ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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たった一つだけで良い、それだけで良いんだ。







Ep.83 英雄と勇者の剣技

 

 

 

 ────届かない。

 

 

 そう感じてしまう。

 目の前のPoHという男に、自分の重ねた研鑽の何もかもが容易く潰されていくその感覚に絶望すら感じる。

 

 誰かを助ける為にと、そんな高尚な事は言わない。

 けれど、責めて誰かの幸せを壊さぬようにと、そう願ったこの想いは間違ってなどいなかった筈なのに。

 PoHはその一歩上を行くのか。誰かを殺す為の、幸せを壊す為の力に、明らかに劣っている事実。

 それが悔しく苦しく、何より哀しかった。

 

 

 ────もし、キリトなら?

 

 

 彼がこの場に居たら。自分の代わりに戦えたなら、何かが変わっていただろうか。

 キリトなら、PoHに勝ちの可能性すら与えずに完封する事が出来るだろうか。何の犠牲も無く救えるだろうか。

 自分みたいな、誰かに対する劣等感を感じずに戦えるだろうか。

 彼とのその差に、これから自分も彼と同じように進むのかと思うと、足が竦む。心が折れそうになる。

 

 

 ────ドクン

 

 

 心臓が高鳴った。

 自身の無意識に生まれたその願いに応えるように、《彼》が目を覚ますのが分かる。

 その身体が、別の人間に侵食されていくのが分かる。

 

 自分には、彼がいるのだと。

 共に戦ってくれているんだと、そう応えてくれる。

 

 駄目だと分かっている。

 こんなのは仮初の力だと知っている。自分では無いと理解出来ている。

 掲げた願いを、自分では叶えられないのだと痛感してしまう。

 なのに、この窮地を助けてくれる彼がどうしようもなくヒーローに思えて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 ────バチリ

 

 

 その部屋の中心に電撃が走る。

 溜まった電気が暴発したように、周りの空気を吹き飛ばす。

 

 

 「っ……!」

 

 

 ダガーを振り切っていたPoHはその現象に巻き込まれ、そこから部屋の壁まで吹き飛ばされる。だがすぐさま態勢を整え、自身が攻撃した筈のプレイヤーがいる位置へと視線を向ける。

 アスナとフィリアもその眩しさに目を細めるが、やがて頬を撫でる風を感じて、ゆっくりとその瞳を開く。

 

 

 その部屋の真ん中には、一人の剣士。

 

 

 吹き荒れる風で黒いコートが靡き、身体に纏う電撃がその存在を色濃く主張する。

 

 

 流れるような黒髪が風で揺れ、その手には2本の剣が。

 想いを背負う剣(リメインズハート)ともう一つ。

 

 

 ────暗闇を払う剣(ダークリパルサー)

 

 

 その姿は《二刀流》。

 今は亡き、英雄の力。

 

 

 

 

 「ぁ……」

 

 

 

 

 アスナはその瞳を逸らせない。

 フィリアは戸惑いながらも、その剣士から視線を外さない。

 その激しい電撃が晴れ、吹き荒れる風が段々と弱まっていく。

 その剣士は閉じていた瞳をゆっくりと開ける。

 彼が誰かなんて、愚問だった。

 何より、アスナが知らない筈は無い。

 その背中を、自分が誰よりも知っている。

 

 

 「……キリト、君……」

 

 

 瞳に溜まる涙のせいで、彼の事がよく見えない。

 けれど、そこに存在しているのが誰なのか、はっきり理解出来ていた。

 大切だった、大好きな人。

 アスナのその名を呼ぶ声に反応し、彼は彼女に小さく笑みを漏らす。

 

 

 そこに居たのは、紛れもなく《黒の剣士》キリトの姿だった。

 

 

 「出やがったか……待ちくたびれたぜぇ……」

 

 「PoH……お前は相変わらずの外道だな」

 

 

 PoHは項垂れるように首を動かし、次第にその口元を歪めていく。

 静かにPoHを見据え、怒りを乗せて言葉にするキリト。

 彼のその瞳には、PoH以上の殺意を感じる。

 キリトのその身に現る感情と雰囲気は正しく本物だった。

 これは、キリトの身体ではないのかもしれない。アキトのアバターを媒体として顕現しただけなのかもしれない。

 でも、それでも。

 この場に現れたのは間違い無くキリトだった。

 

 

 「これで漸く楽しめるってもんだ。……まぁアイツにも興味が湧いてたとこだったんだが、どっちも殺せるんなら関係無ぇよなぁ」

 

 「……やっぱり気付いてたんだな」

 

 

 これまでのPoHの言動を振り返ると、PoHはアキトの中にキリトが居ると確信して話している節が見て取れる。

 奴は今この場にアキトに代わって現れたキリトに歓喜している様だった。その笑みを抑え切れずに口元を歪める。

 

 

 「何でそうなったかなんてのはどうでもいい。お前ぇがそこにいるっていう結果があればなぁ」

 

 「生憎だけど、長居するつもりは無いよ。どうせすぐに片が付く」

 

 「言うじゃねぇの」

 

 

 キリトは《リメインズハート》と《ダークリパルサー》を持ち上げて構える。

 その身体は所々ブレており、触れればすぐに消えてしまいそうだった。

 留まれる時間は限られていると、そう示唆出来てしまう。

 その背中を見たアスナは、震える声で呼び掛ける。

 

