ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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急展開入りマース(´・ω・`)
話の流れ、文の流れが早いです。
ストーリーは全く進んでないのに……おかしいな。


Ep.80 きっと何度でも

 

 

 

 

 

 《ホロウ・エリア》

 

 

 一般のプレイヤーが入れる事は無い、開発用の秘匿エリアの総称。

 その用途は、《ソードアート・オンライン》、ひいては《浮遊城アインクラッド》に実装されるスキルや装備などのテストを行うのを目的とした場所である。

 ゲームバランスが崩れる事が無いか、使用する事でシステムに不具合を来たすものでは無いかを事前にチェックしているのだ。

 そこにあるのは決してレアなスキルや装備だけではなく、未知のモンスターなども蔓延っている。これもテストの対象なのかもしれない。

 また現在の《ホロウ・エリア》はデスゲーム開始時と比べ、過酷なプレイ状況に合わせてより調整のしやすい形へ進化しているようである。

 

 そして何より、このエリアにいるプレイヤーの殆どは、アインクラッドのプレイヤーIDを参照し、忠実に再現したAIデータである。

 オリジナルのプレイヤーと比べると危険に鈍感で、目標に妄信的で、一人だけで危険地帯を進んだり、回復よりも攻略を優先したりと様々な種類がいた。

 ユイは、プレイヤーの深層心理を探り効率よくテストを行うことが目的と推測している。

 

 

 けれど、フィリアは────

 

 

 真実を確かめるまで、アキトは止まらなかった。

 ただ知りたいがために進み、助けたいためだけに戦った。

 たとえ彼女が望んでいなくとも。それが、自己満足だとしても。

 

 

 《ジオリギア大空洞》情報集積遺跡内部

 

 

 そこにはもう、SAOとしての世界観は何処にも無かった。

 何もかもが実験の為に特化、最適化された空間だった。その場所の中心には光の柱が聳え立ち、そこから三本の細い道が壁の入口まで続いている。

 

 《人工生命体格納室》

 《不定形生物の実験場》

 《生体遺伝研究室》

 

 名前にももう、アインクラッドの面影は無い。

 本来、このエリアに人が入る事は無い為、仕方が無いと言えば仕方が無い。スライムやゴーレムなど、中々にそれらしいモンスターが溢れ、それぞれの奥には、次の階層へと進む為の封印があった。

 ボスといっても中ボス相当、アキト一人だけでも難無く倒せたが、肝心なのはモンスターでは無かった。

 

 

 この場所は、何処か似ていた。

 かつての仲間を失った迷宮区と。

 

 

 感じていたのはきっと、アキトだけじゃない。

 キリトが嫌悪し、恐怖で震えているのも、理解出来てしまっていたから。

 けれど、それでも後戻りする訳にはいかない。かつての過ちを繰り返さぬ為にも、今の仲間を守ると誓ったのだから。

 フィリアに会う為に、声を聞く為に。

 その為だけに、ただ剣を奮った。

 

 

 全ては、たった一人を救う為。

 そんな彼は、何処か他人と違っていて。その原動力、想う心、磨いた技術。それら全てが。

 その偽物の勇者が、数多の敵を斬り伏せ進む。

 その恐怖の過去と酷似する部屋を、一心不乱に。

 

 

 

 

 

 

 ────そうして、漸くそれを見つけ出した。

 

 

 

 

 

 

 「……あった……」

 

 

 

 

 

 

 

 そこには、ずっと探していたもう一つのエリアシステムコンソールルーム。

 この世界の内情が分かる、管理区とは別のコンソールだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 無機質なデータで塗り固められたような部屋にひっそりと置かれたシステムコンソールは、電気が通ったかのように光が走る。

 壁も同じように動き、その中心点に、アキトとユイは立っていた。

 もはやゲームとして楽しめるような景色も、世界観も存在してはいなかった。あるのはただ、この世界を設定をモニタリングする物体のみ。

 ユイはアキトを一瞥した後、ゆっくりとその歩を進め、その小さな手をコンソールに当てる。

 

 

 「これは……管理システムコンソール……ここからなら《ホロウ・エリア》の管理システムにアクセス出来ると思います」

 

 「調べられる?」

 

 「やってみます!」

 

 

 ユイはやる気をアキトに見せるとコンソールに触れ、操作し始める。その背中を眺め、アキトは小さく俯いた。

 何も出来ないアキトは、ただユイを信じ、見守る事しか出来ない。無力な自分がこんなにも歯痒くもどかしいと感じるなんて。

 

