ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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信仰など無意味だと、無慈悲な神はそう告げた。






亀裂の果て

 

 

 

 

 最前線から僅か三層下の迷宮区。

 黒猫団にとって、それは未知の場所だった。情報収集を怠らず、着実に上を目指そうとしていた以前の黒猫団からは、全くもって考えられない行いだったのに、どうして気付かなかったのだろう。

 

 

 「な?俺達なら余裕だったろ?」

 

 「予想以上に稼げたね。もうそろそろしたら引き上げて、そしたら買い出しに行こうよ」

 

 

 傍から見れば頼もしく聞こえる会話。レベル的には安全圏内だった為に、狩りは比較的順調だった。目標額は凡そ一時間程で稼ぎ上げ、あまりにもあっさりした攻略に、彼らは鼻を伸ばしていた。

 

 

 「こんなあっさり倒せるなら、もっと早くここに来るべきだった気がしないでもないな」

 

 「こらこら、油断してたらまたアキトに怒られるぞ……って、これアキトに知られたらヤバいんじゃ……」

 

 「……そ、早々に帰ろうか、うん」

 

 

 各々がアキトの厳しい言葉を思い出し、身体を震え上がらせる。だが、やがて顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。

 そんな彼らの気持ちは、キリトにも伝わった。アキトの、油断する彼らに対して見せる厳しい態度は、黒猫団を大切に思う気持ちと隣り合わせの感情だからだ。

 アキトがこの空間を、大切に思ってくれている。避けられてる事のダメージが大きくて、そんな事を考えていなかった。

 攻略組になれている訳でもない、傍から見れば人数も少ない小規模な弱小ギルドだった。けれど、そんな自分達の誘いに、アキトは何の躊躇いも無く応えてくれた。

 加入してから暫くは、そんな自分の行動を考え直してか否か、中々心を開いてくれなかった。それが今は、あんなにも────

 

 

 「……なんか泣きそう」

 

 「なんでだよっ」

 

 

 みんな、同じ事を考えていた。再び温かな空間が生まれる。キリトはそれを見てアキトへの羨望を思い出すが、やがて首を横に振った。

 かつてこの空間が羨ましくて、レベルを偽って加入した時に出会ったアキト。羨望や嫉妬、そんなものを抱くよりもずっと前から、アキトはこの空間と同化していたのだ。

 勝手な行動をする奴だと思っていたのに、蓋を取れば、全て彼らの為の行動で。

 妬む事すら烏滸がましかったのかもしれない。キリトは、寂しそうに笑った。

 

 

 そうして、気付けば迷宮区の大分奥へと来てしまっていた。狩りもそろそろ終えて、とっとと買い物をしようと、キリトかまそう切り出そうとした時だった。

 

 

 「……なぁ、あれ隠し部屋じゃね?」

 

 

 ダッカーが、視線の先にある道に沿った壁を見てポツリと呟く。みんなが一斉にその方向を見て、訝しげに近付いていく。

 

 

 「マジか!」

 

 「え、本当に?」

 

 

 そうして見てみれば、確かに隠し部屋、それ特有の見え難い扉があった。

 手を触れれば、あっさりとその扉は開放された。テンションを上げるメンバーを他所に、キリトが眉を顰める。

 

 

(こんな所に隠しエリア……?)

 

 

 ────嫌な予感が、胸に去来する。

 

 

 この層からは、トラップの難易度が一段階上がる。隠し部屋というのは確かに魅力的だが、トラップの可能性、もしそうだった時の対処、それらを総合的に見れば、近付かぬが吉だった。何より、この層は彼らにとって初めての場所。決して情報ゼロで近付くべき場所ではなかった。

 

 

 ────だが、もう遅い。

 

 

 部屋が開かれれば、その中心に置かれていたのは宝箱だった。あまりにもあからさまに鎮座したそれは、途轍も無く嫌な予感をキリトに抱かせた。

 だが隠し部屋に宝箱、それだけでレアなアイテムだと認識した彼らは、一斉に部屋へ押し入り、声高々に喜びながら宝箱へと近付いた。

 

 

 

 

 ────心臓が嫌なくらい高鳴る。

 

 

 

 

 それは、これから怒るであろう事象に対する恐怖、その前兆のような気がした。

 

