裏切り。
それは、彼がまだ知らなかった、拒絶の味。
「……」
かなり深く、落ちたようだった。
落下速度とその距離により、かなりのダメージを負った。幸い、死ぬ程のものでは無かったが、天井を見上げれば、落ちてきた穴があり、どれ程深くまで自分が落ちてきたのかを知らされるものだった。
「……俺、は」
仰向けに倒れたアキトは、その状態で首を動かす。
今自分が横になっているこの場所は、変わらず遺跡内のようではあるが、先程の場所よりもずっと暗く、どこか闇を思わせる場所だった。
一寸先は闇、まさにそれを顕著に表していた。
松明のような、小さな明かりすら無い。そんなエリアで。そこは肌寒さを感じた。
その状態でアキトは、今起こった事を思い返していた。
フィリアと、隠し部屋へと入って。
彼女から、オレンジカーソルになった理由を聞いて。
そして突然、後ろから誰かに押されて。
ふらついた先の床がいきなり抜け、この場所まで落ちてきた。
ゆっくりと上体を起こし、あの時の光景を鮮明に思い出す。
あの時、あの落ちる瞬間に見えた人影と声。
──── じゃぁな、《黒の剣士》
あれは、間違いなくPoHの声だった。
姿もこの目で確認した。落ちていくあの瞬間、フィリアと共にあの場所でこちらを見下ろし、ニヒルな笑みを浮かべていた。
そして、それと同時に、小さな声で聞こえてきた。
──── ゴメン……ゴメン、アキト……。
何度も何度も、泣きながら謝るフィリアの声を。
自身が落ちる前に、彼女が自分に言った言動を思い出し、一つの結論を導く。
「フィリアは……俺を、罠に……嵌めたって事……?」
震える声で、そう呟く。
誰もいない空間で、その声は反響する。その疑問に答えてくれる者は、誰一人としてこの場にいない。
だからこそ、その疑問の答えは自分の気持ち自身でしかない。
アキトには分からなかった。
フィリアが自分を罠に嵌めたとして、その動機が。
あまりにも、不可解な事が多すぎて、一概にはフィリアがどうとは言えなかった。
けれど、それでも、彼女がPoHといた事から、共犯で自分をこの場所まで落とした事は事実に他ならない。
アキトは立ち上がり、ウィンドウを開く。
アイテムストレージを開き、検証を行った結果、ここが《結晶無効化エリア》だという事が分かって、背筋が凍る。
この狭い空間の先、扉は無く、そのまま暗闇へと道は続いている。
ふと歩いて見ると、その暗闇の中に、ひっそりとモンスターが徘徊しているのを目撃し、その目が見開く。
「っ……!」
いつもよりもレベルが高いのは当然だが、問題は数。
一部屋にその高レベルが4、5体以上蔓延っている。
それが、今現状ソロであるアキトにとって、どれ程くる事実だっただろうか。
転移結晶は使えないから、ここを突破するしかない。
モンスターの数が多い上にソロな為に、いつもよりも集中しなければならない。
ダメージを多く受ける事が予想されるが、一気に回復出来る回復結晶は使えない。
相当不味い状況だった。
モンスターの種類も豊富という、全然嬉しくない情報が視覚から得られる。
虫型の巨大モンスターや、鎧を身に付けたオーク、長い斧を持ったリザードマン。
戦い方はそれに合わせてその都度変えなければならない。アキトは、ここを突破するイメージを、頭の中で張り巡らせた。
心してかからないと、確実に死ぬ。
アキトは口を引き絞って、その一歩を踏み出した。
だが────
「っ……あ、あれ……?」
アキトの意志とは裏腹に、自身の足がいきなりガクンと崩れ、その膝が地面へと落ちた。
そのまま身体が倒れるのを、何とか両手で抑え、四つん這いの状態で地を見下ろす。
突然、力が抜けて、地面へと崩れ落ちた事に困惑するアキト。
動かそうとも、身体が震えて力が逃げていく。
懸命に堪えようと、身体が動かない。
「くっ……うっ……な、なんで……?」
アキトは困惑しつつも、そのまま壁へと寄りかかり、その壁を使って、ふらつきながらも立ち上がる。
ただそれだけの事なのに、その呼吸は荒れていた。
どうして、と。
そう呟く。心の中で、イラつくように叫ぶ。
恐怖などは感じていない。こんな逆境、いつもと何ら変わらない。
動きたいのに、足が動かない。そのもどかしさに、心がざわつく。
────本当に?