 

(そうか……ユイちゃんもずっと、こんな気持ちだったのか……)

 

 

 《圏内》という安全圏にいるだけで何も出来ないと嘆くユイの気持ちを、今になって漸く知る事が出来た。いつも彼女は誰かの役に立ちたいと願い、自身に出来る事を模索していた。

 アスナが乱心した時も、ボス戦を待っている時も、ただ一人だけ待ち続けて。

 それがどんなに恐ろしい事か。待ち続けて待ち続けて、その結果誰も帰ってこなかったら。

 そうしたらユイは、この世界にたった一人取り残される事になる。

 それはあまりにも残酷で、救われない結果だろう。

 今ユイは、自身に出来た目的の為に一生懸命に働いている。きっと、自分が誰かの助けになると、そう思うと嬉しいのかもしれない。

 アキトは小さく、ユイに微笑んだ。

 

 

 「……開きました!」

 

 「……どう?」

 

 「少し待って下さい……これは、プレイヤーデータとAIデータの重複チェックシークエンス……っ!中でエラーが発生しています!」

 

 

 ユイは驚きで声を上げ、その狭い空間に音が響く。

 その一言だけでは理解出来ないアキトは、ユイを見下ろし聞き返す。

 

 

 「エラー?」

 

 「はい。重複チェック中に想定外のエラーが発生した様です」

 

 「重複チェックっていうのは?」

 

 

 先程からユイの発言から出てくる単語に首を傾げるアキトに対し、ユイは見上げて口を開いた。

 

 

 「《ホロウ・エリア》では、実在するプレイヤーのデータを元にAIのIDを作成しています。ただ《ホロウ・エリア》には実在のプレイヤーとそのプレイヤーのAIが同時に存在しないように────IDの重複チェックを行っているんです」

 

 「……えっと」

 

 

 アキトは思わず思考が止まるが、その言葉の意味をゆっくりと理解していく。

 例としてあげるならつまり、アキトが《ホロウ・エリア》を訪れると、同時にアキトを元にしたAIが居た場合、そのIDは消えてしまうという事だ。

 

 

 「……成程。人とAIは同時に存在出来ないって事か。それで、AIが消えてしまうと……」

 

 

 ユイはアキトのその発言に頷き、さらに分かりやすく説明を始める。

 

 

 「その通りです。AIを優先的に削除する仕組みになっているので。《ホロウ・エリア》では、同じプレイヤーが存在した瞬間、AIが同時にいる事をNGと判断し、IDを削除します」

 

 「理由は?」

 

 「《人》を使用したテストデータに支障を来たしてしまう可能性がある為ですね。この重複チェックにより、本来は絶対にプレイヤーと同じAIは出会わない筈なのですが……重複チェックの最中にエラーの原因が発生した様です。アキトさん……その原因ですが……」

 

 

 そこまで聞いて、アキトも、アキトの中にいる()も、フィリアという存在が何者なのか漸く理解した。

 ユイが言おうとしていたエラーの原因も、凡そ把握出来た。

 

 

 「……誰のデータでエラーが出てるのか、分かる?」

 

 

 「はい……分かりました!これは……フィリアさんです」

 

 

 その名を聞いた瞬間、全てが繋がった気がした。

 モヤモヤとしていた心が、スっと晴れていく。全てが分かった訳では無いが、散りばめられたピースが嵌っていく音が聞こえた。

 これで、漸く前へ進めそうだった。

 

 

 「……アキトさん、嬉しそうですね」

 

 「……ユイちゃんのおかげだよ。ありがとう」

 

 「お役に立てて、とっても嬉しいです!」

 

 

 ユイの笑顔に魅せられて、アキトはつられて笑ってしまう。

 そうして、自身が理解した事の全てを、ユイに告げる。今まで起こった謎の全てを解くように。

 

 

 「フィリアが出会ったのはきっと、AIのフィリアって事か」

 

 「そうです。その時は一時重複チェックの機能が作動していなかったと推測されます」

 

 「フィリアは目の前に現れた自分に戸惑った結果、攻撃してしまったってところか……」

 

 「イレギュラーが重なり、本来起こり得ない出来事がフィリアさんを特殊なステータスに変え、エラーとして認識されていると思われます」

 

 

 これが彼女のオレンジの原因で、かつアインクラッドに戻れない理由。

 そしてそれが、今回フィリアがPoHと共になって、アキトを罠に陥れた理由。

 