 

 

 

 「ま、待て────」

 

 

 

 

 キリトのその声が、その手が届く前に。

 

 

 

 

 その宝箱が、開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────初めて出会った時の事を、今も鮮明に思い出せる。

 

 

 みんなが差し伸べてくれたその手、表情、言葉、瞳の色、その日の空の色の何もかもを。

 こんな弱虫を、どうして誘ってくれたのか、結局未だに聞けていなかった。けれど、その時の彼らの優しそうな笑みが、そこから感じる温かさが、とても羨ましくて。

 名前を聞かれた時の彼らの驚いた顔、今も忘れない。

 

 

『お、おい!それ本名だろ!初心者かよ!』

 

 

 ────仕方無いだろ。これがゲームだなんて、忘れてたよ。現実となんら変わらないんだから。

 

 

『ち、因みに誕生日とか血液型は?』

 

『おい、悪ノリするなよ!見ろ、答えちゃったじゃないか!』

 

 

 ────別に気にしてないよ。その後、みんなだって誕生日、教えてくれたじゃないか。

 

 

 デスゲームだというのに、前向きに頑張ろうとしていた彼らがとても眩しくて。何処か羨ましかった。みんなが互いを信頼し、築き上げた関係が、アキトが求めていたものがそこにはあった。

 

 

『わ、私……サチっていうの。君は?』

 

 

 そんな彼らの中でたった一人、自分と良く似た雰囲気の少女に目が行った。その子の自己紹介は、この世界がデスゲームと化した恐怖が未だ抜け切っていない状態で行われ、その声は震えていたのを覚えてる。

 彼女の第一印象は、オドオドとした臆病な女の子。

 とてもじゃないが戦闘には向いていない。攻略組を目指すなら、どう見たって足でまといだ。

 一緒に行動するようになって、みんなとレベリングをするようになってから尚分かる。彼女がモンスターに対して怯えている、その事実が。

 

 

『もうこの辺りのモンスターは楽勝だな!』

 

『う、うん……そうだね』

 

 

 仲間の言葉にそう返す彼女。それを見て、アキトはとても気に入らなかった。その取り繕った笑みが、心配させまいと振る舞うその態度が。

 

 

 ────嘘吐き。本当は怖くて怖くて堪らない癖に。僕と、何も変わらない癖に。

 

 

 そして、それはアキトも同じだった。まるで自分を見ているようでイライラした。けれど、それと同時に思ったのは、彼女に対する仲間意識。

 この恐怖を分かち合えるかもしれない、そんな予感だった。

 

 

『……アキトは、死ぬの怖くないの?』

 

『……別に。どうせみんな死ぬんだし。遅かれ早かれでしょ』

 

 

 彼女と初めてまともに会話したのは、仲間に加わってから一ヶ月くらいだっただろうか。けれど、その内容はしっかりと覚えていた。

 彼らが初対面てある自分を快く誘ってくれたその理由が分からず、何か裏があるのではと、アキトは気が気じゃなかった。決して、心を開こうとはしなかった。

 なのに、いつからだろうか。彼らが大切なものへと変わっていくようになったのは。

 そして、彼女の事を気になるようになっていたのは。

 

 

『雨、凄いね』

 

『結晶切れちゃったし、ここで雨止むの待つしかないね』

 

『……へくちっ』

 

『……寒い?』

 

『へ、あ、ちょ、ちょっとね……えへへ』

 

『……これ、使いなよ』

 

『あ、ありがとう……』

 

 

 とある洞窟、二人きりの空間。メンバーとはぐれたうえに、雨が降り始め、動くに動けなかったあの日の事を、決して忘れない。

 彼女を意識するようになってから、彼女の仕草の一つ一つが堪らなく愛おしくて。

 寒くないようにと羽織ったコート、震える身体を温め合おうと寄り添う身体。繋いで手からは、微かな温もりを感じて。

 

 

『……ふぁ』

 

『っ……』

 

『あ……っ!?ご、ゴメン……寝ちゃってた……肩、重かったよね……?』

 

『べ、別に気にしてないけど……でもこの体勢で良くあんなにぐっすり寝られたよね』

 

