか。こんな遅くまで」

 

 「……キリトこそ、今からレベリング?」

 

 「……ああ」

 

 

 そんな事務的な会話さえも、キリトには辛いものだった。サチと夜を過ごしていた事への罪悪感からか、それともアキトよりも自分が彼女に頼られた事による優越感からか、どちらにせよいたたまれず、キリトは視線を横へと逸らした。

 アキトはそんなキリトを暫く見ていたが、やがて悲しそうに笑うと、キリトに感謝の言葉を告げた。

 

 

 「……ありがとね。サチのこと、見付けてくれて」

 

 「……ああ」

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 その沈黙が、何を意味しているのか。どちらも考えていなかった。

 だが、アキトが何かを言いたそうにして、隠している事は、キリトには分かっていた。

 羨望も嫉妬もしても、それでも大切な親友だ。キリトは、アキトのその態度を見て、昨日の事を思い出していた。

 

 

 「……聞いてた、んだろ……?」

 

 「っ……うん」

 

 

 それは、サチが居なくなった時の事。キリトが逸早くサチを見付け、そうして彼女の思いの丈を聞いたあの日の事。

 話の終盤に二人を見付けたアキトは、キリトの最後の一言を聞いていた。しかし彼の存在は、キリトの索敵スキルによって補足されていた為に、アキトが隠してもキリトにとっては既知のものだった。

 だが、キリトが今アキトに感じていたのは、劣等感よりも優越感に似た何かだった。

 誰かの為に頑張るアキトの様な存在に憧れていたキリトは、もう彼の背を追うだけでは無くなっていたのかもしれない。

 キリトは意を決して、アキトに向かって口を開いた。

 

 

 「……みんなは、黒猫団は、俺が守ってみせる。サチも……アキトも」

 

 「……そっか」

 

 

 アキトは目を伏せて、そう呟いた。長めの黒髪が目元を覆い、表情は良く分からないが、その口元は無理に笑っている様に見えた。

 

 

 「キリトなら……安心だよ」

 

 「っ……」

 

 「ありがとね、サチを励ましてくれて」

 

 

 アキトは小さく、寂しそうに笑って、キリトの後ろにある宿の扉に手を掛けた。彼がどんな思いをしたのか、その全てをキリトが知る事は出来なかった。

 だけど、彼のあの表情を見て、感じていたのは達成感とは程遠かった。

 ずっと憧れていて、今、彼の様になれるかもしれないと思っていたキリト。

 

 

 けれど感じたものは、達成感でも、まして優越感でも無くて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────親友を傷付けたかもしれない、そんな後悔だけだった。

 

 

 

 

 

 






因みに、原作だとサチは、キリトの事を「お父さんみたい」と称していました。
まあ、好きな人よりも父の方が頼りになるかもですね(白目)

END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)

  • ‪√‬HERO(キリトが主人公ルート)
  • ‪√‬BRAVE(アキトが主人公ルート)
  • ‪√‬???(次回作へと繋げるルート)
  • 全部書く(作者が瀕死ルート)

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