ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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この作品、キリトがいない事で読み手を選ぶものではありますが、読んでくださった方々、本当にありがとうございます!
特に読読君さんとカーキャさんにはいつも感想頂いて…本当にありがとうございます!
読読君さんは事細かく一話一話に対する感想を書いてくれるお陰で、色々と考えさせられる場面が多かったです。
カーキャさんは、私の為に推薦を書いて頂いて…とても嬉しく思います!

その他の皆様、感想を書いていただき、そして、読んでくださりありがとうございます!
お気に入りに登録して下さっている方々、とても嬉しく思います!

今回で取り敢えず一区切りです。では、どうぞ!


Ep.31 今日からこの場所が

 

 

 

 79層<アイオトル>

 

 

 ボス部屋から抜けた先には、広大な街が広がっていた。

 辺りは既に暗くなって来ており、街灯が点くのも時間の問題だった。

 土地の高低が大きく、いくつもの建物が並んでおり、その街が囲うようにして聳え立っているのは、巨大な崖だった。その崖の上にも建物が設置されており、街の端から埠頭のような場所で広がっていた。

 その先は湖なのか、はたまた海のようにこの層のどこまでも続いているのか、そう考えさせられる程で。

 そして、街の中心に立つは、巨大な教会。とても神秘的な造型で、結婚式を挙げるには相応しいものだった。

 

 

 そんな街の港に一人、栗色の髪を持つ少女、アスナは立っていた。

 少しだけ強めの風が、彼女の髪を揺らす。

 彼女はその場所から見える、どこまでも広がる湖を、ただじっと見つめていた。

 まるで、取り憑かれているかのように。

 考えている事は、頭の中に浮かんでいる光景はずっと同じ、78層のボス戦の出来事。

 自分は、何もかもが独り善がりだった事を痛感した、あの瞬間。

 

 

 「……」

 

 

 何かを、捨てたような感じがした。

 あの時、ボスにトドメを刺そうとしたあの瞬間。

 自分で決めた意志を捻じ曲げて、キリトと決別してしまったような気がした。

 アキトにキリトの形見であるエリュシデータを渡したり、死のうとしていたのに、いつの間にかボスを倒していたり。

 自分が何を望んで、どうしたかったのか、意思と行動が綯い交ぜになって、迷って、アスナはここに立っていた。

 自分の判断が正しかったのか、それだけを考えて。

 

 けれどあの時、アキトの顔を見て、リズベットの想いを聞いて、心が動いたのは紛れもなく事実で、それは否定したくないものでもあった。

 親友の志を、嘘で偽りたくなかった。

 

 

 「…何も…」

 

 

 何も、知らなかった。何も、分かっていなかった。

 あの時、リズベットが自身に話してくれた事。自分とリズベットは、互いに同じ人を好きになって、そして、彼女が自分の為に身を引いてくれた事。

 それがどれだけ辛かったか。キリトが死んで、一番ショックを受けていたのは自分だと、何故そう思ったのだろうか。

 自分がキリトの恋人だから?

 誰よりも彼を知っていると思っていたから?

 自惚れもいい所だ。

 リズベットは想いを伝える事も無く、大切な人を失ってしまったのだから。

 それでも彼女は泣き言すら吐かず、自暴自棄になっていたアスナを助けるべく、攻略組にまで参加するようになった。

 それが、どんなに重い決断なのか、考えもせずに。

 アスナは、キリトが死ぬ以前からずっと、自分勝手だったのだと、自覚した自分が嫌になった。

 エギルやクラインにも迷惑をかけた。ずっと一緒に戦ってきたのに、キリトが死んでも尚、ゲームクリアの為に頑張っていたのに、そんな彼らの命を、自分は蔑ろにしようとしたのだ。

 そんな自覚は無かったが。

 キリトに想いを伝えて、一緒にいられて、嬉しい思いをしたのは自分だけ。けれど、彼が死んで辛かったのは、リズベットも一緒だったのだ。

 リズベットはただ辛い思いをしていただけ。なら、アスナよりもずっと苦しい思いをしていたかもしれない。

 なんて卑しい女なのだろう、自分は。涙が出そうだった。

 

 

 すると、後ろの方から足音が聞こえる。

 アスナはそれに気付くと慌ててその涙を拭い、その方角へと視線を移す。

 そこには、自分が散々迷惑をかけたプレイヤーの一人、アキトが立っていた。

 