『な、なんか安心しちゃって……アキトの隣り、なんだか温かくて。まるで、陽だまりみたい』

 

『っ……ま、まあ、もう雨止んで日が出てるし、その所為だよ、うん』

 

『ぁ……ほ、ホントだ、わ、やだ私、恥ずかしい事言って……はは……』

 

 

 ────全てが愛おしかった。

 

 本当に、切っ掛けは些細な事だったのかもしれない。だけど、この想いは日に日に強くなっていく気がした。

 彼女同様、初めはモンスターが怖くて。前衛を承諾した自分が情けなくて、恥ずかしくて。一人にして欲しくて。だけど、そんな自分を

 黒猫団のみんなは決して見捨ててはくれなくて。

 そんな中、サチはいつも攻略を終えては話をしに部屋に来るようになった。彼女が紡ぐのは何気ない日常の話、リアルでの趣味、好きな食べ物、そんなものばかりで。

 

 

『……文句を言いに来たんじゃないの?』

 

『え?』

 

『前衛やるって言っておきながらあれだけの醜態だったんだ。笑いたくもなるでしょ』

 

 

 サチが来るのが、堪らなく嫌だった。彼女と自分は同じだ。怯える自分と彼女を否応無しに重ねてしまう。弱い自分が、いつまで経っても変わる事を許さない世界が、現実を突き付けて来るのだ。

 

 

『……笑わないよ。だって、私もアキトと同じだもの』

 

『……そんなの、見れば分かるよ。モンスター相手にあんなに怖がってるんだから』

 

『モンスターが怖い訳じゃないの。……死ぬのが、怖いの』

 

『っ……』

 

 

 ────守ってあげたいと、そう思うようになったのはいつ頃だっただろうか。

 

 

 何度も失敗した。欲しかったものが、全てこの手から零れ落ちて。

 モンスターに怯え、死ぬのが怖くて。そんな気持ちを共有出来たのが、サチだった。

 互いに茅場晶彦の悪口を言い合ったりして、笑った。現実の趣味が噛み合って、嬉しくなった。困った事があれば、相談し合ったりもした。

 何かある度にそれを一番に話す相手はサチだった。他愛ない、つまらない話でも黙って聞き、それに応えてくれたのはサチだった。

 

 

『アキトは、その……どんな女の子が好きなの……?』

 

 

『……えっ!? あ、えと……その……優しい、女の子、なら……』

 

 

 ────いつだって。

 

 

 彼女の紡ぐ話に幸せを感じて。

 

 

 彼女の声を何度も思い返して。

 

 

 彼女の仕草を、目で追っていた。

 

 

『温かくて優しい……アキトみたいだね』

 

 

 単なる仲間じゃない。ずっと、ずっとそう思っていたのに。なのに、それを一度も伝えようとしていなかった。そんな勇気が無かった。

 けど、今なら言える。はっきりと。

 

 

 俺にとって、サチは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 まるで、永遠に続く道に思える。

 一寸先は、ただ虚ろなる闇。走っても走っても、辿り着きたい場所が見えて来ない、そんな錯覚が襲う。

 呼吸が荒い。最早、身体で呼吸していた。視界は酸素不足の所為か何重にも折り重なって見える。足は震え、いずれボロボロになりそうだけど、それでも。

 

 

 「っ────!」

 

 

 ただ、ひたすらに斬り続けた。

 そこに、辿り着く為に。その目には失う事への恐怖しかなく、周りが全く見えていなかった。

 もう、失う事には慣れたはずだった。築いた関係も、僅かな綻びで崩れ去った過去。それは、肉親でも同じだった。

 目の前で薄れ、消えていき、いつかは過去だと、思い出だと割り切ってしまうようになる。

 そんな映像を今の仲間達で見るのは、死んでも御免だった。

 

 

 「あああぁぁあっ!」

 

 

 その声に混じるのは気合いなんかではなく、恐怖と焦燥を誤魔化す為の、『強がり』。

 ずっとずっと、それを『強さ』に変えたかった。信じてさえいれば、この想いは届くのだと思っていた。

 本当は知っていたはずなのに。分かっていたはずなのに。この世界に、神様なんていないと────

 

 

 

 

 ───もっと先!早くしないと、間に合わな……

 

 

 