 

 「……本当に、キリト君なの……?」

 

 「……アスナ。ゴメン」

 

 「っ……」

 

 

 ────たった一言。

 その言葉だけで、全てを理解出来てしまう。

 アキトの身に宿る彼の意志は紛れも無く本物で、決して作り物なんかではない事を。

 あれは、私を今までずっと守ってくれたキリト君なのだと。

 これからも守り続けると、必ず現実世界へ帰してみせると、そう約束してくれた人だと。

 彼はまだ、この世界に存在してくれているのだと、何よりもアキトが教えてくれた。

 

 キリトは今、確かにここにいた。

 色々な事象が折り重なって、この場に現れた彼は、まるでこの世界のバグのように、修正されていくかのように、眩んで見える。

 

 《二刀流(ユニークスキル)》を介した、《カーディナルシステム》への接続(アクセス)。スキルに応じた担い手(キリト)の力を短時間だけ写し取り、その精神をアキトへと上書き(オーバーライド)する。

 《二刀流》を取得してからずっとキリトと同調(リンク)していた事で、その境界線が薄れてきた事による精神の転換。

 《魔王》を倒す《勇者》としての役割を、《カーディナル》がアキトに押し付けた結果の姿だった。

 

 それはきっと、諸刃の剣。

 後天的に別の人格をアキトの脳に強引に植え付けた事と遜色無い事象が、後々アキトを苦しめる事になるかもしれない。

 キリトは自身の胸の中にいるであろう親友(アキト)を思い、剣を握る力を強くする。

 ボロボロになりながらもPoHに向かっていくアキトは、決してPoHに勝てない訳じゃない。

 

 

 「俺が証明するよ、PoH」

 

 

 アキトの願いが、決して偶像なんかじゃない事を。

 親友の努力が、無駄なんかじゃない事を。

 その憎悪に満ちたキリトの威圧感に、PoHだけじゃない、アスナやフィリアもゾッとする。

 

 

 「お前を楽しませる気はさらさら無いが、フィリアと……俺の親友を傷付けたお前を────」

 

 

 その地に付いた足に力を込め────

 

 

 「絶対に許さない!」

 

 

 全力で踏み抜いた。

 その剣はそのままPoHの元へと届き、その身体を掠らせる。

 PoHは舌打ちをしながら、その剣をダガーで弾く。

 キリトのその動きは、アキトよりも僅かに速い。距離を詰め、その剣を振り、火花を散らす。

 互いが互いを見据え、自身の剣を煌めかせる。

 

 

 そんな様子を、フィリアとアスナは眺める事しか出来ない。

 キリトを知らないフィリアは、突然姿が変わってしまったアキトを見て、目を見開いて固まっていた。

 

 

 「アキト……なの?」

 

 

 アキト────キリトから視線を逸らせないフィリア。彼女からすれば、今目の前にいる少年は赤の他人。

 先程まで苦戦していた時とは打って変わって、今は少なからずPoHと剣を打ち合っている。《二刀流》という手数が増えたお陰である程度戦えるようになったのかもしれない。

 だが先程とは半ば戦闘スタイル、それに伴う雰囲気が違って見えて、フィリアは焦る。

 

 誰なのか、今、自分の目の前で戦ってくれている少年は────

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 アスナは咄嗟に開いたフレンドリストから、一人の名前を見つける。

 そして、その目を見開き、涙が頬を伝う。

 死亡扱いされていた《Kirito》の表示が、段々と色を付けていく。

 この瞬間に彼が今、一生懸命になって生きているという事実が、この胸に去来する。

 自分とフィリアを守る為に、戦ってくれている。

 果たせなかった約束を、守れなかった約束を、今一度果たそうとしてくれている。

 アスナはその場に崩れ落ち、その両手を重ね、願うように俯く。

 

 

 キリトが、戦ってくれている。

 

 

 自分の為に。

 

 

 フィリアの為に。

 

 

 そして、アキトの為に。

 

 

 彼は今、アキトが果たせなかった事をしようとしている。

 彼が成しえなかった事を行動に変えようとしてくれている。

 その願いが、努力が無駄じゃないのだと、証明しようとしてくれている。

 涙が流れるも、それを拭おうとはしない。ただ願い、この戦いの行く末を見ることしか、今の自分には出来ないのだから。

 

 

(頑張って……頑張ってキリト君……君が信じるものの為に……私はいつだって君の傍にいるから。ずっと隣りで貴方を、支え続けるから……!)

 

 

 アスナは願う。かつて彼と交わした筈の、果たされなかった約束を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「せぁ!」

 

 「Ha!」

 

 

 交錯する剣がそれぞれ光の軌道を描く。

 星のような煌めきもあれば、血のような濁った色のエフェクトが混ざる。闇のように深く冷たい、そんなソードスキルが飛び交う。

 折り重なる剣戟、響き渡る音、それらが各々の耳に届き、その鼓膜を震わせる。

 

 PoHの他とは違う大きさのダガーを紙一重で躱し、その手元を弾く。

 仰け反った身体にもう片方の剣を突き出すが、PoHは瞬間移動とも呼べる速度でキリトの目の前から姿を消す。

 キリトが殺気を感じたタイミングで、PoHはキリトの背中に《友切包丁(メイト・チョッパー)》を振り下ろす。

 キリトは咄嗟に右手の《リメインズハート》を背中へ担ぐように持って行き、そのダガーとぶつけた。

 