 

 「…アキト君」

 

 「…これ、返しに来た」

 

 

 アキトは一言そう言うと、アスナに向かって持っていたものを突き出した。

 それは先程のボス戦中に、アスナがアキトに渡した剣、<エリュシデータ>だった。

 アスナは少しだけ困惑したような表情を浮かべ、アキトとエリュシデータを交互に見る。

 

 

 「それは…もう、アキト君に…」

 

 「キリトの…形見なんだろ」

 

 

 アスナが使っている武器は細剣、主にレイピアと呼ばれる、刺突に優れた武器である。

 他の武器と比べて軽量で扱いやすく、正確無比な突きを乱発するアスナにとってはとても相性の良い武器だ。

 このアスナのユニークスキル染みた動きは、武器による恩恵もあり、他の武器にした時点でそのメリットを殺してしまう行為なのだ。それは、他の武器では重さもリーチも彼女に合わないからだ。

 彼女の持ち味は正確さとスピード。それを落とすのは自殺行為であり、だからこそ、アスナは盾を装備しない。

 故に、アスナにとって、カテゴリ別の片手剣は保持しておく理由が無い。そう考えると色々疑問が浮かんでくるのだ。

 アスナがこの剣を取り出した時のリズベットの反応、あれは明らかにあの剣を知っていた事になる。鍛冶屋の彼女がエリュシデータを認知していたという事は、一度メンテナンスに出した事がある、もしくは見た事があるという事。

 アキトはこの剣を戦闘で使ってみて、そのボスへのダメージの減り方や、使い易さに舌を巻いていたのだ。まるで、ずっと前から持っていたような、そんな感覚。

 そうでなくても、この剣自体のステータスは魔剣と呼んで差し支えない程に異常な数値を示していた。

 こんな剣はそうそうお目にかかれる物じゃない。恐らく、この世界にただ一本だけ存在している。

 それをアスナが持っていた事。

 つまり、導かれる結論は一つだけだった。

 

 

 「……」

 

 

 その問いかけに、アスナは答えない。ただ視線を沖の方へと移動させただけだった。

 だがその反応を見ただけで、その問いの答えをアキトは理解した。

 その突き出した腕を自身へと引き戻し、手元のエリュシデータを見下ろした。

 アスナはチラリとこちらを、エリュシデータを見た。

 

 

 「…でも…キリト君だったらきっと、クリアの為に使って欲しいって…そう言うと思ったから…」

 

 「…どうかな。他人が何を思ってるかなんて、誰にも分かんねぇだろ」

 

 「…なら、どうして私に返そうと思ったの…?」

 

 「それは…」

 

 

 アキトは言葉に詰まり、即座に答える事が出来なかった。

 人の気持ちなど分からないと言っておきながら、キリトの形見だからと、アスナに返そうとしていた自身と矛盾してしまうから。

 アキトはエリュシデータを持つ手を下ろし、顔が俯く。

 そんなアキトを見た後、アスナは目の前の景色に視線を戻す。

 

 

 「でも…君の言う通りだね…リズの気持ちも、今思えば、知ろうともしてなかったんだなって…」

 

 「……」

 

 「辛いのは自分だけかのように感じてた。周りの事なんて何も見てなくて…自分の事ばっかりで」

 

 

 だからこそ、NPCを囮にする、などといった作戦を立てる。

 自暴自棄になったまま、けれど攻略組には参加し、ろくに動きもせずに、プレイヤー達を死の恐怖に追い込んだ。

 今思えば、あまりにも酷い事をしたと思う。

 

 

 「…ねぇ、アキト君。…どうして貴方は、他人の事をそこまで思えるの?」

 

 「…俺は別に何もしてねぇだろ。寧ろ、攻略組に嫌われてるようで何よりだ」

 

 「…それは、態と嫌われるように振舞ったから、でしょ」

 

 「っ…」

 

 

 アキトその言葉でアスナの方を見直す。アスナは少しだけ寂しそうにして笑った。

 

 

 「分かるよ…君がしてる事、キリト君にそっくり…見てて辛くなるくらい…」

 

 「…俺とアイツは違う」

 

 「…でも、誰かの為を思うところは同じだよ…」

 

 

