ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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おまたせです。

何度も言いますが、どれだけ面白くなくとも、どれだけ時間がかかろうとも、決して逃走も凍結もしません!
この話に限っては、必ず完結させると誓います!

今回も分かりにくいですはい。
目覚めた後の話が中々に難しくて……納得のいかない部分は各々の脳内補完という事で……
ではどうぞ。




Ep.70 狂う歯車

 

 

 

 

 その閉ざされた空間の中心に立っているのは、一人の黒の剣士。

 世界に望まれ、顕現した希望の勇者。

 けれど、その心は。

 

 まるで夢心地。

 

 その場に立っているのは、自分の筈なのに、どこか落ち着かなくて。

 その身体を動かしているのは、自分ではなく他の『誰か』で。

 

 その手には、真紅と漆黒の剣。

 

 翻すは黒いコート。

 

 その瞳は青と黒。

 

 周りには、地に伏せ、こちらを見上げる期待の眼差し。

 凡そ自分に向けられる筈の無い、縋るような瞳。

 自分の立場が、居場所が、世界が、一瞬で変わった気がした。

 

 そのたった一人の『誰か』の登場によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 目を覚まして最初に映るのが見知った天井である事の安心感。

 アキトはその天井を、何を考えるでも無く、ぼんやりと見つめた。

 静寂に包まれ、どこか肌寒さを感じる自身の部屋に、小さな呼吸音が籠る。

 

 

 「……俺は……」

 

 

 次第にここに居る理由を思い出す。記憶が鮮明になり、その瞳は段々と見開いていく。

 思い出されるのは、フロアボスとの戦闘。骸の王の攻撃で死にゆくプレイヤー達と、瀕死の彼らの前に立ちはだかる、金髪の妖精の背中。

 

 そして────

 

 

 「……どう、なったんだ……?」

 

 

 そこからの記憶が途絶えていた。

 未だ仰向けの状態で見上げる天井。そして、そこから視界を窓に向ける。

 夕暮れを通り越し、もはや夜に差し掛かっていた。

 視界は既にクリアになっており、辺りのものは明確に見えるようになっていた。

 

 だからこそ、心臓の高鳴る音が聞こえる。

 自身の記憶が無い事の困惑よりも、ボス戦の結果と、みんなの安否が気になり、段々と焦りを覚えていた。

 自分がここに居るという事は、ボスの討伐自体は成功したのだろうが、あの強固な防御力と、凄まじい攻撃力、加えてHPもかなり残っていた筈だ。

 リーファが骸の王に対峙したところからの記憶が曖昧だが、その後で誰かが死んだ可能性だってある。

 その瞳が揺れ、呼吸が荒れるのを感じる。

 

 

 みんなは、どうなった?

 自分は、どのくらい眠ってた?

 

 

 「っ……」

 

 

 唐突に頭に痛みが走る。どうにか抑え、その痛みに耐える。

 その間、知らない光景が一瞬過ぎる。見た事の無い動きをする自分の姿が見えた気がした。

 

 

 「……何なんだ……ん?」

 

 

 右手で頭を抑えていると、逆の手、というか逆の腕が動かないのを感じる。

 まるで何かに固定されている様だった。

 アキトは上体をほんの少しだけ起こし、その左腕を見る。

 

 

 「え、なっ……!?」

 

 

 そこには、自分の腕を抱えて眠る、ユイの姿があった。

 きゅっと力を小さく込めて、アキトのその腕に自身の身体をピッタリとくっ付けていて、その手はアキトの左手を握っていた。

 所謂『恋人繋ぎ』である。

 

 アキトは途端に目を見開き、思わず声が出そうになるのをどうにか右の手で抑え、大きく息を吐く。

 そして、ゆっくりとユイの顔を見下ろした。

 かなり深い眠りに付いているのか、少し揺すっても全く目を覚ます気配が無い。

 相当疲れているのか、それとも、かなり心配させたのだろうか。

 それも当然なのかもしれない。

 自分の攻略の時の記憶が途中から無いのは、もしかしたらモンスターの攻撃で気を失ったからなのかもしれない。もしそうなら、ここで眠っていたのも、ユイがここに居るのも、なんとなく辻褄が合う気がした。