 

 「Wow!流石だなぁ」

 

 「っ……らあっ!」

 

 

 《ダークリパルサー》をPoHに向かって振り抜く。その切っ先はPoHの腹部を確かに斬り裂き、そPoHはその身体を翻す。

 斬られた部分が赤いエフェクトで染まる。その部分を自身の手で優しく撫でながら、PoHは嗤う。

 

 

 「危ねぇ危ねぇ、後一歩踏み込んでたらお陀仏だったぜぇ」

 

 「どうかな……というか、そんな瞬間移動みたいなスキルがあるなんて聞いてないぞ」

 

 「もしもの備えってのは、大事だろぉ?」

 

 

 PoHに負けじと笑みを返してみせるが、内心は動揺を隠せずにいた。

 一瞬で目の前から背後へと回り込む速度は、キリトのステータスでも漸く反応出来るかどうかのものだった。

 アキトと戦っていた時には見せなかった動き、その時以上の移動速度。

 どういう事なのか、それはすぐに検討が付いた。アキトとの戦闘時に見せた未知のソードスキル、そしてここは装備やスキルをテストする《ホロウ・エリア》、加えてPoHは《高位テストプレイヤー権限》を有している。

 それらが導く答えは一つ。

 

 

(コイツ……まだアインクラッドに実装されてないスキルを使ってやがる……!)

 

 

 そう。《ホロウ・エリア》はアインクラッドに実装する前に、装備やスキルがゲームバランスを崩さないかどうかテストするエリアだと、ユイからアキト越しで聞いていたキリトは小さく舌打ちする。

 恐らくPoHは、その『ゲームバランスを崩す』恐れがあるスキルをスロットに入れているのだ。

 つまり、ステータスや経験だけの勝負では無い。そこには、極めて不公平な事実が存在していた。

 キリトはPoHに対する憎悪を必死に抑え、そして。

 

 

 どうにか笑ってみせた。

 

 

 「……成程な、道理でアキトが苦戦する訳だ」

 

 「あぁ?」

 

 「そんなスキルでも無きゃ、アキトがお前なんかに負ける筈が無いからな」

 

 「……ハッ」

 

 

 PoHはそう軽く嗤うが、表面上だけだった。

 その瞳は笑っておらず、キリトに対しての殺意が増す。

 飛び出すタイミングは互いに同じ、違うのはその意志の強さのみ。だが、それが負けてさえなければ問題無い。

 アキトの願いが、自身の願い────

 

 

 「はああああぁぁぁああ!」

 

 

 その二刀をエフェクトで輝かせ、眩い光が迸る。

 PoHが一瞬だけ目を細め、その視界が狭まった今こそが好機。それが僅かな隙だとしても、PoHに出来てキリトに、アキトに出来ない道理は無い。

 

 

 二刀流突進技《ダブル・サーキュラー》

 

 

 黄金に煌めく剣技、二本の剣がPoHに迫る。

 PoHは舌打ちをしながらも、自身に近付く剣をギリギリで左へと弾き、余った拳を開き、手刀をキリトの背中に叩き付ける。

 キリトは咄嗟にローリングする事でそれを躱し、瞬時に立ち上がる。振り向きざまにその剣を上げ、近付くPoHにその剣を振り下ろした。

 

 

 「はあっ!」

 

 「チィ……!」

 

 

 PoHはその場で足を止め、ダガーを前に突き出す。

 剣と剣がぶつかり合い、凄まじい音が響く。同時に散らした火花が今も変わらずに飛び、キリトとPoHは互いに睨み合う。

 

 

 「シッ!」

 

 

 キリトは左に持つ《ダークリパルサー》を、鍔迫り合いをするPoHの肩に向かって下ろす。

 PoHはそれを察知したのか、そのダガーを輝かせる。放とうとしているソードスキルに含まれているしゃがむモーションにより、キリトのその攻撃を鮮やかに躱し、そこから足を伸ばしてキリトの足元を蹴り飛ばす。短剣のソードスキル《シャドウ・ステッチ》の動きだ。

 驚きで目を見開くも束の間、態勢を崩したキリトはその隙にPoHの接近を許してしまう。

 キリトは倒れるのを剣を床に刺す事で防ぎ、そこから身体を捻ってPoHに蹴りを入れる。

 PoHは咄嗟に腕でそれをガードするもその威力が流れ、身体が横に飛ぶ。だがその身体を宙で動かし、床に見事に着地した。

 

 

 「────っ!」

 

 

 キリトは畳み掛けるように、その地を蹴る。

 接近するその速度は、今までよりも速い。

 

 二刀流奥義技十六連撃

 《スターバースト・ストリーム》

 

 タイミングは外さない、絶対躱させはしない。

 自身で見極め、今この瞬間に賭けた想いに、決めた選択に、後悔だけはしないように。

 

 その連撃はまさに光速。

 左右の剣から飛び交う光の軌跡がPoHの身体に吸い込まれていく。どうにか弾き躱そうとするも、その殆どがPoHの身体を斬り裂いていく。

 

 

 「ぐぅっ……!」

 

 

