ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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今こそ告げよう。

この身に宿る、君の名を。





Ep.77 アキトという黒猫は

 

 

 

 

 

 

 目元を赤くして眠るユイを自身のベッドへと寝かせ、アキトは小さく笑う。

 自分が居なかった三日間、彼女に酷く心配をかけたようで、とても申し訳ない気持ちだった。

 

 目が覚めて最初に見たのは、この部屋の天井。

 そして、傍で涙を溜めながらこちらを見つめるユイの姿だった。

 彼女はアキトが目を覚めた瞬間に、我慢していた色々な感情が決壊し、涙が溢れ落ちていた。

 それを見たアキトは、もらい泣きしてしまうかと思うくらい、ユイという存在に感謝していた。

 自分が失ったと思ったものを、手放してしまったものを、もう一度この目で見る事が出来たのだと思ったから。

 

 横たわっていたアキトは、彼女にゆっくりと手を伸ばし、その頬に触れる。

 その親指で彼女の涙を拭う。その手を、彼女は両手で握り締め、涙を流しながら訴えた。

 

 帰って来てくれると、信じてた。

 戻ってくると思ってた。

 帰ってきてと、願ってた。

 

 そう告げる彼女の声は、涙によって震え、上手く言葉に出来ていなかった気がする。

 小さく笑って、アキトはユイが泣き疲れて眠ってしまうまで、傍にいた。

 

 

 今、こうして瞳を閉じて、小さく寝息を立てているユイを、同じベッドに座って眺めていると、なんだか妹を持ったみたいだった。

 ユイに眠りながら握られた手を見下ろし、何だか少し気恥ずかしさを感じる。

 こんなに想ってくれてたのかと、改めて理解し、そしてそれが嬉しかった。

 

 

 「……ありがとう、ユイちゃん……」

 

 「……んん……」

 

 

 髪を梳くと、気持ち良さそうに口元を緩める。

 眠っている筈なのに、とても嬉しそうで。

 

 

 小さく扉が軋む音が聞こえる。

 顔を上げれば、そこにはアスナが立っていて、ユイへと視線を向けながらこちらへと歩み寄った。

 

 

 「……寝ちゃった?」

 

 「結構前に。かなり心配させたみたいで……なんか、悪い事したな」

 

 

 そう呟くアキトの声は、いつもより優しくて。

 その口調や態度も、すっかり変わって見えて。

 アキトはすっかり、そんな風に振る舞う事を忘れていた。いや、そんな事をするのを、やめたのかもしれない。

 アスナは嬉しく思ったのか、嬉しそうにその口を開く。

 

 

 「ユイちゃん、ずっと待ってたんだよ?アキト君の事」

 

 「知ってる。さっきめちゃくちゃ怒られたよ」

 

 「……ユイちゃんに?」

 

 「ユイちゃんに」

 

 

 アスナは意外に思ったのか、その瞳を丸くした。

 アキトは笑ってユイを見る。

 人間よりも人間らしい、優しい心を持った少女の寝顔は、誰よりも可愛らしく、暖かく見えた。

 

 

 「AIだなんて……プログラムだなんて、嘘みたいだ……そんな事、すっかり忘れてた」

 

 「……ユイちゃんは私達と何も変わらない……同じ人間だって、私は思ってる」

 

 「……俺もだよ。誰よりも純粋で、汚れを知らない。なのに、人間より人間らしくて、とても……綺麗だと思った」

 

 

 彼女の、その笑った顔が。

 自分は何度も彼女に救われてきたと思ってる。

 独りだった自分を、アスナ達と繋いでくれた存在なんだと、今では思ってる。

 プログラムだと、そんな言葉では片付けたくなかった。

 ずっと想ってくれて、ずっと待ってくれて、ずっと信じてくれて。

 感謝の意しか彼女に表せない。自分は彼女に、何もしてあげられなかったというのに。

 

 

 「……ソードアート・オンライン」

 

 「え……?」

 

 「……今は、来て良かったと、そう思うよ」

 

 