 要は、心配させたのだろう。

 

 

 「……ゴメンな、ユイちゃん……」

 

 「んんっ……あぃと、さん……」

 

 

 寝言でアキトの名前を、呂律の回らない口で溢すユイ。

 そんな彼女に、アキトは小さく笑った。

 彼女がこの様子なら、もしかしたらみんな無事なのかもしれない。

 やはり、キリトの仲間達は、みんな強いのだなと、納得もしたし、どこか虚しかった。

 

 ユイが起きないように、ゆっくりと身体をユイと切り離し、ユイをベッドの中心へと寝かせる。

 やはり起きる事無く一定のリズムで呼吸するユイの寝顔を確認すると、アキトは静かにその部屋をあとにした。

 

 扉を閉め、1階への階段へと向かう。

 この曖昧な記憶の辻褄を合わせる為に、下にいるであろういつものメンバーに話を聞かなければと、無意識にその足が向かっていた。

 ズキズキと、未だに痛む頭をガシガシと掻き、どうにか痛みを振り払う。

 ゆっくりとだが、その階段を下りて、下へと向かう。

 

 

 みんなは無事だろうか。

 生きて、笑っているだろうか。

 それだけが望みで、それ以外は何もいらない。

 どうか、みんな生きて────

 

 

 「っ……」

 

 

 そして、そこにはいつものメンバーがいた。

 

 

 その事実に、アキトは途轍もない安心感を抱くが、すぐにその違和感に気付く。

 彼らのその雰囲気は、どこか暗い。アキトは首を傾げ、それでもそのまま下へと下りていく。

 階段から音が聞こえ、彼らはみんな、その方向へと視線を向ける。

 アキトを見た瞬間、その瞳が見開いた。

 アスナも、シリカも、リズベットも、クラインも、エギルも。

 リーファとシノンでさえ。

 各々が似たような表情を作っており、誰もがアキトから視線を外さない。

 アキトはそんな彼らに居心地の悪さを感じながら、いつものカウンターへと向かう。

 その瞬間、背中から声をかけられた。

 

 

 「ア……キ、ト……?」

 

 「……何だよ」

 

 

 震えるような声を絞り出すリズベットに、面倒くさそうに振り向くアキト。

 だが、彼女のその表情は、何かを聞きたがっているような、それでいて困惑しているような、そんなものだった。

 リズベットは何も言わずにその視線を右往左往させていた。そんな彼女の背中から、栗色の少女が立ち上がった。

 

 

 「……アキト君、なんだよね……?」

 

 「……何だよ、その質問」

 

 「っ……う、ううん……ユイちゃんは?」

 

 「部屋で寝かせてる。何で俺の部屋に居たんだよ」

 

 「離れたくないって言うから……」

 

 

 アスナは口を閉ざし、その視線を下ろす。

 アキトは知らないが、自分をここまで運んで来た時のユイの反応は凄まじいものだった。

 状態異常でもないのに気絶したまま目を覚まさないアキトに、ユイは終始大泣きしていた。アキトの側を片時も離れないその姿は、見るに耐えないものだった。おまけに彼の気絶も原因不明、不安が募るのも当然だった。

 

 だがアキトはそれよりも、そんな彼女達の不可解な行動と表情に眉を顰めていた。

 何とも言えない雰囲気が、辺りを漂う。

 

 

(……何だ、この雰囲気……)

 

 

 特にリーファからは、途轍もない視線を感じる。

 終始睨み付けているような、そんなイメージだ。決してそうではないのだろうが、その視線に、悪い意味で熱っぽさを感じた。

 アキトは困惑しながらも、エギルが向こう側にいるカウンター席へと腰掛ける。

 クラインが近寄り、アキトと一つ離した席へと腰掛けた。そんな彼の顔も、リズベットやアスナと何ら変わらなかった。

 

 

 「お、おいアキト、お前ぇ、もう大丈夫なのかよ?」

 

 「何が?」

 