 PoHの顔が歪む。自身でも対処出来ない速度の剣技がその身に襲いかかる事に苛立ちを覚え、そこに笑みは無かった。

 PoHは攻撃を受けつつもなんとかそれらを弾き、瞬時にバックステップで後退する。斬られた幾つもの部分を見下ろした後、キリトを見据えて舌打ちをした。

 休ませる暇など与えないと、再び互いに地面を蹴る。そしてまた、高速の攻防が始まる。

 

 斬る、躱す、殴る。

 

 そうして時間を掛ける毎に、誰もが理解し始める。

 間違い無い、PoHは確実に押されている。キリトの全力の剣技が、PoHのHPを着実に減らしていく。

 だが、それでも戦闘を焦りで乱したりしない。常に考え、予測し研ぎ澄ませ、キリトの攻撃に反応してカウンターを繰り出し、キリトはそれを見てから動くその反応の速さで、全てを紙一重で対処していく。

 互いに譲らず、目的の為に全力を懸ける。その意志や切実に思う願いの丈はキリトとPoHでは比べ物にならないが、それでもPoHはキリトに対して引く事はしない。

 どんな事をしても殺す、その目的が明確化されていく。普段なら、自身を有利な立場へと持っていった後に行動を起こすPoHからは考えられない。今この場で、目的の為に命を賭して戦うPoHには、この世界の《ホロウ》として与えられた、危機に鈍感で目的に盲信的なAIとしての性質が現れていた。

 だからこそキリトも予測出来ず、それでいて戦いにくい。AIとはいえ──否、AIだからこその動きがアキトとキリトを翻弄させる。そしてかつ、この世界にしか無い未実装のスキル。恐らく、今の《ホロウ》であるPoHの実力は、レベルとスキルで見るならオリジナルよりも速く、強い。

 オリジナルと違って策を幾つも弄さず、自己保身の為の逃亡すらしない。ここでキリトを殺す事、その為にはどんな手段も厭わない。オリジナルのPoHとは全くの別物と化しつつあった。

 

 そして、このAIのPoHは、アキト自体にも殺意を覚え始めていた。

 自身が考え、張り巡らせた策、戦術を掻い潜り、何度も立ち上がってきた。

 そんな彼に歪んだ信頼すら覚え始めていた。アインクラッドのPoHが、キリトに対して抱くものと遜色無い感情を。

 たった今明確に殺したいと、AIであるPoHが思い始めて来ていたのだ。

 だからこそ、ここは譲らないのだ。キリトを殺す事で、同時にアキトを殺せるのなら、ここは絶対退かないと。

 

 

 それでも────

 

 

(負けてたまるかっ……!)

 

 

 重なる剣戟の中、キリトがPoHの攻撃を弾く。PoHは驚きでその瞳を見開く。

 キリトは振り上げた腕に力を込め、勢い良くPoHの身体目掛けて振り下ろす。

 その身体が段々と霞んでいくのが見える。この状態を維持出来ず、アキトへと戻っていく感覚が分かる。

 

 

 故に、止まれない。

 

 

 「キリト君!」

 

 

 アスナの自分を呼ぶ声が聞こえる。ああ、俺は負けられないのだと、そう実感出来る。

 譲れないのはこちらも同じなのだ。アスナを置いていってしまった自分が、アキトを見捨ててしまった自分が、彼らに出来る唯一の事だからこそ。

 

 

 「ああああああぁぁぁああっ!!!」

 

 「ぐぁっ……!」

 

 

 流れるように放たれたその剣が、PoHの身体を綺麗に斬り裂いていく。

 PoHはその衝撃に耐えられず、後方へも吹き飛ぶ。キリトも想像以上の長時間戦闘に呼吸を荒くする。

 床に付きそうになる膝をどうにか抑え、戦闘状態を維持したまま、PoHを見つめる。

 

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 「チィ……ヘッ……」

 

 

 PoHは仰向けに倒れた身体をゆっくりと起こし、そしてまた嗤った。自身が押されていると分かっている筈なのに、まるで余裕だとそう言わんばかり。

 だが奴のHPはまだイエローでも、危険域に入りそうになっている。対してキリトはその反応速度によって、受けるダメージを最小限に抑える動きをとっていた事により、HPにはまだ余裕があった。

 対人戦闘に置いてはPoHに分があるとしても、モンスターを倒す事でレベリングを怠らなかったキリトとの、そのレベルによるステータスの差が現れてきていた。

 そして、キリトのその意志と反応速度が、目の前の殺人鬼よりも上にあったという事。

 もうPoHは、キリトには勝てない。アスナもフィリアも、そう思った。

 

 

 「っ……」

 

 

 キリトは自身の身体が消えゆくのを感じる。アキトに憑依しているこの状態の維持が限界に近付いていた。

 アバターから光が溢れ、段々と霞んでいくのが分かる。

 だが、PoHとの戦いも、これでケリがつく。

 

 

 「……俺の勝ちだ、PoH」

 

 

 キリトは剣を構え、PoHを睨み付ける。

 だがPoHは暫くキリトを眺めた後、その閉じていた口元を歪め────

 

 

 

 

 「……いーや、まだだぜぇ」

 

 

 

 

 ────嗤った。

 

 

 

 

 「っ!」

 

 