本当に、ここから出たいと思っているだろうか。
アスナ達のところに、自分の求めるものは無い。あの場所には、まだ戻りたくないと、理性より感情が邪魔をして。
ここに居たいと、そう思わせてくれたフィリアは、自分を裏切り、PoHと共に、自身を罠に嵌めた。
アキトは今、真の意味で孤独となったのだ。
「ぁ……」
そう。フィリアが、自分とは違う事を考えていたという事実。
仲間だと、そう思っていたのは自分だけだったのかと、そんな不信感がアキトを襲い。
そんな訳ないと、心に言い聞かせても、この身体は正直で。
そのショックで、身体がいう事を効かないのだ。
あちらの世界のアスナ達は、自分を見てはいない。
こちらの世界のフィリアは、自分ではなく、PoHと共に。
大切に思っていたのは、自分だけ。
自分、だけ────
「っ……動、け……行か、なくちゃ……」
その言葉と心は、一致してはいなくて。
口にしていれば、そう言い聞かせていれば、心もつられてくれるんじゃないかと思って。
それでも、この心に空いた穴が、アキトの動きを鈍くさせていた。
必死に、自分に言い聞かせる。
さっきフィリアに言ったではないか。
カーソルだけじゃ人となりは分からない、今のフィリアを信じると。
罠に嵌めたのだって、何か理由があったかもしれない、裏切ったなどとは言いきれない。
だから、きっとまだ────
「ぐっ……!?」
足場が乱れ、再び地面へと崩れ落ちる。
うつ伏せに倒れるアキトは、未だ諦めずにその身体に力を込める。
何故、立ち上がろうとしているのか、その明確な理由も見い出せないまま。
そうして何度も立ち上がり、何度も倒れ、その繰り返し。
懲りずに立ち上がろうとする彼の精神は、もうすっかり摩耗している筈なのに。
それでも。
「っ────」
気が付けば、その瞳からは涙が。
何が悲しくて、何が悔しくて、絶望しているのか。
「……ま、まだ……!」
考えたりはしない。それを認めてしまったら、もう二度と立ち上がれない気がするから。
それでも、心の中では分かってる。
この身は今、自分の生きる目的を探している。
必要とされないこの身体が、存在していい理由を。
アスナに言った言葉の数々が、自分に返ってくるようで。
それを、脳内で無意識に繰り返す。
意味が無きゃ生きられないなんて、そんなのおかしい。
意味なんて、この先で幾らでも見付けられるし、探せるから、と。
あの時、確かにそう言った。
ああ──なんて矛盾だろうか。
自分は今、必死になって、必要とされるものを探して、求めて。
そして、何一つ見つからない。
どうして、こうまでして立ち上がろうとしているのだろう。
無力感や諦めといった感情が、この身体に押し寄せているというのに。
再び倒れたアキトは、顔だけを上げ、自身のいる小さな部屋の先にある、暗闇纏う道を見つめた。
この道は、何を目指す為の道なのか。この道の先にあるであろう分かれ道で、自分は何を選択出来るのだろうか。
目の前の道が何処に続いているか分からない。
これまで、どんな道を歩いて来たかも分からなくなっていた。
右と左、YESとNO、戦うか戦わないか。
どの道を行くか、全ては選択の連続。
無限の網の目のように、それは入り組んで。
正解の道筋は分からない。
もしも、それが分かったならば、これまでの逢沢桐杜の選択を、全て間違えずに、逆に辿り直せるならば。
そこにはきっと、黒猫団のみんながいる。
やり直したいと、何度も願ったその先が手に入る。
だけど、もう戻れない。
失われた過去は見つけられない。
そんな事は望めない。
アキトの身体は、その意志とは裏腹に、根底にあるものは崩れかけていた。