 

 「分かってるよ!」

 

 

 頭に響く声をかき消すように、苛立ちを含ませた声をぶつける。その声はここに来るまで何度も、何度もアキトに干渉した。

 その声につられ、その声を信じ、ここまで走って来た。もう、身体はモンスターによって受けた傷によりボロボロだった。

 過呼吸気味なその喉は、ポーションを受け付けない。だが、そんな事は気にしていられない。無理矢理口にそれを突っ込み、そのまま床を踏み締める。

 無理してでも、無茶してでも、無謀だとしても進めと、その身体と心、脳裏で囁く声が告げる。

 止まってはならないと、何よりも自分自身が語り掛けて来るのだ。

 

 

 「キリト……サチ……みんな……!」

 

 

 震えるか細き声が、視線の先の道へと飛んでいく。返ってくる事は無いこだまを、待つ必要を感じない。そんなの、どうでも良かった。

 ケイタを除く黒猫団のメンバーがいるこの迷宮区を、アキトはたった一人で進む。

 ただでさえ高レベル。そんな中を進み、尚且つ彼らを見つけるのは、今のアキトには至難のものだった。

 だからって、この足を止められなかった。泣きそうになるのを必死に堪え、もう二度と失いたくないからと、理由を改めて突き付ける。

 

 

 「チッ────!」

 

 

 ふと振り向けば、すぐ傍にピッケルを持ったモンスターがいた。振り下ろすその得物を弾き、空いたその手に光を纏う。

 体術スキルが一閃し、その顎を砕く。もう片方の腕が持つ剣は、二体目のモンスターの腹を突き破っていた。

 一気に二体。けれど、その向こうに、まだ何体も存在している。怒りで、その口元が歪む。

 歯軋りしたその口元は、現実なら血が出てしまっていたかもしれない。その瞳は怒りを顕にし、苛立ちが殺意へと変わっていた。

 

 

 

 

 ────このっ……邪魔をっ……

 

 

 

 

 「するなああああぁぁぁああ!!」

 

 

 

 

 黒い刀が光を放つ。途端に身体は流れ、瞬時に敵を四散させる。次から次へと向かって来るその敵が、絶望を教えてくれる。

 そんなの、必要無い。

 

 

 「退けよ」

 

 

 ゴーレムが二体。その首を断つ。

 

 

 「……退け」

 

 

 木こりのような異型が三体。その四肢を斬り飛ばす。

 

 

 「────そこを、退けよっ!」

 

 

 周りを囲うモンスターが五体。気が付けば、光の破片と化していた。

 

 

 「くっ……はぁ、はぁ……っ」

 

 

 足は、決して止めない。まだ、まだ、まだ、みんな生きてるんだ。全てが杞憂で終わる可能性があるんだ。今この足を動かせば、後悔しない道を歩める気がするんだ。

 憧れていた存在に、手が届く気がするんだ。

 

 

 「ぐっ……はっ……!……ああっ!」

 

 

 競り合う敵の体重移動を利用し、その身体を捌く。ガラ空きの背中にソードスキルを叩き込む。

 

 

 「……ぁぐっ……らぁっ!」

 

 

 背中から何かが突き刺さる。それは、ピッケルの刃先。その持ち主の首を跳ね飛ばし、背中に刺さるピッケルを、迫って来たもう一体の頭蓋に叩き落とす。

 

 

 「ガハッ……はぁ、はぁ、……チッ!」

 

 

 ゴーレムの腕が腹部を突き刺す。息が詰まり、一瞬呼吸の自由が奪われる。そいつを思い切り睨み付け、お返しと言わんばかりに体術スキルを腹部に突き刺し、そのまま身体を抉り取る。

 

 屠る敵の残骸をその身に浴びながら、無意識に記憶を遡る。

 初めてこの世界に来て、デスゲームだと知った当初は考えられなかった。こんなにも、大切な存在が、守りたい世界が出来るだなんて。

 またいつものように、すぐに関係は崩れ去り、目の前で消えていくと思っていた。

 なのに、彼らは今まで出会って来た人達の中でも一際お人好しで、温かくて。失った、自分の父親を思い出すようになった。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 「っ……はっ、はぁっ……!」

 

 

 

 