 ここに来なければ、見る事の無い悲劇があった。

 感じなくて良い想いがあった。失いたくないものが出来る事はなかった。

 けれど翻して言うなら、ここに来たから、自分は彼らに出会う事が出来て、笑う事が出来て、信じる事が出来て、目指すものが出来た。

 なりたい自分を、見付ける事が出来た。

 今の自分があるのは、全部、ここに来たから。

 今は、恨み以外の想いが、この胸の中にあった。

 

 そんなアキトの表情を見て、アスナも吊られて笑みが浮かぶ。

 

 

 「……そっか」

 

 「……アスナは?」

 

 「っ……私、は……」

 

 

 アキトにそう返され、一瞬言葉に詰まるアスナ。

 けれど、彼女は自信を持って、こう告げる。

 今は、そう思えてる。たとえ、想い人が死んでいても、出会った事を、否定したくないから、と。

 

 

 「私も……ここに来て良かったって、そう思うよ」

 

 「……良かった」

 

 

 本当に良かったと、アキトはそう思った。

 76層で出会った時と、明らかに顔付きが違う。その言葉に嘘は無いと、アキトには分かっていた。

 腹を括った、覚悟を決めた、そんな表情。アスナは、愛する者を失ってなお、大切な人達を失わない為に、愛した人を思い出せるように、生きる道を選択した。

 その選択に後悔が無いのかとは聞かない。今の言葉が全てだと、アキトは信じたかった。

 

 アキトは、ユイと握ったその手を、優しく離す。

 ベッドから立ち上がり、アスナと視線を同じにする。

 

 

 「……みんなは?」

 

 「……下にいるよ。みんな心配してる」

 

 「……そっか。ありがとう、声掛けに来てくれて」

 

 

 アキトはアスナの横を通り過ぎ、扉へと向かう。

 下へと向かえばみんながいる。受け入れられ、疑われ、そして自らが拒絶した人達が。

 けれど、丁度いい。

 話さないといけない事がある。話したいと思える事が出来た。

 相談したい事がある。

 みんなに力を貸してほしいと、そう頼みたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その扉に手を掛けた瞬間、アスナは思わず声を掛けた。

 みんなの所へと向かわせる前に、言いたい事があったから。

 

 

 「っ……アキト君っ……!」

 

 「っ……何?」

 

 

 アキトはいきなり強めの声で名前を呼ばれた事に驚き、困惑したような表情で振り返る。

 アスナは、そんな彼の顔を見て、引き留めたは良いが、何を言おうとしたのか、具体的な言葉を忘れてしまった。

 

 アキトはそんなアスナの反応が可笑しかったのか、クスリと小さく笑う。

 そんな彼の見た事の無い表情に、アスナの心臓が高鳴った。

 

 いつもの高圧的な態度は、そこには無い。

 今の彼は、自身の素直な感情をさらけ出し、本当の意味でのアキト。

 強がったり偽ったり、そんな事を考えていない。

 そんな彼に、そんな優しい彼に、ずっと謝りたいと思ってた。

 

 自分のした事を。

 きっと、たくさん頑張った彼を、たくさん傷付けた。

 だからこそ、伝えたくて。

 

 

 「私……君に言いたい事が……っ」

 

 

 けれど、その想いは伝わらない。

 アキトはその掌を広げ、アスナの前に突き出した。

 アスナはそれを見て、思わずその口が止まる。アキトのその行動は、まるでアスナの言動を静止したように見える。

 

 

 「ストップ。……それ以上は、もう良いよ」

 

 「っ……よ、良くないっ……私が君に言いたいの!」

 

 

 それでもアスナは食い下がらない。

 アキトに謝りたい事があって、言いたい事がある。

 けれどアキトは、そんなアスナを見て、寂しそうに笑って告げた。

 

 

 「……本当はさ、何処かで気付いてたんだ」

 

 「ぇ……?」

 

 「俺がこの我儘を通そうとする限り、いつかは、ね、そう見られる日が来るんじゃないかって」

 

 「っ……」

 

 