遠い未来で、《
闘志無きプレイヤーに、アバターは動かせない。
それを認めてしまった自分が、どうしようもなく悲しかった。
こんな仲間の失い方もあるのかと、そう思った。
裏切りや仲違い、それは今まで体験した事無い、友達の失い方で。
アキトは、ショックを隠し切れずにいた。
この身体が動かないのが、何よりの証明。
「……っ」
その瞳は、段々と細くなる。
眠るように、ゆっくりと、その瞼が閉じられる。
身体は、完全に機能を停止した。
●○●○
どこか、見覚えのある風景が広がる。
最近よく夢に出る、とあるフィールドのなんて事ない平地。
だが、雪が降り積もった結果、そこは雪原と化していた。今もなお雪は降り続け、その場に立ち尽くすアキトの髪に触れる。
日も沈み、辺りは暗い。まるで、今の自分の道標。どこへ行けば、向かえば良いのか、全く分からない。
足元が冷たい。肌が冷たい。髪が冷たい。背負う武器が冷たい。
夢、だろうか。
先程まで自分は、冷たい床に倒れ、動かなくなったばかりだというのに。
けれど、どこか生々しく感じる雪の冷たさと、その白さ。
白は、もう好きでもなんでもない色なのに。もう、見たくないのに。
嫌な事を思い出してしまうから。
嫌な事って、なんだっけ。
「……ん」
だが目の前には、降り続ける雪の中、自分と同じような立ち尽くしているプレイヤーがいた。
思わず、そのプレイヤーの元へと足が向かう。一歩一歩進む事で、曖昧な影がハッキリと目に映る。
そこには、長めの槍を背に担いだ、女性プレイヤーがいた。短めに切りそろえた短髪に、小さな泣きぼくろ。優しそうな瞳で、こちらを見つめていた。
とても見覚えのある、大切な人。
「……」
「……」
彼女の名前は、なんて言ったっけ。
アキトは、朦朧とする意識の中、彼女の名前を記憶の棚から探し出す。
そうして少女の前で固まっていると、少女は小さく微笑んだ。
彼女は小さく笑って、アキトに近付いた。
「寒く、ないの?」
「……寒い。君は……?」
「私も……寒いかな」
彼女は寒そうに腕を抱き、困った様に笑った。
アキトは咄嗟にアイテムストレージを開き、厚めのロングコートを取り出す。
彼女へと近付き、それを羽織ってやる。
驚いた顔でアキトを見上げた彼女だが、やがて嬉しそうに、顔を赤く染めて笑う。
「……あ、ありがと」
「別に、減るものでもないし」
素直にお礼を言われると照れるのか、アキトはそっぽを向く。
そんな仕草の一つ一つが可愛らしくて、短髪の少女はクスリと笑った。
アキトは誤魔化すように、話題を変えようと口を開く。
「……けど、コートだけじゃどうにもならないと思うよ」
「あ!なら、かまくら作ろうよ」
「か……かまくら?」
その変わった発言に、アキトは眉を顰める。
彼の驚いた表情と声で、少女はまた笑ってしまう。辺りを見渡す彼女につられ、その首を動かす。
今もなお降り続ける、積もっていく雪原。かまくらを作るには、充分過ぎる雪の量。
「作ってみたら、案外楽しいかもよ?」
「……手が冷たくなるよ」
「大丈夫、私手袋持ってるから」
少女はストレージから手袋を取り出す。桃色に赤で模様付けされたそれは、彼女によく似合っていた。
それを嵌めた彼女は、嬉しそうに見せ付ける。
そんな彼女の笑顔に、アキトは頬を赤くした。
「い、良いんじゃないかな。似合ってるよ……センスが良いね」
「……くれたのはアキトなんだけどなぁ」
「え……?」
「何でもないっ、さぁ作ろう!」
少女はすぐ近くで腰を下ろし、雪を自身の膝元に掻き集める。
アキトはそれを見て、慌てて手伝おうと腰を下ろす。互いに雪を見下ろし、その両手で掬いとる。