 訳も分からずにこのエリアへ飛ばされ、戸惑い、逃げ迷った先に出会ったのは、もう一人の自分。

 錯乱して攻撃した結果、気が付けば自分のカーソルの色がオレンジへと変わり、目の前にいた筈の自分は消えていた。

 自分という存在を殺してしまった、その事実がフィリアの心を歪め、精神状態を不安定にさせていたのだ。

 

 ずっとここから出られなくて、一人もがいて。

 彼女はあの時、自分を殺したと言った。影の存在なのだと。

 彼女はずっと、自分が自分でない気がしてたのだ。だからこそ、フィリアへ悩み苦しみ、決壊するまで溜め込んでいたのだ。

 そんな時にPoHが現れ、恐らく彼女に何かを言ったのだろう。

 もし奴が、フィリアの事を知っていたのだとしたら。自分はデータなのだと勘違いしたフィリアに、お前はアキトとは違う存在なのだと突き付けたのだとしたら。

 縋るものすら無かったフィリアは、どんな行動を取るだろうか。

 

 

『……そうか。そうなんだな』

 

 「ああ。俺達はまだ、フィリアの味方でいられるんだな」

 

 

 アキトは口元を緩ませ、その拳を握り締めた。

 何か理由があったのかもしれないと、そう思っていた。共に過ごした時間から、そこで結ばれた絆が、フィリアが裏切ったという事実を良しとしなかった。

 間違いであって欲しいと願ったその希望は、夢幻じゃないのかもしれない。

 

 

 「ですが、このコンソールではエラーを解除出来ません。この管理区の何処かにある中央管理コンソールにアクセスする必要があります」

 

 「……分かった。頑張ってみるよ」

 

 

 アキトは彼女の頭にその手を乗せ、優しく撫でた。

 一瞬で顔を染めるユイだったが、嬉しそうに、それでいて少しだけ恥ずかしそうに、その撫でられる頭の感触を楽しんでいた。

 

 フィリアのオレンジは犯罪を犯した事で発生するものではなく、単にエラーとして現れているだけに過ぎない。なら、ちゃんとした手順で元に戻す為のコンソールが何処かにきっとある。

 この目の前のコンソールだってすぐに見つかった。きっと、次も見付けられる。

 

 

 「……アキトさん」

 

 「ん?」

 

 

 ユイの小さな声に、アキトは不思議そうに首を傾げる。

 彼女は瞳を揺らしながら、それでもその気持ちを吐露し始める。

 

 

 「私は戦闘は出来ませんが……で、でも、こういった事ならいつでも力になります!だ、だから……もっと頼って下さい!」

 

 「っ……」

 

 

 その一生懸命に絞り出した想いに、アキトは言葉を失った。

 ずっと一人でみんなの帰りを待つ事しか出来なかったユイの、漸く見付けた役割。

 だからこそ頼って欲しいと、彼女はアキトに願う。

 そんな一途でひたむきで頑張れる彼女に、アキトは何とも形容し難い感情を抱いた。

 

 

 彼女の想いと頑張りに応える為に、全力で抗おうと思った。

 

 

 「……あり、がとう……」

 

 

 少し戸惑いながら、照れながら。

 ユイにそう、小さく感謝の意を伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……あの、何か怒ってる?」

 

 「べっつにぃ?」

 

 

 アキトの恐る恐るの問い掛けに、わりと響く声で否定するリズベット。工房だから良かったが、街中にいたなら周囲の視線が集まった事だろう。

 彼女は不貞腐れたように見えたり、角度を変えれば苛立っているようにも見える。

 アキトは何も言えずに、ただ炉心の火を起こす彼女の姿を視界に捉えるだけ。

 けれど、彼女が何故自分にこんな態度なのかは察しが付いていた。

 

 

 「……ゴメン、心配かけて」

 

 

 アキトは素直にそう誤った。

 リズベット達はアキトの話を聞いた結果、アキトが《ホロウ・エリア》へと赴く事を反対していた。

 それにも関わらず、アキトはフィリアを助けるべく行動を起こしたのだ。

 彼の本来の素直な性格を知ったが故に、あの話の後に彼がどう動くのかは大体予想が付いていたのだろう。

 アキトが《ホロウ・エリア》からユイと共に帰って来た時、転移門前で腕を組んで立ちはだかっているシノンが、そこには居た。

 散々怒られ、睨まれ、毒を吐かれ、アキトは痛く傷付いた。

 そんなアキトの素直な言葉に、リズベットは目を逸らしながら応える。

 

 