 それは、アキトがキリトと重ねられ、比べられてしまう事を指していた。

 彼が貫こうとしているのが何なのか、アスナには分からない。だから、そんな事無いとは言えなかった。

 実際、アスナも彼を通してキリトを見てしまっていて、アキトの事など、気にかけなかった。

 皮肉を告げられた気がして、胸が苦しくなる。

 

 でもね、とアキトは笑みを崩さずに口を開く。

 

 

 「……なのに、俺は君達に何一つ話した事が無い。だから、それは当然だったんだよね」

 

 「そんな事無いっ……話したくない事なんて、誰にだってあるよ……!」

 

 

 知らなくていい。

 これ以上、君を傷付けてしまうくらいならいっそ。

 けれど、アキトの覚悟はとうに決まっていて。アスナが何を言っても、きっと振り返ってはくれない。

 

 

 「うん……だからさ、その言葉の続きは、全部話せる日が来たら改めて聞く事にする」

 

 「……」

 

 「……約束するよ」

 

 

 アキトは小指を突き立て、アスナへと差し出した。

 それは、指切り。約束を必ず守ると、お互いに『誓い』を立てる行為。

 アスナは戸惑うように、その小指とアキトを交互に見る。

 アキトは、変わらず優しく、この口元を緩めていた。

 

 

 「……分かった。約束する」

 

 

 アスナはゆっくりとアキトの小指に、自身の小指を絡める。

 アキトはそれを見て何が嬉しいのか、変わらず笑みを浮かばせていた。

 何を言っても、心は決まっているのだろう。これから、何を話そうと、何を告げようと。

 なんとなく納得がいかないアスナは、小さく俯く。

 

 

 「……嘘ついたら、針千本だから」

 

 「……あの、一応聞いておくんだけどさ……針千本、どうする気?刺すの?飲ませるの?」

 

 「500本ずつ刺して飲ませるから」

 

 「……もうちょっと現実的な罰にして欲しいな……」

 

 「何よそれ、破る気なの?」

 

 「え、いや、そんな事は無いけど……」

 

 「本当にさせるから。だから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「もう……一人で何処にも行かないで……」

 

 

 「っ……」

 

 

 本音だった。思わず溢れてしまった。

 消えないで、居なくならないで。手の届くところにいて。

 助けさせて。

 

 この手から落とさぬ様にと努めた筈だったのに、救えなかった存在がいて。

 その存在と重なる、優しい少年。その末路が、あんな悲劇だなんて、もうゴメンだった。

 

 

 けれどアキトは、そんな自分を見つめるだけで、何も返してはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 チカチカと光るシャンデリアにも似た光が天井から降り注ぐ。

 いつもは盛況なエギルの店も活気は無く、ただそこには、見知った顔のみが揃えられていた。

 静寂がとても不快に感じる。誰かが何かを話してくれるのを待っている。そんな様子の者達ばかりで。

 

 シリカも、リズベットも、クラインも、エギルも。

 

 シノンも。

 

 そして、リーファも。

 

 エギルが気を利かしたのか知れないが、店の扉は閉じられ、貸切とも言える状態だった。

 この状態で店など経営出来ないといった心持ちなのかもしれない。

 その他のメンバーも、これが今、どういう時間なのかを無意識に理解している部分はあるだろう。

 けれど、各々がアキトに対する後ろめたさがあり、上手く発言出来ずにいたのかもしれない。

 

 

 「っ……」

 

 

 ふと、誰かがその音に気付き、階段の方を見上げる。

 それに吊られて、みんなが挙ってその方向に視線を向ける。

 

 二階へと向かっている階段の暗い影から、その音の主は現れた。

 黒いロングコート、鞘に収められた紅い剣、長めの黒髪に、透き通る様な青い瞳。

 似ている、けれど、そんな彼の正確な呼び名を、自分達は知っている。

 

 

 「……アキト」

 

 「……ああ」

 

 

 リズベットの呼び掛けに、アキトは一言だけ返す。

 けれど周りは、その発言だけで彼がいつもと何処か様子が違う事に気が付いた。

 いつもの冷徹な瞳ではなく、温厚さが垣間見得るその表情に、彼らは思わずまじまじと見てしまう。

 