 「何がって……体調とかよぉ……その、いきなりぶっ倒れるもんだからビックリしたっつーの」

 

 

 クラインはしどろもどろにそう呟く。

 要領を得ないその話し方に、少しばかりの不信感を覚える。

 

 

 「そりゃ悪かったな。で、倒れた原因は?」

 

 「んなもん俺に分かるわけ無えだろ。ボス倒した後、すぐだもんよ」

 

 「……ボスを、倒した……後?」

 

 

 クラインのその発言を、アキトは聞き流せなかった。

 彼の言った事を鵜呑みにするならば、自分はボスが倒されるその瞬間までは意識を保っていた事になるからだ。

 だが、アキトが覚えているのは、攻略組のプレイヤー達が地面に伏せる中、一人、ボスに向かってリーファが対峙するところまでで、ボスの倒された瞬間は全く記憶に無かったからだ。

 

 クラインを見たまま固まっていると、周りが心配そうにアキトを見つめていた。

 そんな中、彼の様子に気付いたシノンが、眉を顰めて、その口を動かした。

 その言葉は、アキトにとっては理解出来ない事だった。

 

 

 「……何聞き返してるのよ。アンタが倒したんじゃない」

 

 「……俺、が……?」

 

 

 その瞳を見開いて、アキトは驚きの声を上げる。

 彼女のその言動の何一つを理解出来ない。シノンの言った事実が、アキトの記憶には無かったから。

 それが、物凄く怖くて、背筋が凍る思いで。

 

 

 「覚えて……無い、んですか……?」

 

 

 アキトのその様子に、シリカは察したように問い掛ける。

 頭にフェザーリドラを乗せた彼女に、アキトは震えるように顔を向ける。

 彼女達が何を言っているのか、その記憶すら無いアキトは、途端に慌てる。

 分からない、怖い、そんな気持ちがアキトを襲う。

 

 

 「い、いや……覚えてないも何も……俺は倒れたって……」

 

 「……だから、ボスを倒した後に倒れたのよ」

 

 「ち、違う、俺はボスに一対一で向かうリーファを見た後に倒れて……大体、ボスを俺が倒した……?冗談だろ、死者が出る程の強さだったんだぞ……!そんな訳……」

 

 

 そう言いかけて、その言葉を止める。

 その身体は動きを止めて、その瞳には、こちらを見る彼らの姿が映っていた。

 彼らの目は、アキトを捉えているようで、違う何かを見ているように思えた。

 アキトを、自分自身を、誰も見ていない。そんな気がした。

 皆がこちらを見つめる中、アスナが顔を伏せ、ポツリと口を開いた。

 

 

 「……アキト君が倒したのよ」

 

 「っ……」

 

 

 まるで図ったかの様に、皆がアキトを功労者として称えているかの様に見える。けれど、誰一人、アキト自身を見ていない。

 アキトには、それが分かっていた。

 彼らの言っている事は、あまりにも不可思議だったからこそ、納得いかない。あの強敵を、自分一人で倒せる道理など無い。

 

 

 「……だから、あのボスが相手で、一人で倒せるわけが────」

 

 

 

 

 「二刀流」

 

 「……!」

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 アスナの口から溢れたその単語に、アキトは固まった。

 瞳孔が開き、アスナから視線を逸らせない。

 何故、そんな単語が彼女の口から────

 

 

 「二刀流、使ったじゃない……キリト君と、同じ……」

 

 「っ……!?」

 

 

 驚きの連続で、声も出なかった。

 咄嗟に周りを見るも、誰もが似たような反応をしていた。目を逸らしたり、アスナに同調するように、その瞳をアキトに向けている者もいて。

 そんな彼らを見て、アキトは動揺を隠せない。

 

 

 「な、何だよそれ……俺は、知らないぞ、そんなの……」

 

 「アキト……アンタ、本当に何も覚えてないの……?」

 

 

 アキトのその真に迫る動揺振りに、リズベットが思わずそう問い掛ける。

 本当に何も知らない、そんな風に彼らには見えていた。

 けれど、それで納得がいかないのも事実。

 アキトが使った二刀流に、漂わせていたその雰囲気。戦い方の何もかもが、あの時は違い過ぎていた。

 