 「第一、あたしは反対なんだからね?アンタが《ホロウ・エリア》に行くのは……」

 

 「……知ってるよ。だから黙って出掛けたんだ」

 

 「すぐバレたけどね」

 

 「んぐっ……」

 

 

 バツが悪そうに顔を歪める。

 いつもは用意周到なアキトも、フィリアを助けたい一心で他の事に手が回っていなかった。そんなアキトはさぞ珍しかった事だろう、彼女達も少なからず驚いていた。

 

 だがリズベットはこう考えていた。

 きっとアキトは、単に一生懸命で、他の事を忘れていただけなのかもしれない。一度決めたら、彼はきっと最後まで諦めないだろうし、誰よりも頑張るだろうから。

 たとえ、彼が誰より傷付こうとも。

 

 でもそれが、彼女達からすれば心配する原因にもなっていて。

 彼を大切な存在だと認知したからこそ、彼一人を危険な目に合わせたくない、合って欲しくないと思っている。

 だからこそ、彼があまり反省していない様子を見ると、腹立たしく思えてくる訳で────

 

 

 「……心配してくれて、ありがとね」

 

 「っ……」

 

 

 ────と、思っていたが、アキトはリズベットの瞳を真っ直ぐに見据えると、素直に謝罪を口にした。

 何の捻くれも屁理屈も無く謝られ、リズベットはギョッとする。こうして素直に謝られると、調子が狂うというか何というか。

 やはり、以前のアキトの方に慣れてしまった為に、対応に困っていた。

 

 

 「〜〜〜!っていうか、何なのよその態度!いつもの横柄な俺様キャラは何処行ったのよ!」

 

 「あ、いや……あれは……」

 

 「知ってるわよ!わざとなんでしょ!なら最後まで貫きなさいよ、調子狂うでしょうが!」

 

 

 もはや自分が何を伝えたいのかすら分からないリズベット。

 いつもの高圧的で、口を開けば悪口が飛び出るアキトだった筈なのに、今の彼には見る影も無い。

 あのままなら、自分も同じように文句が言いやすかったものを。

 けどそれは真の意味で、自分達の事を仲間だとアキトが思ってくれたという証拠でもあった。

 それが嬉しかったからこそ、それに対しての文句も言い出せない。

 行き場の無い想いが喉元で止まり、溜め息となって霧散した。アキトを不満そうに見ながらも、渋々その手を彼に差し出した。

 

 

 「……はぁ、もういいわよ。メンテナンスに来たんでしょ?武器出しなさいよ」

 

 「……てっきり、もっと怒られるかと……」

 

 「……止めたって、どうせ行っちゃうんでしょ?」

 

 

 リズベットの弱気な声での発言に、アキトは返答出来ない。それが答えだと言っていた。

 そうだ、きっと何を言っても、彼は止まらないだろうと、リズベットは理解していた。

 故に。

 

 

 「……だから、あたしからはもう何も言わない。ただ、せめてアンタの後悔が無いように……」

 

 

 彼女はアキトから《リメインズハート》を受け取り、小さく笑った。

 とても魅力的に、可愛らしく。

 

 

 「こうして、アンタの剣を鍛えてあげるから。何度でも」

 

 「っ……リズベット……」

 

 

 そんな切実な想いに言葉を失う。

 アキトに何か文句を言うでも無く、こうして支えると言ってくれて。

 その真っ直ぐな優しさに、アキトは感謝を抱かずにはいられなかった。

 

 

 「……ありがとう。凄く助かるよ」

 

 「……べ……つに、良い……けど……」

 

 

 アキトの優しい笑みを間近で見て、顔を赤くして狼狽えるリズベット。

 本当に、前の彼と違い過ぎて調子が狂う。

 その身を翻し、その部屋の奥で刃を削る。チリチリと火花を散らし、《リメインズハート》の刀身を鋭くさせていく。

 炉心の火がこの空間を温める。剣の削られる音は何故か不快感を感じず、斬れ味が増している事実に口元が緩む。

 

 

 「……はい」

 

 「……うん」

 

 

 やがてメンテナンスが終了した自身の武器が、アキトの手元へと戻って来る。

 その重みには色んな人達の想いが集まっているように見えて、とても温かく感じた。

 

 

 「これからどうするの?」

 

 「……フィリアを、探してみるよ」

 

 「……そっか」

 

 