 階段を下りてくるアキトに次いで、アスナがユイと手を繋いで下りてくる。

 ユイは寝起きなのか、眠たそうに目を細めていたが、やがて真面目な表情を作り、アキトの後を追う。

 アキトがみんなの前で立ち止まると、一度彼らを見渡した。誰もが皆、似たような表情をこちらに向けている。

 けれど、この前見た時とは少し違って見えた。

 あの時は、疑惑や困惑の視線。今は、心配と焦燥といったところだろう。

 申し訳なさをかんじる反面、どこか嬉しく思った。

 

 彼らは、アキトの思う通り、アキト自身の事をかなり心配していた。

 今こうして視線を彼に向けているのも、身体はもう大丈夫なのかと、彼を案じての事だった。

 けれどそれ以上に、自分達がアキトを傷付けたであろうと悟っていた為に、何も言えずにいた。

 瞳が揺れ、口が開くも、みんなそこまでで動きを止めてしまう。

 なんて言われるのだろうと、そんな恐怖にも似た感情が押し寄せていた。

 

 

 

 

 けれどアキトは、彼らを見渡した後。

 ゆっくりと、その頭を下げた。

 

 

『っ……!?』

 

 

 誰もが彼のその行いに目を疑った。

 驚きで開いた口が塞がらない。今目の前で起こっているそれは、きっと見る事は無かったであろう、アキトの精一杯な謝罪だった。

 

 

 「……三日間も心配させて……ゴメン」

 

 「ア、キト……」

 

 「お前ぇ……」

 

 

 そして、彼から告げられる言葉にも、驚きを隠せないでいた。

 何故、彼は自分達に謝っているのだろうと、そんな想いが頭を過ぎる。

 その瞳が揺れ、気が付けば、リズベットとシリカは慌ててその口を開いていた。

 

 

 「な、何でアンタが謝んのよ……」

 

 「そ、そうですよ……!」

 

 

 謝らなければならないのは、こちらの方────

 

 誰もが、アキトが傷付いたのではないかと、本当は分かっていた。

 あんな光景を見せられたら、期待してしまうのは当然だった。けれど、それは自分達の勝手な願望で、アキトには全く関係の無かった事なのだ。

 いつだって助けてくれたのは、他でも無いアキトだったのに、自分達はそんな彼に感謝の言葉すら掛けていない。

 それどころか、『お前は本当にアキトなのか』と、ずっと戦ってきた仲間に突き付けたのだ。

 そんな彼に、こちらから謝るのは当然で、自分達が謝られるような事など────

 

 

 「……怖かったんだ。目が覚めたら、みんなの視線がいつもと違って見えたのが。まるでそこには、もう俺の居場所が無いみたいに思えて」

 

 

 アキトのその態度と、正直な発言に各々が目を丸くする。

 そして同時に困惑した。どうして、そんな事を言うのかと。

 彼が放つ言葉、その原因の何もかもが、こちらの責任ではないか。

 

 そう言いたいのに、言葉が出ない。

 何を言っても、後ろめたさが滲み出て。

 けれど、そうして固まる彼らの中、エギルが小さく笑った。

 

 

 「……まさか、お前さんからそんな言葉を聞くとはな」

 

 「ぇ……」

 

 

 アキトが、下げた頭をゆっくりと上げる。

 彼の隣りにいたアスナが、嬉しそうに、優しく小さな笑みを浮かべていた。

 

 

 「居場所だって……そう思ってくれてたんだ……」

 

 「っ……」

 

 

 彼女の言葉で、アキト含めた一同が目を見開く。

 そう、彼は今、自分達の事を、『居場所』だと、そう言った。

 そう言ってくれたのだ。

 キリトに重ねてみてしまっていた自分達に。

 

 

 「ああ……大切な人達だと思ってるっ……」

 

 

 アキトは揺れる瞳でそう搾り出す。

 彼からは永遠に聞く事が無いと思っていたその言葉が、リズベット達の心に深く突き刺さる。

 そして、そう思ってくれていた彼に対して、自分達がしてしまった事を改めて理解した。

 

 