 

 「……何も、覚えてない……何も、知らない……」

 

 

 だから、彼の言動は、納得はいかなくとも、受け入れるしかないものだし、本当の事なのだと、そう思った。

 

 

 彼女以外は。

 

 

 

 

 「……嘘だよ……」

 

 

 その声の先にいた少女に、一斉に視線が集まる。

 そこには、わなわなと身体を震わせ、俯くリーファの姿があった。

 

 

 「……リーファ?」

 

 

 誰かが、ポツリとそう溢す。

 様子のおかしい彼女に近付く中、それでもリーファは言葉を放つ。

 

 

 「だって……あの時……!」

 

 

 必死に声を絞り出すその様は、あまりにも脆くて。

 アキトを見上げるその表情は、縋るように、期待するように。

 

 

 それでいて、涙で濡れていた。

 

 

 「あたしの名前、呼んだじゃないっ!」

 

 「名、前……?」

 

 

 どうにかそう聞き返すアキト。

 これ以上に情報を頭に入れると、おかしくなりそうだった。

 けれど、リーファのその言葉の意味を、必死になって探すアキトがいた。

 周りが驚き、焦る中、それでもリーファは言葉を続けた。

 

 

 「あたしのっ……本当の名前……『直葉』って、そう言ったじゃない!」

 

 「リーファ……」

 

 「ちょっと、落ち着きなさいって……」

 

 

 取り乱すリーファを宥めようと、彼女に寄り添う仲間達。

 変わらずこちらを見るリーファの瞳を、アキトは直視出来なかった。

 カウンター越しのエギルが、アキトを見下ろし、躊躇いがちに問い出した。

 

 

 「……お前さん、リーファと現実でも知り合いなのか?」

 

 「……いや」

 

 

 アキトは、リーファを見てそう答える。

『直葉』というのが、彼女の本名で、それを自分が呼んだ?

 最早意味が分からないとか、そういう次元の話では無くなって来ていた。

 リーファの事など、アキトは何も知らない。

 

 

 

 

 知らない筈。

 

 なのに。

 

 自分は、目の前の彼女を。

 

 

 

 

 桐ヶ谷直葉(・・・・・)を知っていて。

 

 

 

 

 「ぐっ……!?」

 

 

 

 

 『スグ……直葉ああぁぁあぁああ!!!!』

 

 

 

 

 知らない記憶が、頭に飛び込む。

 じわりじわりと、侵食していく。その頭の痛みに目を細めても、何一つ変わってはくれなくて。

 その目の前に広がるのは、キリトの仲間達、その、疑惑と期待の視線のみで。

 

 

 何だ。

 何なのだ、これは。

 

 

 「アキト……アンタ、何か隠してるんじゃないの……?」

 

 

 彼女達の、自身を見るその目が。

 笑顔を見せてくれていた筈のその表情が。

 優しい言葉をかけてくれた筈のその言動と態度が。

 何もかもがいつもと違っていて。

 

 

 目が覚めたら、まるで知らない世界で。

 アキト自身を取り巻く環境の全てが変わったような気がして。

 

 

 誰一人として、アキトを見ていないような気がして。

 そこに、自分はいないような気がした。

 

 

 

 

 「知らないって言ってるだろ!!」

 

 

 

 

 恐怖でどうにかなりそうだった。

 大声でそれを誤魔化すかのようで。

 ビクリと震える彼らのその反応も、アキトの知らないものだった。

 

 

 「っ……」

 

 

 誰もが、他人のようだった。

 知らない人を見るかのような視線、いつも向けられていた温かいものとは大違いで、焦燥と恐怖が拭えない。

 目が覚めたら、まるで違う世界。

 初めから自分が存在しなかったかのようなその空間から、アキトはすぐさま逃げ出したかった。

 

 そして、それは行動に現れた。

 気が付けば、その身を翻し、店の外へと飛び出していた。

 

 

 「っ……アキト!」

 