 頭が、再びノイズに襲われる。モヤが視界を、脳裏を覆い、考える事を停止させる。

 声が、みんなの声が、聞こえる。

 

 

 

 

 「……ぁ」

 

 

 

 

 アキトの表情が、絶望に染まる。

 そして、その隙間から映し出されるものは、見知った人の、恐怖の顔。

 

 

 

 

 「……やめろ」

 

 

 

 

 モンスターに囲まれ、転移結晶を封じられ、いずれ命をすり減らし、やがて────

 

 

 

 

 「嘘、だ……」

 

 

 

 

 一人、一人と消えて行き、そして最後に見えたのは、悲しみに精神を侵食され、涙を流す想い人の姿────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「やめろおおぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉおおおぉおおぉおぉぉぁああああぁぁぁぁぁあ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 周りに揺蕩う全てを、殺意を持って消し飛ばす。

 脳裏に焼き付いて離れないそれを、現実と受け入れたりは決してしない。

 誤魔化すように、強がるように、ただひたすらに刀を振り回す────

 

 

 

 

 「邪魔だああああぁぁぁ!」

 

 

 

 

 その頬は、濡れていた。汗か、涙か。

 

 

 

 

 「ぐぁ……死ねえぇえ!邪魔、するなぁ!」

 

 

 

 

 モンスターが行く手を阻む。こちらの願いなど、聞く耳すら持たない。

 

 

 

 

 「信じない……まだ、まだ、みんな生きてるんだ……!」

 

 

 

 

 ──── っ……アキ、ト……

 

 

 

 

 「なぁ……?そう、なんだろ?だから、俺を、ここまで……連れて来て、くれたんだろ……?だから……」

 

 

 

 

 ──── 無理、だよ……もう……だって……

 

 

 

 

 「っ……があああああぁぁぁ!」

 

 

 

 

 

 脳に届くその声は、震えていた。

 けれど、アキトは、もうそんな声に確認を取ることすらしなかった。ただそこに行き着く為に、近寄る敵を屠るだけだった。

 もう何も見えていない。募る後悔は肥大し、嫌な予感は現実のものへと変わっていく。けれど、それを認めたくなくて。

 

 

 

 「────っ」

 

 

 ────気が付けば、片腕が飛んでいた。

 

 

 その左腕はただ地面へと落とされ、破片となって崩れ去る。ゆっくりと振り返れば、大剣を手にした中ボスがいた。騎士のような鎧に身を包み、嘲笑うようにこちらを見下ろす。

 そんな奴に、アキトはただ残った右腕を、その手に持った黒刀を叩き落とした。重力に逆らうこと無く、アキトの最大筋力値で振り下ろされたそれは、この瞬間だけこの世界最強の一撃だった。

 HPはもう少ない。目の前の騎士の大振りの大剣が唯一の救い。躱して殺す。何の造作も無い。

 

 

(……まだ、戦える)

 

 

 ────そうだ、俺はまだ。

 

 

(……まだ、間に合う)

 

 

 みんなに、言わなきゃいけない事がある。

 

 

(謝って、それから……予定よりも大きいホームでみんなをびっくりさせて……)

 

 

 大切な人に、伝えてない言葉が、気持ちがある。

 

 

(サチに、好きだって……ずっと想ってたって……言わなきゃ……)

 

 

 大丈夫、きっと間に合う。

 

 

(間に合う……なんなら、俺の代わりに、キリトが守ってくれる。俺の……ぼくの、憧れた“ヒーロー”がいる)

 

 

 万が一この嫌な予感が現実のものでも。ヒーローがきっと、助けてくれるから。

 

 

(キリトが、いる……キリトが、守ってくれる、だって、やくそく、したんだ……言って、くれたんだ……サチを、みんなを、守ってくれるって……)

 

 

 ────そして、そんな彼に頼って貰えるような自分になると、いつの日か誓った。

『二人がいれば最強』。そう、言ってくれた仲間がいる。なら、自分はみんなの元へ、キリトの元へ向かわなきゃいけない。たとえ取り越し苦労でも、後悔だけはしないように。

 

 

 「……だから、頼むよ」

 

 