 「……ゴメン、アキト」

 

 「え……な、何でリズベットが謝るんだよ」

 

 「アキトさん……あたしも、すみませんでした」

 

 「きゅるぅ……」

 

 「シリカまで……」

 

 

 リズベットとシリカの突然の謝罪に、アキトは困惑を覚える。

 彼女達が頭を下げるのを見て、やめてくれ、と口に出す。

 

 

 「……俺が悪かったんだ。君らに、何も話さなかったから」

 

 

 関係無いだろ、知らない、興味ない、別に。

 そんな言葉で誤魔化して、偽って、嘘をついて。

 そうして欺瞞が重なり満ちた偽善の紛い物。それがアキトという存在。

 こうして、今まで強がって、横柄な口を開いて、そんな自分だって作り物。

 本当の自分は、とても弱くて。

 そんな自分を知られたくなくて。

 

 

 彼らはいつだって歩み寄り、知りに行こうとしてくれていた。

 それを拒否し続けた自分は、きっと怒る資格も無かったのだろうと、今になって思う。

 

 

 「……なら、話してくれるのかしら」

 

 

 今まで口を開かなかったシノンが、鋭い目付きでアキトを見据える。

 誰もがその視線に恐怖に似た感情を覚え、息を呑む。

 当然だ、彼女だけは、アキトのあの時の様子に何一つ心当たりがなく、加えてSAOも途中参加。

 アキトの過去など知る由も無ければ、86層のボス戦で《二刀流》を行使したアキトに対してあのような反応を示したアスナ達にも問い質したい事が山ほどあった。

 除け者にされているようで、気に入らなかった。

 

 それは、アキトにもすぐに分かった。

 

 

 「……ああ、話すよ」

 

 「っ……アキト君、無理しなくても」

 

 「いや……良いんだ、アスナ。出来るだけの事はしたいんだ」

 

 

 アスナにアキトはそう言って、システムウィンドウを開く。

 可視状態に設定した後、それを彼らに開示する。

 

 

 それは《二刀流》というスキルの、具体的な詳細と熟練度。

 ほぼコンプリートされていたそれは、まさに最強と呼べる力とも見れた。

 誰もが目を見開き、それをまじまじと見ていた。

 

 

 「……やっぱり、二刀流……キリトと、同じ……」

 

 「アキト、お前ぇこれ……」

 

 

 そう、間違いなく、キリトと同じ《二刀流》という名前のスキル。

 魔王を討ち滅ぼす『勇者』としての役割を果たすべく、相応しい担い手に宿る切り札。

 リズベットがそれを眺める隣りで、クラインがアキトへと視線を移す。アキトはウィンドウに記載された《二刀流》という文字を眺め、小さく笑った。

 

 

 「……初めてこれを手にしたのは、11月7日」

 

 「……って、事は」

 

 

 エギルがその日付けで何かを思い出したのか驚きを顕にする。

 アキトは彼にその視線を合わせ、小さく頷いた。

 

 

 「……そう。キリトが、この世界から消えた日」

 

 「ま、マジかよ……」

 

 

 クラインは困惑しつつも、アキトへの視線を逸らさない。

 どういう理屈なのかと、その視線が訴えていた。

 アキトはチラリとユイを見ると、ユイは何かを察したように頷いた。

 

 

 「本来、ユニークスキルと呼ばれるスキルは、90層を突破した時点で、それぞれ条件を満たしたプレイヤーに与えられるように設定されています。ですが、アキトさんの持つ《二刀流》は、その他のユニークスキルとは異なる仕様なんです」

 

 「……そういや、ヒースクリフの野郎も言ってたな。確か、《二刀流》はこの世界で随一の反応速度を持つ者に与えられる、だったか?」

 

 

 75層でヒースクリフが言っていた事を断片的に覚えていたクラインの言葉に、当時その場にいたアスナとエギルが思い出したようで、首を縦に振ることで同意する。

 その言葉に対してユイも頷き、言葉を続ける。

 

 

 「恐らく、ユニークスキルの持ち主が死亡したり、スキルの取得を拒否すると、その次に条件に見合うプレイヤーをカーディナルシステムが選定し、譲渡するのだと思います」

 