 そんな彼を、好きになったのだから。

 アスナはそこまでは言わなかった。アキトを見れば見る程に、キリトの事を思い出して、辛くなって。

 キリトもアキトも、攻略組に嫌われるように振舞って、偽って、強がって。

 けれどアスナは、キリトの心が決して強くなかった事を知っている。いろんな後悔と苦悩があって、それでも最後まで戦い抜いた英雄を知っている。

 きっとアキトも、何処か無理をして強がっている部分があって。それを隠して生きているような、そんな風に見えた。

 誰もが人の死を身近に感じると、アキトは言った。それはきっと、自分の事でもあると、アスナは思った。

 けれど、アスナとアキトのその後は酷く違う。自分の事しか考えてなかったアスナとは逆に、アキトは憎まれ口を叩きながらも、ずっと誰かの事を考えていた。

 大切な死を経験して尚、どうして自分とアキトはこうも違うのだろうと、悔しかった。

 

 

 「アキト君は…何の為に生きるの…?」

 

 

 ずっと、聞きたかった。誰しもが絶望を抱える世界で、アキトは何を思って今日という日まで生きているのか。

 どうして76層から攻略組に参加したのか。何の為に、自分を助けてくれたのか。

 

 

 「…生きられるって…凄く有難い事だって、この世界に来て思った」

 

 

 アキトは、素直な言葉でそう紡いだ。

 答えにはなっていないかもしれないが、アキトはそのまま言葉を続ける。

 

 

 「俺も…ずっと生きる意味を探してた。誰かの為にと思っても、結局は自分がどうしたいか。ここまで来るのに、相当悩んだし、辛かったし……死にたかった」

 

 「……」

 

 「…ずっと、後悔してた」

 

 

 過去の事を思い出して、アキトは言う。

 あの頃、何もかもを失って、死の恐怖など麻痺してた。一歩間違えれば、今頃この世界にはいない。

 けど、それでも生きなければと思った。

 人は常に後悔と付き合っていかなきゃならない。後悔しない生き方なんて出来やしない。あの時こうしていれば良かった、なんてのは誰でも思うし、そんな後悔を簡単に忘れられたりしない。そんな現実からはいつだって逃げたくなる。

 けどだからこそ、抗わないといけないと思った。死ぬのは逃げだと思ったから。

 そんな事をしたって、現実は何一つ変わらないと知っているから。

 必死に生きようとしている人がいるこの世界で、命を投げ出すのは、罪だと思うから。

 どんなに死にたくても、生きるしかない。

 それが、それだけが彼らに対する罪滅ぼしだと思うから。

 

 

 「けど今は…自分がこうしたいって思う事を全力でやるって決めたから…それだけだ。理由なんて無い」

 

 「…そっか」

 

 

『キリトの大切なものを守る事』が、今アキトがやりたい事。最初は義務染みたものを感じていたが、今は自分がしたい事だった。

 目の前の人を死なせたくない。口で言うのは簡単だし、言うだけなら偽善にも聞こえる。けれど、それでもアキトは生きて、誰かの為に戦おうと思う。

 それは、自分の意志なのか、歪んだ思考なのかは分からない。

 アキトも、自分自身の生きる理由を探している段階で。『誓い』や『約束』なんて言葉で生きる理由を作って、現状から逃げている。

 

 アスナが聞きたかった事を、アキトは答えられただろうか。

『どうして他人の事を思えるのか』という質問には全く答えられていないような気もする。

 けれど、アスナは何か納得したように小さく、悲しげに笑った。

 アキトにも自分のように、色々な葛藤があって、苦悩を抱えて生きていた事を知る事が出来て、何となくだが安心した。

 アスナはゆっくりと手を伸ばし、アキトのもつエリュシデータを指さした。

 

 

 「やっぱりそれ、アキト君が持ってて」

 

 「…いいのかよ」

 

 「アキト君に使って欲しいの。だから…」

 

 「…分かった」

 

 

 アキトはウィンドウを開き、エリュシデータを装備した。背中に鞘が現れ、その鞘にキリトの形見が収められる。

 その姿はまさしく『黒の剣士』。アスナはそんなアキトに、やはりキリトを重ねてしまう。

 アスナはそれ以上アキトを見てられず、また港の方へと視線を戻した。湖は風で小さな波を作り、風は再び髪を撫でた。

 