雪は形を取り、その手に収まる。砂と違って、間から零れ落ちる事は決してない。
皮肉なものだな、とアキトは自嘲気味に笑う。
「……ねぇ」
「っ……な、何?」
「……かまくらって、どうやって作るんだっけ?」
「俺に聞かないでよ……まあ、なんとかなる気がするけど」
そう言って笑い合う。
まだ作り始めて数分も経っていないのに、何だかとても楽しい。些細な事一つ一つに、知らなかった何かが詰まっていて。
アキトが雪を掻き集め、彼女が固める。その繰り返し。偶に見せるその笑みが、とても愛おしくて。
そうして、少しずつ時間が経つ度に、知らなかった一面が垣間見えて。
「アキト、見て見て!えへへ、大きいでしょ?」
「はしゃがないでよ……というか、かまくらに雪玉は必要無いけど」
「分かってるよ……作ってみたかっただけ」
「ほら、固めるのは君の役目でしょ」
「ぶー」
「……手が冷たいとかなら、休んででも……」
「……やっぱり、変わらないね。アキトは」
会話の中で見え隠れする、アキトの気遣いに、少女は頬を染める。
アキトは何故そんな事を言われているのか、分からずに首を傾げる。
彼に答えたりする事無く、少女はアキトの近くで腰を下ろす。
「かまくらって、どうして『かまくら』なのかな」
「何それ、どうしてロミオがロミオなのかって事?」
「違うってば。『かまくら』って名前の由来が気になって」
分かってるくせに、と不満そうな顔でこちらを見つめる。
アキトは気不味そうに顔を顰め、雪へと視線を戻す。掻き集めた雪を固めながら、少女の質問の返答の為に口を開く。
「いろんな説があるから、何とも。形が
「へぇ……物知りなんだね」
「生憎、リアルじゃゲーム以外の趣味が無くて。気が乗らなければ勉強しかする事が無いんだ。だから、要らない知識まで身に付いちゃって」
自分の過去を思い出し、苦笑いを浮かべる。
少女はそんな彼を一瞥した後、また視線を雪に戻した。
アキトも再び、他の説を思い出そうと頭を捻る。
「あとは……神様の御座所の名前が『
「神様かぁ……なんか良いなぁ、そういうの」
嬉しそう目を細める少女。
そんな彼女に、アキトはその腕の動きを止めて向き直った。
「……信じてるの?神様」
「……え?」
アキトの真っ直ぐな瞳に気圧され、少女は一瞬だけたじろぐが、すぐその表情を引き締め、アキトを見返した。
「……アキトは?」
「……俺は……信じてた。けど……」
少女の視線に負け、その瞳を逸らす。逃げるように。
自身の質問が返され、困惑しながらも答える。手に付いた雪を見つめ、その腕を下ろす。
かつては信じていた。今だって、きっと無意識にその存在を求めてる。けれど、それは絶対に認めたくなかった。
願ったもの全て、叶わなかったから。
「祈っても……届かない瞬間があった」
かつての仲間達の無事を祈っても、届かない。
結局、大切なものは零れ落ちたまま、拾う術は持たなかった。
「期待しても……応えてはくれなかった」
今の仲間達を大切にしていたけれど、あちらは自分よりも大切なものがあった。
それは当たり前の事で、最初から分かっていた筈なのに、どうしようも無く、悲しかった。
「助けたくても、裏切られた」
フィリアの悲しげな表情を思い出す。怒りの感情は無い。ただ、心にぽっかりと大きな穴が空いたような感覚。
そんな友達の失い方を、体験した事は無い。違った衝撃が、心に走った。
かつて守りたかったものは、守れなかった。
大切だと思い始めた仲間達は、自分を見てはいなかった。
最後に残った、この世界の仲間は。PoHと共に、自分を蹴落とした。
何もかも失い、こうして孤独になった。