 

 ユイの言葉を鵜呑みにすると、つまりカーディナルというシステムは、魔王を倒す『勇者』の役目を、否が応でも誰かに託したいという事。

 そして、キリトに次いでの反応速度を持つプレイヤーが、アキトであったという事。

 何という因果なのだろうと、アキトはずっと思っていた。

 

 

 「けど……それだけじゃ……説明がつかない事だってある……」

 

 

 ふと、リズベットがポツリと告げる。

 そう、確かに説明出来ない事が多かった。

 86層のあのボス戦で彼が行使した《二刀流》。だが、それを操っていたアキトは、本当にアキトだったのだろうか。

 戦い方、雰囲気、言動、《武器破壊(アームブラスト)》と呼ばれるシステム外スキル。

 それは誰もが理解しており、彼女の言葉によって、その光景は脳裏に浮かび上がっていた。

 

 

 そして────

 

 

 リズベットがチラリと、視線を向ける。

 そこには、これまでまだ一度も言葉を発していない金髪の妖精、リーファが座っていた。

 この場にいる全員が、彼女へとその瞳を向ける。

 そう、アキトとリーファの関係。リーファはあの時、アキトの事を『兄』だと呼び、アキトは、リーファの事を、リズベット達には知らない名前で呼んでいた。

 

 

 みんなが注目する中で、リーファは。

 俯きながら、その口を開いた。

 

 

 「11月7日は……あたしが、ログインした日」

 

 

 誰もが、驚きで声も出ない瞬間だった。

 そしてアキトは、それが意味する事を知っていた。

 

 

 そう、病院にいる彼女の母親から、電話が来た日。

 焦りの声、涙で震えた声が、全てを物語っていて。

 聞きたくなくて、受け入れたくなくて、この世界へと逃げ出した日。

 

 

 「ど、どういう事だよ……だってリーファっち、この世界に来た理由は分からないって……」

 

 「彼女がこの世界に来たのは偶然じゃない。この世界にいる兄を探す為だ。友人からナーヴギアを借りて、自発的にログインしたらしい」

 

 「な、なんだって……!?」

 

 「そ、そんな……」

 

 

 シリカもその事実に驚きを隠せない。

 リーファは堪えるように、その膝に乗せていた拳を強く握る。

 この場にいる彼らはそんなリーファの行動が、とても恐ろしいものに思えた。

 きっと、現実にいるよりも死を身近に感じやすいであろうこの世界に、どんな理由であろうと自分から乗り込むだなんて。

 

 

 そして、その驚きはまだ終わらない。

 

 

 「そして彼女がログインした日は、11月7日。その日は……」

 

 「キリトが……消えた日……」

 

 

 エギルの声が震える。

 もう、その答えは分かりきっていた。

 アキトに向けられた視線は再び、リーファへと移る。恐る恐るといったように、誰もが、彼女への視線を逸らす事が出来ないでいた。

 リーファも、その事実に驚いたのか、その瞳が大きく見開かれ、そして揺れる。

 

 

 

 

 自身の兄と、キリトの死のタイミングが、同じ────?

 

 

 

 

 「そ、そういえばキリトさん……妹がいるって……」

 

 

 シリカは小さく、わなわなと身体を震わせて告げる。

 誰も知らなかった事実に、彼らは耳を疑う。欠けていたピースが、次々と嵌め込まれていく感覚。

 

 

 そして、最後のピースを持っていたのは、アキトだった。

 

 

 

 

 「……桐々谷和人」

 

 「っ……!?」

 

 「……この名前、覚えはある?」

 

 

 突然出てきた名前に、アスナ達は困惑する。何故このタイミングで、聞いた事も無い名前が繰り出されるのか、彼らには分からない。

 けれど、この場にいるたった一人だけは、その名前を知っていた。

 そして、何もかもを理解してしまった。

 

 

 「私の……お兄ちゃんの、名前です……」

 

 