 ゾクリと背筋が凍る。その目を見開けば、もうそこにPoHの姿は無い。

 キリトはすぐにPoHの姿を探すが、実物を見つけるよりすぐに、奴が取ろうとする行動を理解した。

 途端に身体が震え、その身体を翻す。足に力を込め、全力で蹴り出した。

 

 

 「アスナ、フィリア!」

 

 

 キリトはPoHの姿を捉え、その予想が正しかった事、その事実に怒りを感じずにはいられない。

 PoHは自分からアスナとフィリアへと目標を変え、動けずにいるフィリアと介抱の為に傍にいるアスナ二人が固まる場所へと向かっていた。

 ここに来てPoHの本質を痛感する。卑怯な手なら一瞬で考えつくであろう奴のその口は楽しそうに弧を描いていた。

 

 

 「くそっ……!」

 

 

 キリトは意識が遠のくのを感じるも、それでもその足を止めない。PoHよりも速く、アスナ達の元へと走らなければ。

 アスナ達に手は出させない、死なせたりなんかしない。

 そうして、キリトはPoHよりも前に出る。

 

 

 PoHに、背中を見せてしまった。

 

 

 「アスナ!」

 

 「っ……!? キリト君、後ろ!」

 

 

 アスナがそう叫ぶのも束の間、キリトのその背にPoHの大型ダガーが深く刻まれた。

 

 

 「がはっ……!」

 

 「Ha、甘ぇんだよぉ!」

 

 

 PoHはそうして声を荒らげ、キリトに追撃を入れる。

 消えゆく身体と遠のく意識が、PoHの攻撃の対応を遅らせ、その斬撃が身体中を襲う。

 視界がぼやけ、その手から剣が溢れ落ちる。

 背中を斬られた事によるダメージが大きく、その身体がバランスを崩す。

 その瞬間をPoHは見逃さない。思い切り回し蹴りを決める事で、キリトを吹き飛ばした。

 

 

 「ぐっ……」

 

 「身体が震えてきたぜぇ……ほらよぉ!」

 

 

 PoHは再び追撃の為に一気に間合いを詰める。離れていた距離が瞬時に埋まり、上体を起こしたばかりの隙だらけなキリトに向かってそのダガーを思い切り振り下ろす。

 キリトはそれに気付き、咄嗟に剣を前に防御姿勢を取る。

 

 

 だが次の瞬間、左の腿に何かが突き刺さり、キリトの身体が膝を付いた。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 途轍もない不快感と、金縛りにあったような硬直を感じる。

 身体をピリピリと電気のようなものが走り、思うように身体が動かせない。

 キリトは、PoHの前でその膝を付き、そのまま動けなくなった。

 

 

(……麻痺、毒……!?)

 

 

 PoHを見れば、左手には短いナイフが数本握られていた。恐らく、麻痺毒が付与されたものだろう。

 レッドギルドの十八番であるそれは、かなりの力があるもので、キリトは何も出来ない自身とPoHに苛立ちを覚える。

 

 

 「……へへっ、誰の勝ちだって?黒の剣士様よぉ」

 

 

 PoHは楽しそうに表情を歪める。

 最初からこれが目的だったのだ。

 アスナ達を襲うかのように行動し、キリトの視線を自分からアスナ達へ向けさせ、その隙を攻撃する事で痛手を負わせる。

 目的はキリトとアキトを殺す事から変わってはおらず、アスナ達への視線はそれだけの為の手段。

 動けない身体はただPoHを見上げるだけだった。

 

 

 「そろそろおねんねの時間だぜぇ」

 

 

 PoHはキリト目掛けてそのダガーを構える。

 《友切包丁(メイト・チョッパー)》は血のようなエフェクトを纏い、邪悪な光を集める。

 キリトは歯を食いしばり、身体を動かそうと必死に身を捩る。

 

 

 「いやああぁぁ!キリト君!」

 

 「っ!」

 

 

 今にもこちらに向かって走り出しそうなアスナのその声を聞き、キリトはPoHがダガーを振り下ろした瞬間に、両手に持つ剣を震える腕で持ち上げ、そのソードスキルを防御する。

 

 

 「っ……やるじゃねぇかよ。なら────」

 

 「がっ……!」

 

 

 PoHは一瞬でキリトの身体に迫り、左手に持つ麻痺毒のナイフをキリト目掛けて突き刺していく。

 麻痺毒で行動を制限されているキリトがPoHのその動きに対応出来る筈は無く、苦痛に顔を歪めるばかりだった。

 肩、腕、背中、そして心臓。ゲームだから心臓を刺されても死にはしないが、ダメージとしては致命的だった。

 

 

 「く、……くそ……!」

 

 

 キリトは両手の剣を地面へ落とし、その場に崩れ落ちた。

 

 

 「キリト君!……っ!?」

 

 

 アスナは飛び出そうとしたの足を止め、倒れたキリトを凝視する。

 そこには身体から光を放った後、消えゆく英雄の身体があった。

 魔法が解け、何もかもが消えてしまうような、そんな現象を目にする。

 キリトはその現象に驚きつつも、何も出来ない無力感に顔を歪めつつ、眠るように消えていく。

 

 

 その光が消えた後、そこに倒れていたのは、フィリアを助けようと奮闘し、誰かの為に走る事が出来る蛮勇の少年だった。

 

 

 「あ……アキト!」

 

 