「……けど、どうしてかな。全く憎めない、憎みたくないんだよ。どうあっても……嫌いにはなれなくて」
「アキト……」
アキトは困った様に笑い、少女を見た。
少女はそんな、どこまでも優しいアキトに、悲しげな表情を浮かべる。
彼のそれは、純粋な優しさというにはあまりにも歪んでいて。
どうしようもなく切なくて、痛々しい。
誰かを憎めない、嫌いになれない、恨めないなんて。それらの感情が欠落しているような、そんな気がした。
それは救いようの無い、壊れかけの仮初の心。
狂っているようで、でも、ただただ優しいだけのようで。
「……出来た」
「……本当だ」
気が付けば、かまくらはしっかりと形になっていた。
二人が入るには広過ぎる程に、それでいてとても綺麗で。
「かまくらって、意外と中は暖かいんでしょ?」
「どうかな……入った事無いから分かんないや」
かまくらを作る為に動いた為に、身体が温まってきている。
けれど、折角作ったのだし、入らなければ、そんな気もする。少女は装備していた槍をストレージへと仕舞い、恐る恐る中へと入る。アキトはその後にかまくらへと身体を入れた。
互いに近くに腰掛け、出来上がったかまくらの中を見渡す。
やがて少女は膝を抱え込み、小さな声で呟いた。
「……暖かい」
「……うん」
少女の言葉に、アキトは一言だけを返す。
彼女の言う通り、かまくらの中は外よりも暖かい。冷たい雪で作ったのに、不思議だ。
入口から見える雪は、段々と激しくなっていく。
あと少し出来上がるのが遅れたら、吹雪の中に晒されるところだった。
「……間一髪ってとこかな」
「作った意味があったね」
少女はそう言って笑いかける。
だが、それとは反対に、アキトの表情は曇り始めた。
「……意味、か」
「……アキト?」
少女の言った一言が、どうにも胸に引っかかる。
先程まで、ずっと頭の中で考えていた事だったから。
「……なぁ」
「なあに?」
「……自分がここに居る意味が分からなくなった時、どうするのが正解なのか、分かる?」
自分の存在する理由、それが分からなくなっていた。
必要とされていなかったのではないか、そんな感情が押し寄せて、そんな弱気になってしまって。
自分がかつて言っていた事と矛盾しているのは分かっているけれど、実際、立場が変わってしまえば、そんな事を考えてしまう。
けれど、少女はアキトのその質問に、眉を吊り上げて答える。
「……それ、私に聞く?」
「そう、だよね……ゴメン……」
アキトは少女から目を逸らし、小さく息を吐く。
この事を彼女に聞いたのは間違いだったと、今更ながらに悟った。
目の前のこの少女は、ずっとそれで悩み、苦しんでいた事を、アキトは知っていた筈なのだ。
少女は、膝を抱える腕の力を強め、遠くを見るような瞳で告げた。
「私は……それが分からなくて、ずっと縮こまっていただけだから。なんでこんな目に会わなくちゃいけないの、どうしてこんな世界に私みたいな弱虫がいるの、って……」
「……そっか。今俺は、あの時の君と同じ感覚なんだな……」
自嘲気味に、諦念を抱くように。そうして出来たその笑みは、きっと作り笑い。
上手くは笑えてなくて、そしてどこか儚くて。寄りかかる雪の壁が、冷たく肌に浸透するようで。
彼女はずっと、こんな思いで生きてきたのだなと、改めて感じた。そして、後悔がぶり返すかのように押し寄せてくる。
どうして、あの時。そんなタラレバを想像する。幾ら想像と妄想を繰り返しても、それは幻想のまま、変わる事は無い。
それが異様に、堪らなく苦しかった。
「……でも……でもね?」
「え……」
アキトはふと、少女の方を向く。
彼女は、頬を赤らめ、躊躇いがちに口を開いた。