 リズベットは寂しそうに小さく笑う。何かを堪えるように俯いたその口元は、何処か諦念を感じさせる笑みを浮かべていた。

 パチパチと火の音が耳を貫き、それだけが部屋に響いていた。

 何も交わす言葉が無くなった事に気不味さを感じたアキトは、鞘に収めた《リメインズハート》の重さを感じながらに身を翻す。

 

 

 だが────

 

 

 「……どうして、そこまで頑張れるの?」

 

 

 リズベットのその一言で、アキトのその足が止まる。思わず振り返れば、不安げな顔をしたリズベットの姿があった。

 その質問の意図と意味を考えながら、アキトは不思議そうに口を開いた。

 

 

 「フィリアは仲間なんだし、助けるのは────」

 

 「罠に嵌められたのよ?例えどんな理由があったとしても、アンタがそうされたって事実は変わらない。普通なら……少しは躊躇うでしょ……」

 

 

 リズベットは気付いてる。

 いや、きっとアスナ達も無意識的にだが理解している筈だ。

 

 彼が、誰彼構わず助けようとするその姿勢の形。それはとても歪なものなのだと。

 

 彼に一番近く、ずっと共に戦って来て、何より助けられた本人達だからこそ、その不安定さを痛感している。

 アキトは、目の前に死の危険に陥る人が居るなら、理由を求めずすぐさま駆け寄る程正義感に満ちている。けれど、それは優しさだとか、そんな簡単なもので纏めるにはあまりにも歪んでいる。

 

 ボス戦時も同じだ。殺されそうになった見ず知らずのプレイヤーの前に立ち、防御姿勢を取る彼。けど彼は、筋力値重視のステータス。防御はからっきしなのだ。なのに、彼は飛び出してしまう。そんな光景を何度も見てきた。

 

 アスナ達の様に、アキトと少なからず関わりがあるならまだしも、顔も知らない誰かの為に命を張れる彼のその行動力は異常だ。

 彼は誰かを助ける為の理由も、見返りを求めない。その答えを決して導かない。

 

 だけど、そんな存在は気持ちが悪い。

 酷く歪んでいて、どうしようもない。そんな人間が、この世にいる筈がないのだと、誰もがそう思う。

 この世界の誰もが打算的に生きており、最後には我が身大事。他人の為に命を懸ける事はあれど、それはきっと自身にとって大切なものだからこその筈なのだ。

 だからこそ、アキトのその在り方は、とても救われない。

 

 いつか必ず、壊れてしまう日が来てしまう。

 

 今回の件だってそうだ。

 仲間だと思っていた彼女に陥れられた。たとえどんな理由があったとしても。

 何か理由があるのかもしれない。けどそうだとしても、彼がフィリアの為にと、ほぼノータイムで行動を起こす事実は、一般人にはきっと理解出来ない。

 事情を知らなければ、彼はオレンジプレイヤーにPKされそうになった、と映るから。

 

 もし先程ユイと共に《ホロウ・エリア》へと赴き、フィリアの事情が分かった上で納得したのなら、助けに行く理由はあるのかもしれない。

 けどアキトは、そんな事を調べる前からフィリアを助けると決めていた。

 助ける必要など、無いのかもしれないのに。

 それはアキトも感じている筈なのだ。

 何故、フィリアの為にここまで一生懸命になれるのだろうか。リズベットはそれを聞きたかったのだ。

 

 

 

 

 「……どうして、か……」

 

 

 アキトはリズベットのその問い掛けを、頭の中で反芻する。

 

『人を助ける事に、理由はいらない』

 

 そう父親が言っていたのを思い出す。今にしてみれば、なんて痛々しいセリフだろうと、我が父ながら笑ってしまう。

 けれど、敢えて理由を述べるとするならば、それはとても我儘で、独善的で矮小で。

 ささやかな願いだった。

 

 

 「……泣いてる顔が、嫌いなんだ」

 

 

 そう答えたアキトを、不思議そうに見つめるリズベット。

 そんなアキトの脳に思い起こされるのは、今まで出会ってきた人達の、悲しみで満ちた涙だった。

 

 今は亡き、自分の父親の涙。

 とても正義感に溢れていて、とてもユーモアがあって、子どもっぽくて、アニメが好きで。

 強くなるおまじないだとか、偶に飛ばされる名言だとか、何から何までアニメに影響を受ける痛々しいオタクなのだと、笑ってしまう程の人だったけれど。

 人一倍傷付いて、誰かの為に涙を流せる人だった。そんな誠実で純粋で、他人の痛みを理解出来るヒーローの様な父親を、今になって尊敬する。

 けれどその反面、誰かが傷付く度に泣き虫の様に泣く父が、たまらなく嫌だった。

 情けないからではない。傷付く彼を見ていられなくて。

 