 フィリアは思わずその口を開く。

 麻痺毒で崩れ落ち、まるで死んだかのようにピクリとも動かず地面に伏したアキトの姿がそこにはあった。

 先程までそこにいた筈のキリトはもう何処にもおらず、そこにいたのはアキト一人だった。

 二つの人格、戦術の操作、それはこのゲームに置いてはどちらも脳を酷使する事に他ならない。アキトの集中力と精神、そして脳は限界を迎え、そこにはただ、意識の無い身体が横たわっていた。

 

 

 「……はぁ、もう終わりかよ。まぁ、結構楽しかったぜぇ」

 

 

 PoHはキリトからアキトへと変わったそのアバターの腕を踏み付ける。

 彼のその手にあった筈の《ダークリパルサー》は、跡形も無く消えていた。

 キリトが、彼がもうそこにはいないという何よりの証拠で。

 アスナの瞳が涙で揺れる。

 そしてアキトは、自身ではPoHに勝てないと悟り、自身のプライドを投げ打ってまでキリトを呼んで、そうしてまで身体を行使して戦ってくれたにも関わらず、PoHの卑怯な手段によって、今その場に崩れている。

 そうまでして、アスナとフィリアを守ろうとしてくれた事実に、アスナは────

 

 

 PoHのそのダガーが、倒れるアキトに向かって光る。

 アスナのその瞳が大きく見開かれる。

 

 

 嫌。

 

 

 嫌だ。

 

 

 やめて。

 

 

 

 

 「せああぁぁあああぁあっ!!!」

 

 「っ!」

 

 

 気が付けばアスナは《ランベントライト》を抜き取り、PoHの背中にソードスキルを放つ。

 ビームのように伸びるそのソードスキルは、普段の射程を飛び越え、PoHの身体に迫る。

 PoHは咄嗟にそこからジャンプし、アキトから離れる事で攻撃範囲外へと飛び出した。

 PoHは自分の殺しを邪魔された事に対して、その苛立ちをアスナに向かって放つ。睨み付けたその先にいるアスナは、フィリアを自身で隠しながらも、レイピアの位置は高かった。

 

 

 「……んだよぉ、折角のお楽しみだぜぇ?邪魔すんなよ」

 

 「……させないわ」

 

 

 怒りと恐怖と焦燥で、その声は震える。

 本物の殺人鬼と相対して、それは抑えられるものでは無かった。

 けれど、フィリアを守る事を第一に、倒れているアキトを殺させる事さえ許さない。

 その瞳は揺れながらも、PoHに対しては闘志を宿していた。

 PoHはそんなアスナの動き、立ち位置を眺め、ニヤリとその口元を吊り上げる。

 未だに動かないアキトとアスナ、そして彼女の後ろにいるフィリアを見て、その口を開いた。

 

 

 「……随分と肩入れするじゃねぇか、そこのフィリアちゃんによぉ」

 

 「っ……」

 

 

 突然名前を呼ばれたフィリアはその身体を震わせる。

 アスナはフィリアを守るように左腕を伸ばし、右手に持つレイピアをPoHの方向に向けて突き付ける。

 彼女のフィリアを守ろうとするその姿勢が可笑しいのか、PoHは嗤う声を交えながら話し出す。

 

 

 「そこで寝てるお前ぇのお仲間はそいつに殺されそうになったんだぜぇ?何も感じねぇ訳じゃねぇんだろぉ?」

 

 「……」

 

 「本当は許せねぇって思ってる癖に、何でそうまでするのか、俺ぁさっぱり分からねぇ」

 

 

 言葉を重ねていく内に、フィリアの顔が下を向く。

 アスナとアキトに、その表情を見られたくないと、無意識そう思って。

 PoHの言っている事が最もであると、フィリアが一番痛感していた。

 聞きたくないと思っても、正しいと思う奴の言動がすんなり心に届いてしまう。

 

 

 「そこの野郎がそいつを助けようとしてたって、お前ぇにはそうする義理なんか無ぇじゃねぇかぁ。本当はアキトを殺そうとしたそいつを疎ましく思ってんだろぉ?素直になっちまえよ」

 

 

 そうだ。

 アキトとアスナがこんな事をする義理なんか無い。

 本当なら、ここに助けに来るなんて事、ある筈が無い。自分は、アキトとアスナを裏切った。

 自分の為に、友達を裏切ったのだ。

 アキトとアスナが、自分の為にここに来る理由なんて────

 

 

 

 

 「……確かに、フィリアさんが貴方に何を言われたかなんて関係無いと思ってる。アキト君を罠に嵌めた事実は変わらないから」

 

 

 「────」

 

 

 アスナのその言葉は、フィリアの頭に響いた。

 それが事実故に反論も弁明も無い。ただそうした自分の行動を後悔して、懺悔して、それでも許されない罪がそこにはあった。

 自分は所詮《ホロウ》、彼らと共には居られない。そんな勝手な願いのせいで、彼らを危険な目に合わせてしまった。

 だから、もう彼らとは────

 

 

 

 

(そうだよ……私は……)

 

 

 

 

 「それを許した、なんていうのは嘘になってしまうから、まだ私の口からは言えない」

 

 

 

 

(私は、ずっと一人で────)

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……仲間だから」

 

 

 「ぇ……」

 

 

 フィリアの瞳が揺れる。時間が静止したような、そんな感覚が襲う。

 驚きで思うように身体が動かない。震えるように、その視線がアスナの背中へと向かう。

 その背中は、自分が裏切ってしまった筈の、大切だと感じた人の背中だった。

 

