ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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皆様、こんなウジウジしたアキトが主人公の今作を読んで下さってありがとうございます!
彼の葛藤はまだまだ続くと思いますが、これは彼の成長物語。
成長する時がきっと来ます!
それをご了承の上、読んでください…(泣)

それでは、どうぞ!


Ep.42 正義の定義

 

 

 

 

 いつも使う通学路、その先にある公園。

 よく見る小さなものではなく、もっとずっと大きい公園だった。

 中央にあるのは、芸術とも呼べる巨大な噴水。時間経過で水のアートが出来、これを見る為に放課後は何度も通った。

 遊具は沢山あるから遊びには困らない。広大な草原がどこまでも続いているようで、本当は有限、でも、無限なんじゃないかと、こう思える場所。

 

 この頃はまだ、やろうと思えば何だって、いつかは出来るものだと思っていたかもしれない。

 けれどもしかしたら、どうせ何を目指そうとも無理かもしれないと、そう諦めていたかもしれない。

 

 

 ── ねぇ、将来の夢は何?──

 

 

 そんな事を、かつて現実世界で好きだった子に聞かれた事があった。

 放課後の帰り道、いつもの公園、その場所で。

 ブランコに揺れながら、隣りにいる自分に。

 あの時は明確な未来なんて、とても見える年齢じゃなかった。

 何故彼女はそんな事を聞いたのだっただろうか。

 確か、学校に提出する作文の宿題だった記憶がある。

 当時は、お互いに小学生で、将来への考えも浅くて、なりたいものにもあまり関心が無かったかもしれない。

 二人共、小学生にしては賢い方だった。なのに、なりたいものが、自分には見えていなかった。

 

 

 「……分かんないよ、そんなの」

 

 「けど、宿題だよ?適当でも何か書かなきゃ」

 

 「……その、あるの?将来の夢」

 

 

 急に、彼女にそう聞きたくなった。彼女は何か目指すものがあって、明確な意志の元動いているのだろうかと、そう感じたのかもしれない。

 

 

 「…私?……まぁ、ある……かな……」

 

 「そう……なんだ」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……え、お終い?」

 

 「え……うん」

 

 

 彼女はブランコから身を乗り出してそう尋ねた。その近さに一瞬心臓が大きく脈を打つ。サッとその顔を逸らし、乗っているブランコから見える景色へと視線を移した。

 彼女は質問の意図が分からず、首を傾げていた。

 

 

 「将来の夢があるか聞きたかっただけ?何の夢か気にならないの?」

 

 「いや、まぁ……気になる、けど……」

 

 「……私、桐杜はずっとおじさんみたいになりたいのかと思ってた」

 

 「…父さん?」

 

 

 その意外な単語に、目を丸くする。

 彼女のいう『おじさん』とは、桐杜の父親の事だ。二人の親同士は、とても仲が良く、親友同士だった。その関係もあって、子どもの二人も距離感は近かった。

 それはともかく、彼女のそんな発言に驚いたのは事実だった。

 

 

 「前におじさん言ってたじゃない。『正義の味方』になりたかったって。桐杜もそうかなって思って」

 

 「……あれは、子どもの頃の夢だし……それに、僕はならないよ」

 

 「…どうして?」

 

 

 その彼女の純粋な瞳に、一瞬だけ言葉が詰まる。

 彼女の発言を即座に否定した癖に、理由がスッと出てこなかった。

 だけど、考えれば考える程に、その理由は明確なものへと変わっていった。

 

 

 「そんなに、強くないし……柄じゃないし。あんまり興味無いし」

 

 「……私は、良いと思うけどなぁ……『正義の味方』」

 

 「……父さんだってなった訳じゃない。父さんもなれなかったのに、僕がなれる訳……」

 

 

 実際、自分がもしそうなれたら、自分の眼前に広がる世界はどう映るだろうか。

 困っている人間なんて腐る程いる。そんな彼ら全員を助ける事なんて不可能で、自分にとって都合の良い人を優先して助けてしまうかもしれない。

 私情混ざりの不完全な存在。それはきっと、『正義の味方』なんかじゃない。

 誰の為の『正義』か、その答えなど、分かる筈もない。

 

 