 

 「…じゃあ、な」

 

 「…帰るの?」

 

 

 アキトはアスナに差を向けてその場を去る。アスナはアキトの方へと再び体を向けて、そのキリトそっくりの背中を見つめた。

 

 

 「…お前は、早く帰ってやれよ」

 

 「っ…」

 

 

 アキトのその言葉に、アスナは目を見開く。

 そんなアスナを一瞥した後、彼は街から姿を消した。

 

 

 彼の言った事が何を意味しているのかは分かっている。ユイが、自分の娘が、今も尚自分の帰りを待ってくれているという事。それをアキトは教えてくれたのだ。

 アスナはきゅっと、その拳を軽く握り締める。

 ユイにも、散々迷惑をかけてしまった事を、今になって後悔する。後悔なんて、もう何度もしていたというのに。

 ユイだけじゃない。シリカやリズベット、クラインにエギル、リーファにシノンにも心配させた。彼らの差し伸べてくれた手を悉く無視して、結果アキトに助けられて。本当に情けなかった。

 けれどまだ、胸のつっかえが取れた訳じゃない。アキトが助けてくれた事、リズが守ってくれた事、本当に申し訳なかったし、感謝もした。

 でも、キリトへの未練もまだ捨て切れないでいた。キリトに会いたいこの気持ちは変わらないし、もしかしたらまた、自分を見失うかもしれない。

 そう思うと、とてもユイに会わせる顔が無い。

 

 

 キリトの形見であるエリュシデータも、ほんの少しだけ手放すのが惜しいと感じてた。

 何か、キリトを感じるものが欲しかった。キリトをすぐに思い出せる代物が手元に欲しかった。

 忘れたくない、過去にしたくないといった思いが、胸に強く残っていたのかもしれない。

 

 

 ダメだな、私…こんなに弱くて───

 

 

 アスナはキリトが死んで以降、碌にアイテムの整理もしていない。キリトとの思い出を捨ててしまう気がしたのかもしれない。

 アスナは何の気なしにシステムウィンドウを開き、キリトと共有化していたアイテムストレージへと移動した。

 何をしてもキリトへと結び付いてしまう事に、本当にゾッコンだったんだなと、少しだけ笑ってしまう。

 

 アスナはアイテムストレージにあるキリトのアイテムを次々と眺めていく。その度にまた、彼の事を思い出した。

 エリュシデータの他にも、キリトのコートだったり、使ってたアクセサリーだったり。

 

 こうして見ると、キリトの私物はとても少ない。必要最低限のアイテムや装備品、それにちょっとした食材アイテム。

 その程度だった。

 アイテムの少なさと、思い出の量は比例しないが、それでも少し寂しかった。もっと、これからずっと、キリトと思い出を作っていけると思っていたから。

 

 

(あ、れ…?)

 

 

 だが、そんなキリトのアイテムの中にあった、一つの<記録結晶>が目に入る。

 既に何かを記録している様で、記録済みと表示されていた。

 

 

(何だろう、これ…キリト、君の…?)

 

 

 アスナは何故かその記録結晶が気になって、ウィンドウをタップして、その記録結晶を出現させる。

 ひし形のそれはアスナの手元でふよふよと浮いて、ゆっくりと回転している。

 タップすると、この記録結晶に記録したプレイヤーの名前が表示された。

 

 その名前を見て、アスナは驚愕の表情を浮かべた。

 

 

<Sachi>

 

 

 「…サ、チ…って……っ!?」

 

 

 その名前は聞いた事があった。キリトが人を避ける大きな理由になった人物の名前。

 あの時、アスナをかけてヒースクリフとキリトがデュエルした後、キリトに教えてもらった名前。

 何故彼女の記録結晶がこんな所に。そう思わずにはいられなくて、思わずその手と口が震え、瞳が揺れた。

 彼がまだ、ギルドに入っていた頃の仲間、その彼女の記録結晶。

 キリトももしかしたら自分のように、ギルドの仲間を死なせて、自暴自棄になった事もあったのかもしれない。

 ならば、これはもしかしたら、キリトの支えになった代物なのかもしれない。

 

 

 ─── 何が。

 

 ─── 記録されているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『メリークリスマス、キリト。

 

 キミがこれを聞いている時、私はもう死んでると思います。

 なんて説明したら良いのかな…。

 

 えとね、ホントの事を言うとね、私、はじまりの街から出たくなかったの。…でも、そんな気持ちで戦ってたら、きっといつか死んでしまうよね。

 それは誰のせいでもない、私本人の問題なんです。

 キリトは、私にずっと、絶対死なないって言ってくれたよね。だからもし私が死んだら、キリトは凄く自分を責めるでしょう?