 

 「彼女は、私の仲間だから。ただそれだけよ」

 

 

 PoHに堂々とそう言い放つアスナの瞳には、もう恐怖の色は無かった。

 フィリアを、仲間を信じると口にしたその瞬間に、アスナの決意は固まっていた。

 アキトを信じる。キリトを信じてる。彼らが信じるものを、自分も信じたい。

 そして何より、ずっと一緒に戦ってきた彼女を蔑ろに出来る程に、自分は非常になれなかった。

 

 

 「……アス、ナ……」

 

 

 震えた声が後ろから聞こえる。

 アスナはフィリアの表情を想像してクスリと笑う。決してフィリアの方は見ず、ただPoHを見据えていた。

 けれど、その声は優しくて。

 

 

 「ゴメンね、フィリアさん。一番辛い時に傍にいてあげられなくて」

 

 「ぁ……ぅ……っ……」

 

 「でも今だけは、私に貴方を守らせてくれる……?」

 

 「……うん」

 

 

 涙を流して俯くフィリア。嬉し涙の筈なのに、自分が情けなくて、悔しくて、とても言葉にならなかった。

 けれどアスナは、そんなフィリアの声を聞き、ニヤリとその口元に弧を描く。

 それは確かな自信となって、そのレイピアを光らせる。

 

 

 「誰も死なせたりしない。貴方を倒して、みんなで帰ります!」

 

 

 「……」

 

 

 PoHはアスナの揺るぎない意志を感じ取り、もう何を囁いても変わらない事を理解する。

 激しい苛立ちをふつふつと滾らせ、本気の殺意をアスナに向ける。

 

 

 「は〜〜〜、興醒めしちまう。まぁ、殺せるんならどうでもいいけどなぁ」

 

 

 《友切包丁(メイト・チョッパー)》がソードスキルの光を纏い、それを手にゆっくりと近付いて来るのが分かる。

 アスナは瞳を揺らしながらも、決して退く事はしない。

 アキトは勝てなかった。キリトも卑怯な手で落とされ、今はこの場にいない。

 居るのはただ一人。戦えるのは自分だけ。

 未実装のスキルがどうかなんて関係無い。勝てないとしても、このままただ殺される訳にはいかないのだ。

 

 

(来る────)

 

 

 アスナは一歩、その足を踏み締め────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……あぁ?」

 

 

 

 

 PoHがその足を止め、ダガーを下ろす。

 そして、ゆっくりと右を向いた。

 

 

 向かい合うアスナとフィリアはその視線を追い、そしてその目を見開く。

 

 

 「っ……」

 

 

 「ぇ……」

 

 

 身体が動かない。固まったまま、そこから視線を動かせない。

 ワナワナと口元が震え、その瞳からは涙が溢れる。

 

 

 その視線の先には、一人の少年の姿があった。

 

 

 黒い髪の、黒いロングコート。

 

 

 紅い剣を支えに、震えながらもゆっくりと立ち上がる。

 

 

 その瞳は前髪に隠れて見えないが、限界に達しても立ち上がる剣士が、そこにはいた。

 

 

 「……っ…………っ……」

 

 

 アスナは瞳から溢れる涙が止まらない。

 フィリアも驚きでその場から一歩も足を踏み出せない。

 所々が斬られ、血のように赤いエフェクトが舞う。身体には何本も麻痺毒付与のナイフが刺され、それでも立ち上がる少年がいた。

 

 

 そして小さく、鈴の音が鳴る。

 

 

 震える身体、麻痺毒に侵された身体をどうにかして動かす。

 キリトという存在をその身に宿し、限界まで脳を酷使して尚、彼は立ち上がる。

 キリトは居ない。それでも、その意志は変わらない。

 アスナは、立ち上がるアキトを見て、彼の言葉を思い出す。

 

 

 

 

 ────世界って、なんだよ

 

 

 ────どんな顔してんだよ……お前の言う『世界』って奴は

 

 

 ────そんな顔の見えないものの為に、俺は頑張れない。

 

 

 

 

 「アキト、君……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……馬鹿な」

 

 

 PoHの声が、僅かに震える。

 今までに無いその事象に驚きを隠せず、その笑みが消える。

 

 ここは『ゲーム』。全ては絶対の法則上に成り立っている。

 故に、奇跡なんて起こり得ない。

 アキトが麻痺を掻い潜る術は無い筈なのに。

 

 いや──アキトの麻痺毒はまだ続いていた。それなのに、彼はこの瞬間に立ち上がっている。

 その事実に、PoHは焦りと困惑、何より衝撃が走る。

 

 

 ──── 有り得ない。

 

 

 今まで、何人の《ホロウ(人間)》を麻痺毒(それ)で殺してきたと思ってる。

 動けないまま近付く死の恐怖に、悲痛に顔を歪ませる人間を飽きる程見てきた。

 どれ程の量で、何処に刺せば致命的かだなんて、嫌って程知り尽くしている。

 

 

 

 

 あれで、立ち上がれる、筈が────

 

 

 

 

 「……」

 

 