 それに、自分は他の人とは違う存在だと思っていた。

 決して痛い発言などではなく、本気でそう思っていた。

 昔から、人間関係が長続きした試しが無かったのだ。友達が出来たと思えば、すぐに離れていってしまう。

 それは事故だったり、転校だったり。

 いつしか自分は、そういう呪いにかけられた人間なのだと感じていた。だから、極端に人を避けていた。

 そんな自分が、そんな存在になれる筈も無い。そう決めつけていた。

 きっと、目の前にいる彼女とだって、いつか別れる日が必ず来るのだ。

 

 

 「じゃあどうしたら『正義の味方』になった事になるの?」

 

 「え…?」

 

 「そーゆーのって、助けて貰った側が決める事じゃない?」

 

 

 自身の目が見開くのを感じる。彼女はブランコに揺れながら、こちらを見つめていた。

 その答えだって、自分が知る訳も無い。

 だけど、その答えは、自分が一番知りたい事だったかもしれない。

 どうして、こうもそんな事を気にするのだろう。

『正義の味方』なんて、露ほどの興味無いというのに。

 父親の道を、自分が辿るような事など、する筈も無いのに。

 

 それに、そんな言葉は嫌いだった。

『正義』だなんて、あまりにもいい加減で、あまりにも曖昧で、あまりにも自分勝手で、あまりにも無責任な言葉に聞こえたから。

 だからこそ、自分の口からそんな言葉は決して吐かない。

 いつだって、その存在を濁して言っていた。

 

『正義の味方』ではなく、『ヒーロー』と。

 

 彼らは似てるようで、違う存在に見えたから。

『正義』なんて曖昧な単語に流されるくらいなら、『ヒーロー』に頼りたかった。

 その方が楽だったのかもしれない。

 父親からかつての夢を聞かされてから、興味なんて無いものにここまで悩まされ、今も尚彼女にそんな話を聞かされている。

 

『正義の味方』は、その誰しも持っている異なる『正義』の為に、悩みながらも行動する存在に見えて、酷く痛々しくて。

 

 だけど『ヒーロー』なら、何でも救ってしまえるような気がしてた。

『正義』なんて言葉は要らない。救いたいと思えば、救おうとしてしまう。そんな優しい存在。

 そんな存在になれたら────

 

 

 「……そう、だね」

 

 

 ああ、そうか。

 

 

 「……夢、決まったかも」

 

 「え、ホント?作文書ける?」

 

 「分かんないけど、自分なりに書いてみるよ」

 

 

 そう答えると、彼女は途端に笑顔になる。そのブランコを大きく揺らし、その場から飛んで、地面に着地した。

 先程まで話をしていた事は、どうでも良くなったのか、そう感じるくらいに彼女は笑ってこちらを見つめていた。

 

 

 「…よく分かんないけど、見つかったならこうしてられないね。帰って作文書かなきゃ」

 

 「あ、うん。…ありがとう」

 

 「ど……どう、いたしまして」

 

 

 素直にそう言葉にすると、彼女はサッと顔を逸らす。

 帰り道は公園を出ればそれぞれ違う。自分の前を歩く彼女の背中を、黙って見つめながら歩く。

 その巨大な噴水が、水飛沫をあげていて、いつもの時間になったのだと実感する。

 まるで、現実の世界に引き戻されたように。

 彼女のその背に、思わず声をかける。

 

 

 「ね、ねぇ」

 

 「?どうかした?」

 

 「あの、さ。将来の夢、聞いてもいい?」

 

 

 自分は伝えていないのに、彼女に聞こうなんて虫が良すぎるだろうか。

 だけど彼女は一瞬キョトンとするだけで、やがて笑顔で口を開いた。

 

 

 「私の夢は───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「……」

 

 

 その重い瞼をゆっくりと開く。

 影から差し込む光に、思わず目を瞑る。次第に慣れたのか、その瞳を再びゆっくりと開ける。

 そこはいつもの部屋とは違う天井の色。いや、天井ではない。

 アキトは今、木の上にいた。

 どうやら眠ってしまっていたようだった。それも木の上で。目の前に映るのは、自身よりも高い位置にある木の枝、そこから生える緑達だった。

 