 「アキト君、待って!」

 

 

 店から出来るだけ離れたくて、全力で地面を駆けた。

 段々と彼らの声が小さくなる中、アスナの声だけが大きく聞こえていた。

 自分を追い掛ける、その足音と呼吸音が聞こえる。

 こんなみっともない自分を、アスナに見られたくなかった。

 だが、どれだけ速く走ろうとも、それでもアスナは諦めず、追い掛ける事をやめなかった。

 

 

 結局、いつもの丘へとその足は進み、目の前には夕日が沈み、夜へと差し掛かる幻想的な光景が浮かんでいた。

 

 アキトの少し離れた場所に、アスナは立っていた。

 アキトは、それを見る事も無く、彼女に背を向けたまま、その景色を視界に収めていた。

 

 

 「……アキト君……」

 

 「……」

 

 

 なんて答えるのが正解なのか分からない。

 彼らの様子が、目覚めた時と違っていた理由が分からない。

 納得のいくような言葉を言わなければ、彼らには通じないのだろうか。

 彼らが何を求めて、何を期待していたのか、アキトには分からない。

 あの期待するような眼差しに、自分は映っていなかった。

 先程までのやり取りを思い出し、諦念を抱いたのか、溜め息を吐いた。

 

 

 「二刀流……使ったんだな……やっぱ……」

 

 

 思わず溢れた、不意の言動。

 その言葉に、アスナは瞬時に反応した。

 

 

 「……やっぱり、覚えてるの……?」

 

 「覚えてない……けど……」

 

 

 《二刀流》は、確かにこの手にあったから。

 アキトはウィンドウを開き、自分のスキルの中にある、《二刀流》という名前に視線を固定した。

 75層を越えた辺りで、いきなりスキル欄に現れたそれは、アキトを驚かせるには充分過ぎた。これが世界で唯一のもので、誰が保持していたのか、アキトが知らない筈が無かったからだ。

 自分の手にこれがある事実は、キリトに何かがあった事と同義だった。

 必死になって探して、そうして見つけたのがこの丘で。

 キリトの死の宣告を受け入れたのも、きっとその時で。

 

 

 これまでは、自分が正しいと、そう思っていた。

 だがアスナ達から『二刀流』と、その単語が出てしまったなら、認めるしかない。

 アキトは彼らの前で、二刀流を使った事が無い。だから、アキトがそのスキルを持っている事は誰も知らない筈なのだ。

 だからこそ、アスナ達からその単語が出たという事は、自分の記憶が間違っているという事に他ならない。

 到底信じられる事ではないが、アキトは、二刀流を使用し、86層のボスを倒したのだと、認めるしかなかった。

 

 覚えていないからこそ分からない。

 リーファのあの取り乱し様も、シリカやリズベットの縋るような視線も。

 クラインとエギルの躊躇いがちな表情も。

 

 今、自身の後ろに立つ、栗色の髪の少女の心持ちも。

 

 

 「……ありがとね、アキト君」

 

 「え……」

 

 

 アキトは、突然の感謝の言葉に、思わずアスナの方へと振り返る。

 だが、その顔は伏せられ、よく見えない。小さな、どこか無理しているような口元の笑みだけが見えていた。

 ゆっくりとこちらに近付き、影が重なる。やがて通り過ぎ、アキトよりも前へと、その足を踏み出していた。

 

 

 「……覚えてなくても、お礼を言いたくて。あの時、みんなを助けてくれた事……」

 

 「……」

 

 

 アスナは口元の笑みを消さず、その声はほんの少しだけ、震えていた。

 

 

 「あの時のアキト君、格好良かったよ。……まるでキリト君みたいでっ……!」

 

 「っ……」

 

 

 アキトに背を向けて、景色へと顔を向け続けるアスナの背中は、とても儚く見えた。

 振り向いた彼女は、無理して笑っているのが、何かを誤魔化しているのが、バレバレだった。

 そして、何かが、カチリと嵌った気がした。

 

 

 「……本当に……キリト君みたいで……」

 

 「ア、スナ……」

 

 