 アキトはゆっくりと顔を上げ、PoHを視界に捉える。

 そうして、その足を一歩踏み出す。

 ゾクリと背筋が凍り、PoHは思わず後退りする。だがすぐにその事実に気付き、湧き上がる思いに嗤う。

 まただ。また目の前の奴は自分の企み、行動の上を行く。自分がどれだけ苦しめようと屈しないその姿勢に、PoHは嗤った。

 

 

 ああ、こいつを殺せれば死んでも良い────

 

 

 PoHはその歪んだ笑顔のまま、アキトに向かって駆け出した。

 

 

 「っ……アキト君!」

 

 

 アスナの反応が僅かに遅れる。フィリアもいきなり動こうとした事で態勢を崩した。

 アキトはふらつきながらPoHへと向かっており、PoHは打って変わって俊敏にアキトに向かってダガーを構えている。

 奴の目には、最早アキトしか映っていなかった。殺意が欲望へと変わり、その欲を満たす為だけの行動と化していた。

 

 

 振り挙げたダガーはエフェクトを纏う。

 フェイントを織り交ぜ、アキトの視線が動くその瞬間に、そのダガーを全力で振り下ろした。

 完璧位置取り────

 

 

 

 

 「────っ!」

 

 

 

 

 アキトは《リメインズハート》でその一撃を弾く。

 今までよりも速い、PoHのその攻撃を。

 

 

 「ハッ……クッハハァ!」

 

 

 PoHはただ嬉しそうに嗤う。

 そして、自身の武器を弾いた事により生まれた隙をPoHは見逃さない。

 左手に仕込んだナイフを持ち、アキトの肩目掛けて振り下ろす。

 PoHの顔にはもう、殺意しか現れていなかった。

 

 

 「殺す!殺す殺す殺す!」

 

 

 嗤いを絶やさず、そのナイフをアキトに向けて突き出した。

 

 

 

 

 だが、それを見たアキトは。

 繰り出されたその一撃を見たアキトは。

 

 

 

 

 「……悪いな、PoH」

 

 

 

 

 小さく、笑った。

 

 

 

 

 「死んでも勝ちたい理由が出来た」

 

 

 

 

 瞬間、麻痺毒のナイフを手にしていたPoHの左腕が吹き飛んだ。

 PoHは何が起こったのか分からないといった顔で、その動きが止まる。

 

 

 アキトのその左手には、蒼い剣が顕現していた。

 《ダークリパルサー》でも、《エリュシデータ》でも無い。

 

 もう一本、最後の剣が。

 

 そして、これで二刀流。

 

 

 「っ……チィ!」

 

 

 PoHが思い切りダガーをアキト目掛けて振り抜く。

 だが、アキトはそれに反応し、一瞬でそれを弾く。

 先程と比じゃない速さに、PoHはその目を見開いた。

 

 

 「なっ……!」

 

 

 アキトのその瞳は、黒く染まる。

 だが、それでもアキトは戦う事を止めない。

 ここから先、この道の先が自分達の帰る道。それを阻むPoHを、絶対に許さない。

 

 

 見ててくれ、キリト。俺は────

 

 

 二刀流OSS二十五連撃

 《ブレイヴ・ソードアート》

 

 

 それは正しく勇者の剣技。虹色に輝く二本の剣が、アキトの進むべき道を照らす。

 アスナもフィリアも見惚れるその美しい光が、PoHの身体に刻まれていく。

 魔王を滅ぼす為の技、自分の道を指し示すスキル。

 この道の先が、この願いが、間違いなんかじゃないのだと、そう決意する為の技。

 

 

 「はあああぁぁああああ!」

 

 

 一撃一撃がとても重く強く、PoHの身体へと刻まれていく。

 PoHは斬られる度に苦痛に顔を歪めた。

 

 

 「があああぁぁあああっ!」

 

 

 PoHは対処しようにもその剣戟の速さに追い付けない。

 その事実にPoHは────

 

 

 「こんな……馬鹿な、事が……」

 

 

 そうして、そのHPが危険域を突破して、やがてゼロになった。

 

 

 

 

 何故。

 

 どうして。

 

 さっきまで、自分が優勢だった筈。

 

 コイツは、全然自分に歯が立たなかった筈。

 

 

 なのに────

 

 

 

 

 「何なんだよ、お前ぇはよぉ……」

 

 

 「────そういや、自己紹介がまだだったな」

 

 

 

 

 その両手の紅と蒼の剣を下ろし、PoHに背を向ける。

 ボロボロになりながらも、殺されかけながらも、戦ったプレイヤーにはらう、僅かばかりの敬意。

 PoHは確かに強かった。けど、間違いばかりだった。

 

 

 その身体から光が差し込み、ポリゴン片と化していくPoHに向かって、アキトは小さく口を開いた。

 

 

 自分から口にしなかった、大切なギルドの名を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ギルド《月夜の黒猫団》団長、アキトだ。消えゆくその間際に、名前だけでも覚えとけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──Link 65%──

 

 





楽屋ネタ


キリト 「随分卑怯な事してくれたじゃんか」

アキト 「振りとはいえアスナ達を攻撃しようとするのは狡いよ」

PoH 「うるせぇな。台本に書いてあんだよ」

アキト 「あ、ホントだ」

キリト 「『卑怯な事をする』としか書いてないじゃないか。人の恋人に剣を向けるなんていい度胸だ」

アキト 「え、何あれアドリブなの」



※本編とは無関係です。

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