 76層の街<アークソフィア>

 75層よりも下に下りられない攻略組達が現在拠点としている街、その広場の外れにある木々の一本。

 アキトはそこに横になっていた。

 そこから見えるのは人が行き交う仮想の街並み、広場の噴水には人が集まり、出店の食べ物を手に取るものもいた。

 それを見ると、平和そのものを体現しているように見えた。この世界に閉じ込められているという危機感が、薄れている事が顕著に表れていて、人々の適応力に驚かされる。

 勿論、それは自分にも当てはまる。帰りたいと、そんな思いは、時間が経つにつれ薄れていく。

 時間は残されていなくとも、彼らはあまりそれを気にしていないように見えてならない。

 どうせ助からないと諦めているのか、きっと攻略組がなんとかしてくれると、そう決めつけて、勝手に期待を押し付けているのか。

 

 なんとも無責任な事だと思った。

 そして、それと同時に思い出した。無責任な、もう一つの言葉。

 

 

 「……夢、か」

 

 

 ずっと昔の、どこか別の世界の夢。いつかの記憶そのもので、あの時から、自分は何かを目指していて。何かに縋るのをやめた。

 だけど、目指したものになろうと努力した事は、この世界に来てしまうまで無かった。

『あんな事』があったから、なんていうのは言い訳で、どこか虚無感のような、倦怠期のような、反抗期のような、そんな感覚があったのだと、今にして思う。

 自分が夢を見つけたと言って、彼女はあれ程喜んでくれたのに、自分はその努力を何一つして来なかった。

 もう後悔はしないと決めた。この世界で色々あって、そう誓ったのだ。

 だからこそ、この世界に来る前に作ってしまった『後悔』は、今も尚この胸に残っていた。

 

 

『──、───────』

 

 

 「何だっけ……本当に」

 

 

 父に教えて貰った、強くなる為のおまじない。

 眉唾ものではあったし、その上、昔のアニメの主人公のセリフで、決して父親のものではなかったけれど。

 初めて父親に何かを授けて貰ったような、そんな気がしてた。

 その言葉はノイズがかかって上手く聞き取れず、思い出せない。

 その瞳を手で軽く抑え、やがて離す。

 そんな事を思い出して、何かが変わる訳ではないのに。

 アキトは再び、その瞳を閉じた。

 

 

 すると、下に生える草原を踏み締める音が聞こえた。

 段々とこちらに近付いて来るのが分かる。その風が、アキトにそう教えてくれる。

 アキトはその瞳を開き、木の上で横になった状態で、音のする方へと視線を下ろした。

 

 

 「……こんな場所で何してるのよ」

 

 「……お前こそ何しに来たんだよ」

 

 

 そこにいたのは、アスナだった。

 紅と白を貴重としたユニフォームで全身を覆い、腰には細剣<ランベントライト>が備えられている。

 綺麗な栗色の長髪は、そよ風に撫でられ、ふわりと浮かんでいた。

 そんな彼女は、こちらを見上げてその顔を不機嫌にも似たものに変えた。

 

 

 「……ボス部屋が見つかったの。明日には討伐隊が組まれると思う」

 

 「聞いた、知ってる」

 

 「なら、どうして会議に出ないのよ」

 

 「情報なんて殆どゼロだろ。今後のボス部屋では結晶アイテムは使えねぇし、一度入れば出られない。ドア開けた時点で目の前にボスがいなきゃ、見た目だって分からねぇ。話す事なんてたかが知れてるだろ」

 

 

 アキトはそう吐き捨てると、その瞳を閉じる。この皮肉屋を演じるのも段々慣れてきた。

 もう自分が攻略組を鼓舞するような事は必要ではなくなるかもしれない。

 アスナはこうして、攻略をする事に決めたのだから。

 

 

 「攻略は自由だけど、会議には参加して」

 

 「俺がいてもいなくても関係無いだろ。こんな日に迷宮区に潜るのも勿体無いしな」

 

 「っ……」

 

 

 前にも、何処かで聞いたような発言に、アスナの心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 それを強引に振り払い、アスナは変わらず彼を見上げる。

 アキトはそれを見てフッと嘲笑うかのような表情を浮かべた。

 

 

 「それで?お前は説教する為にここまで来た訳だ。閃光様は真面目だな」

 

 「……ずっと思ってたんだけど、その閃光って言うのやめて。私はアスナよ」

 

 「よせよ、気持ち悪い。お前は閃光、それ以外は呼ばない」

 

 