 その瞳からは、一筋の涙が。

 アキトは途端に目を見開き、動けずにいた。彼女の涙と、その言葉が、ただただ頭の中を過ぎる。

 静寂に包まれ、草原が波打つ。小さな風が頬を撫で、アスナの瞳からは、未だ涙は消えていなかった。

 

 

 「……けど、違うんだよね……?」

 

 「……」

 

 「……キリト君じゃ、ないんだよね……?」

 

 「……っ」

 

 「そう、なんだよね……?」

 

 「────」

 

 

 知ってしまった。

 理解してしまった。

 目が覚めた後の彼らが、いつもと違う様子だったその理由を。

 縋るような、期待するような眼差しを向けていたのも、覚えてないのかと執拗く聞かれたのも。

 自身ではない、誰かを見ているような、そんな感覚に陥った理由も。

 全部、何もかも、理解してしまった。

 

 彼らが自分を通して見ている『者』に。

 自分が、失った場所に、彼は嵌っていた。

 自身の内に侵食していく誰か。

 みんなは、その『誰か』を、ずっと待っていたのだ。

 

 

 誰もが、あの時は躊躇って口に出さなかっただけで。

 

 

 それが分かった瞬間、哀しみが心に押し寄せる。

 自分が大切にしていたものを、奪われるあの感覚。

 記憶が無いその間に、自分の大切なものを奪われた気がした。

 

 

 「……俺は、アキトだよ……」

 

 「っ……!」

 

 「お前らは、何処を……誰を見てんだよ……」

 

 

 怒りなどない。ただただ、悲しかった。

 他人の目なんか、関係無い筈だったのに。認めて欲しいと、そんな欲が出てきてしまった。

 今まで一緒にいたのは自分で、キリトじゃない。だから、今の自分をアキトとして見てもらうのは、傲慢だろうか。

 

 

 「お前が言ったんだろ……俺とキリトは違うって……」

 

 「ぁ……」

 

 「……悪かったな。本人じゃなくて」

 

 

 アキトはアスナに、自嘲気味に軽く笑ってみせた。

 フラフラと、アスナに背を向ける。アスナの伸ばした手は、届かない。

 一瞬だった。

 一瞬で、知らない世界へと変わった。記憶がなくて、目が覚めたら、そこには今までとは全く違う顔持ちの人達がいて。

 

 

 ────そして。

 

 

 自身の胸の中にいる、『誰か』を。

 アキトはようやく掴めた気がした。

 

 その『誰か』はたった1回の登場で、アキトの環境全てを狂わせ、奪っていった。

 いや、元々はきっと、彼のものだった。

 自分のものなんて、何一つ残ってなかったのだ。

 

 

 「奪ったのは……俺か……」

 

 

 自身の心臓をグッと握り、苦しげな表情で声を絞り出した。

 

 

 

 

 「……君なんだろ……キリト……」

 

 

 じわじわと身体に浸る正体に気付いたアキトは、儚げに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 宿へと向かうその足取りは、行きと違って重かった。

 俯くその瞳は、自身の栗色の前髪に隠れてよく見えない。

 

 

 「……」

 

 

 アキトがいなくなり、一人残ったアスナは、悲しげにその街灯に照らされた道を歩く。

 彼との会話の一つ一つを、思い出しながら。

 暗がりがどこまでも広がり、静寂に包まれる。いつもと違って、何故か人も少なく思えた。

 

 

『お前が言ったんだろ……俺とキリトは違うって……』

 

 

 なのに自分は、アキトにキリトを重ねていた。

 それどころか、きっと、アキトがキリトなら良いのにと、無意識にそう感じてしまっていたのかもしれない。

 それが、アキトにとってどれだけの傷になるかも知らないで。

 