 だから、これを録音する事にしました。

 

 それと、私ホントはキリトがどれだけ強いか知ってるんです。前にね、偶然覗いちゃったの。

 キリトがホントのレベルを隠して、私達と一緒に戦ってくれる理由は、…一生懸命考えたんだけど、よく分かりませんでした。

 

 …へへっ…でもね、私、キミがすっごく強いって知った時、嬉しかった…凄く安心出来たの。

 

 だから、もし私が死んでも、キリトは頑張って生きてね。

 生きてこの世界の最後を見届けて、この世界が生まれた意味、私みたいな弱虫がここに来ちゃった意味、そして…キミと私が出会った意味を見つけてください。

 

 

 それが私の願いです』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「───っ」

 

 

 言葉にならなかった。

 

 

 アスナは、そこで録音を止めた。まだ続きがあったが、それを聞く事は出来なかった。

 その瞳からは自然と涙が溢れ、止める事は出来なかった。

 知らない人の声、キリトの知らない物語。

 

 分かってしまった。

 知ってしまった。

 これが、キリトの生きる理由になっていたのだと。

 

 

 「…キリト、君っ…」

 

 

 キリトは決めたのだ、この世界で生きる事を。

 どんなに辛くて苦しくても、死んでいった彼らの為に。サチの為に。

 自分が死んだというのに、キリトを決して責めず、彼にエールを送る彼女の声を聞いて、とても悔しかった。

 彼女がキリトの支えになっていた事ではない。サチの、その強さに。

 サチは、自分が死んでも、キリトにはこの世界の最後を見届けて欲しいと、そう言った。

 その残酷さを痛感し、アスナは心が痛かった。

 

 自分も、これから同じ道を辿らなければならないなんて。

 どれだけの意志、強さが必要だろうか。

 一歩も進めていなかったのは、自分だけだったんだと自覚した。死のうとしていたのは、自分だけだったんだと痛感した。

 リズベットのように、生きて何度も彼の事を思い出そうなんて思いもしなかった。どうせ、辛くなるだけだろうと、そう決めつけて。

 ユイも、キリトと自分がこんな形になってしまっても、ずっと心配してくれていたし、リーファとシノンも出会って間もなく、あまり会話もした事が無いのに自分を気にかけてくれた。

 アスナは、仲間を失ったキリトよりも恵まれていたのに、ずっと逃げて来た。

 

 

 「わ…私、は……あ……うあっ……!」

 

 

 涙が、とめどなく溢れ、拭っても止まらない。

 キリトの隣りに立つと決めたなら、この道を進まなければならない。

 キリトと同じ道を、自分も歩まなければならないなんて。大切な人を失って尚、生きる事を諦めてはならないなんて。

 けれど、それでも彼の隣りに立ちたいなら────

 

 

 これがきっと、『生きる』という事。背負うという事だ。

 アスナはその場で蹲り、記録結晶を抱き締めるようにして、ただ声を出して泣いた。

 この世界の残酷さ、それを痛感したから。

 79層の街、辺りは暗く、静寂に包まれていた。

 アスナのその心の叫びを、見守るかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 76層<アークソフィア>

 

 

 転移門から現れたアキトは、見慣れた街をその高さから見渡した。

 辺りは既に暗く、街灯に照らされる頃合いだった。

 アスナと別れてから小一時間程、79層のフィールドマッピングをして来たアキトだったが、ボス戦の疲れもあって、今日は早めに切り上げて帰って来たのだ。

 

 階段を下りる度に、背中に収まる剣の重さを痛感した。

 これが、英雄の意志の重さだと。

 

 

(これを、キリトが…)

 

 

 使っていた時も思った事だが、初めて手にした気がしなかった。ティルファングに近い重さで、ステータスも高い。

 キリトとほぼ同じステ振りをしているアキトにとって、エリュシデータはとても手に馴染んだのだ。

 それに────

 