 アキトは彼らの名前をあまり呼びたくはなかった。

 名前を呼ぶ度に、彼らとの距離が近付くのを嫌でも感じてしまう。一緒にいると、決意したその意志が揺らいでしまう気がしてしまう。

 境界線、線引きは必要だ。

 アキトは、真下まで歩み寄って来たアスナを無視して、上を見上げた。

 そんな彼を見つめて、アスナは口を開いた。

 

 

 「……心配、したのよ」

 

 「要らん心配だ、それは」

 

 「……クラインに聞いたの、昨日の事」

 

  「っ……」

 

 

 その言葉で、アキトは息を呑んだ。

 昨日、つまるところそれは、《ホロウ・エリア》での出来事に他ならない。

 エリアボスを討伐し、管理区に戻るその道中、集団PKを見つけた事。

 その体が持つステータスの全てを使っても、そのプレイヤーを救う事が出来なかった事。

 そんな自分の無力さに、思わず涙した事。

 そんな姿を、フィリアとクラインに見せてしまった事。

 失態は沢山あって、後悔も多々あった。弱い部分は決して見せないと誓ったその口で、また自分に嘘を吐いた。

 二人に自身の心の内を、覗き見られた気分がした。見せたのは、他の誰でも無い、紛れもなく自分自身。

 

 

 「……殺されたプレイヤーに付与されてた状態異常の話も聞いたわ。出血に、麻痺がかけられていたんでしょ……?」

 

 「……」

 

 

 アスナは顔を俯かせ、その拳を強く握る。その雰囲気は、怒りを孕んでいるように見えた。

 

 

 「……バッドステータスで動きを封じて人を殺すやり方……私は、よく知ってる……もしかしたら……」

 

 

 アキトも、大体察しが付いていた。

 殺人ギルド<ラフィン・コフィン>、通称<ラフコフ>。嘲笑うような顔のある棺桶がギルドマークのその集団は、殺人を厭わない。

 ゲームオーバー=死であるSAOに於いて、積極的にPKを行う殺人者達の集うそのギルドは、多くの一般プレイヤーにとって恐怖の対象である。

 人を殺す事に快楽を求める彼らは、ただ殺人をするだけでは無く、バッドステータス、状態異常を付与し、死の恐怖に怯えるプレイヤーの蹂躙を何よりの楽しみにしている。

 攻略組が以前、討伐隊を編成して彼らを捕縛するという行為に及び、結果ラフコフに壊滅的な打撃を与える事が出来た。勿論犠牲は少なくなかった上、リーダーであるPoHは姿をくらましている。

 それを考えると、《ホロウ・エリア》にいたあの集団がラフコフの残党である確率は高い。絶対に無いとは言い切れない。

 あの討伐隊には、キリトだけでなく、アスナもいたのだ。だからこそ、今自分の真下で、その怒りに満ちている。

 

 

 やがてアスナはその握り拳を解き、フッと溜め息を吐いた。

 腕は力無く降ろされ、顔は未だに俯いたまま。

 キリトを失ったアスナにとって、『死』という単語に敏感なのは仕方が無いと思うし、無理も無いと思った。

 キリトの死も、結局は茅場の責任になってしまう。そういう意味でも、キリトは人に殺された事になるから。

 人の死を軽く見るラフコフは、決して許せる存在ではない。

 

 

 「……どうして、犯罪をする人がこんなに多いのかな」

 

 「んなもん、聞くまでもねぇだろ」

 

 

 アスナのその問いは、ある意味世界の真理でもある。それは仮想世界も現実の世界も同じ。どの世界にいたって、人のする事は同じなのだ。

 

 

 「自分の欲望を叶えるのに一番効率が良いのが、世間一般に悪と認識される行為だからだ」

 

 

 金が欲しいなら、盗めばいい。

 嫌いな人がいれば、殺せばいい。

 そうやって突き詰めて考えてしまう極端な人間が、この世界には多く存在しているから。

 人の欲と言うものは、場合によるが、悪と直結してる事が多いのだ。それが一番手っ取り早く、自身の欲を満たす事が出来るから。

 では何故そんな事をする者が絶えないのか。

 その欲望の大半は、悪を成すことで実現出来てしまうから。

 金は盗む、物は壊す、女は犯す、人は殺す。人の意思を捻じ曲げる行為は悪とみなされてしまう。

 そんな事をしてしまう理由はたった一つ。

 人は皆、強欲だから。

 周りが、社会が、世界が、自分の思い通りにならないから。気に入らない事を受け入れる忍耐が、人には足らないから。

 このゲームでの事象は全て茅場の責任へと変わる。故にこの世界では、人の欲が顕著に現れるのだ。

 