 目の前の騎士の右足を斬り飛ばし、バランスを崩した奴のその両腕を消し飛ばす。倒れたその頭蓋にただ、その黒刀を突き刺す。

 懇願するような悲哀の音が込められた言葉を放つその人物は、ただ願う事しかしなかった出来損ないの勇者だった。

 

 

 「……邪魔、しないでくれ……頼むから……」

 

 

 縋るように、祈るように。存在しない神に、無慈悲な奴にそう告げる。それが叶わぬものだとしても、涙は決して流さない。

 だって、信じているから。守ると言ってくれたキリトを。自分が憧れ、妬み、そして認めたヒーローが、全てを救ってしまう光景を。

 

 

 

 

 ────あそこ!あの隠し部屋!早く!

 

 

 

 

 その声で、顔を上げる。

 無機質なデジタル空間にも似た、景色が続く迷宮区。その狭き道の先は、ずっと続く光の道。トラップ多発区域であるこの迷宮区にしては、あからさまな壁。

 ゆっくりと、震える足に力を込めながら、視線を固定する。

 

 やっと、着いた。

 

 片腕を失い、装備を破損させ、身体の至る所に傷を付け、HPはレッド。瀕死寸前の白い剣士がそこにはいた。

 目の前には、ただ真っ直ぐ進む道。そしてそこへ至るまでの壁の模様が、隠し部屋だと教えてくれる。

 

 

 

 

 ────みんながいる、あの部屋に。

 

 

 

 

 それは、確信だった。

 

 

 何故あの部屋に。どうしてこの層に。

 

 

 あの部屋は、とらっぷなのだろうか。

 

 

 けれど、かんけいない。だって、ヒーローがいるんだ。

 

 

 ふたりそろえば、さいきょうな────

 

 

 

 

 「……待ってて」

 

 

 

 

 震える足を、ただ律する。

 

 

 

 

 「……いま、いくから」

 

 

 

 

 ボロボロで、歩く事すらままならないアバターを、ただ無理矢理行使する。

 

 

 

 

 「……きめ、たんだ」

 

 

 

 

 動くだけでも大変なその身体でただ、ひたすらに扉の元へ。

 

 

 

 

 「誓った、んだ……」

 

 

 

 

 持てる全ての力で、走る。

 

 

 

 

 「みんなが、危険な目にあったって……」

 

 

 

 

 涙が、溢れる。

 

 

 

 

 「きみが、どこにいたって……」

 

 

 

 

 大切だと、そう思った時からずっと、そう思っていた。

 

 

 

 

 「ぼくが、必ず……」

 

 

 

 

 崩れそうになる体勢を、刀で支える。けれど、気が付けばその手から刀はこぼれ落ちていた。

 

 

 まだ、謝ってない。

 誘ってくれたのに、距離を取り続けていた事。一人で勝手に行動していた事、素直になれなかった事、避け続けてしまっていた事。

 

 

 まだ、伝えていない。

 君達が大切だと。この身を犠牲にしてでも、守りたいものだったと。自分がいるべき世界で、君らの為なら、世界を敵に回せる程に、大事な宝物なのだと。

 

 

 まだ、教えていない。

 君が俺にとって、どんな存在だったか。どれだけ力になったか。強く在りたい、そんな理由の根底が、君だという事すら。

 

 

 

 

 俺は君達に、まだ。

 

 

 

 

 まだ、何も伝えていないのに────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その扉は、おもむろに開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その空間は、幻想的だった。

 

 

 

 

 宙には未だ消えずに舞い上がる、光の粒が。

 

 

 

 

 残骸が生み出す光、一瞬でそれだと理解した。

 

 

 

 

 撒き散らした光が舞う、空間の中心。

 

 

 

 

 そこで顔を伏せ、涙を流すのは、たった一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を作り上げた、親友の姿だった。

 

 

 









ダッカー 「……終わったな」

テツオ 「ああ……何もかも、終わっちまったな」

ササマル 「俺達のっ……出番がっ……!」

ケイタ 「次回からクリスマスまで時間飛ぶらしいし、僕の身投げはカットかな(遠い目)」



サチ 「……えっと」←まだ出番あり

アキト 「……」←主人公

キリト 「……二人とも、見るな……」←主人公


※本編とは無関係です。















次回『朽ちた理想』


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