「いつか死んでしまうかもしれないって思ってた私が、生きたいって、そう思えたのは……キリトとアキトのおかげだって思ってるよ」
「っ……俺と、キリトの……?」
えへへ、と照れる彼女は、その瞳でアキトを見つめた。
アキトはどうして、と、言葉にならない疑問を彼女へと伝える。
「二人は私に、この世界に私が来ちゃった意味を教えてくれた。弱虫な私に、必要だって、そう言ってくれた」
「そんなの……当たり前だよ……!」
アキトはその広いかまくらの中で立ち上がり、目を丸くする彼女に向き直る。
言葉に詰まりそうなのをどうにか抑え、アキトは口を開く。
「俺はずっと、君に支えられてきたんだ……だから、俺も君を支えたいって思った……!この世界に意味の無い事なんて、あるわけが無いんだ……!」
そう言って、思った。
この世界に、意味の無い事は無い。
かつて、リーファと圏内でデュエルした時、そう言ったのを思い出す。
きっとそれが、探してたものの答え。けれど、欲が出るのは仕方のない事で。
この世界が出来た事も、自分がこうして生きている事も、みんなと出会った事も。
そして、目の前の彼女が、死んでしまった事も。
それに意味があるだなんて、思いたくないけど。
少女はアキトの言葉を聞いて、笑顔を作る。
それはとても魅力的に見えて、ずっと見ていられるものだった。
やがて彼女は、入口から見える雪原を見て、小さく呟いた。
「二人は私にとって、トナカイとサンタなんだ」
「え……」
「キリトがトナカイで、アキトがサンタ。私に勇気をくれるの」
少女の言葉が、胸に刺さる。
アキトは、そのまま立ち尽くして、景色を眺める彼女を見下ろす。
身体が震える。瞳が揺れる。けれど、彼女の言葉に耳を傾けたまま、動けずにいた。
「キリトは、先の見えない暗い夜道を明るく照らしてくれるトナカイみたいで」
「……」
「……アキトは……ダメな私を励ましてくれる、いつも私を笑顔にさせてくれる。温かいプレゼントをくれる、優しいサンタクロースみたい」
「っ……俺、は……」
アキトは、涙が出そうだった。
自分は、彼女と約束したのに、それを守る事が出来なかったのに、そんな風に言ってもらえる資格なんて。
そう思ってしまった。
「神様、私はいると思うよ」
「え……」
「アキトに出会えたのは、神様のおかげだって……今は思ってるの」
「っ……」
「アキト……私と出会ってくれて、ありがとう」
アキトは、その場に膝を付いた。
崩れ落ちる身体に、少女は寄り添う。
そう、自分は。
目の前の少女の為に。
かつて彼女と、黒猫団のみんなの笑顔を脅かそうとするあらゆる理不尽と戦った。
それはゲーム開始当初から、あの《はじまりの街》から始まっていた。
その闘いの先にあったのは、いつも自分を待ってくれる大切な場所。
アキトが彼らと行動し、攻略を成し得た中で一番の成果があるとするならば。
それは、ひとえに彼らの笑った顔に違いなかった。
感謝されたかったわけじゃない。
なのに、ボロボロになるまで戦った自分に、サチがくれたささやかな。
感謝という名前の報酬は。
アキトの心に染みて。
「くっ……うっ……」
言わなきゃいけない事が、沢山あったのに。
『ありがとう』とか『ゴメン』とか。
でも。
涙や感情が次々と押し寄せて、溢れてきて。
まともに言葉にならなかった。
蹲る中で、彼女に肩を抱かれ、その中で思う。
彼女は神様がいると、そう言った。
ならば、何故神様はこんな理不尽な世界を許してしまったのだろうと。
失くしたくないものが、溢してしまったものが沢山あったのに。
そんな問答を、少女は遮る。
アキトの首にかかった、鈴の音が鳴るペンダントを、視界に収めながら。