 リーファは、声を震わせて告げた。

 頬へと伝う涙が、あまりにも儚く見えて仕方なかった。

 各々がどういう事が分からず、アキトへと視線を返す。

 

 

 

 

 「……アキト君、その名前って……」

 

 

 

 

 「……キリトの、現実世界での名前だよ」

 

 

 

 

『っ……!?』

 

 

 

 

 何度驚けば良いのだろう。

 唖然とし、最早声も出ない。

 何もかもが運命的で、悲劇的で。

 そしてあまりにも良く、そして悪く、出来すぎていた。

 

 

 「キリト、君の……妹……!?」

 

 

 アスナの言葉に、誰もが硬直する。

 未だに俯き涙する彼女、目の前の、金色の髪を持つ少女が。

 最愛だった人の────

 

 

 「……アキト、アンタやっぱり……」

 

 

 リズベットが納得したようにアキトを見る。

 そんな彼女の視線が訴える事の意味を、アキトは理解した。

 

 

 キリトの本名まで知っている目の前のプレイヤーは、やはり。

 

 

 「……ああ。俺はキリトの事を知ってる。一年以上前から」

 

 

 シリカよりも先に。リズベットよりも先に。

 クラインやエギルよりも深く、絆を結んだ筈の存在だ。

 やっぱりか、と、そんな思いが無かったわけじゃない。だが改めて聞くと、その驚きはかなりのもので。

 

 

 「……どういう関係なの……?」

 

 「……友達だよ。暫く一緒に行動してた」

 

 

 リズベットに問われた一瞬、躊躇うような表情を浮かばせたが、すぐにその問いを返した。

 

 

 「短い期間だったけど、現実世界で会おうって約束して、その時に本当の名前を教えてくれたんだ」

 

 

 彼の言っている事は、俄には信じ難かった。キリトの口から、そのような事を聞いた事は殆ど無かったからだ。

 けれど、初めからリズベット達は、アキトがキリトと何らかの繋がりがあったのではと察していた為に、何処かで納得もしていた。

 何も知らない、シノンを除いては。

 

 

 「……その時に、リーファの本名も聞いたって事?」

 

 「ぇ……いや、聞いてないけど……どうして?」

 

 

 シノンの言葉を聞くも、一瞬何を言っているのか分からなかった。

 彼女は眉を顰め、分かりやすく説明し始める。

 

 

 「覚えてないって言ってるけど、アンタあの時、リーファの事を別の名前で呼んでたのよ」

 

 

 86層のボス戦時、命の危険に晒されていたリーファに対し、アキトは彼女の名前を読んだのだ。

『スグ』、と。

 それについては誰もが知っており、確かにそうだと思い出す。

 

 

 「っ……そっか」

 

 

 アキトは一瞬その表情が固まったが、すぐにそれは柔らかいものへと変わっていった。

 

 

 「……でも、本当は気付いてるんだろ?」

 

 

 アキトはそう言って小さく笑う。

 その言葉、その表情の意味が分からずに固まるアスナ達。

 

 

 だが、すぐにその瞳は見開かれた。

 誰もが理解した。

 

 縋っていたものが、期待していた事が。

 少なからず叶っていたという事実を。

 

 つまり、彼が知りもしないリーファの本名を呼んだ事、その時、アキトの雰囲気や戦闘スタイルが変わっていた事、《二刀流》を行使した事の全ては、繋がっていたという事。

 

 

 「……もしかして、本当に……?」

 

 「嘘……」

 

 「マジ、かよ……」

 

 

 「……本当だよ」

 

 

 声震わす彼らに笑いかけ、アキトはその手を心臓部分に当てる。

 その場所に宿る命、鼓動を確かに感じ取り、優しく握り締めた。

 そこに居るであろう、親友を思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「キリトは生きてる。俺の中で」

 

 








キリト 「文字通り生きてるんだよなぁ……」

アキト 「そうだね、てっきり『キリトはこの胸の中で生き続けているんだ!』……みたいな精神論なのかとばかり」

キリト 「……お前の事じゃないか」

アキト 「確かに」

アスナ 「このタイミングで話す事じゃないよね……」




※本編とは無関係です。

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