 

(何だろう…何処かで見た事があるような…)

 

 

 エリュシデータを見ると、視界がブレる。いつの日かの光景が蘇るようで。何かが重なって見えた。

 アキトは頭を左右に振り払い、そんな考えを止めた。

 キリトの事を思い出せば、自然とアスナの事が頭に浮かぶ。

 

 

 自分は、彼女を変える事が出来ただろうか。

 あの時、ユイが涙を流してまで自分に頼み込んできた『約束』を、果たす事が出来ただろうか。

 彼女の『願い』を、叶える事が出来ただろうか。

 

 その足は、自然とエギルの店へと向く。今日はもう帰って、明日に備えなければならない。

 アスナがもし、立ち直れなかったのなら、これからは自分がやるしかない。アキトはそう思った。

 キリトの死はそれ程までに大きい。関わりの少ない人だとしても、彼は強力なプレイヤーとして名が広まっている。だからこそ、死の事実が浸透していけば、周りは困惑の感情で広がり、攻略組の士気も下がる。

 分かっている。キリトの死が、それ程までに重いという事は。

 

 

 「っ…」

 

 

 自分は、彼の代わりにはなれない。そもそも人が違うのだから当たり前だが、そういう話ではない。

 自分はキリトのように、まだまだ強くない。

 彼らはそれ程弱くないし、自分が守る必要なんて無いのかもしれない。

 彼らはキリトの死で悲しみに暮れるだけじゃない、しっかりとその悲しみを乗り越えようとしている。

 彼らはキリトの紡いだ意志と、一緒に過ごした思い出と共に、この世界を生きていて、それがアキトには、とても眩しく見えていた。

 決して彼らの輪に入りたい訳じゃ無い。入りたいとも思わない。自分の仲間は、かつての、あの場所だけだ。

 

 ただ、羨ましいと思った。

 

 あそこまで大切に思われているキリトは、未だに彼らの中心で、共に笑い合って、過ごしているようで。

 過去の記憶で苦しんでいるのは、引き摺っているのは自分だけのように感じていた。

 きっとキリトも忘れた訳ではなかったのかもしれない。だけど、そう簡単に割り切れる話でもなくて。

 自分はもう、あんな場所に出会える事は無いんだろうなと、そう感じてしまって、その表情が暗くなる。

 

 

 「…、あれ?」

 

 

 アキトは視線を前に戻すと、エギルの店に近付くに連れ、その入り口から少し離れた噴水のベンチに、見慣れた少女が座っているのが見えた。

 近付いてみると、少女はアキトに気付いたようで、そわそわしながらもこちらへと歩み寄って来た。

 

 

 「ユイ、ちゃん…?」

 

 「…!お、お帰りなさい、アキトさん」

 

 

 その少女、ユイはアキトを見上げて笑顔を見せた。その頬は少しだけ赤く、些か緊張しているのかと思えてしまう。

 店にも入らず、こんな所で一人座っていて。

 何かあったのだろうか。

 

 

 「…どうしてここに…みんなは?」

 

 「今はエギルさんの店で夕食を取っています」

 

 「…アスナも、か…?」

 

 「…はい」

 

 

 ユイは、とても照れ臭そうに、それでもとても嬉しそうに笑ってくれた。

 アキトは目を見開いて驚くが、やがてその口元には笑みが。

 

 アキトが帰って来る前、アスナはユイの元へ帰って来た。アスナはいきなりユイを抱き締め、リズベットに感謝の言葉を述べたという。

 ユイは感極まって泣いてしまい、後から聞くとそれにつられてシリカやリーファも貰い泣きしてしまったらしい。

 それを聞くと、アキトは心が軽くなったのを感じた。

 アスナが、これからどうしていくのか、どう生きていくのかを決めたという事実に、報われた気がしたのだ。

 ユイの笑顔を見て、彼女との『約束』、『願い』を叶える事が出来たのだと、そう思った。

 

 

(…良かっ、た…本当に…)

 

 

 本当の意味で、彼らは一つになれるんじゃないだろうか。今はまだ、アスナは不安定ではあると思う。けれど、それでも、きっとリズベット達が支えてくれる。

 そう思うと、もう自分はお役御免かもしれない。

 そう思っていると、ユイが自身の白いワンピースの裾を掴み、こちらを見上げていた。

 