 全く血の繋がっていない妹の涙。

 彼女は、自分の父親が死んだ時、誰よりも慰め、泣いてくれていた。

 涙が出ない自分の代わりに私が泣くのだと、可愛い容姿が台無しになるくらい泣いていたのを思い出す。

 そして、彼女が泣いているのは自分が泣かないせいなのだと、ずっと自身を責めていたのを思い出す。

 

 かつて、共に過ごした一人の女の子の涙。

 モンスターに怯える毎日の中、ここへ来てしまった事の意味を必死に模索していた彼女の、死に恐怖する臆病な涙。

 この世界の恐怖を体現したような彼女の涙を、拭う事が出来なかった自分を何度も何度も憎み、恨んだ。

 

 ここに来る前に、パーティを組んだ一人の女の子の涙。

 いつか見たような臆病さを見せていた彼女は、それでも一生懸命に生きていた。

 現実世界へ帰りたいと願うその意志は本物で、強くありたいと高みを目指すその姿は、あの時の自分の目標だったと思う。

 そんな彼女の、裏で見せていた涙。綺麗だと思った反面、それが悲しみや恐怖で押し潰されそうになる自分を律する為のものだと知った時、自分の無力さを呪った。

 

 そして、親友の涙を見た。

 雪原で二人。自分と彼の二人きり。

 何度も何度も謝る彼に、自分は何か言ってあげただろうか。

 何も言わなかっただろうか。

 後悔と自責と憎悪と、そんな感情ばかり渦巻いて。

 

 この世界はそんな事ばかりだ。

 嬉しい事以上に悲しい事があり、生きようと多くの人間が渇望する以上に多くの人が死ぬ。

 常に隣り合わせ。安全な場所など、本当は何処にも無くて。

 

 ここに来てからも、色んな涙を見た。

 アスナ、ユイ、シリカ、リズベット、リーファ、シノン。

 けれど、その全てが痛々しくて。

 見たくないと、本気で思っていた。

 

 

 「誰かの泣いた顔が、悲しみに満ちた表情が、ただただ見てられないって、そう思ったから……」

 

 

 あの時のフィリアの表情は、まさにそれだった。

 そう、結局はアキト自身の我儘なのだ。

 泣いた顔が嫌いだから。それだけで、彼は動く事が出来る。それさえも歪んでいると言われれば、彼はきっともうその生き方を変えられない。

 

 

 「届くのに伸ばさなかったら、一生後悔すると思うから。だから、俺の手が届く範囲の人達だけは、絶対に助けたいんだ」

 

 「アキト……」

 

 

 それに、見返りが何も無いとしても。

 

 

 リズベットは、そんな彼の在り方をとても否定したい気持ちに駆られた。

 だって、他人を優先する彼はきっと。

 

 

 自分自身を救う事は決して出来ないのだから。

 

 

 












無機質な空間、データの塊。
傍から見れば、それはただの数字の流れ。


折り重なる剣戟も、部屋に響くその音も、全てはまやかしで偽りで。
嘘っぱちで。


奇跡も希望も夢も無く、あるのは確率という名の必然と、消えること無く増幅する絶望のみ。
そして、その虚ろな世界のとある一部屋で、彼は立っていた。
そんな彼自身も《英雄》ではなく、《勇者》の仮面を被った、偽りの英雄。


傍から見た彼は、きっとヒーローみたいに見えたかもしれない。誰だって死なせたくない。そうして、自分を投げ打って助けようとする。それでいて見返りを求めない。

────だけど。

彼は、本当は弱くて。本当は寂しくて。本当は我儘。
どうしてと問われた理由に、決して解を導かない。
助ける事に理由は要らない。そんな存在が異常で、歪んでいるとしても。


それでも、目の前の殺人鬼を止めるその手を緩めたりはしない。




「……どうして、そこまで……」




フィリアの震える小さなその声が、黒猫の耳に入る。
驚き振り返るその瞳は揺れつつも、やがて小さく口元に笑みを浮かべた。
彼は目の前のポンチョの男に向き直ると、鋭い目付きで剣を突き付けた。


自分が、紛い物でも。
求められていなくても。
補完された存在で、代わりとされていたとしても。


それでも、大切だって。
確かにそう思ったから。











「失せろPoH。お前に、フィリアは任せられない」

















次回 『今、君が笑える様に』

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