「……そのペンダント、まだ持ってくれてたんだ」
「え……」
「……ううん、何でもないっ」
アキトの聞き返しに答えず、少女は立ち上がる。
気が付けば、かまくらの外は、雪が止み、日差しが昇りそうで。
「……綺麗」
二人はその日を互いに見上げ、綺麗な銀世界を、かまくらの外に出て見上げる。
吹雪が終わり、夜が明ける。もう、時間が無いように思えた。
「……アキト」
「っ……」
突然呼ばれ、アキトは振り返る。
少女は小さく笑い、アキトを見上げた。
「私はここから、君を見守ってる。だから……その……頑張ってね」
「……」
言葉足らずに思える彼女の言葉。けれど、とても暖かく感じた。
アキトは、悲しそうに少女を見つめる。
これで、お別れなのだろうかと、そう思った。けど、それを言葉にしたりはしない。
さよなら、なんて、決して言えない。
「……また、会おう」
「っ……うんっ、また……」
少女────サチが。
最後にアキトに見せた表情は。
涙で濡れた笑みだった。
●○●○
ひんやりとした地面が頬に付く。
瞳を開けば、ぼんやりと目の前の光景が広がる。
一寸先は暗黒で、今まで以上に危険であろうダンジョン。
時刻を見れば、かなりの時間が経過しているのを理解した。
もしかしたら、一日二日経っているかもしれない。
そんな長い間、このまま横になって倒れていたのかと思うと背筋が凍る思いだが、そんな事はどうでも良かった。
アキトは、目を見開き、動かなかった筈の腕を地面へと思い切り突き立てた。
「くっ……!」
歯を食いしばり、震える身体を心の中で叱責する。
その腕が倒れ、再び地面へと落ちる。
だが、その瞳はもう、諦念を抱いてはいなかった。
「……こんな、ところで……死ねるか……!」
かつて、大切だった少女の夢を見た気がした。
こんな自分が、彼女に生きる意味を与えていたと、知る事が出来た。
大切だと思っていたのは、自分だけじゃなかったのだと理解した。
奪うだけじゃなく、与える存在だと、そう言ってくれた。
「だから……まだ……」
再び、その地に腕を立てる。
グッと今まで以上の力を込めて、膝を突き立て、立ち上がる。
壁に寄りかかったままに立ち上がるアキトのコートは、摩擦で削れていく。
目の前の暗黒の先にある道、蔓延るモンスターを、遠目から睨み付ける。
「……」
ずっと動かなかった身体が、嘘のように動く。
それは、アキトの心の形が変化した事を、顕著に伝えてくれていた。
《琥珀》をストレージに仕舞い。
取り出したのは、《エリュシデータ》。
かつて、共に戦った親友の形見。
このエリアを突破するのに、これ以上相応しい武器は無い。
長らく忘れていたものを、なんとなく、朧げにだが、取り戻す事が出来た気がする。
ボロボロになって、弱気に押し潰されそうになっても。
彼らがいたから、俺はずっとこの道を進んでこれた。
だからこそ、彼らに誓う。約束する。
俺は、必ずなってみせる。
世界で一番大切だった彼らに相応しいヒーローに。
「……力を、貸してくれるかい?」
『っ……当たり前だろ……!』
そんな弱々しい声に、思わず笑ってしまった。
──── あの日の誓いは、変わらずここに。
「……行くぞ」
たとえ、誰も見ていなくとも。
自分が選んだこの道だけに、後悔だけはしないよう────
きっと、誰かが見ててくれている。
この世界で、誰よりも。
誰よりも優しくて。
誰よりも傷付いて。
誰よりも頑張って。
誰かの笑顔の為に走る、ヒーローみたいで。
サンタクロースのような君を。
サチ 「たとえば私とかね」(´◉ω◉` )ジー
アキト 「怖い、怖いよ!」
※本編とは無関係です。