 アキトは、たった一人。独りだった。

 攻略組の前に初めて現れた時も、そこからボス戦に参加した時も、先程の丘で眠っていた時もずっと。

 常に表示されているギルドマークは、まるで意味を成していなかった。

 アキト以外のギルドのメンバーを、自分達は見た事が無かったのだ。

 彼は常に孤独で、だからこそ、自分達といる事で見せる柔らかい表情が、とても価値あるものに思えていた。

 確かにキリトに似てはいるが、アキトはアキトで、また違う人間で、大切な仲間だと、確かにそう感じていた筈だった。

 彼の支えになりたいと思ったし、助けてくれた分、今度は自分がアキトを助ける番なのだと、そう思っていた。

 

 孤独な彼に、私達がいるよ、と。

 そう伝えたかった。そんな私は、彼を見ていなかった。

 

 自分は、先程の言動で彼をきっと傷付けた。

 ずっと自分達を助けてくれた人の名前を、自分は間違えて呼んでしまったのだ。

 諦め切れない、そんな想いがあったから。

 

 

 「……」

 

 

 何も口にせず、そのままエギルの店への扉を開く。

 リズベット達が、驚いた顔でこちらを見上げ、そして駆け寄って来た。

 見渡せばリーファが居なくなっており、ほんの少しだけ、空間が出来た気がした。

 近寄って来たリズベットは、心配そうにこちらを見た後、その顔を強ばらせていた。

 

 

 「おかえり。アキトは……って、ちょ、ちょっとアスナ……!?」

 

 「え……?」

 

 

 リズベットが慌てふためく様子を、アスナは不思議そうに眺める。

 その隣りで、シノンが辛そうに表情を歪め、アスナを見上げる。

 

 

 「……どうして泣いてるのよ……」

 

 「……ぁ」

 

 

 気が付けば、再び瞳から雫が溢れた。

 拭う事もせず、止まることも無く。

 リズベットとシノンが寄り添い、シリカが駆け寄る中、アキトの悲痛に歪めた表情だけが脳裏に浮かんでいた。

 

 

(……馬鹿みたい)

 

 

 ただ純粋に、アキトを傷付けたであろう自分達に、自分に腹が立った。

 自ら汚れ役を買って出て、顔も知らない人を身を投げ打ってでも助けに入って。

 そしていつでも救ってしまう、そんな彼への恩を、自分の願いのせいで仇として返してしまった。

 

 

 「アスナ、大丈夫……ほら、泣かないでよ……」

 

 「っ……ゴメン……」

 

 

 独り、寂しそうに笑う彼に伝えた言葉は全て、紛れも無くアキト自身に向けた言葉の筈だったのに。

 さっきの自分の言動で台無しにしてしまった。

 何もかもが、キリトに向けられた言葉なのだと、アキトは思ってしまっただろう。

 

 

 今まで伝えた、言葉全てが。

 アキトに伝えた筈の言葉が、全てキリトへ向けたものへと。

 

 

『大丈夫だよ。君の事は、私が───私達が、守るから』

 

 

『君は一人じゃないし、独りになんかさせない。私達は、いつだって君と一緒にいるから。だから、無理しなくても良いんだよ?』

 

 

『君にも、私達がいるから……もっと……もっと、頼ってよ……』

 

 

 アキトの為の言葉が。自分の気持ちが。

 全て、アキトの中に見えたキリトへの、無意識な言葉。

 

 

 私はアキト君の事を何も知らないのに、知ったような態度を。

 

 

 

 

(……恥ずかしい。きっと……)

 

 

 

 

 軽蔑された────

 

 

 

 

 リズベット達が困惑する中、涙が止まらなかった。

 自分の卑しさが堪らなく憎らしかった。

 

 アキト君はアキト君なのに、何故、あんな期待するような事を言ったのだろう。

 どうして、アキト君が《二刀流》を使った事に、こんなに腹が立つのだろう。

 どうして、こんな気持ちになるのだろう。

 私は、何も知らないのに、馬鹿だな────

 

 

 アスナは周りの人達に囲まれる中ただ一人、この涙の理由を探していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから暫くの事だった。

アキトの位置情報が、ロストしたのは。

 

 







今回も分かりにくくてすみません。
またすれ違いが始まったと思ってもらえればと思います。
足りない部分は、各々の脳内補完という事で……。
文才に目覚めたら、この話を修正していきたいと思います。

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