 

 「…アキトさんを待ってました。…迷惑、でしたか?」

 

 「っ…い、いや、別に…でも、お礼とかなら大丈夫だよ。最初に言ってもらったし」

 

 「…いえ、それもあるんですが…そうじゃ、なくて…」

 

 

 ユイは視線を固定せず、あちらこちらと向いており、何を言おうとしているのか分からない。

 アキトは首を傾げたが、ユイは決意したのか、再びこちらを見上げていた。

 

 

 「…私、待つ事にしたんです。ママや皆さん…アキトさんを」

 

 「っ…俺、を…」

 

 

 その言葉に、アキトは心を強く揺さぶられた気がした。

 自分を、待ってくれると、そう言ってくれた彼女から目が離せなかった。

 

 

 「アキトさんに教えて貰いましたから。『誰かが待ってくれているなら、そこが帰る場所だ』って」

 

 「あ…」

 

 「アキトさんのお陰で、待つ事も、ほんの少し、好きになれそうです。…だから…だから…今日からこの場所が、アキトさんの帰る場所です」

 

 「っ…」

 

 

 その言葉を聞いて、涙が出そうになった。

 その健気で儚い少女の笑顔に。

 その優しさに包まれた言葉に。

 帰る場所は、ここにあるのだと、そう言ってくれる、思わせてくれる少女に。

 あの場所は二度と元に戻らないというのに、どうしても期待してしまう、手を伸ばしてしまう。

 

 

 「さあ、行きましょう!皆さん待ってますよ!」

 

 

 ユイは動けないでいるアキトの手をギュッと掴み、エギルの店へと引っ張っていく。

 アキトは、何も抵抗せず、ユイに引かれるままに歩き出した。

 店はいつものようにプレイヤー達で賑わっていた。攻略組を初め、その身内達が丸いテーブルを囲んで食べ物を食べて、笑って、喧嘩して。

 そんな店のカウンター付近には、いつもの顔ぶれが。

 皆が笑顔で、とても幸せそうで。そんな中、ふとアスナの事が目に入る。申し訳なさそうに、遠慮なく、けど、それでも笑っていた。

 今は歪に見えたとしても、きっと、あれが彼女の本当の顔。

 

 

 

 ── ああ…俺はずっと、あんな彼らの笑顔を見る為に ──

 

 

 

 「…?あっ!アキトさん!」

 

 「アキト君!おかえりなさい!早く早く!」

 

 

 シリカとリーファがこちらに気付き、手を振っている。あの時、シリカにきつく当たったというのに、彼女は凄く魅力的な笑顔をこちらに向けていて。

 どこまでも優しいそんな彼女に、自然と心が安らいでしまう。

 シノンも、こちらを見て優しそうな笑みを浮かべていて。クラインやエギルも、自分を待ってくれていて。

 リズベットが、アキトの分だと言うように、コップを両手に持っていて。

 そして、アスナ。

 

 76層からずっと、その顔は暗い影があった。今も、完全に立ち直った訳じゃないだろう。

 それでも、どうにか頑張ろうと、そう決めたのだろうか。

 彼女の作ったような、無理してるような笑顔。けどそれでも、アキトにとって、76層から今までで、初めて見る事が出来た、彼女の笑顔。

 

 自分は彼女を、変えられたのだろうか。

 

 でも、この先何度彼女が自分を責めようと、絶対に死なせてなんかやらない。そう、ユイと約束したのだから。

 だから、今だけは────

 

 

 ユイが引っ張り進むその足を止め、アキトはその場に立つ。

 手が離れた事で、ユイは少し驚いたのか、アキトの方を振り向いた。

 辺りは未だに賑わっており、大声でなければ聞こえないだろう。

 だから、そんな彼女にしか聞こえないような声で、アキトは口を開いた。

 

 

 …そういえば、まだ…ちゃんと言ってなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…ただいま、ユイちゃん」

 

 

 「…お帰りなさい、アキトさんっ」

 

 





今回ちょっと文章不安定(震え声)
持ち味活かせてない感が半端ない…カタ:(ˊ◦ω◦ˋ):カタ
急展開じゃね?とか意味不明なんだけど、とか、何かありましたら、質問どうぞ(´・ω・`)

そうでなくとも、感想を…モチベが…モチベが…!

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