 

 道徳的な、人道的なプレイヤーの方が少ないのかもしれない。

 だからこそ、アキトは父親の言葉に納得がいかなかった。

 

 

『どんな人にだって、自分の掲げる正義がある』

 

 

(……殺人をしてまで掲げる正義って、何なんだよ……)

 

 

 彼らの殺人という行いは、世間では悪とされる行為だ。

 命を奪う事など、どんな理由があっても素直に受け入れる事は難しい。

 大切な人が殺されたら、決して許せる事など無い。殺人者の言う事など、妄言にしか感じない。

 そんな彼らの貫きたい『正義』とは、本当に守らなければいけないものなのだろうか。

 それは、世界を捻じ曲げてでも貫かなければならない道理なのだろうか。

 何が『正義』か分からない。

 だから、『正義の味方』なんて言葉は好きじゃなかった。

 

 

 

 「アキト君、凄い辛そうだったってクラインから聞いたから……その……」

 

 「……」

 

 

 アスナは何かを言おうとして、その口を開いたり閉じたりしていた。

 何を聞きたいのかは分かる。取り乱した理由、自身の過去に近しいもの。

 躊躇いがちなその様子を見て、本気で心配してくれているのが分かる。

 だけど、それはきっと自身に向けられたものでは無い。これまでのお詫びか、それともお礼。

 それとも、キリトに似ているから?

 アキトは深く溜め息を吐くと、そこから起き上がり、その木から飛び降りた。

 着地したすぐ横で、アスナが目を丸くしている。そんな彼女を見て、アキトは口を開いた。

 

 

 「…お前には、関係無いだろ」

 

 「っ…そんな事ないっ、アキト君は私達の…」

 

 「違う」

 

 

『仲間』だなんて言わせない。言ったら最後、戻れなくなる気がした。

 アスナのその言葉を遮ってでも、この意志だけは貫き通さなければならない。

 自分の仲間、そして、アスナの仲間の分別は。

 アキトのその即答に、アスナの体は強ばった。ビクリと震え、アキトの言葉の続きを、黙ったまま待っていた。

 

 

 「お前らと俺は、協力関係だ。利害の一致、合理的な協定の元に集まった集団だ。それが攻略組だっただろ」

 

 「そんな事っ…」

 

 「初めはそうだっただろ。……最初から最後まで、本当はそう在らなきゃいけなかったんだ」

 

 

 形あるものは、いつか失う。この世界でのそれは、現実世界よりシビアで、とても脆いもの。

 アイテムだけじゃない、人間関係もその一つ。

 崩れる未来が確立しているなら、想いを伝えても、長くは続かない。

 決して無駄なんて事は無い。その関係は、どの世界でも大切にあるべきものだ。

 だけど、きっとそれは正しい事で、間違った事でもある。

 

 人と人との別れは、どの世界でも唐突だ。別れは誰にでもある。思いもよらないタイミングで、突然で、だけどそれは必然で。

 それは、自分達だけではどうにもならない時が必ずある。どんなにお互いの距離が近くとも、どんなにお互いがそれを拒絶しても、それを避ける事が出来ない時がある。

 片方がどれだけ相手を思っていても、その未来は必ず訪れる。それは自然の摂理にも似た自明の理、どんなに抗おうとも、世界がそれを許さない時がある。

 アキトも、アスナもきっとその一人だった。

 

 あんな思いは、誰だって拒みたい。そんな目に合わせたくないと、そう強く思ってしまう。

 繋がれば繋がるほどに、アキトがアスナに近付く程に、その思いは強くなる。

 彼らと共にいる事で、きっといつか不幸になる。

 本当は完全に拒絶出来れば良いのに、それが出来ない自分にも嫌気がさす。

 自分の持つ優しさに、要らないと感じた感情が、そんな行動を阻害する。

 彼女のしている事は決して間違っていない。だけど、正しい事だと言いたくない。

 

 

 「……失ったら、辛いだろ」

 

 「っ…アキト、君…」

 

 

 顔を伏せて呟くその言葉は、アキトの本音だった。

 強がっても、演じていても、偽っていても、これがアキトの気持ちだった。

 目の前の彼女を失いたくないと、本気で思ってる。

 キリトの大切な人で、何度も何度も傷付いた彼女を、これ以上、自身の都合で傷付けたくなくて。

 そしてその顔は、大切な人を失った事のある表情だと、アスナは無意識に感じていた。

 

 

 「……でも、それでも私は、誰かと関わる事を、もう拒んだりしないって決めたの」

 

 

 その真っ直ぐな瞳は、アキト一人を見つめていた。それは、キリトが死んでからずっと人との関わりを避けてきたアスナの、改心の言葉だった。

 アキトはその目に見て、心が揺れ動くのを感じる。

 

 

 「君が教えてくれたんだよ?後悔の無い選択が正解だって」

 

 「……進んだ先全てが、茨かもしれない」

 

 「それでも…キリト君も、進んだ道だから。だから……」

 

 

 キリトは過去にあった出来事で、人との関わりを避けていた。

 だけど、決して誰かを見捨てたりはしなかったのだ。困っている人を助けようとその身を投げ出して、必ずその手を差し伸べてくれる人。

 それはきっと、サチという一人の少女のおかげでもある。あの日、記録結晶で聞いた事が全てだった。

 そんな彼の隣りに立ちたいと願ったのだ。

 そんな人になりたいと、そう願ったのだ。

 だからこそ、アスナはこの道を行きたい、生きたいと思う。

 キリトも進んだ、この道を。

 

 目の前の、かつての想い人に似た、黒の剣士を放っておけなかった。

 それは、キリトと同じ道を歩むと決めたからというだけじゃない。お礼やお詫びもあるが、それも核心的な理由では無かった。

 アキトの事を知りたくて、力になりたいと願った、この気持ちに嘘は無かったのだ。

 

 

 「……強いな」

 

 「え……?」

 

 

 アキトは小さくそう呟いた。その言葉が、アスナの耳に届く事は無かった。

 本当に、どいつもこいつもキリトみたいで。彼のように輝いている。

 アキトには、眩しすぎた。

 関係無いとは言えても、関わるなと言えない自分が悔しかった。

 だけど、そんなアスナに当てられて、何も言う気にはならなかった。

 彼らが近付いて来たって構わない。こちらから近づかなければ良いだけなのだから。

 アキトはアスナに背を向けて歩き出した。

 

 

 「……この話は終わりだ。俺はもう行く」

 

 「ど、どこに……?」

 

 「明日ボス戦なんだろ。レベリング」

 

 「っ…私も行くわ」

 

 「報告なんか要らねぇよ。行きたきゃ行けば」

 

 「……パーティを組もうって言ってるんだけど……」

 

 「言ってねぇだろ、今初めて聞いたわ」

 

 

 アキトとアスナは二人並び立ち、転移門へと足を運んでいく。かつての蟠りが、どこかへ飛んでいってしまったかのようで。

 キリトの仲間達は、皆優しい。こんな意味不明な男を見捨てようとせず、常に自分達の輪に入れようとしてくれる。

 アスナだって、どれだけ拒もうとアキトに関わろうとしてきてくれて。

 

 こんな言い合いだって、する日が来るだなんて思わなかった。

 シリカを初対面で泣かせてしまうとは思わなかった。

 リズベットと喧嘩して、仲直りをするような関係になるとは思わなかった。

 リーファとは、そもそもSAOで会えるとは思わなかった。

 シノンの戦闘訓練に付き合うだなんて思わなかった。

 クラインに自分の料理を振る舞うなんて思わなかった。

 エギルの入れたココアやコーヒーが、気に入るとは思わなかった。

 ユイにあれ程懐かれるとは思わなかった。

 ストレアとあんな出会いをするなんて思わなかった。

 フィリアとの攻略が心のどこかで楽しく感じていただなんて思わなかった。

 

 アスナが、キリトのように生きると決めた、その意志の変化が、どうしようもなく嬉しかった。

 

 

 彼らを死なせたくないと、本気で思っている。

 守りたいもの全てを手にする力を、ずっとどこかで求めてた。

 同じような事を繰り返したくなくて、関わりを持ちたくなくて。

 

 

 でも、答えなど、もうとっくに決まっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分はずっと、キリトのような『ヒーロー』になりたかったのだと。

 




次回「80層到達パーティ」

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